【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
>>21
113系だってひどい。剥げ落ちたとこをパテ埋めせずただリペイントした車ばっかし。 アルミ製のグリーン車であるサロ110の
耐久性はバツゴンだった アルミ製サロ110などというものは、この世の中に存在しない アルミ製サロ110というのは、初耳。ステンレスは確かに有ったけど。 アルミとステンレスが似たようなものだと思ってるアホに、
でかい顔されたくない罠w
つか、懐かし板の話に絡んで来ようとしてる以上は、
おまえもいいトシなんだろ?
それでその知能程度は、若干問題ありだぞ。
リア消防とかなら許してやらんでもないが。 非常に広義に捉えて、防錆性の合金として同類と考えたにしても、
「アルミ製のサロ110」はやっぱり存在しない。
(「ステンレス」を「ステンレス鋼」ではなくて「錆びない金属」ぐらいに捉えれば、
「ステンレス製の381系」はまあ存在しなくもないが、それも相当無理矢理w)
ステンレスとアルミの区別が付かない、あるいは付ける必要がない、と考える癖は、
軽量ステンレス車が当たり前になった「走ルンです世代」によく見られるもの。
結局、こいつもその世代なんだろうな。
文章もオサーンのもんじゃないし、懐かし板なのにすぐ現在形の話題になるしw
581系なんか金星の間合いで
雷鳥にも使用されるフル稼動。
雪害で車体は腐っただろう
日車1000キロ いや
九州勢の583のほうが酷使された
東北は環境がいいので長持ち 特急「北近畿」の485系
東北・九州・北陸などの各地から寄せ集めた中古車両ばかりで、
なかには、側面の一部がへこんだりしている車両もあった。 へこんだのは
踏切事故にあって修繕しなかったのだろうね 「くろしお」のキハ81
紀勢本線に転属後、3と5を除き、かなりの傷みと汚れが激しかった
1、2、4、6は早期に廃車となった。
東北を舐めきったナン20は雪山に放り出されて来ることをお勧めする やはり末期のはくつる用金帯24系25型だろう。
同じ金帯でも出雲のソレと比較するのは酷か? 昭和57年の水害で冠水し、修理されて復帰した関西線の113系
復帰後も、水に浸かった跡が残っていた >39
「金星」の間合いは「しらさぎ」じゃないか。 東急系の伊豆急は、何故 塩害対策で早期に、ステンレス車導入考えなかったのかな・・・ >583系云々
日車キロが485系等に比べて3割くらい長かったそうですね。
1000kmを超えるのも当たり前の世界だったそうです。
昼夜兼用車両ならでは、ですね。
向日町や尾久などはずいぶん助かったそうです。
あと、どうでもいいですが、ナン20氏…。
アルミとステンレスの件ではいつもの調子だと思いきや、
素で区別がついていなかったとは…。
普段からただでさえ痛いレスしかしないのに、
それに輪をかけて痛いレス…マジでorz
ということで、最も痛み激しいのはナn(ry >>52
心配するな、皆ナソ20の頭が最も腐っていることをわかってやってるだろうからw >>51
答にはならないけど、昔ってステンレス地色は優等の列車には
安っぽく見えるとかで不向きと見なされていたのかな?
一方、観光路線などでは耐久性を持たせるより、短いサイクルで
新車を投入したほうが営業的には得策と考えた鉄道もあったんだろうか。 まだ廃止だの三セク化だのが騒がれる前の頃の二俣線。
気動車ばっかでえらく長かったがどれもボロボロだったな…
雪がなんたよ?
豪雪地帯の車両だと酷使だと?
人がいっぱい乗る都会のほうが酷使さ 温度の感覚が無い池沼ナン20に冬の厳しさはわからないw 151系もフル回転だったそうな
踏切事故のときも代車なし 寝台特急「日本海」の14系
車両の所属は早岐客貨区で、「日本海」が24系化されるまで「あかつき」「明星」と
共通運用で、長崎・佐世保・西鹿児島から青森まで広範囲にわたって運用されて、
また、気候の関係などで車両故障も多かったようだ。 銚子や江ノ電は、錆対策どうしているのかな?
