オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 幕張でかなり前科がある小山から借り入れた115系。
極初期非冷房 極初期冷房車から300番台まで入れた前科も。
しかもご丁寧に極初期非冷房と極初期冷房車は偽113系塗装までした。
(300番台は湘南色のままで塗装せず)
極初期車は113系が冷房改造する関係で車両不足の穴埋めが目的。 >>235
房総地区への115系の応援は
千倉電化初年の臨時急行「うち房」というのもありましたね
その逆に、E217系によって余剰となった113系1000番台が
こんどは小山に転じて湘南色、それも車両によっては
偽115系の前面塗り分けを纏ってE231が登場するまで数年間活躍
>>210
旧線時代の北陸本線木ノ本〜今庄では当たり前だった…
既出だと思うけど、東京駅で銀河にトワイライトの電源車を見た時は焦った。
>>230
>>238
俺の24系電源車知識は国鉄ブルトレで止まってしまっていた。
不勉強でスマヌ。
そしてご親切ありがとう。>>238
24系24形が2段化改造する時に、オハネフ24の入場で乗務員室のある車両が足りなくなるが、スハフ14やスハネフ14は引き通し線の関係で組み込まれないがどうやって解決したのか気になる。
予備車を使ったのかオハネフ25をどこかから借りて使ったのか。
あと、カニ24故障でカヤ21を使った末期のつるぎにビクーリした。
20系と24系の引き通し線が同じだろうか。 海外かつ実際に見たわけじゃないけど
これを上回るのは結構難しいンじゃないだろうか…?
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=vhd7IdDP3A8
概出だったらゴメン! 寝台特急「つるぎ」や「みずほ」などでは、ときおり最後尾のスハネフ14などが、
妻面を見せて逆向きに連結されていることがあった。
機関車に牽引されるときも、スハネフの乗務員室が機関車と向かい合うのではなく、
妻面と向かいあったりしていた。
>>195
クハ155や、クハ159には車内(客室)に速度計が残っているのもあったなぁ。 >>242
復興+PP自強+キョ光で30両以上か。 ある鉄道誌に阪和線内の踏切事故で、床下機器を損傷して走行不能になった381系が
EF15に牽引されている写真が載っていた。
>>236
小山の113は確か限定運用だったよね。 >>246
あれは代走のカニ21を返却するときに24系の前に連結しただけだったかと。
ところで、今更珍ドコ列車の編成が気になりだしたんだが、知ってる人いる? >>239
検査か車両不具合の関係か、逆にトワイライト編成に「銀河」などで使っている
カニ24ー100番台が付いてた事もあったな。
テールマークも「トワイライト」のモノが表示されてた。 >>230
JR西日本の電源車をJR九州持ちの九州特急用に使うってどういうやりくりしたんだろ? 3年くらい前だが、武蔵境で真っ白な201系4連回送を見た。あれは一体・・・(?_?) 数年前に川崎貨物〜東京(タ)を走ったEF65PF+マニ30×2両だな
まあカシ釜+DD51842+マニ30+マニ50というのもマニ30運用末期にあったが
あと相模線電化関連工事で相模貨物〜茅ヶ崎間をソ300が単独自走という
ネタを運転報で見たときは目を疑ったが、実際に雨の中黒煙あげ45キロ走行を
見たときの衝撃はことばにならんかった >>238だが、よく考えてみると、>>250と同じ疑問を感じた。
それから、カニ24 500の所属は東日本。
私の想像(妄想)は上りで電源者故障。
↓
九州所属車の変わりに東日本所属車を連結。
↓
下り列車で九州行き
↓
ヲタに発見されるw 1993年の夏に旅行中の長崎市内で見た、みずほ 長崎行き
スハフ+オハネ+オハネ+スハフ
前々日の佐世保発さくらが大雨で運休。長崎発のみで東京まで運転した模様。
東京着後、予備をひっかき集めて付属編成の代わりを作ったらしい。
前々日に振替輸送云々というアナウンスを博多駅で聞いていたのだが、
そんな事すっかり忘れて長崎市内観光に興じていたので、写真は撮れず。
外から見た目、ヒルネ客にスハフは好評のようだった。 国鉄の労使対立の影響による大幅な遅れで、車両の運用が困難となり、
14系座席車+20系客車で運転された上り寝台特急「富士」 1977年頃の東急目蒲線にて。
デハ3715 + デハ3607 + デハ3462
オールMでしかも142kw×4の3607が入っていたために、異常に加速が良かった。
多摩川園前(当時)→田園調布の25‰勾配では、同時発車した8000系を起動からぶち抜いていた。 >>259
それだと、東洋TDK528(112kW)、国鉄形MT40(142kW)、日立HS266の低出力形(94kW)で、
これだけパワーがバラバラなのに併結運転できるシーケンスにも呆れるが、
一体どんな乗り心地だったんだろう。
各車毎の進段状況をつぶさに観察したくなるような組み合わせだ。 本当かどうかわからないが、漏れの友人が1975〜82年頃に片方の先頭車がボンネットで片方が電気釜の「とき」を目撃したことです。
「編成にクハ181とクハ183が入っていた」と友人が証言。
181系と183系の混結が可能だったでしょうか?
何かの都合で、仙センの485系(ボンネット+(中間車)+電気釜もあった)を借りたことが実例にありましたか。 >>261
基本的に国鉄型の電車は何でもありだろ
やるかやらないかの違いだけで >>256
251ではないが、な〜るへそ。
俺は午前中の東海道線を逝く青い113系4連×2をみて驚いたぞ。
だいぶ経って伊豆急に売られたヤツだと知った。
伊豆急では走ってるとこ見ずじまい。カオスじゃなくてゴメソ >>262
181と183は制御回路が違ったと思う。基本的に連結(制御)できないはず
485じゃないかい? >>264
ありゃ、そうなの?
それはスマンカッタ >>262
旧型国電と新性能車ごっちゃにしてるだろ? そう言えば上越新幹線開業直前だったときの末期はときが廃止されたら485系に
するための前提にわざとサロ481-1000車体にしたサロ181があって
このせいで編成美がめちゃくちゃになっちまった181系もあったね。 >>267
その「とき」が廃止された後、
クハ180と181が九州に渡り、485系に編入されて凸凹編成が出来た。
その編成が下関「にちりん」の運用に入り、交直切り替えスイッチが無く、
門司で直流区間に行けない事が分かり運転打ち切りになったのは有名な話。
>>268
一時期クハ180改造車はクモハ485+モハ484のユニットと組んで増結専用になっていた。
それを3両又は5両編成の有明に繋げて、改造先頭車だらけと言うカオスな編成で走っていた。 >>267
どっちかというとサロ481-1000に181系用の引き通しをつけた という見解になると思われる >>267
その車両、一番古い形式(原型サロ181は1958年製しかない)で既に消滅していた「サロ181」をわざわざ再び使ったという点もカオスだね。 出始めの頃の東急7600。
目黒方に色んな7200系くっ付けてた記憶があるんだが。 >>263
今の姿。
つttp://img37.gazo-ch.net/bbs/37/img/200904/348620.jpg
ちょっと逝くのが遅かったか。。 >>273
ATSーPを安く入手するためにポンコツを買った。って噂は本当なんだろうか? >>267-271
サロ481からサロ181に改造された車両もあったね
しかも上越新幹線開業後1両残っていたサロ180と共にサロ110に改造編入
東海道線でも凸凹編成組んで活躍 >>276
「特急車改造サロ」は(東海道編成では)静シスに集中配置されたよね(後にJR移行に伴い東コツに移籍)。
同様に静シス配置の改造サロには165系サハから改造の香具師(サロ110-350)もあったな。
8号車の「代用クハ」同様旧静シス編成はカオスっちゃぁカオス。 >>264
連結、運転は可能だったはず。
抑速が使えなくなるだけ。153+165なんてのが実際に走ってた。 >>277
165系サハ改造のサロは「サロ110-501」。
さらに165系サロ改の「サロ110-401」もあった(サロ112にクリソツ) 碓氷峠末期、EF63X4+EF62の5重連に旧客は概出?
10パンタ上げは壮観だった。 >>278
>>195のレスにある中京地区の編成にも165+153の混成があったな。
快速や急行「比叡」に使われていました。 >>261
181系の耐寒耐雪工事の期間、485/489の代走あり。
183-1000登場と同時期。
489「とき」は、RF誌の1976/1にも載ってた気がする。
その写真はボンネットだったと思う。
逆に、181・183の混結など聞いたこと無い。
因みに、千マリの183-0が1982/11改正直前の混乱期に「とき」に
使用された。カオスネタではなくてすまん。 >>279
国鉄改革のドサクサのせいか501は車掌室設置しなかったのに
サロ111でなくサロ110に編入されたんだよね
前述サロ180改造の301は便所の位置に扉を増設した為便所が無かった ttp://diaclone.net/orid/diatr/sprobo01.jpg >>283
さらに特急サロ改造サロ110は304以降のサロ183改造車もトイレ潰して
扉を付けたのでトイレなし。サロ489改造車の351〜もトイレを潰した。
横須賀線仕様のサロ110-1300は304以降同様。サロ481/489改造車の
1350番台は何とまちまちで1355まではトイレを潰して扉付けたが1356〜1358は何故かトイレがある。 >>279
「サロ110-401」は窓の改造後だったのが残念だったな。
一段下降式のままなら存在感抜群だっただろうに。
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|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
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カオスな編成ですか・・・
小田急の 4000 3連 + 1800 2連
かな。
おまけに 2度 脱線したし。 酉は今でもカオスな編成を作ってるよな
国鉄型はしょうがないとしても関空/紀州路用223なんて中々カオスの素質があると思う
>>290
一時やくもが結構酷かった記憶が。
色ぐらいそろえようぜ・・・ 7〜8年ぐらい前か?能登編成が
←長岡方 上野方→
白山色5両+国鉄色4両
たまたま尾久で見かけて我が目を疑った。
もちろん夕方のホームライナーにも充当。
クハ481ボンネット編成の北近畿はいかが?
HMは手書きだったけど。 >>289
脱線前までは、毎日見れたのですけどね
ちなみに、正確には脱線した編成は
4000系3両+4000系3両+1800系2両
この6両目の4000のTc車です
2回の脱線の翌日から、併結中止でした キハ20+キハ55+キハ35+キハ58800番台修学旅行色+キハ17+キハ28
昭和50年筑豊。 >>296
前の方でも書いているけど、気動車の凸凹編成はふつうだからね。
車体こそ異なっているけど、下回りは電車以上に統一されている。
エンジンがタテかヨコか1つか2つかの違いだけ。
模型で言えば、同じ下回り使って、車体だけ載せ変えたようなものだな。 快速南三陸で東北色キハ40系+飯山線色の青のキハ58系なんてあったなあ。 特急「有明」の水前寺乗り入れはまだ出てない?
DE10+ヨ28000+783系ハイパーサルーンで非電化の豊肥本線乗り入れ
しかも普通列車扱い。
DE10は国鉄特急色だったこともあったな。
>>300
俺が水前寺駅に見に行った時はキハ31の代走だったorz 松本駅で偶然見たのが
クモハ165‐モハ164‐クモハ105ー500‐クハ105‐クハ165
105は奈良・和歌山線用の編成。
改造した長野工場からの回送編成。このままで現地へ行ったのかは分からない。因みに165は松本区の編成だった。 幕張区113系の大井工出場で
クハ111+クモヤ143+クモヤ143+クハ111
クモヤで挟み込むのはよく見掛けるけど、このスタイルは珍しいと思う。 >>303
編成組みなおす時えらいめんどくさそうだなw M車がわりだね。ATCかなんか更新して試運転してたんじゃ? >>302
確かそれって、165系のヒネ転属も兼ねた回送じゃなかったっけ?
>>306
いや当時は、165系アルプスがまだまだ基本編成8両の時代だったから、それはない。 >>306
105系は死重扱いで、165系が牽引車となって天ヒネまで行ったんじゃないかな。 電化前の架線がない山陰本線二条駅のプラットホームに停まっていた、DD51牽引による485系回送電車。 オイオイそんなこと言うなよw
その編成、俺もみたが165系がヒネに転属し始めたのは次の年くらいだったから転属を兼ねた新製回送ってのは間違い。それと105系改造は、長野工場でもやっていたので165系が控え車だとしても不自然ではない。 >>313
あ、控え車扱いだったのなら納得ですわw
そういえば、105系投入予定の和歌山線奈良線の電化開業は1985年、紀勢本線への
165系投入が1986年・・・・・・
>>284
583系色の485系
スカ色の153系
交流色のEF65PF
テカテカのDE10
ドクターイエロー色の200系
鋼製なのになぜかシルバーメッキな0系
だよな。
TFではぜんぶ連結してたんだぜw
阪急には5200+2800やら5000+2000やらあったのに話題に上ってないなー
普段使いが阪急だとカオス編成とは殆ど無縁。最新ならキセ更新のお陰で5300系がカオスの様相を呈してるが、懐かしでもなんでもないしw
伝聞だが、ある日の広島支社のとある支線、三両編成の電車。
105系三扉+四扉+123系二扉
…今でもやってるのかもしれないが、多分3両編成で全車両扉の数が違うってのは前代未聞…? 常磐線ネタであるが…。
クハ411-1500+モハ415-1500+モハ414-1500+クハ411-1600+クハ401-47+モハ401-24+モハ400-24+クハ401-101
という、1989年の夏にあった編成が最強かと…。 常磐線といえば、各地から寄せ集めた中古103系の4色混合とか思い出すな。
緩行線から快速にシフトした1000番台が塗装そのままで、乗り間違える奴もいたっけ。 相鉄の3000系+3010系や3010系+6000系。 小田急のVVVF1000系と抵抗5000系の混成も今思えばカオスだったな。 ttp://imagepot.net/view/124524574563.jpg
新幹線開業直後くらいの大宮。
カオス度足りないかな?w >>321
いやいや貴重な写真です。
このスカ色は中央線に転属予定のモハユニットかな?
確か、57年以降、中央東線にモハユニットが導入されたはず…
>>320
外出かも試練が、小田急と言えば旧4000系(吊り掛け)+1800系
脱線続きで消滅したが。
今考えると、急行アルプスで見られた付属編成クモハ165+モハ164+クハ165+クハ165も今思えばカオスかも…
でも北海道に逝けばキハ283の3連荘とかあるか。 >>319 釣られてみる。
3010+6000は無かったと思うが。昭和57年までブレーキが違ってた。
それ以降にもつながってるの見たこと無い(幌枠)も違う。
>>320
今でもふつうにある。 そうだったとしても、それがカオスだったとは考えにくい。 103系時代の山手線のMM'911〜913の編成
末期は一部が冷房化されたが、両端のクハ(本来なら冷房車)も含めてオール
非冷房編成だった。 >>292
いつかのファソに載ってたなぁ
確か白山・能登編成が故障、国鉄色編成で代走したら減光が効かず苦情が出て折半編成にしたんだったっけ 後藤工場の出入りにはそんな片運転台車両の単行がたまにあるらしいね。
後ろに反射板を付ければ本線も走れるらしいけど、確かに何か“マヌケ”な絵だな。
そう言えば、JR北海道の183、283系気動車の一に簡易運転台を設置した車両があるね。
札幌駅での増結手配の際に利便性を高める目的で設置されたと聞いたが、
実際にその車両が先頭に立って手稲−札幌の本線上を走ったことがあるのかな?
雑誌の写真でも見たことないんだが。
もっと昔に遡れば、国鉄時代の特急や急行用のサロなんかに、やはり簡易運転台があった。
こちらは主として電車区内での編成変えの際に使われたから、あれで本線を走ったことはないんだろうけど、
砲弾型ヘッドライトを輝かせたサロ165を先頭に走って来るのを見てみたかったね。 >>102
14系500番台寝台車の製造が間に合わなくて、
半年近く14系座席に10系寝台くっつけてた北海道内夜行急行が最凶だろう 国鉄時代キハ58が単行の尻切れトンボで回送されていたのが
目が点だったな 16m+19.5m-19.5m-16m+20m×6
という小田急2400+一般車の、ごくありふれた分割急行
4両が本線、6両が江ノ島線というのも今となっては懐かしい ブルトレの帯の色ってそろえてほしくない?
今や白銀金混結なんて当たり前…。 >>322
増発短編成化のために抜かれたサハ代用クハの代わりとして、
中央8連から引っこ抜かれてきたサハ車でございます。
あおりで、中央線の115系8連固定は6連or3+3に 土讃線(ときの土讃本線)入明ー円行寺口間で遠方から見たこともない赤い凸型の機関車を先頭に貨物列車が走ってきた。
その初めて見る赤い機関車の後ろには従来のC58型のSLが。
箱型の赤い機関車ならば見たことがあるが、凸型のそれは初めて目撃して、何とも異様な光景に、子供心に写ったもんだったが…
横にいた物知りの友人に「おいおい、あれ、一体何な?」と聞いてみたら、
「あれはディーゼル機関車とかいうもんよや!」との返答。
「もう、後ろに繋いであった蒸気機関車は、近いうちに無くなるんやと」
「そんなら、四角い赤い機関車は何機関車いうがな?」
「あれはよにゃ、電気機関車ゆうもんよや」(確かにこちらは電気式の機関車だ!)
…このとき、世情に疎いどこかのアホガキが初めて「ディーゼル機関車」という名称を耳にして覚えた瞬間でもあったのでしたぁー。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています