【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
>120
昔プルマンが作ったセミステンレスの客車は普通の全鋼車両より痛んだ。 国鉄157系
先に出た153系より短いなんて信じられん。 痛みと言うか、事故復旧車だが西鉄2000形特急車の第4編成は民家に突っ込む大事故
やらかしたんだが、変な振動とか挙動を繰り返すので乗務員から忌み嫌われていたとか。
特に長い直線区間を飛ばしている時、怖くなる事がしばしばあったとか。
当然、真っ先に重機のエサになったとさ。 >>143 ガイシュツ
雨の吹き込まない1段下降窓の元祖は何かな?
>>145
お化け車両ってやつだな。事故復旧ならありうる。
新車でもごくごく稀にあるのが問題。 数年前に乗った常磐線415系は、椅子が駅に停車する度に前にずれたり傾いたりそれを直して座るの繰り返しだった。でも415系のモーター音は好きだった……
18きっぷで花巻に行った時に上野〜いわきまで乗ったのがいい思い出です。(。~∂~。) こうしてみるとハリケーンがバカスカ発生する細長い島国で延々と走っていたキューバの戦前製電車は相当丈夫だったんだな。 >>137
オロ41とかモハ63?
ジュラルミン車体は直ぐに腐ってしまったけど、普通鋼体に置き換えてからは、他車と同じように使われてましたね ジュラってすぐ腐ったそうだが、飛行機でもそういうもの?
構体の鋼と局部電池形成して腐りやすいとかもあるのかな。
もしそうなら、普通鋼車より構体は痛まなかったとも思える。
もし塗装すれば違っただろうか。 >120
>142
>150
電蝕ってかなり昔から知られた現象なのになんで分かっててそういう構造にしたのかね?
ジュラやステンレスだから大丈夫と思ったのかな?
>>152
もともと63は数年持てば良いという思想だったし、終戦後物資のない時期で
偶々航空機用ジュラルミンが余っていたからとりあえず使ったということで
ないの? >153
ジュラ電は戦後なのに数年持てばいいって・・・
山口県以東に直通していた車両は、塩害に堪えながら頑張っていたな。 >>152
>>153
>>154
63系ジュラ電は航空機用ジュラルミンが余っていたので流用した訳だが、一種の
広告電車の役割を担っていた面もある。
当時の話によると、明るい雰囲気を出す為にわざと無塗装にして緑の細帯を巻いた
だけにしたり、一般車より照明を明るくしたりしていたとの事。
ある意味「時代が変わった」との国策広告というかプロパガンダみたいなものだろう。
>>155
門司機関区に投入された当初のEF12は、それはもう酷い状態でボロボロになったそうだ。
そこで対策として、@この区間だけ架線と線路の極性を逆転させる、A車体を錆びない
素材で作る、の2案が出たが、@案だと通電中に軌条に触れなくなるのでA案を採用
して、日本初のステンレス車が誕生する事になった。なお、ステンレス車ながら1両を
除いて最初からブドウ色で塗装されていた。
実車が門司港に保存されているので、今でも見ることができる。 >156
宣伝用というわけか。
戦時中は目立たないようにしろと暗色ばかりだったからその逆だな。
ステンレスはEF10じゃなかった? 国鉄の労使関係がどーしようもない頃、
181系の側面に下らんスローガンを書かれていたようだけど、
自分たちの商売道具を貶めるようなことをする輩の気が知れなかった。 >>159
え?
あれって石灰を水で溶いたやつじゃねーの? >159
そもそも商売道具という意識がなかったんじゃないかな
乗車率や売り上げに関係なく空から給料が降ってくる・・・と 24系寝台特急はくつる
末期のはくつるはボロボロ錆び錆びヒビ割れのギッタンギッタン
後日廃車回送&ブレイク工場でスクラップ >>158
保存車はEF10 35
今から20年ぐらい前だが
スカ線113系は幕張車と大船車で、随分車体の状態が違っていた。
特に両車が併結すると、その差が際立ったよ。
傾向として幕張車はそれほど(見た目の)痛みは少なかったが、大船車は色あせや錆汁はあたりまえ。
今も大船配置のハマ線の205系や、特急車の253系もかなり汚れが酷い。 >>163
幕張配置のE217も大船車より綺麗に使われていたな。
大船車は、くすみ帯ハゲ当たり前って感じ。 151系→161系→181系になってチタからニイに行ってからは
ときで酷使してたからボロボロになるのが早かったな
とても電化したくろしおに使用出来る状態ではなかった。 >>163 >>165 あまり認めたくないが、もしかして 動労千葉 の超保守的体質が、もたらせた影の功績? 思想的にはともかく、鉄チャンにとっての功績は大きいな>千葉動労 革新思想の労組が超保守的態度で仕事ってのは、なかなか面白いな。w >>165 167
房総各線では網棚に蜘蛛の巣張った113系が珍しくなかったのだが… 塩害防止で、車体保守に他の線区より特段の取り扱いをしてたのもあるかもよ。
国鉄時代新車で、キハ35 900が塩害対策の刺客で送り込まれた事だし。 初期の頃の仙石線の青色の103系は塩にやられてたな・・・・・・ 外観だけなら、181系「とき」と489系「能登」ではどっち痛んでいた? 横コツの113系
特に11両基本編成は酷使されてたからボロボロのやつ多かった 昔、京阪神の快速で使っていた急行用の払い下げのグリーン車。
サロ112だったか?
製造から十数年しか経っていないのに、窓の下がぼこぼこに凹んでいた。
窓の開閉が多い非冷房車は特に酷かった。 スカ線にも投入されたサロ112…
112、113はアコモはいいんだけど定員48席。
サロ110は64席。
座れるか座れないかの見極めが大変だったね。
朝は64席、帰りは48席、とか考えないといかんかったね。 九州の電車は水が悪い(飲用には良い水だが)せいか水垢汚れで汚かった。
特に大分車。
油拭きの蒸機が綺麗だったのとは対称的。
関門地区は水がまともなので下関区の電車や門司港区の客車は割と綺麗だった。
塩害は酷いけど。
土佐電鉄安芸線は潮風による車体側面の腐食を防ぐ為
定期的に方向転換していたという。 モチロソ181系!
上越路の彼女らは見ててかわいそうになるよ やっぱり10系客車でしょ
検査で、車体をクレーンで持ち上げたら崩れ落ちたとか、電気配線から火を噴いたとか、
イロイロやらかしてる。
戦前製の客車が現役なのとは対称的。 1950年代の初期軽量車が軽量化の技術が未熟でボロボロになりやすかったようだ。
国鉄私鉄問わず20〜30年で廃車というのがゴロゴロしていた。 >>182
70系客車は、10系客車よりも早い時期に淘汰されたか? 東京機関区のEF65と下関運転所本所に配置されたEF66。
連日のブルトレ運用で老朽化が早かった。 >>184
70系は旅客車としては早期に消えたが荷物車改造を経て
さらに救援車などに改造された車両は結構長生きした。
10系は軽量構造が災いして荷物車改造も出来ず、寝台車の
ごく一部が職用車転用されたくらい。 平成4年の今頃、新大阪駅で見送った知人が乗った山陽新幹線0系こだま(何両編成だったか失念)。
広窓車で確か車内銘板に「日立 昭和50年」とあったような記憶がするが、これがまた塗装の亀裂がえげつない…。
新幹線車両の耐用年数とされている15年をとっくに過ぎてるし、「こだま」とはいえとても高速鉄道車両を
名乗るには無理があるほどの不穏なオーラが漂ってたぞ、あれは…。
親兄弟だったら間違いなく止めて次ので行かせたが、鉄ヲタも兼ねた知人はむしろ喜んで亀裂箇所付近に
座って行きよった。ま、その後走行中に分解とかなかったようなんで…。それにもう時効やな。 >187
15年で置き換えていたのは国鉄時代だったけど、赤いひかり運用とかで
走行距離も多かったからじゃないのかな?
全検時に気密点検を行うから、異常があれば補修してるはず。 最近はJR化後に製造された京葉線の205系がポロポロ廃車になっていってるけど
車体は軽量ステンレスで大丈夫でも走行機器がやられてるんだろうか… >>190
走るんですに早く移行したいから、十分使える状態でも廃車してしまう。
京葉線のグループは90年頃からの投入だし勿体無いな。 西日本223系。
現在進行形で痛んでるような・・・
10年近く爆走運用してるから、台車からフラット音聞こえるし、
防音も薄れてきてる・・・ >>193
あろうことかお古が房総に行ってるじゃないか。
あんな屋根の無い駅だらけの地区に4ドアなんて、何を考えてるんだか。 >>195
73系使っていた時代に戻っただけとも言える。 >>196
非鉄金属車としてキハ30系900番台の頃に(ry コヒのキハ130形
↑までに一切出て来ていないのが摩訶不思議
>>196
トイレや冷房が付いてるだけサービス向上してるとも言えなくない。
まあ、房総民はロングシートに免疫だし。 >>194
一番初めにデビューした阪和線の0番台は不思議とボロく見えないな>223系 北陸本線の419系だろうなあ…
座席ぶっ壊れてるとかしょっちゅうだった
いくら国鉄末期で金ないっつってもあんなやっつけ仕事の改造はないわなあ… 両毛線の113系電車は酷かったな。
塗装は後からつけたあととかあったし、座席の脇には植物らしきものがあったし。
廃車が進んで今ないと思う。 >>204
細かいツッコミでゴメン、両毛は「113」じゃなくて「115」な。 >>203
419系か715系かわからないが、改造したての頃は寝台を畳んだまんまで
潰さなかったので、長距離列車とかだと復元させて足を伸ばして乗ったバカもいたとか。 >>207
上段は中段を開けないと出てこない(上段を畳んで、それに被せるように中段を畳む)から、それやった
奴いたら本当にツワモノだな。下段を引っ張り出した奴は>>206じゃないけど結構いたらしいことは
聞いたことがあるけどね。
>>208
下段を引っ張り出した、ってのは急行の“立山(大阪〜富山)”とか“津軽”だと聞いたことあるが、419や715では流石に
ないんじゃないの?
確か今の(西もち)583の一部は下段にロックかけて引っ張り出せないようにしてると聞いたことがあるが。
昨日、高岡〜敦賀(福井乗り継ぎ)で419乗ったけど、走りっぷりはとにかくサービスレベル面では流石にもう限界だな。 >>209
「きたぐに」用583は確か新潟方2〜3両は指定席座席専用で、上段と中段寝台を
全部外して寝台は使えなくしてたはず。
漏れも大糸線を走破して直江津行きまで時間があったから親不知を見に泊まで
富山方面に戻ってみた事があって、その時が419だったが流石にきいたなあ。
しかもよりによって本来413か475か471の直江津行きがよりによってこの時に限って419で来てダブルパンチだった。 >>209
九州の715は最初ロックされていなかったので引き出せた
車掌によく怒られたものだ…
いつの間にか固定されていたけどね
ちなみに寝台は降りませんでした 加工してあったみたい まだスカイブルーだった当時の仙石線ド初期103系の末期。
使い込んだブルマのような白くなってしまった車体と恐らく塩によるもの
だろうか、車体がぼろぼろになっていた。
しかも当時は非冷房車だらけ。唯一2本あった冷房車も1編成は105系に
されてしまい、1本だけの4両編成の冷房車であるクモハ103-144の編成に
当たるのは宝くじに当たるようなもんだった。
この144の編成も仙石更新で延命が検討されたが予想以上に程度が悪くて
都内の余ったクモハらをかき集めた車で代替されて、せっかく郡山に入ったのに
なんとそのまま廃車。 >>214
クモハ103-144で思い出した。
以下コピペ
147 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2009/10/06(火) 08:29:55 ID:BRspJJ9p
マト9 1973〜1983
Mc144+M’308+Tc188+Tc25+M291+M’446+T12+M98(ウラ)+M’147(ウラ)+Tc’627
後に有名になるクハ103-188を含んだ編成。
新製配置から約10年間、マト9編成の中間封じ込めで過ごした。
当時、松戸区ではMM’が1ユニット足りない状態(快速用168両配置)で、マト9編成は一応予備車ということになっていたようだ。
予備車とは言っても頻繁に編成替えを行っていたので見かけることは多かった。
ここでは浦和区からの長期借り入れ車を組み込んでいる。 東武8111F。
床とか見て思わず、「お疲れ様」と言いたくなった… 東海道の113-2000や185の更新前は、特定メーカー製のヤツの
車体裾部のスポット溶接剥離が目立っていた。 国鉄時代は何故頻繁に編成を組み替えていたんだろう?
JRになってからは、新製から廃車まで一度も編成組み替えをしなかった車両もたくさんある。
JR化後に新製された車両で大幅な編成組み替えをしたものは東の205系と西の100系くらい?
>>225
阪和線の223系
登場時6両+2両→途中から5両+3両→現在4両+4両
クリスタルEXPも結構疲れがきてますよ。
内外装リニューアルするかなぁ、それとも廃車まであのままかね?
何はともあれ、乗るならお早めに...
国鉄時代は編成単位ではなく車両単位で検査を受けていたな
だから予備車もバラで保有 >>224
北斗星の車両も30年以上使われてるんだから経年劣化するのは当然。
もし国鉄時代なら20年足らずで廃車にされてたぞ(181系やキハ80系、20系初期車がその典型)。
>>225
>>228の補足だが、検査による電車の組み換えも色々あってな。
1.完全に編成単位で検査を行う例 新幹線
2.検査そのものは車両単位でも、ある程度.基本編成が決まっていて、検査後はもとに戻す例 首都圏近郊の電車区など
3.毎日のように、いずれかの編成を組み替えていた例 多数・青森の485・583はクハの向きもしょっちゅう変えていた
客車・気動車はほとんど全て 3 のパターン
両運転台の気動車の向きも、区所や路線よって「ほぼ完全に統一」「車輪の片減り防止のため、あえてバラバラ」なんて例がある クルマのようにタイヤローテーションができないので
車両ごと反転してしまえ!ということか
素人考えだが、トイレや優先席の位置などは気にしなかったのかな? >>231
お前頭悪いだろ
クルマみたいに進行方向一定じゃないだろ 久留里線の気動車は今でも転車台で向き変えている。車輪の片減り防止のため。 >>233
島原鉄道でもそれに似たことをしていたという記事が
確か私鉄車両めぐりにあった。
山手線でも昔、片減りに悩まされたが、曲線での輪縁塗油が
うまくいくようになって解決したとか。 山手線の車輪片減りだが、昔読んだ記事(一般向けの鉄道豆知識みたいな本だったと思う)で、
「左右の車輪で走行距離が異なるので片減りする」ような書き方になっていて、
ゲージが1.067メートルなんだから左右の走行距離差は4メートルにもならんじゃないか。
大人のくせに算数もできんのか!
と、当時小学生の俺が呆れた記憶がある。 ドアエンジンやスイッチ類の使用頻度も左右で違ってくるだろうから、
その辺のローテーションも考えているのかもな。 >>237
おまいは「.(ピリオド)」と「,(カンマ)」の区別もつかんのか。
晒しアゲしてやる。