ひたすら放置・切り貼り無しの浮き錆落とし→錆止め塗布かな。
・・・まあそれでも車両数が、少ないから意外と
大手より目配り利き問題無しかも知れんが・・・ 普通に、はやぶさとか富士とか廃止寸前のブルトレ客車は悲惨な状態だったな。
ググれば惨状はいくらでも確認できる。 201系と言うと900番代。総武線各停時代末期で既に裾がボコボコ。
あれが京葉線に転属したのは信じられなかった。そのまま廃車かと思ってから。 >>66
209系には床材(塩ビシート?)が割れてて鋲で留められてる
のがありましたね。あの電車のデザイン好きなんで悪口いいなくないけど。
>>65
201の900代は車体の裾が量産車や東武の8000みたいな
全周溶接になってなかったんですよね。 はくつる用は特にオハネフ25 205が錆びが酷い状態だった。 つくば万博の頃の常磐線401系や415系の初期車
無理矢理色が小田急みたいな色に変えられていたがあちこちガムテープで補修してあった
宇都宮線の115系末期も酷かった ヲタ急の2600以降の2段窓車は、窓上の車体とのスポット溶接部分が
10年経つ前にことごとく剥離して波打っていた。ださい設計だよw 大井川鉄道の車両。井川線は、乗ってないので判らないが、本線を走ってる車両は見たやつ、乗ったやつ見事なほど全部ボロボロだったな。車体まともな、メンテ受けてないんだろな。 >>74 あそこは、手入れ経費SL優先になるのかな・・・
まあ ある意味 電車は極力、全所有者の状態で動態保存している事になるし・・・ 209系
川崎車両よりTOMIXの方が痛まなかったぞ >>74-75
元近鉄養老線車の420なんか吊掛・冷房ない・南海・京阪・近鉄特急あるしで
新金谷で放置の完全モスボールだしなあ。
大鉄の電車は長期間放置のモスボールにして結局廃車は何度もやってるからなあ。
ろくな運転できずに放置モスボールの挙げ句に廃車しちまった小田急SE車とか
元北陸鉄道のしらさぎとか。
小田急も大鉄がSE放置してるのわかってれば返せ!と返還させればよかった。 大井川のSE車は、ヲタ急に自ら歴史的遺産を保存せよと
遠回しに呼びかける誘い水だったのでは。
だって大井川に行ったのがワヤになった後も長らく
本家ヲタ急ではSE車バリバリに「あさぎり」で使われてたもん。 大井川鉄道に次は、何が入るのだろう。又、ボロボロになって、ここに書き込まれるんだろうな。ただ、確実に小田急には、ブラックリストに入ってるだろうね。 >>78
大鉄からのラブコールを断って5700を使い倒した
豆腐゛の判断は正しかった訳か 京成3500形
ステンレスの下に隠された骨組みは腐食が激しく、補修に多額の費用がかかった為に更新が中止され、京成車の更新で食べていた某社は父さんする事に。 >>80
東武6050辺りを欲しがってるんじゃね?
大穴で秩父1000かな。 119系なんか無難では。面白みもなんにもないが…おっとスレ違い。
東京の自白、じゃなかった目白に、旧客を使った洋風の居酒屋があった。
ボロボロというほどではないが、薄明かりの下ではくすんで見えた。
あれはいつごろだったか…イオカード(これもすでに懐かしい)が
始まるか始まらない頃だったように思う… 神戸電鉄1000型、3000型。最近は、1000型はピカピカの車両も増えてきたが、3000型はボロボロ。故障も、3000型の方が新しいにも関わらず多いwww 「とき」末期の181
文字通り、溶けてた
ガムテ工作の教材と化していた
トイレの鍵が閉まらなかった
便器の両脇に「左」「右」と大書してあった 田町の153系も酷い状態だった。
末期に状態の良いのを大阪から転属させたりした。 で、酷いのを下関に送ったり、、、
181も程度が良いのは長野に取られたんだっけ? 都営浅草線の5000も座席が外れたり末期には先頭車なのに先頭に出られない車
なんてのまであった。 新潟にいたのは151系を改造した連中で
長野持ちは後年181系として製造されたグループだったと思う
で、189が投入された時に新潟へ移って初期車と置き換えた
だからなのか、上越新幹線開業前のデカいサロがついてたころの方が
食堂車がついてた頃よりもクルマはまともだった印象があるんだよね
幌と車体のつなぎ目はガムテで固定、正面のヘッドマークも外れるのを
防止?はたまた盗難防止?ガムテでビッチリ固定
ドアの内側下部は腐食のためか粉を吹いたような黒ずみ
それでも上越線ではピカイチの列車だったんだよね… >>90
ガムテ…
30年前に乗ったYS-11の翼にはガムテがいっぱい貼ってあった。
乗っていてマジ心配になった。
おれの初めての飛行機搭乗
板違いスマソ。 今でも途上国のキャリアなら、ガムテ貼りまくりの機体は当たり前。
ガムテ飛行機ばかりの中で1機だけピカピカの虎の子A330が
よりによってテロリストにアボーンされた某国営航空もあったな。 >>92
スリランカのエアランカだっけか。タミル・イーラム・解放の虎に
コロンボで最新型機爆破されてあぼーんされたの。A330かA340のいずれかだったかな。 岳南鉄道のどっかの駅には錆びた古い廃車体があちこちに置いてあった。
今はどうだか知らぬ。廃車であるからスレ違いのようだけど、
あっちのスレは車庫や駅は除く、だっていうのでね… 東武野田線の8000系は現在進行形でボロボロ
雨樋から血の涙のような錆がたれている >>95
それ、もしかしたら車体のサビとかじゃなくて
パンタグラフの摺り板のカスなのかもしれない。
パンタの無い先頭車とかもどうだか、注意して観察してみよう。 在京某鉄道系のバスは、バブル以前 雨漏り車の屋根をガムテープ貼り付け、上から
スプレー補修!マジです。(今は、その前に地方行きかな?それとも最っと・・?!) 大井川の例を見ると、富山地鉄のレッドアローは
短くなってワンマン化されてるけど、原形を保ってて
大事にされてるよな。
むしろ大井川の収入の柱の一部となっている客車がいつまで持つのか
それが気掛かり… 大井川鉄道の旧客は国土交通省から使用停止命令がでないか心配だよ。
SLばかり注目されているけれどもあの旧客見に来る人達も多いいんだよな。 >>101
じゃあJRの旧客はなぜ平気なんですか? >>101
客車は手のかかる動力系がないからね。それに昔の半鋼製車は丈夫だからなあ。
ナハ10系なら持たなかっただろうな。
>>102
大井川は整備状態がJR(特に高崎車)程良好ではない >>104
それはどうも。
客車の構造じたいが現行の何らかの基準に合わないとかってこと
ではないとわかりほっとしました。 >>99
走行機器は別物と化してるがなw
基本的にJR九州485でマスコンが京急旧1000、
ブレーキが営団3000、CPが都営地下鉄だっけか 流れ豚スライスしてスマソだが、昭和51年頃、157系があまぎから引退するとき、鉄ジャーで「引退は早すぎる、いや早すぎない」という議論があった。
157系の下降窓の中はそれはもうぼろぼろだったらしい。外板内側だけでなく、雨水が台枠まで達し、台枠自体が逝かれていたようだ。
メンテの問題か、昭和30年台にありがちだった軽量化設計の末路か…
同時期の半球の鋼製車1段下降窓ではそういう話は聞かないね。 同時期に製造された南海車は十分な大きさの水抜き穴が開けられていたそうだ。
かつて高砂工場に勤めていた人のブログにあった。
南海に研修で行ったとき、真っ先に窓の下を見たそうだ。
ブログには10系寝台車の下降窓の補修に手を焼いたと言う書き込みもあった。 懐かしではないが「はまなす」ってもしかしてけっこうボロボロ?(泣 >>1
10系客車はとにかく酷かった。乗り心地も良いとは言えないし、何しろ隙間風が・・・・
小海線のキハ55が酷かった。内装が汚れまくりの割れまくりでガムテープ補修。
乗り換えた中央線臨時客車急行のスハ43(が綺麗で感動した。
キハ30、35なんかも酷かったな。 >>102
束の旧客は最長老のスハフ32でも95kmフルスピード運行可能な様に整備してる。
スハフ32は半年かけて全検したからな。現役時代と変わらない。
スハ32とスハ43は真鍮多用したり鋼板厚くしたり、台枠も頑丈にできてる。オハ35は戦時、
戦後設計は粗悪鋼材使ってたので痛みが早いみたいね。
オハ35もスハ32からの仕様を受け継いだ昭和14年製と戦時設計になる昭和16年製では違う。 ,. < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ > 、
/ ヽ _
〈彡 Y彡三ミ;, も、もうしわけございませんでした…
{\ \|_ \>ー 、 ト三三ニ:} 不肖、私儀こたび土下座してお詫び致します
人{ >、,___.>、/三 ヾ\ |宮三彡;!
/./ トミ;,_ Y/ \>ノー〜=- "
V / /!  ̄ ̄ ゝ | / _
し/'┴──----─''| ン}\-ヾ彡
ヾ、___ノー'''`
>>95
あんなの大したことないだろ。大げさすぎる。
ここのスレに書いてあるなかではかなりマシな方 253系幕板部黒塗装。
類例として鹿島臨海の黒色塗装部分、塗り替え中。 >>78
モスボールというのは文字どおりそこら中を徹底してカバーして外と遮断し、劣化を防ぐようなのをいうので、
米軍の航空機や艦船などで事例がわかる。
大井川の場合は単に放置プレイだ。
>>111
さすがにお召し編成も手がけたぐらいでカネもノウハウもあるところは違うな。
大井川はカネのない中、DIYでやりくりしてる辛さがある…… >>115
この場合のモスボールの意味はじめて知った。ありがとん。
それだけじゃなんなので、廃部品流用といえば、中央線某駅の特快看板で
できたリヤカーと、仙台工場の200系前頭部から作った植木鉢… セミステンレス車って見えないところが凄い事になるんだっけ 100系。
全盛期(1991年頃)は、東京から博多まで1日に何往復も走ったから。
今の酉の100系にトラブルが多いのは、V編成時代に過酷な運用に就いていたから?
しかし、0系は、末期に似たようなトラブルはあまり聞かない。
最後の3編成(R61・67・68)の車両のルーツが様々で、S編成かK編成でデビューした車両がいた。
こだま運用限定だと、走行距離に影響があるのでしょうか。 文脈でわかるが、社名くらいはしょらず書いてくれ。
新幹線車両は、時代とともに運行速度が変わるから
寿命も変わって当然だと思われ。電装の形式も素子もまるで違うし。
どこかのスレで、かつてと近年は車体と電装の寿命が逆転した、とあった。