赤羽線
>>1
おー、赤羽線懐かしい!
乗ったことないけど >>2 わろた
黄色い103系8連、
板橋のセメント工場、
俺の記憶が出尽くした… ラッシュで窓ガラスが割れてたっけな〜。
見た事ないけど。 新宿・渋谷から東北・高崎線に出る時、ショートカットになりそうで実は糞使えない路線。
何のために存在してんの?死ぬの?くらいにいつも思ってた。
池袋での東上線優等列車との並び。
まだ7800系、7300系が健在の頃の話だ。 若かりし頃、板橋駅で帝京高校の学生と北チョンコロ学校の在日の
糞ガキがケンカ、チョンのガキが流血しているのをよく見かけたわ
もちろん帝京側を応援だわなw
話し変わるが、米政府が北チョンへのテロ支援国家指定を解除しちゃったけど、
やばいわな〜、また将軍様の思う壺wこいつら民族が約束を守るわけないだろよ。 赤ちょんと呼ばれてた時代が懐かしいね。
国鉄末期のほとんどの路線が、赤字の営業係数だったのに、
ほんとに数少ない黒字路線でしたね。 京浜東北から赤羽の昇り降り最悪。
お召しの遭遇率高し。
末期の4色混合電車のドア上赤羽線シール。 複線なのに、両端の池袋と赤羽ホームは1線のみ。
おかげで増発もままならず。
11分ヘッドが限界だったんだっけ? 池袋駅の4番線だったね。当時、池袋駅は国電から東上線まで通しの番線だった。 正式に“赤羽線”になったのは確か総武本線東京地下駅開業の頃だと思ったが
それ以前に通称で“赤羽線”と呼ばれてたことはあったの?
因みにJTB“国鉄監修”時刻表昭和47年1月号では池袋〜赤羽間の路線名表示は
“山手線”になっている。
確か正式路線名は今でも赤羽線なんだよね。
今では埼京線の一区間だけど。 ウィキからの天才房は来るなよ
餓鬼のおまいらは当時のことなど何も知らないだろうw 赤羽駅ホームは片面がフェンスだったな。
京浜からだと階段だらけな乗り換えがいやだった。 >>13
もともと山手線の一部。
東北本線グループで起点赤羽〜終点品川で,支線が池袋〜田端だった。
1972年7月に今のような形になりそのとき「赤羽線」とう正式路線名称が誕生した。
もっともそれ以前から通称としては「赤羽線」と呼んでいたらしい。
少なくともウチの家族や隣近所は昭和40年ごろそう呼んでいた。
昭和44年初頭まで板橋まで大宮のD51が来ていたね。 ストがあった時なんか混雑がもの凄い事になったという事を聞いた事がある。 なつかしす
俺は4才まで京浜東北線と赤羽線の親子踏切の近くに住んでた。まだ茶色で床が木の電車だった。 厨房の頃、豊島区の庚申塚から、板橋駅最寄の北区の滝野川の学習塾に通うのに、
雨の日は(都電)大塚〜(山手)池袋〜(赤羽)板橋と、糞大回ルートを取っていた俺は神。
直線で1km程度なのに。
晴れの日はもち、チャリで10〜15分だったけどね。
何であん時、傘差してでもチャリで通わなかったんだろう? 自分の事なのに不思議だ。
その頃は赤羽線は既に、当時の池袋1・2番線になっていたけどね。
埼京線開業の2年前くらいの話。 京浜からの乗り換えでもうひとつ。
「黄色い電車はドアが速くてガラガラと怖かった」です。 赤羽線時代から新宿方面まで乗り入れてればと思ってしまう。 懐かしいス 朝の赤羽駅はチョソオンパレ 恐怖の通学。スペック的には8両編成の鶴見線、勿論冷房無し夏最悪 消防時に埼京線が開通して、地図から「赤羽線」が消えたのは印象が強かった >>15 そうだね。当時の事、知らないから突っ込めばすぐボロ出る 赤羽駅の乗り換えはずいぶん高いところにホームがあると思った。
新宿方面から池袋乗換えは、ホームの反対側で便利だった。 えー!
あの池袋の駅を出ると板橋、十条、赤羽のたった3駅しかないあの赤羽線?
を思い出した。微妙に間違ってるかもしれないけど。 稀にだが、赤羽を京浜と同時に近い発車をすると、
赤羽線:土手を上る
京浜線:土手を下る
高い低いに子供的な優越感や敗北感を覚えた。
今じゃみんな背が並んじゃったなァ。