懐かしの北陸本線
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諸賢に伺いたいのですが、金沢運転所に「オロハネ10」がいたことはありますか?
なにぶん子供だったもので、本当に見たのか、見たと思い込んだのかが微妙…。
ちなみにコロタン文庫で「北海道の急行大雪に連結されている」等の知識を得ていました。
非常にお気に入りの車両でした。 オロハネ10は「北陸」に隔日に連結されていた筈。金サワだったか東ヲクだったか
忘れたが。(北ヲクになったのだったが)
ナロハネ時代ロネのバースの頭の付近に通風口があった。 >>124
レスありがとうございます。個室寝台の合造車では出せない不思議な魅力がありますw
結局、軽量客車の寝台車には乗れずに終わりましたが…。
当時の北陸本線の普通列車、快速列車にはよく乗ったのですが、
軽量客車がいちばん好きでしたね。車内が明るく、かつ、柔らかい印象がありました。
急行形電車はやや冷たい印象、オハ35は何故か「乗降扉の形が怖い」という印象を持っていましたw
話が変わりますが、金沢駅の東口の全日空ホテルの場所に貨物ホームがあって、
それが撤去されていって、日通の支店の建物がぽつんと残っている…というのが、
個人的に金沢駅に関する一番古い記憶です。 >>125
あなた122じゃなくて123じゃないの?
あと、個室寝台の合造車って何よ? >>126
間違えました。
(失礼しました;;>>122)
個室寝台の合造車とは、北斗星などのオロハネ、
サンライズエクスプレスのサロハネとか、
現在の個室寝台の「ロネ」と「ハネ」の合造車(と言うのかな?)の事を言ったつもりでした。 >>128
「現在の個室寝台の合造車」は、現在にはない開放寝台の合造車であるオロハネ10と
『比較するための対象』として話に出しました。
だから、確かに現在の個室寝台の合造車に言及してはいますが、
全く「オロハネ10の話」ではないわけではありません。
例えば「ブルーバードU 2000GT」の話をしているときに、
単に「今の車には出せない魅力がある」とか「ケンメリよりも好みw」という表現をしただけで、
そもそもの話題である「ブルーバードU 2000GT」の事が念頭から排除されたり
記憶から消えたりして、話題が「今の車」または「ケンメリ」へと完全に移行するとは思えません。
よって、あえて>>125の一行目に補足するならば、
「開放寝台の合造車であるオロハネ10には、現在の個室寝台の合造車では出せない
魅力がある」という意味になります。
北陸路の個室寝台車は、トワイライトエクスプレスが現役、
北陸、日本海、夢空間が懐かしというのが大方の認識かと思うんですが、
戦前とか、進駐軍専用列車とか、さらに遡れるんでしょうかね…。
(とってつけたようにスレ違い回避;;) オロハネ10のロネはプルマンタイプのバースで、オロネ10やマイネ格下げのマロネ40開放室や
マロネ41と似た構造だった。
戦後だが601−602レ「北陸」が大阪−上野時代1等区分室、2等開放室の格下げが
上野−金沢間に連結されていた。ヲクの旧マイロネフ37と時々シナの旧マイネロフ37の
転換クロス部分を開放室に改造車→マロネフ38(後年米原経由の「能登」に連結)
個室ではなく長手寝台を線路に直角に取り付けた旧イネの2名と4名用区分室。4名室は仕切り
扉で2名用にも変更できたが、旧イネ部分には収納式洗面所が取り付けてあった。
戦争中期まであった501-502レ、601-602レのロネは全車開放室の凸屋根だったから、
さしずめマロネ37→マロネ29のTR71を履いた車だったかと----。大阪−直江津間の507−508レ?
が丸屋根のマロネロ37→マロネロ38.
戦後501-502レの大阪−富山回転車がマロネロ38からマロネ29になっていたが、これに
がTR71で、高岡から大阪迄乗車の時はよく揺れてくれた。
個室ロネは「トワイライト」以前の北陸本線には定期列車に連結は無かったのでは
無いか? >>131
トワイライトEXP.運転開始 1989年7月〜
日本海1、4号の個室ロネ連結 1998年12月〜 >>132
そうかオロネ25があつたな−忘れていて悪かった。
PC時代は各列車に風格というか雰囲気が違った感じがあったが、煙草の匂いと酒の匂い
が入り混じるのが、東海道本線や山陽本線の準急や急行よりも、北陸本線の方が強かった。
米原の蕎麦が素焼きに近い薄いうわぐすりだけの鉢の時代、食べ終わって家へ持って帰り、
蕎麦やうどんに使って旅の雰囲気が楽しめた。今庄で主機交換の間に立ち食い蕎麦を
掻きこんだり。
北陸本線の駅弁販売駅のお茶の土瓶を殆ど揃えていたが、地震で米原と金沢を残して
全滅。一番惜しかったのは薄茶色の「敦賀駅弁」の文字が浮き出していた土瓶。
私はお茶はプラスチック容器にティーバッグが入ってるのを
見たことがある程度ですが、個人的にそれと北陸本線に絡むのは
「松任のあんころ餅」。今でも時々、金沢駅で買いますが。
子供心にあのお茶は「異様に熱くて、警戒すべきもの」という印象を持っていましたw
冬の夜、ディーゼル急行「白馬」か「しらゆき」(「白馬・しらゆき」か)、
富山から金沢まで、母と二人で乗車。区間的に「松任のあんころ餅」ではないと
思うんですが、異様に熱いお茶と甘い餡の記憶があんころ餅と結びついています。
毎年、寒い季節に乗り鉄する機会に恵まれるたび、
この思い出を再現しようと努めているんですが…。まあ、仕方ないかな。 >>135
圓八のあんころがメジャーだが、あんころ餅は全国各地にある普通の和菓子なんだわ
過去に松任駅であんころの立売があったから、あんころ=圓八みたいになってるんじゃない >>135
確かにホームで売り子が回って来た「名物あんころ餅----」、普通列車しか停車しない
から、出張で福井の仕事の次が金沢の時しか買えなかったが。
米原思い出したが蕎麦の売り子で、オバQみたいな人相の低音のオッサンが、夏は生ビールを
売っていて、売り声が「生−1呼吸程の間隔−ビール」。超早口の兄さんが「サンドイッチにハムサラダ、
ハムサラダにサンドイッチ」---いずれも懐かしい。この人達は米原名物?らしくて
オッサンの蕎麦や生ビール、兄さんのサンドイッチが良く売れていた。
大阪の新朝日ビル地下に「今庄そば」があったけれど、今庄駅ホームで食べたのとは
全く違った味だった。 戦後の混乱時代に大阪→高岡の普通列車を見た記憶がある。何故富山迄延ばさない
のか?疑問だった。(見たのは京都駅)
今から思ったらオロ35が連結されて居たが、東海道本線の急行にスロ34W屋根などが
組み込まれていた時代に普通列車にオロ35とは豪勢だった。 福井に住んでた頃、夜通し片町で飲み歩いて、早朝から営業してる駅の今庄そばを食うのが楽しみだった
今もあるのかな? >>141
圧倒的にスハネ30が多かったね。一度だけオロネ10に乗ったけれど朝金沢に
着いたら新聞を呉れた。俺は何だかロネよりハネの方が眠れたので貧乏性
なのかな? >>46
今この編成新造するのと、普通に電車三輌とじゃどっちが掛るのかな?
客車は安いって言うじゃん、こういう編成で大井川化すべきだ 国鉄時代の小冊子に「数字で見た国鉄」があったが、1973年版が手許にある。
動力費=蒸気機関車>新幹線電車>(在来線)電車>気動車>デイゼル機関車>
電気機関車の順。
動力費の面から見たらEL+客車が一番安いが、ワンマン運転出来ないのと、
操車係りとか人件費が掛るから、PCを激減させているのだろう。
長距離優等列車などはELかDL牽引の客車列車にしてもペイするのだが----
オハ50系などPUSH-PULL運転を考慮に入れて建造したそうだが、城端線など
DE10とのコンビで実現出来ただろう。カプラー変更が必要かもだが、柴田式で
変芯バネを付けたら可能だったかと?
今庄そばは今でも大阪では曽根崎とか心斎橋でみかけるね 今庄のホームで機関車交換時間に掻きこむのが楽しみの一つだったが、
夏は蕎麦ではなくて「冷麦」の年があったのを記憶している。
でも熱い奴を2杯フーフー言って喰ってデッキに飛び乗りなんて本当に
若気の至りだった。
曽根崎のどの辺りかな?一度行ってみたいが。 >>137
北陸旅行の際、津幡で「あんころ」の立ち売りを見た昭和50年代前半。
「あんころー、あんころー」って言っていた。商売になったのかねえ。 臨時列車
「雷鳥51号」と「加賀」
どちらも14系客車だったと思う 何故かと聞かれると答えに窮するけど、50・3・10改正で、大阪〜北陸間の列車が
基本的に湖西線経由に変わったのがどうも気に食わなかったりする。
別に米原や長浜に格別縁がある身分じゃないのだが…。
1つは、北陸本線全区間を走行する列車が激減したのが残念に思えたってことかな。
特に「白鳥」なんて、昔新津―新発田間でわざわざ遠回りするようなルート変更
した経緯もあるから、変な話だけど「新潟には配慮すべきでも米原は軽視していいってことか」
なんて思ったりもした。 湖西線経由で遅くなるくらいなら急行は従前通り米原回りでよくね?
て当時は思ったものだが >>150
>新潟には配慮すべきでも米原は軽視していいってことか
これはその通りだろ まあ、一応「加越」なんていうのの新設もあったから、
満更米原軽視ってことでもなかったわけだろうけど…。
「きたぐに」「ゆのくに」とか米原経由で残った列車もあったが、
さて当の沿線住民はあの事態をどう思った事やら。 琵琶湖大橋を併用橋にして堅田からを湖西線にしてたら江若も残存してたかな〜。 湖西線経由に変わる前の「雷鳥」は、10往復ながらL特急でなく、下り10号
以外は全車指定席っていう「硬派」だった。当時例えば8往復の「つばめ」や
6往復の「あさま」がL特急だったりしたから、あの頃の「雷鳥」は稀少価値と言えただろう。
あと、急行の「立山」も12両中6両(下りで付属編成が立山行だと7両)が指定席
だったから、昼間の急行としては異色だった。当時特急でも、「わかしお」
「さざなみ」「ひたち」辺りなんて編成の半分(以上)が自由席だったから。 57・11・15(上越新幹線開業)の改正で、「しらゆき」が「白鳥」に
編入された格好になったけど、あれはちょっと興醒めだった。
一方、同じ改正で「白山」に食堂車が復活したのには驚いたが、
後になって、これは実は、当該編成を間合いで「雷鳥」や「北越」に
充てる時の都合からだったんじゃないかと回想した。果たして真相は…? 雷鳥に連結されてた、和風車「だんらん」の話が出て来てないようだが
乗った経験ある方よかったら話聞かせてください >>156
後段は無いだろ
白山 サロ1
雷鳥 サロ2
だから >>156
案外東海道にサロ110を供出するためだったりして >>158
それが57・11・15以後は、雷鳥の編成にも「6号車グリーン車、7号車食堂車」
が存在した。時刻表の編成案内の頁にも載ってた。
>>160
ああ確かに雷鳥3号、32号と北越1、5、2、4号がそういう編成だね
失礼した 路線改良した結果、米原―福井間が99.9kmになったけど、その時
「しまった。急行料金1ランク落とさなきゃいけなくなる」
って思った関係者もいたんじゃなかろうか。
それかあらぬか、新幹線は距離「水増し」するようになった…。 北陸経由で上野―大阪間を直通してた列車があったが(キハ82系当時の「白鳥」とか)、
これに通しで乗ったなんて客はいたのかな。いくらまだ新幹線はなかった時代って言っても、
ちょっと想像し難いが…。 >>163
乗車券センターで上野⇔金沢と富山⇔大阪に分けて管理されていて、通しで
買うと座席が変わる事が有ったと聞いた。 >>164
やっぱり、当時としても実質的には富山〜金沢辺りを境に別な列車だった、
ってことになるのか…。
とすると、いつの日にか北陸新幹線が全通したら、どんなことになるんだろう? >>165
どんなことになるって別にどうもならんだろ 直江津-金沢間の特急全廃
てかJRが路線自体を切り捨てるんじゃないか? 北陸新幹線開通→並行在来線及び七尾線は三セク化→のと鉄道の人員は全てそちらへ→七尾以北穴水まで廃止
奥能登ではこのように言われてます どのみち北陸本線の電車としては交直流車しかなかったから、
っていうのは確かだけど、何で七尾線は直流電化なのか、20年経った今でも不思議。
交流電化に必要な用地がなかったとか何とかいう話は聞いたが…。
個人的には、ゆくゆくはのと鉄道に押し付けるつもりだったから、なんて思ったりもした。 >>169
途中どこやらの天井川のトンネルをくぐるのに交流では絶縁がうまくできなかったで直流になったとwikiには書いてある >>170
確かにいくつか、直流になった理由が記載されているサイトを見掛けた…。
一頃は交流電化が万能みたいに言われた時期もあったと思ったが、
今はどっちにも一長一短があるっていう見解なのか。
まあ、全体的に見ると、寧ろ北陸本線の交流電化区間が陸の孤島のようでも
あって、これの直流化を主張する向きもあるようだけど。 色々経過があって今の北陸線があるのに
初めから直流電化でよかった、当時の責任者出て来い!
とがなる奴がいるんだってね。嫌だね。 所謂「後知恵」だな…。
まあ、よくありがちなことは確かだが。
ところで車両製作コストってどうなの?
やはり今でも交直車は馬鹿高いの? >>174
車体の製作コストなども違うので単純比較はできない
一応、521系は2両1編成で約4億円で、125系は1両1億8000万円
ただ製造量数が増えれば量産効果が出るので、コストは下がるよ なつかし板で、唯一「当時の急行型にまだ乗れる線」ですね。
でも、3800M(休日は3204M)→237Mの、敦賀駅での乗り換え
(敦賀駅で9:50→9:53)
とか、きっぱーの惨状を想像すると、18きっぷでは行けない。
結局、サンダーバードしか選択肢がない状態。
18のオフに普通乗車券で行くか。 6+3のサンダーバード見たけどやっぱ長いね
昔は12両が当たり前な感じだったけど
サロ×2と赤いラインから窓がはみ出てる食堂車を見ると
子供ながらワクワクしたな〜 3両から2両を推進した社員は出世したで
利便性と引換に・・・
立たせてなんぼや 金沢支社 >>179
金沢支社や西日本に限らず、それが今日のJRの本性と思える。
昔の客車の頃の長大編成は幻だったのか…、って感じ。
しかも1両当たりの座席数も激減してるし。
北陸本線に限らないけど…。 お前らが一人でコンパートメント占領して、脇に紙袋と汚い鞄置き、前の座席に足延ばすからだろ。
この間か、一両全員そういう状況だったのを見て、
サル以下だと思ったわ。
俺一人くらいなら大丈夫だと思ってんだろうな。
俯瞰するとバカの塊だ。 鉄道会社が基準にしてるのは、座席数を遙かに上回る「定員」だ。
それに対する比率が100%を切ったら「非効率」って考えてる。
客のマナーなんぞいくら良くても到底全員が座るなんてことは不可能な仕組みになってるんだ。
確か平成3年までだったと思うが、「坂田・田村」に直流・交流の
デットセクションがあった時代の、米原・長浜間に運行されていた
気動車。時刻表を見ただけでは「なぜ完全電化区間に気動車?」と
思ってしまう運用。しかしデットセクションの盲点・隙間を埋める
為の苦肉の策の運用であったと後で知ったのであった。ちなみに1
度だけこの気動車に乗ったことがあります。 そいえば厳密にはスレチだけど、湖西線末端にも気動車の運用が…
419系が改造、投入されて発展的解消を遂げたかと。
乗ったことはないけど。 >>184
1日3往復しかなかったような。
食パン投入後も1日8往復。
湖西線はあくまで雷鳥と貨物列車のバイパスなんだなと思ってた。
それが今じゃ。 近江今津(永原?)⇔米原(彦根?)の直通列車も設定されてた気がする 夏休みで渋滞の国道8号線を尻目に、
疋田ループを快走する485系が眩しかった。 いよいよ写真展します!是非きてねっ!!あなたもメンバーに?
http://9011.teacup.com/otaridc52/bbs
11月3日(祝)から13日(日)まで、大糸北線画像掲示板 第10回写真展を開催。
会場は今回もスペースSARA (糸魚川市大町1-3-6 糸魚川駅下車、西に徒歩3分)
平日9:00〜17:00、土、日、祝日は9:00〜18:00、会期中無休。
国鉄時代の普通列車、間合い利用の急行型が来たらホンマ嬉しかった。冷房付で快適だし、スピードも今の521系より速かった。客レに乗る時は木の座席がイヤだったから、ナハ11とか選んで座った。 国鉄時代の普通列車、間合い利用の急行型が来たらホンマ嬉しかった。冷房付で快適だし、スピードも今の521系より速かった。客レに乗る時は木の座席がイヤだったから、ナハ11とか選んで座った。 お聞きしたいのですが、食パン電車は富山ー金沢間を今でも運行しているのでしょうか?
友人が乗りたいらしく、時間を調べて欲しいと言われました。
2010.3で運行やめたとかなんとかの検索結果ばかり目につきますが。。。 >>191
419系は、2011年3月12日改正で定期運用が消滅
残っていた13編成は廃車となり、現在は松任本所でほとんどが解体されましたよ
残念ながら、419系に乗車はできないのであきらめてください >>192
最近見かけたような気がする。
3月12日より前に見たことになるのか。 残ったボックスシートに座れば、ほんのちょっとだけ、在りし日の「しらさぎ」
とか「雷鳥」を回想できたけど…。
ところで、その食パンの元になった583系に関しては、
「しらさぎ」に使われてた時期(50・3・10〜)は
食堂車営業休止だったものが、後年(53・10・2〜)「雷鳥」に転じた途端
営業し始めた。これは、両列車に対する国鉄の「思い入れ」の差なのか…。 雷鳥は北陸と「商都」大阪とを結ぶ看板列車だったからね。
その頃既にしらさぎは新幹線フィーダーの役割が強かったのでは? ついに「日本海」や「きたぐに」が“懐かしリスト”の仲間入り
とはなぁ…。 H9・3・22改正で、「白鳥」の車両が東日本から西日本持ちに変わったが、
充てられたのが「最古」の車両…。
如何にも「他社(東日本)の区間のことなんか知ったことじゃない」って
印象だったが、自由席車に限っては結果的に改善された。
東日本車はグレードアップされてはいたものの指定席車限定だったのに対して、
西日本車は、普通車の座席は全てフリーストップ式リクライニングシートに
置き換えられてたから。 >>191
アンパン列車は留置線に、昨日松任本所に7両、475系は2両、キハ5828は
工場奥への解体線にいます。 奥能登に引っ越してから3年くらい北陸本線乗ってないけど、今じゃ521ばっかりなんですか? 冬の寒さと雪は一層こたえるようになったんだろうか…。
京阪神辺りに入れるのとてんで変わらんコンセプトの車両じゃ…。
それでて短編成なんてとこだけ地方仕様なんだよな。
当方長野県出身だけど、地元じゃ115系が幅利かせるようになってから
冬は寒くてやり切れなくなった。
僅かでも169系が残ってた頃は、これに乗れれば救われる思いだったが…。 初めて北陸線に乗って、「動橋」駅の読み方を教えてもらった時は感動した。
地元の駅員さんは「エブリバシ」って訛ってた。 >>201
地元民と鉄ヲタ以外で動橋を「いぶりばし」と読めるのは、現在50代以上の年齢層に限られるからな。
1970年までは特急も全部停まってたし。
>地元の駅員さんは「エブリバシ」って訛ってた
余談だが、北陸でも年配層の方言は発音にズーズー弁の影響があるらしい。
石川県あたりでも「シ」を「ス」、「イ」を「エ」と訛る人は年配に多い。 >>202
>1970年までは特急も全部停まってたし
全部は停まってないよ 所謂「ゴー・サン・トー」の改正で、大阪―新潟間の「北越」を「雷鳥」に
編入したのは、最多本数の座につかせるため…?
名称の統合が狙いだったとすると、大阪―金沢間は3種類から2種類に整理できたけど、
富山―直江津(新潟)間は、新たに「雷鳥」が加わる形になって、言ってみれば「逆効果」だった…。 特急化された後の「北陸」は、下り(金沢行)が直江津通過だったけど、
少なくともJRになってからは、会社の境界だから、運転停車はしてたんだろうな…。
だとしたら客扱いしてもよかった気がするが、人員配置とかの都合だったのか。 >>207
今は知らないが、橋上駅になる前の直江津駅は夜は無人駅だったですよ
>>206
今の「ひたち」みたいに金沢―新潟の列車も「雷鳥」で良かったのかね?
【山陽】福井1奈良2岡山3は天王山【近鉄】
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/trafficpolicy/1328369349/
1 :スーパー301(名古屋・京都通過):2012/02/05(日) 00:29:09.64 ID:RhFCJAGU0
異論反論ありますが、福井・奈良・岡山は重要度が高く、
1993年より常に、東京⇔岡山間:3/h、東京⇔奈良間:2/h、東京⇔福井間:1/hが設定されていた様な気がします。
<2012年2月現在>
・東京⇔岡山間:3/h
東京駅:10のぞみ
東京駅:30のぞみ
東京駅:50のぞみ(姫路停車)
・東京⇔(近鉄)奈良間:2/h
東京駅:00のぞみ 京都駅:30京奈特急
東京駅:30のぞみ 京都駅:00京奈特急
・東京⇔福井間:1/h
東京駅:33ひかり 米原駅:59しらさぎ 昔もそんなに多数あったわけじゃないけど、「きたぐに」の廃止で北陸本線全区間を直通する列車が消滅する。
大阪発着の列車も米原経由だった頃は「白鳥」「日本海」「北越」「つるぎ」なんかもその範疇だったが、
湖西線開通の翌年(山陽新幹線博多開業時のダイヤ改正)以後、米原―直江津間を通しで運転って列車は激減した。
「きたぐに」はその数少ない例だった。それだけに惜しい気もする。
尤も21世紀に入った頃から、北陸本線の運転形態は全体的に金沢(富山)で分断されたようなもんだけど…。
きたぐに以外だと、419系6連で送り込みを兼ねた米原→直江津の普通が最後かな
確か富山で後ろ3両を切り離す運用だったかと
福井、金沢、富山で1時間ずつくらい停車してたかな 途中で列車番号も変わってたかも知れない 各駅停車が旧客だった頃はやっぱり朝のラッシュ時なんかに甚だしい遅れが出てた
んだろうか…?
まあ、これは北陸本線だけの問題じゃないけど、今後冬の室内は吹き晒し同然の
近郊型車両(521系)が席巻するようになると思うとつい、
本当にデッキ付は役立たずなのかという気になる…. ドア数は475と同じ
利用客数は知らんが、長編成なので一両あたりの客が少ない
ドアの開閉がないから、むしろ捗ってたのではなかろうか? 俺、高校生の頃、北陸線の旧客で通学してた。
雨や雪の日にデッキにいるなんてありえない。
先頭の機関車のすぐ後ろや、最後尾の連結部分も、
何もなかったしな。
当時はEF70やDE10が牽引してたっけ・・・
30年くらい前のおもひで 氷見線、城端線が45系キハで運行されてた頃に産まれた者です
ピンクと水色のフラワーラインカラーになって、
青と黄色の二代目カラーになっていった頃に沿線の小、中学校に通ってた
あの頃はキサハを朝のラッシュ時に挟んでたなあ・・・通学するときにちょうど見えたっけ
そういえば飯山線カラーが綺麗なキハが入線してきたのを学校帰りに見た記憶があるけど
時期的に海水浴臨か何かだったんだろうか?
キサハとその飯山カラーのキハが妙に記憶に残ってる 1980年代だけど、高岡駅って大きさのわりに、立ち食い蕎麦屋がなかったな。
乗換え客がそれなりにいるんだから、商売にはなったんじゃないかと。
俺が知らないだけで、あった時代もあるんかな? 急行「ゆのくに」が金沢から米原廻り大阪まで4時間ぐらいだから、
今の高速バス北陸道昼特急と同じぐらいなんかな??
急行「ゆのくに」の需要は今でもあるって言えばあるんだね 時間でドッコイ。勝ち目ないのが運賃。
居住性や快適性は鉄道が圧倒的に分がある。
双方のメリットで収束していくと、鉄道特急とバスの2極化が正常進化だろうな。 松任
小松
加賀温泉
鯖江
武生
はバスストップが繁華街から離れた所にあるから…鉄道特急に絞られてしまうのが難点。 >>218
高速バスだと約5時間かかるよ
渋滞にはまると時間が無制限にかかるから、到着時刻が読めなくなるのが難点だな
ちなみに米原迂回が確定している場合のサンダーだと、通常ダイヤの+20〜30分ってとこだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています