【市電】名古屋市交通局【地下鉄/トロバス】
>195
名四立体交差の工事は、国費負担が主で市交負担が少なければ、廃止を考えてても改築したと思うよ。
三河海線の高架化して間なしに廃止、という実例が身近かにあるじゃないですか。 >>199
329-330はこれも琴電に譲渡のはずだったが残念ながら解体された
最後は330の方は壊れて329が330を引っ張りつつ牽引していた
解体前に中学生が社会見学に工場を訪れたのかボディにたくさん
落書きされたのが痛々しかった
ちなみに300の履いていた台車が一組だけ残されている
>>200
>アントみたいなのでなく、平べったい板が自走するのが、引いていた
多分それが藤ヶ丘工場のアントです
本来は小移動のためのものであれだけ長距離移動させるためのものでなく…
日進工場みたいな機関車があればよいのですが 操車の信号塔も耐震補強ができず使用中止になった
あの研修所自身もやがて懐かしくなる日がくる
そういやあ藤ヶ丘に鳩やら雀やらカラスやら“鳥”はやたら多いな >>201
それを考えると、名岐バイパスの犠牲になった名鉄一宮線は、浮か
ばれないなぁ。もともと複線だったんだから仮線用地も必要なかっ
ただろうに。
相手は同じ建設省なのに、名四国道と名岐バイパスで、大きく結論
が違うことになるんだよね。それを考えると、大井川鉄道の井川線
なんか水没しても廃止じゃなくて付け替えになるなんて、ますます
理解できんよね。 「国費負担が主」と書いてあるでしょ。たとえ数パーセントでも余計な負担がいやなら廃線の口実になる。
大井川は電力補償なんでまったく別次元の問題。 >>204
あの頃の名鉄は、とにかく不採算路線を切りたがっていたからな。
名古屋へ直通しない、また一宮も連絡しているとは言い難い路線だから、
これ幸いに廃止したのでは。
現状を見ても、また残したとしても、採算の取れる路線とは思えない。
一色電車の名四の場合は、交通量を考えると踏切ではとても捌けなかったと思はれ。
当時も交通量の多かった国道1号線は立体交差(アンダーパス)。
逆に交通量が少なかった東海通は確か踏切。
>>170-171
あの着物姿の(当時)お姉ちゃんって鉄道友の会会員の“女鉄”だと聞きましたが…ホントですか? >>205
電力補償?
それは中部電力による井川線の建設経緯のことでは?
たぶん、>>204の言うのは建設省の長島ダム建設に伴うアプト式
の付替路線のことではないかな。名岐バイパスも名四国道も長
島ダムも、同じ建設省の公共事業が原因なんだから、同列の比
較がしたかったんじゃないかな。
皆の衆スレの趣旨から脱線してるぞw
脱線といえば稲永町で西稲永行きがポイント通過中に
後ろの台車だけ下之一色方面に切り替わってしまって
明後日の方向に向いたけど営業所から応援呼ぶ前に
通りかかったトラックに牽引してもらって復旧した
という武勇伝を市電OBさんから聞いたなあ >>208
井川線は廃止にしたくても中電と地元との協定上、できない。
廃止できないものを比較対象に含めることは無理でしょ。 脱線の話が出たついでに。
市電800型は軽量だったために脱線しやすかったそうだ。
ベテラン運転士だと脱線しかかった時に発する独特の音が分かる
らしいので、その音がしたらすぐ停車し、ノッチを逆にして線路上
に戻したそうだ。
落ち葉のシーズンにイチョウの枯葉を踏んでしまい
今池の交差点を赤信号だというのに滑走して横断
生きた心地がせんかったという話も聞いたな 自由が丘3丁目の交差点にある、店じまいしたと思われる
お店の看板が明らかに電停柱なんだけど、長い間使われていないようだ
頼んだら譲ってくれないかなぁ >>213
確かにあるね。ただ、コンクリートでしっかり固定されているし、
かなり朽ち果てている。無理に取り外そうとすると破壊するかも。 >>213
伏屋のバス通り沿いの市電の隣の解体?屋にも
確かいくつかあったぞ電停 301編成の中間車349号車って車側灯2つですか?
市電全廃直前の運行パターンはどうでしたか?
金山発は昭和町まで行ってたでしょうか?
安田車庫行きは矢田町四丁目発でしたか? どなたか300形の301の画像持ってる方いませんか〜? >>217
21系統が金山橋〜昭和町、60系統が矢田町四〜安田車庫前
63系統が矢田町四〜新瑞橋、61系統が今池〜昭和町、
31系統が金山橋〜港東通、51系統が市立大学病院(桜山)〜船方
以上が最後まで残った系統です。 厳密に言うと、沢上車庫扱いの21番と51番は2月に廃止
になってるんじゃない?
3月30日時点の最後の系統図ってどの本にも載ってないよね >>220
失礼、そのとおりですね。21系統と51系統は一足先に廃止になった。
自分がカキコしたのは昭和47年3月の系統図からです。
前月の2月に名古屋駅付近の路線が廃止となり、一気に寂しくなって
しまいました。 安田通りのコンクリート舗装が残ってる辺りに
まだレールが埋まっているような気がするのは私だけでしょうか >>222
コンクリート舗装という点だけでアウト。
で、安田車庫跡地・・・・・
いや、何でもない。 >>222
車庫の跡地はほとんどが名古屋市の建造物に様変わりしてますな。
交通局関連になったのは池下くらいしか思い浮かばないが >>224
大久手が局の電気通信事務所になっとるよ
>>223
沢上車庫のようにまるまる車庫ピットが埋まっとるかも?
港車庫撤去がつくづく残念本当はレトロ電車館にふさわしかった 今でも、大津通りを南北に走るのは21系統なのは名残ですか? 瑞穂通りから瑞穂運動場前までゆく路線も結構最後まで残ってたな。
ほとんど使われてなかったみたいで線路もさびてたけど
電停もあったからなんか子供心にもったいないとおもったよ。
>>227
あの路線は「瑞穂運動場引込み線」と言って、愛知国体が開かれた
ときに観客輸送のために敷かれたんですよね。国体後は小学校連合
運動会等で年に一度くらいしか使用されませんでした。 >>227
最期というと74年3月31日だが、それより少なくとも2年前には撤去されたと思う。
また、電停なんてなかったが。 >>230
子供の頃、昭和40年代前半くらいに
瑞穂運動場前の電停がおぼろげながら見たような記憶
だが間違いかな? 名古屋港の電停は覚えてるな。
小学校の社会見学で名古屋港行ったときに
名古屋港の電停みてああこんなところまで
市電がきてるんだと思ったよ。
小学校低学年で母親に連れられて松坂屋へ買い物へ行った帰りに
矢場町から市電に乗ったら超満員で寿司ツメでまったく身動きがとれず
視界がさえぎられた覚えがある。 運動場に電停はないよ。
どっかと取り違えて記憶しているんじゃないのかな。
オレは近所に住んでいたからよく覚えているよ。
それから市電の線路は基本的に軌道敷なら廃止になっても錆びないよ
自動車のタイヤが磨いてくれるからね。 >>233
>それから市電の線路は基本的に軌道敷なら廃止になっても錆びないよ
俺もウチの前市電走ってたから廃止後も見てるけど色は変わってゆくな
あれが錆びというかどうかは知らないが
昭和46年頃下之一色線の廃線跡を歩いたけど
荒子あたりに専用軌道の残骸が残ってて線路も鉄柱もかなり
錆びていた。 赤サビは出ないけど、黒く変色していく
これが黒サビかどうかは、よくわからん レールの踏面(銀色に光っている)部分は一晩でうっすら錆が浮く
廃止後何ヶ月も放置されたら見事に赤錆が浮くよ
さらに何十年放置されるとレール自体が酸化?してこげ茶色に変色
しかし切断すると中はきれいな銀色のまま レールの踏面(銀色の部分)は一晩経つだけでうっすら錆がうく
廃止になった後は見事に赤錆がうくよ
これが何十年も放置されると酸化?するのか黒っぽく変色
でも切断すると中はきれいな銀色のまま あらら二重カキコごめん
でも荒子のあたり廃止後しばらく放置されていた情報は収穫 実際に見て言ってるの?
>236
だいたい軌道敷と言ってるしょ
専用軌道が1日で錆びるのは当たり前
>237
だから
電車運行本数よりン倍多い自動車が磨いてくれるんだよね
しかもご丁寧にゴムでもって。
黒川あたりや東部循環線は架線のみ取り払って暫く放置されたレールを
リアルで見ていたからさ、覚えている。
最近では岐阜市内線が良い例だね。 >>240
うちは環状線沿いだったが早朝夜間は今より走る車はずっと少なかった
だから交差点以外でわざわざ軌道の上を走る車なんかいなかったけど?
市電があった頃は分離帯がなく信号でない場所でも簡単に歩いて渡れたけどな
もちろん始発前の線路も見ているが確かにうっすら錆は出ていたよ
ただ電停前だったから車が走らなかったのかも知れないが 瑞穂通の線路跡は結構赤くさびてたぞ
おれ沿線に住んでたから毎日見てたからわかる >>239
長良本町を過ぎて小本から荒子の例の民家の道に
入る手前まで結構断続的に跡が放置してあった。
荒子電停跡のシキシマパンの店の前の道路に短い線路跡を
見つけた時は感激したな >242
話しの意味がわからないのだが…
始発前に錆びが浮くのは夜間に列車が走らなければ新幹線だって浮くでしょう…
年に1度くらいしか使われなかった運動場引込線の線路が
「ほとんど使われてなかったみたいで線路もさびてたけど」
これに対してレスしたのだが
>243
質問
瑞穂通の軌道は74年3月廃止後どのような変化をたどりましたか?
オレの部屋は2階で窓は環状線に面しているよ >始発前に錆びが浮くのは夜間に列車が走らなければ新幹線だって浮くでしょう…
雨が降らなきゃ、見た目で判断できるほどのサビは発生しないよ やけに錆の発生について粘着しておるな。。。皆の衆
まああれだなそれぞれ各自の見てきた記憶に基づいて書き込みしているから
どの話もOKでいいんじゃないの? ○か×じゃなくてさ
記憶ちがいだってあるだろうそれはやんわり訂正すりゃいいんだで
ほしたら知識が身について勉強になるんだで 錆ですか〜
名鉄岐阜市内線のJR岐阜-新岐阜が運休になったあと見に行ったけどレールは光り輝いていました。
名古屋市電は錆びるもなにも、すぐ剥がしたか埋めたのでは? 幼心に広小路線の撤去工事を思い出します。
稲葉地へいってた路線って
なにかの古地図で大門あたりで北へ向かって直角に上がっていたんだけど
ほんとかなぁ
誰か知らない? 名鉄(の前身)が柳橋まで市電に乗り入れていたとき、
運賃とかはどう精算していたんですか?名鉄車両が名古屋市内で乗せた
分は名鉄の収入でしたか? >>250
中村電気軌道?時代は中村公園の大鳥居から北に曲がって豊国神社の前まで
来とったらしいぞ。あの大鳥居をくぐっていたのか柱を避けて軌道がしかれて
おったのか気にはなるが。あとオーモンと聞いて北に曲がるのは俺の息子だなw 大門というか中村日赤に昔の地下鉄方向板を飾った模型屋さんなかったっけ? 昔は近くに早川模型があった
地下鉄方向板を飾っていたかは覚えてない >>254
もう今は早川模型ってないんですか?
早川模型以外にもっと日赤よりのところにも模型店があったような・・・
方向幕はあったかわからないけど。 ダイエー鳴子店にもしばらく市電が置いてあったけど車番わかりますか?
たしかこちらも1400シリーズだと思いましたが?
ありえないけど市電復活して欲しいなぁ。何年か前にZIPのニュースで
広小路線復活構想があると某DJが言ってたけど・・・。 昭和60年前後にNHKで放送された「緒方アナウンサーのいってきます」と言う
番組で名古屋市電をテーマにした番組知りませんか?
もう一度見たいし、さすがに「You Tube」にでもなかったなぁ。
因みに名光ツーリストや小牧の電車ラーメン、伏屋住宅等車体が残っている所へ
訪問したり、もちろん廃線前の映像も流れたけど。
廃線10年後のS59年の放送かも。 鶴舞線の赤池延伸後も日中に「八事」行きがあったと思います。確か浄心延伸まで存在したかな?
どのくらいの割合で「八事」止まりがあったか教えてください。
車内及び駅の構内放送は「御器所方面八事行き」だったと思います。
また、八事着後はどうしてたのでしょうか?
そのままポイントへ進入して2番線で折り返したのか、一旦八事留置線へ引き上げてたのか・・。
>259
たぶんこのPCデスクの下の箱の中の奥底にあるわそれ。
名四国道を渡る光景もあったな。 >259
覚えてる!例の市内某所1825車所有宅へも行ったネ!
NHKアーカイブスみたいなもので是非再放送して欲しいな。
>>260
八事、赤池、豊田市の順番で来てたので、3本に1本が八事止まりだった。
(当時は昼間7分ヘッドだった記憶がある)
そのまま2番線へ進入して折り返してた。その頃、原に住んでたので、
八事止まりだとがっかりだったけど、空いていたので大抵座れた記憶がある。 豊田市延伸前は、八事ゆき、赤池ゆきが交互に出ていました、
ですから赤池ゆきは14分間隔。
八事止まりは2番線に着いてそのまま伏見ゆき折り返し。
(今の最終八事止まりみたく)
八事−赤池開通の少し前から、電車は八事止まりでも1番線に着いて客を降ろし、
回送で赤池方面に走っていった記憶があります。 藤ヶ丘(敢えて当時表記)開通当初、少なくとも上社開業以前は星ヶ丘ゆきと藤ヶ丘ゆきが交互に出ていたような記憶がある。
>>265
中村公園→高畑延伸まで日中若しくはラッシュ時?でも星ヶ丘行きなかった?
紺色に黄字表記。 >>128
1825の所有宅は私も知ってますが、訪問したら見学可なのでしょうか?
今日、久々に前を通ったけど相変わらずひっそりとおいてありました。
思わずその後とある図書館に行き「名古屋市電物語」を読んできました。 >>259
確か一般民間人のおばちゃんが廃止後の名古屋市電を買って
個人で所有してたのを管理しきれなくなって10年後
神主さんにお祓いしてもらった後解体するところから始まる番組だよね
一色線が名四国道渡る画面が出たり興味深かったな >>265
昭和50年代も星ヶ丘行きと交互だった記憶があります。 >>264
確かに。1本乗り遅れると14分の待ちはきつかった。でも土休日は10
分ヘッドなので、大して変わってないといえばそうかもしれないかな。
まあ昔は4両編成だったから、輸送力は向上してるかもしれないけど。
そういえば8両編成化を見越してホームも長いし、3000系は形式番号
がとんでいたのに、実現前に全車廃車になりそうだな。 先日名城工場(車庫)跡地を工場の門越しに見てきました。
ご承知の通り更地になっていますが、建物が存在した時代には見ることが出来なかった本線からくる3箇所のトンネル開口部が
はっきり見えました。
一番右側の開口部には保線車両が見えましたが開口部から本線まで線路が存在してるのかな?
この工場は敷地内が見えないためにホント謎が多かったですね!?
そういえば、以前大晦日終夜運転のときに市役所止まりもが存在したと思いますが、
名城工場引込み線から本線に入線待ちする列車を本線走行中の列車から見た記憶が・・・。
間違いでしたらスイマセン。
市電について・・。
全廃直前の頃、各線日中は何分間隔だったのでしょうか?
また下之一色線のダイヤも教えて下さい。
全廃の頃、大久手〜安田車庫間利用客はどうだったのだろう? 名古屋市電は鉄道ファンに現在でも人気があるので関連する書籍が100冊以上出版されていて
これからも本として同じ事が書かれる予定です。
しかも開業時からの全従業員の名称や給与関係 プライベートな事
定期検査の詳細の工程等部内秘的な事まで記載されております。
それは昭和40年以前に廃止された民鉄 市電 国鉄車輌 箱根登山鉄道 江ノ電に共通
する事で昭和37年に廃止された草軽交通 S52年廃止の尾小屋鉄道は関連する書籍が
50冊以上あります
又それと比格してここ20年間で廃止された民鉄 現役の中小私鉄の過去車輌は書籍であまり紹介
された事はありません 不公平すぎます
現在の鉄道愛好者は昭和40年以前の鉄道特に昭和30年代 sl 廃止された市電 国鉄車輌と最近の
新車の事しか目が無く昭和50年代の鉄道特に大手中小民鉄の事には写真集や書籍も殆どありません
不平等すぎます
>>271
左回りの列車で市役所到着直前で最後部から見ると、開口部まで
線路が続いているようですね。
市役所止まりの列車も以前はありましたが最近は見ませんね。
車庫への引込み線を引き上げ線代わりに使っていました。
引込み線から本線へ出る電車は自分は見たことはありませんが、
早朝なら見ることが出来たかも?
現在は同じ光景がナゴヤドーム前・矢田駅で見ることが出来ます。 これほど意味不明の文章を読む羽目になったのは久しぶりだw 現役の市バスの車内で
昔の急行型車両と
同じ匂いがするのがある
どんな匂いか言葉で説明はできないが… ↑
書き込みミス
亀レスだけど、名城線の1000系はブレーキのエア音にも特徴があったな。
終点で運転士がブレーキハンドルを抜き取った時の『パキュ〜ン!!』という大きな音が忘れられない。 >>278
あれは非常ブレーキの音。名鉄の6000系でも似たような音がする。
まぁ、最近の電気指令式ブレーキでは音がしなくなってしまったが。 >>279
ご教示サンクス。
夏場は窓から入ってくるカビ臭く生温い風。
『♪ピンポンポ〜ン 次は〜港区役所〜』という車内アナウンスも反響する走行音に書き消されてしまう。
今と比べたら快適とはほど遠い乗り心地だったけど良い思い出だな。 まいどー ごりよー ありがとーございます。
まもなくー 2ばんホームにー でんしゃがまいります。
はくせんまでー さがってー おまちねがいます。
>>265-266
亀ゴメソ。
「藤ヶ丘」開業当初は概ね4本中3本が星ヶ丘止まり。
星ヶ丘以東はラッシュ時8分毎、日中16分毎。
まだ5両編成と4両編成が半々だった時代。
名港線開業の頃から徐々に藤ヶ丘直通の割合が増したが
高畑開業の前日まで3本中1本位の割で星ヶ丘止まりがあった。 名古屋市電(3部コラム)大阪市電(2部コラム)山陽電軌、阪神電鉄国道線 昭和30年代の国鉄車輌(題名は不明)
根室拓殖鉄道、花巻電鉄、淡路交通をネコ・パブリッシングのRMライブラリーで書籍として、近いうちに
確実に出版して販売されます楽しみにしていて下さい。かなり触れられていない面も書かれる見たいです。
これらの鉄道は前にも、他の鉄道関係の出版社から数十冊以上、出されたはず
これはただの書き写しで著作の侵害じゃない?編集に関わっていない人の名前を出して!! >>281
25年近く前の記憶だけど、名城線で今で言う発メロに『ボォーーー』という電子音を使ってたような希ガス。
市内在住ではないので乗車機会は少なかったけど、どなたか憶えてる方いますか? お待たせしました、浄心ゆきー 間もなく発車します。
扉がー閉まりますからー、ご注意願います。
『ボォーーー』
ジリリリリリリン
次ぎはー いりなかー いりなかー >>286
名城線が大曽根止まりだったころ、
「お待たせしました、まもなく発射します。」
「ポォーーーーーーッ」
「扉にご注意願います。次は平安通り、平安通り」
と、案内が流れていましたね。 ↑思いっきり誤字しているwww
発射→発車
平安通り→平安通 黄電1000系の運転台には、箱型の大きな速度計が付いていて萌えた。
ATCの信号現示に従い、速度計の周りが緑→黄→赤と点灯する仕組みで、他に類を見ないタイプ。
かぶりつきに立って、遮光幕の隙間から運転席を覗き見ていた、消防の頃の思い出。 >>291
少し違う。
緑(65)→黄(45)→オレンジ(25)→赤(0)
の四段階でした。(これは今の2000系でも同じ)
ベルの音も「カン」ではなくて、「チィリリン」でした。 自分もかぶりついて見てたな
っつか、それより、イスに右足上げて足立てて運転してた横着な運転士がいた。あれには子供心にもビックリしたな 市電末期の記憶しかありませんが、系統表示板に「臨」か「臨時」というのが
よくあったように思います。これはダイヤにはない列すを臨時で出していたというのでしょうか? >>295
そのとおりではないかな?
普通の鉄道車両なら増結で対応できるが、路面電車では
それが出来ないので臨時運転で対応したのでは? ネコパブリッシング株ュ刊のRMラブラリーで名古屋市電を127号128号
で紹介するみたいです。尚125号126号は大阪市電で123号〜124号は
この本特有のマンネリの昭和30年代の国鉄車両だそうです。 >>297
>125号126号は大阪市電で
49で大阪市電やってるのにまたなんて、信じられないな。 298様 私の後輩が携帯電話から直接メールで聞いた事なので、不明瞭な事なので
何卒ご了承ください。又名古屋市電はRMラブラリーで必ず紹介する事はほぼ確実だそうです。
他に廃止された市電や昭和40年代以前の旧国鉄車両も全て紹介するみたいだと、後輩は話していました。 4号線金山ー新瑞橋が開業する前(名古屋港までは開業後)の
金山駅や鶴舞線開業前の伏見駅はどのような構造だったんですか?
金山駅は4号線用のホームはなくて名古屋港方面用の中の2線だけで
栄え方面からの列車の半分は金山折り返しでしたか?
伏見駅は新栄町みたいに、東山縁ホ−ムのすぐそばに改札があったんんですか?
そして鶴舞線工事のさいに、出口の付け替えもあるような大工事をやったんでしょうか?