オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 昔、常磐線をEF80がキハ28・58の編成を引いて走って行くのを見た。
お客は乗ってたけど、気動車側に不具合でもあったんかな? 東上線沿線の人が伊勢崎線の
3万系+1万系とか1万30系+1万系という編成を見ると
カルチャーショックを受けるようだ。 カオス、と言われると、体質改善前の近鉄養老線だな。
伊勢電・志摩電・吉野鉄道・近鉄による車体更新車まで入って、
ともかく「生き残った古典車・異端車が全部ここに流れ着く」という印象。
手小荷物室付きの元伊勢電6221と、いわゆる名古屋線タイプの元関急電5301と
ノーシルノーヘッダアルミサッシボックスシートの元志摩電5941(5945?)と…
みたいな編成には、まあ何というか、味があった、と表現しておこう。
大近鉄の一部ではなく、地方私鉄のような味。
そのせいか、旧かもしか号の5821の2連が、めーっちゃきれいな編成に見えた。
元伊勢電のエース・モハニ231からの改造車だった事も当時は知らなくて、
「…きれいすぎて、なんか普通の電車やなー」と思ってしまった経験があるw
1984〜85年頃の新松戸は凄かった、常磐快速も武蔵野も2〜4色の混色当たり前、常磐中電は白と赤の混色だらけ。
常磐緩行では2日間のみエメグリと地下鉄色混色の103-1000が営団乗入れで走った。営団から苦情が来て2日で終わってしまった 583系みちのくに1ユニットだけ混じってた赤い485 【偽装】カレーパンに大便を混ぜて売っていた男を逮捕。常連客「独特のコクがあるパンで大便とは気付かなかった」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/bread/1229505910/ 阪和線の113系6両編成だが、、
前後のクハ111が春日色、中間のモハユニットがそれぞれ湘南+スカ色2両づつってのが
昭和48年関西線殿下の際、天ナラに113系が豆乳されだした頃にあった運用。 >36 >45
王寺の冠水事故の後、関東から応援でかけつけた101系の編成がそんな感じだった
5色はさすがになかったと思うが、3色4色は当たり前だった 大糸線に115系が新製投入されてから荷電廃止までの間、湘南色115とスカ色クモユニやクモニが組んであったな
115系化の時、広島からクモニが転属してきたが、牽引車扱いだったらしく滅多に本線に出てこなかった。 >>57
当時のジャーナルで、出雲のカン付きPFが関西線快速色の
113系を牽く写真が載っていたぞ 80年代ぐらいまであったと思うが、長野発中津川行の客車列車は旅客車3両に荷物・郵便車が5両だったな
もっとも荷物・郵便は熱田まで行ってたらしいが 常磐快速線で両端がエメラルドの一般型クハ、あとは地下鉄色の
1000番台と言う編成。 >>61
クハの車両番号にアンダーラインが引いてあった谷塚 80年代の「ゆうづる」にオロネ24+オハネ24+オハネ25の編成があったような気がする。
二段式A寝台+二段式B寝台+三段式B寝台。
定期列車のくせになかなかのカオスっぷりと思うが如何。
>>41
1985年頃、片町線で冷房車編成が本来組んでいたTが103系に改造後、代わりに首都圏からモハユニットを挿入されて、おまけにちゃんと6M0Tで走ってた。 静シス クモハ60076+モハ111+モハ110+サハ87+モハ80+クモハ12054 昭和51年
大船駅にて 60069 076の
2両は名カキ配置時からのスカイブルーのままで、ひときわ目立つ存在だった… 70年代後半の肥薩線矢岳越の混合列車。
D51+オハユニ61+雑多な貨車+D51という混合編成で走っていた。客車はたった“半両”しかなかった!
木次線もキハ52 600という簡易荷物室車両が単行で走っていたね。 >>66
おしい!
肥薩線矢岳越えの混合列車には、スハユニ62と言う九州の中では珍車中の珍車が
運用に入ることがあって、更にカオスな編成だった。
見た目はオハユニ61と同じだけど極寒地仕様の二重窓と歯車式発電機+大容量蓄電池。
更に矢岳越えでカオスな編成と言うと
D51+D51+マニ20+ナロネ22+ナロ20+ナシ20+ナハネ20*3+ナハネフ21
もちろんD51は矢岳越え仕様の重装備型。
あまりにレア過ぎて、流石に見たことはないが。
やっぱり
EF65+マニ30+コキ+コキ+コキ+コキ… 昔、某夜行急行の自由席で旅行している時、夜明け直前に運転停車で目が覚めて、
ぼーっとして車窓を見てたら行き違いの貨物列車がやって来た。
列車そのものは特に珍しくも無い無蓋車ばっかりなのだが、積み荷がカオスだった。
目の前を・・・・・・・
61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車+61式戦車・・・・ 国府津電車区開設前の東海道線東京口と横須賀線もしょっちゅう混色を見たな
TcやTs1両だけとかMM'1ユニットだけが違う色になってる
予備車が共通だったんだろうけどね
横須賀線は総武直通後も関西から来たTsとTが転入後もしばらく湘南色だったっけ
他に国鉄末期の千葉で短編成化のためにTcが各地から大量転入して来た時に
阪和色との混色もあったな。スカ色のMM'ユニットにTcが湘南色や阪和色の編成があった
西は今でも転配後に元の塗色で運用される事も多いので、カフェオレとか除いても混色が日常茶飯事だけど
東は転配前に先に色を変えてしまうのでこういうのが見られなくなったな
幕張なんかE231の玉突きで国府津と高崎から大量に113系と211系が転入してきたけど全て転入前に塗色変更済み
これが国鉄時代なら次の検査入場まで元の色そのままだったんだろうな
>>70
そういえば高校時代、まだG車がなかった総武快速で通っていたが、通常基本編成と
付属編成で先頭同士が向き合うところ、1両が逆向き、つまり先頭車が同じ向きに
2両連結されているのを見た。
カメラがあったらと悔いたが、今でも自分の目が信じられない。 キハ181+キハ180+キロ180の3両で、東海道線・山陽線を走る、
キハ181系の高砂工場入出場回送列車。
京急1000形の間に700形サハを含んでるドア数が違う編成。1000形の走行性能も形無しだった
けどね。
ここの板的には物凄く最近なネタ。京葉線304編成まさかの7M3T。6M4Tならよく見たけどまさか
のモハが奇数という珍編成でした。 1973年頃、筑豊本線の4線区間で見た片運気動車の単行運転
キハ16か17あたりだったのか
運転台の無い方の貫通扉には鎖がしてあった
昭和55年ごろ、山陰本線倉吉駅改札口から見た、キハ82+キハ80
倉吉発着の「あさしお」か「はまかぜ」の附属編成が故障でも起こして、
切り離されたのだろうか 国鉄時代のDCなんかは普段からカオスだったよね。
キハ45-キハ20-キハ55-キハ28-キハ58-キハ10-キハ17
和歌山線辺りでもこんなのはザラに見かけた。 小学生だった昭和50年代前半、大船に住んでた
よく東海道線の列車を見に行ったり110フィルムのバカ○ョンカメラで拙い写真を撮ったりしてた
その時にカオス編成で印象に残ったのが急行『東海』
サロ165以外きれいに153系冷房車で整った南チタ持ちの『伊豆』と違って名カキ持ちの『東海』は何でもありだった
両端Tcは165系でサロは163、中間普通車は153系冷房非冷房155系の混成、なんてのをよく見かけてた
たまに165系MM'ユニットや159系が混じる事もあって全部のMM'ユニットが違う形式とかもあった
それが宮原への117系投入による153系転入で155系と159系が消えて中間普通車は153系冷房車で揃う事が多くなった
そして153系も消え165系に統一された編成は、なんかつまらなかったな 銀河に緑カニがくっついていて驚いたが珍しくないと言われたのも思い出 国鉄時代の「きのくに」に58系9両従え和歌山側にキハユニ16(湘南顔)が
先頭に立って阪和線爆走してた 昭和53年ごろ
阪和線でスカイブルーの103系が天王寺方にオレンジ色の旧国を連結して、
和歌山方面に走っていくのを見かけた。 >>80
気動車は、基本的に何やっても自由(片運が単行で走ってもおk)だから、
その程度でカオスな編成と言うのは当たらないような気がする。 昔の総武快速の側面方向幕
「鎌倉」「大船」「千葉」「急行・安房鴨川」・・・・
>>82
うん、特にきのくにのキハユ二増結は所定の編成だからカオスとは言えないな。 所定でも、編成の組み方が異常だったりしたら、カオス認定でもいいと思うけど、
整った編成の端っこに、姿かたちの異なるニやユやユニが増結されてるのは、
当時としてはわりと普通の話だったからなあ。
キハユニ16自体は、稀少車として珍しがられてた記憶はあるし、急行の先頭に立つ、
という事で貴重だったと思うけど、「編成」を珍しがられたのとは
ちょっと違った気がした。
>>80
「きのくに4号」で所定ではキハユニ26だったようだ。
昭和50年3月時点で一時、天王寺ー和歌山市間で連結していた。
参考:特急、急行気動車列車編成順序表(昭和50年3月) やっぱりかつての天王寺鉄道管理局と四国総局の組成のセンスの良さは伝説だなw カオスな編成のセンスなら西鉄だと思います。
会陽の増結運転でボギー式やら単端式やらのガソリンカーにオープンデッキの客車を
テキトーに連結した編成はカオス以外の何者でも無いでしょう。
動物園の保存車も井笠の蒸機じゃなくて単端ガソリンカー牽引を再現してほしかった。
1968頃年末臨時急行桜島?か東京から九州までオハ61スハ32混じりは強烈な記憶。 オレも最初西日本鉄道の事かと思ったけど、よく読んだら西大寺鉄道の事か 旧客寝台急行時代の「天の川」でA寝台オロネ10が故障のためにスロ62
を連結してA寝台の客を案内していた記事をRF?で読んだ事ある。 中央東線の115に、クモハモハクハ+サハサハ+クモハモハクハなんて編成があったけど、
何で4+4にしないでこんな編成になったんだろ。 >>95
かいじだと、サハ1両がサロ165になるね。
スカ色のサロ以外にも、湘南色のサロを入れてた時期があったらしい やっぱりダイ改前に数日走った113系+165系でしょう
熱海〜伊東間で113はG車入り7両+クモハ+モハ(500番台+サハ153+クハ165
おそらく(ごてんば用編成に田町のサハを入れたのだろう >>95
8連時代の末期は4+4もあったよ
塩山−韮崎の甲府盆地内ローカルが身延線間合いの旧国から本線の115系になった時からだね
300番代の編成はそのサハ2両のサンドイッチだけど、0番代(モハは800番代)の編成はクモハモハサハクハの4連を2組つないでた
その時、三鷹区唯一の1000番代が4連1本新製配置されてそれも0番代と共通運用だった
組み替えられたのは韮崎の折り返し線が4両で限界なので4連にバラせる編成が必要になったから 211系の
クモハ モハ クハ サロ サロ クモハ モハ サハ サハ クハ
は現行編成だけど、なんとなくカオスだね。
そもそも
クモハ モハ サハ サハ クハ
でたくさん作ってしまったので、サハの廃車が結構出たし。
カオスな車両計画ってところか。 >>99
見た目ではあれだけど、あとでTc車が必要になったりすることを
考えれば、T車を潰したほうが得策かも、っていうかもしや織り込み済み?まさか…
近郊型E231もナンバーは類推できないほど複雑だけど上手く組み替えたな、と…
それだけで100ゲットではなんなので、
予備知識なく一畑の元西武551の両運改造の単ころを見てビックリした。 >>99
編成が逆だよ
McM`TTTcTsTsMcM`Tc
211の編成は往年の急行電車を思わせる。
ここまで読んでいると、どんな編成がカオスと認識する向きがあるかがわかる。
1.中間車+刮^転台付きの連結パターン
2.一部車両の塗色が異なるパターン
3.形式の違う車両が連結されているパターン
4.車体形状の異なる車両が連結されているパターン 定期の編成でも座席車が12系時代の津軽やきたぐには結構カオスかも
寝台車が10系軽量客車でG車が鋼体化客車スロ(フ)62(きたぐには43系のスロ54もある)
で普通車が新型客車の12系。今じゃありえない何でもありだよな >>102
でも昨今の、14系24系混結(なは・あかつき)とか、気動車14系混結とか見てると、あの時代と
似たようなことやってんだな、とか思わね?
そのうちミニ新幹線に普通列車が併結されたりして。 >>103
前者は同じ14系同士の寝台と座席混結よりも見た目では違和感無いし(レガートはともかく)
後者は例えばサロ152やサロ489などからの様々な113系の編入グリーン車などに近いと思うし、どちらも昔の客レとは大分性格は違うと思う
むしろ何でもごちゃ混ぜの小田急通勤車の方がこれに近いかも。昔からあるから当たり前の光景だけどね
編成単位とは言え、今は最新ステンレス車と30年以上前製造の鋼製5000系を併結してるし、昔は大型車と中型車を併結してたからね
そんなもん、本当に何でも併結してしまう近鉄に較べればどーって事ではない。 >>105
その通りなんだけど、ただ、近鉄はシリーズ21がある今でこそ何でもあり感があるけど
省エネ車各種が出るまでは異形式でもぱっと見では見た目がほとんど同じだからなぁ
ラインデリア車1810系と電制付き冷房車2800系の混結が全く別形式同士だなんてわかるの近鉄オタだけだよw
鉄オタでも近鉄に疎いと実は見た目が違う1201系と1233系の違いがわからない人がいると思う
逆に近鉄に詳しいとカオスっぷりを十二分に楽しめますな
そういえば見た目で誰にでもわかる1211Fと1212Fは、名実ともに近鉄のカオス編成の代表でしょうかね? おっと、通勤車しか頭に無かったけど、近鉄は特急車は昔から何でもありだな
しかも大変わかりやすく 瀬戸大橋開通したての臨時マリンライナー
クハ115+(モハ114+モハ115)×5?+クハ115
全部初期車で非冷房車と言うのがあった。 南海高野線 各種ズームカー連結の急行
21001系4連+22001系2連+2000系2連
>>107
昔の近鉄鮮魚列車も結構カオスだよ。
何せ旧参急と大軌、戦後の特急格下げ車に
奈良電の車両まで使ってたからな。 飯田線119系、両運クモハが出始めの頃、普通のクモハと両運クモハで
クハをサンドイッチした運用があったなぁ。 >>113
急行天北もスゴかった。
なんとキハ55に入っていたんだ。
あんな所でキハ55を見るとは思わんかった。
冬は本州へ逃げるか冬眠するんだろうけどね。 >114
キハ55の中に天北が!…そりゃカオスだな。
ToTの原型だな。 鉄道ジャーナルの最新号に載ってたが、
見た目は国鉄特急型の編成美を保っている「雷鳥」も
中身や経歴はカオスを極めている。
サロ出身とクハ出身が混じるクロ
モハの電装を外したサハ
普通車は座席をリクライニングシートに交換したものがデフォだが
「スーパー雷鳥」のシートピッチ改善車だと当たり、
489系の簡リク改だとハズレ。 福知山線に相鉄並に先頭車くっ付けまくってるやつがあったな。Mc-M-Tc-Tcとこんな感じの
4両編成。3両編成に先頭車を一つ足したんだろうがなかなかカオスだった。あと相鉄と言えば
クハが同じ方向に2両つながっているとかも日常茶飯事だったっけ。他には旧6000系と新6000系
が同一編成にくっついていて幅が違うのもあったな。 >>118
165「アルプス」の付属編成もそうだった。 >>118
フチ区は変態車や編成の宝庫だからなw
クハ111+クモハ113+クモハ112の3連とかクモハ113+クモハ112+モハ113+クモハ112のオールM4連とか
まだそんな昔の話じゃないけど223系の新造車ばかりになった今となっては懐かしいね 更新前の近鉄10400系4両編成なら全車両運転台付だよ。
McMc+Tc+Tcという具合に。
更に11400系2両を増結すると、6両全てに運転台があった。 スナックカー10両編成時代に全部運転台付があったの? >>121
運転台の向いている向きに矢印をつけると以下でしょうか?
←Mc+←Mc+Tc→+Tc→ >>122
11400や18200も混じるが、全車両運転台付編成もあったよ。
>>123
←Mc-Mc→Tc→Tc→だな。 おれも近鉄ファンだが、たしかに、近鉄を見慣れてる目には、
運転台が多いのは全然カオス要素にならないんだよなあ。
…運転台不感症かw 阪急で一番カオスなのは
8000系×2+7000系×4+8000系×2
山陽乗り入れ中止で不要になった増結車をまとめたのがよくわかる。
他所じゃ短編成かき集めは珍しくも無いが
阪急は8連固定がデフォであること、成立のいきさつを考えると・・・
>>118
クモハ2連の両側にクハという
先頭車化改造を無意味にする編成もあった。
>>125
キハ58の全盛期はもっとひどいよ。
10連以上の長編成で運転台無しはグリーン車だけ。 急行型以下の気動車は、元々G以外に中間車がないんだから
(キハ18以前を除く、だけどね)、全盛期とか関係なしに
長編成組めばそうなって当然じゃんw
「中間にG車以外で運転台のない車がはさまった編成」がもしあったら、
そっちが異常事態。何組み込んだんだ???って話になる。 昔高岡にキサハが居たわな、別に見た目そんなカオスでもなかったが。
キハに客車改造の中間車を挟む手法はなかなか良かった。
まぁこれは北海道の方がメジャーか。 >>128
まあな。
だからオール先頭車でも2両編成の5重連なら別にカオスと言わんが
運転台の向きが不自然だと気になるわ。
今だとスーパーおおぞらの増結が該当するな。
50系客車の場合、オハフが両端に乗務員扉があるから
どう組んでもカオスにならんかった。 >>130
>50系客車
で思い出したが、末期の東北12系ローカルの編成はひどかったなw >>122
今でもごくまれにN+N+NとかN+N+AS+ASとかは有る
N=12200系2輛編成
AS=22000系2輛編成
この前中川から乗った名古屋行き特急はN+N+Nだった
運転台の向きは←→←→←→←→かな
流石に2輛編成ばかりで編成された10輛編成の特急は見た事ないが昔は2輛編成車輛の方が多かったのでごく当たり前に走っていたと思う EF81+国鉄色485系×4+USJ色103系×4
103系が無動ながらも北陸線の金沢にやって
来たのは後にも先にもこれ一度のみだろう。
もちろんUSJのキャンペーン。 10年位前の夕方、鶴橋で12200(一部、12000かもしれません)の2連を5本つないだ特急を見た事があります。
カオスというのと逆に、東海道線東京口の113系で、
全部2000代(Tsは110-1200)ってのを見たことがない。 京阪1900系もある意味カオスだったな。冷改・更新前は前後で顔が違うのは当たり前、その後もウインドシル付きとそうでないのとが混成、両端扉は片開きで中間扉が両開きなんてのが混じってたり、中には全車台車が違う編成もあった。 >>136
153系置き換え直後は南チタ所属車と南コツK55、S98は全部2000代(Tsは110-1200)
付随車だけ差し替えたのは、便所処理施設の関係だったっけか? >>129
12系改造だったから、キハ65で挟んだら
綺麗な編成になりそうな車両だった。 そういえば、715系の編成も片や食パン、片や特急型の面影を残していたりと
カオスな形状だったな。
いかにもボンビー国鉄末期って感じだった。 あの当時は、急行型もグリーン改のクハとか、何でもありだったが、
果たしてそれが「いかにもボンビー国鉄末期」だからなのか、ってーと、
それは若干疑問だ。
ああいう「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」は
70系80系の時代からの伝統だよ。歴史が繰り返しただけ。
台所が苦しくて安い改造に上げてたという部分は、編成形状のカオスさではなく、
むしろ車内見付け(上段寝台や洗面所の処理方法)に現れていた。 >>140
715の場合、オリジナルと同じ先頭にしたら客室ドアの位置からおかしくなってくるわけで。 >>141
「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」80系…クハ85はサロ85改だけでなくサハ87改もあったね
70系…サロを無理矢理3扉にしたクハ77萌え
あと忘れちゃいけないのがクハ47
サハ48改はオリジナルと遜色無かったが流電サロハ改の切妻は妙竹林だった
他にもモハ30焼失車を復旧時にストレッチした47011という下手物も存在した
>>143
北陸新幹線開業に伴う3セク化迄国鉄末期状態で放置の悪寒 ありきたりだがクモハ73086+マヤ34200X+クモハ73351
なんてのをよく見たな 元レギュラーだった小田急の4000×3+4000×3+1800×2。
脱線事故があってからは4000は5連に組み換え・・・余剰車は大野に
放置プレイ。
>>145
そういえば昔鶴見線で73系にクモルが付いているを見たな
営業車なら凄いけど回送かも知れない 鶴見線と言えば、
1両だけ混ざったアコモ改良試作車でしょ、やっぱり。
3両編成で1両混ぜられると、割合が高いので、すごいごった煮感が出る。
昔の三岐鉄道あたりの編成を見てる気分に近いかな。 阪和線快速
湘南-瀬戸内-瀬戸内-湘南+体改-阪和-阪和-体改 片町線
冷房車-冷房車+非冷房車+非冷房車+非冷房車+弱冷房車-弱冷房車 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています