【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
151系→161系→181系になってチタからニイに行ってからは
ときで酷使してたからボロボロになるのが早かったな
とても電化したくろしおに使用出来る状態ではなかった。 >>163 >>165 あまり認めたくないが、もしかして 動労千葉 の超保守的体質が、もたらせた影の功績? 思想的にはともかく、鉄チャンにとっての功績は大きいな>千葉動労 革新思想の労組が超保守的態度で仕事ってのは、なかなか面白いな。w >>165 167
房総各線では網棚に蜘蛛の巣張った113系が珍しくなかったのだが… 塩害防止で、車体保守に他の線区より特段の取り扱いをしてたのもあるかもよ。
国鉄時代新車で、キハ35 900が塩害対策の刺客で送り込まれた事だし。 初期の頃の仙石線の青色の103系は塩にやられてたな・・・・・・ 外観だけなら、181系「とき」と489系「能登」ではどっち痛んでいた? 横コツの113系
特に11両基本編成は酷使されてたからボロボロのやつ多かった 昔、京阪神の快速で使っていた急行用の払い下げのグリーン車。
サロ112だったか?
製造から十数年しか経っていないのに、窓の下がぼこぼこに凹んでいた。
窓の開閉が多い非冷房車は特に酷かった。 スカ線にも投入されたサロ112…
112、113はアコモはいいんだけど定員48席。
サロ110は64席。
座れるか座れないかの見極めが大変だったね。
朝は64席、帰りは48席、とか考えないといかんかったね。 九州の電車は水が悪い(飲用には良い水だが)せいか水垢汚れで汚かった。
特に大分車。
油拭きの蒸機が綺麗だったのとは対称的。
関門地区は水がまともなので下関区の電車や門司港区の客車は割と綺麗だった。
塩害は酷いけど。
土佐電鉄安芸線は潮風による車体側面の腐食を防ぐ為
定期的に方向転換していたという。 モチロソ181系!
上越路の彼女らは見ててかわいそうになるよ やっぱり10系客車でしょ
検査で、車体をクレーンで持ち上げたら崩れ落ちたとか、電気配線から火を噴いたとか、
イロイロやらかしてる。
戦前製の客車が現役なのとは対称的。 1950年代の初期軽量車が軽量化の技術が未熟でボロボロになりやすかったようだ。
国鉄私鉄問わず20〜30年で廃車というのがゴロゴロしていた。 >>182
70系客車は、10系客車よりも早い時期に淘汰されたか? 東京機関区のEF65と下関運転所本所に配置されたEF66。
連日のブルトレ運用で老朽化が早かった。 >>184
70系は旅客車としては早期に消えたが荷物車改造を経て
さらに救援車などに改造された車両は結構長生きした。
10系は軽量構造が災いして荷物車改造も出来ず、寝台車の
ごく一部が職用車転用されたくらい。 平成4年の今頃、新大阪駅で見送った知人が乗った山陽新幹線0系こだま(何両編成だったか失念)。
広窓車で確か車内銘板に「日立 昭和50年」とあったような記憶がするが、これがまた塗装の亀裂がえげつない…。
新幹線車両の耐用年数とされている15年をとっくに過ぎてるし、「こだま」とはいえとても高速鉄道車両を
名乗るには無理があるほどの不穏なオーラが漂ってたぞ、あれは…。
親兄弟だったら間違いなく止めて次ので行かせたが、鉄ヲタも兼ねた知人はむしろ喜んで亀裂箇所付近に
座って行きよった。ま、その後走行中に分解とかなかったようなんで…。それにもう時効やな。 >187
15年で置き換えていたのは国鉄時代だったけど、赤いひかり運用とかで
走行距離も多かったからじゃないのかな?
全検時に気密点検を行うから、異常があれば補修してるはず。 最近はJR化後に製造された京葉線の205系がポロポロ廃車になっていってるけど
車体は軽量ステンレスで大丈夫でも走行機器がやられてるんだろうか… >>190
走るんですに早く移行したいから、十分使える状態でも廃車してしまう。
京葉線のグループは90年頃からの投入だし勿体無いな。 西日本223系。
現在進行形で痛んでるような・・・
10年近く爆走運用してるから、台車からフラット音聞こえるし、
防音も薄れてきてる・・・ >>193
あろうことかお古が房総に行ってるじゃないか。
あんな屋根の無い駅だらけの地区に4ドアなんて、何を考えてるんだか。 >>195
73系使っていた時代に戻っただけとも言える。 >>196
非鉄金属車としてキハ30系900番台の頃に(ry コヒのキハ130形
↑までに一切出て来ていないのが摩訶不思議
>>196
トイレや冷房が付いてるだけサービス向上してるとも言えなくない。
まあ、房総民はロングシートに免疫だし。 >>194
一番初めにデビューした阪和線の0番台は不思議とボロく見えないな>223系 北陸本線の419系だろうなあ…
座席ぶっ壊れてるとかしょっちゅうだった
いくら国鉄末期で金ないっつってもあんなやっつけ仕事の改造はないわなあ… 両毛線の113系電車は酷かったな。
塗装は後からつけたあととかあったし、座席の脇には植物らしきものがあったし。
廃車が進んで今ないと思う。 >>204
細かいツッコミでゴメン、両毛は「113」じゃなくて「115」な。 >>203
419系か715系かわからないが、改造したての頃は寝台を畳んだまんまで
潰さなかったので、長距離列車とかだと復元させて足を伸ばして乗ったバカもいたとか。 >>207
上段は中段を開けないと出てこない(上段を畳んで、それに被せるように中段を畳む)から、それやった
奴いたら本当にツワモノだな。下段を引っ張り出した奴は>>206じゃないけど結構いたらしいことは
聞いたことがあるけどね。
>>208
下段を引っ張り出した、ってのは急行の“立山(大阪〜富山)”とか“津軽”だと聞いたことあるが、419や715では流石に
ないんじゃないの?
確か今の(西もち)583の一部は下段にロックかけて引っ張り出せないようにしてると聞いたことがあるが。
昨日、高岡〜敦賀(福井乗り継ぎ)で419乗ったけど、走りっぷりはとにかくサービスレベル面では流石にもう限界だな。 >>209
「きたぐに」用583は確か新潟方2〜3両は指定席座席専用で、上段と中段寝台を
全部外して寝台は使えなくしてたはず。
漏れも大糸線を走破して直江津行きまで時間があったから親不知を見に泊まで
富山方面に戻ってみた事があって、その時が419だったが流石にきいたなあ。
しかもよりによって本来413か475か471の直江津行きがよりによってこの時に限って419で来てダブルパンチだった。 >>209
九州の715は最初ロックされていなかったので引き出せた
車掌によく怒られたものだ…
いつの間にか固定されていたけどね
ちなみに寝台は降りませんでした 加工してあったみたい まだスカイブルーだった当時の仙石線ド初期103系の末期。
使い込んだブルマのような白くなってしまった車体と恐らく塩によるもの
だろうか、車体がぼろぼろになっていた。
しかも当時は非冷房車だらけ。唯一2本あった冷房車も1編成は105系に
されてしまい、1本だけの4両編成の冷房車であるクモハ103-144の編成に
当たるのは宝くじに当たるようなもんだった。
この144の編成も仙石更新で延命が検討されたが予想以上に程度が悪くて
都内の余ったクモハらをかき集めた車で代替されて、せっかく郡山に入ったのに
なんとそのまま廃車。 >>214
クモハ103-144で思い出した。
以下コピペ
147 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2009/10/06(火) 08:29:55 ID:BRspJJ9p
マト9 1973〜1983
Mc144+M’308+Tc188+Tc25+M291+M’446+T12+M98(ウラ)+M’147(ウラ)+Tc’627
後に有名になるクハ103-188を含んだ編成。
新製配置から約10年間、マト9編成の中間封じ込めで過ごした。
当時、松戸区ではMM’が1ユニット足りない状態(快速用168両配置)で、マト9編成は一応予備車ということになっていたようだ。
予備車とは言っても頻繁に編成替えを行っていたので見かけることは多かった。
ここでは浦和区からの長期借り入れ車を組み込んでいる。 東武8111F。
床とか見て思わず、「お疲れ様」と言いたくなった… 東海道の113-2000や185の更新前は、特定メーカー製のヤツの
車体裾部のスポット溶接剥離が目立っていた。 国鉄時代は何故頻繁に編成を組み替えていたんだろう?
JRになってからは、新製から廃車まで一度も編成組み替えをしなかった車両もたくさんある。
JR化後に新製された車両で大幅な編成組み替えをしたものは東の205系と西の100系くらい?
>>225
阪和線の223系
登場時6両+2両→途中から5両+3両→現在4両+4両
クリスタルEXPも結構疲れがきてますよ。
内外装リニューアルするかなぁ、それとも廃車まであのままかね?
何はともあれ、乗るならお早めに...
国鉄時代は編成単位ではなく車両単位で検査を受けていたな
だから予備車もバラで保有 >>224
北斗星の車両も30年以上使われてるんだから経年劣化するのは当然。
もし国鉄時代なら20年足らずで廃車にされてたぞ(181系やキハ80系、20系初期車がその典型)。
>>225
>>228の補足だが、検査による電車の組み換えも色々あってな。
1.完全に編成単位で検査を行う例 新幹線
2.検査そのものは車両単位でも、ある程度.基本編成が決まっていて、検査後はもとに戻す例 首都圏近郊の電車区など
3.毎日のように、いずれかの編成を組み替えていた例 多数・青森の485・583はクハの向きもしょっちゅう変えていた
客車・気動車はほとんど全て 3 のパターン
両運転台の気動車の向きも、区所や路線よって「ほぼ完全に統一」「車輪の片減り防止のため、あえてバラバラ」なんて例がある クルマのようにタイヤローテーションができないので
車両ごと反転してしまえ!ということか
素人考えだが、トイレや優先席の位置などは気にしなかったのかな? >>231
お前頭悪いだろ
クルマみたいに進行方向一定じゃないだろ 久留里線の気動車は今でも転車台で向き変えている。車輪の片減り防止のため。 >>233
島原鉄道でもそれに似たことをしていたという記事が
確か私鉄車両めぐりにあった。
山手線でも昔、片減りに悩まされたが、曲線での輪縁塗油が
うまくいくようになって解決したとか。 山手線の車輪片減りだが、昔読んだ記事(一般向けの鉄道豆知識みたいな本だったと思う)で、
「左右の車輪で走行距離が異なるので片減りする」ような書き方になっていて、
ゲージが1.067メートルなんだから左右の走行距離差は4メートルにもならんじゃないか。
大人のくせに算数もできんのか!
と、当時小学生の俺が呆れた記憶がある。 ドアエンジンやスイッチ類の使用頻度も左右で違ってくるだろうから、
その辺のローテーションも考えているのかもな。 >>237
おまいは「.(ピリオド)」と「,(カンマ)」の区別もつかんのか。
晒しアゲしてやる。
>>238
ちなみにヨーロッパでは桁区切りにピリオド、小数点にカンマを使う。
豆な。 >>239
豆ありがと。
で?
>>235がそれを引用したのかどうかは知らないけど、一応ここは日本だからさ。
悪いね、わざわざ豆までもらっちゃって。
>>232
お前頭わりいだろ
段々スレタイから離れているので…
最近乗った415-800は車体ベコベコのバコバコだった
元の塗り分けラインもはっきり見えたが、何度厚化粧してるのだ?
製造年まで見なかったが、50年モノか? キハ35 900代が首都圏色にされた後、塗装の膜にピンホールがあいて
水が浸入して膨らんでるのを見かけた。
ただしその下の車体はステンレス製なので健全。 何がオブt( かは知らんが、南海7001(敢えてそう呼ぼう)の
台車は、日本の狭軌の現存する台車では上級の乗り心地だと思う。 R21はやっぱり塩害被ってるのかな?
αとかあとの方のヤツは部分的にステンレス使ってるだろうけど。
余談だが、塩害を変換したら円買いが候補の上位にきたw 魔王は兎も角6000は1201の実働61年を抜きそうな予感 日数じゃなくて走行キロが先に検査回帰に抵触しちゃう車両
って、あったよな。むかしの583系とか… >>247 今にしてみれば、P-V台車も強度設計で余裕があり本家みたいに装備品が渇々設計じゃなかったから
無理矢理な大改造しなくてもクーラが付けられたのだから東急車輛と東急は耐久性証明は7000系を7700系に改造することではなく
南海に一任すべきだったと思う。
南海6000が南海本線にも入線してくれれば貝塚で、兄弟の出会いがみれた。
北鉄では、京王3000と東急7000の出会いは何とか実現したが、東急車は実質抜け殻だしなあ〜
運命のイタズラで中々出会いは上手くいかないものだ。 車両ではないが
2ちゃん荒らしに明け暮れる西屑のパソコン >>249
北陸の東急7000系はノーマルなのは車体だけで下回りは西武とJRでMT54だから
全く東急らしい音もしない。 車両は無事だったが線路の痛みが激しかったのが
ドリームランドモノレール 車輌の反転は、現在の鉄道車両では付属機器が多く併結や各種保守工事、速やかな事故処置とか考えると難しいよな。
社会が、法律により守られ本来幸せになるところ逆に何でも雁字搦めになると息苦しくなるのと同じだな。 運行最晩年のML高知・松山の車両はひどかったな。
ドア付近はボコボコだったし、色褪せ具合もすごいものがあった。
10系客車の最期の頃もこんな感じだったのかなと想像してしまった。 >>259
四国の12系は色褪せではなく、もとから旧客のような渋い紺色だった。 東武の伊香保軌道線の木造単車は相当傷みが激しかったとか。 名鉄の7300を除く旧型つりかけ車は酷かった。
3800とか蜘蛛の巣があったり 古くてもそれなりに綺麗な旧型は中小私鉄にも沢山居たけどな
名鉄は駅も全体的にボロかった。
津島 二ツ杁 栄生 金山橋 堀田 新岐阜 このあたりは特に >>264 鉄シューで高速運転して錆ブン撒いていたからなー。
でも 大手の中では動態保存(皮肉ね!室内も更新せずそのまま 乗り込むと東急からの3880と雲泥)に熱心だったよね。