オロハネ10のロネはプルマンタイプのバースで、オロネ10やマイネ格下げのマロネ40開放室や
マロネ41と似た構造だった。
戦後だが601−602レ「北陸」が大阪−上野時代1等区分室、2等開放室の格下げが
上野−金沢間に連結されていた。ヲクの旧マイロネフ37と時々シナの旧マイネロフ37の
転換クロス部分を開放室に改造車→マロネフ38(後年米原経由の「能登」に連結)
個室ではなく長手寝台を線路に直角に取り付けた旧イネの2名と4名用区分室。4名室は仕切り
扉で2名用にも変更できたが、旧イネ部分には収納式洗面所が取り付けてあった。

戦争中期まであった501-502レ、601-602レのロネは全車開放室の凸屋根だったから、
さしずめマロネ37→マロネ29のTR71を履いた車だったかと----。大阪−直江津間の507−508レ?
が丸屋根のマロネロ37→マロネロ38.
戦後501-502レの大阪−富山回転車がマロネロ38からマロネ29になっていたが、これに
がTR71で、高岡から大阪迄乗車の時はよく揺れてくれた。

個室ロネは「トワイライト」以前の北陸本線には定期列車に連結は無かったのでは
無いか?