オマエラが見てきたカオスな列車編成
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 >>157
塗色だけでいいのなら485系天国時代の北陸特急は軒並みカオスってたが… 203系大量増備による、103系大玉突き大会の結果生じた、武蔵野線4色混色編成。
6両編成で4色はやりすぎだと思うんだ(w 京阪1500V昇圧前
600系-600系-600系+1300系-1300系+1700系-1700系 いつしかの関西線王寺電留線台風水没で
ウグイス+ウグイス+カナリア+カナリア+オレンジ+オレンジ
って101系6連があったような。 >>161
オレンジ車の正面にイエローのラインが入ってたり。 カオスといえば,昔の青梅線南武線あたりの旧国はなんで
扉の形や戸袋の方向に一貫性がなかったんだろう・・・と思う。
ネクタイじゃないけどまったく同じ形状のものが複数あったのかな?
なんて思う。 >>155
自分の記憶では、
渋←2000+1500N+1500N+1600or1700+1200or1300+2000→浅
だった気ガス 東海道線の113付属で、クハの代わりにサハシ165を組み込んだ編成いなかったけ? >>164
スマソ。Wikipedia見たがお主が正しいようだ。俺の勘違いか。
。1234 身延線の115系のデビュー当初がなかなか素敵な編成だった。
Mc-M'-Tc-Tc
この位じゃ福知山線と同じと思われるだろうがこのTcが背中合わせといういかした配置だった。 身延線で思い出したが、もっと後の時代の115で一時期
クモハ−モハ−モハ−クハ
なんてのがあったな 宗谷本線の
DD51+スユニ50+オハフ51とか、
奥羽本線改軌前の
EF71+ED78+オハフ50+オハフ50も仲間に入れてやって下さい。
あと、後藤から大阪駅経由で向日町まで
キハ181
というのが走ったらしい。 >>170
単端状態で桶。
いつぞやかの鉄道ジャーナルの記事によると
エーデル車も後藤入場の際は京総から単端で
回送されるとか。 >>171
キハ82系まつがぜの営業初日は前代未聞の単端で特急運転。
6号車のキハ82が不調で切り離して修理の上、まつかぜの後を単行で追いかけた。
もちろん、その間のまつかぜ最後尾は5号車のキハ80。
主要駅にターンテーブルが有った蒸機時代の山陰線ならではの荒技だった。 >>172
山之内さんが向日町の初代所長のときのエピソードですね。
当時として実績もないのにいきなりの広域運用で大変だったんだよねえ。 >>173
向日町立ち上げのエピソードは興味深いのが多いですね。
熱源を取る為に蒸気機関車を借りてきて据えガマにするのは余所でも有った話しだけど
電気が来てないので20系の電源車を借りてきて、据え電源車にした話しは驚いた。
なんか日本の宇宙開発の手作り感を彷彿とさせる話しだと思ったら山之内さんw
手作り派なのは山之内さんの種子島より内之浦なんだけどね。 小田急の1800系が現役のころ、2連×5の10連っちゅうのを見たことがある、 京急の線路際の家に住んでいた頃、終電後なのに
踏切の警報音が鳴り続けるので、保線車両でも来るのかと
思って外に出てみたら、やって来たのは東急車両で落成
したと思しきAE100を牽引した京成赤電。
幻でも見たような気持ちだった。 俺は四国2000の片運単行回送を土讃線で見た
>>173
キハ82単行は模型みたいで愉快だが
電源エンジン付きで重い82を、1台のDMHで動かして追跡回送せねばならなかった乗務員は大変だったろうな >>172 興味深かったので、
鉄博の図書室でピク誌1961年12月号の記事を見入ってしまいました。
当日の編成
キハ82 27+キロ80 26+キシ80 7+キハ80 53+キハ80 27+キハ82 40
以下、「」は原文のまま引用
最後尾キハ82 40の車軸発熱により、2分延着の福知山で同車を切離し、
キハ80 27が最後尾となって、「大騒動の末、"尻切れトンボ”で福知山を40分延発」
松江には15分延まで回復して14:20に到着
折返し上り「まつかぜ」は、「松江で、キハ82 27を方向転換して先頭につけ、
後部にはキハ28 5を連結して松江市民が盛大に見送るなか定時(15:00)にスタート!」
写真を見る限りでは、キハ28 5も客扱していたようです。
「途中、豊岡で応急修理を施したキハ82 40とキハ28 5を取替え、
正規の編成に戻って無事ネグラに辿りついた由」
キハ82 40は福知山→豊岡約60kmを回送したようです。
なお、同誌には1961.10.20 エンジン故障でダウンした下り「白鳥」が
C57重連で金沢駅を発車する際の写真も・・・・ もう15年ぐらい前だが、長いコキ列車の一番最後に
キハ58が一両ぶら下がってたのが未だに頭から離れない。
何だか物凄くシュールな光景でさ…
北陸線加賀笠間松任間
もうないよな 単端とはちょっと違うが、EF58+スハフ12一両だけってのを見た事がある。そのスハフ12も車掌台側が機関車と連結され、普段連結面になるほうが後部だった。ちゃんとテールランプも点灯していて、こんな編成もありなんだ…と思った。 新製されたオレンジ201系が深夜の東海道線を自力で東上… どうでもいいが、単端って言うと軽便鉄道の単端式気動車を思い浮かべてしまうのだが、
尻切れトンボの気動車編成を単端って言うのは、気動車ファンの間では常識なのか? >>179
俺も同じようなの見た事がある。
更に昔、30年くらい前、コキ列車+キハ58+キハ20+ヨ
常磐線、柏〜北柏
牽引機はEF80
気動車は水ミトだったような覚えがある。 >>180
一時山陰本線でDD51プラスオハフ50が1両の列車があった。 単端回送はちょっと前の伊予鉄では日常茶飯事…と言うとオーバーだが
今でもあるのかな? 30年くらい前の琴電はすごかった。
ゲテモノぞろいでまさに百鬼夜行。
今では、ほとんどが、元京急車と名古屋地下鉄車になってしまったね。
時の流れを実感する。 >>187
朝ラッシュの後にあるよ〜。
でも、車両入れ替えで消える予定。 40年くらい前、総武線をSLが東西線5000系を牽引してるのみたことあるよ。
新車らしくピカピカの電車とSLのミスマッチ、子供の頃だけどよく覚えてる。 >>179
>>183
総武線も気動車の回送はよくあったな。
新小岩に気動車の検修施設があったから、久留里線や木原線のキハ30などが
快速線を走る貨物列車の最後尾によく連結されていたのを見た。
連結器の関係で気動車は後に連結する必要があるようだけど。 ちぎれる(列車重量で前後に分断する)、って感じよりも、
非常ブレーキかけた時とかに、編成の重量が一気にかかって
押し潰されて折れる(座屈現象)、って方が心配で
そうしてるんだと思ったが。 >>189
京王3000導入で伊予鉄名物も消滅予定でつか
(´・ω・`) 80年代頃の中京地区153系の編成は楽しかったな。
153系湘南色、新快速色に155、159系の湘南色、修学旅行色などのごちゃ混ぜ編成だった。
153系は非冷房車もあったな。 153系の新快速で、新快速色に混じって中間Mユニットが湘南色なんてのも走ってたな。うちにその写真があるよ。 新快速に湘南混色はわりとよく見た。
クハだけ湘南ってのもよくあったよ。 >>193
機械式気動車時代の簡易連結器だと、自車1両分が精一杯だから最後尾連結が規定だったけど
液体式時代の密着自動になってからはどうなんだろうね。 >>198
連結器の問題より、193が言ってる様に座屈現象現象が心配なんだ。
貨車はたくさん連結して走るから、対策ができてるけど、気動車は、そんなこと
想定されて製造してないから強度的に問題があるんだ。
>>196>>197
昔の鉄道ファン見たら、153系新快速の6両編成で
京都寄り3両が湘南色、神戸寄り3両が新快速色の混色編成の写真が出てた。 古い鉄ピクに載ってたけど、キハ181系の特急「しなの」が車両故障を起こして、
D51に牽引されたり、名古屋よりのキハ181が故障で切り離されたため、DD51の重連が
「しなの」を牽引して走る写真が載っていた
どう見ても国外だったけど、
DLが前後だけでなく、中間にも入っていた貨物列車。 夕方、パンタグラフを下げた鹿児島市電600型が、連結棒でつなげられた
別の600型に押されて、勢いよく回送されていったのをかなり前に見た。 >>202
ドイツやスイスのペンデルツークでは、客車の中間に機関車が挟まっているのもあるね。
カオスではないけど、こんな編成初めて見たというのは
『あさま』と『こまち』 >>202>>204
井川線だって、編成ごと重連とかするとそうなってるじゃんw<中間DL編成 JR倒壊が臨時の名古屋球場前駅を設置していた頃、
80系気動車も動員されていて、キハが何両だったかは忘れたけど、
・・・キハ+キロ+キロ+キロ+キハ・・・
だった事がある。いつの鉄道全盛期の編成だw >>195
東京まで上ってきていましたな。
新幹線半日運休のときの東海52号やこまどり号とかで…
仙石線の2wayシート編成は知らない人が見たら
「赤だの青だのばらんばらんのをつないでいるなあ」
と思うのかもしれないな。 DD13牽引の貨物列車にC11の前補機がついているのを見たことがある。
煤煙を大量にかぶっても大丈夫なのかと心配した。 東武6050+6000+6000+6050
団体増結だか何かで二両増車だったと思う。子供心に変だなと思った。
あと鋼製通勤車の塗色変更期(クリームから白青)に真っ白な車両が紛れていることがあったな…青帯塗る暇がなかったらしい。 EF81+58654+50系客車
SL人吉の回送運転だからカオスもへったくれもないかもしれないが
それぞれの車両が本来活躍した時期から考えると、不思議な編成。 単端と言えば昔鉄道ファンで、エーデルの単端を後ろから撮った写真を見た。
以前山陰本線長門市で車両展示会があったとき、DD51+105系+381系+EF65+オハネフ25…の回送があったな。
展示回送絡みのネタはたくさんありそう。 あ、カオス編成といえば昔のウヤ情の「ユニーク列車PHOTOレポート」ってコーナーが好きだったな。 大昔の京王帝都電鉄本線で、塗装が緑一色の時代の話。
前後は運転台付きの当時の流線型のク(モ)ハで車幅もホームにぴったり。
窓も2分割で上に開ける、照明も蛍光灯。
中間に挟まった車両が車幅が狭くて乗降口に転落防止の踏み板がある。
窓は1枚ガラスで落とし込み、天井が折り上げで古風に白熱照明灯。
扇風機が無理無理後付け。
両端の扉がギリギリ端っ子に付いていて、
昔はそこに運転台があった風情。
>>212
田端の81なんて北斗星間合いのローカルでよく50系引いてたじゃん。 編成は整っていたが
所属表記がクハが仙センでサハが門ミフで
食堂車が秋アキでモハユニットの1組が盛アオだった
雷鳥3号@京都 >>30
昭和53年頃の盛岡駅 7:11発の沼宮内+大館行き539レの最後尾
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/08/15/19780716morioka03.jpg
ED7547+オハフ332394+オハ472255+オハ352869+オハフ613058+キハ52151+キハ5112+キハユニ2657
DC3両は好摩で切り離されて927Dになる。
なった理由は、『懐かしの国鉄現場(列車追跡リバイバル)(鉄道ジャーナル別冊No.37)』の
特集記事によると、朝と夕方に花輪線の列車が発着できるホームが無かったことと、
併結にしてしまえば見かけ上、花輪線分の列車運転キロは減るため、名目上『合理化』が進んだとされるので
一石二鳥だったと盛鉄局の説明がされていました。
なお、気動車の運転士と車掌は盛岡駅から乗務して客扱していきましたので、
とても合理化とはいえないものでした。 >>219
回送車だけど、新潟でも客車列車にキハをぶら下げてたらしい。
中央西線でも同様にあったらしく、風景がDVD(信濃のデゴイチ)に収められてる。 20年前くらいまでの名鉄AL車。
なまず+戦前型+偽パノラマ のブツ6とか、AL同士ならなんでもアリだったもんなあ。
あと何年かすれば、東京駅に寝台列車発着してたとか、
朝の通勤通学時に駅のホームにいたら寝台列車が通過してったとかさ、
『オマエラが見てきたカオスな列車編成』になるのかな・・・・・ ツリカケ車(旧3000シリーズ)時代の
東急目蒲・池上線もそのクチ。
たった3両編成で各形式の編成がマチマチ。
まさに毎日がカオス編成だった。 琴電の冷房車+非冷房車の編成かな
7月の終わりに築港駅に停まっていたから
怖いもの見たさで瓦町まで乗ったけど
乗った瞬間、体中から汗が噴出し
息をするだけで肺がやられていく感じがしたよ
福知山線。既出ならすんまそ。
<クハ+<クモハ-クモハ>+クハ> 南武線の有名なツギハギ電車
101系でウグイス・朱色・カナリア・水色・緑
よくこれだけ寄せ集めたな 211-1000、3000のクモハ-モハ-サハ-サハ-クハ
T車が3両連なるだけでも異様に見えたよ。 ところが当該線区にはT車4連続、さらに遡れば5連続なんて列車も走っていたので、
さほど珍しいわけでもないのであった。 「はやぶさ」が西鹿児島まで行っていた頃に見かけたカオス編成
ED76-1000が牽引
電源車がカニ24-500 17年位前までの東北地方で、50系・12系客車列車やキハ58・52の全盛時代では、
50系客車普通列車の最後尾に廃車回送の20系客車をぶら下げて、東北本線青森経由
で土崎工場まで回送してたり、
小牛田運輸区のキハ58一両を石巻・大船渡・一ノ関〜盛岡にあった普通気動車列車で盛岡まできて、
盛岡から花輪線を経由して大館〜鷹巣の普通気動車列車につなげて回送とかあった。 近鉄で同じ8000系6連だが、鋼製車+アルミカー4連+鋼製車が有った。 >>228-229
編成中間にT車(Ts含む)が6両連なる215系の立場は… 幕張でかなり前科がある小山から借り入れた115系。
極初期非冷房 極初期冷房車から300番台まで入れた前科も。
しかもご丁寧に極初期非冷房と極初期冷房車は偽113系塗装までした。
(300番台は湘南色のままで塗装せず)
極初期車は113系が冷房改造する関係で車両不足の穴埋めが目的。 >>235
房総地区への115系の応援は
千倉電化初年の臨時急行「うち房」というのもありましたね
その逆に、E217系によって余剰となった113系1000番台が
こんどは小山に転じて湘南色、それも車両によっては
偽115系の前面塗り分けを纏ってE231が登場するまで数年間活躍
>>210
旧線時代の北陸本線木ノ本〜今庄では当たり前だった…
既出だと思うけど、東京駅で銀河にトワイライトの電源車を見た時は焦った。
>>230
>>238
俺の24系電源車知識は国鉄ブルトレで止まってしまっていた。
不勉強でスマヌ。
そしてご親切ありがとう。>>238
24系24形が2段化改造する時に、オハネフ24の入場で乗務員室のある車両が足りなくなるが、スハフ14やスハネフ14は引き通し線の関係で組み込まれないがどうやって解決したのか気になる。
予備車を使ったのかオハネフ25をどこかから借りて使ったのか。
あと、カニ24故障でカヤ21を使った末期のつるぎにビクーリした。
20系と24系の引き通し線が同じだろうか。 海外かつ実際に見たわけじゃないけど
これを上回るのは結構難しいンじゃないだろうか…?
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=vhd7IdDP3A8
概出だったらゴメン! 寝台特急「つるぎ」や「みずほ」などでは、ときおり最後尾のスハネフ14などが、
妻面を見せて逆向きに連結されていることがあった。
機関車に牽引されるときも、スハネフの乗務員室が機関車と向かい合うのではなく、
妻面と向かいあったりしていた。
>>195
クハ155や、クハ159には車内(客室)に速度計が残っているのもあったなぁ。 >>242
復興+PP自強+キョ光で30両以上か。 ある鉄道誌に阪和線内の踏切事故で、床下機器を損傷して走行不能になった381系が
EF15に牽引されている写真が載っていた。
>>236
小山の113は確か限定運用だったよね。 >>246
あれは代走のカニ21を返却するときに24系の前に連結しただけだったかと。
ところで、今更珍ドコ列車の編成が気になりだしたんだが、知ってる人いる? >>239
検査か車両不具合の関係か、逆にトワイライト編成に「銀河」などで使っている
カニ24ー100番台が付いてた事もあったな。
テールマークも「トワイライト」のモノが表示されてた。 >>230
JR西日本の電源車をJR九州持ちの九州特急用に使うってどういうやりくりしたんだろ? 3年くらい前だが、武蔵境で真っ白な201系4連回送を見た。あれは一体・・・(?_?) 数年前に川崎貨物〜東京(タ)を走ったEF65PF+マニ30×2両だな
まあカシ釜+DD51842+マニ30+マニ50というのもマニ30運用末期にあったが
あと相模線電化関連工事で相模貨物〜茅ヶ崎間をソ300が単独自走という
ネタを運転報で見たときは目を疑ったが、実際に雨の中黒煙あげ45キロ走行を
見たときの衝撃はことばにならんかった >>238だが、よく考えてみると、>>250と同じ疑問を感じた。
それから、カニ24 500の所属は東日本。
私の想像(妄想)は上りで電源者故障。
↓
九州所属車の変わりに東日本所属車を連結。
↓
下り列車で九州行き
↓
ヲタに発見されるw 1993年の夏に旅行中の長崎市内で見た、みずほ 長崎行き
スハフ+オハネ+オハネ+スハフ
前々日の佐世保発さくらが大雨で運休。長崎発のみで東京まで運転した模様。
東京着後、予備をひっかき集めて付属編成の代わりを作ったらしい。
前々日に振替輸送云々というアナウンスを博多駅で聞いていたのだが、
そんな事すっかり忘れて長崎市内観光に興じていたので、写真は撮れず。
外から見た目、ヒルネ客にスハフは好評のようだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています