【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
寧ろ前述の181系が気動車並の薄い外板だったのでは? 最晩年の181系はボロボロだったな。いくら豪雪地帯を走ってはとはいえ、ここまでボディが痛むかというほど老朽化が進んでた。 こうも違うと思えたな。181は見るも無残なほどの車体の裾のしわや塗装の継ぎあとまであった。
グリーン車に1両連結して凸凹編成の元凶となるサロ181-1100と比べたら決定的だった。
その点183-1000は出たばかりもあってかまだ綺麗だった。 583系も忘れないでくれ・・。青森夜行寝台で酷使されて、
今では、なんとか稼働できるのは1編成のみ。
♪上野発の夜行列車・・って言う歌も、たぶん583系。
仕事で金沢に行った時、座席車に改造されて悲惨な姿になった
同系の車両を見て、マジで泣きそうになったよ。
「寝台の設計に問題がある」とか「電車で寝台は間違い」と言われながら
ボロボロになるまで走ってくれた。 本当にありがとう。 >>297 もしかして永年の塗り重ね塗幕による厚みもあるんじゃないか?・・・・ ざっと調べてみたが。
キハ17・オロ42・ナハ10・151系こだま型・キハ35系・キハ181系・
キハ40系・キハ183系に至るまで、外板厚さは全て1.6mm。
屋根部分は1.2mmとか、もっと薄い。
キハ181系やキハ40では屋根の材質が耐候性高張力鋼板になっている。
前面窓下はキハ35やキハ58のは3.2mm、キハ40で4.5mm。
こんなん出ましたけど。 ヲタ急SE車とか東急のカエルとかは外板薄いのに長持ちしたよな。
やはり国鉄ほど酷使もしてないからか。 >>303
乙
ほぉ、電車も気動車も同じなのか
軽量化以前のリベットで固めた戦前型旧客や旧国とかは相当分厚のだろうな
>>306
おそらくその辺の私鉄車の外板は高張力鋼じゃなかったか?
当時の国鉄車は軟鋼しか使えなかったからまずそこで差がつく。 板厚そのものより、丈夫で腐食しにくい構造設計と加工仕上げ、
見えない所で改良が進められたわけね。 戦後各大手私鉄に割り当てられたロクサン型は粗悪品だったから使い始めて
5年も経たないうちに腰板や妻面に腐食穴ができたりして塞ぐ修理が大変だったと
何かの記事で読みました。酷使も原因になるのでしょうね。 >>310
東武では1年保たずに台枠が折れてメーカーに返品された >>313
相鉄はロクサン型の台枠を流用して車体を載せ替えて、さらにV化までしたから、
台枠だけは丈夫だと思ってたけど。 >>314
313の事例は突貫工場による溶接不良が原因。
ただ当時の事情で本来艦船や戦車の工場で戦災に遭った鉄板も
原料として使われていたので310のように老朽化が早かった。 >>313 東武に割り当てられた63で返品に遭い別車号に化けて国鉄に入り
その後事故大破払い下げで西武入った車があるそうだね。 >>310
阪急は63型の割当を打診されたけど断ったらしいね。
理由が「こんな汚らしいポンコツなんか要らんわ!」とか。 >>317
本音は単にでかすぎて入らないだけだったりしてな。
未だに神宝線狭幅仕様が残ってるぐらいだし。 そのままだと新京阪線限定運用になるしな
新京阪線はデイ100の作り過ぎが幸いして電動車事情は神宝線より良かった
しかし宝塚線の規格向上は史実でも昭和27年、
神戸線でもサイズが辛い。木造デロは千里山線から抜けず、新京阪線本線系統から捻出転用できる電車はない
加えて17m級の920系が750V定格170kWのところ、750V定格142kWのロクサンだと
600V路線では躊躇するだろう
関西私鉄の場合、電圧を差し引いても使い物になった南海本線の条件が例外的だったとしか言えない >>320 割り当て当時は同一事業者(近鉄)の南大阪線(吉野線は微妙)や大阪線(平坦区間ならソコソコの改修で済むのでは?)
マア面倒(海南島向けだった蒸機のそんなトコだな)だからやがて吐き出す南海の押し付けときゃイイやが、当時の近鉄トップの考えだったのだろう。 >>321
東急が小田原線に導入したのも似たような理由なのかな? >>323 小田急は戦時中から東海道本線の代替輸送をさせる構想や国鉄の列車の試験入線もあったかし
相鉄だって元々非電化で何も無いような所を共に急カーブも余りなく敷いた路線だから・・・
厄介払いって訳でもないでしょ。まあ神中は、電車が入った時点で軌道は改修していたのでは・・・。 逆に東横線に入れようものなら、ホーム削ってカーブ改修して・・・えらいことになっただろうな。
碑文谷まで20m級戦災車を菊名から運んだとき、ホームを火花散らしながら運転したと記録されている; >>321
>>319前半と同じような理由でしょ、玉突き供出不成立。 末期の10系客車
窓が錆び付いて開かなかった
末期の国鉄101系
内装の塗装が禿げまくり >>328
10系って台車を外す為に吊ったら車体が崩壊したという
伝説があるのだが 高砂工場の一件は、それなりに知られている話だと思う。 塩害汚物
7000 7100 2200 2230など >>334
上越線での酷使による疲労が積み重なった頃に、
国鉄の労使関係が最悪の時期と重なったのが不幸だったな。 >>337
それを紀勢西線の電化でくろしお用に転用しようとしてたらしいな。
勿論当たり前の話、天鉄局の逆鱗に触れて381系を新車で投入となったが。 管理局レベルで報道に計画をリークして、民意を味方につけたのかな? しかし撮り鉄的には実現してたら胸熱だったろうな
岩代を走る181系とか でも、運転席上のヘッドライトがない181系は
無様以外の何者でもなかったしなぁ。 >>341
原型を知る人はそうだろうな。
しかしあずさ世代の俺はアレはアレで有り。 屋根の無いところに「保存」されてるのは放置に等しい。早晩鉄屑に… 最後の頃の南部縦貫鉄道のレールバスは痛みが激しかった 静岡鉄道の自社工場で作った車両は自社線から10年から20年でお役御免になり
他社に売却されたりもしたけど、外板がかなり薄いとかで
譲渡先の最後の方では経年の割に各所が傷んできて
ひどいものでは車体が歪んで扉の開閉に支障がでるものもあったらしい 同じように丸っこい車体の名鉄5000系も痛みが酷かったらしい。 傷みというより汚さでは中央東線のEF64の汚さは国鉄時代の甲府からJRの塩尻まで受け継がれたな
国鉄時代は動労のスローガン消さずに臨客に充当やら最初の全検前にはルーバーがまっ黒は当たり前
塩尻時代には区札に「洗えよ」と落書きいや落拭きされたり重ソ次位から単行に入ったら運転台窓に目玉の落拭き
極め付きはゴミ箱扱いされてキレた高機区が当時配置された3両(+1000番台)に箒・塵取・ゴミ箱の三点セットを置いたこと 京王2700系の末期。同時代の1900系2000系2010系は最後まで
綺麗だった。 酷使と言えば山陽本線・赤穂線・呉線で走る115系電車は壮絶だ。
酷いときは最近まで岡山から下関まで最大で1日当たり7往復運行されていた。
広島地区の115系電車が姫路に顔を出したり、下関まで足を延ばしていたりしていた。
播州赤穂から糸崎までの3時間以上の運用や、広島大学のある西条駅から播州赤穂駅までの運用も有った。 既出だが、やっぱり10系客車が一番。晩年の20系、14系、24系、旧型客車もボロボロだったけど、
10系には敵わない。車体外板はベッコベコ。窓枠はガッサガサ。車内も薄汚なかったし。 >>346 元来華奢なバスボデイでアソコまで延命させたのだし、
外装補修にお金をかけるにも事欠く台所事情だったのだろうな。
後年は、痛みの進行を抑えるため運用の無い時は直ぐ庫内に保管していたらしいしね。
塩害といえば江ノ電は、環境の割りに車両の状態は良いけど、特別なコトでも何かしているのかな? 江ノ電は車体に耐候性塗料をしてる訳でもなく、塗る前にコーティングしている
訳ではないしだからなあ。あのタンコロがあんだけ長期間持つんだから、何かやっていそうだが。
それこそ日高線のキハ130みたいに20年すら持たずに新型ならぬ古いキハ40に
しなきゃどうにもならないとかやってた北海道はもうこの段階でどうしょうも
なかった有り様だった。
鉄道誌に皮肉られて散々叩かれてたな。何であの段階で日高線をキハ54-500に
しないんだと。
そんでやらかしたのが急行崩れのまんまの装備で留萌線に入れての高校生積み残し事件。 >>355
そもそも積雪の少ない日高本線で排雪運転など必要ないしシビアな勾配もない
まして高加速のキハ54を必要とするほどダイヤが逼迫しているわけでもない
間合いを含め平坦地で54充当列車・線区はラッシュの回復運転や特急の追い上げがあるとこばかり >>355 海沿いを行く日高線の写真。江ノ電と異なる荒涼とした風景。
冬場の季節風が強く、海水が風で巻き上げられるから木が育ちにくい。
北海道沿岸部ではよくある風景。相模灘の奥に位置し、冬場でも海風がそう強くない江の島周辺に比べ、相当過酷な環境なのさ。
http://ttpanatani.fc2web.com/hokkikou/02/2208_3.jpg >>357 屁理屈
じゃ銚子は?・・・マメに洗って塩分を洗い流すだけでも違うのだろうか?(いたずらに水気を与えるのも?だが・・・)
降雪で車両が結構痛むのは京福福井が一時新車導入を諦め中古車導入に方針転換していたことからも判る。
・・・まあ 車体以外に床下機器の痛みなのかも知れないが・・・。 >>358 だからさ、海岸に高い木が一本もないのが何故かわかるか?
銚子や江の島の海岸で、そんな所が数多くあるか? 江ノ電の路線で海辺沿いといっても由比ヶ浜周辺だけで、距離もそう長くないわな。
他は丘陵地の狭間を通るから海風の影響は遮られる。 しかも鎌倉に入るのに極楽谷の切通を海沿いに回らずにトンネルで越すくらい。 塩害って言葉は予想外に早くボロボロになった際に言い訳としてあまりにも安易に使われてる感がある。
本当は設計や製造のミスや欠陥なんじゃねって言いたくなる。 >>363 沿岸部で台風の後に散水車で架線や電線に真水をかけて洗わないと、塩害で腐食してしまうわけだが、そのような架線等も欠陥品だと言いたいわけか?
塩害防止処置不要の架線にするとしたら、どの程度のコストが嵩むのかねえ?海水の塩分って風で巻き上げられると、結構、室内や機械内部にも入り込んでくるわけだが、開口部をなくすのが困難という事情もある。
沿岸部は札幌市営地下鉄の高架部分のようにすれば、完全に塩害を防止できるのだろうけど・・ 塩害防止対策を施されて製造されたのがED75-700でありEF81なんだけどね…
緑色の碍子もその対策品。 >>385 日本海縦貫線のEF81は塩害による車体の痛みが激しいんだけどね。碍子部分が塩害でいかれちまったら事故や故障の原因になるので、塩害対策を施しているのだろうけど。
関門トンネル専用の電気機関車はステンレス製にして塩害防止対策を十分施してるけど、こんな特別仕様を全国的に導入できるほどの予算があるかどうかだね。
自動車にしても、一旦、塩水被ったら電装系など全部交換しなくちゃならなくなるわけよ。 EF81、塩害で画像検索すると、車体ボロボロになった富山配属の車両の写真が出てきたりする。
製造後30年位で、ここまでボロボロになるとは・・ >>364
清々しいほどいかにもな言い訳キターって感じw
最初からそんな路線に投入しておいて、それでも予想外に腐食が進捗してて早く廃車になっても一切文句言っちゃいけませんか? 関門トンネル専用でステンレスボディーにしてるのは、EF10の一部とEF30及びEF81-300。
その後の車両については、EF10のような外板交換をせずに鋼板のまま使用してる。
製造後30年でのボロボロなら、まだマシでしょ。塩害関係ないところで使用されてて、もっと早く
ボロボロになる車両もあるんだから。逆に手入れされてるから動いていられるんじゃないかな。 >>368 コスト・パフォーマンスの問題なんだろうなあ。鈍重なキハ40ほど車体が頑丈ではないが、軽量車体で安いキハ130が日高線での運用にはベターと考えたわけで。
当初の予想よりも早く塩害腐食が進んでしまったが、金かけてメンテナンスする位なら、別の車両で置き換えた方がよいということ。
JR北海道にとって日高線なんて早く廃止したいのが本音なのだろう。キハ130が駄目なら、またキハ40で間に合わせるかということ。
コスパ考えると、必ずしも間違った選択とは断定できない。
まあ、キハ130のような車両は、暖地の江ノ電のような環境でなら十分持ったのだろう。
電気機関車にしても、そんなに数要らなくなってきているから、車体がぼろくなろうと、最小限の手入れをして寿命なるまで使う、新型の投入は最小限の抑えるという考え方でしょ。 もう昔のハナシだが、某鉄道会社で車両整備の仕事をしていたのだが、
電車の外板の腐った(錆びて穴が開いた)部分は周囲を四角にガス切断で切り取り
ガス溶接でパッチ溶接し穴埋め!ビートで出来た凸面はサンダーで削り均しパテ盛り補修していた。
戦前型の電車での話し。(意外と安易な補修方法だ、自動車のレストアと違い 不具合発生の度に定期検査で治すスタンスなんだろうな。) >>363 旧式気動車の置き換え用と言っておきながら、出力重量比最悪のキハ40ってのも「設計ミス」なんだろうなあ。
そりゃ、車体は頑丈だけど。 >>371 戦後の鋼製車もそんな感じで補修していたのでは?よく見ると、外板に継ぎ接ぎしたような部分があり、少し凸凹していたりする。 下関電車区の運転所で最後に見かけた153系も悲惨だった。 (昭和58年) >>368
リゾート21とか、その路線のために新設計したのに塩害で痛みが激しくて早々に廃車になりましたとか、アホとしか。
そりゃこんな車両メーカー潰れるわけだ。ステンレス車体に現を抜かして鋼製車の技術なんか完全に放ったらかしだったんだろうな。 >>350
> 洗えよ
それなんて東武野田線の8000 >>375 子供の頃伊豆急にこそ東急はステンレス車を当初より導入すべきだったと俺は思ったけどな。
ただ観光需要を主体に考えるなら車体ソコソコのサイクルで更新すべきだから・・・
現にリゾートは初代5000系の脚とか流用しているし箱の陳腐化を考えたら妥当な投資。 >>377
バブル崩壊であの手の車両の居場所がなくなったから、結果的には短寿命でちょうどよかったかもしれない。 塩害といえばお馴染み南海7000だが、高架工事が進んできた時点で6000と振り替えることはできなかったのか?
製造当時は本線は高架になっておらず、事故の際の修理の容易さから普通鋼にしたとのことだが、
少なくとも関西空港開業の時にはその理由は立たなくなっていたはず。 新幹線0系は、車体はともかく、台車やモーターなどの足回りが痛み激しかったんではないのか?
開業時の車両が10年ちょっと位で廃車になっているから。
塩害だが、車体をステンレスにしても足回りは防げないのではないか。 >>381
新幹線の場合はトンネルで車体も膨張収縮を繰り返すから傷みが激しい。 南海は角ズームだって徹底的に使っているしなっ。
貴志川線に居た1201なんか最後まで綺麗だったし。
昭和48年の昇圧車種統一で新しい車も処分したトラウマというか反省で車両を大事にしてるんじゃね? 南海7000系がここまで使えてるのは、ちゃんと作って上手に使えば塩害なんて起こらないって証明みたいなもんだ。 南海と言えば、21001ズームカーがいまだに大井川と一畑で現役。
もう製造50年経過してて、しかも下降窓なのに。
下降窓の国鉄157系が20年足らずで廃車になったのとえらい違い。 元阪急2000・2100の能勢電1500・1700も昭和35-38年製下降窓ながら現役 関東私鉄に比べ、関西私鉄は30〜40年前と車両の規格などであまり変わってないからだろ。
地下鉄乗り入れ対応で4ドア車への統一が進んだ西武池袋線とか、18m車から20m車に全部切り替わった京王線のような、大きな変化がない。
東急目蒲線から目黒線への変化も忘れてはならないな。
だから、関西私鉄では昔と同じ規格の車両が使える。新車導入する金が不足しているから、旧型車の更新改造で済ませる。 >>385
あれは下降窓でも閉まった状態の時には車体に押し付けて止める古いタイプだから、あまり雨水が入り込んだりしないらしい。
30年代から流行りだしたフリーストップの下降窓はそれがなくてダダ漏れだから相当手を焼いた。
外からはめる不格好な二段窓に改造したのは国鉄だけではなかったし。
それでも阪急とかは半世紀使い倒してるけど。 阪急も500系は20年ちょっとで廃車か地方私鉄に譲渡してるな。神宝線の昇圧の際、小型車を廃止したからだけど。
関西私鉄も、60〜70年代は古い車両をどんどん廃止するか、地方私鉄譲渡行っていたようで。
昇圧や電車の大型化が相次いだからだろう。
80年代以降は関西私鉄の輸送需要が頭打ちとなり停滞期に入ったということか。近鉄は車両余ってるというし、関東私鉄ほど車両を酷使していないのだろう。だから、長持ちするのかも・・ 関西の私鉄の車両が長寿なのは、車両整備の面でも優れていた(景気が良く私鉄大国と云われてきたときから培ってきた技術)からじゃないの?
機能部品はともかく外装補修は関西の方が上じゃないのかな?
実際状態が悪いと新造より更新のほうがカネが掛かる。 209系
は板違いかな
東武8000は天井がカビで黒く汚れていたり、クモの巣が張っていたりしたな >>391 (旧)営団地下鉄も関東私鉄に含めるならば、丸ノ内線の旧型車が現在でもアルゼンチンで使われてたりするからなあ。
冷房化やホームドア対応のため一斉置き換えということがなければ、旧型車更新で対応することもできる。
車両の更新、寿命延長に金かけるよりも、車両新造を優先せざるを得ない事情があったから。
関東にせよ関西にせよ、車両メーカーは類似しているだろ。西武のような自社製が無くなった今日。
391のような思い込み論に対しては、幾らでも事実を上げて反論することができる。 海外譲渡と言えばインドネシアに行った日本の中古車両、JR以外は全部、関東の私鉄や公営地下鉄の車両だわな。
都営地下鉄の6000系に東京メトロの5000系など、それに東急の8500系など。
日本に比べて車両整備能力が高くない現地で、これらの車両が酷使されつつ現役である。
ステンレス車両といえども、足回りは鋼製車と同様。 まだまだ使える車両を路線の事情で廃車にするのは関東が圧倒的に多いからな。
乗り入れなどで車両の規格が変わるとか、ホームドア設置のために車両の総取り替えが必要とか。
ただ、客が多くて経営が安定してるからか、いささか計画性に欠ける感がなきにしもあらず。 日比谷線の場合、20年くらい前ホームドア導入まで予測して、冷房で20mの新車を入れることができたか?という話だね。