【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
昔の鉄ピクに載っていた北鉄の木造車が撓んでいたのか車体の両端が垂れ下がっていたのに驚いた 末期の東海道寝台客車はひどかったね
小学生がホームで塗装禿げカリカリ剥がしてたわ 日比谷線で乗った東武2000系。室内の化粧版を留めるアルミ製の帯材に切子が出ていて
それに触れてしまい指が血だらけになったことがある。 最晩年の鹿児島交通がそんな感じだったかな
美しいはずの07スタイルのキハ100が草臥れた姿で加世田駅に佇んでる姿に
心痛のあまりカメラのシャッターを押すことができなかった 首都圏の101系や103系は乗客の重みで車体が撓ってたために金属疲労で寿命を縮めたみたいだが
300%も乗車したらどの位車体が撓ってたのか
関西ではそれほど混雑する事は無く長持ちしている >>418 アソコは、車両以上に線路も凄かった。
夏場草薮の中で脱線や起動不能なんか起こしたら、救援復旧作業の前にマムシ対策してからレベル。 笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン
笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン 廃車寸前の銚子デハ700は凄かった
木で出来た窓枠が触ると崩れる感じ 203系は外観が汚かった。
安登から投入された209系1000番台も外観が汚い 松戸は洗剤が使えないとかで仕方が無い面も
103系の前面はポマード(?)で白かった ステンレス車やアルミ車も、薄く茶色く変色してるのがあって
見映えがよくなかったな
大阪市の30系、60系は酷かった。 >>426 地下鉄の車両って屋外の車両と違い雨風去らされないワリに
隋道内の漏水や滞留した埃※(油分も含んでいる)で何気に汚れ易いものだよ。
デパート等の屋内にあるターミナル駅のくし型ホームの終端を見ると埃が溜まっているでしょ。
東急の旧7000系なんて日比谷線直通車と地下鉄に入れない東横線の急行用の日立車じゃ明らかに屋根とか汚れが違った。 都営新宿線車両関連情報
ソース
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/magazine/fureai/201508/HTML5/sd.html#/page/11
平成28年度と29年度に10-300形10両編成(10-550F〜640F)がそれぞれ5編成ずつ(10連10編成全100両)新造されて
それにより置き換えられる10-000形(10-220F〜280F)及び10-300R形 (先頭車を含めた310F〜330F、※360Fは27年度に廃車される予定)は29年度までに全車両の廃車及び引退が決定
10-000とR形の引退後には8両編成が8編成しか無くなり運用上にも支障が出るだろうから
10-370F〜440Fも強制的に30年度以降に中間車両(3次車以降のベース)を新造増備して10連化されるだろうな >>418
たぶん、あの会社独特の飛び出しステップを採用していなかったら、
42000形の病気ともいうべき中央ドア回りで台枠垂下、がもっとひどくなっていたかも キハ300もかなり傷んでいたな
廃止直前に乗りに行った時の事が忘れられない >>432
地方私鉄が追い詰められて行くのは
その部分で手当てできなくなるからでしょ >>434
一時的な資金の需要に応えられるように、個人で言う所の「預貯金」みたいなもの
たとえば積立基金を作っていざ改修工事となったらそこから支払えるようにするとか、
金策は工夫次第でどうにかなったと思うけどなあ 貯める前に使うことが山ほどあるんだよ
企業が実行する積立なんてそんなに簡単には出来ない
個人の貯金とは訳が違う >>439
国鉄時代、東北夜行急行に使う455系なんて天井まっクロけでそれは臭かった
窓下の回転式の灰皿は汚くて手を触れたくなかった(当時中学生) 末期の北斗星はボロボロ。鉄板溶接した外板もあった。 >>440
乗ったことないが、その文面だけで想像できてしまう >>380
南海7000系は6000系と同じステンレス車体ならよかった
何故鋼製に戻っちゃったのかね? 戻ったというより、南海6000と7000はほぼ同時に並行して造ってる
その頃だと、京王の3000と5000も似たような感じ >>404
西武は平成初期の車両でも70年代の焼き直しみたいなイメージだったから・・ 西武新2000系の足回りは60年代の東急8000のコピーだね。
台車が違うくらいでしかない。 西武はずーっとFS372系列使いまくってたからね。
(阪急のFS369、京成のFS329も然り・・・。) >>425 >>458
常磐緩行線の103系1000番台の座席は座面が高くて奥行きが少なかったので、
長時間座っていると尻に痛みを感じた。 バーニヤ制御で電制常用なのに1000、1200代は空冷式抵抗器で無茶してたな 鋼製車両のボディは、塗装してあるから遠目には大したことなさそうだったが、よく見ると
酷かった。
111、113、115、485、キハ181とか、
錆びて穴があいたり欠けたりした部分を矩形に切り抜き、鋼板を溶接してサンダーがけした
ようなのが、編成でガーガーいって走ってた。
末期のキハ180(はまかぜの中間車)は、ヒューンというチャージャーの音とともに、車体
全体がペッコんペッコんしてた。
キハ183はエンジンのガスケットが吹っ飛んだり。 東武7800か7300、70年代末頃、木の床に穴が開いていて線路が見えるという苦情があったことが新聞記事になっていた。 5年前乗った一畑の元南海電車、全身さびさびでかわいそうなくらいだった。
もうないんだろうけど。 床に穴が開いて線路が見えるなんて普通は体験できないからむしろ喜ぶべきじゃないのかね ローカル私鉄では分かるが、大手の東武でもそんなことがあったのか なにしろ「小国鉄」の異名持ってたから。
悪いところを真似しちゃってた
今はそんなことないけどな 床や壁に穴が開いてるような車両に客を乗せてたら即営業停止とかならないの? >>463
それが原因で5000系へ更新されたのもあるかもな。 そうか?
営業停止の間に他の交通手段に切り換えられて客を逃して損失を被るのは鉄道会社だけど。 >>466
便乗させてもらうと弘南鉄道の1521もかなりヤバかった
というか遥々大阪からなぜあんな中古を持ってきたのか未だに謎 >>475
ラッシュ時対応用に購入したと言われてるが、そのラッシュもこいつが来てから輸送人員が下降したのは皮肉だったけどな
弘南が欲しい時に偶々格安の吊掛が出てたから買ったんじゃないか? 仙石線にいた72系アコモデーション改良車の末期
仙石線の103系の初期車の状態が酷かったのは既出だが、
72系アコモデーション改良車の末期も酷かった
塩害の影響で車体は白っぽくなり、所々に赤錆が出ていた。
ドアなんかは青のはずが真っ白なんてことにもなっていて
特に連結部の妻面は錆で真っ赤だった
その後、72系アコモデーション改良車が正真正銘の103系3000番台に改造されて
川越線で使用されるとは夢にも思わなかった。 >>479
1985年の川越線電化の時、東側は埼京線の10両編成が乗り入れるからいいとして
西側用に適当な車両も金もなかったから、検修予備部品との組み合わせでできた。 当初は快速が30分間隔だったので3000代も大宮まで来てたね さんざんガイシュツだけれども157系
Wikiに上がっている写真を見たら本当に腰板がボロボロね 681系も塗装が剥がれてベコベコになってるのあったな
683系はアルミ車体なのでさほど傷んでない 手入れを怠るとこうもベコベコになってしまうのかと驚いた まだ過去形じゃないけど昨日中央快速線209系に乗った
目的地と逆だったが、あれこんなの居るんだ、と乗り込んでしまった
帯は色あせて、車内も薄暗く、変な走行音で死期が近い感じがした >>1
生きてる?
車両に神経ってあるの?
どこが痛むの? >>478
元々4両編成で、川越線は3両編成。
余った車両はトタ区に配属されオレンジになって、青梅、五日市、武蔵野の共用の6両編成に組み込まれた。
東京地下駅で見た時は感激して号泣してしまった。 >>488
ドアの取っ手がステンレスだったんですぐわかった >>489
満員で発進停止を繰り返すのとどっちが傷みが出るかと思ったことがあるが
バスだと長距離夜行に使ってると、距離がかさんであっという間にズタボロになる 距離なのか動きの激しさか
使い方によって痛む場所が違うとかな サハ103-3000は専ら五日市線などの4連じゃなかった?
川越に呼び戻されるまで遅くまで非冷房で
900番台なんかと同じグループだった 毎日20キロ以上も海岸線をのんびり走ってたら潮風に当たる時間も長くてボディは無害じゃなかったでしょうね 103系なんか酷使が運命付けられたような車だが意外と大事にされたイメージ
こき使われたのは113系 そうかな?
馬車馬のように働かされたのは103系だが? まあ通勤用に設計製造された以上、馬車馬のように昼夜運用されてこそ本懐だろう。
車両基地でお茶を挽いてるだけの人生だった某… 西鉄8000形が廃車されたのは、会社の公式発表では老朽化が著しいためとしているけど真相はどうなんだろう。
同年代に製造された車両が他社では普通に走っているのを見るに、8000形がどのような酷使のされ方をしたのか気になる。 特急車は一般車に比べて傷みが進みやすいというね
近鉄では特急車の機器を流用した一般車(2000系など)が多く在籍している 京急2000も末期は傷みが激しかったな。京急川崎で見た時、車体がベコベコだった