オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 >>264
連結、運転は可能だったはず。
抑速が使えなくなるだけ。153+165なんてのが実際に走ってた。 >>277
165系サハ改造のサロは「サロ110-501」。
さらに165系サロ改の「サロ110-401」もあった(サロ112にクリソツ) 碓氷峠末期、EF63X4+EF62の5重連に旧客は概出?
10パンタ上げは壮観だった。 >>278
>>195のレスにある中京地区の編成にも165+153の混成があったな。
快速や急行「比叡」に使われていました。 >>261
181系の耐寒耐雪工事の期間、485/489の代走あり。
183-1000登場と同時期。
489「とき」は、RF誌の1976/1にも載ってた気がする。
その写真はボンネットだったと思う。
逆に、181・183の混結など聞いたこと無い。
因みに、千マリの183-0が1982/11改正直前の混乱期に「とき」に
使用された。カオスネタではなくてすまん。 >>279
国鉄改革のドサクサのせいか501は車掌室設置しなかったのに
サロ111でなくサロ110に編入されたんだよね
前述サロ180改造の301は便所の位置に扉を増設した為便所が無かった ttp://diaclone.net/orid/diatr/sprobo01.jpg >>283
さらに特急サロ改造サロ110は304以降のサロ183改造車もトイレ潰して
扉を付けたのでトイレなし。サロ489改造車の351〜もトイレを潰した。
横須賀線仕様のサロ110-1300は304以降同様。サロ481/489改造車の
1350番台は何とまちまちで1355まではトイレを潰して扉付けたが1356〜1358は何故かトイレがある。 >>279
「サロ110-401」は窓の改造後だったのが残念だったな。
一段下降式のままなら存在感抜群だっただろうに。
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カオスな編成ですか・・・
小田急の 4000 3連 + 1800 2連
かな。
おまけに 2度 脱線したし。 酉は今でもカオスな編成を作ってるよな
国鉄型はしょうがないとしても関空/紀州路用223なんて中々カオスの素質があると思う
>>290
一時やくもが結構酷かった記憶が。
色ぐらいそろえようぜ・・・ 7〜8年ぐらい前か?能登編成が
←長岡方 上野方→
白山色5両+国鉄色4両
たまたま尾久で見かけて我が目を疑った。
もちろん夕方のホームライナーにも充当。
クハ481ボンネット編成の北近畿はいかが?
HMは手書きだったけど。 >>289
脱線前までは、毎日見れたのですけどね
ちなみに、正確には脱線した編成は
4000系3両+4000系3両+1800系2両
この6両目の4000のTc車です
2回の脱線の翌日から、併結中止でした キハ20+キハ55+キハ35+キハ58800番台修学旅行色+キハ17+キハ28
昭和50年筑豊。 >>296
前の方でも書いているけど、気動車の凸凹編成はふつうだからね。
車体こそ異なっているけど、下回りは電車以上に統一されている。
エンジンがタテかヨコか1つか2つかの違いだけ。
模型で言えば、同じ下回り使って、車体だけ載せ変えたようなものだな。 快速南三陸で東北色キハ40系+飯山線色の青のキハ58系なんてあったなあ。 特急「有明」の水前寺乗り入れはまだ出てない?
DE10+ヨ28000+783系ハイパーサルーンで非電化の豊肥本線乗り入れ
しかも普通列車扱い。
DE10は国鉄特急色だったこともあったな。
>>300
俺が水前寺駅に見に行った時はキハ31の代走だったorz 松本駅で偶然見たのが
クモハ165‐モハ164‐クモハ105ー500‐クハ105‐クハ165
105は奈良・和歌山線用の編成。
改造した長野工場からの回送編成。このままで現地へ行ったのかは分からない。因みに165は松本区の編成だった。 幕張区113系の大井工出場で
クハ111+クモヤ143+クモヤ143+クハ111
クモヤで挟み込むのはよく見掛けるけど、このスタイルは珍しいと思う。 >>303
編成組みなおす時えらいめんどくさそうだなw M車がわりだね。ATCかなんか更新して試運転してたんじゃ? >>302
確かそれって、165系のヒネ転属も兼ねた回送じゃなかったっけ?
>>306
いや当時は、165系アルプスがまだまだ基本編成8両の時代だったから、それはない。 >>306
105系は死重扱いで、165系が牽引車となって天ヒネまで行ったんじゃないかな。 電化前の架線がない山陰本線二条駅のプラットホームに停まっていた、DD51牽引による485系回送電車。 オイオイそんなこと言うなよw
その編成、俺もみたが165系がヒネに転属し始めたのは次の年くらいだったから転属を兼ねた新製回送ってのは間違い。それと105系改造は、長野工場でもやっていたので165系が控え車だとしても不自然ではない。 >>313
あ、控え車扱いだったのなら納得ですわw
そういえば、105系投入予定の和歌山線奈良線の電化開業は1985年、紀勢本線への
165系投入が1986年・・・・・・
>>284
583系色の485系
スカ色の153系
交流色のEF65PF
テカテカのDE10
ドクターイエロー色の200系
鋼製なのになぜかシルバーメッキな0系
だよな。
TFではぜんぶ連結してたんだぜw
阪急には5200+2800やら5000+2000やらあったのに話題に上ってないなー
普段使いが阪急だとカオス編成とは殆ど無縁。最新ならキセ更新のお陰で5300系がカオスの様相を呈してるが、懐かしでもなんでもないしw
伝聞だが、ある日の広島支社のとある支線、三両編成の電車。
105系三扉+四扉+123系二扉
…今でもやってるのかもしれないが、多分3両編成で全車両扉の数が違うってのは前代未聞…? 常磐線ネタであるが…。
クハ411-1500+モハ415-1500+モハ414-1500+クハ411-1600+クハ401-47+モハ401-24+モハ400-24+クハ401-101
という、1989年の夏にあった編成が最強かと…。 常磐線といえば、各地から寄せ集めた中古103系の4色混合とか思い出すな。
緩行線から快速にシフトした1000番台が塗装そのままで、乗り間違える奴もいたっけ。 相鉄の3000系+3010系や3010系+6000系。 小田急のVVVF1000系と抵抗5000系の混成も今思えばカオスだったな。 ttp://imagepot.net/view/124524574563.jpg
新幹線開業直後くらいの大宮。
カオス度足りないかな?w >>321
いやいや貴重な写真です。
このスカ色は中央線に転属予定のモハユニットかな?
確か、57年以降、中央東線にモハユニットが導入されたはず…
>>320
外出かも試練が、小田急と言えば旧4000系(吊り掛け)+1800系
脱線続きで消滅したが。
今考えると、急行アルプスで見られた付属編成クモハ165+モハ164+クハ165+クハ165も今思えばカオスかも…
でも北海道に逝けばキハ283の3連荘とかあるか。 >>319 釣られてみる。
3010+6000は無かったと思うが。昭和57年までブレーキが違ってた。
それ以降にもつながってるの見たこと無い(幌枠)も違う。
>>320
今でもふつうにある。 そうだったとしても、それがカオスだったとは考えにくい。 103系時代の山手線のMM'911〜913の編成
末期は一部が冷房化されたが、両端のクハ(本来なら冷房車)も含めてオール
非冷房編成だった。 >>292
いつかのファソに載ってたなぁ
確か白山・能登編成が故障、国鉄色編成で代走したら減光が効かず苦情が出て折半編成にしたんだったっけ 後藤工場の出入りにはそんな片運転台車両の単行がたまにあるらしいね。
後ろに反射板を付ければ本線も走れるらしいけど、確かに何か“マヌケ”な絵だな。
そう言えば、JR北海道の183、283系気動車の一に簡易運転台を設置した車両があるね。
札幌駅での増結手配の際に利便性を高める目的で設置されたと聞いたが、
実際にその車両が先頭に立って手稲−札幌の本線上を走ったことがあるのかな?
雑誌の写真でも見たことないんだが。
もっと昔に遡れば、国鉄時代の特急や急行用のサロなんかに、やはり簡易運転台があった。
こちらは主として電車区内での編成変えの際に使われたから、あれで本線を走ったことはないんだろうけど、
砲弾型ヘッドライトを輝かせたサロ165を先頭に走って来るのを見てみたかったね。 >>102
14系500番台寝台車の製造が間に合わなくて、
半年近く14系座席に10系寝台くっつけてた北海道内夜行急行が最凶だろう 国鉄時代キハ58が単行の尻切れトンボで回送されていたのが
目が点だったな 16m+19.5m-19.5m-16m+20m×6
という小田急2400+一般車の、ごくありふれた分割急行
4両が本線、6両が江ノ島線というのも今となっては懐かしい ブルトレの帯の色ってそろえてほしくない?
今や白銀金混結なんて当たり前…。 >>322
増発短編成化のために抜かれたサハ代用クハの代わりとして、
中央8連から引っこ抜かれてきたサハ車でございます。
あおりで、中央線の115系8連固定は6連or3+3に 土讃線(ときの土讃本線)入明ー円行寺口間で遠方から見たこともない赤い凸型の機関車を先頭に貨物列車が走ってきた。
その初めて見る赤い機関車の後ろには従来のC58型のSLが。
箱型の赤い機関車ならば見たことがあるが、凸型のそれは初めて目撃して、何とも異様な光景に、子供心に写ったもんだったが…
横にいた物知りの友人に「おいおい、あれ、一体何な?」と聞いてみたら、
「あれはディーゼル機関車とかいうもんよや!」との返答。
「もう、後ろに繋いであった蒸気機関車は、近いうちに無くなるんやと」
「そんなら、四角い赤い機関車は何機関車いうがな?」
「あれはよにゃ、電気機関車ゆうもんよや」(確かにこちらは電気式の機関車だ!)
…このとき、世情に疎いどこかのアホガキが初めて「ディーゼル機関車」という名称を耳にして覚えた瞬間でもあったのでしたぁー。 >>335
四国はDF50王国やったもんな。
「ディーゼル電気機関車」と表記していた雑誌もあった。
わしのカオスは南海本線
モハ2001型4連+サハ4801型(国鉄乗り入れ客車) 湘南モノレールの2編成連結を見たことあるのは俺だけだろう。
先行列車で車両故障が発生のため駅間抑止を食らったのも湘モノとしては
レアな経験だったが、富士見町のすれ違いで5両編成の列車が現れてびっくり。今から20年以上前のお話。 まだ国鉄時代に多種多様の貨物列車が走っていた時代。
家の近くの横須賀線にもEF10が牽く貨物列車が日に何本も走っていた。
時には40両に達するような長編成もあったが、稀荷扱いが休みなのか、
車掌車やワフが1両だけ大きな機関車の後にぶら下がっていたのが滑稽に見えた。
ダダダダダダ タンタン
…えっ?それだけ?って感じで。 よく線路際で貨物列車を見ていると
戦車、というかタンクを積んでいることがあった。
貨物列車がなくなった今、どうやって移動しているのだろう。 深夜の国道某号線のタンクを載せたトレーラーを阻止しようとする
団体ともみ合いになり…みたいな新聞記事を昔読んだ気がするが。
むしろ列車に積むのは特別な訓練の時だけでは。
俺はどっちも見たことない。 >>342
車両限界を超えてしまうので90式の鉄道輸送は無理。 京成3294FがVVVF化した当時のある日、上野寄りに3150形抵抗制御車をつないで6両で来たのは驚いた。
だが、末期になり、抵抗制御の3298Fの千葉寄りにVVVFのモハ3292+クハ3291をつないだ編成が現れたのはさらに驚いた。
オールMで製造された3000系列最初で最後の5M1T編成だった。
V車って1Mでも走れたのかと妙に感心したものです。 >>344
3293のVVVFが亡くなったから。既に製造すらしてなく部品の供給困難で
もう修理不可能だった。3295〜3298がリバイバル開運号や赤電色で
最後は全うしたのとは対象的にひっそり消えていった。
しかもこの編成は爆弾編成同士の最悪な組み合わせ。
3291〜は前々ブレーキダメダメで3295〜は逆にブレーキ激強だった。 北斗星運行開始前に北海道で
スハフ14+スシ24+スシ24+スシ24+スハフ14の団臨あったと思うが、今考えると電源問題無かったのかな? >>347
一般企業の慰安旅行だったはず。
スハフは荷物置き場と化し、ほぼ全員食堂車に集まって宴会状態だったとか。
80年代初期の奥羽本線にて、ED75+青茶混合の旧型客車+国鉄急行色+タラコ色DCの混合列車を見た。
編成全部入るように広角レンズで撮ったが、ネガ紛失…。 >>349
雑誌で見た限り、2度可能性あるよ。
はじめは、ヨの待遇改善でヨ8000新製回送。
次は、車掌車省略で、一斉疎開回送。 >>351
多分後者だ。FE58って、、、、orz
うつだm高速貨物にぐもらレ手雇用。 上の方にもあったが、国鉄末期の千葉113系
TcMMTc4連 阪和+スカ+スカ+阪和 編成は衝撃だった。
後に一時期、湘南+スカ+スカ+湘南 編成と先頭車の差換えをやって
阪和+スカ+スカ+湘南 と 湘南+スカ+スカ+阪和 編成になった時には、さらに衝撃w
併結8連になった時は、無駄に狂喜乱舞してたな
昭和52年の夏、リアル消防時代、初めての九州旅行で見た編成
ED75+ED73+ED75+ヨ8000×20両位+ヨ5000
初めて見る赤い機関車と相まって、かなりな衝撃を受けましたよ。 >>353
関西線電化時も色変えが間に合わず、関西+湘南*2+スカ*2+関西 とか。
中には、MM’の1号、2号 TC’の301号なんてのもいましたし。
つい最近まで日根野に混色編成がいて、4塗色8連運用もあったです。
ヨ8000は54年頃まで新製してたから、出場回送ですね。
>>346
シは2両分で計算すると聞いた記憶がある
それを元にすると8両だからOKじゃない? >>346
スシ24も湖西線で似たような編成を組んだ事がある。 >>353 354
内房線で阪和色113に乗った学生時代
「禁煙 天王寺〜和歌山」「指をつめないように」のステッカー
1987年くらいかな? 「珍ドコ列車」の編成。
1999.6.10
↑倉敷
EF58 150[梅]
10 マイテ49 2[本ミハ](展望車)↑
9 スハフ12 702[広コリ](レトロ風客車:明治風)↑
8 オハ14 254[広ヒロ](リゾート客車)
7 オハ12 247[広コリ](急行用客車)
6 スシ24 3[本ミハ](食堂車:非営業)
5 オハ14 701[広ヒロ](ホリデーパル用サロンカー)
4 オハネ25 203[広セキ](特急用寝台車)
3 スハフ14 25[広ヒロ](特急用客車)↓
2 オハ12 701[広コリ](レトロ風客車:欧風)
1 オハフ13 701[広コリ](レトロ風客車:展望車風)↓
↓岩国
★EF61 210[広](広島→西条)
※全車指定ですが、号車指定の定員制として発売されています(但し、1、5、6号車は定員外)。
また、指定制ですが、指定席料金はかかりませんでした。実際の指定券には、
[急行券・指定席券]として発券され、料金は「¥*** 内訳:急行料金¥0 指定席¥0」
と印字されていました。 カオスと言うか、
こんな編成はイヤだ。真夏の悪夢編。
急行[平戸]の通常編成はキハ65を2両のキハ58で挟んだ3連が基本で、もちろん
全車冷房付きだったのだが予備車不足か、マレにキハ55込みの3連になる事があった。
キハ58の代走なら良いが、キハ65の代走に入られると悲惨。
しかも、最も暑い旧盆頃に入られる事が多かった。
推測だが佐賀経由急行の増結か、臨急に引き抜かれてたんじゃ無かろうかと思う。 1985年頃だと思うが、武蔵野線には3色、4色、5色の混合編成が多数いた。
6連のうち前後のクハ以外は全部違う色というのが多かったが、さすが6色は
なかったな。モハユニットも別色というのが結構多かった。
ただ、さすがに恥ずかしいと思っていたのか転属後2週間くらいで、どんどんオレンジに
塗り替えられていた。 ヤマケイの写真集のおかげで
南武線と横浜線は混色がデフォなのだと思っていた まだ紀勢本線が非電化だった頃、和歌山−新宮の普通列車はキハ35系が主力として使用されていた頃があった。
関西本線電化で大量に余ったキハ35系を転用した訳だが、和歌山−新宮を通す長距離運用があったりして、
ロングシートのキハ35系で長時間乗車という当時では“破格”の扱いに、
“怖いもの見たさ”で乗ってみたかった記憶がある。
今でこそ、列車としての長距離列車はなくなっても、
乗り継ぐ列車の全てがロングシートというケースが増えてそんなことも珍しくなくなったが、
当時は“ロングシート編成が長時間走る”ということで十分インパクトのある編成だった。 >>365
批判ですぎて、キハ45を一両だけ混ぜるっ、とかしてたんだよ。 >>363
当時6連の武蔵野線だと、電動車2ユニットとT(Tc)2両の
4種混合までしかなかったはずだが。 客車末期の和田岬線で、ピンチヒッターだったのかどうか知らないが、兵庫寄りの一両がボックスシートの編成に乗ったことがある。確かオハフ33だったと思うんだけど。 >>364
少なくとも一時期のハマ線は混色がデフォだった >>368
確か、通常の和田岬線予備車はスハフ42だったな。 >>360>>361
1989年か。
バブルに咲いたあだ花の一つだな。 F誌に出てたが165系×3+クモヤ143+381系×3のミステリー列車?
みたいなのがあったなすw いつ頃か覚えてないけどやまぐち号客車2両が九州を走った事があったはず
ED76+オハフ13+スハフ12(?)
なんて編成だったと思う >>354
今でも京キトの113でこんな編成が。
[カフェオレ-湘南-湘南-カフェオレ]+[湘南-カフェオレ-カフェオレ-湘南]
どうも検査期限の関係らしいけど、ちょっとねw
昼下がりですいてる時だと編成中の乗車率が偏ってるww 昔の客車列車もいろいろな車が繋がっていたな。
急行型ブルーのスハ43やナハ10に混じって茶色のオハ35にオハ61なんかも混じっていたり…。
播但線や下関方の山陰線では、超ロングシートのオハ41なんかもあったりして! 昔小田急で見られた2200系列による
2+2+2+2+2の編成
互いに非貫通(貫通幌がついていない)で、ブツ10などと呼ばれていた
今小田急で見られる異系列による6+4の10連も
他所からみれば相当カオスな編成に見えるだろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています