【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
>>466
便乗させてもらうと弘南鉄道の1521もかなりヤバかった
というか遥々大阪からなぜあんな中古を持ってきたのか未だに謎 >>475
ラッシュ時対応用に購入したと言われてるが、そのラッシュもこいつが来てから輸送人員が下降したのは皮肉だったけどな
弘南が欲しい時に偶々格安の吊掛が出てたから買ったんじゃないか? 仙石線にいた72系アコモデーション改良車の末期
仙石線の103系の初期車の状態が酷かったのは既出だが、
72系アコモデーション改良車の末期も酷かった
塩害の影響で車体は白っぽくなり、所々に赤錆が出ていた。
ドアなんかは青のはずが真っ白なんてことにもなっていて
特に連結部の妻面は錆で真っ赤だった
その後、72系アコモデーション改良車が正真正銘の103系3000番台に改造されて
川越線で使用されるとは夢にも思わなかった。 >>479
1985年の川越線電化の時、東側は埼京線の10両編成が乗り入れるからいいとして
西側用に適当な車両も金もなかったから、検修予備部品との組み合わせでできた。 当初は快速が30分間隔だったので3000代も大宮まで来てたね さんざんガイシュツだけれども157系
Wikiに上がっている写真を見たら本当に腰板がボロボロね 681系も塗装が剥がれてベコベコになってるのあったな
683系はアルミ車体なのでさほど傷んでない 手入れを怠るとこうもベコベコになってしまうのかと驚いた まだ過去形じゃないけど昨日中央快速線209系に乗った
目的地と逆だったが、あれこんなの居るんだ、と乗り込んでしまった
帯は色あせて、車内も薄暗く、変な走行音で死期が近い感じがした >>1
生きてる?
車両に神経ってあるの?
どこが痛むの? >>478
元々4両編成で、川越線は3両編成。
余った車両はトタ区に配属されオレンジになって、青梅、五日市、武蔵野の共用の6両編成に組み込まれた。
東京地下駅で見た時は感激して号泣してしまった。 >>488
ドアの取っ手がステンレスだったんですぐわかった >>489
満員で発進停止を繰り返すのとどっちが傷みが出るかと思ったことがあるが
バスだと長距離夜行に使ってると、距離がかさんであっという間にズタボロになる 距離なのか動きの激しさか
使い方によって痛む場所が違うとかな サハ103-3000は専ら五日市線などの4連じゃなかった?
川越に呼び戻されるまで遅くまで非冷房で
900番台なんかと同じグループだった 毎日20キロ以上も海岸線をのんびり走ってたら潮風に当たる時間も長くてボディは無害じゃなかったでしょうね 103系なんか酷使が運命付けられたような車だが意外と大事にされたイメージ
こき使われたのは113系 そうかな?
馬車馬のように働かされたのは103系だが? まあ通勤用に設計製造された以上、馬車馬のように昼夜運用されてこそ本懐だろう。
車両基地でお茶を挽いてるだけの人生だった某… 西鉄8000形が廃車されたのは、会社の公式発表では老朽化が著しいためとしているけど真相はどうなんだろう。
同年代に製造された車両が他社では普通に走っているのを見るに、8000形がどのような酷使のされ方をしたのか気になる。 特急車は一般車に比べて傷みが進みやすいというね
近鉄では特急車の機器を流用した一般車(2000系など)が多く在籍している 京急2000も末期は傷みが激しかったな。京急川崎で見た時、車体がベコベコだった