オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 >>180
一時山陰本線でDD51プラスオハフ50が1両の列車があった。 単端回送はちょっと前の伊予鉄では日常茶飯事…と言うとオーバーだが
今でもあるのかな? 30年くらい前の琴電はすごかった。
ゲテモノぞろいでまさに百鬼夜行。
今では、ほとんどが、元京急車と名古屋地下鉄車になってしまったね。
時の流れを実感する。 >>187
朝ラッシュの後にあるよ〜。
でも、車両入れ替えで消える予定。 40年くらい前、総武線をSLが東西線5000系を牽引してるのみたことあるよ。
新車らしくピカピカの電車とSLのミスマッチ、子供の頃だけどよく覚えてる。 >>179
>>183
総武線も気動車の回送はよくあったな。
新小岩に気動車の検修施設があったから、久留里線や木原線のキハ30などが
快速線を走る貨物列車の最後尾によく連結されていたのを見た。
連結器の関係で気動車は後に連結する必要があるようだけど。 ちぎれる(列車重量で前後に分断する)、って感じよりも、
非常ブレーキかけた時とかに、編成の重量が一気にかかって
押し潰されて折れる(座屈現象)、って方が心配で
そうしてるんだと思ったが。 >>189
京王3000導入で伊予鉄名物も消滅予定でつか
(´・ω・`) 80年代頃の中京地区153系の編成は楽しかったな。
153系湘南色、新快速色に155、159系の湘南色、修学旅行色などのごちゃ混ぜ編成だった。
153系は非冷房車もあったな。 153系の新快速で、新快速色に混じって中間Mユニットが湘南色なんてのも走ってたな。うちにその写真があるよ。 新快速に湘南混色はわりとよく見た。
クハだけ湘南ってのもよくあったよ。 >>193
機械式気動車時代の簡易連結器だと、自車1両分が精一杯だから最後尾連結が規定だったけど
液体式時代の密着自動になってからはどうなんだろうね。 >>198
連結器の問題より、193が言ってる様に座屈現象現象が心配なんだ。
貨車はたくさん連結して走るから、対策ができてるけど、気動車は、そんなこと
想定されて製造してないから強度的に問題があるんだ。
>>196>>197
昔の鉄道ファン見たら、153系新快速の6両編成で
京都寄り3両が湘南色、神戸寄り3両が新快速色の混色編成の写真が出てた。 古い鉄ピクに載ってたけど、キハ181系の特急「しなの」が車両故障を起こして、
D51に牽引されたり、名古屋よりのキハ181が故障で切り離されたため、DD51の重連が
「しなの」を牽引して走る写真が載っていた
どう見ても国外だったけど、
DLが前後だけでなく、中間にも入っていた貨物列車。 夕方、パンタグラフを下げた鹿児島市電600型が、連結棒でつなげられた
別の600型に押されて、勢いよく回送されていったのをかなり前に見た。 >>202
ドイツやスイスのペンデルツークでは、客車の中間に機関車が挟まっているのもあるね。
カオスではないけど、こんな編成初めて見たというのは
『あさま』と『こまち』 >>202>>204
井川線だって、編成ごと重連とかするとそうなってるじゃんw<中間DL編成 JR倒壊が臨時の名古屋球場前駅を設置していた頃、
80系気動車も動員されていて、キハが何両だったかは忘れたけど、
・・・キハ+キロ+キロ+キロ+キハ・・・
だった事がある。いつの鉄道全盛期の編成だw >>195
東京まで上ってきていましたな。
新幹線半日運休のときの東海52号やこまどり号とかで…
仙石線の2wayシート編成は知らない人が見たら
「赤だの青だのばらんばらんのをつないでいるなあ」
と思うのかもしれないな。 DD13牽引の貨物列車にC11の前補機がついているのを見たことがある。
煤煙を大量にかぶっても大丈夫なのかと心配した。 東武6050+6000+6000+6050
団体増結だか何かで二両増車だったと思う。子供心に変だなと思った。
あと鋼製通勤車の塗色変更期(クリームから白青)に真っ白な車両が紛れていることがあったな…青帯塗る暇がなかったらしい。 EF81+58654+50系客車
SL人吉の回送運転だからカオスもへったくれもないかもしれないが
それぞれの車両が本来活躍した時期から考えると、不思議な編成。 単端と言えば昔鉄道ファンで、エーデルの単端を後ろから撮った写真を見た。
以前山陰本線長門市で車両展示会があったとき、DD51+105系+381系+EF65+オハネフ25…の回送があったな。
展示回送絡みのネタはたくさんありそう。 あ、カオス編成といえば昔のウヤ情の「ユニーク列車PHOTOレポート」ってコーナーが好きだったな。 大昔の京王帝都電鉄本線で、塗装が緑一色の時代の話。
前後は運転台付きの当時の流線型のク(モ)ハで車幅もホームにぴったり。
窓も2分割で上に開ける、照明も蛍光灯。
中間に挟まった車両が車幅が狭くて乗降口に転落防止の踏み板がある。
窓は1枚ガラスで落とし込み、天井が折り上げで古風に白熱照明灯。
扇風機が無理無理後付け。
両端の扉がギリギリ端っ子に付いていて、
昔はそこに運転台があった風情。
>>212
田端の81なんて北斗星間合いのローカルでよく50系引いてたじゃん。 編成は整っていたが
所属表記がクハが仙センでサハが門ミフで
食堂車が秋アキでモハユニットの1組が盛アオだった
雷鳥3号@京都 >>30
昭和53年頃の盛岡駅 7:11発の沼宮内+大館行き539レの最後尾
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/08/15/19780716morioka03.jpg
ED7547+オハフ332394+オハ472255+オハ352869+オハフ613058+キハ52151+キハ5112+キハユニ2657
DC3両は好摩で切り離されて927Dになる。
なった理由は、『懐かしの国鉄現場(列車追跡リバイバル)(鉄道ジャーナル別冊No.37)』の
特集記事によると、朝と夕方に花輪線の列車が発着できるホームが無かったことと、
併結にしてしまえば見かけ上、花輪線分の列車運転キロは減るため、名目上『合理化』が進んだとされるので
一石二鳥だったと盛鉄局の説明がされていました。
なお、気動車の運転士と車掌は盛岡駅から乗務して客扱していきましたので、
とても合理化とはいえないものでした。 >>219
回送車だけど、新潟でも客車列車にキハをぶら下げてたらしい。
中央西線でも同様にあったらしく、風景がDVD(信濃のデゴイチ)に収められてる。 20年前くらいまでの名鉄AL車。
なまず+戦前型+偽パノラマ のブツ6とか、AL同士ならなんでもアリだったもんなあ。
あと何年かすれば、東京駅に寝台列車発着してたとか、
朝の通勤通学時に駅のホームにいたら寝台列車が通過してったとかさ、
『オマエラが見てきたカオスな列車編成』になるのかな・・・・・ ツリカケ車(旧3000シリーズ)時代の
東急目蒲・池上線もそのクチ。
たった3両編成で各形式の編成がマチマチ。
まさに毎日がカオス編成だった。 琴電の冷房車+非冷房車の編成かな
7月の終わりに築港駅に停まっていたから
怖いもの見たさで瓦町まで乗ったけど
乗った瞬間、体中から汗が噴出し
息をするだけで肺がやられていく感じがしたよ
福知山線。既出ならすんまそ。
<クハ+<クモハ-クモハ>+クハ> 南武線の有名なツギハギ電車
101系でウグイス・朱色・カナリア・水色・緑
よくこれだけ寄せ集めたな 211-1000、3000のクモハ-モハ-サハ-サハ-クハ
T車が3両連なるだけでも異様に見えたよ。 ところが当該線区にはT車4連続、さらに遡れば5連続なんて列車も走っていたので、
さほど珍しいわけでもないのであった。 「はやぶさ」が西鹿児島まで行っていた頃に見かけたカオス編成
ED76-1000が牽引
電源車がカニ24-500 17年位前までの東北地方で、50系・12系客車列車やキハ58・52の全盛時代では、
50系客車普通列車の最後尾に廃車回送の20系客車をぶら下げて、東北本線青森経由
で土崎工場まで回送してたり、
小牛田運輸区のキハ58一両を石巻・大船渡・一ノ関〜盛岡にあった普通気動車列車で盛岡まできて、
盛岡から花輪線を経由して大館〜鷹巣の普通気動車列車につなげて回送とかあった。 近鉄で同じ8000系6連だが、鋼製車+アルミカー4連+鋼製車が有った。 >>228-229
編成中間にT車(Ts含む)が6両連なる215系の立場は… 幕張でかなり前科がある小山から借り入れた115系。
極初期非冷房 極初期冷房車から300番台まで入れた前科も。
しかもご丁寧に極初期非冷房と極初期冷房車は偽113系塗装までした。
(300番台は湘南色のままで塗装せず)
極初期車は113系が冷房改造する関係で車両不足の穴埋めが目的。 >>235
房総地区への115系の応援は
千倉電化初年の臨時急行「うち房」というのもありましたね
その逆に、E217系によって余剰となった113系1000番台が
こんどは小山に転じて湘南色、それも車両によっては
偽115系の前面塗り分けを纏ってE231が登場するまで数年間活躍
>>210
旧線時代の北陸本線木ノ本〜今庄では当たり前だった…
既出だと思うけど、東京駅で銀河にトワイライトの電源車を見た時は焦った。
>>230
>>238
俺の24系電源車知識は国鉄ブルトレで止まってしまっていた。
不勉強でスマヌ。
そしてご親切ありがとう。>>238
24系24形が2段化改造する時に、オハネフ24の入場で乗務員室のある車両が足りなくなるが、スハフ14やスハネフ14は引き通し線の関係で組み込まれないがどうやって解決したのか気になる。
予備車を使ったのかオハネフ25をどこかから借りて使ったのか。
あと、カニ24故障でカヤ21を使った末期のつるぎにビクーリした。
20系と24系の引き通し線が同じだろうか。 海外かつ実際に見たわけじゃないけど
これを上回るのは結構難しいンじゃないだろうか…?
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=vhd7IdDP3A8
概出だったらゴメン! 寝台特急「つるぎ」や「みずほ」などでは、ときおり最後尾のスハネフ14などが、
妻面を見せて逆向きに連結されていることがあった。
機関車に牽引されるときも、スハネフの乗務員室が機関車と向かい合うのではなく、
妻面と向かいあったりしていた。
>>195
クハ155や、クハ159には車内(客室)に速度計が残っているのもあったなぁ。 >>242
復興+PP自強+キョ光で30両以上か。 ある鉄道誌に阪和線内の踏切事故で、床下機器を損傷して走行不能になった381系が
EF15に牽引されている写真が載っていた。
>>236
小山の113は確か限定運用だったよね。 >>246
あれは代走のカニ21を返却するときに24系の前に連結しただけだったかと。
ところで、今更珍ドコ列車の編成が気になりだしたんだが、知ってる人いる? >>239
検査か車両不具合の関係か、逆にトワイライト編成に「銀河」などで使っている
カニ24ー100番台が付いてた事もあったな。
テールマークも「トワイライト」のモノが表示されてた。 >>230
JR西日本の電源車をJR九州持ちの九州特急用に使うってどういうやりくりしたんだろ? 3年くらい前だが、武蔵境で真っ白な201系4連回送を見た。あれは一体・・・(?_?) 数年前に川崎貨物〜東京(タ)を走ったEF65PF+マニ30×2両だな
まあカシ釜+DD51842+マニ30+マニ50というのもマニ30運用末期にあったが
あと相模線電化関連工事で相模貨物〜茅ヶ崎間をソ300が単独自走という
ネタを運転報で見たときは目を疑ったが、実際に雨の中黒煙あげ45キロ走行を
見たときの衝撃はことばにならんかった >>238だが、よく考えてみると、>>250と同じ疑問を感じた。
それから、カニ24 500の所属は東日本。
私の想像(妄想)は上りで電源者故障。
↓
九州所属車の変わりに東日本所属車を連結。
↓
下り列車で九州行き
↓
ヲタに発見されるw 1993年の夏に旅行中の長崎市内で見た、みずほ 長崎行き
スハフ+オハネ+オハネ+スハフ
前々日の佐世保発さくらが大雨で運休。長崎発のみで東京まで運転した模様。
東京着後、予備をひっかき集めて付属編成の代わりを作ったらしい。
前々日に振替輸送云々というアナウンスを博多駅で聞いていたのだが、
そんな事すっかり忘れて長崎市内観光に興じていたので、写真は撮れず。
外から見た目、ヒルネ客にスハフは好評のようだった。 国鉄の労使対立の影響による大幅な遅れで、車両の運用が困難となり、
14系座席車+20系客車で運転された上り寝台特急「富士」 1977年頃の東急目蒲線にて。
デハ3715 + デハ3607 + デハ3462
オールMでしかも142kw×4の3607が入っていたために、異常に加速が良かった。
多摩川園前(当時)→田園調布の25‰勾配では、同時発車した8000系を起動からぶち抜いていた。 >>259
それだと、東洋TDK528(112kW)、国鉄形MT40(142kW)、日立HS266の低出力形(94kW)で、
これだけパワーがバラバラなのに併結運転できるシーケンスにも呆れるが、
一体どんな乗り心地だったんだろう。
各車毎の進段状況をつぶさに観察したくなるような組み合わせだ。 本当かどうかわからないが、漏れの友人が1975〜82年頃に片方の先頭車がボンネットで片方が電気釜の「とき」を目撃したことです。
「編成にクハ181とクハ183が入っていた」と友人が証言。
181系と183系の混結が可能だったでしょうか?
何かの都合で、仙センの485系(ボンネット+(中間車)+電気釜もあった)を借りたことが実例にありましたか。 >>261
基本的に国鉄型の電車は何でもありだろ
やるかやらないかの違いだけで >>256
251ではないが、な〜るへそ。
俺は午前中の東海道線を逝く青い113系4連×2をみて驚いたぞ。
だいぶ経って伊豆急に売られたヤツだと知った。
伊豆急では走ってるとこ見ずじまい。カオスじゃなくてゴメソ >>262
181と183は制御回路が違ったと思う。基本的に連結(制御)できないはず
485じゃないかい? >>264
ありゃ、そうなの?
それはスマンカッタ >>262
旧型国電と新性能車ごっちゃにしてるだろ? そう言えば上越新幹線開業直前だったときの末期はときが廃止されたら485系に
するための前提にわざとサロ481-1000車体にしたサロ181があって
このせいで編成美がめちゃくちゃになっちまった181系もあったね。 >>267
その「とき」が廃止された後、
クハ180と181が九州に渡り、485系に編入されて凸凹編成が出来た。
その編成が下関「にちりん」の運用に入り、交直切り替えスイッチが無く、
門司で直流区間に行けない事が分かり運転打ち切りになったのは有名な話。
>>268
一時期クハ180改造車はクモハ485+モハ484のユニットと組んで増結専用になっていた。
それを3両又は5両編成の有明に繋げて、改造先頭車だらけと言うカオスな編成で走っていた。 >>267
どっちかというとサロ481-1000に181系用の引き通しをつけた という見解になると思われる >>267
その車両、一番古い形式(原型サロ181は1958年製しかない)で既に消滅していた「サロ181」をわざわざ再び使ったという点もカオスだね。 出始めの頃の東急7600。
目黒方に色んな7200系くっ付けてた記憶があるんだが。 >>263
今の姿。
つttp://img37.gazo-ch.net/bbs/37/img/200904/348620.jpg
ちょっと逝くのが遅かったか。。 >>273
ATSーPを安く入手するためにポンコツを買った。って噂は本当なんだろうか? >>267-271
サロ481からサロ181に改造された車両もあったね
しかも上越新幹線開業後1両残っていたサロ180と共にサロ110に改造編入
東海道線でも凸凹編成組んで活躍 >>276
「特急車改造サロ」は(東海道編成では)静シスに集中配置されたよね(後にJR移行に伴い東コツに移籍)。
同様に静シス配置の改造サロには165系サハから改造の香具師(サロ110-350)もあったな。
8号車の「代用クハ」同様旧静シス編成はカオスっちゃぁカオス。 >>264
連結、運転は可能だったはず。
抑速が使えなくなるだけ。153+165なんてのが実際に走ってた。 >>277
165系サハ改造のサロは「サロ110-501」。
さらに165系サロ改の「サロ110-401」もあった(サロ112にクリソツ) 碓氷峠末期、EF63X4+EF62の5重連に旧客は概出?
10パンタ上げは壮観だった。 >>278
>>195のレスにある中京地区の編成にも165+153の混成があったな。
快速や急行「比叡」に使われていました。 >>261
181系の耐寒耐雪工事の期間、485/489の代走あり。
183-1000登場と同時期。
489「とき」は、RF誌の1976/1にも載ってた気がする。
その写真はボンネットだったと思う。
逆に、181・183の混結など聞いたこと無い。
因みに、千マリの183-0が1982/11改正直前の混乱期に「とき」に
使用された。カオスネタではなくてすまん。 >>279
国鉄改革のドサクサのせいか501は車掌室設置しなかったのに
サロ111でなくサロ110に編入されたんだよね
前述サロ180改造の301は便所の位置に扉を増設した為便所が無かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています