オマエラが見てきたカオスな列車編成
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 >>95
かいじだと、サハ1両がサロ165になるね。
スカ色のサロ以外にも、湘南色のサロを入れてた時期があったらしい やっぱりダイ改前に数日走った113系+165系でしょう
熱海〜伊東間で113はG車入り7両+クモハ+モハ(500番台+サハ153+クハ165
おそらく(ごてんば用編成に田町のサハを入れたのだろう >>95
8連時代の末期は4+4もあったよ
塩山−韮崎の甲府盆地内ローカルが身延線間合いの旧国から本線の115系になった時からだね
300番代の編成はそのサハ2両のサンドイッチだけど、0番代(モハは800番代)の編成はクモハモハサハクハの4連を2組つないでた
その時、三鷹区唯一の1000番代が4連1本新製配置されてそれも0番代と共通運用だった
組み替えられたのは韮崎の折り返し線が4両で限界なので4連にバラせる編成が必要になったから 211系の
クモハ モハ クハ サロ サロ クモハ モハ サハ サハ クハ
は現行編成だけど、なんとなくカオスだね。
そもそも
クモハ モハ サハ サハ クハ
でたくさん作ってしまったので、サハの廃車が結構出たし。
カオスな車両計画ってところか。 >>99
見た目ではあれだけど、あとでTc車が必要になったりすることを
考えれば、T車を潰したほうが得策かも、っていうかもしや織り込み済み?まさか…
近郊型E231もナンバーは類推できないほど複雑だけど上手く組み替えたな、と…
それだけで100ゲットではなんなので、
予備知識なく一畑の元西武551の両運改造の単ころを見てビックリした。 >>99
編成が逆だよ
McM`TTTcTsTsMcM`Tc
211の編成は往年の急行電車を思わせる。
ここまで読んでいると、どんな編成がカオスと認識する向きがあるかがわかる。
1.中間車+刮^転台付きの連結パターン
2.一部車両の塗色が異なるパターン
3.形式の違う車両が連結されているパターン
4.車体形状の異なる車両が連結されているパターン 定期の編成でも座席車が12系時代の津軽やきたぐには結構カオスかも
寝台車が10系軽量客車でG車が鋼体化客車スロ(フ)62(きたぐには43系のスロ54もある)
で普通車が新型客車の12系。今じゃありえない何でもありだよな >>102
でも昨今の、14系24系混結(なは・あかつき)とか、気動車14系混結とか見てると、あの時代と
似たようなことやってんだな、とか思わね?
そのうちミニ新幹線に普通列車が併結されたりして。 >>103
前者は同じ14系同士の寝台と座席混結よりも見た目では違和感無いし(レガートはともかく)
後者は例えばサロ152やサロ489などからの様々な113系の編入グリーン車などに近いと思うし、どちらも昔の客レとは大分性格は違うと思う
むしろ何でもごちゃ混ぜの小田急通勤車の方がこれに近いかも。昔からあるから当たり前の光景だけどね
編成単位とは言え、今は最新ステンレス車と30年以上前製造の鋼製5000系を併結してるし、昔は大型車と中型車を併結してたからね
そんなもん、本当に何でも併結してしまう近鉄に較べればどーって事ではない。 >>105
その通りなんだけど、ただ、近鉄はシリーズ21がある今でこそ何でもあり感があるけど
省エネ車各種が出るまでは異形式でもぱっと見では見た目がほとんど同じだからなぁ
ラインデリア車1810系と電制付き冷房車2800系の混結が全く別形式同士だなんてわかるの近鉄オタだけだよw
鉄オタでも近鉄に疎いと実は見た目が違う1201系と1233系の違いがわからない人がいると思う
逆に近鉄に詳しいとカオスっぷりを十二分に楽しめますな
そういえば見た目で誰にでもわかる1211Fと1212Fは、名実ともに近鉄のカオス編成の代表でしょうかね? おっと、通勤車しか頭に無かったけど、近鉄は特急車は昔から何でもありだな
しかも大変わかりやすく 瀬戸大橋開通したての臨時マリンライナー
クハ115+(モハ114+モハ115)×5?+クハ115
全部初期車で非冷房車と言うのがあった。 南海高野線 各種ズームカー連結の急行
21001系4連+22001系2連+2000系2連
>>107
昔の近鉄鮮魚列車も結構カオスだよ。
何せ旧参急と大軌、戦後の特急格下げ車に
奈良電の車両まで使ってたからな。 飯田線119系、両運クモハが出始めの頃、普通のクモハと両運クモハで
クハをサンドイッチした運用があったなぁ。 >>113
急行天北もスゴかった。
なんとキハ55に入っていたんだ。
あんな所でキハ55を見るとは思わんかった。
冬は本州へ逃げるか冬眠するんだろうけどね。 >114
キハ55の中に天北が!…そりゃカオスだな。
ToTの原型だな。 鉄道ジャーナルの最新号に載ってたが、
見た目は国鉄特急型の編成美を保っている「雷鳥」も
中身や経歴はカオスを極めている。
サロ出身とクハ出身が混じるクロ
モハの電装を外したサハ
普通車は座席をリクライニングシートに交換したものがデフォだが
「スーパー雷鳥」のシートピッチ改善車だと当たり、
489系の簡リク改だとハズレ。 福知山線に相鉄並に先頭車くっ付けまくってるやつがあったな。Mc-M-Tc-Tcとこんな感じの
4両編成。3両編成に先頭車を一つ足したんだろうがなかなかカオスだった。あと相鉄と言えば
クハが同じ方向に2両つながっているとかも日常茶飯事だったっけ。他には旧6000系と新6000系
が同一編成にくっついていて幅が違うのもあったな。 >>118
165「アルプス」の付属編成もそうだった。 >>118
フチ区は変態車や編成の宝庫だからなw
クハ111+クモハ113+クモハ112の3連とかクモハ113+クモハ112+モハ113+クモハ112のオールM4連とか
まだそんな昔の話じゃないけど223系の新造車ばかりになった今となっては懐かしいね 更新前の近鉄10400系4両編成なら全車両運転台付だよ。
McMc+Tc+Tcという具合に。
更に11400系2両を増結すると、6両全てに運転台があった。 スナックカー10両編成時代に全部運転台付があったの? >>121
運転台の向いている向きに矢印をつけると以下でしょうか?
←Mc+←Mc+Tc→+Tc→ >>122
11400や18200も混じるが、全車両運転台付編成もあったよ。
>>123
←Mc-Mc→Tc→Tc→だな。 おれも近鉄ファンだが、たしかに、近鉄を見慣れてる目には、
運転台が多いのは全然カオス要素にならないんだよなあ。
…運転台不感症かw 阪急で一番カオスなのは
8000系×2+7000系×4+8000系×2
山陽乗り入れ中止で不要になった増結車をまとめたのがよくわかる。
他所じゃ短編成かき集めは珍しくも無いが
阪急は8連固定がデフォであること、成立のいきさつを考えると・・・
>>118
クモハ2連の両側にクハという
先頭車化改造を無意味にする編成もあった。
>>125
キハ58の全盛期はもっとひどいよ。
10連以上の長編成で運転台無しはグリーン車だけ。 急行型以下の気動車は、元々G以外に中間車がないんだから
(キハ18以前を除く、だけどね)、全盛期とか関係なしに
長編成組めばそうなって当然じゃんw
「中間にG車以外で運転台のない車がはさまった編成」がもしあったら、
そっちが異常事態。何組み込んだんだ???って話になる。 昔高岡にキサハが居たわな、別に見た目そんなカオスでもなかったが。
キハに客車改造の中間車を挟む手法はなかなか良かった。
まぁこれは北海道の方がメジャーか。 >>128
まあな。
だからオール先頭車でも2両編成の5重連なら別にカオスと言わんが
運転台の向きが不自然だと気になるわ。
今だとスーパーおおぞらの増結が該当するな。
50系客車の場合、オハフが両端に乗務員扉があるから
どう組んでもカオスにならんかった。 >>130
>50系客車
で思い出したが、末期の東北12系ローカルの編成はひどかったなw >>122
今でもごくまれにN+N+NとかN+N+AS+ASとかは有る
N=12200系2輛編成
AS=22000系2輛編成
この前中川から乗った名古屋行き特急はN+N+Nだった
運転台の向きは←→←→←→←→かな
流石に2輛編成ばかりで編成された10輛編成の特急は見た事ないが昔は2輛編成車輛の方が多かったのでごく当たり前に走っていたと思う EF81+国鉄色485系×4+USJ色103系×4
103系が無動ながらも北陸線の金沢にやって
来たのは後にも先にもこれ一度のみだろう。
もちろんUSJのキャンペーン。 10年位前の夕方、鶴橋で12200(一部、12000かもしれません)の2連を5本つないだ特急を見た事があります。
カオスというのと逆に、東海道線東京口の113系で、
全部2000代(Tsは110-1200)ってのを見たことがない。 京阪1900系もある意味カオスだったな。冷改・更新前は前後で顔が違うのは当たり前、その後もウインドシル付きとそうでないのとが混成、両端扉は片開きで中間扉が両開きなんてのが混じってたり、中には全車台車が違う編成もあった。 >>136
153系置き換え直後は南チタ所属車と南コツK55、S98は全部2000代(Tsは110-1200)
付随車だけ差し替えたのは、便所処理施設の関係だったっけか? >>129
12系改造だったから、キハ65で挟んだら
綺麗な編成になりそうな車両だった。 そういえば、715系の編成も片や食パン、片や特急型の面影を残していたりと
カオスな形状だったな。
いかにもボンビー国鉄末期って感じだった。 あの当時は、急行型もグリーン改のクハとか、何でもありだったが、
果たしてそれが「いかにもボンビー国鉄末期」だからなのか、ってーと、
それは若干疑問だ。
ああいう「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」は
70系80系の時代からの伝統だよ。歴史が繰り返しただけ。
台所が苦しくて安い改造に上げてたという部分は、編成形状のカオスさではなく、
むしろ車内見付け(上段寝台や洗面所の処理方法)に現れていた。 >>140
715の場合、オリジナルと同じ先頭にしたら客室ドアの位置からおかしくなってくるわけで。 >>141
「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」80系…クハ85はサロ85改だけでなくサハ87改もあったね
70系…サロを無理矢理3扉にしたクハ77萌え
あと忘れちゃいけないのがクハ47
サハ48改はオリジナルと遜色無かったが流電サロハ改の切妻は妙竹林だった
他にもモハ30焼失車を復旧時にストレッチした47011という下手物も存在した
>>143
北陸新幹線開業に伴う3セク化迄国鉄末期状態で放置の悪寒 ありきたりだがクモハ73086+マヤ34200X+クモハ73351
なんてのをよく見たな 元レギュラーだった小田急の4000×3+4000×3+1800×2。
脱線事故があってからは4000は5連に組み換え・・・余剰車は大野に
放置プレイ。
>>145
そういえば昔鶴見線で73系にクモルが付いているを見たな
営業車なら凄いけど回送かも知れない 鶴見線と言えば、
1両だけ混ざったアコモ改良試作車でしょ、やっぱり。
3両編成で1両混ぜられると、割合が高いので、すごいごった煮感が出る。
昔の三岐鉄道あたりの編成を見てる気分に近いかな。 阪和線快速
湘南-瀬戸内-瀬戸内-湘南+体改-阪和-阪和-体改 片町線
冷房車-冷房車+非冷房車+非冷房車+非冷房車+弱冷房車-弱冷房車 >>148
そういえば、クモハ73500+モハ72970+クハ79920という時代の異なる三種の全金属車の
混結編成に乗ったことがあるな >>151
北大阪急行の7000系にもあったな。万博終わったら5連に組み替える
ための。営団の3000系4+4と千代田線5000系の5+5は非貫通。 営団なら01系以前の銀座線。
大抵小窓の1500Nの隣にウィンドウシル・ヘッダ付1200or1300が連結されていた。
>>154
> 千代田線5000系の5+5は非貫通。
東西線に移ってからは使用していた。 98年頃のいなほ、国鉄色+ひたち色の組み合わせが、良く見られた。 >>157
塗色だけでいいのなら485系天国時代の北陸特急は軒並みカオスってたが… 203系大量増備による、103系大玉突き大会の結果生じた、武蔵野線4色混色編成。
6両編成で4色はやりすぎだと思うんだ(w 京阪1500V昇圧前
600系-600系-600系+1300系-1300系+1700系-1700系 いつしかの関西線王寺電留線台風水没で
ウグイス+ウグイス+カナリア+カナリア+オレンジ+オレンジ
って101系6連があったような。 >>161
オレンジ車の正面にイエローのラインが入ってたり。 カオスといえば,昔の青梅線南武線あたりの旧国はなんで
扉の形や戸袋の方向に一貫性がなかったんだろう・・・と思う。
ネクタイじゃないけどまったく同じ形状のものが複数あったのかな?
なんて思う。 >>155
自分の記憶では、
渋←2000+1500N+1500N+1600or1700+1200or1300+2000→浅
だった気ガス 東海道線の113付属で、クハの代わりにサハシ165を組み込んだ編成いなかったけ? >>164
スマソ。Wikipedia見たがお主が正しいようだ。俺の勘違いか。
。1234 身延線の115系のデビュー当初がなかなか素敵な編成だった。
Mc-M'-Tc-Tc
この位じゃ福知山線と同じと思われるだろうがこのTcが背中合わせといういかした配置だった。 身延線で思い出したが、もっと後の時代の115で一時期
クモハ−モハ−モハ−クハ
なんてのがあったな 宗谷本線の
DD51+スユニ50+オハフ51とか、
奥羽本線改軌前の
EF71+ED78+オハフ50+オハフ50も仲間に入れてやって下さい。
あと、後藤から大阪駅経由で向日町まで
キハ181
というのが走ったらしい。 >>170
単端状態で桶。
いつぞやかの鉄道ジャーナルの記事によると
エーデル車も後藤入場の際は京総から単端で
回送されるとか。 >>171
キハ82系まつがぜの営業初日は前代未聞の単端で特急運転。
6号車のキハ82が不調で切り離して修理の上、まつかぜの後を単行で追いかけた。
もちろん、その間のまつかぜ最後尾は5号車のキハ80。
主要駅にターンテーブルが有った蒸機時代の山陰線ならではの荒技だった。 >>172
山之内さんが向日町の初代所長のときのエピソードですね。
当時として実績もないのにいきなりの広域運用で大変だったんだよねえ。 >>173
向日町立ち上げのエピソードは興味深いのが多いですね。
熱源を取る為に蒸気機関車を借りてきて据えガマにするのは余所でも有った話しだけど
電気が来てないので20系の電源車を借りてきて、据え電源車にした話しは驚いた。
なんか日本の宇宙開発の手作り感を彷彿とさせる話しだと思ったら山之内さんw
手作り派なのは山之内さんの種子島より内之浦なんだけどね。 小田急の1800系が現役のころ、2連×5の10連っちゅうのを見たことがある、 京急の線路際の家に住んでいた頃、終電後なのに
踏切の警報音が鳴り続けるので、保線車両でも来るのかと
思って外に出てみたら、やって来たのは東急車両で落成
したと思しきAE100を牽引した京成赤電。
幻でも見たような気持ちだった。 俺は四国2000の片運単行回送を土讃線で見た
>>173
キハ82単行は模型みたいで愉快だが
電源エンジン付きで重い82を、1台のDMHで動かして追跡回送せねばならなかった乗務員は大変だったろうな >>172 興味深かったので、
鉄博の図書室でピク誌1961年12月号の記事を見入ってしまいました。
当日の編成
キハ82 27+キロ80 26+キシ80 7+キハ80 53+キハ80 27+キハ82 40
以下、「」は原文のまま引用
最後尾キハ82 40の車軸発熱により、2分延着の福知山で同車を切離し、
キハ80 27が最後尾となって、「大騒動の末、"尻切れトンボ”で福知山を40分延発」
松江には15分延まで回復して14:20に到着
折返し上り「まつかぜ」は、「松江で、キハ82 27を方向転換して先頭につけ、
後部にはキハ28 5を連結して松江市民が盛大に見送るなか定時(15:00)にスタート!」
写真を見る限りでは、キハ28 5も客扱していたようです。
「途中、豊岡で応急修理を施したキハ82 40とキハ28 5を取替え、
正規の編成に戻って無事ネグラに辿りついた由」
キハ82 40は福知山→豊岡約60kmを回送したようです。
なお、同誌には1961.10.20 エンジン故障でダウンした下り「白鳥」が
C57重連で金沢駅を発車する際の写真も・・・・ もう15年ぐらい前だが、長いコキ列車の一番最後に
キハ58が一両ぶら下がってたのが未だに頭から離れない。
何だか物凄くシュールな光景でさ…
北陸線加賀笠間松任間
もうないよな 単端とはちょっと違うが、EF58+スハフ12一両だけってのを見た事がある。そのスハフ12も車掌台側が機関車と連結され、普段連結面になるほうが後部だった。ちゃんとテールランプも点灯していて、こんな編成もありなんだ…と思った。 新製されたオレンジ201系が深夜の東海道線を自力で東上… どうでもいいが、単端って言うと軽便鉄道の単端式気動車を思い浮かべてしまうのだが、
尻切れトンボの気動車編成を単端って言うのは、気動車ファンの間では常識なのか? >>179
俺も同じようなの見た事がある。
更に昔、30年くらい前、コキ列車+キハ58+キハ20+ヨ
常磐線、柏〜北柏
牽引機はEF80
気動車は水ミトだったような覚えがある。 >>180
一時山陰本線でDD51プラスオハフ50が1両の列車があった。 単端回送はちょっと前の伊予鉄では日常茶飯事…と言うとオーバーだが
今でもあるのかな? 30年くらい前の琴電はすごかった。
ゲテモノぞろいでまさに百鬼夜行。
今では、ほとんどが、元京急車と名古屋地下鉄車になってしまったね。
時の流れを実感する。 >>187
朝ラッシュの後にあるよ〜。
でも、車両入れ替えで消える予定。 40年くらい前、総武線をSLが東西線5000系を牽引してるのみたことあるよ。
新車らしくピカピカの電車とSLのミスマッチ、子供の頃だけどよく覚えてる。 >>179
>>183
総武線も気動車の回送はよくあったな。
新小岩に気動車の検修施設があったから、久留里線や木原線のキハ30などが
快速線を走る貨物列車の最後尾によく連結されていたのを見た。
連結器の関係で気動車は後に連結する必要があるようだけど。 ちぎれる(列車重量で前後に分断する)、って感じよりも、
非常ブレーキかけた時とかに、編成の重量が一気にかかって
押し潰されて折れる(座屈現象)、って方が心配で
そうしてるんだと思ったが。 >>189
京王3000導入で伊予鉄名物も消滅予定でつか
(´・ω・`) 80年代頃の中京地区153系の編成は楽しかったな。
153系湘南色、新快速色に155、159系の湘南色、修学旅行色などのごちゃ混ぜ編成だった。
153系は非冷房車もあったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています