【酷使】痛み激しかった車両【塩害】
>>130
> ステンの塗装車
最近では南海の新1000とか、
古くは末期のキハ35 900など… >>133 d
そうか、南海1000は塗装だったのか。
キハ35900はすっかり忘れてた。昔八高か久留里で見たはずだが。 下関運転所は場所が場所なだけに昔は酷い車が多かった。
特に80系とか153系。
あんな所に車両基地を置くのは無謀だと思う。 >>134
あとはサロ153-901・902とかね >>130
江ノ電にもあったな。
>>137
興味はあるんだけど何分、資料が少のうて。 >120
昔プルマンが作ったセミステンレスの客車は普通の全鋼車両より痛んだ。 国鉄157系
先に出た153系より短いなんて信じられん。 痛みと言うか、事故復旧車だが西鉄2000形特急車の第4編成は民家に突っ込む大事故
やらかしたんだが、変な振動とか挙動を繰り返すので乗務員から忌み嫌われていたとか。
特に長い直線区間を飛ばしている時、怖くなる事がしばしばあったとか。
当然、真っ先に重機のエサになったとさ。 >>143 ガイシュツ
雨の吹き込まない1段下降窓の元祖は何かな?
>>145
お化け車両ってやつだな。事故復旧ならありうる。
新車でもごくごく稀にあるのが問題。 数年前に乗った常磐線415系は、椅子が駅に停車する度に前にずれたり傾いたりそれを直して座るの繰り返しだった。でも415系のモーター音は好きだった……
18きっぷで花巻に行った時に上野〜いわきまで乗ったのがいい思い出です。(。~∂~。) こうしてみるとハリケーンがバカスカ発生する細長い島国で延々と走っていたキューバの戦前製電車は相当丈夫だったんだな。 >>137
オロ41とかモハ63?
ジュラルミン車体は直ぐに腐ってしまったけど、普通鋼体に置き換えてからは、他車と同じように使われてましたね ジュラってすぐ腐ったそうだが、飛行機でもそういうもの?
構体の鋼と局部電池形成して腐りやすいとかもあるのかな。
もしそうなら、普通鋼車より構体は痛まなかったとも思える。
もし塗装すれば違っただろうか。 >120
>142
>150
電蝕ってかなり昔から知られた現象なのになんで分かっててそういう構造にしたのかね?
ジュラやステンレスだから大丈夫と思ったのかな?
>>152
もともと63は数年持てば良いという思想だったし、終戦後物資のない時期で
偶々航空機用ジュラルミンが余っていたからとりあえず使ったということで
ないの? >153
ジュラ電は戦後なのに数年持てばいいって・・・
山口県以東に直通していた車両は、塩害に堪えながら頑張っていたな。 >>152
>>153
>>154
63系ジュラ電は航空機用ジュラルミンが余っていたので流用した訳だが、一種の
広告電車の役割を担っていた面もある。
当時の話によると、明るい雰囲気を出す為にわざと無塗装にして緑の細帯を巻いた
だけにしたり、一般車より照明を明るくしたりしていたとの事。
ある意味「時代が変わった」との国策広告というかプロパガンダみたいなものだろう。
>>155
門司機関区に投入された当初のEF12は、それはもう酷い状態でボロボロになったそうだ。
そこで対策として、@この区間だけ架線と線路の極性を逆転させる、A車体を錆びない
素材で作る、の2案が出たが、@案だと通電中に軌条に触れなくなるのでA案を採用
して、日本初のステンレス車が誕生する事になった。なお、ステンレス車ながら1両を
除いて最初からブドウ色で塗装されていた。
実車が門司港に保存されているので、今でも見ることができる。 >156
宣伝用というわけか。
戦時中は目立たないようにしろと暗色ばかりだったからその逆だな。
ステンレスはEF10じゃなかった? 国鉄の労使関係がどーしようもない頃、
181系の側面に下らんスローガンを書かれていたようだけど、
自分たちの商売道具を貶めるようなことをする輩の気が知れなかった。 >>159
え?
あれって石灰を水で溶いたやつじゃねーの? >159
そもそも商売道具という意識がなかったんじゃないかな
乗車率や売り上げに関係なく空から給料が降ってくる・・・と 24系寝台特急はくつる
末期のはくつるはボロボロ錆び錆びヒビ割れのギッタンギッタン
後日廃車回送&ブレイク工場でスクラップ >>158
保存車はEF10 35
今から20年ぐらい前だが
スカ線113系は幕張車と大船車で、随分車体の状態が違っていた。
特に両車が併結すると、その差が際立ったよ。
傾向として幕張車はそれほど(見た目の)痛みは少なかったが、大船車は色あせや錆汁はあたりまえ。
今も大船配置のハマ線の205系や、特急車の253系もかなり汚れが酷い。 >>163
幕張配置のE217も大船車より綺麗に使われていたな。
大船車は、くすみ帯ハゲ当たり前って感じ。 151系→161系→181系になってチタからニイに行ってからは
ときで酷使してたからボロボロになるのが早かったな
とても電化したくろしおに使用出来る状態ではなかった。 >>163 >>165 あまり認めたくないが、もしかして 動労千葉 の超保守的体質が、もたらせた影の功績? 思想的にはともかく、鉄チャンにとっての功績は大きいな>千葉動労 革新思想の労組が超保守的態度で仕事ってのは、なかなか面白いな。w >>165 167
房総各線では網棚に蜘蛛の巣張った113系が珍しくなかったのだが… 塩害防止で、車体保守に他の線区より特段の取り扱いをしてたのもあるかもよ。
国鉄時代新車で、キハ35 900が塩害対策の刺客で送り込まれた事だし。 初期の頃の仙石線の青色の103系は塩にやられてたな・・・・・・ 外観だけなら、181系「とき」と489系「能登」ではどっち痛んでいた? 横コツの113系
特に11両基本編成は酷使されてたからボロボロのやつ多かった 昔、京阪神の快速で使っていた急行用の払い下げのグリーン車。
サロ112だったか?
製造から十数年しか経っていないのに、窓の下がぼこぼこに凹んでいた。
窓の開閉が多い非冷房車は特に酷かった。 スカ線にも投入されたサロ112…
112、113はアコモはいいんだけど定員48席。
サロ110は64席。
座れるか座れないかの見極めが大変だったね。
朝は64席、帰りは48席、とか考えないといかんかったね。 九州の電車は水が悪い(飲用には良い水だが)せいか水垢汚れで汚かった。
特に大分車。
油拭きの蒸機が綺麗だったのとは対称的。
関門地区は水がまともなので下関区の電車や門司港区の客車は割と綺麗だった。
塩害は酷いけど。
土佐電鉄安芸線は潮風による車体側面の腐食を防ぐ為
定期的に方向転換していたという。 モチロソ181系!
上越路の彼女らは見ててかわいそうになるよ やっぱり10系客車でしょ
検査で、車体をクレーンで持ち上げたら崩れ落ちたとか、電気配線から火を噴いたとか、
イロイロやらかしてる。
戦前製の客車が現役なのとは対称的。 1950年代の初期軽量車が軽量化の技術が未熟でボロボロになりやすかったようだ。
国鉄私鉄問わず20〜30年で廃車というのがゴロゴロしていた。 >>182
70系客車は、10系客車よりも早い時期に淘汰されたか? 東京機関区のEF65と下関運転所本所に配置されたEF66。
連日のブルトレ運用で老朽化が早かった。 >>184
70系は旅客車としては早期に消えたが荷物車改造を経て
さらに救援車などに改造された車両は結構長生きした。
10系は軽量構造が災いして荷物車改造も出来ず、寝台車の
ごく一部が職用車転用されたくらい。 平成4年の今頃、新大阪駅で見送った知人が乗った山陽新幹線0系こだま(何両編成だったか失念)。
広窓車で確か車内銘板に「日立 昭和50年」とあったような記憶がするが、これがまた塗装の亀裂がえげつない…。
新幹線車両の耐用年数とされている15年をとっくに過ぎてるし、「こだま」とはいえとても高速鉄道車両を
名乗るには無理があるほどの不穏なオーラが漂ってたぞ、あれは…。
親兄弟だったら間違いなく止めて次ので行かせたが、鉄ヲタも兼ねた知人はむしろ喜んで亀裂箇所付近に
座って行きよった。ま、その後走行中に分解とかなかったようなんで…。それにもう時効やな。 >187
15年で置き換えていたのは国鉄時代だったけど、赤いひかり運用とかで
走行距離も多かったからじゃないのかな?
全検時に気密点検を行うから、異常があれば補修してるはず。 最近はJR化後に製造された京葉線の205系がポロポロ廃車になっていってるけど
車体は軽量ステンレスで大丈夫でも走行機器がやられてるんだろうか… >>190
走るんですに早く移行したいから、十分使える状態でも廃車してしまう。
京葉線のグループは90年頃からの投入だし勿体無いな。 西日本223系。
現在進行形で痛んでるような・・・
10年近く爆走運用してるから、台車からフラット音聞こえるし、
防音も薄れてきてる・・・ >>193
あろうことかお古が房総に行ってるじゃないか。
あんな屋根の無い駅だらけの地区に4ドアなんて、何を考えてるんだか。 >>195
73系使っていた時代に戻っただけとも言える。 >>196
非鉄金属車としてキハ30系900番台の頃に(ry コヒのキハ130形
↑までに一切出て来ていないのが摩訶不思議
>>196
トイレや冷房が付いてるだけサービス向上してるとも言えなくない。
まあ、房総民はロングシートに免疫だし。 >>194
一番初めにデビューした阪和線の0番台は不思議とボロく見えないな>223系 北陸本線の419系だろうなあ…
座席ぶっ壊れてるとかしょっちゅうだった
いくら国鉄末期で金ないっつってもあんなやっつけ仕事の改造はないわなあ… 両毛線の113系電車は酷かったな。
塗装は後からつけたあととかあったし、座席の脇には植物らしきものがあったし。
廃車が進んで今ないと思う。 >>204
細かいツッコミでゴメン、両毛は「113」じゃなくて「115」な。 >>203
419系か715系かわからないが、改造したての頃は寝台を畳んだまんまで
潰さなかったので、長距離列車とかだと復元させて足を伸ばして乗ったバカもいたとか。 >>207
上段は中段を開けないと出てこない(上段を畳んで、それに被せるように中段を畳む)から、それやった
奴いたら本当にツワモノだな。下段を引っ張り出した奴は>>206じゃないけど結構いたらしいことは
聞いたことがあるけどね。
>>208
下段を引っ張り出した、ってのは急行の“立山(大阪〜富山)”とか“津軽”だと聞いたことあるが、419や715では流石に
ないんじゃないの?
確か今の(西もち)583の一部は下段にロックかけて引っ張り出せないようにしてると聞いたことがあるが。
昨日、高岡〜敦賀(福井乗り継ぎ)で419乗ったけど、走りっぷりはとにかくサービスレベル面では流石にもう限界だな。 >>209
「きたぐに」用583は確か新潟方2〜3両は指定席座席専用で、上段と中段寝台を
全部外して寝台は使えなくしてたはず。
漏れも大糸線を走破して直江津行きまで時間があったから親不知を見に泊まで
富山方面に戻ってみた事があって、その時が419だったが流石にきいたなあ。
しかもよりによって本来413か475か471の直江津行きがよりによってこの時に限って419で来てダブルパンチだった。 >>209
九州の715は最初ロックされていなかったので引き出せた
車掌によく怒られたものだ…
いつの間にか固定されていたけどね
ちなみに寝台は降りませんでした 加工してあったみたい まだスカイブルーだった当時の仙石線ド初期103系の末期。
使い込んだブルマのような白くなってしまった車体と恐らく塩によるもの
だろうか、車体がぼろぼろになっていた。
しかも当時は非冷房車だらけ。唯一2本あった冷房車も1編成は105系に
されてしまい、1本だけの4両編成の冷房車であるクモハ103-144の編成に
当たるのは宝くじに当たるようなもんだった。
この144の編成も仙石更新で延命が検討されたが予想以上に程度が悪くて
都内の余ったクモハらをかき集めた車で代替されて、せっかく郡山に入ったのに
なんとそのまま廃車。 >>214
クモハ103-144で思い出した。
以下コピペ
147 名前: 回想774列車 [sage] 投稿日: 2009/10/06(火) 08:29:55 ID:BRspJJ9p
マト9 1973〜1983
Mc144+M’308+Tc188+Tc25+M291+M’446+T12+M98(ウラ)+M’147(ウラ)+Tc’627
後に有名になるクハ103-188を含んだ編成。
新製配置から約10年間、マト9編成の中間封じ込めで過ごした。
当時、松戸区ではMM’が1ユニット足りない状態(快速用168両配置)で、マト9編成は一応予備車ということになっていたようだ。
予備車とは言っても頻繁に編成替えを行っていたので見かけることは多かった。
ここでは浦和区からの長期借り入れ車を組み込んでいる。 東武8111F。
床とか見て思わず、「お疲れ様」と言いたくなった… 東海道の113-2000や185の更新前は、特定メーカー製のヤツの
車体裾部のスポット溶接剥離が目立っていた。 国鉄時代は何故頻繁に編成を組み替えていたんだろう?
JRになってからは、新製から廃車まで一度も編成組み替えをしなかった車両もたくさんある。
JR化後に新製された車両で大幅な編成組み替えをしたものは東の205系と西の100系くらい?
>>225
阪和線の223系
登場時6両+2両→途中から5両+3両→現在4両+4両
クリスタルEXPも結構疲れがきてますよ。
内外装リニューアルするかなぁ、それとも廃車まであのままかね?
何はともあれ、乗るならお早めに...
国鉄時代は編成単位ではなく車両単位で検査を受けていたな
だから予備車もバラで保有 >>224
北斗星の車両も30年以上使われてるんだから経年劣化するのは当然。
もし国鉄時代なら20年足らずで廃車にされてたぞ(181系やキハ80系、20系初期車がその典型)。
>>225
>>228の補足だが、検査による電車の組み換えも色々あってな。
1.完全に編成単位で検査を行う例 新幹線
2.検査そのものは車両単位でも、ある程度.基本編成が決まっていて、検査後はもとに戻す例 首都圏近郊の電車区など
3.毎日のように、いずれかの編成を組み替えていた例 多数・青森の485・583はクハの向きもしょっちゅう変えていた
客車・気動車はほとんど全て 3 のパターン
両運転台の気動車の向きも、区所や路線よって「ほぼ完全に統一」「車輪の片減り防止のため、あえてバラバラ」なんて例がある クルマのようにタイヤローテーションができないので
車両ごと反転してしまえ!ということか
素人考えだが、トイレや優先席の位置などは気にしなかったのかな? >>231
お前頭悪いだろ
クルマみたいに進行方向一定じゃないだろ 久留里線の気動車は今でも転車台で向き変えている。車輪の片減り防止のため。 >>233
島原鉄道でもそれに似たことをしていたという記事が
確か私鉄車両めぐりにあった。
山手線でも昔、片減りに悩まされたが、曲線での輪縁塗油が
うまくいくようになって解決したとか。 山手線の車輪片減りだが、昔読んだ記事(一般向けの鉄道豆知識みたいな本だったと思う)で、
「左右の車輪で走行距離が異なるので片減りする」ような書き方になっていて、
ゲージが1.067メートルなんだから左右の走行距離差は4メートルにもならんじゃないか。
大人のくせに算数もできんのか!
と、当時小学生の俺が呆れた記憶がある。 ドアエンジンやスイッチ類の使用頻度も左右で違ってくるだろうから、
その辺のローテーションも考えているのかもな。 >>237
おまいは「.(ピリオド)」と「,(カンマ)」の区別もつかんのか。
晒しアゲしてやる。
>>238
ちなみにヨーロッパでは桁区切りにピリオド、小数点にカンマを使う。
豆な。 >>239
豆ありがと。
で?
>>235がそれを引用したのかどうかは知らないけど、一応ここは日本だからさ。
悪いね、わざわざ豆までもらっちゃって。
>>232
お前頭わりいだろ
段々スレタイから離れているので…
最近乗った415-800は車体ベコベコのバコバコだった
元の塗り分けラインもはっきり見えたが、何度厚化粧してるのだ?
製造年まで見なかったが、50年モノか? キハ35 900代が首都圏色にされた後、塗装の膜にピンホールがあいて
水が浸入して膨らんでるのを見かけた。
ただしその下の車体はステンレス製なので健全。 何がオブt( かは知らんが、南海7001(敢えてそう呼ぼう)の
台車は、日本の狭軌の現存する台車では上級の乗り心地だと思う。 R21はやっぱり塩害被ってるのかな?
αとかあとの方のヤツは部分的にステンレス使ってるだろうけど。
余談だが、塩害を変換したら円買いが候補の上位にきたw 魔王は兎も角6000は1201の実働61年を抜きそうな予感 日数じゃなくて走行キロが先に検査回帰に抵触しちゃう車両
って、あったよな。むかしの583系とか… >>247 今にしてみれば、P-V台車も強度設計で余裕があり本家みたいに装備品が渇々設計じゃなかったから
無理矢理な大改造しなくてもクーラが付けられたのだから東急車輛と東急は耐久性証明は7000系を7700系に改造することではなく
南海に一任すべきだったと思う。
南海6000が南海本線にも入線してくれれば貝塚で、兄弟の出会いがみれた。
北鉄では、京王3000と東急7000の出会いは何とか実現したが、東急車は実質抜け殻だしなあ〜
運命のイタズラで中々出会いは上手くいかないものだ。 車両ではないが
2ちゃん荒らしに明け暮れる西屑のパソコン >>249
北陸の東急7000系はノーマルなのは車体だけで下回りは西武とJRでMT54だから
全く東急らしい音もしない。 車両は無事だったが線路の痛みが激しかったのが
ドリームランドモノレール 車輌の反転は、現在の鉄道車両では付属機器が多く併結や各種保守工事、速やかな事故処置とか考えると難しいよな。
社会が、法律により守られ本来幸せになるところ逆に何でも雁字搦めになると息苦しくなるのと同じだな。 運行最晩年のML高知・松山の車両はひどかったな。
ドア付近はボコボコだったし、色褪せ具合もすごいものがあった。
10系客車の最期の頃もこんな感じだったのかなと想像してしまった。 >>259
四国の12系は色褪せではなく、もとから旧客のような渋い紺色だった。 東武の伊香保軌道線の木造単車は相当傷みが激しかったとか。 名鉄の7300を除く旧型つりかけ車は酷かった。
3800とか蜘蛛の巣があったり 古くてもそれなりに綺麗な旧型は中小私鉄にも沢山居たけどな
名鉄は駅も全体的にボロかった。
津島 二ツ杁 栄生 金山橋 堀田 新岐阜 このあたりは特に >>264 鉄シューで高速運転して錆ブン撒いていたからなー。
でも 大手の中では動態保存(皮肉ね!室内も更新せずそのまま 乗り込むと東急からの3880と雲泥)に熱心だったよね。
下関で見た最晩年の153系がボロボロだった。特に低運車。ドアが錆びてて穴が空きそうだった。でも、その当時でも今の185系より若かったはず。何であんなに痛んでたんだろ? >>269
それ鉄道ジャーナルの記事でない?
自分も当時153系山陽快速乗ったけど、その記事みたいに酷い車両はみかけなかったなあ
全部が全部ひどい状態でなかったでしょ。ドアだけの問題なら単に101系みたいにステンレス
ドアに取り換えればいいだけのことだし
もっとも山陽線では80系もおでこに錆びがついていたから過酷なのは確かだろうけど >>269
新性能車初期の軽量構造車体は、そんなもんだったんだろう。
181系や10系客車なんかも相当ボロボロだったし。
185系は国鉄の車が一番頑丈だった時期の車両じゃなかろうか。
201系なんかも然り。 うわ!二重屋根大好き!
あれが現役の時に乗ってみたかった。つは、現役で乗れる車両はないの?
天井に明かり窓や風量調整版まであるし。 ダブルルーフは屋根のメンテが大変だったらしい。
車体は丈夫でも雨漏りが・・・ 181系は一番短い車両では13年しか活躍しなかったらしいね。こだまでデビューした車両も、20年弱で引退してるし。何でこんなに短命だったのかな。 > 275 そんな欠点があったなんて知りませんでした・・。
でも、丸屋根より二重屋根のほうが美しく思う。
>>274 遊戯物だが実働なら明治村行け。
>>276 初期の高速電車(防錆&亀裂対策とか整備上の諸々の諸問題に対する配慮が不十分)だし
東海道現役時代はかなり効率的に使われ走行距離もゲタ電と違い相当のびたから
それと、新幹線と同じく構造上格下げ転用が困難(無理ではないが不経済)だから。
>>276
新幹線も短命だけど、、乗客一人あたりの収入の大きい長距離優等列車は償却も早く
また性能や設備の陳腐化も早い
このため物理的耐用年数より短期間で取り換えることが合理的
むしろ耐用年数が先に決められ、それに対する車体強度が決められた面もあったのでは >>276
181系にはその編成に入っていた時期が1〜2年未満しかないグリーン車サロ181-1100番台と言うのももある。
もっとも車自体は転用前提のサロ481-1000なんだけどね。
ただし組まれた凸凹編成に
勝田の波動用K40編成先頭のクロハ481-1501(旧サロ181-1101→クハ481-1104)
高崎のせせらぎの先頭車のクロ485-5(旧サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)
クロ484-7(旧サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1104)
幕張のニューなのはな先頭車のクロ484-5(旧サロ181-1106→サロ481-1506)はまさにとき最末期の生き証人。 最近の話だと253系も181系並の短命車両だな。サハとか13年位しか使われなかった。
NEX運用末期には相当痛んでいるのが目で見てわかる状態だったし、そこらへんも181系とつい重なってしまうな。 日高本線の車両の窓ガラスは妙に黄ばんでいるが、あれも塩害のせいだろうか・・・。 >>281
このサロ181-1100番台はわざわざ1958年製の当時形式消滅していたサロ181という形式を使ったのが興味深い。 国鉄で頑丈というと、キハ40系の頑丈さには恐れ入る。
キハ130あぼーん後の日高本線カムバックしかり、九州での特急起用しかり。
性能は褒められたもんじゃないのになぁ。
このスレの趣旨のまるで逆をいくタフガイだ。 うん、オレも40系は「実は傑作かも」と思ってるよ。
特に北海道の耐寒二重窓仕様は電車なみの静かさで快適だし。 逆にキハ17系はすぐにヨレヨレになった。
でもあの安っぽい車内、今思えば懐かしい。
背もたれがやたら低くて、車内が見渡せた。 歴代の日本の鉄道車両で(車籍があり実用していた車の実用期間で・・・)最長寿(現存に限らずあくまで期間として)って何だろうね?
・・・台枠だけ、モーターだけ、台車全般、天ぷら(ニセスチール)はOKだけど、旧側を廃棄の鋼体化は南海の簡易鋼体化もダメ?
・・・基準にもよるが・・・・
やはり名鉄揖斐谷汲線の510かね?
地方私鉄の貨車とかでもっと凄いの居そうな気もするのだが・・・。 黒部峡谷の無蓋貨車で、大正生まれがまだ現役だったような........
まぁ、当時の部材がどれだけ残ってるのかは分からんが........ 結論から言うと最長寿は長崎電軌の168号だ。
今年101歳でなお現役だ。 いつか広島支社の車両も、このスレで笑って回顧される日が来ますように…。
過去形タイトルのスレに現在進行形で絶賛現役稼動中の広島支社の車両群はスレ違い。 >>287-288
でも気動車は重量制限が厳しいから電車より薄手の鋼板を使っていると聞いたけど
確かにあの装甲車のような前面は認めるが キハ41000やキハ16グループまでは、紛れも無く薄手鋼板だったろうけど・・・
キハ58系や特急型は、広域使用もあり電車並みでは?
キハ40系は紛れも無く電車並みだな。
キハ35系は? 前面補強や外吊りドア、比較的近距離使用だけど・・・ 鉄道博物館にあるキハ112(元国鉄・茨城交通)はキハ10系にあたるけど、それほど車体はやわじゃ
ないように見えるがなあ。それほどぼろぼろじゃないし。 寧ろ前述の181系が気動車並の薄い外板だったのでは? 最晩年の181系はボロボロだったな。いくら豪雪地帯を走ってはとはいえ、ここまでボディが痛むかというほど老朽化が進んでた。 こうも違うと思えたな。181は見るも無残なほどの車体の裾のしわや塗装の継ぎあとまであった。
グリーン車に1両連結して凸凹編成の元凶となるサロ181-1100と比べたら決定的だった。
その点183-1000は出たばかりもあってかまだ綺麗だった。 583系も忘れないでくれ・・。青森夜行寝台で酷使されて、
今では、なんとか稼働できるのは1編成のみ。
♪上野発の夜行列車・・って言う歌も、たぶん583系。
仕事で金沢に行った時、座席車に改造されて悲惨な姿になった
同系の車両を見て、マジで泣きそうになったよ。
「寝台の設計に問題がある」とか「電車で寝台は間違い」と言われながら
ボロボロになるまで走ってくれた。 本当にありがとう。 >>297 もしかして永年の塗り重ね塗幕による厚みもあるんじゃないか?・・・・ ざっと調べてみたが。
キハ17・オロ42・ナハ10・151系こだま型・キハ35系・キハ181系・
キハ40系・キハ183系に至るまで、外板厚さは全て1.6mm。
屋根部分は1.2mmとか、もっと薄い。
キハ181系やキハ40では屋根の材質が耐候性高張力鋼板になっている。
前面窓下はキハ35やキハ58のは3.2mm、キハ40で4.5mm。
こんなん出ましたけど。 ヲタ急SE車とか東急のカエルとかは外板薄いのに長持ちしたよな。
やはり国鉄ほど酷使もしてないからか。 >>303
乙
ほぉ、電車も気動車も同じなのか
軽量化以前のリベットで固めた戦前型旧客や旧国とかは相当分厚のだろうな
>>306
おそらくその辺の私鉄車の外板は高張力鋼じゃなかったか?
当時の国鉄車は軟鋼しか使えなかったからまずそこで差がつく。 板厚そのものより、丈夫で腐食しにくい構造設計と加工仕上げ、
見えない所で改良が進められたわけね。 戦後各大手私鉄に割り当てられたロクサン型は粗悪品だったから使い始めて
5年も経たないうちに腰板や妻面に腐食穴ができたりして塞ぐ修理が大変だったと
何かの記事で読みました。酷使も原因になるのでしょうね。 >>310
東武では1年保たずに台枠が折れてメーカーに返品された >>313
相鉄はロクサン型の台枠を流用して車体を載せ替えて、さらにV化までしたから、
台枠だけは丈夫だと思ってたけど。 >>314
313の事例は突貫工場による溶接不良が原因。
ただ当時の事情で本来艦船や戦車の工場で戦災に遭った鉄板も
原料として使われていたので310のように老朽化が早かった。 >>313 東武に割り当てられた63で返品に遭い別車号に化けて国鉄に入り
その後事故大破払い下げで西武入った車があるそうだね。 >>310
阪急は63型の割当を打診されたけど断ったらしいね。
理由が「こんな汚らしいポンコツなんか要らんわ!」とか。 >>317
本音は単にでかすぎて入らないだけだったりしてな。
未だに神宝線狭幅仕様が残ってるぐらいだし。 そのままだと新京阪線限定運用になるしな
新京阪線はデイ100の作り過ぎが幸いして電動車事情は神宝線より良かった
しかし宝塚線の規格向上は史実でも昭和27年、
神戸線でもサイズが辛い。木造デロは千里山線から抜けず、新京阪線本線系統から捻出転用できる電車はない
加えて17m級の920系が750V定格170kWのところ、750V定格142kWのロクサンだと
600V路線では躊躇するだろう
関西私鉄の場合、電圧を差し引いても使い物になった南海本線の条件が例外的だったとしか言えない >>320 割り当て当時は同一事業者(近鉄)の南大阪線(吉野線は微妙)や大阪線(平坦区間ならソコソコの改修で済むのでは?)
マア面倒(海南島向けだった蒸機のそんなトコだな)だからやがて吐き出す南海の押し付けときゃイイやが、当時の近鉄トップの考えだったのだろう。 >>321
東急が小田原線に導入したのも似たような理由なのかな? >>323 小田急は戦時中から東海道本線の代替輸送をさせる構想や国鉄の列車の試験入線もあったかし
相鉄だって元々非電化で何も無いような所を共に急カーブも余りなく敷いた路線だから・・・
厄介払いって訳でもないでしょ。まあ神中は、電車が入った時点で軌道は改修していたのでは・・・。 逆に東横線に入れようものなら、ホーム削ってカーブ改修して・・・えらいことになっただろうな。
碑文谷まで20m級戦災車を菊名から運んだとき、ホームを火花散らしながら運転したと記録されている; >>321
>>319前半と同じような理由でしょ、玉突き供出不成立。 末期の10系客車
窓が錆び付いて開かなかった
末期の国鉄101系
内装の塗装が禿げまくり >>328
10系って台車を外す為に吊ったら車体が崩壊したという
伝説があるのだが 高砂工場の一件は、それなりに知られている話だと思う。 塩害汚物
7000 7100 2200 2230など >>334
上越線での酷使による疲労が積み重なった頃に、
国鉄の労使関係が最悪の時期と重なったのが不幸だったな。 >>337
それを紀勢西線の電化でくろしお用に転用しようとしてたらしいな。
勿論当たり前の話、天鉄局の逆鱗に触れて381系を新車で投入となったが。 管理局レベルで報道に計画をリークして、民意を味方につけたのかな? しかし撮り鉄的には実現してたら胸熱だったろうな
岩代を走る181系とか でも、運転席上のヘッドライトがない181系は
無様以外の何者でもなかったしなぁ。 >>341
原型を知る人はそうだろうな。
しかしあずさ世代の俺はアレはアレで有り。 屋根の無いところに「保存」されてるのは放置に等しい。早晩鉄屑に… 最後の頃の南部縦貫鉄道のレールバスは痛みが激しかった 静岡鉄道の自社工場で作った車両は自社線から10年から20年でお役御免になり
他社に売却されたりもしたけど、外板がかなり薄いとかで
譲渡先の最後の方では経年の割に各所が傷んできて
ひどいものでは車体が歪んで扉の開閉に支障がでるものもあったらしい 同じように丸っこい車体の名鉄5000系も痛みが酷かったらしい。 傷みというより汚さでは中央東線のEF64の汚さは国鉄時代の甲府からJRの塩尻まで受け継がれたな
国鉄時代は動労のスローガン消さずに臨客に充当やら最初の全検前にはルーバーがまっ黒は当たり前
塩尻時代には区札に「洗えよ」と落書きいや落拭きされたり重ソ次位から単行に入ったら運転台窓に目玉の落拭き
極め付きはゴミ箱扱いされてキレた高機区が当時配置された3両(+1000番台)に箒・塵取・ゴミ箱の三点セットを置いたこと 京王2700系の末期。同時代の1900系2000系2010系は最後まで
綺麗だった。 酷使と言えば山陽本線・赤穂線・呉線で走る115系電車は壮絶だ。
酷いときは最近まで岡山から下関まで最大で1日当たり7往復運行されていた。
広島地区の115系電車が姫路に顔を出したり、下関まで足を延ばしていたりしていた。
播州赤穂から糸崎までの3時間以上の運用や、広島大学のある西条駅から播州赤穂駅までの運用も有った。 既出だが、やっぱり10系客車が一番。晩年の20系、14系、24系、旧型客車もボロボロだったけど、
10系には敵わない。車体外板はベッコベコ。窓枠はガッサガサ。車内も薄汚なかったし。 >>346 元来華奢なバスボデイでアソコまで延命させたのだし、
外装補修にお金をかけるにも事欠く台所事情だったのだろうな。
後年は、痛みの進行を抑えるため運用の無い時は直ぐ庫内に保管していたらしいしね。
塩害といえば江ノ電は、環境の割りに車両の状態は良いけど、特別なコトでも何かしているのかな? 江ノ電は車体に耐候性塗料をしてる訳でもなく、塗る前にコーティングしている
訳ではないしだからなあ。あのタンコロがあんだけ長期間持つんだから、何かやっていそうだが。
それこそ日高線のキハ130みたいに20年すら持たずに新型ならぬ古いキハ40に
しなきゃどうにもならないとかやってた北海道はもうこの段階でどうしょうも
なかった有り様だった。
鉄道誌に皮肉られて散々叩かれてたな。何であの段階で日高線をキハ54-500に
しないんだと。
そんでやらかしたのが急行崩れのまんまの装備で留萌線に入れての高校生積み残し事件。 >>355
そもそも積雪の少ない日高本線で排雪運転など必要ないしシビアな勾配もない
まして高加速のキハ54を必要とするほどダイヤが逼迫しているわけでもない
間合いを含め平坦地で54充当列車・線区はラッシュの回復運転や特急の追い上げがあるとこばかり >>355 海沿いを行く日高線の写真。江ノ電と異なる荒涼とした風景。
冬場の季節風が強く、海水が風で巻き上げられるから木が育ちにくい。
北海道沿岸部ではよくある風景。相模灘の奥に位置し、冬場でも海風がそう強くない江の島周辺に比べ、相当過酷な環境なのさ。
http://ttpanatani.fc2web.com/hokkikou/02/2208_3.jpg >>357 屁理屈
じゃ銚子は?・・・マメに洗って塩分を洗い流すだけでも違うのだろうか?(いたずらに水気を与えるのも?だが・・・)
降雪で車両が結構痛むのは京福福井が一時新車導入を諦め中古車導入に方針転換していたことからも判る。
・・・まあ 車体以外に床下機器の痛みなのかも知れないが・・・。 >>358 だからさ、海岸に高い木が一本もないのが何故かわかるか?
銚子や江の島の海岸で、そんな所が数多くあるか? 江ノ電の路線で海辺沿いといっても由比ヶ浜周辺だけで、距離もそう長くないわな。
他は丘陵地の狭間を通るから海風の影響は遮られる。 しかも鎌倉に入るのに極楽谷の切通を海沿いに回らずにトンネルで越すくらい。 塩害って言葉は予想外に早くボロボロになった際に言い訳としてあまりにも安易に使われてる感がある。
本当は設計や製造のミスや欠陥なんじゃねって言いたくなる。 >>363 沿岸部で台風の後に散水車で架線や電線に真水をかけて洗わないと、塩害で腐食してしまうわけだが、そのような架線等も欠陥品だと言いたいわけか?
塩害防止処置不要の架線にするとしたら、どの程度のコストが嵩むのかねえ?海水の塩分って風で巻き上げられると、結構、室内や機械内部にも入り込んでくるわけだが、開口部をなくすのが困難という事情もある。
沿岸部は札幌市営地下鉄の高架部分のようにすれば、完全に塩害を防止できるのだろうけど・・ 塩害防止対策を施されて製造されたのがED75-700でありEF81なんだけどね…
緑色の碍子もその対策品。 >>385 日本海縦貫線のEF81は塩害による車体の痛みが激しいんだけどね。碍子部分が塩害でいかれちまったら事故や故障の原因になるので、塩害対策を施しているのだろうけど。
関門トンネル専用の電気機関車はステンレス製にして塩害防止対策を十分施してるけど、こんな特別仕様を全国的に導入できるほどの予算があるかどうかだね。
自動車にしても、一旦、塩水被ったら電装系など全部交換しなくちゃならなくなるわけよ。 EF81、塩害で画像検索すると、車体ボロボロになった富山配属の車両の写真が出てきたりする。
製造後30年位で、ここまでボロボロになるとは・・ >>364
清々しいほどいかにもな言い訳キターって感じw
最初からそんな路線に投入しておいて、それでも予想外に腐食が進捗してて早く廃車になっても一切文句言っちゃいけませんか? 関門トンネル専用でステンレスボディーにしてるのは、EF10の一部とEF30及びEF81-300。
その後の車両については、EF10のような外板交換をせずに鋼板のまま使用してる。
製造後30年でのボロボロなら、まだマシでしょ。塩害関係ないところで使用されてて、もっと早く
ボロボロになる車両もあるんだから。逆に手入れされてるから動いていられるんじゃないかな。 >>368 コスト・パフォーマンスの問題なんだろうなあ。鈍重なキハ40ほど車体が頑丈ではないが、軽量車体で安いキハ130が日高線での運用にはベターと考えたわけで。
当初の予想よりも早く塩害腐食が進んでしまったが、金かけてメンテナンスする位なら、別の車両で置き換えた方がよいということ。
JR北海道にとって日高線なんて早く廃止したいのが本音なのだろう。キハ130が駄目なら、またキハ40で間に合わせるかということ。
コスパ考えると、必ずしも間違った選択とは断定できない。
まあ、キハ130のような車両は、暖地の江ノ電のような環境でなら十分持ったのだろう。
電気機関車にしても、そんなに数要らなくなってきているから、車体がぼろくなろうと、最小限の手入れをして寿命なるまで使う、新型の投入は最小限の抑えるという考え方でしょ。 もう昔のハナシだが、某鉄道会社で車両整備の仕事をしていたのだが、
電車の外板の腐った(錆びて穴が開いた)部分は周囲を四角にガス切断で切り取り
ガス溶接でパッチ溶接し穴埋め!ビートで出来た凸面はサンダーで削り均しパテ盛り補修していた。
戦前型の電車での話し。(意外と安易な補修方法だ、自動車のレストアと違い 不具合発生の度に定期検査で治すスタンスなんだろうな。) >>363 旧式気動車の置き換え用と言っておきながら、出力重量比最悪のキハ40ってのも「設計ミス」なんだろうなあ。
そりゃ、車体は頑丈だけど。 >>371 戦後の鋼製車もそんな感じで補修していたのでは?よく見ると、外板に継ぎ接ぎしたような部分があり、少し凸凹していたりする。 下関電車区の運転所で最後に見かけた153系も悲惨だった。 (昭和58年) >>368
リゾート21とか、その路線のために新設計したのに塩害で痛みが激しくて早々に廃車になりましたとか、アホとしか。
そりゃこんな車両メーカー潰れるわけだ。ステンレス車体に現を抜かして鋼製車の技術なんか完全に放ったらかしだったんだろうな。 >>350
> 洗えよ
それなんて東武野田線の8000 >>375 子供の頃伊豆急にこそ東急はステンレス車を当初より導入すべきだったと俺は思ったけどな。
ただ観光需要を主体に考えるなら車体ソコソコのサイクルで更新すべきだから・・・
現にリゾートは初代5000系の脚とか流用しているし箱の陳腐化を考えたら妥当な投資。 >>377
バブル崩壊であの手の車両の居場所がなくなったから、結果的には短寿命でちょうどよかったかもしれない。 塩害といえばお馴染み南海7000だが、高架工事が進んできた時点で6000と振り替えることはできなかったのか?
製造当時は本線は高架になっておらず、事故の際の修理の容易さから普通鋼にしたとのことだが、
少なくとも関西空港開業の時にはその理由は立たなくなっていたはず。 新幹線0系は、車体はともかく、台車やモーターなどの足回りが痛み激しかったんではないのか?
開業時の車両が10年ちょっと位で廃車になっているから。
塩害だが、車体をステンレスにしても足回りは防げないのではないか。 >>381
新幹線の場合はトンネルで車体も膨張収縮を繰り返すから傷みが激しい。 南海は角ズームだって徹底的に使っているしなっ。
貴志川線に居た1201なんか最後まで綺麗だったし。
昭和48年の昇圧車種統一で新しい車も処分したトラウマというか反省で車両を大事にしてるんじゃね? 南海7000系がここまで使えてるのは、ちゃんと作って上手に使えば塩害なんて起こらないって証明みたいなもんだ。 南海と言えば、21001ズームカーがいまだに大井川と一畑で現役。
もう製造50年経過してて、しかも下降窓なのに。
下降窓の国鉄157系が20年足らずで廃車になったのとえらい違い。 元阪急2000・2100の能勢電1500・1700も昭和35-38年製下降窓ながら現役 関東私鉄に比べ、関西私鉄は30〜40年前と車両の規格などであまり変わってないからだろ。
地下鉄乗り入れ対応で4ドア車への統一が進んだ西武池袋線とか、18m車から20m車に全部切り替わった京王線のような、大きな変化がない。
東急目蒲線から目黒線への変化も忘れてはならないな。
だから、関西私鉄では昔と同じ規格の車両が使える。新車導入する金が不足しているから、旧型車の更新改造で済ませる。 >>385
あれは下降窓でも閉まった状態の時には車体に押し付けて止める古いタイプだから、あまり雨水が入り込んだりしないらしい。
30年代から流行りだしたフリーストップの下降窓はそれがなくてダダ漏れだから相当手を焼いた。
外からはめる不格好な二段窓に改造したのは国鉄だけではなかったし。
それでも阪急とかは半世紀使い倒してるけど。 阪急も500系は20年ちょっとで廃車か地方私鉄に譲渡してるな。神宝線の昇圧の際、小型車を廃止したからだけど。
関西私鉄も、60〜70年代は古い車両をどんどん廃止するか、地方私鉄譲渡行っていたようで。
昇圧や電車の大型化が相次いだからだろう。
80年代以降は関西私鉄の輸送需要が頭打ちとなり停滞期に入ったということか。近鉄は車両余ってるというし、関東私鉄ほど車両を酷使していないのだろう。だから、長持ちするのかも・・ 関西の私鉄の車両が長寿なのは、車両整備の面でも優れていた(景気が良く私鉄大国と云われてきたときから培ってきた技術)からじゃないの?
機能部品はともかく外装補修は関西の方が上じゃないのかな?
実際状態が悪いと新造より更新のほうがカネが掛かる。 209系
は板違いかな
東武8000は天井がカビで黒く汚れていたり、クモの巣が張っていたりしたな >>391 (旧)営団地下鉄も関東私鉄に含めるならば、丸ノ内線の旧型車が現在でもアルゼンチンで使われてたりするからなあ。
冷房化やホームドア対応のため一斉置き換えということがなければ、旧型車更新で対応することもできる。
車両の更新、寿命延長に金かけるよりも、車両新造を優先せざるを得ない事情があったから。
関東にせよ関西にせよ、車両メーカーは類似しているだろ。西武のような自社製が無くなった今日。
391のような思い込み論に対しては、幾らでも事実を上げて反論することができる。 海外譲渡と言えばインドネシアに行った日本の中古車両、JR以外は全部、関東の私鉄や公営地下鉄の車両だわな。
都営地下鉄の6000系に東京メトロの5000系など、それに東急の8500系など。
日本に比べて車両整備能力が高くない現地で、これらの車両が酷使されつつ現役である。
ステンレス車両といえども、足回りは鋼製車と同様。 まだまだ使える車両を路線の事情で廃車にするのは関東が圧倒的に多いからな。
乗り入れなどで車両の規格が変わるとか、ホームドア設置のために車両の総取り替えが必要とか。
ただ、客が多くて経営が安定してるからか、いささか計画性に欠ける感がなきにしもあらず。 日比谷線の場合、20年くらい前ホームドア導入まで予測して、冷房で20mの新車を入れることができたか?という話だね。 >>396
その点関西私鉄は良くも悪くもクローズドな路線だから、自社内もしくは系列内で回せるということだな。
またインドネシアに持って行くほどまとまった両数もない(南海6000-6300は持って行って欲しかったがw)。
古くは昇圧がらみの置き換えがかなりあったが、近年ではなんば線関連で多少廃車が多かった阪神を除いて。 >>393 俺を思いも込み呼ばわりするのは勝手だが、違うんだよ・・・。
塗りとか・・・仕上がりとか・・・定出後台車とか床下機器とか 戸袋窓(最近ないけど
から覗く外板のウラとか)観てみろよ。
工程ばっか詰めてるところは仕上がり雑だよ。(機械任せ洗浄で泥を残したままで勿論、下地処理もしないし、錆び止めなんか塗るハズもない!
水性ペイントの雑な刷毛塗り) >>399 旧型車の厚化粧で補修に金かけているということだろ?
じゃ、関東私鉄の地方私鉄や外国への譲渡車両が長寿を保っている理由は?
こちらも旧型車の厚化粧やっているけど。 >>400 キューバの昔のアメ車(とりあえず動きゃイイ)とアメリカ本国でレストアされたホットロッドの違い。 だからあ〜、関東私鉄で金かけて中古車の補修、更新やる必要があるかという問題なんだよなあ。
中小私鉄への譲渡車がレストアしたホットロッドである必要ないんだよなあ。
あまり補修費かけると高くなる。JRならば103系の内装を201系並みに改装したところで、騒音振動は元のまま。乗客サービスの抜本的な改善にはならない。 車両の寿命は別に東西で差はあるまい。
もちろん早めに廃車になった車両ほど普通は余命が長いはずだから、その方が好まれる。
寿命まで自社で使い倒す東武とか京成あたりの車両は地方には出ていかないからな。 西武など関東私鉄の車両数の激増は、関西私鉄を上回っている。
設備投資も多いから、関西私鉄ほど高い車両を造る訳にはいかなかった、という事情もあるだろう。
80年代頃までは 路線距離と車両数を比較すると、関東と関西の大手私鉄で大差ないように見える。
しかし、関東私鉄に相当数の地下鉄車両、東京メトロ含む、が走っていること考えると、関東私鉄の方が路線距離と比較しての車両数がかなり多いんたな 関東と関西では、必要車両数の元ともなる人口が違うしねえ。イコール乗車率であり編成長であり
運転間隔であり、だし。車内の造作や扉数にもそれが見て取れるし。
と、俺は思ってるんだけどね。 だから?関西私鉄では車両数増やさなくてよいし、車両の規格変える必要ないから、中古の補修でお茶濁しときまひょ、ってことでしょ。
別にそれがおかしいことではないけどね。
これが結論だわな。 だから?って言われてもねえ…それがおかしいとも言ってないし。
なんか不用意に噛みつかれてるなあ。 京阪の5000なんか車内の機構だって厄介な筈なのに廃車気配すらナイのは大したものだ。 先月廃車になったばかりだが
京急2021〜2028の8連。
2000の中でも一番車体がボコボコでした。 東急田園都市線の8500など、いい加減古いんだよね。今は登場時
には想像も付かなかった東武線との直通運転で走行キロも長い。
中央林間〜南栗橋4往復で800キロを毎日走ってるんじゃないか? 昔の鉄ピクに載っていた北鉄の木造車が撓んでいたのか車体の両端が垂れ下がっていたのに驚いた 末期の東海道寝台客車はひどかったね
小学生がホームで塗装禿げカリカリ剥がしてたわ 日比谷線で乗った東武2000系。室内の化粧版を留めるアルミ製の帯材に切子が出ていて
それに触れてしまい指が血だらけになったことがある。 最晩年の鹿児島交通がそんな感じだったかな
美しいはずの07スタイルのキハ100が草臥れた姿で加世田駅に佇んでる姿に
心痛のあまりカメラのシャッターを押すことができなかった 首都圏の101系や103系は乗客の重みで車体が撓ってたために金属疲労で寿命を縮めたみたいだが
300%も乗車したらどの位車体が撓ってたのか
関西ではそれほど混雑する事は無く長持ちしている >>418 アソコは、車両以上に線路も凄かった。
夏場草薮の中で脱線や起動不能なんか起こしたら、救援復旧作業の前にマムシ対策してからレベル。 笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン
笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン 廃車寸前の銚子デハ700は凄かった
木で出来た窓枠が触ると崩れる感じ 203系は外観が汚かった。
安登から投入された209系1000番台も外観が汚い 松戸は洗剤が使えないとかで仕方が無い面も
103系の前面はポマード(?)で白かった ステンレス車やアルミ車も、薄く茶色く変色してるのがあって
見映えがよくなかったな
大阪市の30系、60系は酷かった。 >>426 地下鉄の車両って屋外の車両と違い雨風去らされないワリに
隋道内の漏水や滞留した埃※(油分も含んでいる)で何気に汚れ易いものだよ。
デパート等の屋内にあるターミナル駅のくし型ホームの終端を見ると埃が溜まっているでしょ。
東急の旧7000系なんて日比谷線直通車と地下鉄に入れない東横線の急行用の日立車じゃ明らかに屋根とか汚れが違った。 都営新宿線車両関連情報
ソース
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/magazine/fureai/201508/HTML5/sd.html#/page/11
平成28年度と29年度に10-300形10両編成(10-550F〜640F)がそれぞれ5編成ずつ(10連10編成全100両)新造されて
それにより置き換えられる10-000形(10-220F〜280F)及び10-300R形 (先頭車を含めた310F〜330F、※360Fは27年度に廃車される予定)は29年度までに全車両の廃車及び引退が決定
10-000とR形の引退後には8両編成が8編成しか無くなり運用上にも支障が出るだろうから
10-370F〜440Fも強制的に30年度以降に中間車両(3次車以降のベース)を新造増備して10連化されるだろうな >>418
たぶん、あの会社独特の飛び出しステップを採用していなかったら、
42000形の病気ともいうべき中央ドア回りで台枠垂下、がもっとひどくなっていたかも キハ300もかなり傷んでいたな
廃止直前に乗りに行った時の事が忘れられない >>432
地方私鉄が追い詰められて行くのは
その部分で手当てできなくなるからでしょ >>434
一時的な資金の需要に応えられるように、個人で言う所の「預貯金」みたいなもの
たとえば積立基金を作っていざ改修工事となったらそこから支払えるようにするとか、
金策は工夫次第でどうにかなったと思うけどなあ 貯める前に使うことが山ほどあるんだよ
企業が実行する積立なんてそんなに簡単には出来ない
個人の貯金とは訳が違う >>439
国鉄時代、東北夜行急行に使う455系なんて天井まっクロけでそれは臭かった
窓下の回転式の灰皿は汚くて手を触れたくなかった(当時中学生) 末期の北斗星はボロボロ。鉄板溶接した外板もあった。 >>440
乗ったことないが、その文面だけで想像できてしまう >>380
南海7000系は6000系と同じステンレス車体ならよかった
何故鋼製に戻っちゃったのかね? 戻ったというより、南海6000と7000はほぼ同時に並行して造ってる
その頃だと、京王の3000と5000も似たような感じ >>404
西武は平成初期の車両でも70年代の焼き直しみたいなイメージだったから・・ 西武新2000系の足回りは60年代の東急8000のコピーだね。
台車が違うくらいでしかない。 西武はずーっとFS372系列使いまくってたからね。
(阪急のFS369、京成のFS329も然り・・・。) >>425 >>458
常磐緩行線の103系1000番台の座席は座面が高くて奥行きが少なかったので、
長時間座っていると尻に痛みを感じた。 バーニヤ制御で電制常用なのに1000、1200代は空冷式抵抗器で無茶してたな 鋼製車両のボディは、塗装してあるから遠目には大したことなさそうだったが、よく見ると
酷かった。
111、113、115、485、キハ181とか、
錆びて穴があいたり欠けたりした部分を矩形に切り抜き、鋼板を溶接してサンダーがけした
ようなのが、編成でガーガーいって走ってた。
末期のキハ180(はまかぜの中間車)は、ヒューンというチャージャーの音とともに、車体
全体がペッコんペッコんしてた。
キハ183はエンジンのガスケットが吹っ飛んだり。 東武7800か7300、70年代末頃、木の床に穴が開いていて線路が見えるという苦情があったことが新聞記事になっていた。 5年前乗った一畑の元南海電車、全身さびさびでかわいそうなくらいだった。
もうないんだろうけど。 床に穴が開いて線路が見えるなんて普通は体験できないからむしろ喜ぶべきじゃないのかね ローカル私鉄では分かるが、大手の東武でもそんなことがあったのか なにしろ「小国鉄」の異名持ってたから。
悪いところを真似しちゃってた
今はそんなことないけどな 床や壁に穴が開いてるような車両に客を乗せてたら即営業停止とかならないの? >>463
それが原因で5000系へ更新されたのもあるかもな。 そうか?
営業停止の間に他の交通手段に切り換えられて客を逃して損失を被るのは鉄道会社だけど。 >>466
便乗させてもらうと弘南鉄道の1521もかなりヤバかった
というか遥々大阪からなぜあんな中古を持ってきたのか未だに謎 >>475
ラッシュ時対応用に購入したと言われてるが、そのラッシュもこいつが来てから輸送人員が下降したのは皮肉だったけどな
弘南が欲しい時に偶々格安の吊掛が出てたから買ったんじゃないか? 仙石線にいた72系アコモデーション改良車の末期
仙石線の103系の初期車の状態が酷かったのは既出だが、
72系アコモデーション改良車の末期も酷かった
塩害の影響で車体は白っぽくなり、所々に赤錆が出ていた。
ドアなんかは青のはずが真っ白なんてことにもなっていて
特に連結部の妻面は錆で真っ赤だった
その後、72系アコモデーション改良車が正真正銘の103系3000番台に改造されて
川越線で使用されるとは夢にも思わなかった。 >>479
1985年の川越線電化の時、東側は埼京線の10両編成が乗り入れるからいいとして
西側用に適当な車両も金もなかったから、検修予備部品との組み合わせでできた。 当初は快速が30分間隔だったので3000代も大宮まで来てたね さんざんガイシュツだけれども157系
Wikiに上がっている写真を見たら本当に腰板がボロボロね 681系も塗装が剥がれてベコベコになってるのあったな
683系はアルミ車体なのでさほど傷んでない 手入れを怠るとこうもベコベコになってしまうのかと驚いた まだ過去形じゃないけど昨日中央快速線209系に乗った
目的地と逆だったが、あれこんなの居るんだ、と乗り込んでしまった
帯は色あせて、車内も薄暗く、変な走行音で死期が近い感じがした >>1
生きてる?
車両に神経ってあるの?
どこが痛むの? >>478
元々4両編成で、川越線は3両編成。
余った車両はトタ区に配属されオレンジになって、青梅、五日市、武蔵野の共用の6両編成に組み込まれた。
東京地下駅で見た時は感激して号泣してしまった。 >>488
ドアの取っ手がステンレスだったんですぐわかった >>489
満員で発進停止を繰り返すのとどっちが傷みが出るかと思ったことがあるが
バスだと長距離夜行に使ってると、距離がかさんであっという間にズタボロになる 距離なのか動きの激しさか
使い方によって痛む場所が違うとかな サハ103-3000は専ら五日市線などの4連じゃなかった?
川越に呼び戻されるまで遅くまで非冷房で
900番台なんかと同じグループだった 毎日20キロ以上も海岸線をのんびり走ってたら潮風に当たる時間も長くてボディは無害じゃなかったでしょうね 103系なんか酷使が運命付けられたような車だが意外と大事にされたイメージ
こき使われたのは113系