【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
東武8111F。
床とか見て思わず、「お疲れ様」と言いたくなった… 東海道の113-2000や185の更新前は、特定メーカー製のヤツの
車体裾部のスポット溶接剥離が目立っていた。 国鉄時代は何故頻繁に編成を組み替えていたんだろう?
JRになってからは、新製から廃車まで一度も編成組み替えをしなかった車両もたくさんある。
JR化後に新製された車両で大幅な編成組み替えをしたものは東の205系と西の100系くらい?
>>225
阪和線の223系
登場時6両+2両→途中から5両+3両→現在4両+4両
クリスタルEXPも結構疲れがきてますよ。
内外装リニューアルするかなぁ、それとも廃車まであのままかね?
何はともあれ、乗るならお早めに...
国鉄時代は編成単位ではなく車両単位で検査を受けていたな
だから予備車もバラで保有 >>224
北斗星の車両も30年以上使われてるんだから経年劣化するのは当然。
もし国鉄時代なら20年足らずで廃車にされてたぞ(181系やキハ80系、20系初期車がその典型)。
>>225
>>228の補足だが、検査による電車の組み換えも色々あってな。
1.完全に編成単位で検査を行う例 新幹線
2.検査そのものは車両単位でも、ある程度.基本編成が決まっていて、検査後はもとに戻す例 首都圏近郊の電車区など
3.毎日のように、いずれかの編成を組み替えていた例 多数・青森の485・583はクハの向きもしょっちゅう変えていた
客車・気動車はほとんど全て 3 のパターン
両運転台の気動車の向きも、区所や路線よって「ほぼ完全に統一」「車輪の片減り防止のため、あえてバラバラ」なんて例がある クルマのようにタイヤローテーションができないので
車両ごと反転してしまえ!ということか
素人考えだが、トイレや優先席の位置などは気にしなかったのかな? >>231
お前頭悪いだろ
クルマみたいに進行方向一定じゃないだろ 久留里線の気動車は今でも転車台で向き変えている。車輪の片減り防止のため。 >>233
島原鉄道でもそれに似たことをしていたという記事が
確か私鉄車両めぐりにあった。
山手線でも昔、片減りに悩まされたが、曲線での輪縁塗油が
うまくいくようになって解決したとか。 山手線の車輪片減りだが、昔読んだ記事(一般向けの鉄道豆知識みたいな本だったと思う)で、
「左右の車輪で走行距離が異なるので片減りする」ような書き方になっていて、
ゲージが1.067メートルなんだから左右の走行距離差は4メートルにもならんじゃないか。
大人のくせに算数もできんのか!
と、当時小学生の俺が呆れた記憶がある。 ドアエンジンやスイッチ類の使用頻度も左右で違ってくるだろうから、
その辺のローテーションも考えているのかもな。 >>237
おまいは「.(ピリオド)」と「,(カンマ)」の区別もつかんのか。
晒しアゲしてやる。
>>238
ちなみにヨーロッパでは桁区切りにピリオド、小数点にカンマを使う。
豆な。 >>239
豆ありがと。
で?
>>235がそれを引用したのかどうかは知らないけど、一応ここは日本だからさ。
悪いね、わざわざ豆までもらっちゃって。
>>232
お前頭わりいだろ
段々スレタイから離れているので…
最近乗った415-800は車体ベコベコのバコバコだった
元の塗り分けラインもはっきり見えたが、何度厚化粧してるのだ?
製造年まで見なかったが、50年モノか? キハ35 900代が首都圏色にされた後、塗装の膜にピンホールがあいて
水が浸入して膨らんでるのを見かけた。
ただしその下の車体はステンレス製なので健全。 何がオブt( かは知らんが、南海7001(敢えてそう呼ぼう)の
台車は、日本の狭軌の現存する台車では上級の乗り心地だと思う。 R21はやっぱり塩害被ってるのかな?
αとかあとの方のヤツは部分的にステンレス使ってるだろうけど。
余談だが、塩害を変換したら円買いが候補の上位にきたw 魔王は兎も角6000は1201の実働61年を抜きそうな予感 日数じゃなくて走行キロが先に検査回帰に抵触しちゃう車両
って、あったよな。むかしの583系とか… >>247 今にしてみれば、P-V台車も強度設計で余裕があり本家みたいに装備品が渇々設計じゃなかったから
無理矢理な大改造しなくてもクーラが付けられたのだから東急車輛と東急は耐久性証明は7000系を7700系に改造することではなく
南海に一任すべきだったと思う。
南海6000が南海本線にも入線してくれれば貝塚で、兄弟の出会いがみれた。
北鉄では、京王3000と東急7000の出会いは何とか実現したが、東急車は実質抜け殻だしなあ〜
運命のイタズラで中々出会いは上手くいかないものだ。 車両ではないが
2ちゃん荒らしに明け暮れる西屑のパソコン >>249
北陸の東急7000系はノーマルなのは車体だけで下回りは西武とJRでMT54だから
全く東急らしい音もしない。 車両は無事だったが線路の痛みが激しかったのが
ドリームランドモノレール 車輌の反転は、現在の鉄道車両では付属機器が多く併結や各種保守工事、速やかな事故処置とか考えると難しいよな。
社会が、法律により守られ本来幸せになるところ逆に何でも雁字搦めになると息苦しくなるのと同じだな。 運行最晩年のML高知・松山の車両はひどかったな。
ドア付近はボコボコだったし、色褪せ具合もすごいものがあった。
10系客車の最期の頃もこんな感じだったのかなと想像してしまった。 >>259
四国の12系は色褪せではなく、もとから旧客のような渋い紺色だった。 東武の伊香保軌道線の木造単車は相当傷みが激しかったとか。 名鉄の7300を除く旧型つりかけ車は酷かった。
3800とか蜘蛛の巣があったり 古くてもそれなりに綺麗な旧型は中小私鉄にも沢山居たけどな
名鉄は駅も全体的にボロかった。
津島 二ツ杁 栄生 金山橋 堀田 新岐阜 このあたりは特に >>264 鉄シューで高速運転して錆ブン撒いていたからなー。
でも 大手の中では動態保存(皮肉ね!室内も更新せずそのまま 乗り込むと東急からの3880と雲泥)に熱心だったよね。
下関で見た最晩年の153系がボロボロだった。特に低運車。ドアが錆びてて穴が空きそうだった。でも、その当時でも今の185系より若かったはず。何であんなに痛んでたんだろ? >>269
それ鉄道ジャーナルの記事でない?
自分も当時153系山陽快速乗ったけど、その記事みたいに酷い車両はみかけなかったなあ
全部が全部ひどい状態でなかったでしょ。ドアだけの問題なら単に101系みたいにステンレス
ドアに取り換えればいいだけのことだし
もっとも山陽線では80系もおでこに錆びがついていたから過酷なのは確かだろうけど >>269
新性能車初期の軽量構造車体は、そんなもんだったんだろう。
181系や10系客車なんかも相当ボロボロだったし。
185系は国鉄の車が一番頑丈だった時期の車両じゃなかろうか。
201系なんかも然り。 うわ!二重屋根大好き!
あれが現役の時に乗ってみたかった。つは、現役で乗れる車両はないの?
天井に明かり窓や風量調整版まであるし。 ダブルルーフは屋根のメンテが大変だったらしい。
車体は丈夫でも雨漏りが・・・ 181系は一番短い車両では13年しか活躍しなかったらしいね。こだまでデビューした車両も、20年弱で引退してるし。何でこんなに短命だったのかな。 > 275 そんな欠点があったなんて知りませんでした・・。
でも、丸屋根より二重屋根のほうが美しく思う。
>>274 遊戯物だが実働なら明治村行け。
>>276 初期の高速電車(防錆&亀裂対策とか整備上の諸々の諸問題に対する配慮が不十分)だし
東海道現役時代はかなり効率的に使われ走行距離もゲタ電と違い相当のびたから
それと、新幹線と同じく構造上格下げ転用が困難(無理ではないが不経済)だから。
>>276
新幹線も短命だけど、、乗客一人あたりの収入の大きい長距離優等列車は償却も早く
また性能や設備の陳腐化も早い
このため物理的耐用年数より短期間で取り換えることが合理的
むしろ耐用年数が先に決められ、それに対する車体強度が決められた面もあったのでは >>276
181系にはその編成に入っていた時期が1〜2年未満しかないグリーン車サロ181-1100番台と言うのももある。
もっとも車自体は転用前提のサロ481-1000なんだけどね。
ただし組まれた凸凹編成に
勝田の波動用K40編成先頭のクロハ481-1501(旧サロ181-1101→クハ481-1104)
高崎のせせらぎの先頭車のクロ485-5(旧サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)
クロ484-7(旧サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1104)
幕張のニューなのはな先頭車のクロ484-5(旧サロ181-1106→サロ481-1506)はまさにとき最末期の生き証人。 最近の話だと253系も181系並の短命車両だな。サハとか13年位しか使われなかった。
NEX運用末期には相当痛んでいるのが目で見てわかる状態だったし、そこらへんも181系とつい重なってしまうな。 日高本線の車両の窓ガラスは妙に黄ばんでいるが、あれも塩害のせいだろうか・・・。 >>281
このサロ181-1100番台はわざわざ1958年製の当時形式消滅していたサロ181という形式を使ったのが興味深い。 国鉄で頑丈というと、キハ40系の頑丈さには恐れ入る。
キハ130あぼーん後の日高本線カムバックしかり、九州での特急起用しかり。
性能は褒められたもんじゃないのになぁ。
このスレの趣旨のまるで逆をいくタフガイだ。 うん、オレも40系は「実は傑作かも」と思ってるよ。
特に北海道の耐寒二重窓仕様は電車なみの静かさで快適だし。 逆にキハ17系はすぐにヨレヨレになった。
でもあの安っぽい車内、今思えば懐かしい。
背もたれがやたら低くて、車内が見渡せた。 歴代の日本の鉄道車両で(車籍があり実用していた車の実用期間で・・・)最長寿(現存に限らずあくまで期間として)って何だろうね?
・・・台枠だけ、モーターだけ、台車全般、天ぷら(ニセスチール)はOKだけど、旧側を廃棄の鋼体化は南海の簡易鋼体化もダメ?
・・・基準にもよるが・・・・
やはり名鉄揖斐谷汲線の510かね?
地方私鉄の貨車とかでもっと凄いの居そうな気もするのだが・・・。 黒部峡谷の無蓋貨車で、大正生まれがまだ現役だったような........
まぁ、当時の部材がどれだけ残ってるのかは分からんが........ 結論から言うと最長寿は長崎電軌の168号だ。
今年101歳でなお現役だ。 いつか広島支社の車両も、このスレで笑って回顧される日が来ますように…。
過去形タイトルのスレに現在進行形で絶賛現役稼動中の広島支社の車両群はスレ違い。 >>287-288
でも気動車は重量制限が厳しいから電車より薄手の鋼板を使っていると聞いたけど
確かにあの装甲車のような前面は認めるが キハ41000やキハ16グループまでは、紛れも無く薄手鋼板だったろうけど・・・
キハ58系や特急型は、広域使用もあり電車並みでは?
キハ40系は紛れも無く電車並みだな。
キハ35系は? 前面補強や外吊りドア、比較的近距離使用だけど・・・ 鉄道博物館にあるキハ112(元国鉄・茨城交通)はキハ10系にあたるけど、それほど車体はやわじゃ
ないように見えるがなあ。それほどぼろぼろじゃないし。 寧ろ前述の181系が気動車並の薄い外板だったのでは? 最晩年の181系はボロボロだったな。いくら豪雪地帯を走ってはとはいえ、ここまでボディが痛むかというほど老朽化が進んでた。 こうも違うと思えたな。181は見るも無残なほどの車体の裾のしわや塗装の継ぎあとまであった。
グリーン車に1両連結して凸凹編成の元凶となるサロ181-1100と比べたら決定的だった。
その点183-1000は出たばかりもあってかまだ綺麗だった。 583系も忘れないでくれ・・。青森夜行寝台で酷使されて、
今では、なんとか稼働できるのは1編成のみ。
♪上野発の夜行列車・・って言う歌も、たぶん583系。
仕事で金沢に行った時、座席車に改造されて悲惨な姿になった
同系の車両を見て、マジで泣きそうになったよ。
「寝台の設計に問題がある」とか「電車で寝台は間違い」と言われながら
ボロボロになるまで走ってくれた。 本当にありがとう。 >>297 もしかして永年の塗り重ね塗幕による厚みもあるんじゃないか?・・・・ ざっと調べてみたが。
キハ17・オロ42・ナハ10・151系こだま型・キハ35系・キハ181系・
キハ40系・キハ183系に至るまで、外板厚さは全て1.6mm。
屋根部分は1.2mmとか、もっと薄い。
キハ181系やキハ40では屋根の材質が耐候性高張力鋼板になっている。
前面窓下はキハ35やキハ58のは3.2mm、キハ40で4.5mm。
こんなん出ましたけど。 ヲタ急SE車とか東急のカエルとかは外板薄いのに長持ちしたよな。
やはり国鉄ほど酷使もしてないからか。 >>303
乙
ほぉ、電車も気動車も同じなのか
軽量化以前のリベットで固めた戦前型旧客や旧国とかは相当分厚のだろうな
>>306
おそらくその辺の私鉄車の外板は高張力鋼じゃなかったか?
当時の国鉄車は軟鋼しか使えなかったからまずそこで差がつく。 板厚そのものより、丈夫で腐食しにくい構造設計と加工仕上げ、
見えない所で改良が進められたわけね。 戦後各大手私鉄に割り当てられたロクサン型は粗悪品だったから使い始めて
5年も経たないうちに腰板や妻面に腐食穴ができたりして塞ぐ修理が大変だったと
何かの記事で読みました。酷使も原因になるのでしょうね。 >>310
東武では1年保たずに台枠が折れてメーカーに返品された >>313
相鉄はロクサン型の台枠を流用して車体を載せ替えて、さらにV化までしたから、
台枠だけは丈夫だと思ってたけど。 >>314
313の事例は突貫工場による溶接不良が原因。
ただ当時の事情で本来艦船や戦車の工場で戦災に遭った鉄板も
原料として使われていたので310のように老朽化が早かった。 >>313 東武に割り当てられた63で返品に遭い別車号に化けて国鉄に入り
その後事故大破払い下げで西武入った車があるそうだね。 >>310
阪急は63型の割当を打診されたけど断ったらしいね。
理由が「こんな汚らしいポンコツなんか要らんわ!」とか。 >>317
本音は単にでかすぎて入らないだけだったりしてな。
未だに神宝線狭幅仕様が残ってるぐらいだし。