オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 今考えたら
シュプール14系×4+(12系ロザ2+14系ハザ1)+(14系ハザ2+12系ロザ1)
の「三階建ムーンライト」もたいがい。普通につなげれるのに何か違和感があったw ダイヤが乱れたとはいえ
特急はとに急行明星の編成が使うとは・・・ >>406
ブレーキは一括で制御可能だったが加速時の総括制御が出来ずそれぞれに運転手が乗って無線で連絡を取り合いながら運転していたとか。
ドア扱いもそれぞれの編成に車掌が乗ってやっていた。
初日の出のときの銚子電鉄みたいだな。 カオスといえば阪和線の103N40の中に未改造のが1両だけ入った4両編成。
空いてる時はなぜか一般客も未改造を避けていたw 1988年頃に乗った急行まりもの増結にオハネ14(自由席)
寝台としては使わないようにとのアナウンスが流れ
下段、上段に3人ずつ着席。下段に座っていると目の前には
足がぶら下がっている状態ww
自分は通路側の補助席(?)で釧路まで乗った
なんか子供の遠足みたいだなぁ。
さすがにそれは見たことないが、「津軽」が20系に置き換えられて座席車が激減した時、
あまりの大混雑で急遽寝台車2〜3両を座席扱いにしたことがあった。
その時は“早い者勝ち”で寝台上段を“ゴロンとシート”にしていた客もいたけどね。
車掌も上段には上らないように注意していたけど、通路まで一杯の状況ではお手上げだった。
一度郡山から乗ろうとしたら、「自由席は大混雑しています。お乗りになれない場合もあります」
なんていう駅のアナウンスがあるくらい酷いものだった。
確か3ヶ月くらいで季節臨の「おが」に使用していた14系座席車編成と交換したのは有名な話だ。 >>431
57・11・15の話だな。翌年の7月に14液化されてる。 1988年9月の雨の朝
いつものように小田急町田駅の下りホームに上がってビックリ。
小田原<4000×3><4000×3><8000(?)×4>新宿
既に運用から外れたと思っていた吊掛4000と、8000らしき冷房車が編成を組んでいた・・・
当時は話題にもならなかったが、20年の歳月を経て真相が判明。
今ではwikiにも載ってるけどね・・・ >>433
wikiに詳細の記述がないが、総括協調運転はできたのだろうか? >>434
ブレーキはどちらもHSC系、制御回路も電連の芯線さえ合わせてあれば、とりあえず動かすことは出来るはず。
もちろん性能差は如何ともし難いが、当時の朝ラッシュの上りは1時間29本の超過密ダイヤ。
当然スピードも出せないから、ある程度の特性差は何とかなったんじゃないか?
ダイヤ乱れにより運転された
小田急線の臨時電車が
引退間近の9000形 4両編成だった
相模大野AM1:30発藤沢行きっだたはず 中学校の修学旅行のとき、多分「さんべ」だったとおもいます。
今となっては、車両が足りなかったのかどうか解らんが
デッキなし車両が来たときには、なんとも言えん気持ちでした。 >>438
自分も見ました。新大久保駅でした。
その直後、背後の西武線を2連の臨時電車が走ってゆきました。
興奮しました。 山陰線の客レの最後尾に後藤入出場のDCが連結されてた。あの時代はメモをよく使ったもんだ。 昔の国鉄特急・急行電車には「回送(簡易)運転台」なるものが装備されているものがあった。
サロ165やサシ581などで、妻面に前照灯や尾灯が装備されていた。
東京メトロの6000系にも同様なものがあるが、その使用目的は、
車両基地構内で長編成を入換える場合に使用されたとあるが、実際に使われていたのを見たことがなかった。
規定であの妻面を出して本線を運転することは出来ないんだろうが、一度あの前照灯を灯したところを見たかったな。 >>442
近鉄モ1650型にも切妻にライトと簡易運転台が付いていたよ。 >>442
あの簡易運転台、ワンハンドルマスコンなんだよな。
ブレーキ弁に逆転ハンドルが付いてて、ブレーキ緩め位置より奥に動かすと力行になる。
国鉄も妙なところに新技術を使うなと思った。 >>442
アーバンライナーにもそれらしきものがありましたな。 その回送運転台を最近使う場面が多いのがE257系だな。
11両編成を9両にする際に松本方にあるやつを使ってる。
165系にはモハ164に簡易運転台機能を持つ500番台と言うのもあったね。
偶数方にクハ165と同じ角形の通風器がついていて、ライトもあるから
とにかく目立ってた。
連結面も通勤型みたいに窓まで付いてた。
まえに大垣夜行の臨時が神領の165系だった時にこいつが1両入っていて
ぶったまげた覚えがある。 >>446
屋根上に前照灯は付いてますよ
>>447
257は回送運転台付きでも本線走る前提からか形式にクが付いているので、厳密にいうとキチンとした運転台の一種に思えます
やはりサロな急行型電車と一部特急型電車、サシな特急型電車、モハな165-500の方が いかにも と思います こうして見ると連結面の屋根布押さえがえらく古臭く感じる。
半鋼車時代から変わってない。 でも、屋根布がなくなったのは113系や103系の最終増備の頃で、201系の試作車は屋根布だったのだから、そんなに古い話でもないのですがね 近鉄 ク710ってのがいてね。
サ700と外見ぜんぜん変わらない増備車だけど、簡易運転セットがついて「ク」になってた。 よく模型だと性能の違う動力を重連させるとロックして
単機より上手く走らなくなったりするけど
実車の場合どうなんだろうか?
制御装置で回転数の差を吸収するようになっているのかな >>453
極端に違う場合は最初から切替スイッチや読替装置で対応するが、実際にはある程度の特性差は何とかなってしまう。
例を言えば、OERのHSCブレーキ系通勤車。
抵抗制御+ダイナミックブレーキ、界磁チュッパ+回生付き、さらにはVVVF・・・
何が相手でも問題なく併結していた。
太平洋の対岸では、メーカーも出力も異なる機関車を6〜7台も総括制御することなど日常茶飯事。
西武新101系2+2+2+2の8両←そのうち1編成だけ旧塗装
西武秩父線で1回見ただけ
どうしてこうなった 山陽新幹線の岡山開業後だったと思うが、在来線の姫路ー岡山間の快速に80系
が使われていたが、姫路方先頭車両に旧の貴賓車がつながれていた。当時中学
生だったが得した気分で乗っていた。
>>457
サロ改造のクハ85ね。
貴賓車はおおげさだけど、ソファみたいな椅子だった。 それと似たモンで、サロ75を改造したクハ77の方がすごかった。
初めて仲間同士撮り鉄に行った両毛線で乗ったクハ77000は、
少し前まで住まいから普通に見ていた横須賀線のサロ75が、
格下げされた上に3ドア改造されただけでも驚きだったが、
とって付けたような運転台や、増設されたドアが広いドアという外観上のアンバランスさは何とも言えなかった。
加えて、車内もサロ時代の流用は得した気分だったが、
中間の増設ドアの周りのシートはクロスの片側だけしかなかったりと、違和感たっぷりの車両だった。
その後、全国を旅したが、こういう格下げ車両に出くわした時は、迷うことなく乗り込んだのは言うまでもない。 特急北近畿に2回だけ登場した
クハ481ボンネット車
前面の愛称板が手書きなのはいただけなかった。 153系の新快速塗装が朝夕に快速運用に就くとヘッドマークは黄色のラインが入ってるだけ、なぜ快速と書かなかったんだろう、12連は萌えたな。 >>461
水色との横線だよね。
あのまま急行運用したりしてたから。 >>462
それ鷲羽ですか?
専用ヘッドマークあったよ、比叡も大垣持ちだし。臨時急行の類はヘッドマーク無しで運用に入ってたと記憶してる。
>>459
クハ85もそうだけど、715系のクロスシートってサロ75,85のシート
を彷彿させるんだが。715系のクロス、普通車としては格段に良いシーとだったよね。
特急→普通、一等→二等に格下げということで境遇も似ているような気がする。
クハ77、昔ペーパーで作ったことがある。いさみやのクハ85の前面だけを流用。
側面は自作。
あの切り妻顔はなんかすき。キハユ15も顔も。
う〜ん、旧型電車や気動車のロザの格下げシートって、715系なんかと全然違うんだな。
もっとふかふかで座面が低いから、ソファーに腰掛けている感じに近いんだよね。 25年くらい前の話だ。
キハ30と35の5連にキハユ二が1両。キハユ二は回送扱い。
編成としては全くカオスではない。
それが会津若松駅で新潟行きのサボをぶら下げて客待ちしていたときには眩暈がしてカオスな気分になった。
ええ、乗りましたとも。便所わきの二人掛け片面クロス席で耐えましたとも。
現在、黒磯から青森まで701系に乗せられるよりも、気分的にはきつかったかもしれない。
高山線の夜行で中間にキユニ28?が連結されてなかったっけ?
むろどうに乗った時そんな編成だった気がする。
宇出津 立山行きだったかな? >>467 正解
はっきりした記憶がないのですまんが、夜行「のりくら」は下記の内容、間違っていたらごめん
岐阜←<58|28|キロ|58><キユニ|☆|★|☆><58|28|58>→名古屋・富山
☆・・・キハ55・58 ★・・・キハ26・28 キロはキロ28 58は57のことがある
頭の4両 宇出津行 名ミオのりくら系基本編成、冷房車、このあと昼間は能登半島で使用、
再び夜行で名古屋へ戻り、普通で美濃太田へ帰る。
中の4両 富山止め 名ミオ高山線ローカル兼用の運用、急行充当はこの下りのみ。
よってキハ55系が主流。富山発名古屋行の普通で名古屋へやってくる。
後の4両 立山行 名ナコの付属編成、基本冷房車充当。 ごめん、酔いが残っているww
×後の4両
○後の3両 連すまん、上記の件、50.3から55.10頃の話ね。 木次線備後落合発木次行き最終列車、キハ52601単行、木次方はアコーディオンカーテンで仕切ってキハユニ単行状態。貸切の車内で三次で買った弁当を食ってたら横田から部活帰りの高校生で満席になった、昭和58年夏 >>466
和歌山−新宮にもキハ35系のみの編成が走っていたな。
200km、約6時間の長距離をロングシートで乗り通すという“暴挙”に興味本位で乗った。
でも、意に反し混んだのは和歌山口だけで、紀伊田辺から先はガラガラ!
ロングシートに足を伸ばしていたり寝転んだり、返って“快適”だったほどだ。
まあ無駄に長い編成を走らせていた時代の話だからな。
今の短い編成でじっと座っていなくてはいけない状況とは全く違う話だ。 >>468
その能登半島内運用に乗ったよ。キハ57が混ざっていて、エアサス堪能。S52ごろ。 >>471
アコーディオンカーテン×、カーテン〇だった、
>>468
自分も>>473同様、能登半島内運用で使った事があるな>前のキロ込み編成
これ確か穴水以遠の能登線内は定期普通で珠洲まで行って、その折返しが大阪行き急行“ゆのくに”になるミハ編成
と連結して金沢行き“能登路”として戻ってきて穴水から輪島からの“ゆのくに”と併結、
最終的にこの編成は金沢で落としていたっけ。
あと、中と後ろの編成は宮脇俊三さんのデビュー作“時刻表2万キロ”の第一章内の神岡線乗りつぶしに登場してたな
(中は神岡線往復、後ろは猪谷切り落としで) >>468
それ、もう少し前だとキユニが「キハユニ」だったんだな。
荷扱いの手間を省くために、荷物車が中間に入った例はわりとよくあったよ。 >>475
深夜の金沢で能登半島へ向かうキハユニ26が荷役してました。 >>472
奈良電化で35が溢れたときはそうでしたね。
和歌山〜新宮オールロングは顰蹙だっんでしょう。キハ45を1両入れて4連組むようにしてました。 JTブームのきっかけになった「アルファコンチネンタルエクスプレス」。
オリジナルはキハ59+キハ29+キハ59の3両編成だったが、好評で次々と“変な”車両が増結されるようになったな。
確か本来のアコモだったのは当初の3両に増備した1両だけだったと思うが、
キロ26がアコモそのままで増え、果ては塗色だけ変えてボックスシートのままのキハ27まで組み込んで走ったね。
また、「フラノエクスプレス」も、一時期キハ182という違形式を組み込んで走ったり、
同形式ではあるが、「ノースレインボーエクスプレス」も、先頭車両が踏切事故で修理をしている間は、
スラントノーズのキハ183が代役になったりと、北海道のJTは何かと珍編成が多かった。 >>466
25年前というと、丁度越後・弥彦線電化の頃ですね。
ここでもキハ30・35が溢れたんでしょうな。 >>480
おまけに展望車の前にお座敷キロ59を2両という時期もありましたね。
色だけ換えたキロ26は登場年だけの使用だったのが残念でしたが。
ボックスシートのキハ27なんて使うくらいなら、キロ26そのまま使っていればよかったのにと思いますね・・・
アルファ塗装のキハ27は、普段は何食わぬ顔して札沼線や函館本線の普通列車に連結されていました。 中央線で
橙橙黄緑橙橙橙黄青橙
みたいなの昔見たような
京浜とーほぐや東海道線でも、こういうのみかけたなあああああ 最近の車両は編成自体が固定化されて、あまり「珍編成」というものはないが、
JR北海道の283系特急なんかは、その中でも「珍編成」がたまにあるな。
高運転台の先頭車両が中間に増結されると結構「珍編成」になるな。
時にはそれが3〜4両も連なっていると、これは“見事な珍編成”だよ。
国鉄時代の181系DCも、たまにキハ181が連なって運転されていたことがあったが、
そんな編成に乗り合わせると、場合によってはトイレが遥か彼方…ということになって往生したこともあったよ。 カオスというほどではないけど
キハ183−500の運転台側同士が顔突き合わせて連結されていたことがあったが、車販の
ワゴン押していて、その渡り板部分にはまりこんでしまったことがある
貫通ドアのところが枠みたいになっていて、素直に通れないのだが、それが向かい合わせになっていると
がっこん、とはまりこんでしまうわけです
趣味的には悪くない編成なんですが、仕事では嫌でしたね・・・ >>479
半島の東側では亀山〜新宮で、キハ35+キハ58とかザラだったな。もちろん客は偏って乗っていた。
>>480
さらにキハ56-213をアルコン色に塗り替えただけという増結車がいた。
もちろん車内はボックスシート。史上最悪リゾート特急。 急行べにばなも見た目はおかしくないがキハ58×4+キハ28とかで58多くないか?と思った。
しかも同じ路線を走る快速仙山に質、速さともに劣るし。
あと奥羽線にED75+50系+旧客+ED75のPP編成もいたな >>488
御存じかとは思うが、仙山線の急勾配33.3‰を乗り切るのに2エンジン車
のキハ58を優先して入れないときついのよ。
他にも33.3‰抱える何線区かはキハ58のみとかで組んでた。当然非冷房。
キハ28は、一部車両に冷房車が入るとき、冷房電源対応のためやむを得ず…。 リアル消防時代の話だからかれこれ40年以上前の話だが、ある日の午後、山陽本線に何とも不思議な列車が走ってくるのを見掛けた。
青塗のEF58を先頭に湘南色の20m車1両、その後数両の黒い2軸貨車と言った編成だった。
今にして思えばあれはセノハチで153系の控え車になっていたオヤ35を幡生工場に回送する配給列車だったのかな? 編成だけ見れば普通かもしれんが只見線の
キハ23+キハ35+キハ52とかの普通列車。豪雪地帯なのにデッキ付き一両もねぇ。 >>483
中央快速線は必ず塗りなおしてから運用してたから、よそじゃないかな。
武蔵野線なら、6両時代に4色混成(鶯以外)があった。
京浜東北でも、先頭だけ青であと全部鶯とかね。
>>491
まあ上越線でもデッキつき普通列車ってなかったからねえ。 72系が走っていた頃の横浜線で
Tc+McMc+TcMTMc(McTTMc?)
という編成に乗ったことがある。もちろん先頭のTcに乗りました。 運転台付きの車両が頭を突き合わせるのではなく、同方向に連なるのには結構ときめくね!
電車では国鉄時代の旧型電車にはそんなに珍しくなかったが、新性能系列になってからは稀だったからね。
そんな中で中央線の「アルプス」の165系は、松本方にTc+Tc+M'+Mc…という付属編成があって、
これが愉快に見えたな。
気動車でも、片運転台の車両が同方向に何両も連なるのもたまらなかった!
4両くらいは見たことがあるが…。 >>494
113系11連時代の総武線快速、なぜか付属編成のクハが2両とも東京向きになっていて、
基本編成と付属編成クハが2両続けて同じ向きを向いている編成を見たときは驚いた
そのときはカメラを持っていなかったため記録には残っていないけど、今思うと
幻のようだった >>480
ノースレインボーの珍編成と言えば中間にキハ182-100が入った6両編成や、
キハ182-0を2両組み込んだ7両編成ってのもあった >>494
晩年の急行「比叡」は165系8両の運用で、8両中6両までが運転台付き車両の事があった。 >>497
こういう編成だ(1981.11.23)
Tc'164-5+Mc165-50+M'164-509+Tc165-177+Tc153-515+M153-65+M'152-65+Tc'164-8
>>491
東北本線盛岡口にもキハ52とキハユニの編成とかあったな。好摩まで客レにぶら下がってると
暖房が効かないこと効かないことw
廃止から15年くらいたって701系電車が投入されて東北にデッキなしなんて寒いとか喚いてた鉄オタが
地元の利用客の失笑買ったのも遠い過去か…。 カオスったら、35や新車が入る前の関東鉄道常総線では?
だいたい幌が無くて、幌が無いからどんな繋ぎ方したって良い訳で、何でもあり状態。
名鉄で、パノラマと5500の混じったのを見た事があったかな。
よくもまあ繋いだものだと感心してました。
>>502
名鉄はそうゆう編成のオンパレード
別に珍しくは無い 7000の特別整備は2両ずつ実施したので、抜けた箇所に5519-5520を繋いでいた
その他、事故車修理中に先頭1両だけ5500に差し替えたのもあるらしい
(ヲタ雑誌の名鉄特集に、写真があったような)
最近ではそのような珍編成は少ないが、強いて言うなら6750の1次車+2次車ぐらい? >>502
パノラマ7000の電装・ブレーキ機器系は、5500系で先行採用されて実績のあるもののキャリーオーバーで、
7000登場時に台車だけコイルバネからエアサスにグレードアップしたのだ。
だから5500系は、7500および偽セミパノラマ7300は無理だが、7000、7700とは併結可能だった。 カオスじゃないが
名鉄揖斐線で見た旧愛電のスター3200と旧名岐のスター700の
ペアを見かけた時は感動したものだ。 名鉄の旧型車は存在そのものがカオスだからなあ。
600V線区なんざ・・・ 東海道東京口の冷房化率100%達成を最後まで阻んでいた静シスの111系
朝7時台に小田原行とその折り返し、11時台に浜松行として運転されていた
時刻表を見るとグリーン車マークの表示がなく、付け忘れかと目を疑ったが
車内放送では「この列車にはグリーン車、冷房車の連結はございません。」
だって
でも、浜松行きなのとモハ111/110のモーター音が好きでよく使った >>509
幼少時に揖斐線沿線に住んでいた俺もその光景を見てるはずなんだが残念ながら記憶にない
しかし雑誌等で見た写真から受けるのは、垢抜けない名岐に対してスマートな愛電、と言う印象。
でもそのコントラストが見事。知ってか知らずかこの組み合わせを考えた担当者は神w S55年頃の名古屋第一機関区持ちの急行かすがと平安。
キハ57+キハ65+キハ57
3両だけど気動車急行ではきわめてまれなオール空気ばね車だった。
名古屋第一機関区のキハ57はたいていキハ58と区別なく使われていたが、
かすがと平安だけは必ずこの編成だった。 >>514
名古屋第一の厄介者をまとめた編成かもしれん。
朝武豊往復+奈良or京都往復だけの運用だったはずだから、走行距離が短く、難所が少ない。
カオスと言うほどではないが、昭和52年夏の四国でのこと。
急行「土佐」が所定では
<キハ65|+<キハ58|キロ28|キハ65|キハ58>
のところ、あたまの<キハ65|(1両の独立運用)が<キハ58|になっていた。
冷房電源がないので、当然冷房は使えず。
デッキからの扉部分に「冷房は故障のため使用できません」の張り紙があった。 湘南色153系+修学旅行色159系+新快速色153系の3色混合編成。
S55年4月に中京地区快速(大垣電車区)に存在した。 名古屋駅中線に留置されていた、背中合わせに連結された2両のクハ165。
この2両だけで単独走行できそうに見えるので、思わず苦笑した。
ほとんどのクハ165はMcと逆向き(偶数向き)だが、当時大垣電車区には数少ない
MM'165が配置されており、奇数向きクハが存在したから実現したのだろう。 >>516
持ってきたよ
ttp://www.ne.jp/asahi/hekkai/rail/mando/mando-4.htm
カルダン車とツリカケ車の組成って実際にあったんですか?
名鉄であったような? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています