【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
いい歌だと思うよ。
否定的な意見もあるけど、
当時は、「暗い」なんて感じは微塵もなかったな。
昭和52年くらいなら、こんなもの。
「歌」に、そんなにケバケバ、デコレーションするような時代ではなかったし。
今から思い返せば、小学生だった当時、
なぜ、あんなに、「ザ・ベストテン」に熱を入れていたのか不思議な気もする。
現在ほどエンターティメント不毛の時代になると、
当時の国民の「エンターティメントに対する熱狂」=「歌謡曲神話」も、
「バカバカしかったのかな?」と、疑問は生じるのだけど、
当時はそれだけ時代も進化していなかったし、
そういう現実があった、というだけに過ぎない。
当時に現況を予測することも不能だし。
どこか、法学でいうところの「遡及行の無効」と共通するものがある。
このスレで、「蒼い時」を、昭和56年当時に読んだ人って、どれくらいいる?
現代と比較すると、世相の変化がよく分かるよ〜。 ♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん
蒼い時の全体の3分の2ぐらいまでの書きっぷりは、
並の作家をはるかに凌駕してると思った。 残間里江子さんだっけ?
本物の執筆者は。
ちなみに、当時から、中学生の間ですら、
「あれは、ゴーストライターいうて、
作家とか、文章の上手な人が代筆しとるんやぞ」
と噂されていた。 そうなの?
とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
まあ、誰でもいい。
誰の代筆であれ、著述の内容に関しては当時の百恵さんの本音であろう。
本文で、「プライバシー侵害の被害がある」と述べている通り、
引退後はまったくマスコミの前に姿を現さず、
「本当の一般人としての生活」を貫き通していて、
この潔さに、昭和の時代の人間の「真面目さ」が象徴されている。
今度の、富山地鉄のバタデン映画の主人公は、夫の友和さんであるが、
「ベテラン映画俳優の夫人、かつては一世を風靡した人」として、
妻としてどのようにベテラン俳優を支えているか、
夫妻でインタビューにくらい応じてもいいのではないか、と思うけど、
それも絶対にない。
それだけ現役時代、73年〜80年に、マスコミに翻弄されたことを
強く受け止めているのだと思う。 >>231
>とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
「自筆ではない」客観的な状況ってなんでしょうか?
至る所で原稿を書いていたことを目撃され、書いているところの写真も残り、
多くの人(筑紫哲也)などが書いているところを証言し、山口百恵の
筆跡が残る原稿があるんだから、客観的状況は本人自筆だと思われるけど? 当時の百恵さんの多忙ぶり。
引退の日から発行日までの経過日数。
おそらく、自筆した原稿は存在し、執筆の様子も目撃されているのだろうけど、
全文が自筆ではないはず。
口述で書物を製作するなんて、どこの出版社でもやっていることですよ。
たとえば、
渡辺昇一「国民の教育」(産経新聞社 2001年)
「口述によって著述したもの」と明記してある。
だいたいパターンがあって、「蒼い時」と類似性を感じる。
絶対に本文にしわ寄せが来るのだ。
P18「私には、父はいない」
P184「父が〜作ってくれた」
とかね。
ちなみに、高校の文芸部というのは、
こんな揚げ足取りなことばかりやるのが専門です。
口述による執筆など、文芸の世界では恥ずかしいことでもなんでもないですし、
結果的に、形整った文章、後世に読み継がれる文章が、
後の世代の模範となれば、
書物というものは十分な役割を果たしているんです。
「私の歩んだ21年の日々、そして、
芸能界というある意味では特殊な世界に生きた8年間の日々を、
自分の手、自分の言葉で書き記しておきたかったのである」
という、書物発行の目的は達しているのですから、
第三者に助けられた部分があっても、それは当たり前。
プロの作家ではないのですから。 <筑紫哲也の百恵との出会いは、友人だった残間里江子の事務所に夜遅く用があって立ち寄った時のこと。
そこにたまたま『蒼い時』執筆中の百恵がいたのだった。
彼は執筆段階で百恵の原稿を読んでいた数少ない人物のうちの一人でもあった>筑紫
「『蒼い時』を執筆することになった百恵ちゃんも、仕事帰りに立ち寄って、筑紫さんと机を並べながら、
ダイニングの作業台で原稿を書いていたのである。」残間 「私には、父はいない」って比喩的な言い方をしてるだけじゃん。 NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
百恵さんは、「伝説から神話へ」とまで言われる人だけど、
当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていたと思う。
ピンクレディーは、やや、「子供向けの歌」の色彩が強かった。
小学校卒業の頃、
「子供向け」に飽き足らずの状態になって、
ニューミュージックに傾倒していった時代でも、
百恵さんは「聴き応え」があった。
「さよならの向こう側」なんて忘れられない歌だぞ。 今NHKラジオAM1の「おはよう朝一番」内の「今日は何の日」コーナーで1980(昭和55)年の今日引退と
取り上げられたのでage。 ちなみに、JTB私鉄時刻表のシューズ広告に登場していたのは、
同世代の太田(福岡)裕美さん。(現在56歳)
「歳相応の、中高年女性としての役柄」と考えれば、
過去のアイドルは、こういうメディアの乗り方が正しいのだろうな、
とは考えるけど、
正直言って、「うーむ。年月は確実に経過しているのだな」。
(自分もそうなんだから、悪い書き方はしたくない)
百恵さんみたいに、「絶対に出てこない」方が、
「昭和の歌謡曲、国民の熱狂の神話」が美化されて、いいのかも。 2つ前のヤツです。
発売されるタイミングが不規則なので、何年か正確に書けませんが、
3〜4年前くらいの「JTB私鉄時刻表」です。(JTB時刻表とお間違いなく)
太田裕美さん自身は、子育て終了以降、
あちらこちらで「アコースティック系のコンサート」に呼ばれていて、
出演しているので、ポスターでも見かけます。
それに数年前、NHKの連ドラに
「歳相応の年齢の女性役」で出演したと聞きます。 太田裕美ちゃん、いい歌いっぱい持ってるのに
同じ歌ばかり期待されて可哀想 >>248
彼女の曲に「銀河急行にのって」という曲があるが、これを録音して急行
「銀河」のナハネフ22の展望スペースで聞きながら旅をした
思い出がある。密かに「銀河」のテーマにしていた。
松崎しげるのは「銀河特急」だったのでやめた。 いい日旅立ちキャンペーンの動画がようつべにもほとんどないね >当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていた
これは後半期だろ〜
初期の山口百恵は思わせぶりな少しキワモノっぽい歌詞の歌多かったぜ。
アイドルとしては桜田淳子の方が王道だったと思う。 ニコニコで白石涼子と初期山口百恵のひと夏の経験を聴き比べて
百恵は単なるキワモノじゃなかったように思った。
歌詞がキワモノだとか歌が下手だとかいうのを超えた
何か不思議な魅力がある。 「青い果実」も、「ひと夏の経験」も、
僕の年齢では、
聞いていた時代は、意味が分からないから、それでいいの。
「女の子の一番大切なもの? ぬいぐるみかな?」なんて思っていた。
百恵さん自身、一番大切なものは「まごころ」と記している。 万個なら何回でも捧げられる。
誰かに捧げるために守ったり
一生に一度だけ経験するんだから処女膜に決まってるだろ 処女膜…そんな「膜」があると固く信じて疑わなかった中2の夏でした… 俺が中房のころ切符袋にいい日旅立ちって書いてあった、のびのび切符を仲間で分ける時、いい日朝立ちとマジックで書き直してその切符袋で渡すのが定番だった。確か200系新幹線の写真がデザインされてた時代。
ちなみに僕は、陰毛生え始めも、初めての射精も、
「中1の3学期」の性教育授業より早かったので、
当時の混乱ぶりは凄まじかったですよ。
性教育を受けても、まだ理解に届くまでは時間を要し、
「セックス行為の本当のやり方」を知ったのは、中学校卒業の頃。
「蒼い時」を読んだ時期より後です。
「蒼い時」の、性に関する記述も、まだ推測の部分がありました。
もうほとんど分かっていた時代ですが、
完璧に知るのはもう少し後なのよ。
「入れる」、なんて恐ろしいこと、純潔な少年には想像はできないの。 >129
>209
オレンジキャンペーンではなく、
オレンジオペレーションな。 年表サイト「国鉄があった時代」によると、
昭和51年から国鉄部内でやってる動きは「オレンジ作戦(オペレーション)」だが、
昭和54年の欄に
>国鉄のオレンジキャンペーン「きっぷは正しく」の運動始まる 12/20
とあるので、外部向けには「キャンペーン」でも正しいような気がする。
おれは、正直なところ、今検索するまで「オペレーション」の方の言い方は知らなくて、
「キャンペーン」の方しか記憶になかった。 266です。
267さん補足説明ありがと。
確かに仰るとおり、対外的にはオレンジキャンペーンでも意味は通じるし、
かえってそっちの言い方の方が当時は一般的だったんかも知れんね。
(なんせ遠い昔の事なんでオレンジオペレーションの名称しかおいらの記憶に無かっただけです。)
過疎スレなのにこんなに早くレスつくとは思わなかったんで正直驚いたっす。
普段は立ち寄りさえしないスレなんだけど、ひょんとした事がきっかけでここが
目に止まり読み込んでしまいましたわ。
余談ですが、同じオレンジでもオレンジギャルの方が好きな事はここでは内緒w
そろそろよそ行こうと思ってその前に念の為にF5したら、>269さんのコメがw
実はちょっとだけ何か期待♪してたんだけどやっぱり何かここ、裕美ストも定期的に
訪れているような希ガス。離れられなくなるぢゃないですかw
今朝JR西日本のCFで木綿〜流れてるの見てしまったのと、NHKの
「みんなのうた」で金平糖聴いてしまったのがモチベーション上げてしまった。 太田裕美さんには「銀河急行にのって」というファンタジックな名曲が
あります。この曲をカセットに吹き込んで密かに当時の急行「銀河」のテーマにして、ある年の旅立ちに持っていきました。
もちろん深夜ナハネフ22の最後尾の展望室?に陣取り、流れる線路の夜景
を見ながらひとりウォークマンから流れるこの曲を聞いてみたことがあります「銀河」の「急行」であって「急行」の「銀河」ではないのは承知でしたが。
♪眠りにつくと迎えにくるの(hu-go to the milkyway)
白い煙をはく機関車が〜 って曲です。
271さん、
いいですね、こういう汽車旅と懐メロのエピソード。
割とハイテンポでロマンチックな歌詞という旅情を掻き立てるナイスな曲(かれこれ36年前!)
ですよね。歌詞にならって七夕の頃を見計らって旅をされたんでしょうか?
実はさっきこの曲も聴いてました。最近は暇さえあれば彼女の曲を聴いています。
とにかく癒されます。今の時期だったら定番の「さらばシベリア鉄道」また渋め路線では
「街の雪」(←どこの街でしょうかね?ある程度の都会で雪が積もるところ。全国に
いっぱいありますね。)が汽車旅に合うと思います。でも「街の雪」じゃ切符破いて汽車に
乗るのを断念するからダメですね。
なんか、国鉄のキャンペーンを離れて、鉄道と懐メロを語るスレみたいになって来ちゃったなw
池原なんちゃら言うのが、鉄道じゃなくて百恵を語り出してからおかしくなった。 だって仕方がない。
百恵さんと鉄道の接点のネタより、
我々の世代の、子供の頃の、「芸能界神話」の方がインパクトが強過ぎた。
クラス学級が芸能界の話題で回っていたような時代だった。
「あー、日本のどこかに〜」
西日本車の新幹線に乗れば聞こえるメロディーだが、
「日本の」と歌うところに、
昭和52年当時は、まだ海外旅行は一般的じゃなかったのかな?
なんて、思いをめぐらす。
国鉄に存在感があった時代である。 >だって仕方がない。
正当化は結構です。
>百恵さんと鉄道の接点のネタより、
いや、そもそもここは「いい日旅立ちキャンペーン」スレであって、
「山口百恵と鉄道の接点を語る」なんてスレではないんだよ。
スレ趣旨を根本から誤解してるから、話がズレる。 じゃあ百恵さんが本当に汽車に乗っていたとき(テレビで観た)の
話題を。
僕がまだ、芸能界、歌謡曲のことを正確に把握する直前、
つまり、小学校4年生くらいの頃だと思う。
(5年生になると、クラスメイトほぼ全員が芸能界の話題を交わすようになった)
山口百恵さんが、北海道で、蒸気機関車と一緒に映っていて、
「今日で、国鉄で蒸気機関車が走るのが終わる」という内容の番組を
放映していた記憶があるのですが、
具体的なことをはっきり記憶している人がいれば、教えて下さい。
おそらく、昭和50年頃の、
「北海道での、国鉄蒸気機関車の最後の運転」を記念した中継番組
なのでしょうけど、
僕はまだ幼くて、番組は垣間見たくらいで、はっきり記憶していないんです。
「いい日旅立ちキャンペーン」のスレ、と言っても、
キャンペーンにかかわらず、当時から鉄道は好きでしたし、
歌も、もちろん「国鉄キャンペーンのテーマ曲」とは知っていますが、
どちらかと言えば、歌に関しては、
当時の学校の同級生の影響で、
鉄道趣味とは無関係に、「芸能界、歌謡曲としてのもの」の感覚が強いですね。 スレタイと>>1の意味が理解出来ないバカは消えろよ。
「百恵」とは書いてあるけど、百恵スレじゃねーんだってば。 多分これの事を言ってるんだろうと思って探したら、
ようつべにあったので、貼るだけ貼っとく。
ttp://www.youtube.com/watch?v=rQETQlJl3Ws
あとは大人しくしててくれ。
スレタイに沿った話題を持ってないのに、
わざわざ食い込んで来る必要はないからね。 DISCOVER→JAPANの第一次から「一枚の切符から」、エキゾチックジャパン
など一連の流れの中で駅スタンプもデザインが変わってきた(その後の
「わたしの旅」もあるが、なかで基本デザインは変わらず「いい日旅立ち」の
キャンペーンマーク使用した駅スタンプは少なかったね。
サイトでも見かけるけど例えば豊橋はそれがあった。 >>276
239 :回想774列車:2011/09/19(月) 21:37:45.27 ID:96UgkNHv
NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
国鉄はあまりCMに金をかけられなかったのに
有名歌手を起用したのは奇跡に近い出来事だったのかも。 >>283
今で言うコラボレーション?
CMで流れれば歌の宣伝になりレコードも売れる!
百恵さんがCMに出て歌が流れれば旅行に行きたくなる人が増えて国鉄も客が増える!
歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし、win-winの関係ってところなんじゃない?
早い者勝ちで仮に航空会社や海運会社がCMに起用していたらどうなっていただろうね? お若い方ですかな?
>今で言うコラボレーション?
当時は「タイアップ」みたいな言い方が一般的だったような。
>歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし
事実経過から言うと、これは多分逆。
キャンペーンスポンサーの名前が、キャンペーン名称と曲名に織り込まれた。 暗いものは暗い
嫌いだから暗く感じるとか暗いから嫌いだろとかアホか
だったらアングラは通用しねぇだろ、シュールなんだよこの世界は
負け組みのしみったれの様な主人公の歌
自己破産で清々して早朝旅に出る事閃いたみたいな
歌の人気がどんだけか知らんが聞いて旅出たくなるって当然なんだよね
自殺者が多い国では同病相哀れむだから主人公に感情移入し易いのさ
果てしなく暗い歌、海の底で聞きたい歌
じいじいは2chに来んなんよ 「負け組 み 」なんておかしな送りがなを使うのは、
大体20代以下と相場が決まってる。
この歌や、当時の記憶が全然懐かしくない人が
ガタガタ騒ぐ事ではないです。御退場を。 当時を理解していたり旅好きだったら暗く感じないとか、益々焼きが回った言い分。
年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど、旅擽るのは明るい曲ばかりなのかよww >年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど
この歌が流行った段階(33年半前)では、
いま還暦の人でも20代後半。
この曲で旅行きたくなるって事はロートルとか人生破綻者って事だよ
早めに焼きが回ったんだろ、若年寄め
それとも徘徊したくなった? 旅がいつでも楽しいだけのものでなければならないなら、
お前の感覚も間違ってはいないと思うがな。
ま、お前もあと少し人生過ごしてみれば、
わいわい楽しい旅や、昂揚感あふれる旅だけでなくて、
しんみりした旅の深みや味わいも理解出来るようになるよ。
「しんみりした旅」≠「人生破綻者の逃避行」だよ。
人生が破綻していなくても、40過ぎれば、
親や恩師や先輩… それまで世話になった人たちが次々亡くなる。
同年代でさえ、亡くした友は1人や2人では済まなくなる。
とくに、親しい後輩の死。
事故や自殺での突然の別れもこたえるが、
自分より若い人が病気で死ぬというのは、相当に衝撃だ。
そして、旅に出て、共に人生の時間を過ごした懐かしい人たちを振り返る。
楽しくはないが、そういう旅の形もある。
♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
この歌が歌っている「旅」とは、まさにそういう「旅」ではないかと思う。
人生経験の浅いうちには、理解出来ないかも知れないけどな。
それをロートルとか人生破綻者という言葉で片付けてしまうのは、
お前の親や、じーちゃんばーちゃんの世代の人生を
完全否定する事になるんじゃないかな?
(それでいいなら、別に構わんけど…それはそれで不幸な人生だなお前も)
煽りにマジレスで、芸がなくてすまぬ。 なんか日根野の381が国鉄色で出場してきたね。
名称も「くろしお」に統一された事だし、例のCMの「くろしお」が難無くリバイバルな予感( ´∀`) ジジイキモい、と言っても
やがてみんなジジイになるのよ自動的にw
若い時は「自分だけは違う」と思ってしまう。思いたい。
おれもそうだった。
けど、老いはやがて誰にも公平にやってくる。
その例外になるのは、若くして亡くなった人だけだ。
明らかにメンヘラの症状を歌った歌
共感を覚えたキチガイゲソなどの類が各地にばら撒かれたわけだ 「いい日旅立ち」マーク入りの駅スタンプって少なかったよね。
DJの1〜3次とロゴ変更を繰り返し、一枚のきっぷからでまた変わって
変更が追いつかなくなったのかめんどうだったのか・・・。
スタンプ台の同デザインのロゴ違いのが3〜4本置いてある光景・・・。 僕が小学校5年生の1月にヒットした歌です。
現在の谷村さんの年齢から計算して下さい。
で、いま、島根県で流れているキャンペーンソングだけど、
声が全然衰えていないのは驚く。 こういう問題におまえ個人の年表を持って来るなよタコw
チンペイさんは、昭和23年12月11日生まれ。
「いい日旅立ち」の発表は、昭和53年11月21日。
国鉄のキャンペーンが、11月3日スタート。
谷村バージョンと百恵バージョン、どっちが先に出たんだっけ? どっちが先に出た、って、百恵に決まってんじゃん。
当時、アイドル歌手の曲は、いわゆる「競作」は避けたもんだ。
シンガーソングライターなどからの提供曲の場合も、
すでに知名度のある「名曲」から選曲する場合は別にして、
普通は提供した側が遠慮して、しばらくは歌わない、
歌っても、シングルにはせず、せいぜいアルバム曲として入れる、
ぐらいが常識的だった。(もちろん、例外はあるが)
アイドルの曲は、なるべく他人のイメージが付いていないものを、
という考えが、まだ根強くあったと思う。
また、作者のバージョンの方がいいね、などという評価が出て、
アイドルの方のイメージが傷付く事を予防的に避けたんかな、とも思う。
それが崩れていくのは、ニューミュージック系からの提供が
もう当たり前のようになっていく80年代から…だと思う。
この歌の場合も、チンペイさんのレコーディングは1986(昭和61)年。
(それまでもライブとかでは歌ってたのを聞いたような気はするが)
シングル化は、さらに遅れて、なんと2008年。 一枚の切符から
これは盛り上がらずに終わったな
レールウェイ ララバイだっけ?
そのあとか・・・ 郷 ひろみの“ジャパーン”は 朝陽を浴びて山陽路を走るブルトレのCMって、どこかにUPされてるかな?
『遠くへ行きたい』を観てると必ず流れたと思う。 そういや昨日10月2日はゴーサントオの白紙改正日でしたな。 あったねぇ いい日旅立ちが流れる朝のブルトレの(山陽筋なのアレ?)CM
別のCMは昼行特急中心だが一瞬北海道の単行キハ22が出たり詰め込み過ぎて落ち着かない映像だった この歌が嫌いな奴って、トワイライトエクスプレスに乗ると
文句だらけで大変だろうな。 こういうのって、レコード会社の許可を受けないとダメなのかな? >>316
基本的に陰鬱な歌だから、あまりやたらに聞きたくないってのは正直ある。
JR西日本の新幹線の車内メロディは即刻やめてほしいぐらいに思うレベル。
路線廃止とか、国鉄最期の日とかに似合う歌なんだもん。