高崎線
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
サハだけスカ色な115系
身延色のクモユニの入った荷電
165系の普通電車
みつみね号 いな へヘ 新
いん 〃⌒丶\
言.と (从ハ从 ) ス
葉聞 .リ ´∀`§(
かこ ハ _ †ハ ) レ
|え U|_____|U
|の ∪ ∪
! ! シマ車のタイフォンに冬季につけられていた、凍結防止用の
パンスト素材でつくられた特製カバー 115系11・7・8両編成
駅の時刻表等にあった「下記の列車は短い7両編成になります〜」 そして「今度の列車は
短い7両編成に〜」のアナウンス 大宮止まり。
大学受験に落ちて予備校通いになること。 「これでいいの か 北上尾」
「これでいいの が 北上尾」
13両編成「佐渡」
ホームからはみだし1両ドア締め切りだった熊谷 夕刊を配達している下り電車がある。
最後部に乗れなかった。 >>18
浦和通過の高崎線で、1本だけ高崎〜熊谷間が快速運転になる上り列車があったけど、
あの列車のサボってどこにも見当たらないんだよね。 >>31
1970年頃のあかぎ1号だね。
桐生から前橋まで各駅、前橋からは高崎、赤羽、上野。
東武のりょうもう号の対抗だったのかもしれないが。 あかぎ号が赤城駅には行かず、りょうもう号は両毛線には走らない。
スレチ&懐かしくなくてスマソ 懐かしの遜色急行「あかぎ」
高シマの115系で運転。
当時と違うのは全車指定 >>31-32
20年以上昔、親戚で国鉄高鉄局職員の人にその事を尋ねてみたことがある。
そのときの話では、直後を走る上り初発の「とき」「あさま」で高崎からの乗車客が多くなってしまうと
結果的に、本来の新潟・長野から客がその分締め出されてしまう(当時特急は全席指定の時代)。
そこで、急行と特急の料金差の魅力や途中で追い越しされずに上野に先着できる利点を設けて
「あかぎ」に誘導していたのだそうだ(181系と165系では収容力も異なる)。
「100キロ程度の短距離特急なんてもっての外」という「常識」もあって急行での運転に
していたという。
後年、停車駅にまず本庄のみ追加され、ついで熊谷、大宮、さらに深谷・浦和も停まるように
なったのはご存知のとおり。 高崎から赤羽までノンストップの「あかぎ」
登場は43.10でしたね
その前は(40.10改正)前橋始発で高崎・本庄・熊谷・大宮・赤羽停車
当時 親に連れられて東京へ出かけるときは 決まって高崎8:05の「あかぎ」
いまは埼玉県内の高崎線沿線に住んでいますが、
夜遅くなると「あかぎ13/15号」にはよく乗ります 前橋から乗車して本庄で降りようと思ったら赤羽まで行ってしまって
半日を潰してしまったビジネスマンがいました。 オバマの鉄道支援策が日本にない
道路よりも鉄道の方が経済的で輸送量も違うが
族議員にしてみれば道路の方が権利を誇示できるからか
国鉄がJRになってからは新線が開通させずらいし
北陸、あけぼの、えちごも熊谷に止まって欲しい(新幹線の影響?)
上野からではなく新宿からの北陸やあけぼの、草津、水上、たにがわも
圏央道が開通し鴻巣〜東松山or坂戸or川越or久喜or栗橋or羽生と
鉄道が通ったら埼玉県北は。。。
競合路線がないから電車特定区間が大宮支社までしか適用されていない。
神奈川で設定される特定区間は東京駅から約70キロ久里浜駅(横須賀市)。
埼玉は約30キロの大宮駅(さいたま市)。
久里浜駅と同距離にある籠原駅(熊谷市)から東京駅までの運賃は70円、
6カ月定期が約1万2000円高い。
JR高崎支社管轄区の乗客あってなのに大宮支社が潤っている 俺は踏切マニアなんだけど高崎線は踏切がたくさん廃止された。 ツンボの婆さんとか池沼の小学生とか、いっぱい轢かれたからね。
>>43
誰のことをいってるのかわかったぞ。
それはひどいんじゃないの? ホームと、電車の段差がなくなったのはいつからだろう? 国鉄在来線の規格だと、レール面上のホームの高さは
760、920、1100_があった。
今でもそれのどれかが残っている或いはデフォの地域や路線がある。
もっと昔に別の規格があったかは知らん。 >>16
昔、昼間の上野行客車列車で1度だけ遭遇したことがある。駅弁スタイルの木箱に
ドライアイスと一緒に怪しげなアイスを売っていた。
その客車列車は長野より5両がスハ43系(夜行妙高や信越本線普通用)、残りが
オハ33系のニス塗り客車や10系軽量客車を連ね、郵便車荷物車つきスーパーごった
煮編成。
昼間の上り快速列車は、岡部で11分停車して特急「あさま」と「とき」の連続
退避でのんびりしてました。 高崎線はホームが低かったからホームと電車の段差があったよ。 何故、あさまは
深谷や本庄なんて中途半端な駅に停まっていたんだろう?
どうせ停まるなら利用客の多い浦和とか上尾の方がよかった気が… >>53
急行は某政治家が停めたっていいじゃないかとか言ったのは知ってるけど、
特急まで停めさせたのか? >>52
上越新幹線の開業や急行の廃止で本庄、深谷に止まる優等列車が
減ったからじゃないかな? >>56
急行の後継ともいえる新特急じゃ駄目だったのかな? >>57
結論から言えば、深谷・本庄の利用客が多いから。
大宮・上野方面の利用が多く、普通列車を使ったり、熊谷から新幹線に
乗り換えたりすると意外と時間がかかる。
・上越新幹線開業前、深谷・本庄には上下約30本の急行が停車していた。
草津・あかぎ・ゆけむり、一部の信州・妙高・よねやま・佐渡
・上越新幹線開業直後ではじめて特急が停車。上下約30本の停車を確保していた。
特急→白根・あかぎ・谷川、
急行→ゆけむり・草津・はるな、一部の信州・佐渡
※特急と急行で料金差が生じるが、当時の高鉄局の時刻表で「上野までなら100円差」とPRしていた。
急行廃止によって新特急が新設されたが、停車列車数が激減するため、
あさまを千鳥停車にさせた。
>>58
ありがとう
なるほどね
深谷・本庄→長野じゃなくて
上野・大宮→深谷・本庄の乗客を見込んだわけか 熊谷に止まらなかったから熊谷駅利用者は不愉快だったと思う。 8時6分発のあさま1号が懐かしい。
熊谷に初めて停まった特急やね 熊谷といえば、下り列車で通りかかったときの、駅弁の立ち売りが思い出される。
あれは運動部系の学生アルバイトだったんでしょうね。大人数での大声連呼がすごかった。 本当に良い時代でした
今じゃポリ容器入りのお茶も無くなってしまって。 まぁお茶は缶入りやPETボトルのがハッテン的解消ではあるけど… 農地転用が以前に比べてハードルが低くなったせいか高崎線に乗ると例えば
新しくできた駅周辺が田んぼからマンションに変わっているのを目にする。
北本にグリコの工場が出来るのは圏央道が近くに出来るのを見越すように小川
・寄居のホンダ工場も関越道のそばだから決定したように熊谷市内に高速が
通るのを避けられなければ。。。
(深谷断層があるから避けられた!?)
深谷と合併すれば高速、日赤、ヨーカ堂がある街にはなるが。。。 ところで昔は北藤岡駅は高崎線沿いにあったような記憶があるんだが。 普通上野発水上行きとか大前行き
高崎経由の小山行き
そして籠原発大宮行き
さらに72年の時点であった前橋発東京経由熱海行きに萌え萌えハァハァ >>73
水上からの上野行きは新前橋と籠原で後ろに増結してたな 真冬、屋根にどか雪を積んでやって来る上り貨物列車。
ttp://www.nhk.or.jp/shiruraku/mon/index.html#a5
あの「上尾事件」がNHK教育TVに・・・・ 上越新幹線ができたとき、中電増発と合わせて
スピードupのダイヤ改訂をおこなったけど
朝上りの遅延が禿しくてすぐ?に再修正したような記憶が… そういえば鴻巣駅とか115系の写真がデザインされた「普通電車増発」みたいな旗がたくさんホームにぶら下がってたな。
新特急が止まる駅は185系の「新特急登場」だか「新特急停車」だかの旗が下がってたな。
昭和60年ごろか 鴻巣いえば中電大増発・新特急登場と前後して北鴻巣ができたよね ここリアに漏れんちの最寄駅だけど
北鴻巣できた頃は周り田んぼばかりだったよね 北鴻巣の開業式見に行った人この中にいない? 自分は
開業日生まれるちょうど2週間前でした
あとこれよりもっと前は鴻巣駅前にキンカ堂あったよね キンカ堂は今でいうどの辺りにあったのかな?
以前はキンカ堂・今も大型ショッピングモールや免許センターで賑わいをみせる鴻巣・どの時代も周辺
地域の中心を担ってるなぁ 今の北鴻巣駅南側の田んぼに、「こりと痛みにトクホン」の看板があったのだけよく覚えてる。
今どうなってるかはサッパリ分からんわ。
〜高崎線 懐かしの萌える沿線風景〜
・大宮〜宮原間の釣り堀
・北上尾駅前の「これでいいのか北上尾」
・北上尾、見えそうで見えない上尾高校の校庭とプール
・桶川〜北本のうっそうとしていた雑木林、不法投棄物付き
・北本の「解脱会」
・北本〜鴻巣間にあった富士空調の換気扇付き看板
・行田〜熊谷間の旅館・ホテルの看板
・熊谷〜籠原間の貨物ターミナル「士幌農協倉庫」
・三ケ尻の短絡線
・本庄付近で見えた巨大な漬物樽
・岡部の油槽所と関東分岐器社内にある制作中の分岐器
・岡部の高圧変電所
・新町駅前の醤油工場
・八高線北藤岡の短いプラットホーム
・倉賀野の烏川べりにある昭和電気鋳鋼工場
・高崎駅、たかべんのきしめん風うどん >>83
さいしんの斜め前にあるパチンコ屋が、昔キンカ堂があったところ。
キンカ堂の撤退が、鴻巣の中心市街地衰退の引き金を引いた気がする・・。
>>83
開業の日(昭和59.11.3)見に行ったな。今のマミーマートのあるところでミニ動物園とかやってた。
あと、記念切符買ったな。
ちなみに当時鴻巣に住んでたがその一年後ぐらいに北鴻巣に引っ越したけど
キンカ堂懐かしいな。昔よく行ってたな。行く途中にトロッコがある倉庫があってよく見てた。
(しまむらのあったところの近く)
>>85
換気扇つき看板といえば北本の解脱の近くに栗田換気扇の看板もあったな
>>87
ホームはないけど4番線というのか貨物の待避線だったら鴻巣と吹上に今もあるね。
鴻巣にも竹沢興産に吹上の石油タンクみたく引込み線があったらしくポイントと門が昭和50年代まで残ってた。 >・北本〜鴻巣間にあった富士空調の換気扇付き看板
>
>>88
>換気扇つき看板といえば北本の解脱の近くに栗田換気扇の看板もあったな
>
富士空調じゃなくて栗田換気扇(テラルクリタ)の間違いだったかな…
看板に付いた換気扇が意味もなくクルクル回ってるのが印象深かった。 うましる
単式ホーム
MAX
鉄橋
専売公社
キリンビール
操車場
観音像
沖電気
デハ
高崎 日本製粉の木造の工場
ttp://www.city.takasaki.gunma.jp/gaiyou/taka100/taka26.htm 桶川・北本間に圏央道が通りグリコの工場が出来たら、みなみ北本駅も出来て
栄えるかもね 高崎1番線
「あさま」がまだ発車してないうちに、倉賀野方面のカーブを曲がって姿を見せる「とき」
>>95
激萌え〜〜〜!!!
(*´Д`*)ハァハァ
>>86
北鴻巣ができて1年後には長崎屋も開店した 「大型店誕生!!」と新聞に載ったらしいがこの期待に
応え鴻巣駅前のキンカ堂をもバルサンする程の勢いだったらしい しかし長崎屋ができて結果的に中心
市街地が退化するとは開店当初誰も思ってなかっただろう かく言う漏れは今メガドンキ(元長崎屋)の
従業員 高崎線を疾走するブルドッグを,リアルで見てた方おりましたら話聞かせて下さい。 飼い主引っ張られて踏切を疾走させられてるブルドックなら見たことあるなぁ。 深谷まで快速の池袋行って、211系だけだったかな?
快 速 池 袋
─────
籠原−高崎 For IKEBUKURO
115系だったら、こんなサボだったんだろな
快速
池 袋 ⇔ 高 崎
籠原−高崎
>>101
115系の運用だったかな・
浦和通過
高 崎 ⇔ 池 袋
高 崎 籠 原 間 快 速
とかいうゴシャゴシャ記載されたサボを一度だけ見た記憶があるが、
ハッキリとしたことを覚えてない。 アーバンが熊谷以北各停になったのはいつからでしたっけ? >>105
ありがd
>>106
それで各停になったのですか? 下りのアーバンは深谷で緩急接続してたから、岡部・神保原・倉賀野ユーザーにとっても
悲惨というほどでもなかったと思う
もっとも次の岡部で、あさま通過待ちをする羽目になってたのが痛いところ
ただ空気輸送状態の各駅停車、深谷付近まで来れば流石に混雑の激しくない快速アーバン
あまり効率の良い状態じゃなかったのも事実だったと思う
そいや上りはどこで緩急接続してたんだろ、、、
JR東日本の会長は熊高OBなのだから電車特定区間を見直して欲しい!
競合路線がないから宮原から下りの高崎支社の運賃が高い! 埼玉県って縦の繋がりはあるけど、横の繋がりはあんまりないよね