懐かしの国鉄電気機関車
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確か荷レって郵便車に郵便局員乗って仕分け作業とかしてたんで、
暖房必要だったんじゃなかったかな。
車掌とかは別にして荷物車の方に人が居たかはしらないけど。
でもEF62来ていくらもしないで荷レ廃止になってたから、
最後までEF58で我慢しとけば良かったとは思うけど。
あーでも余剰のEF62に少しの間でも仕事が貰えたと思えばいいのかなw
59.2で車内での仕分けは廃止じゃないか?
ちょうどゴハチが廃車→62置き換え準備で下関に集中配備されたとき(泣 EF58の荷レを、真冬の米原駅で撮影していたとき。
ウテシが荷物車か郵便車の乗務員に、
「寒かったらガンガン炊くから言ってくれよ」
みたいなことを言っていた。 んで。つらら切り野郎たちは何処に消えたんだ?
はやく出て来いよ。コッチはいくらでも相手してやるぞ!
これだけ言われてシカトはハズカスィだろー。 出てこないようだな つらら切りの連中
いつまで逃げ隠れするつもりだ ツララ切り厨房よ。
聞かれてるだろ。答えねェつもりか?
>>384は「是非お願いしたいww」って頼んでんだぞ!
どーなんだ、答えるのか答えねぇのか?
よくわからんが、>>374で勢い付いちゃったわけだな。平日の昼間に2chでブツブツ言ってるキチガイには
関わりたくないからスルーするとして…
ひさし【廂・庇】(日差しの意) _〔建〕_寝殿造で、母屋もやの四周にめぐらした下屋げやの部分。
そこにある室を廂の間まとも呼ぶ。その外に簀子すのこ縁がある。源氏物語桐壺「おはします殿の東の―」
_本屋から外側に差し出した片流れの小屋根。窓・縁側・出入口などの上に設けて日や雨を防ぐもの。
源氏物語宿木「―の御車にて」_軍帽・学生帽・鳥打帽などの、額の上に差し出た部分。つば。_庇髪の略。
広辞苑第五版
>>374はなんの辞典か知らんがどっちにしてもツララのことは書いてないね。つまり
>ツララから守ろうが庇は庇。
これは>>374個人の見解であって、もともとヒサシにはそのような機能はないんだから、こう言い切る論拠
がわからん。発狂して粘着してるおじいちゃんはボケてそんなことも分からずにレスしまくって得意に
なってるらしいのが滑稽、というか可哀想…
まぁ一般人が気動車だろうが、客車列車だろうが、ひっくるめて電車って言うのと同じで、
機能の区別もつけずに「でっぱってりゃヒサシ」って言うなら、それでどうぞって感じだ。
レールの上を走ってるのは全部電車って言うようなボケ老人に説明してもわからないだろうし。
ちなみに一般家屋の軒先や庇から垂れ下がったツララは雪が落ちる時に内側に巻き込んで窓ガラスを割る
ことがあるそうだ。普通のヒサシはツララから窓ガラスを守ってくれないね。非常に残念だ。
このレスを読んで、勝ちだ負けだ言ってる幼児退行した2ちゃん脳の痴呆老人が頓死しないまでも、スレを
荒らさないか心配ではある。まぁどっちにしろキチガイ相手になにを言っても無駄って感じだ。
ごめん、俺はもうやめるよ。 ところで、EF65 1119以降についてるものは、原理主義さんたちは何て呼ぶの? パンピー「あれ何?」
ツラ厨「トンネルの入り口から落ちてくるツララから窓ガラスを守る覆いだよ」
パンピー「ふーん、あの庇、ツララから窓を守るんだね。」
ツラ厨「違う!ツララ切りだ。」
パンピー「へーえ、ツララ切りっていう名前の庇なんだ。」
ツラ厨「違うって言ってるだろ!」
パンピー「えぇ?何が違うの?」
ツラ厨「庇じゃないって言ってるだろ!」
パンピー「え?え?何で庇じゃないの?庇にしか見えないよ。」
ツラ厨「お前はツララから守る覆いを庇って呼ぶのか?そんなこと辞書に書いてあるか?」
ツラ厨「だって窓の上にあって日や雨をよける覆いが庇でしょ?」
ツラ厨「だからあれはツララをよけるものだって言ってるだろ」
パンピー「…」
EF5863を見て
パンピー「(恐る恐る)あれって庇じゃないんだよねぇ?」
ツラ厨「バカを言え。あれはひさしだ」 トンネルの入り口から落ちてくるツララから窓ガラスを守る覆い‥‥ まあ、伸びたのを切るのと、落ちてきたのを防ぐのと両方だろうな。名前の由来と主目的は前者だろうが。 で、つらら落としの目的のつらら切り整備の名目で取り付けられた庇状のものをもつ釜をなんでひさし付きって呼んじゃいけないのかは理解しかねるが。だって見た目ひさしだろ?
実際、上の方に出てるゴハチの63は、つららに関係なく正規にひさし整備の名目で同じ形状のものが取り付けられてるのだから、当初の名目はどうあれ形態的に「ひさし付き」でいいんじゃない?
あれ?この議論もう終わってた? EF58.あれは嫌いだったな。
山陽本線の駅近くの踏み切りで、いつも長々と待たされていた。
編成が長い上に、加速がトロいから、みんな結構いらいらしてたな。
俺は雑多な急行編成をゆっくり眺めれて良かったけれども、朝の上りなんぞ
来る列車来る列車全部EF58牽引だったから、嫌だったよ。 >>412
>朝の上りなんぞ来る列車来る列車全部EF58牽引だった
なんて贅沢な境遇に生きていたんだ、当時の>>412は!
今となっては、羨まし過ぎる環境じゃないか・・・ >>415
そうだね。59年2月からSGにしか対応してない車両は外されたね。
ブドー色のマニとか。33レなど一輛目が青だと、浜松釜が牽いてても下関後の59/2以降の写真だとわかる。 EF70・ED74は、高圧タップ制御である。
高圧タップ制御は、抵抗制御すなわち、直流電機に近い考え方がある。
EF65を交流電機にしたものと思えば良い。
ED74は細かい電流制御ができないので、貨物列車は運転しにくいと、
大分運転所の乗務員が言っていた。
ED76は、低圧タップだから運転し易いと。
当時、大分運転所のED76で、81〜86号機があったが、
元々長崎・佐世保線電化で使う予定であったが、肝腎の長崎若しくは佐世保線が電化完成が遅れて、放置する訳に行かず、6両ならば
ED74の予備に転用できるとして、大分運転所が、引き取ったという説がある。
窓から伸びた、覆い場のものは
みんなヒサシって読んでいいんだ
どうなんだ、ツララ厨房?
何か言いたいことは無いのか
>>410のゆうとうりだぞ >>418のいうとおり
いや、もしかしてゆとりと引っかけてあるのか。 >>400
元々、EF56・57のボイラーでは東海道の牽引両数では暖房キャパ不足、
って現場の声で、ゴハチの大出力ボイラーが開発された面もあるからなあ。
時代を感じるエピソードだ。
「ガンガン炊くから言ってくれよ」ってのは何とも豪儀なセリフでいいね。
>>417
タップ制御ってけっこう合理的なシステムなのに、
日本では機関車と新幹線だけが使ってたなあ。0系と100系の両数は確かに凄いとはいえ。
在来線の交流専用電車が、接点付き制御器無理な北海道だけで長く使われたから、
交流区間オンリー運用の車両が本州以南でも普及してきた頃にはVVVF時代になって、日本では実例が出なかったな。
旧ソ連の交流吊り掛け電車がタップ制御で、面白く思った。 ボイラーといえば、EF56、57のボイラーってボイラー要員必要だったって聞いたけど
手動で火加減制御してたんだろうかねw
その頃ってまだ二人乗務がデフォだったと思ったけどボイラー制御は機関助手がやってたんだろうか?
つーかそもそもいつ頃まで機関助手が乗務してたんだっけ?
疑問符ばっかりですいません><
>>417
制御の滑らかさは、各形式固有の制御設計の問題であり、
高圧タップだから、低圧タップだから、とは違うと思うけどね。
イグナイトロン整流で、位相制御の有無で粘着力最大を引き出せるかどうかが違うし、
低圧タップでも同様に、磁気増幅器やサイリスタによる位相制御を採り入れてるかどうかで大きく違う。
位相制御のある方が、粘着限界一杯の引張力を取り出せて、高圧タップか低圧タップかの差じゃあない。
もしかして「高圧タップ式」が2トランス方式で、高圧側に電圧調整用単巻き変圧器があるのを、1トランス式と誤解してませんか? >>421
EF56・57暖房ボイラ関連の操作は機関助士でおk
当初から一応制御装置は付いていたけど不具合続出で実質手焚き状態、
戦時中〜敗戦直後は一々方向転換して常にボイラ側を前に持ってきて
ボイラの不具合に備える有様だったが改修されようやく安定した。 庇ぶりに覗いて見ればまだ不毛な論争やってたのかよw ツララ厨には、茶色とか茶釜とか言ったら同じように怒られるのかな?
あれは「ぶどう色2号」だ、とか言われて。
「ため色」と「ぶどう色2号」とは違うんだから断じて混同して一緒くたに
茶色などと呼ぶな、とかとか。 >>420
新幹線100系はサイリスタ位相制御と聞きました。
スレチ失礼…では次の方〜 >>428
具体的構造をみると巻き線をたしか4分割して(6分割だったかもしれない)
これを1つずつ位相制御で100%導通にして加速するから、各段毎ではタップ制御であり、
その1段は位相制御。だからそれを「タップ制御」と言っても間違いではない正当な表現だ。
各段の制御がサイリスタ位相制御なのと、段を複数積んで1段ずつ順次オンにする実質タップ制御は両立する。
あほヲタ本式の文字列による形式的な「理解」ではなく、動作の実質を理解して発言して欲しい。
特に「川島大先生」に依る技術解説は、一般人は絶対に信用してはイケナイ。腐った部分を捨てられないからだ。
かなりの固有技術力のある人だけが、まだ腐ってない食える部分を拾えるというトンデモ本だ。
川島大先生自身、あの尼崎事故本のいい加減さに内心は反省しきりじゃないの?
あれをいくつかの記事やサイトで各項毎にぶっ叩かれてからは、自分の守備範囲でものを言う様に気を遣ってるみたい(w >>424
論争というか、何というか。
ずっーと読み返すと、ツララ厨叩きを書いているのは一人だけのように見えるが。
「ツララ厨」なる連中にしても、愉快犯でワザと書いているようにも見えるし。 さんざんアンチツララで煽っていたのが>>424だったりして >>374や>>375あたりが愉快犯に釣られてしまって、
恥ずかし紛れから、後になって煽ってると見た。
話題が暖房の方向に変わっているのに、
わざわざ言い出す>>424も同類だろう。 北朝鮮人 呉 萬洪 浅井昭衛 顕正会 北朝鮮
北朝鮮人 浅井昭衛 呉 萬洪 顕正会 北朝鮮 EF58置換え用の、EF70改造機を見たかった〜。
EF70を直流機に改造する計画はあったが、実現せず。 東海道のEF60が引くめちゃめちゃ不規則なジョイント音の長大編成カモレがなつかすぃ…。 EH10に萌え。
近代化改造(主電動機、制御関連換装、計器の電子化等)を施してEF200あたりとの爆走すれ違いを見たいような…
貨物専用機のイメージが強いけど客車牽引はやってたのかな
(ニコ動に試験列車で10系引っ張ってるのは見たけど) 1962年から1965年までの3年間ED60-2,3が甲府に配置されていましたが、
これらが何の運用に就いていたのかご存知の方いますか?
もしかしてED61と共に重連で笹子峠を通っていたのでしょうか? 旧型貨物電機を復活させて短編成で良いからワム・ワラ・トラを牽かせたいよね〜!! ふと思ったんだけど
EH10ってマーシャルアンプに似てない?
いや わけわからんなら
別にいいんだけど 皆さん、羨ましいです。。。
俺は小さい頃、赤羽に住んでいて、
よく電気機関車を見てました。
なかでもEF57が大好きで、あのごっついスタイルが
EF65とは違う引き込まれるようなモノがありました。
昔はデッキに乗ったりすることが出来たとか、、羨ましいです。l
昭和50年前後だったと記憶してますが、
生涯唯一、鴻巣まで客車列車に乗りました。
その時の牽引が、57だったような??
なにぶんにも、幼すぎて記憶定かならず。。
幼稚園の頃に、DC急行の「いいで」を見た記憶はあるんですが…
70年代初頭生まれです。 昭和50年前半までの山手貨物線は、機関車のバリエーションが多くて楽しかったな。
荷物はEF61か62っぽかったな。58も来た。旧客アルプスの回送で64が来たり。
貨物はEF15、EF13、EF60、EF65が来てたな。 S50年代に山貨にEF61とか62いたっけ?
61は浜松、62は旅客が上野、貨物が大宮まできてたのしか知らん。 昔、EH10 が貨車をたくさん連ねて走っていたよな。
ときに EH10とEF65が重連で数えきれない程の貨車とともに通った時
駅員さんと会話ができて、EH10ってすごく力持ちだよねっていうと
EF65はあれ1両で同じぐらいパワーがあるんだって説明したんで、
子供ながら驚いた記憶がある。 EH10は図鑑などでしか見たこと無かったが、
2両連結(連接と言うのだろうか)仕様だったので、
いかにもパワーがありそうに見えたモンだ。 パンタグラフがくっついてるのと、離れているのがあったね。
初期型の集電効率が悪いとかで、離したんだっけ。 大宮の高架下に寝ているED1610を何とかして欲しい。せっかく車体修繕・総剥離塗装までしたんだからねぇ。SLみたいに復活運転出来ないものか?八王子エリアを中心に。 ED16の復活運転!!
い〜な〜!!
是非またあのモーターの唸り音聞きたいよね〜。 音ならEF80でしょ
貨物と後期しか現存しないけどあの不気味な音がまた聞きたい EF80の思い出は東北線から水戸線へ直通する貨物を35が牽いていた。
EF80は常磐線専用と思っていたので意外だった。25年前のガキの頃。 電動送風機の音なら
EF62 EF63 EF64 EF64-1000 腹に響く重低音
EF60U EF61 EF65 EF66 EF81 甲高い音
って感じ?
61の音は知らないけど。60TのMT49は悲鳴のような音。EF66は狼の遠吠えのような音って
宇田氏が書いていたような。 ブルトレブームの頃にブルトレ担当の機関士になったんだけど、
夜中も結構小中高生が結構ホームに居たな。
でもその頃は深夜徘徊=非行少年の印象の少ない良き時代。
その頃はちょうどEF65P型からEF65PFに変わる最中で、
20系から14系や24系に置き換わっていった頃。
通学中の小学生数人が手を振ってくれたんで、
こっちも汽笛を何回か鳴らしてた。
その後、地味な貨物機から華々しい特急運用に上り詰めた
ロクロクに乗務するようになった。ロクロクでの時速110キロ運転は今でこそ
当然だけど、その頃は貨物運用が時速100キロだったので、
時速110キロ運転は未知の領域だった。
そんなロクロクと東京ブルトレ廃止まで乗務できたのが嬉しかった。 >>458
うーん、それは機関士冥利に尽きますな
鴨も新型機をやりくりしては徐々に投入してくれてるんで、在来機の過去帳入りが増えて辛いものがある…… 学校が東海道線の線路の近くで、踏切を渡らなくちゃならんかったんだけど、
ちょうど通学時間帯にブルートレインが走ってたんだよ。
消防の俺たちが手を振ったら機関士さんが汽笛鳴らしてくれて、
助士さんが手を振ってくれてた 5月22日大宮の公開でEF80-36が展示される。横川のEF80-63
とは顔が違うのでよく見てくれ。ちなみに最新型の後藤さんも展示される。 あれ、ID変わってしまったか。
EF30って、出たから来てみたのに。 >>468
路車板の仙台地区スレに書きこんだら、出てきたんだけど。EF30スレとか関門トンネルスレなんてある訳ないから、記念にここに来てみた次第。 スカ線沿線民だったけど、超ガキの頃はEF10が走っていた記憶がある。
物心がつく頃にはEF15だったなー。 洩れは容貌の頃EH10とシャム双生児のイメージが重なり(ry… おまぃらブラックネタはその辺にしといて、
イカロスから出たEF15×EF58って本は買ったか?
俺はEF65PF好きなんだが、懐かしい国鉄時代のPFがちょっと載っていたから、
それだけで1700円出して買ってしまったよw 子供のころ、自転車で岐阜駅まで行って、
国鉄を見ていた。EH10やEF58も来ていた。
朝の5時くらいに20系の銀河が来た。止まるのは
これだけで、ブルトレは全部通過した。
当時の国鉄はサービスが悪く、機関車もさびて、
汚かった。EHは貨物用だったから、特に手入れが悪かった。 DF50を見に、亀山機関区に行った。
車庫に2台ほどいて、写真が取れた。
三岐鉄道にも電気がたくさん居た。当時
私鉄には珍しい電気がたくさんいた。
豊橋鉄道とか、近江鉄道の電気は、かなり古そうなやつだった。 薄の穂が出ている夕時の東北本線を走るED71の顔に哀愁を感じる
のは俺だけ? >>478
ED60番台に夕暮れは似合わないのにね。 北陸線にED70というのがいたが、レトロなデザインは
秀逸だ。あの時期の電気はよく似ているが、たぶん
スイスの電気を参考にしたんじゃないかな。ブルドックの
キハもよく似たやつがTEEにある。 EL、DLの貫通扉って重連仕業の時、後ろのクルマの点検やスイッチ類、ブレーキ類のコックを
整備したりするのに使うんジャマイカ? デッキ付以外はそうだね。
ED70は総括制御できないのに貫通があるから>>483はそれを言ってるんだな 質問お願いします。
国鉄時代の三菱のエアーホーンがあるのですが、幾らくらいで売れますか?
真鍮のです。 南武線沿線に住んでいます。
私の貴重な目撃は、EF11の貨物です。
ED16に混ざって、EF10、13はたまに来るのですが、ときどきEF11がやってきました。
当時、小学生だったので、希少性がわからず、結局、見ただけに終わってしまいました。
残念なことをしました。
東海道線の島田。見慣れない機関車がいました。
EF18です。EF58の旧型の面影を残す、とても貴重なカマです。
次回、撮影に行こうと思ったら、いつのまにか姿を消してしまいました。
偶然、平日の3時ころ、東海道線の平塚の鉄橋でEF58重連の荷物車を見かけました。
よーし次はカメラを持って出かけようと思ったら、これも消えてしまいました。
まあ、こんなもんですね。
結局、撮れた直流カマは、
ED16、ED61重連、ED62
EF10、EF13、EF15
EF60、EF60500、EF61、EF62、EF63、EF64、EF65、EF66、EH10試作・量産
などです。 ED71と言えば、黒磯以北で客レを引いているのはよく見かけました。
当時はぜんぜん珍しくなかったんで、これも一枚も撮ってません。
うつくしい編成でしたね。 >>485
本当に使われたんだろうか?
重連で扉を開けるシーンは本は載ってないね。
セノハチの走行中の切り離しは、どこかのサイトに載ってた。 もっぱら、夏の止まっているときに暑いから開けてるって印象。 >>493
仕業前の点検の時とか本務機と補機を往き来する時。
あとは機関助士が乗務していた時代、助士が運転中の機械室点検で補機(実際は本務機?)に行く時とか。
そう言えば昔、鍵が掛かっていない機関車の貫通扉を開けて、客車の客が機関車に入って
何かやらかしたなんて事件なかったっけ? >>493
高崎操での話しだが、
機関区を出区して貨車に連結するまでは倉賀野方の運転台で運転。
連結したら機械室を通って貫通扉通って機械室通って高崎方の運転台にエンド交換。
そんな光景も見れなくなってしまったが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています