神戸電鉄・神有電車
実際に神鉄の関係者がかつてそう書いてたのを見たことがある。 1980年代までは社内でも業界内でもそうみられてたんだろ
浮かれていたわけではない >>233
政府刊行物「数字でみる鉄道」2004年度版までは神鉄を準大手で記載
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E5%A4%A7%E6%89%8B%E7%A7%81%E9%89%84
大手民鉄=民鉄協公式の分類(民鉄協会員社のみ対象)※
準大手民鉄=国交省鉄道局による便宜上の分類(民鉄協非会員社を含む)
いずれも公的機関やマスコミなどでも広く用いられている
一般には民鉄を私鉄に置き換えて記載されることが多い
※元々は私鉄総連による賃上げ交渉の過程で生まれたもので
1952年の中労委調停案により諸条件を考慮して関東5社と関西5社を
他と賃上げ率を区別したことに由来
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%89%8B%E7%A7%81%E9%89%84 墜ちて~ゆ~く~
50年前誰が今の惨状を予想したか 粟生線は1960年代から沿線に住宅地が増えて混雑がひどくなり
輸送力増強のため1972年11月に鈴蘭台駅~押部谷駅間の複線化認可申請を
行ったのが今思えば判断ミスだったということなのかもね。
結局押部谷~川池信号所間と藍那~西鈴蘭台間の複線化までしかできず、
バブル崩壊以降は沿線人口減少に伴い利用客数も減っていき
複線化の効果を発揮することなく莫大な設備投資の借金だけが残った。
こういう判断は当時誰にも出来なかっただろうけど、
混雑分をちょうど同時期に開発が進行していた市営地下鉄へ
流し込むような連絡支線を作るとか、
神鉄が単独で何とかしよう(できる)という考えにこだわらなければ
今の状況はだいぶん違っていただろうね。
今だからそう思えるのかもしれないけど、
わざわざ山の登り下りの両方やって鈴蘭台を経由し、
しかも終点は新開地で三宮まで直通できないなんて
そんな路線、誰がみてもアカンでしょう。
鈴蘭台から三木方面へ延ばしていったという歴史があるから
仕方なかったという言い訳もあるかもしれないが
乗客が増えて混雑した時点で、神鉄もこのルートには
さっさと見切りをつけるべきだったね。 昭和の戦前までは神戸一の繁華街は三宮ではなく新開地だったと聞くし
湊川にターミナルを持ってきたのも、開通時点では間違いでもなかったと思う >>240
粟生線も開通時点では鈴蘭台のお金持ちが
広野へゴルフしに行くための路線だったから
そういう用途では問題なかった。
ただ通勤路線として使われるようになった時に
「カーブや起伏の多いこのルートのままで大丈夫か?」
と真剣に考えてこなかったのが現在の苦境を招いた。 神鉄オタあるある妄想
標準軌に拡幅して阪急梅田に乗り入れ
週末には梅田~有馬温泉の直通便を頻発 https://trafficnews.jp/photo/116409
小林一三の頃は阪急宝塚から有馬温泉まで延伸するつもりだった。
それを今もしやるならついでに谷上までの神鉄有馬線を標準軌に改軌すれば
谷上直通接続で阪急は神戸市営地下鉄三宮に乗り入れできる。
久元市長はこのルートで相直を提案しろよw 地下鉄西神線が押部谷まで行ってたら
粟生線の運命はまた違っていたかも…… 神戸高速になんか参加せず、当初の予定通り
自力で国鉄神戸駅を目指していたら神鉄の運命は全然違っていたかも……
https://i.imgur.com/cY5SZjp.jpg 今日、兵庫デスティネーションキャンペーンの『兵庫の鉄道 車両所公開ツアー』の神戸電鉄鈴蘭台車両基地見学&車両撮影ツアーに参加してきた。
庫内の一番奥に茶色で前も後ろものっぺらぼうで窓も埋められた見るからに異様な車両が居た。
とても不気味で怖かった。。。 昭和初期に展望車テン1を走らせたぐらいだから、
有馬観光にもっと力を入れてほしいな。
余裕がないだろうけどね。 展望車は最後尾に連結されるが
眺望のニーズが高いのは先頭からじゃないの?
名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーが真の展望車。 車体の色がまんま阪急w
創業初期から将来が暗示されてたんですね サンテレビの昼のニュースで神鉄一番街がスポンサーになっていた >>220
ド文系が考えた案を技術者系の人間がバッサリ否定 って感じやねw
阪急の神戸地下鉄乗り入れにしろ、困難を極める工事になるんやろねw 空いた神戸高速のトンネルを使って神鉄を阪急三宮まで延伸するなら、新開地接続は止めて、
湊川の先、新開地の手前で左カーブして、高速神戸で阪神と接続させる方法かなあ >湊川の先、新開地の手前で左カーブして
お宅の土地の下にトンネル掘らさせてください、ってあのあたりの地権者と交渉できる人が神鉄にいるのかね?