乗ったことのある廃止された列車を語るスレ
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乗ったことのある廃線を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220123714/
というのがあるので姉妹スレとして立ててみた
優等列車、愛称付き普通列車を主な対象としたいけど、無名でも特徴ある普通列車(たとえば長距離鈍行など)なんかも桶
ただし、通年運行された定期列車とある程度の年数を毎シーズン必ず運転された季節列車(そよかぜ、新雪など)に限ります
オレはとりあえず
特急:あさかぜ、さくら、みずほ、出雲、あかつき、はくつる、ライラック、はつかり、たざわ、あさま、白山、かがやき、東海
急行:ちとせ、えりも、いわて、津軽、軽井沢、外房、東海、アルプス、銀河、かすが、丹後
普通:大垣夜行、上諏訪夜行
かな
こうして列挙してみると以外と少ない事に気付くな。関東在住のせいか西日本があまりないし 津軽2号(10系+12系)
津軽51号(12系)
おが51号(20系)
きたぐに(新潟〜青森・12系)
日中線(喜多方〜熱塩・オハフ61)
いいで(キハ40新潟)
はつかり(583系)
あいづ(485系、食堂車付き)
長距離普通列車(スハフ43・東能代〜福島)
同じく長距離普通列車(オハ35・新津〜秋田)
あたりを懐かしく思い出します。 帰省ラッシュ時のキハ181やくも、
よく中間運転台に乗っていた。
キハ58と比較すると広かった気がする。
食堂車で大山おこわ定食を食したな。
出たっ、大山おこわ定食!
まつかぜの方でも話題だね 1981年ごろ、競馬で儲けたお金で、急に遠野に行きたくなり上野から八甲田の指定をとり乗車。
ところが、4人ボックスは4席とも売れてる。しかしあっちこっちのボックスは空き放題。
向かいのサラリーマン氏が新聞紙を広げて『靴を脱ぐと楽ですよ』と誘ってくれたが
自分はさっさと開いているボックスに行って占領して寝てましたが、問題はなかった。
当時の国鉄の指定の出し方は1人客にとってはデタラメでしたね。
帰りは速達タイプの急行くりこま→急行あずま(仙台ー福島は各駅)でした。
八甲田乗車はこの1回だけ。でも臨時の八甲田81号に乗ったことがあります。
1970年代前半仙台ー黒磯間。まつしま3号?13時13分の指定が満員で、13時16分の臨時に乗車。
停車駅はまつしまより当然少ないので、途中で追い抜きを期待するも、列車は電車より当然遅く
まつしまよりもかなり遅れて?黒磯着。黒磯の5番線の階段はいちばん前。
8号車から降りて前まで歩くとちょうど機関車がない。
初めての黒磯駅体験でした。
帰りは、釜めしを買ってまつしまに乗りました。自分にとって釜めしいえば横川ではなく、黒磯だったりします。
まつしまを待つ間、2・3番線から折り返していく上野行電車がまぶしかったなあ。
東北の主要在来線の特急、急行は結構乗ったね。
はつかり、やまびこ、ひばり、いわて、もりおか、まつしま…
特急は食堂車がついていてよかったなぁ。
181系ときや485系いなほ(上野からでるやつ)ものった。 特急ポートピアにのった。
三宮始発の特急って初じゃないか。 仙台 上野間の急行 まつしま午前発車 みやぎの午後発車 あおば夜行だったような。 急行鷲羽2号、神戸8時33分到着。(新幹線岡山開業時に廃止) とがくし
長岡→東三条
外も中もピカピカの165系 急行みやづ…毎日運転の臨時急行。
急行たかやま…陶器の釜飯が最高でした。晩年は専用色&アコモ改造&大きなヘッドマーク付。二号車は一両グリーン車。これぞ急行列車といった風格がありました。 14系(座)日本海、夕日が差し込む大阪駅から出てゆく
客の乗ってない12連の車内が懐かしい。
14系(座)しおじ、後部貫通路から眺めたEF59
14系(座)つばさ、福島機関区のそばのカーブになった
大きな踏切で重連のカマに牽引された勇士が懐かしい。 いい話だね。
14系の日本海があったのは初めて知った。
>>140
ここのやえもんさん?
ttp://www1.interq.or.jp/~ytrain/LOG/SP/388-14kei.html 大井川鉄道の元小田急SSE車使用の急行。
千頭〜川根両国のミニSL(コッペルとクラウス)。
井川線旧線(川根市代〜川根長島) 今から16〜18年前に上野から青森まで12系の臨時十和田だか八甲田に乗った。
さすがにあの垂直の椅子は疲れた。
帰りは14系の座席改善車だったので快適だった。 >>143
581系有明で博多から西鹿児島まで乗ったが、その時も辛かったよ。 昼間のサンライナーじゃ。
倉敷以西は、貸切に近かったからな。 急行出島、急行比叡、さくら、みずほ、急行アルプス、あさかぜ、富士、急行かいもん、急行日南、まつかぜ、有明、急行銀河、はやぶさ、出雲、在来線あさま >>143
>>144
居住性よりも精神的な環境の良し悪しがそのまま疲れに出る。
札幌から上野まで「北海」「みちのく」乗り継いだが隣席の人がむっつり。
しかも「みちのく」でも隣席。どっと疲れた。
上野から札幌まで「八甲田」「宗谷」を乗り継いだ時は同席の人と意気
投合。垂直な椅子であるが疲れもなく楽しかった。
「宗谷」を除いて全て廃止されてしまったが。 夏の満員の夜行旧客はつらかった。
雨だと窓を閉めて車内むしむし。
窓を開けると車内灯に誘われた虫が入り込んでくる。
足は伸ばせず、尻は痛くなる。
眠れなくても目をつぶって夜明けをじっと待つ。
12系はありがたかった。
14系は贅沢だった。
寝台券なんて1週間前発売では手に入らなかった。
それ以前に金がなかった。
>>147
精神的な環境の疲れは多少あるが、殆どが車内設備による疲れだろ?
漏れも581系しらさぎを家族旅行に使ったが、いくら寝台と兼ねてるとはいえボックスシート リクライニングしない固いシートはきつかったぞw
まぁ>>147が、もし60系客車を使った臨時急行に乗っても精神的環境云々と言えるかどうかだが… 我が街大社から出雲市まで20系「だいせん」(普通区間)に乗って毎朝
通学していた姉キを羨ましく思っていたなぁ。出雲市駅で良く「山陰」の
10系寝台車も見かけたもの。昭和59年くらいの懐かしい思い出。 昭和57年の急行大社。名古屋・大社間通しは長かった。
1人乗務の車掌長は西舞鶴車掌区という、国鉄ならではの長距離乗務。 S47前後の夏、わかさビーチ、小浜ビーチ、エメラルド、丹後ビーチなんて
急行がゴロゴロ走ってたな。何に乗ったんだろう。覚えているのは、夕方、
帰る時に58の2連がきて、すしづめ状態。次の急行が15〜30分後に
来て、らくちんで帰ったな。 >>149
ボックスシートだと向かい合った人によって旅の印象が違ってくるからね。
一方向のクロスでの隣に座った人よりも、顔を突き合わすだけ影響は大きい。
581/3系のボックスシートは悪くないが、そのあたりが敬遠された理由かもしれないな。
まあ自分の思い出としては、急行のボックスシートでも女の子と知り合った場合は
疲れを知らず時間が経つのがあっという間だったな(笑 >>153
ボックスシートの思い出か・・・
急行「しらゆき」青森〜金沢。
今や遠い思い出になってしまったキハ58系の長大編成。
早朝の青函連絡船で青森に着いて、これに乗った。
ガラガラの車内の隣のボックスには移動中の乗務員。秋田運転区?
いろいろ話を聞いて興味深かった。
大半は忘れてしまったが、機関助士時代、C61やD51に乗っていた事、気動車のブレーキ操作の事など。
楽しい時間はすぐに過ぎ、秋田で降りていった。 【特急】
485ひたち みちのく
【急行】
ときわ もりおか 奥久慈 つくばね 臨時十和田
【普通】
451普通
高校時代朝の通学に乗ってた451の普通列車はグリーン車を普通車扱いで開放してたので
始発駅乗車の俺は毎日グリーン車通学だった グリーン車の普通扱いって理解できなかったなぁ。
今の快速みたいに普通列車でもグリーン料金取れば良いのに、
とか思ったんだけど、それじゃ乗る人がいなかったのかな。 そう、乗る人がいなかった場合がほとんどだと思う。
名古屋らへんのホームライナーのG車指定席の
利用状況を見に行こう見に行こうと思ってるうちに無くなってしまった… 大糸線 朝の上り165系普通(夜行アルプスの折り返し)もグリーン車は解放されてたよ
冬季は、ケツがWパンタのクモヤ90付いてた。 自分は昭和58年から本格的に乗り鉄を始めたのだが、遭遇したグリーン開放は
・信越線の長岡〜直江津間(急行“よねやま”の送り込み?)
・因美+若桜線の始発普通列車(急行“砂丘”の前運用)
・舞鶴線始発(急行“丹後”送り込み?)
・(電化後の)七尾線の始発(和倉温泉始発の“スーパー雷鳥”送り込み?)
⇒コレはサンダーバード化後、グリーンは締め切りになった
コレくらいだな。 >>グリーン開放
地方都市近郊のラッシュ時は
急行編成のアルバイト運用が多かったので
結構遭遇した。
でも一番多かったのは上野だったかも。 準急くりこま。最初でたときは、仙台青森間特急よりも速かった。 >>161
おいおい、準急くりこま設定時は仙台盛岡間の運転な。 今更ながらS53年3月に乗った青森(14:25)から上野(22:56)までの「はつかり5号」(583系)と
言うだけなら有り触れた話だが、忘れられないのが上野到着寸前の接続列車の案内。
東京からの大垣夜行を筆頭に新宿からの急行「アルプス8号」南小谷行きや長野行きの夜行441M
とかとんでもない行き先が次々と出てきた。これも今では廃止されたり臨時格下げとなった列車
ばかり。 急行つくばねが時刻表に「小山駅は通りません」って書いてあったのが気になって乗りに行ったなあ。
間々田から単線に入って…
車内も暗くなったのを覚えてる >>163
ああいう放送は、当時は意味があったのでしょうかね、、
ヤバい乗り継ぎだったら、事前に時刻を調べてくるか
切符を予め買っておくかすると思うんですよね。
東京って別の駅だし。 >>158
飯山線の戸狩からの始発列車も。
スキーシーズンのみだがはDC「きそ」が乗り入れたのでその折り返しで。
上りの大糸線ではG車は新宿に座席が向けられていたので下りの送り込みでは
さすがに開放はしていなかったが。 親戚宅行くのに家が貧乏で雷鳥に乗れず急行立山によく乗った
金沢で無人の白鳥がホームにやってきた???
新潟の大雪で大幅に遅れたために金沢から別車両仕立てて定時運行、
自由席でもガラガラでラッキー
乗ったことのある廃止された列車…。
昭和40年代半ばから乗り鉄をしているから、それを挙げたらキリがないよ。
あの当時全国を走っていて乗りまくった特急、急行、準急のほとんどが消えてしまったんだから。
例え名前は残っていても、昔とは運転区間も性格も全く違う列車になっているし。
当時とあまり変わっていないで残っていると言えば、「ひかり」「こだま」くらいじゃないの? このスレに
485系時代の特急ひたちとか401、403系の普通列車とか書いても何なら不思議じゃ無くなるとは
末裔たちは頑張ってるけどね >>167
そんなアナタにオヌヌメだったのが、昭和50年代後半(だったはず)に運転された 臨時夜行急行 立山 富山行(581系使用)と それに接続する臨時普通 糸魚川行(485系使用)ね
立山は座席の他 寝台席も用意されていたが、座席利用の客の中には勝手に下段ベッドを作っちゃうのもいたとか…
因みに485系の方は糸魚川到着後 折り返し富山行となって、しらさぎの運用に入ったらしい 自分としては「あさかぜ」4号と「みずほ」かな。
「あさかぜ4号」は、個室寝台を希望していたが、B寝台だったけど食堂車や個室寝台などを拝めてうれしかったのを覚えている。 急行「しらゆき」
富山−青森間乗車。名前だけは美しかった(笑) DC急行
青島、ちどり、砂丘、礼文
電車急行
信州、東海
客車特急、急行
しおじ(臨時)、しろやま、銀河(臨時)、天北
DC特急
まつかぜ
電車特急
しおじ(1974年)、白山、東海、草津
電車寝台
ゆうづる
客車寝台
安芸、あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、瀬戸
あかつき、銀河、能登、まりも、大雪、日南、エルム
新幹線
あさひ、あおば
のぞみ(名古屋、京都通過タイプ) 学校終わってからや日曜日に乗りに行ったのが
立山、ゆのくに、越後、比叡、きのくに、平安、屋久島、
紀州、みささ、みまさか、但馬、白兎、西海、雲仙、
くにさき、阿蘇、だいせん、いなば、ひるぜん 急行「志賀」よく乗った。
長電直通らくちん。
横川の釜飯500円は窓を開けて立ち売りから買って、揺れる碓井峠で食べた
普通列車
新宿6:20発 中央線回り長野行き。ただただ座ってた。9時間の運転時間だったかな。今でも松本行きが何となく名残を残してますね。
上野発、夜行長岡行き。尾瀬ハイクに行く方々で床に座るほどの満員ぶり。沼田を過ぎると平穏な列車だったなぁ
大垣行き夜行。早く行ってグリーン車の席をゲットした。グリーンが付いてた頃の115系。
>>179
新宿夜中発長野行きの441Mというのは、当時「アルペン夜行」とかいう呼び名があったので、
知っていたけど朝発があったとは初めて知った。 電車化されても、朝一の普通は、長い間高尾発松本行きのロングラン鈍行だったけどね。
中央線の夜行鈍行には何度となく乗ったけど、日野原で時間調整も兼ねた1時間近くの停車があるんだよね。
ひんやりした空気の中、長旅を紛らすために、多くの人がホームに出て一服するんだな。
すると、次第に白み始めた東の空に、南アルプスの稜線がシルエットに浮かんできて、そりゃあ絶景だったな。 いい想い出がありますね。
今でも八王子発松本行きの朝一の列車は日野春であずさの通過待ちをしていて、一服出来る時間があり、いまでものんびりとした時間があります。さすがに一時間は停まらないですけど…
新宿発2355発長野行きは懐かしいですね。そういわれてみるとありましたね。
1973年の時刻表を引っ張りだして来てみてしまった^^
新宿23:55発 長野行き普通列車(列車番号425)
入線時刻は22:21 1時間半前からホームで待機してたんですね。
甲府2:54着 24分停車
日野春3:58着 44分停車 夏なら薄ら明るくなる頃、山の稜線が浮かび上がって来てきれいなんだろうなぁ
上諏訪5:45着 38分停車
松本7:55着 24分停車
長野10:11着
乗り通したら10時間16分
疲れそうだけど、のんびりしてていい時代だったなぁ
今じゃ新幹線で1時間半だもんな。旅情なんて無いですね そんなあなたに臨時だけどムーンライト信州。
漏れは急行アルプスと名無し普通があった時代くらいしか知らない。
10年位前まで1日5本くらい出ていたような。
西側も「ちくま」に加えて「くろよん」とか臨時のちくまもあったのに全部消えた。 比較的新しいけど、きのくにシーサイド。
まだ走れそうなのに登場して10年経たずに廃車…。
乗車券(+指定券)で乗れてしかも快速ってのが有り難かった。
シートも快適だったし。
やはり阪和線に客車を走らせるのは無理があったんだろうか…。 水戸線の455系
115系と同じ乗りごこちでガタンガタンと走った。 佐渡7号、夜行の佐渡。
車両は昼行と同じ165系。
その後、新幹線開業で佐渡は廃止になり、夜行新潟行きは廃品のグ
リーン車リクライニングを窓のピッチを無視して並べ、新宿発ムー
ンライトとなりましたね。
ムーンライトなんとかがつかない元祖ムーンライト。 レール7でレポされてて、そんな列車があったのかと知った記憶がある。
>元祖ムーンライト ムーンライトの元祖って、EF64+14系客室×3の急行で会員扱いじゃなかった? >>186
昼行の佐渡は乗った記憶があるが、夜行の佐渡があったとは・・・・・
165系の車窓から見る夏の越後中里スキー場の緑がまぶしかったなあ・・・・・・。 いや、佐渡に限らず
新幹線開業前は信越・東北方面にかなりの夜行の電車急行があった。
変わったところでは急行出羽なんていう夜行気動車急行もあったよな。 >>189
>>190
昭和50年代前半ではスキーシーズンとなると夜行の「佐渡」「信州」「妙高」となると
スキーヤーの行列が凄かった。逆に「八甲田」「津軽」「鳥海」の方がすいていた位。
混雑の主役は電車急行でこちらは若者ばかりで「八甲田」など長距離急行は出稼ぎ風の
客や北海道方面への若い旅行者でこの対比も目だっていたと思う。
新宿でも夜行「アルプス」の行列も定員を上回る位並んでいたな。
東北上越新幹線が上野まで開業した昭和60年代だが冬期は平日でも上越方面がスキーヤー
、東北方面がビジネス客の対比がまだ目だっていた。 客車急行“妙高”は濃かったね。
上野〜直江津300km弱の距離を約7時間30分かけて機関車4両のお世話になる。
寝台車込みのブルトレばりの14系9両編成で長野〜直江津は普通列車になる。
それ以前は10系寝台車でA寝台も入っていたけど。
距離的には東京〜豊橋、東京〜福島くらいでしょ?
今の感覚で言えば存在自体が奇跡としか考えられない!
日本海が最果ての地に感じられた。 >>192
客車ではないが300kmそこそこで信越以外では「アルプス」「ばんだい」「あづま」
などがあった。俺も就職してから金曜夜から日曜にかけて遠くへ出かける時は金
もないせいもあるがこれらの夜行は寝不足が付き物だが便利だったし昭和50年代
半ばまでは盛況だったな。当然今の世代からは信じられないだろうけど。
やがて貯金もたまり車を購入する頃には高速道路も充実してきたので俺自身もそ
ちらへシフトするようになった。
同時にこれらの夜行列車も衰退していった。
>>日本海が最果ての地に感じられた。
若かりし頃、新宿から夜行「アルプス」で南小谷。ここからローカル気動車で糸魚川へ。
更に富山方面への旧客の普通列車に乗って日本海が見えた時は感激モノだったし、同様
な思いだったな。 臨時の信州だと、小山の115系を使っていたのもあったみたいだね。 >>194
乗車距離100kmくらいなら我慢するけど200kmくらいだと100円引きじゃあ
割に合わないよorz。リバイバルなら115の急行全指でも瞬殺だろうけどw 100円引いてくれたのか?
かいじ、なすのの115系は割引なしだったんじゃないか。 >>196
ん…、100円引いたかわかんないorz 割引はないよ。割引があったのは12系で運転された特急の「あかつき」「つばさ」が
確か特急料金200円引きで運転された。
あとは新製車両が間に合わなくて56系で運転された特急「北斗」とか、
事故などで急遽急行用の代替え車両で運転された特急とかだね。
急行の場合だと、近郊型車両で運転されても、原則料金割引はなかった。
「急行」は単に“急ぐため”の料金、特急は“設備も含めた料金”という考え方があったからだ。 例え車が115系だろうとかいじは割引なしで急行券は情け容赦無しの
アルプスらと同じ料金だったよ。
ちゃっかり1両連結していたサロ165-14も容赦なくグリーン料金ぼられていた。 >>200
昭和40年代の房総地区で運転された、夏の臨時急行に比べればマシだよ
キハ10系列オンリーの編成だったんだから >>200
車種がサロ165なんだから、それは通常料金であって、ボッてはいないだろう。 毎年充当車両が違う首都圏〜軽井沢の特急“そよかぜ”急行“軽井沢”シリーズかな?
こんな車両に乗っていけるならと、行き先を軽井沢に決めた事もあったっけw。
“そよかぜ”は489系、サロン東京14系、ゆぅ489系のお世話になった。
“軽井沢”は14系座席車、レインボー14系のお世話になった。
その昔、夏臨で余った各客車区のグリーン車をかき集めて“グリーン軽井沢”?
“軽井沢グリーン”?という今のJTの草分けみたいな列車があったが、
これはお目にかかったことはなかったなぁ…。
サロンエクスプレスそよかぜ、私も乗りました。
ラウンジ車にはうら若き(当時)女性の姿もちらほら… 軽井沢グリーンや南九州グリーン懐かしい。
オールロ編成はあとことぶきもあったね。
そういえば大阪>青森に運転された
臨時きたぐににスロ62か54が複数両
連結されていたらしい。 「サロンエクスプレスそよかぜ」は逗子−軽井沢の運転でしたね。
でも、確か営業距離が200kmをほんの僅かに上回っていたんですね。
その僅か何百メートルのために特急・グリーン料金がボーンと上がって、
全区間乗車を原則とするポリシーの自分には、ずいぶん“意地悪”な列車に見えましたね。
また、「江戸」で運転された「お座敷アルプス」は、帰宅時間に丁度重なったので、
新宿−逗子を友人とビールにつまみ持参で展望室に陣取って、優越感に浸りながら帰ったこともありました。 軽井沢GやSEそよかぜは、列車のコンセプトと自分の姿があまりにミスマッチに思えて、
10〜20代の自意識過剰だった自分には敷居が高くて乗れなかったな。
信越線で待避中の旧客からボケーッと見送った記憶が残ってるだけ。
>>210
むしろ電車全盛路線の旧客ローカルの方が体験的には貴重!
チャレンジ2万キロで早く効率的に回りたいばかりに、乗りたい客車を待たずに
速達列車を選んだ事にはとても後悔してますorz >>211
篠ノ井線の客車列車が懐かしいよ。
80年代中盤まで残っていた長野発中津川行 旧客3両に荷物郵便が5両という編成だった。
荷物郵便関係だけは、荷物列車として熱田まで行ってたが、後に旅客の方は廃止になった。
まだ赤倉がキハ58の長大編成だったんだよな〜 北から
C62ニセコ、快速海峡、急行津軽、八甲田、十和田、まつしま、ざおう、ときわ、なすの
急行佐渡、赤倉、内房、外房、アルプス、こまがね、東海、伊豆、銀河、たかやま、高千穂
快速ムーンライト、くりこま、青い海、白い砂
寝台特急富士、あさかぜ
九州内では急行ゆのか、日南、かいもん、由布、火の山
大半が周遊券のただ乗りでした。 ガラガラの上り急行たかやまに乗って新大阪通過!
あ〜気持ちい〜〜〜w 漏れは名古屋ベースだったので、国鉄時代だと臨時
快速近江路、急行比叡、臨時急行エメラルド、急行
のりくら、急行おくみの、急行木曽、急行紀州、特
急金星というところかな。
客車急行
信越線経由の白山、越前
上越線経由の北陸1号の寝台
DC急行
越後
普通客車
上野駅から北陸1号、2号、越前が発車後に北陸方面へ行く列車がなくて普通列車
の直江津行きに乗りました。各駅に止まるのでほとんど寝られませんでしたが。
高田あたりから通学高校生が乗車してきたのを覚えています。
あと、現在でも同名で存在しますが特急はくたか(上野−上越線−金沢)
このはくたかは正に特急という感じでした。往復で乗りましたが
上野駅を発車してから大宮駅を通過する時に、5分前に出発した特急やまばとを
大宮駅構内で追い越していました。また、金沢から上野行きに乗ると長岡駅を
出発後に「次は終点の上野です。」と社内アナウンスがあったのを覚えています。
今の新幹線並み以上の停車駅の少なさでした。
以上昭和46年に初めて東京に出てきた頃の思い出です。 昭和46年(1971年)3月時点での土讃線夜行快速、および連絡船を介して宇野から接続される153系急行「鷲羽2号」。
鉄道唱歌のチャイムとともに始まる案内放送で「神戸8時33分」の響きがジーンとくる…
1994年に親父めが他界してからというもの、鉄道唱歌のオルゴール、
この自分の胸には一段とせつなく響くぞ…
http://www.youtube.com/watch?v=rvDTtPQJo4M 筑肥線電化直前の急行平戸。
どうしても急行&グリーン車に乗りたくて、親に頼んで姪浜(実家)〜博多間だけ乗車w
子供(3歳)は急行というとゴードンのことしか知らない… 寝台急行銀河。南野陽子のシュプール号の広告が入ってたなぁ。 快速やひこ
あの爽快な韋駄天走りとハイグレードな車内は忘れない。
どローカルな越後南線に咲いた最後の華。 急行「紀ノ川」 キハ28・58のたしか5両編成。
小学生のときに、和歌山の両親の実家に行く際、
新幹線を京都で降りて乗り換えた。
桜井線経由ってのが面白かったが、
夏休みだというのにガラガラで、数年で廃止されちゃった。
所要時間があまりにもかかりすぎた。 >>223
自分もそれ乗ったわ。
関西旅行中に三輪素麺が食いたくて、京都から桜井まで乗った。
確かに夏休み中なのにガラガラだったわ。
その後に奈良線と和歌山線電化であっさり廃止。
まああの経路じゃ利用者が少なかったのも理解できるけどね 急行ゆのか
何号だったか記憶にないが、小倉始発の大分行きで、途中停車駅が、行橋,宇島,中津,別府,大分
当時の特急にちりんより停車駅が少なかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています