【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
函館本線滝川駅
確か6、7番ホームの飲料自動販売機の壁に
キャンペーンイラスト看板が今も当時のまま残ってる 俺はその前年の「一枚のキップから」の方が
好きだった。 懐かしい
どんなキャンペーンだったのか子供でわからなかったが 酉の新幹線のチャイムやCMで使われているあの曲といえば通りがいいだろうか 歌は大ヒットしたが、国鉄離れには結局歯止めがかからなかったような 53年10月改正で幹線部分の特急誘導が露骨に現れた。
昼行特急は原則全列車自由席付で特急停車駅もやたら増えた。
急行より特急に乗ってもらおうとある意味必死な国鉄。
それ以前からの国鉄運賃料金値上げによる国鉄離れが起きていて
さらに「実質料金値上げ!!」と叩かれてまさしく四面楚歌。
もともと「DISCOVER=JAPAN」から「一枚のキップから」へチェンジしたのは
深刻化した国鉄離れをなんとか阻止しようというものだったのだが,
何を思ったかそれじゃ足りぬとばかりに山口百恵さんの神通力を借りようとした
感がある。
よって「一枚のキップから」というのが中途半端で終わってしまったというのは
ぬぐえず,山口百恵さんには失礼な言い方だが,国鉄のこの種のキャッチコピー
の値打ちが急に下がったように見えた。こういうものはコロコロかえるもんじゃないと思う。
懐かしスレで批判するものなんだけど,「一枚のキップから」でよかったと思う。
>>3
「一枚の切符から」のCMは子供が怖がると
苦情が結構あったみたいだよ
>>7
単にスレ主がいい日旅立ちの世代だっただけでしょ いい日旅立ち
これに日立と日本旅行が掛けていたと知ったのは
ずいぶん後になってから
日立マスタックスのCMで、
どこかの駅を通過する様子をスロー再生→停止して、
この駅は自分の故郷の駅だ、みたいなコメントが入るやつがあったんだけど、
どこかに動画ないかなあ?
「ザ・ベストテン」の時間によく流れてたんだよね。
ベストテンと言えば、何処の駅からの中継か忘れたのですが
特急おおよどに乗り込む郷ひろみというのもありませんでしたっけ?。 松田聖子が全日空のSRから降りてきてタラップで歌うシーンもありましたね。 ザ・ベストテンといえば、中森明菜の姫路駅・新幹線ホーム中継を忘れちゃならんだろ 運輸会社と何かコネでもあったのかね?
一回や二回ならともかく多すぎるよ。 ザ・ベストテンの場合の乗り物からの中継は、歌手がスケジュールの
都合がつかず、やむなく移動中をつかまえて中継するという
趣旨が多かったように思う。 今では考えられない場所からの中継も多かったね
歌手は忘れたけど東北新幹線開業前の新幹線車両の鼻先の線路上で歌ったのも覚えてる それにしても、当時の国鉄はよくこんな中継を許可してくれたものだと思う。
現在のJRではとても無理なんだろうな(特に東海) 「いい日旅立ち」って、ヒットしたからいい曲なんだろうけど、
なんだか重く、さびしげな感じで、「さぁ!旅をしましょう!」
といったキャンペーンにはあまり向かないのでは?と、当時思っ
ていたし、今もそう思う。聴いていて何だか気が滅入ってくる曲
だと思いませんか?
なので、今でも東海道・山陽新幹線で酉編成に乗ると、車内放送
のチャイムで「いい日旅立ち」を聞かされるのがイヤだ。
倒壊の「AMBITIOUS JAPAN!」チャイムは明るい感じで良いし、
前作の「DO THEY KNOW IT'S Xmas?」アレンジのチャイムはさらに
良かった。
チト脱線気味でスマソ。 >>27
> 「いい日旅立ち」って、ヒットしたからいい曲なんだろうけど、なんだか重く、さびしげな感じで、「さぁ!旅をしましょう!」といったキャンペーンにはあまり向かないのでは?と、当時思っていたし、今もそう思う。聴いていて何だか気が滅入ってくる曲だと思いませんか?
確かにそんな気がする。
> 倒壊の「AMBITIOUS JAPAN!」チャイムは明るい感じで良いし、
ないない。
あんなふざけたやつより「鉄道唱歌」や「前の新幹線チャイム(ひかり・こだま用)」なんかの方がずっと良い。
> 前作の「DO THEY KNOW IT'S Xmas?」アレンジのチャイムはさらに良かった。
激しく同意。
こっちのチャイムの方が今のチャイムより良い。 >>28
サーカスの「ホームタウン・エクスプレス」が良かったですね
テレビドラマ「鉄道公安官」のエンディング・テーマでしたか > 前作の「DO THEY KNOW IT'S Xmas?」アレンジ
未だにその都市伝説を信じているのか。
公式の資料を出して「原曲はこれだ」と言って欲しい。 >>27
そうは思わないな
「いい日旅立ち」は部内的にも部外的にも評判は良かったし
充分に旅情をかきたてる曲だと思う
その後の郷ひろみの曲こそ超不人気だったし
当時自分もこれは騒々しくてまったく合わないと思った
上に出ているサーカスの曲は国鉄のキャンペーンソングではないけど
番組とのイメージも合った良い曲だと思う いい日旅立ちって、
新日本紀行のテーマや関東甲信越小さな旅のテーマに通じる物があると思う。 1978〜79年の空気に合った曲だと思うよ。
やっぱり暗めな「あずさ2号」「津軽海峡・冬景色」が1977年だろ?
しっとりと旅情を味わう時代だったんだよ。
山口百恵が第1話だけゲスト出演していた赤い激流の最終回の愛はいのちでは
先日亡くなった緒方拳さんふんする田代清司殺しの濡れ衣を着せられ死刑場の
ある仙台へ上野12時25分発の旧型客車の仙台ゆき普通223列車で護送されてく
水谷豊ふんする田代敏夫の姿が印象的だったがあの場面の後にサントリー角瓶
cmが流れていたがそのcmも角瓶と文庫本持って旧型客車で旅に出るものだった 緒形さんが正解ですねちなみに赤い激流は1977年昭和52年に放送された >>34
>しっとりと旅情を味わう時代だったんだよ。
旅情も音楽もどっちもだけど、この「しっとり」がわからない世代が増えつつある。
「短調の曲=暗い・重い・後ろ向き」とか反応しちゃう奴ね。
>>27が「当時思っていた」っていうのは、ちょっと信用出来ない。
あの当時リアルに生きていれば、あの歌が世間からどういう評価をされ、
どういう「位置」に立っていたか、知らないわけではないだろう。
とくに、27の言うような、旅情をかき立てない、キャンペーンに向かない、
どうしようもない暗い歌だったか、なんて事は感覚で理解出来てる筈だ。
(もちろん人により好き嫌いはあるだろうが、それは別にして) CMで使われていた日生のおばちゃんの歌に通ずるものがありますね
あの歌も短調の名曲でした 自分のイメージでは、この曲は「遠くへ行きたい」とけっこう被ってる。
どっちを聞いても、まだ見たことのない町や風景を思いを馳せるような、
望郷にも似たような気持ちが湧いてくる。今は無き路線や風景などへの郷愁をこめて。
しっとりとした旅情っていうのは、自分の中ではこんな感じ。
でも、どっちの曲も一人旅(≒感傷旅行)って感じなので、
卒業、新婚、家族旅行みたいに、複数でわいわいと行くのが旅行だ
という感覚の人にはなじまないのかもね。 鉄道から離れてしまうが、1979年の久保田早紀「異邦人」はやっぱりマイナーで旅を描きだしてた。
でも曲の途中でメジャーに移る部分があるんだよな。
あの明るさが、ポップでバブリーな80年代を予感していたように思えなくもない。
1980年には山口百恵は引退し、松田聖子がデビューする。
「いい日旅立ち」が「2億4千万の瞳」を経て、
「旅立ちはフリージア」(オリエント急行来日時のテーマ曲)に続いたんだ。
「遠くへ行きたい」は名曲だね
本当に旅行に行きたくなったよ
番組のほうも昔のスポンサーは国鉄1社だった 異邦人は1979年でもほとんど1980年だからなでもあの頃の在来線は最高だった
松田聖子といえば昔客車鈍行の1両を大学生グループが貸切にして大きな音で
かけていたのを思い出したがああいうことが許されたのが国鉄時代ではあった
マイナーメジャーマイナーという転調は赤い激流ルビーの指環でもありました >>35
角瓶と文庫本のCMね
最初が早朝の上野駅
次が旧客の中
最後がどこかの宿の部屋
あれをみていて上野530→郡山1250→福島1600頃→峠と旧客鈍行だけを乗り継いで
峠駅から山道を歩いて温泉宿にいったものと勝手に解釈していた。
>>38-41
こういう話題になると、同じ旅を歌っていながら曲調の正反対な2曲が存在する
「銀河鉄道999」を思い出してしまう。
TV版は、アップテンポではあるけど、持っている空気というのは
「いい日旅立ち」や、ここで上がった「遠くへ行きたい」「ニッセイのおばちゃん」
「新日本紀行」メインテーマなどに通じるものがあるんじゃないかと思う。
岸洋子の「希望」や、「遠くへ行きたい」の中で一時期流れた「ひと駅ごとに」
(森田公一とトップギャラン)もこの流れかな。
思えば、あの当時は短調の感動的な名曲って多かったよな、と。
それが数年後、映画版でゴダイゴの御陽気な曲に変わってしまうあたりが、
時代の変化だったのかな、と思ったりもする。
(ま、あの路線には批判や反省もあったのか、「さよなら」の方のラストでは
一種の揺り戻しが来るわけだけど。)
ちなみに、「新日本紀行」メインテーマは、冨田勲以外の人によって
「祭りの笛」という便宜タイトルが付けられてしまったが、実は冨田によると
祭りじゃなくて、SLが発車するシーンをイメージしたものらしい。
そう思うと、青木望作編曲のささき版「999」も、徐々に楽器が増えるイントロや、
細かく刻むリズムが、同じ「発車」をモチーフにしてるような気がする。
余談ばかりの長文でスマソ。
余談ついでに>>42 ルビーの指輪って、メジャー転調する場所あった? あ、すまん、TV版の作曲は平尾昌晃だったっけかw 訂正です。 >>44
ゴダイゴの「銀河鉄道999」は確かに元気いっぱいだったね。
「ガンダーラ」はゆったりとしていたし、999のB面の「テイキング・オフ」も落ち着きのある曲だった。
タケカワユキヒデとミッキー吉野の音楽性の幅があったからこそ、
70年代的なゆったりした表現から80年代のネアカな空気まで掴めたんだろうね。
つーか「テイキング・オフ」はいま聴いても、周遊券を手にして日本中を旅して回った頃の気持ちの高揚が戻ってくるわ。
http:jp.youtube.com/watch?v=hWgW3s9UwpA&feature=related
グリコのアーモンドチョコの宣伝で旧客に乗った青年がチョコを齧る
BGMは松山千春の「季節の中で」
あとはアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」とか当時ウォークマンで聞いた
せいで旅というと「いい日旅立ち」より世代的にこっちがしっくりくるね ヒストリー・チャンネルでやっていた「文学道中」という番組の曲も旅情をかきたてるものでした
Tスクエアの安藤まさひろ氏の哀愁を漂わせるギターの音色が何ともいえない良い味を出しています
太宰治の回などは津軽鉄道が出てきましたし、雪国の回では上越線が出ていましたね
そういえば文学からとられた、もしくは文学を連想させる列車名も結構あるものですね
「踊り子」「ゆきぐに」「津軽」「しおさい」などは有名な作品名と同じですし
「やくも」「みすず」などは文学者の名を連想させます
「天の川」は松尾芭蕉の俳句から命名されたのでしたか
「ムーンライトえちご」も「天の川」と名乗れば良いのになどと思ってしまいます >アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」
いいねぇ〜
あの歌自体は、旅の歌ではなく、遠くに聞こえる汽笛を聞きながら
でもこの町で生きていこう、という歌だったけど、
シングル版のジャケットが、非電化単線・1面1線の小駅で撮った
うっすら雪の積もる季節の朝焼け?の光景で、旅情をかき立てられた。
イメージ的には北海道だと思っていた。
いつか国鉄全線を乗り尽くしたらこの駅にも出会えるかな、と期待した。
その後15年。夢だった全線完乗は果たしたけど、その全線全区間を
かぶりつきで乗ったわけでもないので、この駅はわからなかった。
夜の間に通ってしまった駅か。あるいは、いくつかの線区は廃線までに乗り潰せなかったので、
その区間にあれば、気付く気付かないじゃなくて、そもそも出会えていない可能性もあった。
そこからまた15年。ネットの時代になって、たまたま検索してたら、ほんとに偶然、
それが東北の某本線の某駅だとわかった。思ってもいなかった意外な駅だった。 伊勢正三の「なごり雪」には駅での別れが出てきますが
この歌は津久見駅でできたそうですね
ゲーム「電車でGo」に出てくる秋田新幹線「こまち」の歌も良いものです ♪雪解け〜間近の〜北の空に向か〜い♪
この歌が出た頃にはとっくに本州対北海道の交通手段は
飛行機がメインになってましたな。
昭和54年に成田開港→羽田の発着枠が空き、国内線増便で
一段と加速した感が。 >>53
メインではなく拮抗してたんでないのか?
当時は航空運賃はベラボウに高く,今のような安売りチケットもなかった。 いや、54年じゃ、もう拮抗とは言えない時代だろう。
Web版函館市史にこんな一文がある。
>北海道・本州間の旅客輸送シェアは昭和40年で国鉄(青函航路)が83パーセント、
>航空は16パーセントたらずだったのに対し、昭和53年には航空が60パーセント、
>国鉄25パーセントと大逆転した(昭和55年7月14日付け「道新」)。
>昭和50年代はもはや長距離列車で旅をする時代ではなくなったのである。
ttp://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-03/shishi_07-03-56.htm 俺は谷山浩子さんの「河のほとりに」のモデルとなった高梁川に行きたくて旅行したなあ 「津軽海峡冬景色」の歌詞を若干かえて「能登半島」の曲につけて歌ったことあるなー。
最初の出だしはぴったしなんだよなwwww
同じ三連符・短調の歌だからね。そりゃつなぎやすい罠。
ちなみに、その次の「暖流」まで含めて、「旅情三部作」は全部三連符。
>>56
おれは「テングサの歌」で岩代駅に(ry >>58
俺も岩代いったぞ。谷山さんの歌に惹かれてな。
そういや東北のやつで谷山ヲタがわざわざ「午前5時の新宿駅」
を見物にいったなー。朝帰り族が多いんで驚いていたっけ。
>>59
オールナイトで朝帰りか、「河のほとりで」のモデルが高梁川とは知らなんだ地元なんで
谷山浩子といえば上越新幹線になるわけだが
鉄系ソングではディスカバージャパンのCMソングが好きだ >>55
ビジネス客は航空利用だろうけど、一般の人の帰省とか旅行では、
まだまだ連絡線利用が多かったイメージがある。まあ、昭和50年代半ばまでね。
>>58
短調と長調の意味がよくわからないんだけど、かいつまんで教えてくれないかな。 百恵ちゃんが歌うってのが改めてすごいな。
今の時代、ああいう存在の歌手っていないわな。 >>61
簡単にいえば
楽しそうな音楽→長調
悲しそうな音楽→短調
ということを基本にして考えるといい。
ちなみになにか楽器あれば
まず普通にドレミファソラシドとひいてみよう→これが長調
今度は「ミ」と「ラ」と「シ」の音を半音さげて同じように
ドレ(ミ)ファソ(ラ)(シ)ドとひいてみよう→これが短調
…つか、小学校の音楽の時間ぐらい真面目に聞いてろw>>61 >>64
やっと俺の音痴の原因がわかった!
みんな音楽に詳しいな。 当時山口百恵のポスター盗難続出で、京都駅の通路なんか手の届かん高いところに張ってあって、おまけに予約済みの札が張ってあったのにはワロタ。 鉄道の駅や車内のポスターなんて、今は肖像権がどうのこうので
入手困難だから、いい時代だったんでしょうね。 今でも交換の際言えば貰える事が多いよ。外注業者が交換してるし。むしろ肖像権絡みなら廃品を売る方が難しい。 跨線橋の国鉄ポスターを張り替えている時など
しばしば終わったポスター下さいと言ってくる人がいたよ
もちろんあげました
うちには国鉄バス宣伝をする音無響子さんポスターがある >>60
ディスカバージャパンのCMって!遠くへ行きたいですね?それとも別の曲がありましたっけ? >>74
旅へ行こう 旅へ行こう
楽しい旅へ〜
誰かと 誰かと 遠くへ〜
ディスカバージャパン
ディスカバージャパン
ってやつだろ?
>>71
おれは美保純のドリーム号のポスターが欲しいっす。 「とろーり」だっけ、キャッチコピー。
なんか、意味わかんない感じもありつつ、エロかったよなw
ちなみにおれは昔、南紀ビーチのこのみちゃん水着生写真立看板を略d(ry >>76
4年ぐらい前、オクで2万ちょいで楽されていた。鉄じゃなくて、バスマニアが落札
してと思う。 >>77
このみちゃんってこの子ね。↓
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~rajomon/sub1802.html
確か国鉄のテレビコマーシャルにも出てたな。 http://www.konomi-mashita.com/profile.html
へー、今は女優・写真作家なんだ。
全然雰囲気(ふいんきじゃないょ)が変わったね... >>77
このみちゃんて「がんばれ源さん」の間下このみかよ!
子役立て看を略Dって、おま… >>84
今、>>81で紹介したリンク先見直したら、このみちゃんのマン筋写ってるぞ。いいのか?国鉄?
さんま大先生とかに出てなかったか?
大きくなったな。 >>86
「所さんのただものではない」だろ、カケフ君とか 元富山レクのレチだった
伊藤敏博の青春18って曲
当時発売されたばかりの
青春18のびのびキップのテーマソング? いい日旅立ちのレコードって結局レコードがなくなるまで廃盤にならなかったんだっけ? >>94-98
こういうアホな結束力はどこから湧いてくるんだw
お、おまい…
スレタイをじっくり読んでみろよ。
せっかくスレタイちなみの「百」番だってーのに、
なんでそんな下らん書き込みで潰すんだよ… orz いい日旅立ちの国鉄のテレビCM、すごい良かったよな。
もう今や見れないのは残念。 Youtubeでもないな…家庭用VTRが普及し始めた頃だもんな
懐かしのCM見たいな番組で10年くらい前にあったぞ。15秒のやつだけど。381系くろしおが写ってた。 国鉄CM集めたDVDとか結構売れると思うけどな。
商品化したらどうだ?>JR東日本企画orJR西日本コミュニケーションズ
いちまいのきっぷ〜♪ をもう一度聞きたい
消防時代の微かな思い出 >>105
国鉄は地味だぞ。森繁や金やん見たいか?
倒壊のCMのほうが売れそう。 深津絵里が出てたCMを今見ると、
ファッションやメイクが当時最先端だったのかも知れないけど、
改めて現代の目で見ると却ってダサさ炸裂!
ギャグにしか見えないね。 今から5年もすると、今の人もダサく見えるんだろうね。
でも、鉄道だって人の事は笑えないと思う。
国鉄民営化直後の塗装変更ラッシュは、私鉄まで巻き込んで嵐のようになってしまったが、
半分ぐらいは笑える色遣い・塗り分けだったような気がする。
JR西がピンクを使ったのが筆頭だと思うが、ともかく、
目立てばいい、派手ならいい、今までにない色ならいい(w
国鉄色の再評価や、私鉄でも復古塗装が流行ってるのは、
ひとつは鉄向けのイベント要素なんだろうけど、素人目にも
ケバイ塗装の嫌らしさが飽きられてきてる事があるんじゃないかと。 JR西バスがつばめマークを捨てピンクをアクセントにした塗装に変更したのは衝撃的かつ新鮮だったぞ。
今なお古くもダサくもないぞ。
倒壊の場合は深津絵里の白塗りがキモイだけで、初代シンデレラEXPのねーちゃんは、
眉毛が太いだけであとはファッションも含めて至ってナチュラルだったぞ。 >>112
>白塗りがキモイだけ
>眉毛が太いだけ
…それ、十分大爆笑の要素じゃんw いやいや現代にも吹石一恵という眉太女優が居るから、眉の太さだけが時代の決め手にはならんよ。
深津絵里は、だんだんの白塗り舞妓に匹敵する爆笑物だが。 眉が太いだけならおかしくないが、
あの当時の眉は、細い人も太く濃く描いた。
それは天然太眉とは似て非なる物。
富田靖子あたりも、元々天然太眉だが、
当時の画像を見ると、明らかに妙なアクセントを付けて
さらにくっきり描いているのがわかる。 東海のCMなら、牧瀬里穂のCMが一番好きだなぁ。
山下達郎の曲がかかってて。
「ジングルベルを鳴らすのは、帰ってくるあなたです」
名ゼリフだよ。
やはり一発目のシンデレラのインパクトがデカかったな。
民営化の印象を決定付けるCMだったし。
国鉄とJRのCMで最大のヒットだね。 あれは白塗り以外の何物でもないぞ。
今出てるヤクルト ジョアのコマーシャルに出てる顔と比べてみたら納得だぞ。 鈴木その子は確信犯だからあれはあれで清々しいw
深津絵里の場合は流行のファッションとして捉えられているからお笑いになる。 山口百恵のCMって15秒と30秒バージョンだけだっけ? >>124
わからん…
ただ、くろしおが出てたほうが長かったような…?
>>125
夜のブルトレが走るヤツが有ったよな?当時の仲間内では「紀伊」って事にしてたがどうなんだろう? 10月2日にダイヤ改正して、3日からキャンペーン開始というのは、
パブリシティのうえで、なにか考慮したのかな。 この頃だっけ
「きっぷがなければ乗れません。目的地までの乗車券。特急には特急券。急行には急行券。」
というポスターがそこかしこに貼られていた。 きっぷを…のポスターはオレンジキャンペーンっていったっけ。
一枚のきっぷから、の頃かと。オレンジカードより少し前。 「いい日旅立ち」と「ぢゃぱ〜ん!」は、昔北海道のSTVテレビで夜7時前にやってた
「エスタ国鉄だより」のBGMにも使われてたんで、俺はそっちの方が印象に残ってる。
個人的には「いい日旅立ち」も「ぢゃぱ〜ん!」も好き。前者は18きっぷとかでローカル線を
旅するのに向いていると思うし、後者は新幹線や特急とかでメジャーな観光地へ行くのに
向いていると思う。 エスタ国鉄だより って番組の名前? どんな内容だったの? >>131
今となってはよく憶えてるのはタイトルとBGMだけで他はうろ憶えですまんが、
放送時間は平日夜6時55分ころ(6時台のニュースが終わったあと)で、内容は
国鉄からのお知らせ(列車の空席情報とか)だったと思う。 …と思ったら、過去スレにこんなのがあった。
【総合】北海道ローカルの懐かしテレビ【総合】
ttp://www.23ch.info/test/read.cgi/natsutv/1071209240/
339 :名無しだョ!全員集合:04/09/29 23:53:42 ID:L3HO/9fV
STVニュースTodayのあと「ESTA国鉄だより」あったよね。
SLのシューポポッという効果音に「エスタ国鉄だより」とアナウンスが
入ってスタート。内容は「Qきっぷで函館往復○○円でおトク!」とか
そんな程度。30秒位。そのあと着物や洋服着た女性4人が踊って「駅は
いつもエキサイティング」とナレーション、「ESTAエスタ〜」という
歌のコマーシャル。
すまん、空席情報はやってなかったかもしれない。 このキャンペーンの今で言うDCは南紀だったんだな
新宮電化の振り子くろしおの「きらめく紀州路」ポスターが懐かしい 当時阪和線沿線に住んでいましたが…キオスクでは[紀勢線電化]の垂れ幕が飾ってありました。
よく381系の試運転をやっていました、当時の新聞には運転台が今までの車両と比べたら高いから信号が見にくいとも書いてました…鉄ヲタ仲間の友人はキハ81も高かったのでは?と突っ込んでましたが
ポスターといえばガキの頃見た駅長シリーズかな
駅名標の前で敬礼してるやつ
妻や夜明や後免とか
あれが欲しかった
たしか日立の宣伝ポスターで
いい日旅立ちマークが右上に小さくついてた
旅だった日光でもう一度朝立ちしたい
団塊の夢をくだいてくれるなとぼくはいいたい
YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑農薬汚染ゴルフ場 日光霧降カントリークラブ 欠陥スウェーデンハウスも見えてる
・斎藤貴志 観光経済部長、阿部哲夫 副市長は市保有の日光カンツリー倶楽部株の私的 流用者だと
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その1外廻り
http://www.youtube.com/watch?v=Pt4GHV7sFQg
YouTube −スウェーデンハウス「欠陥住宅」モデルハウス◆その2建物内
http://www.youtube.com/watch?v=aBk7gdH2498
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
チオビタCMの菅野美穂はいいかんじだな。
いい日旅立ちだ。 いい旅チャレンジ二万キロって何のキャンペーンだったの? >>144
キャンペーン終了のお知らせでも出しとけw >>146
いや、まだデスティネイションキャンペーンは継続している。
売り尽くしセールは、まだまだ先だ。 株式会社エポック社(本社:東京都台東区/社長:前田道裕)は、7月18 日より
全国の玩具店、量販店、百貨店、雑貨店等にて「スーパー特急大集合!鉄道旅行ゲーム」を発売します。
本商品は、スーパー特急に乗って日本各地の名所・名物を集めるすごろく形式のボードゲームです。
各地のご当地情報が載った名物カードを集めてゴールを目指します。幅広く人気のある新幹線・特急だけに、
小さなお子様から大人の方まで幅広く一緒に遊べるように、難易度は初級・中級・上級の3つのゲームを
用意しました。ご家庭だけでなく、旅先でも楽しめる手軽なボードゲームとして、全国で発売を開始いたします。
【商品概要】
商品名:スーパー特急大集合!鉄道旅行ゲーム
予定価格:各¥950(税抜)/¥998(税込)
発売予定日:2009 年7 月18 日(土)
対象年齢:5歳以上
プレイ人数:2人〜6人
パッケージサイズ:W110×D25×H220(mm)
商品内容:ボード1枚、列車コマ6個、名物カード27 枚、サイコロ1個、取扱説明書
販路:全国玩具店、量販店、百貨店、雑貨店等
権利表記:JR東日本商品化許諾済 JR東海承認済 JR西日本承認済
日経プレスリリース
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=225279&lindID=4
http://release.nikkei.co.jp/attach_file/0225279_01.jpg
エポック社
http://epoch.jp/
いい日旅立ちで思い出したのだけど、NHKの番組で室蘭線のC57に山口百恵
を乗せた番組がありました。C57135。その後しばらくは百恵の機関車と呼
ばれていましたね。
このカマが大宮に保存されることになったのは、もしかして山口百恵のおかげ
だったのでしょうか。 いい日旅立ちの最新活用はこれかな。
このCM,j-PHONNE時代だったら「その手で来たか」と諸手挙げて支持だったね。
SOFTBANKの通信網は買収前、元々はJR子会社のj-PHONNEな訳だし。
ちゃんと駅から降りるシーンはあるけど、
欲を言うと車窓から風景を眺めたりするシーンも入れてほしかった。
http://www.youtube.com/watch?v=kxnsYZ_oFvc&feature=related >>27-28
例えば「帰らぬ 人たち」などなんだかあの世への旅立ちを連想させる歌詞だよね。 >>151
元ネタのイメージをちゃかしたりしてぶち壊さず、
なおかつJR西日本のリメイク版に歩調を合わせた情緒的な映像だし、
歌うのは作詞作曲した谷村新司だし
かなり元株主のJRに敬意を表したCMでないか?
パロディでもなくパクりでもなくRespectとして
良いと思う。
「私を待ってる人」は白戸家族だったというオチは付くけどw
むしろJR酉がこの影像借りてコラボCM造れよと。
>>155
おまいのように日本的な旅情を理解出来ない人間が増えたおかげで
鉄道の旅が下火になったんだよ。
で、ドライブソングガンガンかけて、1000円高速をクルマが走る、と。 お、すまん、懐かし板だから、現状の話は板チだな。
つい興奮した。 おまいバカか、曲に対する印象と旅心が何の関係あんだよ
この曲からは旅情を擽る物は余り感じられない、全て鬱に落ち込んでる。
引き篭もりたくなるよ、おそらく谷村は考え過ぎた。
暗めの曲の旋律は詞の内容ともアンバランス感がある
寧ろJRのネガティブキャンペーンになった曲。 >>158
>JRの
って言ってる段階で、あんたが当時リアルタイムで生きてなかった事が
はっきりわかるよw
まあ、「湿度の高い大人の旅心」を理解出来ない現代の若い人の感覚では、
この手の歌が単に「クラい」で片付いちゃうのはわかる気もするけどね。
でも、今の感覚で昔の歌を簡単に片付けちゃうのは、やめた方がいいと思う。
>曲に対する印象と旅心が何の関係あんだよ
っていう考えの人だから、何を言っても無駄かも知れないけど。 実際暗い曲だが、まだ薄暗いイメージの旅が溢れてた時代だったしな。
痛んだ旧客編成急行の自由席に陣取って、深夜に駅に停まってしーんと静まり返った中、冷えたお手製おにぎりをもそもそ食ってた頃。
>>161
批判するだけで説明の無い意味不明な人だが
曲が暗くや明るく聞こえる事などと旅情の理解度とはどんな関係?
>曲に対する印象と旅心が何の関係あんだよ
お、すまん、これは私見では無く質問のつもり。
つい興奮したw
「おまいバカか」でレスを始めた段階で
それはすでに私見のぶつけ合いであって、
逆立ちしても質問とは読んでもらえまい。 曲解に嵌まり込んでるな
アンタば暗い゙に反応したわけだろ
その自覚があるなら161に素直に答えて見ろよ レスして来たからって脊髄反射で絡むのヤメレw
相手を間違ってるぞ。 国鉄は百恵のネームバリューが欲しかったんだよね
本来的に暗い曲、キャンペーン的には逆効果になるはず
しかしそれなりに当たったらしいのは横並びを好む民族だから ウヨが好む日本の軍歌って、およそ勝てそうにない暗い歌ばっかりだよね 嫁の実家へ行く時、宮崎空港から日南線に乗るのだが、
その、ひなびた車窓風景を目にしているうちに
『いい日旅立ち』をハミングしているオレ ところで「いい日旅立ち」大嫌い男は、新年も元気にしてるかなw
今日、関テレの「よ〜いドン!」の新春SP見てたら、
懐メロアワーの特別版「時代を超えて残したい歌」ランキングで
「いい日旅立ち」が女性アーティストの2位にランクイン。
自分は嫌いだ、という奴がいるのは理解するけど、
世間の評価にも素直に耳を傾ける必要がある。
それを無視して、自分だけの好き嫌いの尺度を振り回し、
「マイナスキャンペーンだった」とか決め付けても意味がない。
その辺、いい加減にわかってくれてるといいんだが。 蓮舫「えっと、あなたが今しようとしている事は何ですか?」
おれ「え?え?いや、手マンをしようと・・・」
蓮舫「それは中指ですか?人差し指ですか?薬指ですか?」
おれ「い、いやあの、人差し指と中指で・・・」
蓮舫「一気に2本も入れる根拠を教えてください」
おれ「い、いや、気持ちいかな、と・・・」
蓮舫「2本入れると気持ちいい・・・、本当にそうなんだろうか、と。」
おれ「は、はぁ・・・」
蓮舫「例えば、今私の膣は2本の指の挿入に適した状態でしょうか?」
おれ「え、えっと・・・」
蓮舫「実際触ってみていただけますか?」
おれ「は、はい」
蓮舫「どうですか?」
おれ「・・・少しだけ濡れてます」
蓮舫「・・・2本入りますか?」
おれ「ち、乳首もっと舐めたいです」
蓮舫「えっと、質問にだけ答えてください」
おれ「は、はい」
蓮舫「2本入りますか?」
おれ「お、おそらくは」
蓮舫「そもそも、何故2本にこだわるんですか?1本でもいいじゃないですか」
おれ「え、AVとかだと2本で気持ちよさそうなので」
蓮舫「今、これはAVの撮影ですか?」
おれ「い、いえ、違います」
蓮舫「では、AVという概念は捨て去ってください」
おれ「は、はい・・・」
蓮舫「この前戯に関しては、まずはクリトリスから責めてください。以上です」
事業名 対応
ID:Xo/U1A7l 来年度以後の事業を全額削減対象とする 年明けても相変わらず話のポイントブレずれ捲くってるメデタイ明後日野郎ですね
それより早く>>156>>163の解釈してみろよ根拠があるなら、いつまでもスルーできると思うなよ >年明けても相変わらず話のポイントブレずれ捲くってるメデタイ明後日野郎
自己紹介乙でした。
自分が嫌いなものは世間も同じように嫌いに違いない、という思い込みが
改められる新年になる事を祈ります。 山口百恵引退30周年記念の
シングル/アルバム全曲着メロフル配信決定
いい日旅立ちは1/24から 一枚のきっぷから、
と書かれた色褪せたポスターが若狭の某寺に貼ってあったな。
懐かし板まで無差別爆撃の雌車アンチをアク禁希望
板趣旨無視の無差別爆撃やってるんじゃ、ナン20と一緒だ
本人たちは正当な主張のつもりかも知れんが、
板住民から見ればただの荒らし いーいひーたびーだちー、、、ふふふふふーふふふふ、、、 落ち着いた雰囲気の、♪い−い日〜…から、突然のりのいい、
♪エキゾチイックゥ〜ジャペン〜 になったのは驚いた。 イメージアップを図ったんじゃね?
ちょうどその頃から機関区公開とか、イベント列車やジョイフルトレインをたくさん走らせるようになったから。
しかし、その最中に酒酔い運転による西明石ブルートレイン脱線事故があり、
関係者を大いに落胆させたとか。 その次に「一枚の切符から」っていうきキャンペーン
やってたよね >>190
おれにとっては、郷ひろみのあの馬鹿騒ぎっぷりは、
完全なイメージダウンだったけど。
>>191
時系列が相当混乱してるぞw
ディスカバージャパン → 一枚のきっぷから → いい日旅立ち → エキゾチックジャパン
が正解。 いい日旅立ちの副題は、DISCOVER JAPAN2 だったな。 むかし某新聞にUSO放送という読者からのギャグを載せる欄が
あって
「一枚のきっぷから」
赤字が生まれる
というのがあったな やすしきよしが
「国鉄はやすし(安し)! 国鉄へきよし(来よし)!」
といって切符の着ぐるみで踊ってたのはいつ頃だろうか。 >>194
国が金を失うから国鉄だの
マルス券の外枠の色が黒から赤にかわったのは赤字だからだの・・・
東京駅の入場券は赤字だから赤い色だの・・・
ひどい言われようだったな。 分割民営化のときに各社のシンボルカラーを決める時にも
カラーの話はあったね。
東日本が赤を取ろうとしたが、赤は赤字を連想するからどうのこうのと・・・
結局「赤」をシンボルカラーにした社は無かったっけ? この歌のイントロが「いい日旅立ち〜」だと思っている人は少なくないだろう
スレチだが、百恵には「I CAME FROM 横須賀」という京急駅 数え歌がある
ttp://www.youtube.com/watch?v=y1HZirSWG0s&feature=related 追分駅には「1981.10.1石勝線開業・いい日旅立ち」って懐かしいスタンプあったっけな >>201
上司から聞いた話だと、東日本が真っ先に緑を選んだらしいよ。
緑は国鉄のシンボルカラーだったとかで。
みどりの窓口のみどりもシンボルカラーだったからとか。 結果としてあってるね、広い東北=緑のイメージで
緑の更に北が黄緑
瀬戸内を挟んで青と水色
火の国は赤
…なんでオレンジ??^^;
子供の頃から疑問に思ってる オレンジは、東海と四国が、柑橘産地のメンツをかけて取り合ったらしい。
しかし、会社規模の上から東海優先になり、四国は敗退。
次善として、当時の観光キャッチフレーズ「青い国四国」のイメージにつながる
水色になった、というのが当時聞いた話。
>>206
ただ、末期の国鉄は「オレンジカード」「オレンジキャンペーン」とか
オレンジをイメージカラーにしてたところがある。
東海が、みかんとか湘南色以外の部分でオレンジにこだわった点が
あるとしたら、その辺かも、と思う。 【いい日旅立ち】といったら…
…駅弁の包装紙しか浮かばないw ☆>←こんなロゴをノートや教科書に落書きすますた。 大阪限定のラジオで日本食堂がスポンサーの旅番組があったが
これのBGMがいい日旅立ちのインストだった。
懐かしいです。 鬼束ちひろが崩壊してしまった
西日本のいい日旅立ちはどうなるのだろう 短調と長調の違いは、このかわいい動画を見るとよくわかるよ。
http://youtu.be/ZUEiaW6GkXk この手のお遊びで言うと、
谷山浩子のオールナイトニッポン、ザ・ベストスリーのコーナーで
組織票で上位に上がってきてた「陰気なサザエさん」は見事だった。
あの音源、誰か持ってないかな。
ようつべ、で「陰気なサザエさん」で検索してみたら?
アレンジが同じかどうかはわからないが。 当然もう探してるけど、ないよ。
全然違うブツが、コメントが原因で引っ掛かって来るだけ。 谷山浩子って、オールナイトは知らないのに、
高校卒業のとき、なぜか「ねこの森には帰れない」を聴く機会があって、
最後の「本日は雪天なり」を聴いて、
泣いて泣いて涙が止まらない・・・。
ちょうど、進学校での「大学受験だけがすべてです」の環境の中で、
大学進学が決定したら、もう心に穴が開いた状態で、
その心の隙に入り込んできた音楽だった。
本題の「いい日旅立ち」というと、昭和52年末〜昭和53年春を思い出す。
ヒットしていたのは昭和52年末で、
当時の小学生は歌謡曲追いかけが当たり前の時代だから、
単純に「テープ」に「エアチェック」したものである。
それと、ひたすら「旅情」というものを歌い続けたのが、
久保田早紀であることは、知られていない。
「異邦人」以外の音楽を知る者は、「異邦人」を聴いた者の1%もいないのでは?
「見知らぬ人でなく」(昭和57年)など、
僕にとっては大垣夜行のイメージソングなのだが。 久保田早紀が「旅情」を歌い続けてるとは思わないけど、
「アルファマの娘」は大好きだ。 いい歌だと思うよ。
否定的な意見もあるけど、
当時は、「暗い」なんて感じは微塵もなかったな。
昭和52年くらいなら、こんなもの。
「歌」に、そんなにケバケバ、デコレーションするような時代ではなかったし。
今から思い返せば、小学生だった当時、
なぜ、あんなに、「ザ・ベストテン」に熱を入れていたのか不思議な気もする。
現在ほどエンターティメント不毛の時代になると、
当時の国民の「エンターティメントに対する熱狂」=「歌謡曲神話」も、
「バカバカしかったのかな?」と、疑問は生じるのだけど、
当時はそれだけ時代も進化していなかったし、
そういう現実があった、というだけに過ぎない。
当時に現況を予測することも不能だし。
どこか、法学でいうところの「遡及行の無効」と共通するものがある。
このスレで、「蒼い時」を、昭和56年当時に読んだ人って、どれくらいいる?
現代と比較すると、世相の変化がよく分かるよ〜。 ♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん
蒼い時の全体の3分の2ぐらいまでの書きっぷりは、
並の作家をはるかに凌駕してると思った。 残間里江子さんだっけ?
本物の執筆者は。
ちなみに、当時から、中学生の間ですら、
「あれは、ゴーストライターいうて、
作家とか、文章の上手な人が代筆しとるんやぞ」
と噂されていた。 そうなの?
とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
まあ、誰でもいい。
誰の代筆であれ、著述の内容に関しては当時の百恵さんの本音であろう。
本文で、「プライバシー侵害の被害がある」と述べている通り、
引退後はまったくマスコミの前に姿を現さず、
「本当の一般人としての生活」を貫き通していて、
この潔さに、昭和の時代の人間の「真面目さ」が象徴されている。
今度の、富山地鉄のバタデン映画の主人公は、夫の友和さんであるが、
「ベテラン映画俳優の夫人、かつては一世を風靡した人」として、
妻としてどのようにベテラン俳優を支えているか、
夫妻でインタビューにくらい応じてもいいのではないか、と思うけど、
それも絶対にない。
それだけ現役時代、73年〜80年に、マスコミに翻弄されたことを
強く受け止めているのだと思う。 >>231
>とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
「自筆ではない」客観的な状況ってなんでしょうか?
至る所で原稿を書いていたことを目撃され、書いているところの写真も残り、
多くの人(筑紫哲也)などが書いているところを証言し、山口百恵の
筆跡が残る原稿があるんだから、客観的状況は本人自筆だと思われるけど? 当時の百恵さんの多忙ぶり。
引退の日から発行日までの経過日数。
おそらく、自筆した原稿は存在し、執筆の様子も目撃されているのだろうけど、
全文が自筆ではないはず。
口述で書物を製作するなんて、どこの出版社でもやっていることですよ。
たとえば、
渡辺昇一「国民の教育」(産経新聞社 2001年)
「口述によって著述したもの」と明記してある。
だいたいパターンがあって、「蒼い時」と類似性を感じる。
絶対に本文にしわ寄せが来るのだ。
P18「私には、父はいない」
P184「父が〜作ってくれた」
とかね。
ちなみに、高校の文芸部というのは、
こんな揚げ足取りなことばかりやるのが専門です。
口述による執筆など、文芸の世界では恥ずかしいことでもなんでもないですし、
結果的に、形整った文章、後世に読み継がれる文章が、
後の世代の模範となれば、
書物というものは十分な役割を果たしているんです。
「私の歩んだ21年の日々、そして、
芸能界というある意味では特殊な世界に生きた8年間の日々を、
自分の手、自分の言葉で書き記しておきたかったのである」
という、書物発行の目的は達しているのですから、
第三者に助けられた部分があっても、それは当たり前。
プロの作家ではないのですから。 <筑紫哲也の百恵との出会いは、友人だった残間里江子の事務所に夜遅く用があって立ち寄った時のこと。
そこにたまたま『蒼い時』執筆中の百恵がいたのだった。
彼は執筆段階で百恵の原稿を読んでいた数少ない人物のうちの一人でもあった>筑紫
「『蒼い時』を執筆することになった百恵ちゃんも、仕事帰りに立ち寄って、筑紫さんと机を並べながら、
ダイニングの作業台で原稿を書いていたのである。」残間 「私には、父はいない」って比喩的な言い方をしてるだけじゃん。 NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
百恵さんは、「伝説から神話へ」とまで言われる人だけど、
当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていたと思う。
ピンクレディーは、やや、「子供向けの歌」の色彩が強かった。
小学校卒業の頃、
「子供向け」に飽き足らずの状態になって、
ニューミュージックに傾倒していった時代でも、
百恵さんは「聴き応え」があった。
「さよならの向こう側」なんて忘れられない歌だぞ。 今NHKラジオAM1の「おはよう朝一番」内の「今日は何の日」コーナーで1980(昭和55)年の今日引退と
取り上げられたのでage。 ちなみに、JTB私鉄時刻表のシューズ広告に登場していたのは、
同世代の太田(福岡)裕美さん。(現在56歳)
「歳相応の、中高年女性としての役柄」と考えれば、
過去のアイドルは、こういうメディアの乗り方が正しいのだろうな、
とは考えるけど、
正直言って、「うーむ。年月は確実に経過しているのだな」。
(自分もそうなんだから、悪い書き方はしたくない)
百恵さんみたいに、「絶対に出てこない」方が、
「昭和の歌謡曲、国民の熱狂の神話」が美化されて、いいのかも。 2つ前のヤツです。
発売されるタイミングが不規則なので、何年か正確に書けませんが、
3〜4年前くらいの「JTB私鉄時刻表」です。(JTB時刻表とお間違いなく)
太田裕美さん自身は、子育て終了以降、
あちらこちらで「アコースティック系のコンサート」に呼ばれていて、
出演しているので、ポスターでも見かけます。
それに数年前、NHKの連ドラに
「歳相応の年齢の女性役」で出演したと聞きます。 太田裕美ちゃん、いい歌いっぱい持ってるのに
同じ歌ばかり期待されて可哀想 >>248
彼女の曲に「銀河急行にのって」という曲があるが、これを録音して急行
「銀河」のナハネフ22の展望スペースで聞きながら旅をした
思い出がある。密かに「銀河」のテーマにしていた。
松崎しげるのは「銀河特急」だったのでやめた。 いい日旅立ちキャンペーンの動画がようつべにもほとんどないね >当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていた
これは後半期だろ〜
初期の山口百恵は思わせぶりな少しキワモノっぽい歌詞の歌多かったぜ。
アイドルとしては桜田淳子の方が王道だったと思う。 ニコニコで白石涼子と初期山口百恵のひと夏の経験を聴き比べて
百恵は単なるキワモノじゃなかったように思った。
歌詞がキワモノだとか歌が下手だとかいうのを超えた
何か不思議な魅力がある。 「青い果実」も、「ひと夏の経験」も、
僕の年齢では、
聞いていた時代は、意味が分からないから、それでいいの。
「女の子の一番大切なもの? ぬいぐるみかな?」なんて思っていた。
百恵さん自身、一番大切なものは「まごころ」と記している。 万個なら何回でも捧げられる。
誰かに捧げるために守ったり
一生に一度だけ経験するんだから処女膜に決まってるだろ 処女膜…そんな「膜」があると固く信じて疑わなかった中2の夏でした… 俺が中房のころ切符袋にいい日旅立ちって書いてあった、のびのび切符を仲間で分ける時、いい日朝立ちとマジックで書き直してその切符袋で渡すのが定番だった。確か200系新幹線の写真がデザインされてた時代。
ちなみに僕は、陰毛生え始めも、初めての射精も、
「中1の3学期」の性教育授業より早かったので、
当時の混乱ぶりは凄まじかったですよ。
性教育を受けても、まだ理解に届くまでは時間を要し、
「セックス行為の本当のやり方」を知ったのは、中学校卒業の頃。
「蒼い時」を読んだ時期より後です。
「蒼い時」の、性に関する記述も、まだ推測の部分がありました。
もうほとんど分かっていた時代ですが、
完璧に知るのはもう少し後なのよ。
「入れる」、なんて恐ろしいこと、純潔な少年には想像はできないの。 >129
>209
オレンジキャンペーンではなく、
オレンジオペレーションな。 年表サイト「国鉄があった時代」によると、
昭和51年から国鉄部内でやってる動きは「オレンジ作戦(オペレーション)」だが、
昭和54年の欄に
>国鉄のオレンジキャンペーン「きっぷは正しく」の運動始まる 12/20
とあるので、外部向けには「キャンペーン」でも正しいような気がする。
おれは、正直なところ、今検索するまで「オペレーション」の方の言い方は知らなくて、
「キャンペーン」の方しか記憶になかった。 266です。
267さん補足説明ありがと。
確かに仰るとおり、対外的にはオレンジキャンペーンでも意味は通じるし、
かえってそっちの言い方の方が当時は一般的だったんかも知れんね。
(なんせ遠い昔の事なんでオレンジオペレーションの名称しかおいらの記憶に無かっただけです。)
過疎スレなのにこんなに早くレスつくとは思わなかったんで正直驚いたっす。
普段は立ち寄りさえしないスレなんだけど、ひょんとした事がきっかけでここが
目に止まり読み込んでしまいましたわ。
余談ですが、同じオレンジでもオレンジギャルの方が好きな事はここでは内緒w
そろそろよそ行こうと思ってその前に念の為にF5したら、>269さんのコメがw
実はちょっとだけ何か期待♪してたんだけどやっぱり何かここ、裕美ストも定期的に
訪れているような希ガス。離れられなくなるぢゃないですかw
今朝JR西日本のCFで木綿〜流れてるの見てしまったのと、NHKの
「みんなのうた」で金平糖聴いてしまったのがモチベーション上げてしまった。 太田裕美さんには「銀河急行にのって」というファンタジックな名曲が
あります。この曲をカセットに吹き込んで密かに当時の急行「銀河」のテーマにして、ある年の旅立ちに持っていきました。
もちろん深夜ナハネフ22の最後尾の展望室?に陣取り、流れる線路の夜景
を見ながらひとりウォークマンから流れるこの曲を聞いてみたことがあります「銀河」の「急行」であって「急行」の「銀河」ではないのは承知でしたが。
♪眠りにつくと迎えにくるの(hu-go to the milkyway)
白い煙をはく機関車が〜 って曲です。
271さん、
いいですね、こういう汽車旅と懐メロのエピソード。
割とハイテンポでロマンチックな歌詞という旅情を掻き立てるナイスな曲(かれこれ36年前!)
ですよね。歌詞にならって七夕の頃を見計らって旅をされたんでしょうか?
実はさっきこの曲も聴いてました。最近は暇さえあれば彼女の曲を聴いています。
とにかく癒されます。今の時期だったら定番の「さらばシベリア鉄道」また渋め路線では
「街の雪」(←どこの街でしょうかね?ある程度の都会で雪が積もるところ。全国に
いっぱいありますね。)が汽車旅に合うと思います。でも「街の雪」じゃ切符破いて汽車に
乗るのを断念するからダメですね。
なんか、国鉄のキャンペーンを離れて、鉄道と懐メロを語るスレみたいになって来ちゃったなw
池原なんちゃら言うのが、鉄道じゃなくて百恵を語り出してからおかしくなった。 だって仕方がない。
百恵さんと鉄道の接点のネタより、
我々の世代の、子供の頃の、「芸能界神話」の方がインパクトが強過ぎた。
クラス学級が芸能界の話題で回っていたような時代だった。
「あー、日本のどこかに〜」
西日本車の新幹線に乗れば聞こえるメロディーだが、
「日本の」と歌うところに、
昭和52年当時は、まだ海外旅行は一般的じゃなかったのかな?
なんて、思いをめぐらす。
国鉄に存在感があった時代である。 >だって仕方がない。
正当化は結構です。
>百恵さんと鉄道の接点のネタより、
いや、そもそもここは「いい日旅立ちキャンペーン」スレであって、
「山口百恵と鉄道の接点を語る」なんてスレではないんだよ。
スレ趣旨を根本から誤解してるから、話がズレる。 じゃあ百恵さんが本当に汽車に乗っていたとき(テレビで観た)の
話題を。
僕がまだ、芸能界、歌謡曲のことを正確に把握する直前、
つまり、小学校4年生くらいの頃だと思う。
(5年生になると、クラスメイトほぼ全員が芸能界の話題を交わすようになった)
山口百恵さんが、北海道で、蒸気機関車と一緒に映っていて、
「今日で、国鉄で蒸気機関車が走るのが終わる」という内容の番組を
放映していた記憶があるのですが、
具体的なことをはっきり記憶している人がいれば、教えて下さい。
おそらく、昭和50年頃の、
「北海道での、国鉄蒸気機関車の最後の運転」を記念した中継番組
なのでしょうけど、
僕はまだ幼くて、番組は垣間見たくらいで、はっきり記憶していないんです。
「いい日旅立ちキャンペーン」のスレ、と言っても、
キャンペーンにかかわらず、当時から鉄道は好きでしたし、
歌も、もちろん「国鉄キャンペーンのテーマ曲」とは知っていますが、
どちらかと言えば、歌に関しては、
当時の学校の同級生の影響で、
鉄道趣味とは無関係に、「芸能界、歌謡曲としてのもの」の感覚が強いですね。 スレタイと>>1の意味が理解出来ないバカは消えろよ。
「百恵」とは書いてあるけど、百恵スレじゃねーんだってば。 多分これの事を言ってるんだろうと思って探したら、
ようつべにあったので、貼るだけ貼っとく。
ttp://www.youtube.com/watch?v=rQETQlJl3Ws
あとは大人しくしててくれ。
スレタイに沿った話題を持ってないのに、
わざわざ食い込んで来る必要はないからね。 DISCOVER→JAPANの第一次から「一枚の切符から」、エキゾチックジャパン
など一連の流れの中で駅スタンプもデザインが変わってきた(その後の
「わたしの旅」もあるが、なかで基本デザインは変わらず「いい日旅立ち」の
キャンペーンマーク使用した駅スタンプは少なかったね。
サイトでも見かけるけど例えば豊橋はそれがあった。 >>276
239 :回想774列車:2011/09/19(月) 21:37:45.27 ID:96UgkNHv
NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
国鉄はあまりCMに金をかけられなかったのに
有名歌手を起用したのは奇跡に近い出来事だったのかも。 >>283
今で言うコラボレーション?
CMで流れれば歌の宣伝になりレコードも売れる!
百恵さんがCMに出て歌が流れれば旅行に行きたくなる人が増えて国鉄も客が増える!
歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし、win-winの関係ってところなんじゃない?
早い者勝ちで仮に航空会社や海運会社がCMに起用していたらどうなっていただろうね? お若い方ですかな?
>今で言うコラボレーション?
当時は「タイアップ」みたいな言い方が一般的だったような。
>歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし
事実経過から言うと、これは多分逆。
キャンペーンスポンサーの名前が、キャンペーン名称と曲名に織り込まれた。 暗いものは暗い
嫌いだから暗く感じるとか暗いから嫌いだろとかアホか
だったらアングラは通用しねぇだろ、シュールなんだよこの世界は
負け組みのしみったれの様な主人公の歌
自己破産で清々して早朝旅に出る事閃いたみたいな
歌の人気がどんだけか知らんが聞いて旅出たくなるって当然なんだよね
自殺者が多い国では同病相哀れむだから主人公に感情移入し易いのさ
果てしなく暗い歌、海の底で聞きたい歌
じいじいは2chに来んなんよ 「負け組 み 」なんておかしな送りがなを使うのは、
大体20代以下と相場が決まってる。
この歌や、当時の記憶が全然懐かしくない人が
ガタガタ騒ぐ事ではないです。御退場を。 当時を理解していたり旅好きだったら暗く感じないとか、益々焼きが回った言い分。
年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど、旅擽るのは明るい曲ばかりなのかよww >年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど
この歌が流行った段階(33年半前)では、
いま還暦の人でも20代後半。
この曲で旅行きたくなるって事はロートルとか人生破綻者って事だよ
早めに焼きが回ったんだろ、若年寄め
それとも徘徊したくなった? 旅がいつでも楽しいだけのものでなければならないなら、
お前の感覚も間違ってはいないと思うがな。
ま、お前もあと少し人生過ごしてみれば、
わいわい楽しい旅や、昂揚感あふれる旅だけでなくて、
しんみりした旅の深みや味わいも理解出来るようになるよ。
「しんみりした旅」≠「人生破綻者の逃避行」だよ。
人生が破綻していなくても、40過ぎれば、
親や恩師や先輩… それまで世話になった人たちが次々亡くなる。
同年代でさえ、亡くした友は1人や2人では済まなくなる。
とくに、親しい後輩の死。
事故や自殺での突然の別れもこたえるが、
自分より若い人が病気で死ぬというのは、相当に衝撃だ。
そして、旅に出て、共に人生の時間を過ごした懐かしい人たちを振り返る。
楽しくはないが、そういう旅の形もある。
♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
この歌が歌っている「旅」とは、まさにそういう「旅」ではないかと思う。
人生経験の浅いうちには、理解出来ないかも知れないけどな。
それをロートルとか人生破綻者という言葉で片付けてしまうのは、
お前の親や、じーちゃんばーちゃんの世代の人生を
完全否定する事になるんじゃないかな?
(それでいいなら、別に構わんけど…それはそれで不幸な人生だなお前も)
煽りにマジレスで、芸がなくてすまぬ。 なんか日根野の381が国鉄色で出場してきたね。
名称も「くろしお」に統一された事だし、例のCMの「くろしお」が難無くリバイバルな予感( ´∀`) ジジイキモい、と言っても
やがてみんなジジイになるのよ自動的にw
若い時は「自分だけは違う」と思ってしまう。思いたい。
おれもそうだった。
けど、老いはやがて誰にも公平にやってくる。
その例外になるのは、若くして亡くなった人だけだ。
明らかにメンヘラの症状を歌った歌
共感を覚えたキチガイゲソなどの類が各地にばら撒かれたわけだ 「いい日旅立ち」マーク入りの駅スタンプって少なかったよね。
DJの1〜3次とロゴ変更を繰り返し、一枚のきっぷからでまた変わって
変更が追いつかなくなったのかめんどうだったのか・・・。
スタンプ台の同デザインのロゴ違いのが3〜4本置いてある光景・・・。 僕が小学校5年生の1月にヒットした歌です。
現在の谷村さんの年齢から計算して下さい。
で、いま、島根県で流れているキャンペーンソングだけど、
声が全然衰えていないのは驚く。 こういう問題におまえ個人の年表を持って来るなよタコw
チンペイさんは、昭和23年12月11日生まれ。
「いい日旅立ち」の発表は、昭和53年11月21日。
国鉄のキャンペーンが、11月3日スタート。
谷村バージョンと百恵バージョン、どっちが先に出たんだっけ? どっちが先に出た、って、百恵に決まってんじゃん。
当時、アイドル歌手の曲は、いわゆる「競作」は避けたもんだ。
シンガーソングライターなどからの提供曲の場合も、
すでに知名度のある「名曲」から選曲する場合は別にして、
普通は提供した側が遠慮して、しばらくは歌わない、
歌っても、シングルにはせず、せいぜいアルバム曲として入れる、
ぐらいが常識的だった。(もちろん、例外はあるが)
アイドルの曲は、なるべく他人のイメージが付いていないものを、
という考えが、まだ根強くあったと思う。
また、作者のバージョンの方がいいね、などという評価が出て、
アイドルの方のイメージが傷付く事を予防的に避けたんかな、とも思う。
それが崩れていくのは、ニューミュージック系からの提供が
もう当たり前のようになっていく80年代から…だと思う。
この歌の場合も、チンペイさんのレコーディングは1986(昭和61)年。
(それまでもライブとかでは歌ってたのを聞いたような気はするが)
シングル化は、さらに遅れて、なんと2008年。 一枚の切符から
これは盛り上がらずに終わったな
レールウェイ ララバイだっけ?
そのあとか・・・ 郷 ひろみの“ジャパーン”は 朝陽を浴びて山陽路を走るブルトレのCMって、どこかにUPされてるかな?
『遠くへ行きたい』を観てると必ず流れたと思う。 そういや昨日10月2日はゴーサントオの白紙改正日でしたな。 あったねぇ いい日旅立ちが流れる朝のブルトレの(山陽筋なのアレ?)CM
別のCMは昼行特急中心だが一瞬北海道の単行キハ22が出たり詰め込み過ぎて落ち着かない映像だった この歌が嫌いな奴って、トワイライトエクスプレスに乗ると
文句だらけで大変だろうな。 こういうのって、レコード会社の許可を受けないとダメなのかな? >>316
基本的に陰鬱な歌だから、あまりやたらに聞きたくないってのは正直ある。
JR西日本の新幹線の車内メロディは即刻やめてほしいぐらいに思うレベル。
路線廃止とか、国鉄最期の日とかに似合う歌なんだもん。 ないんじゃないの?
ようつべで「新幹線初期チャイム」とか書いてあっても、
岡山開業以後の4点打チャイムの事を言ってるのばかりだから。
厳密には、開業当初は鉄道唱歌(在来線電車特急にも普及)、
けど、最先端の新幹線と「汽笛一声新橋を〜」はミスマッチと言われたため、
開業後数年して、黛作曲のチャイムに代わった。
本当の「初期チャイム」と言ったら、これだろう。
ところが、これが、もう半端なく超陰鬱w
それまでの鉄道唱歌どこじゃない大悪評を食らい、
岡山開業時に、長年お馴染みの ♪ドミソド に変わる。
これでしばらく安定。
家庭用録音機材が普及してくるのは、岡山開業ごろ以後だから、
おそらく正規のルートで記録用に録音してるとかじゃないと、
残ってないんじゃないかなー。
載せ替えられた頃は、部品マニアもまだSLのナンバープレート追いかけてる時代。
いい日旅立ちが暗いとか言ってる奴は、幸せ。つか、贅沢だよ。
おれなんか、じいちゃんばあちゃんがあの時期立て続けに死んだので、
葬式だ法事だというたびに、あの気色悪い黛チャイムを聴かされた。 参考になるかどうかわからないが、同じ作者の作品。
当時の子供に「ニュースはめっちゃ怖い!」という印象を持たせていた、
NNNのニューステーマ曲。
http://www.youtube.com/watch?v=cmp60YAhIBo
この開始から10秒ぐらいの空気が、なんとなく似ている。
(「空気」であって、旋律や編曲が似てるのではないけど。
新幹線チャイムは、長音符が全然なくて、もっとセカセカと
たくさんの音符を詰め込んだ感じだった。)
で、この曲は12秒ぐらいから、長調に変わって、
壮大に♪ジャジャーン! って感じで終わるのだが
(実際にニュースで使われたのは、21秒ぐらまでのとこ。
さらにのちには、12秒以後の部分だけしか使われるようになる)
新幹線の2代目チャイムは、最後にすごく陰鬱、かつ
不完全終止っぽい、不気味な和音が付いて終わっていた。
この「ジャララララン」というとこで、背筋がぞぞぞーっとした。
まあともかく、言葉では語れないぐらいの陰鬱度だったのさ。
あれに較べたら、どんなチャイムも相当明るい。 間違えた
× 12秒以後の部分だけしか使われるようになる
○ 12秒以後の部分だけしか使われないようになる >>327
たららん たららん たらららら
ぁ〜〜〜♪(半音上がり気味)
ってやつでしたっけ?(うまく表現できないが) えー、たぶん同じ物の事を言ってるのではないかと思うが、
ちょっと音が足りない感じが…。もっと音がいっぱい入ってたです。
あくまで個人的な感覚ですが
すたらんらん すたららららん すたらんらん たらららららららん …じゃららららん↑
って感じじゃなかったか、と。
…いや、これじゃわからんかw
1〜3個目のグループは、めまぐるしく上下を飛び跳ねるメロディ。
4個目の「たらららららららん」が、5度?の並行メロディで、
上から半音の階段を下がってくる感じ。
(もし飛行機だったら「墜落のイメージだからやめろぉぉっっっ!」って言われそうな)
最後の「…じゃららららん」は、下から上へ時間差でじゃららんと鳴らす。
鉄道唱歌の最後の1音が、和音を同時に鳴らすのじゃなくて
「ちゃらりらん♪」と時間差で上がっていくような感じのやつ。
それが鉄道唱歌のような爽やかな音じゃなくて、実に気色悪く、
ダミアンかゴジラでも登場しそうな空気の短調の和音で……
しかも、メインのメロが終わってから、微妙なタメがあったので、
余計不気味に響いた。 >>331
詳しい解説どうもです。
実はこの変な電子音のチャイムを録音していまして、自分では「新幹線のチャイム」と記憶していたのですが、そのカセットがどこいったのかわからず勘違いかとも思っています。ただ小生が初めて新幹線に乗ったのは万博の時のことで
その時はもちろん録音機材など持っていなかったのでひょっとして耳に残った
記憶なのかもしれません。
カセット探してみるつもりですが、その後の旅で新幹線のチャイムなんか
ドミソド以外録音した覚えもないので果たして・・・。 おー。録音があるなら、そして発見されたなら、ぜひどっかにうpを。
ネト上でも「残っていない」というのが定説だから、
かなり貴重な音源になると思いますよ。 久々に見たけどいいね。
国鉄CM 「いい日旅立ち」 〜 1978年(昭和53年)
ttp://www.nicozon.net/watch/sm17146717
夜明けの海岸線を行く14系ブルートレイン(紀伊?)の空撮。曲のサビと、
カタンカタン、カタンカタンていうちょっとわざとらし気味のジョイント音がグワーっと旅情を掻き立てる神編集。
(13秒目のくろしお以降は平凡な出来だが) 先日、広島行くのに東京から西の編成に乗った
チャイムが 良い日旅立ち で最高 遅くなりました。>>331です。
例のチャイムと思われるものを録音したテープが出てきましたので、アップしてみました。
mp3ですが聞く事ができるでしょうか?
URLは http://c5793.ebo-shi.com/kodama.mp3
正確には全部ではなく前半の一部が入っていないので、あわてて録音ボタンを押したもの
だと思います。このあと「特急こだま・・・」の下りがあるので新幹線のもので、
やはり万博に行った時(昭和45年夏?はずです。カセットはまだ持っていないと
以前書き込みしましたが、この年末には蒸気機関車の音を録音しているのでどこかから
借りたのか覚えていませんが持っていたことになります。
間違いでしたらすみません。また再生できませんでしたらすみません。 おおお!これですよこれ!
確かに後半部分だけですけど、間違いなくあの黛チャイムです!
音質もいいですねぇ!
最初から入っていないのだけは残念ですけど、貴重です!
ありがとうございました! で、改めて聞き直すと、エンディング前の下がってくるところは、
5度下ぐらいの並行メロが付いてたような感じだと思ってたのですが、
主旋律だけだったんですねぇ。(伴奏メロは付いてますが)
40年以上も前の話となると、記憶違いもちらほら。
ただ、ラストの気色悪い感じは、記憶とバッチリでした。 レスありがとうございます。あとで気づきましたが「なつかし板」には「車内チャイム」のスレもあったのですね。そちらでもこのチャイム音は見つからない、とのレスがいくつかありました。
ところであのチャイム音は1968〜1970まで使用されたということですが、ということは私が聞いたのはその末期だったのでしょうか? 万博終了後、ディスカバージャパンが始まりましたからその切り替え時期でもあったのかもしれませんね。
しかし音源が見つからない、というのも2年間で何十万人という利用客があったことを考えると
録音していたファンや一般の人もいたはずですが・・・。もっとも当時録音した人もみなオヤジ
世代(あるいはそれ以上)ですからアップするにも面倒なのかもしれません。そういう私もですが・・・。カセット音源をMP3に変換し、それをPCに取り込みWEBにアップするというのがどうも
たいへんでした。 実は私も、後からチャイムスレ見付けました。そして、同じように
「あの音源は見付からない」という書き込みを見て、
ああやっぱりそうなのか、と思ってました。
>あのチャイム音は1968〜1970まで使用されたということですが、
私の記憶が正しければ、70年ではなく、72年だと思います。
72年と言うと、鉄道100年やらもあった年ですが、
切り替えのきっかけは、それとは関係なく、岡山開業時の改正です。
そこからお馴染み♪ドミソドに変わりました。
変更が決まった事を伝えるニュースでは、今なら音源付きなのでしょうが、
当時は原稿だけで「ドミソドに変わる事になりました」というだけだったので、
てっきり、最後のドはオクターブ上に行くもんだとばかり思ってました。
実際のを初めて聞いて、「…あ。そうなの?」と思った記憶があります。
72年ぐらいだと、一般用のカセットレコーダーもかなり普及し出してましたので、
もっと録音が残っていてもいいと思うんですけどねぇ。
(私が親に買ってもらったのは、74年ぐらいだったかと思います。
でも子供のおもちゃにするには高額過ぎる最新家電でしたけど…)
おっしゃるように、音源持ってる層と、うp出来るスキルを持つ層との
乖離があるのかも知れません。
そういえば、チャイムスレでも、お1人だけ、
「レコードで聞いた」という人がいましたが、その後うpがなかった様子。
似たような問題があったのかも知れませんね。 332さま
その、車内チャイムスレで黛チャイム聴きたい聴きたいと散々駄々こねてた者です。
…俺は今、猛烈に感動しているッ…!!
1973年製の俺がこの世に落成した時には既に消滅していた幻の黛チャイムを、まさか本当に
聴かせていただけるとは思わなかった…。今はもう、何とお礼を申せばよいのやら…。
相応しい言葉が見つからないのは歯痒い限りですが、332さま、心から感謝いたします!!! 332様
聴くだけ聴いてまだ御礼の一言も言ってませんでした。ごめんなさい。そして、ありがとうございました!!
ラッシャー木村じゃないけど、言わせてください。
あなたの事、アニキと呼んでいいですか!!
ちなみに自分は、100系G編成と同世代です。 >>345-346さま >>332です。
同じ方かもしれませんが、お聞きいただき恐縮です。あの何気なく録音したものが、
これほどのものとはまったく思いませんでした。記憶をたどってみるとあの音は昭和45年(1970)
8月20日(たぶん)の「こだま101号」東京発車時のものだと思います。
大混雑の中、車内に立ち席で親に連れられて初めて乗った「新幹線」に興奮しつつも
なにか録音を、とマイクを向けたようです。ただしよくわからないのはそのあとは何も
録音していないことです。機械の操作が面倒だったのか万博見学に夢中だったのかは定かではあfりませんが・・・。
この話題は多少スレチの感もありますので、この後は何かありましたら「チャイムスレ」に
お邪魔する事にいたします。ブクマクもしてあいりますので時々のぞきますので。(当方は
その他はみなさん御存知の音ぐらいしか録音したものはありませんが、チャイムとは少し違いますがかつての鈍行列車がローカル駅での駅員が肉声(あるいはマイクで)次駅を連呼して送り出す音
などがあるぐらいです。)
いろいろとレスありがとうございました。 >>344さま
あ、1972年まででしたか。みなさんSLの音を録音するのに精一杯だったのかもしれませんね。
旅の記録として車内チャイムを録音する、ときうのも今なら当たり前でしょうが、SLとは対峙するような
関係の「新幹線」のチャイムなぞ・・・、と高いテープを消費するのは二の足を踏んでいた、という
感じも多少当時はあったのかもしれません。
「どみそど」音も最後がオクターブ上がると、それは学校の「校内放送」のぴんぽんぱんぽーん!
ですね。当時は確かにそう思いました。(ちなみに私の小学校の校内放送は「ド ミ ソ ソソ ミ ド(オクターブ
あがる)でした。)
黛チャイム、今ならどんな評価受けるでしょうか。 332さま
おはようございます。345です。
今度は音楽プレイヤーから聴かせていただいてますが、21世紀の今、聴けば聴くほど味わいが感じられて、
斬新さも感じられますが、やはり前衛的過ぎたというか時代を先取りし過ぎたのでしょうかねぇ…。
あくまでも雰囲気のお話で、何となくJR化後に登場のビバあいづの「会津磐梯山」を思い出しましたが、
この音源の当時の列車チャイムも種類が限られてて、たいていは明るめのキーのものばかりでしたものね。
黛チャイムを聴きながら、座席番号プレート(太めのフォントや地色が経年変化で相当黄色くなってるの
からして初期のものと思われる)や「指定席」のサボ、それに0系広窓車の模型も眺めてますが、332さまが
あらんばかりの「オヤジパワー」(…ごめんなさい)を振り絞ってくださらなかったら出来なかった事です。
マジで、感激です。何より、332さまの格闘が思い浮かばれます、本当に、ありがとうございます!!
…そういえば、どんな事でもいい、自分は誰かを「感動させた」事って今まであっただろうか…。
>>346氏
黛氏といえば、そのラッシャー木村氏が「兄貴」と呼んだジャイアント馬場氏の入場曲(NTVスポーツ行進曲)
つながりで、かな?でも、100系G編成世代の方が、よくそこまでレトロなのご存知でw >>349
331です。
実際に聞くことが出来なかった世代の人からすると、
憧れもあり、先端的な印象になるのかも知れませんね。
ただ当時は、「陰鬱」「気色悪い」「お化け出そう」というのが先に立ちました。
何より「口ずさむ事が出来ない、何かわけがわからん複雑なメロディ」は
親しみが持てず、馴染めなかったと思います。
それで、リアルタイムでは悪評ふんぷん、と。
黛氏は、結局「芸術家」なので、親しみが持てるかという要素より、
自分の表現を優先し、自分の中での新幹線のイメージを
ああいう形にまとめられたのではないかと思います。
でも、自分のような子供も含め、当時の一般的な(芸術的感性のないごく普通の)日本人にとって、
新幹線のイメージはあんな前衛的でクールなものではなくて、
「♪びゅわーんびゅわーん、は、し、るー」みたいなご陽気なものだったように思いますw おはようございます。345です。
331さま
>「♪びゅわーんびゅわーん、は、し、るー」みたいなご陽気なものだったように思いますw
それ、激しく同意ですw
在来線とは違ってよりハイピッチなジョイントのリズムを耳にしたら、どうしてもそうなりますよねw
まさに、幼稚園の時に散々聴いた
走れ超特急 うた/中川順子・瀬端優美子(http://www.youtube.com/watch?v=GcGlJF37hNU)が延々
脳内BGMとして流れてましたw
(ちなみに自分の中では、当時散々聴いた、映像の音声のお二方の歌声のVer.以外はどうも違和感が…)
あと、黛チャイムなき後の4点チャイムはやっぱり、当時最新鋭の電子楽器っぽさも味わえる音色のVer.ですよね。
JR化後でしょうね、鉄琴調のちょっと硬めの音色(書いて表現するなら♪ぽ〜んから♪キーン☆)に変わったのは…
始発終着の新規チャイムは新鮮味があって最初は喜んでましたが、途中駅のリニューアル4点チャイムには違和感が…。 332さん、私も聴かせていただきました。貴重な録音、ありがとうございます。
途中からなんですよね?でも、その途中からでも、やはり「普通ではない、何か」が感じとれますね。
大阪万博当時、東海道新幹線は「動くパビリオン」と言われたそうですが、その視点で考えたら黛氏の
チャイム、逆になければ画龍点睛、みたいな感じだったんでしょうね(乗客の評判はまた別として)。
噂には聞いてましたが、当時最先端の初期のシンセサイザーで収録したのではなく(あ、それは冨田勲氏か)、
オルゴール式なんですね。曲こそ近未来的ながら演奏機構が昔ながら、というギャップがまた面白い。
さらに面白いのが、黛チャイムが登場したのは大阪万博の2年前。現行の「AMBITIOUS JAPAN!」それに
「いい日旅立ち〜西へ」も愛知万博の2年前。黛チャイムは「気持ちが暗くなる」と不評で短命でしたが、
原曲こそ日本人にはよく染み渡る名曲なんだけど新幹線のチャイムとしては不向きなのかやはり「なんか
切なくなる」としてあまり評判が芳しくない「いい日旅立ち」もなんだかんだでもうすぐ10年なんですね
(どう見てもチャイムスレ向けだけど、どうにか「いい日旅立ち」スレ向けに持って行ってみました)w 祝・いい日旅立ち35周年!
1978(昭和53)年11月3日開始 JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL ドラクエの記録消去メロディがチャイムだとしたら
そりゃ、やだね。 ファミコン時代のドラクエは全部平仮名だった・・・というのはウソ。
1種類だけ漢字がありました。 「いい日旅立ち」という題名の歌は知っていても,
「雪解け間近の・・・♪」
という歌を知らない人が少なからずいる。 黛チャイムが日車夢工房サイトでも聴ける件
そこではフルコーラスではあるが音飛び(オルゴールの串抜け)がある模様
ここに貼っていただいのは、途中からではあるが、それがない 教京サーバ無戸籍交際薬剤消毒ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災プライバシーチェック問題にんにくヤーフォープロデューサー確定申告ラーメン
教京サーバ無戸籍交際薬剤消毒ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災にんにくラーメン
教京サーバ無戸籍交際薬剤消毒ローション帝国上昇部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災にんにくラーメン
すたみな対外mlbハリウッド流出福岡内部爆発駐車近代人気低迷不振清鉄工業車関電池韓柔銀行那須鵞鳥浜松幕張ググール無断決裁広告料ドンキ成分寒孫フィルムラーメン
ユーロ再販大規模問題WHO光金アナ雪エネルギー池内牛猫公園秘密バラマキインドギニアグリー決裁ソーシャル公園★みすしる★沖縄不動産読売ニッカン奮闘鬼記者サービスシャットダウンメディア規制中国ストア自動車 東京ステーションギャラリーにて
本日よりディスカバージャパン展開催 百恵ver.よりも谷村ver.の方が伴奏が重厚で俺好み SoftBankのCMにいい日旅立ちが使われたのにはビビッた 山口百恵は横須賀出身だけど、国鉄と京急、どっちを使ってたんだろ? スレタイのCM起用されたときには、
顔パス優遇とかはあったかもね。 衣笠駅前にでも住んでない限り国鉄使うことはなかっただろう。 国鉄時代で当てたタイアップものってこれだけじゃない? 一枚の切符からは
小林啓子だっけ?
あと森田光一が別の曲を歌っていた。
あとはお馴染み
ジャパーン! >>375
JASRACの方から億千万円請求に来ました エキゾチックジャパンは、国鉄のタイアップとしては失敗した印象。
その後歌だけはカラオケの定番になったりして当たったが、国鉄のキャンペーンだったことはほとんど忘れ去られてるんじゃね? >>377
歌い手の親父さんが職員だったからねぇ、何処かの助役やったっけ? 今は、ああロックマンの?って言われるな
元ネタがあると知ってる奴でもモノマネ大会だと思ってる感じ 森田 公一のキャンペーンソング「ひと駅ごとに」だったかな あれは国鉄のキャンペーンソングとしては使われてないはずだよ。
「遠くへ行きたい」の主題歌を森公さん(トップギャラン)が歌っていた時代に、
挿入歌的に使われていたものだ。
のちに「一枚の切符から」に改題して、ダークダックスが歌い、
JR北海道がイメージソングのひとつみたいに使ったけど。 >>384
デビュー前というか上京する前は福岡の志免に有った国鉄炭鉱の職員さんやったよね、親父さん。 遠くへいきたいか・・・
この番組の提供は
国鉄
日本旅行
近畿日本ツーリスト 何故か女性自身
日本交通公社もだっけ?
渡辺文雄御大も懐かしいなぁ。 留美子、パンチらしたわよっ!
鉄釜しながらやったのよぉ〜
おしっこもしたのよ!
殿方がこっち見てたわ
快感だったわよ〜!
あんたたちもしなさいよっ!
わかったわね?
宮崎留美子 「ひと駅ごとに」の森公バージョンって、不遇の名曲だよねぇ。
アナログ時代から今日まで、一度もレコード・CD化されてない。
ダークとか田代なんちゃらのも聞いたけど、やっぱりオリジナルが一番いい。
番組BGとしては残ってるんだろうが、いわゆるサントラ盤的な
ちゃんと音楽だけのが聞きてーわー。CD化きぼん。
ちなみに、ようつべに上がってるカバーのうち、「Haruo Ikeda」(HARRY)とかいう人のは
もう、サビの部分がめっちゃくちゃな捏造メロディなので、原曲を知ってる人は
「おいっwwwww 何だよ?このサビwwwww」って大笑いしながら聞いて下さいw
耳コピの能力ないんだったら、一度聞いた程度でウロ憶えの歌を歌うなオッサンw
あんな変なメロディを「森田公一作曲」として歌われたんじゃ、森公さんにも失礼だわ。
一方、「ノリと勢いで」ってシリーズの人のは、ほぼ正確です。
(参考にした音源の違いか、森公版カバーと思って聞くと一部違和感あるけど) >>387
それ俺の地元のラジオ局でホントに放送されてた番組のタイトル。
毎朝このフレーズを聞かされてたんだよw >>390
それはパロディとか下ネタ番組だったの? ラジ関かw
おれも兵庫県民だが、ラジ関ってほとんど聞かないので、
ググってみるまでこんな番組が実在したとは思わなかったw 谷村新司バージョンでも良いから紅白で「いい日旅立ち」聴きたかった 大阪のABCラジオで30年くらい前に放送されていた、
日本食堂提供の「旅のABC」という番組のBGMが「いい日旅立ち」だった。
ギターでアレンジされていたと思う。 「思えば遠くへ来たもんだ」も国鉄のキャンペーン曲の候補だったらしい >>390
和歌山放送じゃなかったっけ?
違ったかなぁ?
なんかのきっかけでタイムテープルをみて「なにこれ(笑)」と思った記憶がある。
>>391
たぶん、普通の番組。 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
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適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (★民主党鳩山政権TPP問題★★
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社テレビビジネス森友学園パチンコ必勝法オークション販売時代)
NHK中国人用トランプ大統領テレビニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」(在日中国人3月決算)
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 >>398
めでたく水戸黄門だな
このバカチンが >>398
「思えば谷村やるもんだ♪」
どっちも名曲だがJNRは「日本のどこかに〜」に惚れたんだろな
国鉄さん「あんたが大将!」 谷村氏自身もネタにしてきたが
なんでこんな美しいメロディがこんな風貌の人の手から生み出されたのか
摩訶不思議也 それで言うと作詞の阿久悠もだな
要するに才能と容姿は無関係ということ この歌詞ってよく考えると不思議なんだよね。
最後は「日本のどこかに」とはいっているものの
前段は、北海道どころか海を渡って大陸を目指すように
聞こえなくもない。
いずれにしろ、首都圏からみると新幹線が西方面だけだったので、
上野から北方面へ向かう感じで旅情をかきたてられる詩だが、
国鉄全体のキャンペーンソングとしては少し違和感があり、
JR東日本のキャンペーンソングとしてピッタシという感じである。
1978年11月からのものだが、この時すでにJR東日本を意識していたんだろうか? まあ、1978年11月からのキャンペーンだが、
1978年10月の時刻表は例の「上野駅の少女」だから
すばらしいマッチングなんだよな(11月号は「清里駅の女性」なので少しズレるが)。 >>410
太古の昔から恋に破れた女は北に向かうんだよ >>2
> 函館本線滝川駅
> 確か6、7番ホームの飲料自動販売機の壁に
> キャンペーンイラスト看板が今も当時のまま残ってる
2017年の夏も残ってます >>407
高校野球のテーマ曲も手掛けるし、
ジャンルが幅広いのもすごい 今朝フジテレビで谷村氏が元アリスのメンバーと鼎談してたが
年の割には老けてないように見えた
ちょっとニヒルなおじさんみたいな いや、他の二人よりも老けて見える 触ったらカサカサ音がしそう >>422
加山雄三は鉄道よりもヨットみたいなマリンスポーツの印象じゃん 今みたいに芸能界に対する視線が厳しいとリストアップできる人も限られちゃうよな
薬物は論外、不倫もアウト、SNS炎上でも場合によってはキャンセル対象らしい 宣伝費の半分以上を契約金に持って行かれてるケースもある
回り回ってそれは運賃などに転嫁されてるとなると穏やかではおれぬ
要するに芸能人のギャラは正当に価格設定できてるか検証が必要てこと 運賃に転嫁?ギャラが何千万単位だとでも思ってるのか?
そもそも検証なんぞそんなもんお前が気にせんでも会計検査院がやっとるわ ギャラを商品に転嫁というと化粧品類が思い当たる
鉄道賃は、聞いたことがない 「あずさ2号」大ヒットの1977年春からJR発足までの1987年春までの国鉄末期を語ろう
【民営化前夜】1977年から1987年までの国鉄
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1623776275/ 「あずさ2号」大ヒットの1977年春からJR発足までの1987年春までの国鉄末期を語ろう
【民営化前夜】1977年から1987年までの国鉄
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1623776275/ 当時の一部新聞には「 い い 日 旅 断 ち 」と、スト続きの国鉄を皮肉る見出しが載った。。 分割民営化間もない頃RJタブレット欄にイメージCMとかいらねえだろって投書に対して須田氏がそこそこな長さの文で反論していたことがあったのを思い出した そういうこと言う奴は自分の給料より高い金もらってるやつの報酬はみんな削ればいいと思ってるんだろうな 鉄道屋は黙ってお客を運んでいればいいという考えを変えさせるきっかけになったキャンペーン。
現場から宣伝のアイデアが出るようになったという。
もちろん、採用されたものは、ない 会社に貢献するアイデアを出した人にはそれなりの手当てをしてやるべきだが
近ごろは手柄を横取りすることばかりに血眼になってる連中が多すぎる >>449
あなたのいう「近頃」がいつからを指すのかわかりませんが
少なくともバブルの頃にはすでにそんな風潮でしたよ >>449
横取りされるってことはそれだけ隙がある、ボーっとしてるってことでもあるんじゃないの
ただのお人好しでは、ダメね やはりモーレツサラリーマン、24時間働けますか?の世界でないとね。 レコード何枚達成できたらビキニで歌う企画されて、達成しちゃって泣きながら歌ってたな。
今では信じられん話だが、アイドル級でその扱いだから、人気取りにゴールデンにトップレス
で歌わされるのまでいた。 >>453
誰の話しですか?百恵?
後段は別の人ですよね? そうですか・・・ご回答ありがとうございました(´・ω・`) アップダウンクイズのアシスタントのお姉さんも良かった。 >>407
しかもビニ本マニアのエロ親父という
作る曲とは何もかもが対極の人物 どーでもいいが、デーモン閣下が1度だけタモリクラブで素顔晒したような記憶が・・ 曲調と山口百恵の声質が合ったのよ
他の人が歌っても味は出ない
谷村新司も自ら歌唱してシングルも出しているが
山口百恵ほどではない 山口百恵さん19歳で歌いこなしたけど大人っぽい声だよね
日本国民全員の母親みたいな落ち着きがある >>462
デーモンさんってママに果物の皮をむいてもらうことで有名になった人だっけ? >>470
うん。
国鉄時代最大の広告戦略の勝利とされている >>476
10回読み直してみてよ
どれだけ的外れなんか分かるわ 郷ひろみはどうやって決まったのかな
オーディション? 郷ひろみは百恵と同じCBSソニー所属だったし担当PDも同じだったはず。
「いい日旅立ちキャンペーン」の成功で酒井PDに白羽の矢が立ったんじゃないのかね。 まあ身内感あるしね
当時の週刊誌なんかは批判的な記事出したりしてた