オマエラが見てきたカオスな列車編成
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故障代走・臨時増結などの結果、
塗色や使用車両がエラいことになってたのを目撃してたら語ってくれ。 >>128
まあな。
だからオール先頭車でも2両編成の5重連なら別にカオスと言わんが
運転台の向きが不自然だと気になるわ。
今だとスーパーおおぞらの増結が該当するな。
50系客車の場合、オハフが両端に乗務員扉があるから
どう組んでもカオスにならんかった。 >>130
>50系客車
で思い出したが、末期の東北12系ローカルの編成はひどかったなw >>122
今でもごくまれにN+N+NとかN+N+AS+ASとかは有る
N=12200系2輛編成
AS=22000系2輛編成
この前中川から乗った名古屋行き特急はN+N+Nだった
運転台の向きは←→←→←→←→かな
流石に2輛編成ばかりで編成された10輛編成の特急は見た事ないが昔は2輛編成車輛の方が多かったのでごく当たり前に走っていたと思う EF81+国鉄色485系×4+USJ色103系×4
103系が無動ながらも北陸線の金沢にやって
来たのは後にも先にもこれ一度のみだろう。
もちろんUSJのキャンペーン。 10年位前の夕方、鶴橋で12200(一部、12000かもしれません)の2連を5本つないだ特急を見た事があります。
カオスというのと逆に、東海道線東京口の113系で、
全部2000代(Tsは110-1200)ってのを見たことがない。 京阪1900系もある意味カオスだったな。冷改・更新前は前後で顔が違うのは当たり前、その後もウインドシル付きとそうでないのとが混成、両端扉は片開きで中間扉が両開きなんてのが混じってたり、中には全車台車が違う編成もあった。 >>136
153系置き換え直後は南チタ所属車と南コツK55、S98は全部2000代(Tsは110-1200)
付随車だけ差し替えたのは、便所処理施設の関係だったっけか? >>129
12系改造だったから、キハ65で挟んだら
綺麗な編成になりそうな車両だった。 そういえば、715系の編成も片や食パン、片や特急型の面影を残していたりと
カオスな形状だったな。
いかにもボンビー国鉄末期って感じだった。 あの当時は、急行型もグリーン改のクハとか、何でもありだったが、
果たしてそれが「いかにもボンビー国鉄末期」だからなのか、ってーと、
それは若干疑問だ。
ああいう「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」は
70系80系の時代からの伝統だよ。歴史が繰り返しただけ。
台所が苦しくて安い改造に上げてたという部分は、編成形状のカオスさではなく、
むしろ車内見付け(上段寝台や洗面所の処理方法)に現れていた。 >>140
715の場合、オリジナルと同じ先頭にしたら客室ドアの位置からおかしくなってくるわけで。 >>141
「長編成向け車両の中間車化改造によるカオス状態」80系…クハ85はサロ85改だけでなくサハ87改もあったね
70系…サロを無理矢理3扉にしたクハ77萌え
あと忘れちゃいけないのがクハ47
サハ48改はオリジナルと遜色無かったが流電サロハ改の切妻は妙竹林だった
他にもモハ30焼失車を復旧時にストレッチした47011という下手物も存在した
>>143
北陸新幹線開業に伴う3セク化迄国鉄末期状態で放置の悪寒 ありきたりだがクモハ73086+マヤ34200X+クモハ73351
なんてのをよく見たな 元レギュラーだった小田急の4000×3+4000×3+1800×2。
脱線事故があってからは4000は5連に組み換え・・・余剰車は大野に
放置プレイ。
>>145
そういえば昔鶴見線で73系にクモルが付いているを見たな
営業車なら凄いけど回送かも知れない 鶴見線と言えば、
1両だけ混ざったアコモ改良試作車でしょ、やっぱり。
3両編成で1両混ぜられると、割合が高いので、すごいごった煮感が出る。
昔の三岐鉄道あたりの編成を見てる気分に近いかな。 阪和線快速
湘南-瀬戸内-瀬戸内-湘南+体改-阪和-阪和-体改 片町線
冷房車-冷房車+非冷房車+非冷房車+非冷房車+弱冷房車-弱冷房車 >>148
そういえば、クモハ73500+モハ72970+クハ79920という時代の異なる三種の全金属車の
混結編成に乗ったことがあるな >>151
北大阪急行の7000系にもあったな。万博終わったら5連に組み替える
ための。営団の3000系4+4と千代田線5000系の5+5は非貫通。 営団なら01系以前の銀座線。
大抵小窓の1500Nの隣にウィンドウシル・ヘッダ付1200or1300が連結されていた。
>>154
> 千代田線5000系の5+5は非貫通。
東西線に移ってからは使用していた。 98年頃のいなほ、国鉄色+ひたち色の組み合わせが、良く見られた。 >>157
塗色だけでいいのなら485系天国時代の北陸特急は軒並みカオスってたが… 203系大量増備による、103系大玉突き大会の結果生じた、武蔵野線4色混色編成。
6両編成で4色はやりすぎだと思うんだ(w 京阪1500V昇圧前
600系-600系-600系+1300系-1300系+1700系-1700系 いつしかの関西線王寺電留線台風水没で
ウグイス+ウグイス+カナリア+カナリア+オレンジ+オレンジ
って101系6連があったような。 >>161
オレンジ車の正面にイエローのラインが入ってたり。 カオスといえば,昔の青梅線南武線あたりの旧国はなんで
扉の形や戸袋の方向に一貫性がなかったんだろう・・・と思う。
ネクタイじゃないけどまったく同じ形状のものが複数あったのかな?
なんて思う。 >>155
自分の記憶では、
渋←2000+1500N+1500N+1600or1700+1200or1300+2000→浅
だった気ガス 東海道線の113付属で、クハの代わりにサハシ165を組み込んだ編成いなかったけ? >>164
スマソ。Wikipedia見たがお主が正しいようだ。俺の勘違いか。
。1234 身延線の115系のデビュー当初がなかなか素敵な編成だった。
Mc-M'-Tc-Tc
この位じゃ福知山線と同じと思われるだろうがこのTcが背中合わせといういかした配置だった。 身延線で思い出したが、もっと後の時代の115で一時期
クモハ−モハ−モハ−クハ
なんてのがあったな 宗谷本線の
DD51+スユニ50+オハフ51とか、
奥羽本線改軌前の
EF71+ED78+オハフ50+オハフ50も仲間に入れてやって下さい。
あと、後藤から大阪駅経由で向日町まで
キハ181
というのが走ったらしい。 >>170
単端状態で桶。
いつぞやかの鉄道ジャーナルの記事によると
エーデル車も後藤入場の際は京総から単端で
回送されるとか。 >>171
キハ82系まつがぜの営業初日は前代未聞の単端で特急運転。
6号車のキハ82が不調で切り離して修理の上、まつかぜの後を単行で追いかけた。
もちろん、その間のまつかぜ最後尾は5号車のキハ80。
主要駅にターンテーブルが有った蒸機時代の山陰線ならではの荒技だった。 >>172
山之内さんが向日町の初代所長のときのエピソードですね。
当時として実績もないのにいきなりの広域運用で大変だったんだよねえ。 >>173
向日町立ち上げのエピソードは興味深いのが多いですね。
熱源を取る為に蒸気機関車を借りてきて据えガマにするのは余所でも有った話しだけど
電気が来てないので20系の電源車を借りてきて、据え電源車にした話しは驚いた。
なんか日本の宇宙開発の手作り感を彷彿とさせる話しだと思ったら山之内さんw
手作り派なのは山之内さんの種子島より内之浦なんだけどね。 小田急の1800系が現役のころ、2連×5の10連っちゅうのを見たことがある、 京急の線路際の家に住んでいた頃、終電後なのに
踏切の警報音が鳴り続けるので、保線車両でも来るのかと
思って外に出てみたら、やって来たのは東急車両で落成
したと思しきAE100を牽引した京成赤電。
幻でも見たような気持ちだった。 俺は四国2000の片運単行回送を土讃線で見た
>>173
キハ82単行は模型みたいで愉快だが
電源エンジン付きで重い82を、1台のDMHで動かして追跡回送せねばならなかった乗務員は大変だったろうな >>172 興味深かったので、
鉄博の図書室でピク誌1961年12月号の記事を見入ってしまいました。
当日の編成
キハ82 27+キロ80 26+キシ80 7+キハ80 53+キハ80 27+キハ82 40
以下、「」は原文のまま引用
最後尾キハ82 40の車軸発熱により、2分延着の福知山で同車を切離し、
キハ80 27が最後尾となって、「大騒動の末、"尻切れトンボ”で福知山を40分延発」
松江には15分延まで回復して14:20に到着
折返し上り「まつかぜ」は、「松江で、キハ82 27を方向転換して先頭につけ、
後部にはキハ28 5を連結して松江市民が盛大に見送るなか定時(15:00)にスタート!」
写真を見る限りでは、キハ28 5も客扱していたようです。
「途中、豊岡で応急修理を施したキハ82 40とキハ28 5を取替え、
正規の編成に戻って無事ネグラに辿りついた由」
キハ82 40は福知山→豊岡約60kmを回送したようです。
なお、同誌には1961.10.20 エンジン故障でダウンした下り「白鳥」が
C57重連で金沢駅を発車する際の写真も・・・・ もう15年ぐらい前だが、長いコキ列車の一番最後に
キハ58が一両ぶら下がってたのが未だに頭から離れない。
何だか物凄くシュールな光景でさ…
北陸線加賀笠間松任間
もうないよな 単端とはちょっと違うが、EF58+スハフ12一両だけってのを見た事がある。そのスハフ12も車掌台側が機関車と連結され、普段連結面になるほうが後部だった。ちゃんとテールランプも点灯していて、こんな編成もありなんだ…と思った。 新製されたオレンジ201系が深夜の東海道線を自力で東上… どうでもいいが、単端って言うと軽便鉄道の単端式気動車を思い浮かべてしまうのだが、
尻切れトンボの気動車編成を単端って言うのは、気動車ファンの間では常識なのか? >>179
俺も同じようなの見た事がある。
更に昔、30年くらい前、コキ列車+キハ58+キハ20+ヨ
常磐線、柏〜北柏
牽引機はEF80
気動車は水ミトだったような覚えがある。 >>180
一時山陰本線でDD51プラスオハフ50が1両の列車があった。 単端回送はちょっと前の伊予鉄では日常茶飯事…と言うとオーバーだが
今でもあるのかな? 30年くらい前の琴電はすごかった。
ゲテモノぞろいでまさに百鬼夜行。
今では、ほとんどが、元京急車と名古屋地下鉄車になってしまったね。
時の流れを実感する。 >>187
朝ラッシュの後にあるよ〜。
でも、車両入れ替えで消える予定。 40年くらい前、総武線をSLが東西線5000系を牽引してるのみたことあるよ。
新車らしくピカピカの電車とSLのミスマッチ、子供の頃だけどよく覚えてる。 >>179
>>183
総武線も気動車の回送はよくあったな。
新小岩に気動車の検修施設があったから、久留里線や木原線のキハ30などが
快速線を走る貨物列車の最後尾によく連結されていたのを見た。
連結器の関係で気動車は後に連結する必要があるようだけど。 ちぎれる(列車重量で前後に分断する)、って感じよりも、
非常ブレーキかけた時とかに、編成の重量が一気にかかって
押し潰されて折れる(座屈現象)、って方が心配で
そうしてるんだと思ったが。 >>189
京王3000導入で伊予鉄名物も消滅予定でつか
(´・ω・`) 80年代頃の中京地区153系の編成は楽しかったな。
153系湘南色、新快速色に155、159系の湘南色、修学旅行色などのごちゃ混ぜ編成だった。
153系は非冷房車もあったな。 153系の新快速で、新快速色に混じって中間Mユニットが湘南色なんてのも走ってたな。うちにその写真があるよ。 新快速に湘南混色はわりとよく見た。
クハだけ湘南ってのもよくあったよ。 >>193
機械式気動車時代の簡易連結器だと、自車1両分が精一杯だから最後尾連結が規定だったけど
液体式時代の密着自動になってからはどうなんだろうね。 >>198
連結器の問題より、193が言ってる様に座屈現象現象が心配なんだ。
貨車はたくさん連結して走るから、対策ができてるけど、気動車は、そんなこと
想定されて製造してないから強度的に問題があるんだ。
>>196>>197
昔の鉄道ファン見たら、153系新快速の6両編成で
京都寄り3両が湘南色、神戸寄り3両が新快速色の混色編成の写真が出てた。 古い鉄ピクに載ってたけど、キハ181系の特急「しなの」が車両故障を起こして、
D51に牽引されたり、名古屋よりのキハ181が故障で切り離されたため、DD51の重連が
「しなの」を牽引して走る写真が載っていた
どう見ても国外だったけど、
DLが前後だけでなく、中間にも入っていた貨物列車。 夕方、パンタグラフを下げた鹿児島市電600型が、連結棒でつなげられた
別の600型に押されて、勢いよく回送されていったのをかなり前に見た。 >>202
ドイツやスイスのペンデルツークでは、客車の中間に機関車が挟まっているのもあるね。
カオスではないけど、こんな編成初めて見たというのは
『あさま』と『こまち』 >>202>>204
井川線だって、編成ごと重連とかするとそうなってるじゃんw<中間DL編成 JR倒壊が臨時の名古屋球場前駅を設置していた頃、
80系気動車も動員されていて、キハが何両だったかは忘れたけど、
・・・キハ+キロ+キロ+キロ+キハ・・・
だった事がある。いつの鉄道全盛期の編成だw >>195
東京まで上ってきていましたな。
新幹線半日運休のときの東海52号やこまどり号とかで…
仙石線の2wayシート編成は知らない人が見たら
「赤だの青だのばらんばらんのをつないでいるなあ」
と思うのかもしれないな。 DD13牽引の貨物列車にC11の前補機がついているのを見たことがある。
煤煙を大量にかぶっても大丈夫なのかと心配した。 東武6050+6000+6000+6050
団体増結だか何かで二両増車だったと思う。子供心に変だなと思った。
あと鋼製通勤車の塗色変更期(クリームから白青)に真っ白な車両が紛れていることがあったな…青帯塗る暇がなかったらしい。 EF81+58654+50系客車
SL人吉の回送運転だからカオスもへったくれもないかもしれないが
それぞれの車両が本来活躍した時期から考えると、不思議な編成。 単端と言えば昔鉄道ファンで、エーデルの単端を後ろから撮った写真を見た。
以前山陰本線長門市で車両展示会があったとき、DD51+105系+381系+EF65+オハネフ25…の回送があったな。
展示回送絡みのネタはたくさんありそう。 あ、カオス編成といえば昔のウヤ情の「ユニーク列車PHOTOレポート」ってコーナーが好きだったな。 大昔の京王帝都電鉄本線で、塗装が緑一色の時代の話。
前後は運転台付きの当時の流線型のク(モ)ハで車幅もホームにぴったり。
窓も2分割で上に開ける、照明も蛍光灯。
中間に挟まった車両が車幅が狭くて乗降口に転落防止の踏み板がある。
窓は1枚ガラスで落とし込み、天井が折り上げで古風に白熱照明灯。
扇風機が無理無理後付け。
両端の扉がギリギリ端っ子に付いていて、
昔はそこに運転台があった風情。
>>212
田端の81なんて北斗星間合いのローカルでよく50系引いてたじゃん。 編成は整っていたが
所属表記がクハが仙センでサハが門ミフで
食堂車が秋アキでモハユニットの1組が盛アオだった
雷鳥3号@京都 >>30
昭和53年頃の盛岡駅 7:11発の沼宮内+大館行き539レの最後尾
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/08/15/19780716morioka03.jpg
ED7547+オハフ332394+オハ472255+オハ352869+オハフ613058+キハ52151+キハ5112+キハユニ2657
DC3両は好摩で切り離されて927Dになる。
なった理由は、『懐かしの国鉄現場(列車追跡リバイバル)(鉄道ジャーナル別冊No.37)』の
特集記事によると、朝と夕方に花輪線の列車が発着できるホームが無かったことと、
併結にしてしまえば見かけ上、花輪線分の列車運転キロは減るため、名目上『合理化』が進んだとされるので
一石二鳥だったと盛鉄局の説明がされていました。
なお、気動車の運転士と車掌は盛岡駅から乗務して客扱していきましたので、
とても合理化とはいえないものでした。 >>219
回送車だけど、新潟でも客車列車にキハをぶら下げてたらしい。
中央西線でも同様にあったらしく、風景がDVD(信濃のデゴイチ)に収められてる。 20年前くらいまでの名鉄AL車。
なまず+戦前型+偽パノラマ のブツ6とか、AL同士ならなんでもアリだったもんなあ。
あと何年かすれば、東京駅に寝台列車発着してたとか、
朝の通勤通学時に駅のホームにいたら寝台列車が通過してったとかさ、
『オマエラが見てきたカオスな列車編成』になるのかな・・・・・ ツリカケ車(旧3000シリーズ)時代の
東急目蒲・池上線もそのクチ。
たった3両編成で各形式の編成がマチマチ。
まさに毎日がカオス編成だった。 琴電の冷房車+非冷房車の編成かな
7月の終わりに築港駅に停まっていたから
怖いもの見たさで瓦町まで乗ったけど
乗った瞬間、体中から汗が噴出し
息をするだけで肺がやられていく感じがしたよ
福知山線。既出ならすんまそ。
<クハ+<クモハ-クモハ>+クハ> 南武線の有名なツギハギ電車
101系でウグイス・朱色・カナリア・水色・緑
よくこれだけ寄せ集めたな 211-1000、3000のクモハ-モハ-サハ-サハ-クハ
T車が3両連なるだけでも異様に見えたよ。 ところが当該線区にはT車4連続、さらに遡れば5連続なんて列車も走っていたので、
さほど珍しいわけでもないのであった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています