ここまで、私鉄の廃止路線についての思い出話が少ないので、
乗車した思い出を語ろう。

久留米と言えば、市電である。正確には筑後軌道という会社の一部の路線であるが、
省線久留米駅前から、国分町の親戚宅まで乗ったものである。
現在は市街地化されているが、当時はまだ田畑の広がる道路上を、砂埃を上げながら走っていた。

ブリル製の二軸単車を履いたポール集電の電車であった。
座席はモケットのない、板張りで、モニタールーフは塗装で塗り潰されていた。
車掌に頼んで、乗車記念に切符を家に持ち帰ったのだが、空襲で焼失した。
省線久留米駅のスタンプや、収集していた駅弁の包み紙等も失った。