【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
西日本223系。
現在進行形で痛んでるような・・・
10年近く爆走運用してるから、台車からフラット音聞こえるし、
防音も薄れてきてる・・・ >>193
あろうことかお古が房総に行ってるじゃないか。
あんな屋根の無い駅だらけの地区に4ドアなんて、何を考えてるんだか。 >>195
73系使っていた時代に戻っただけとも言える。 >>196
非鉄金属車としてキハ30系900番台の頃に(ry コヒのキハ130形
↑までに一切出て来ていないのが摩訶不思議
>>196
トイレや冷房が付いてるだけサービス向上してるとも言えなくない。
まあ、房総民はロングシートに免疫だし。 >>194
一番初めにデビューした阪和線の0番台は不思議とボロく見えないな>223系 北陸本線の419系だろうなあ…
座席ぶっ壊れてるとかしょっちゅうだった
いくら国鉄末期で金ないっつってもあんなやっつけ仕事の改造はないわなあ… 両毛線の113系電車は酷かったな。
塗装は後からつけたあととかあったし、座席の脇には植物らしきものがあったし。
廃車が進んで今ないと思う。 >>204
細かいツッコミでゴメン、両毛は「113」じゃなくて「115」な。 >>203
419系か715系かわからないが、改造したての頃は寝台を畳んだまんまで
潰さなかったので、長距離列車とかだと復元させて足を伸ばして乗ったバカもいたとか。 >>207
上段は中段を開けないと出てこない(上段を畳んで、それに被せるように中段を畳む)から、それやった
奴いたら本当にツワモノだな。下段を引っ張り出した奴は>>206じゃないけど結構いたらしいことは
聞いたことがあるけどね。
>>208
下段を引っ張り出した、ってのは急行の“立山(大阪〜富山)”とか“津軽”だと聞いたことあるが、419や715では流石に
ないんじゃないの?
確か今の(西もち)583の一部は下段にロックかけて引っ張り出せないようにしてると聞いたことがあるが。
昨日、高岡〜敦賀(福井乗り継ぎ)で419乗ったけど、走りっぷりはとにかくサービスレベル面では流石にもう限界だな。 >>209
「きたぐに」用583は確か新潟方2〜3両は指定席座席専用で、上段と中段寝台を
全部外して寝台は使えなくしてたはず。
漏れも大糸線を走破して直江津行きまで時間があったから親不知を見に泊まで
富山方面に戻ってみた事があって、その時が419だったが流石にきいたなあ。
しかもよりによって本来413か475か471の直江津行きがよりによってこの時に限って419で来てダブルパンチだった。 >>209
九州の715は最初ロックされていなかったので引き出せた
車掌によく怒られたものだ…
いつの間にか固定されていたけどね
ちなみに寝台は降りませんでした 加工してあったみたい まだスカイブルーだった当時の仙石線ド初期103系の末期。
使い込んだブルマのような白くなってしまった車体と恐らく塩によるもの
だろうか、車体がぼろぼろになっていた。
しかも当時は非冷房車だらけ。唯一2本あった冷房車も1編成は105系に
されてしまい、1本だけの4両編成の冷房車であるクモハ103-144の編成に
当たるのは宝くじに当たるようなもんだった。
この144の編成も仙石更新で延命が検討されたが予想以上に程度が悪くて
都内の余ったクモハらをかき集めた車で代替されて、せっかく郡山に入ったのに
なんとそのまま廃車。 >>214
クモハ103-144で思い出した。
以下コピペ
147 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2009/10/06(火) 08:29:55 ID:BRspJJ9p
マト9 1973〜1983
Mc144+M’308+Tc188+Tc25+M291+M’446+T12+M98(ウラ)+M’147(ウラ)+Tc’627
後に有名になるクハ103-188を含んだ編成。
新製配置から約10年間、マト9編成の中間封じ込めで過ごした。
当時、松戸区ではMM’が1ユニット足りない状態(快速用168両配置)で、マト9編成は一応予備車ということになっていたようだ。
予備車とは言っても頻繁に編成替えを行っていたので見かけることは多かった。
ここでは浦和区からの長期借り入れ車を組み込んでいる。 東武8111F。
床とか見て思わず、「お疲れ様」と言いたくなった… 東海道の113-2000や185の更新前は、特定メーカー製のヤツの
車体裾部のスポット溶接剥離が目立っていた。 国鉄時代は何故頻繁に編成を組み替えていたんだろう?
JRになってからは、新製から廃車まで一度も編成組み替えをしなかった車両もたくさんある。
JR化後に新製された車両で大幅な編成組み替えをしたものは東の205系と西の100系くらい?
>>225
阪和線の223系
登場時6両+2両→途中から5両+3両→現在4両+4両
クリスタルEXPも結構疲れがきてますよ。
内外装リニューアルするかなぁ、それとも廃車まであのままかね?
何はともあれ、乗るならお早めに...
国鉄時代は編成単位ではなく車両単位で検査を受けていたな
だから予備車もバラで保有 >>224
北斗星の車両も30年以上使われてるんだから経年劣化するのは当然。
もし国鉄時代なら20年足らずで廃車にされてたぞ(181系やキハ80系、20系初期車がその典型)。
>>225
>>228の補足だが、検査による電車の組み換えも色々あってな。
1.完全に編成単位で検査を行う例 新幹線
2.検査そのものは車両単位でも、ある程度.基本編成が決まっていて、検査後はもとに戻す例 首都圏近郊の電車区など
3.毎日のように、いずれかの編成を組み替えていた例 多数・青森の485・583はクハの向きもしょっちゅう変えていた
客車・気動車はほとんど全て 3 のパターン
両運転台の気動車の向きも、区所や路線よって「ほぼ完全に統一」「車輪の片減り防止のため、あえてバラバラ」なんて例がある クルマのようにタイヤローテーションができないので
車両ごと反転してしまえ!ということか
素人考えだが、トイレや優先席の位置などは気にしなかったのかな? >>231
お前頭悪いだろ
クルマみたいに進行方向一定じゃないだろ 久留里線の気動車は今でも転車台で向き変えている。車輪の片減り防止のため。 >>233
島原鉄道でもそれに似たことをしていたという記事が
確か私鉄車両めぐりにあった。
山手線でも昔、片減りに悩まされたが、曲線での輪縁塗油が
うまくいくようになって解決したとか。 山手線の車輪片減りだが、昔読んだ記事(一般向けの鉄道豆知識みたいな本だったと思う)で、
「左右の車輪で走行距離が異なるので片減りする」ような書き方になっていて、
ゲージが1.067メートルなんだから左右の走行距離差は4メートルにもならんじゃないか。
大人のくせに算数もできんのか!
と、当時小学生の俺が呆れた記憶がある。 ドアエンジンやスイッチ類の使用頻度も左右で違ってくるだろうから、
その辺のローテーションも考えているのかもな。 >>237
おまいは「.(ピリオド)」と「,(カンマ)」の区別もつかんのか。
晒しアゲしてやる。
>>238
ちなみにヨーロッパでは桁区切りにピリオド、小数点にカンマを使う。
豆な。 >>239
豆ありがと。
で?
>>235がそれを引用したのかどうかは知らないけど、一応ここは日本だからさ。
悪いね、わざわざ豆までもらっちゃって。
>>232
お前頭わりいだろ
段々スレタイから離れているので…
最近乗った415-800は車体ベコベコのバコバコだった
元の塗り分けラインもはっきり見えたが、何度厚化粧してるのだ?
製造年まで見なかったが、50年モノか? キハ35 900代が首都圏色にされた後、塗装の膜にピンホールがあいて
水が浸入して膨らんでるのを見かけた。
ただしその下の車体はステンレス製なので健全。 何がオブt( かは知らんが、南海7001(敢えてそう呼ぼう)の
台車は、日本の狭軌の現存する台車では上級の乗り心地だと思う。 R21はやっぱり塩害被ってるのかな?
αとかあとの方のヤツは部分的にステンレス使ってるだろうけど。
余談だが、塩害を変換したら円買いが候補の上位にきたw 魔王は兎も角6000は1201の実働61年を抜きそうな予感 日数じゃなくて走行キロが先に検査回帰に抵触しちゃう車両
って、あったよな。むかしの583系とか… >>247 今にしてみれば、P-V台車も強度設計で余裕があり本家みたいに装備品が渇々設計じゃなかったから
無理矢理な大改造しなくてもクーラが付けられたのだから東急車輛と東急は耐久性証明は7000系を7700系に改造することではなく
南海に一任すべきだったと思う。
南海6000が南海本線にも入線してくれれば貝塚で、兄弟の出会いがみれた。
北鉄では、京王3000と東急7000の出会いは何とか実現したが、東急車は実質抜け殻だしなあ〜
運命のイタズラで中々出会いは上手くいかないものだ。 車両ではないが
2ちゃん荒らしに明け暮れる西屑のパソコン >>249
北陸の東急7000系はノーマルなのは車体だけで下回りは西武とJRでMT54だから
全く東急らしい音もしない。 車両は無事だったが線路の痛みが激しかったのが
ドリームランドモノレール 車輌の反転は、現在の鉄道車両では付属機器が多く併結や各種保守工事、速やかな事故処置とか考えると難しいよな。
社会が、法律により守られ本来幸せになるところ逆に何でも雁字搦めになると息苦しくなるのと同じだな。 運行最晩年のML高知・松山の車両はひどかったな。
ドア付近はボコボコだったし、色褪せ具合もすごいものがあった。
10系客車の最期の頃もこんな感じだったのかなと想像してしまった。 >>259
四国の12系は色褪せではなく、もとから旧客のような渋い紺色だった。 東武の伊香保軌道線の木造単車は相当傷みが激しかったとか。 名鉄の7300を除く旧型つりかけ車は酷かった。
3800とか蜘蛛の巣があったり 古くてもそれなりに綺麗な旧型は中小私鉄にも沢山居たけどな
名鉄は駅も全体的にボロかった。
津島 二ツ杁 栄生 金山橋 堀田 新岐阜 このあたりは特に >>264 鉄シューで高速運転して錆ブン撒いていたからなー。
でも 大手の中では動態保存(皮肉ね!室内も更新せずそのまま 乗り込むと東急からの3880と雲泥)に熱心だったよね。
下関で見た最晩年の153系がボロボロだった。特に低運車。ドアが錆びてて穴が空きそうだった。でも、その当時でも今の185系より若かったはず。何であんなに痛んでたんだろ? >>269
それ鉄道ジャーナルの記事でない?
自分も当時153系山陽快速乗ったけど、その記事みたいに酷い車両はみかけなかったなあ
全部が全部ひどい状態でなかったでしょ。ドアだけの問題なら単に101系みたいにステンレス
ドアに取り換えればいいだけのことだし
もっとも山陽線では80系もおでこに錆びがついていたから過酷なのは確かだろうけど >>269
新性能車初期の軽量構造車体は、そんなもんだったんだろう。
181系や10系客車なんかも相当ボロボロだったし。
185系は国鉄の車が一番頑丈だった時期の車両じゃなかろうか。
201系なんかも然り。 うわ!二重屋根大好き!
あれが現役の時に乗ってみたかった。つは、現役で乗れる車両はないの?
天井に明かり窓や風量調整版まであるし。 ダブルルーフは屋根のメンテが大変だったらしい。
車体は丈夫でも雨漏りが・・・ 181系は一番短い車両では13年しか活躍しなかったらしいね。こだまでデビューした車両も、20年弱で引退してるし。何でこんなに短命だったのかな。 > 275 そんな欠点があったなんて知りませんでした・・。
でも、丸屋根より二重屋根のほうが美しく思う。
>>274 遊戯物だが実働なら明治村行け。
>>276 初期の高速電車(防錆&亀裂対策とか整備上の諸々の諸問題に対する配慮が不十分)だし
東海道現役時代はかなり効率的に使われ走行距離もゲタ電と違い相当のびたから
それと、新幹線と同じく構造上格下げ転用が困難(無理ではないが不経済)だから。
>>276
新幹線も短命だけど、、乗客一人あたりの収入の大きい長距離優等列車は償却も早く
また性能や設備の陳腐化も早い
このため物理的耐用年数より短期間で取り換えることが合理的
むしろ耐用年数が先に決められ、それに対する車体強度が決められた面もあったのでは >>276
181系にはその編成に入っていた時期が1〜2年未満しかないグリーン車サロ181-1100番台と言うのももある。
もっとも車自体は転用前提のサロ481-1000なんだけどね。
ただし組まれた凸凹編成に
勝田の波動用K40編成先頭のクロハ481-1501(旧サロ181-1101→クハ481-1104)
高崎のせせらぎの先頭車のクロ485-5(旧サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)
クロ484-7(旧サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1104)
幕張のニューなのはな先頭車のクロ484-5(旧サロ181-1106→サロ481-1506)はまさにとき最末期の生き証人。 最近の話だと253系も181系並の短命車両だな。サハとか13年位しか使われなかった。
NEX運用末期には相当痛んでいるのが目で見てわかる状態だったし、そこらへんも181系とつい重なってしまうな。 日高本線の車両の窓ガラスは妙に黄ばんでいるが、あれも塩害のせいだろうか・・・。 >>281
このサロ181-1100番台はわざわざ1958年製の当時形式消滅していたサロ181という形式を使ったのが興味深い。 国鉄で頑丈というと、キハ40系の頑丈さには恐れ入る。
キハ130あぼーん後の日高本線カムバックしかり、九州での特急起用しかり。
性能は褒められたもんじゃないのになぁ。
このスレの趣旨のまるで逆をいくタフガイだ。 うん、オレも40系は「実は傑作かも」と思ってるよ。
特に北海道の耐寒二重窓仕様は電車なみの静かさで快適だし。 逆にキハ17系はすぐにヨレヨレになった。
でもあの安っぽい車内、今思えば懐かしい。
背もたれがやたら低くて、車内が見渡せた。 歴代の日本の鉄道車両で(車籍があり実用していた車の実用期間で・・・)最長寿(現存に限らずあくまで期間として)って何だろうね?
・・・台枠だけ、モーターだけ、台車全般、天ぷら(ニセスチール)はOKだけど、旧側を廃棄の鋼体化は南海の簡易鋼体化もダメ?
・・・基準にもよるが・・・・
やはり名鉄揖斐谷汲線の510かね?
地方私鉄の貨車とかでもっと凄いの居そうな気もするのだが・・・。 黒部峡谷の無蓋貨車で、大正生まれがまだ現役だったような........
まぁ、当時の部材がどれだけ残ってるのかは分からんが........ 結論から言うと最長寿は長崎電軌の168号だ。
今年101歳でなお現役だ。