懐かしの国鉄電気機関車
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さあ、今のうちですよ
103系EC撮るなり録るなりするのは
それとEF65やらキハ47系やらもw >>119
交通科学博物館なら来年1月中旬迄
0系展をやってる 末期になると>>118や>>121みたいなのが必ずでてくるなw
葬式ヲタを馬鹿にするヲタw それまで見向きもしなかったくせに、なくなるとか言われると、
急に懐かしがったり、ありがたがったりするヤツが多いからな。
親がガン宣告されて急に親孝行するようなもんだ。
普段から愛着あれば、そんな気にはならんだろ。 普段から愛着あれば尚の事最期をみとってやりたくなるんジャマイカ? 最終日のホームで鈴なりになってカメラ構えてるような人々に愛着があるようには思えないのだが…。 >>124 125 126 128
胴囲でつね。
ミ〜ハ〜連中が押し寄せるはるか以前に
愛着を持って撮ったり録ったり(盗りはしませんよ)します。
本当の愛着とこのようなもんでしょう。
SL最期の2〜3年頃、10系DCを録ってたら変人扱いされましたが
それで良いのです。 知らない奴が多すぎるな。
普通に「セカンド方(かた)」と呼称する。
「にえんど側」と、言い出したのは昭和50年ごろから。
そう、蒸気が用途廃止になった年だな。
蒸気は「こうしきがわ」「ひこうしきがわ」と一般に呼ぶと
思われているが、山陰地区では「セカンド方」と呼ぶことも
あった。
ちなみにPCでも「車重」ではなく「軸重」乃至は「整備重量」
なんて呼ぶ現場もあった。
中央鉄道学園の教科書を読んだことがないなら、黙ってな!
神戸に居たので大半はEF65「並型」、
たまのEH10や58がうれしかったよ。
当時憧れの、先台車付き茶色旧型電機は
竜華にしか居なかったかな。 >>130
軸重ではなくて、自重(じじゅう)では。
でないと、意味が変わってしまう。
慣用的にそう呼称していた現業機関があったと言われれば
否定のしようはないけど、、 >>130
空気読めない爺じゃなくて自慰は、年金もらうまでROMってろ 本当のプロは自慢せず、素人の愚問にも馬鹿にせず答えて下さる。
プロ気取り、業界と同体化の錯覚してるヤツが優越感を保とうと自慢する。 国鉄電機と言うと新宿駅東口側にあった円い顔のイラストがいくつも並んだ看板を思いだす。
(^o^)←こんな顔が羅列のイメージだった。 >>140
あった、あった!
あれが見えると、ああ帰ってきたなあと思ったものだった 新宿駅のあの顔のイラストの前でよくEF13や15が発車待ちをしてましたよね。
必ずと言っていいほど待機中の機関士さんはマスコンとブレーキに足を乗せてたっけw >>145
いえいえ、空系にはまったく門外漢ですが、
前に、戦中には迷彩塗装の機関車があったと何かで読んだものですから。
画像で確認がとれてやや興奮しています。
終戦直後の撮影だから残っていたのでしょう。
きっとD52あたりにもあったに違いないかと。 海外ですと、ドイツ系の鉄道模型で迷彩版が商品化されていたと思います。
また、月刊誌の鉄道不安の出版社の本で、迷彩機関車の写真を見たような気がします。
(写真でつづる鉄道の歴史…みたいな本だったかな?) 「EF57ものがたり」に8号機の迷彩塗装の写真が載ってるね 迷彩の電機の写真って結構あるのですね、ありがとうございます。
スレチ?だけど、蒸機の写真も見てみたいものです。 EF65 F型は1年間ほど東京発着のブルトレの牽引をしていたそうだが、
その姿を収めた写真には、未だにお目にかかったことがない。 ED911,11,21暖房車引いてた。仙山線。作並からはED14かED17に交換して山形へ。 >RF 1982年何月号だったか、EF65F特集(6〜9月?の4回)にあり。
513〜517のどれか。 ふと思い出した。
本当はP型(500番台)なんだけど(手違いで?)一般色で
出場してしまった機関車がHM付きでBT牽引中…
という写真を鉄童不安でみたキガス。 >>156
そういやそんな記事を見たことあるな。
手違いというかデビュー当初はわざわざ一般型と
塗り方を区別してなかったとか、そんな理由じゃなかったっけ?
>>156-157
EF65の501〜504が一般色で出てきちゃったね
EF60の500番台が特急色だったのでEF65で塗り分けない理由は無い >156-158
一般色で出たのはEF65 502 1両のみだったのでは。
一般色が茶→青クリームになった際、特急色は対象外だったが、大宮工場の勘違い。
他に大宮の勘違いによる塗りわけミスは EF60 512・513の一般色 EF65 501の塗り分けミス
最近見た記憶があったのでいろいろ探してみたら
「鉄道青春時代 東海道線」の川崎ー鶴見のページに
白黒写真があった EF65とパンつきカニ22のコンビって存在したんでしょうか?
時期的にはありそうなんですが、今の今まで雑誌で見たことないです。 >>163
ある個人の方の鉄道趣味HPでそれらしい姿を見ました。
s42の夏季とのこと。
カニパン側からの後追いでHMは見えませんが、65の500番台でしょう。 164
同じ方が撮った みずほ(HM)があった。
65(P)+カニパンで、間違いないッ。 ttp://jp.youtube.com/watch?v=rJ04gnGQbO0&feature=related EF51見たかった…ED19は現役時に見たけどカメラ無し… ED19って飯田線沿線のどこかに保存してありましたよね。
ED18っていまどこに居るんでしたっけ・・?
そろって保存させたいですね。
ED19 1 見に行きましたよ。
伊那松島駅から西へ、どうやって行ったか忘れましたが。
状態は悪くありませんが、屋根は無いです。 おまいら貴重なD型旧形式を見られてうらやましいぞヽ(ノД`)/ 今思い返せば竜華って恵まれてたんだな
EF52EF15ED60EF58・・・最後はEF60も
和歌山まで行けばDF50も来てたし >>174
ED61っていつくらいまで阪和線走ってたんでしょうか?
60と区別がついて無かったからかも知れませんがあまり覚えてないんです 俺は奈良の扇形庫で見たな<EF52
奈良駅付近は先日二十年ぶり位に行ったがあまりの変わり様にびっくりしたよ。 急行「しろやま」を牽いていたEF61、驚くばかりの蒸気を吹き上げてやってきた。
てっきり、電機が火災を起こしているんだと思い、駅に通報した覚えがある。 昭和40年代後半、上野口で鉄だった俺はEF57だよね。
EF65も東京口の500番台より上野口の1000番台が好きだった。 57は覚えてない世代だけど、宇都宮の65-1000は好きだったなー。
東京口の奴はスノプラが無くて、ちょっと間抜けな印象を受けた。 スノープローが無いとパンツ履かずにズボンみたいでスカスカだよな >180-182
東京口のPF、スノープローが無いよりも、ナンパーがエッチングになって
読み取りにくいのが気になった。
パンタもPS22になり、看板のブルトレを牽くにはかなり安っぽいなと感じた。
上野口のPFは耐寒構造の文字通り1000番台で500番台とは一線を企していたが、
東京口のPFは単に500番台やゴハチの置き換え用で、ツララ切がついているのに
スノープローや汽笛カバーが無くて間抜けだった。 東京口PFは新製直後はスノープローは付いてたらしいけど、
すぐに外されちゃったみたいだからね。
前任の500番台には付いていたのだから、
わざわざ外してくれなくてもなぁ・・・ >>185
制輪子交換するのに邪魔だから外したんだよ
頻繁に交換するのでプラウがあると作業効率が落ちる 昔、下関に信越からやって来たEF62があったが、80qのスピードでは、
EF58やEF66に劣っていた。
元々山岳線用のカマだからね>EF62
高速走行は本来の使用目的じゃなかった。
信越で余剰になり、たまたまEGがあったから白羽の矢がたった。
無理な運用であぼ〜ん・・・思えば不幸なカマだぁね。
>>188
廃車になるところを、
転属先があってもう一花咲かせられただけ幸運とも言える、
まあ信越本務機のくせに補機の影扱いだから、
もともとが幸運な方じゃ無いけど、
でもあのうるさいブロワー音は大好きだな、
62よりうるさい電気機関車って他にあるかなぁ? >187-188
山男やスキーヤーは山で見ると美形だが、
平地で見るともっさりして垢抜けしない。 東海道山陽スジの荷物列車を、すべて下関のEF62に置き換えるのを前提に、
準備段階として、ゴハチが下関に集中配置された。普段は浜松持ちの運用に、原型窓の宮原のゴハチが
入ったりして楽しかった。 スノープローといえば、寒い寒い碓氷峠のEF63にも付いてなかったね。
やはり、あのゴチャゴチャした連結器回りのせいなんだろうか。 関東⇔中越の貨物が信越線が切られ上越&中央ルートになったことで
EF62とEF64の明暗がくっきりわかれたんですよね。 振り返ればもう25年前
ついこの間のような気もするのに四半世紀前だよ… 東海道のEF62は高速長距離運用で故障が多かったらしいね、
せめて歯車比さえ変更すれば普通に使えたと思うんだけど、
スキーヤーをスキーヤーの格好のまま平地で使ったら、そりゃー疲れちゃうよ、
>>194
碓氷峠でスノーブロウで蹴散らすほど積もったら、そもそも運転が難しいんじゃないかな? プラウ、プロー、プロウ。。。ブロウ???
統一せんか。 plow か plough なんだよな
英語読みなら、プラウだろうな。 本や雑誌ですらバラバラだから統一は無理でしょう、
わかればどれでもいいのでは、
でも現場の人がどの言い方してたのかは気になるけど、 国鉄というと戦後限定なのかな。
西武にブラウンボベリーとか古典的な電気機関車がけっこういたけど、
あの辺も元は鉄道省だよね。
池袋でもよく見かけた。 >>207
スレタイトルの事ね、
思い出や思い入れがあるなら、
無理に国鉄につなげなくとも、私鉄の西武E851や東武ED5080でも構いませんよ、
みんな同じ、思い出の日本(国)の私(鉄)の(電気機関車)や! >>199
カープに昨年「ブラウワー」という投手がいたwww >211
近江鉄道ですね
貸しレにたまに行くがいつも大荷物なので寄ったことがない >>212
あれはもう近江鉄道の物持ちの良さというか奇特さに脱帽するほかない
車齢86年〜79年という文化財レベルの電気機関車がゴロゴロと、
しかも使いもしない機関車を、ED14とED31に至っては同形式で複数(3両以上)揃えてあるってのが信じがたい奇跡 ED14は束が大宮用に(東海道・仙山線ゆかり)、ED31は倒壊が名古屋用に(伊那電鉄の遺物)、
それぞれ欲しがるんではないかと ED14ED31まだあるのかよ。
すごいね。
30年以上前でも、おお、まだこんなの走ってるんだという感じだった。 北陸在住のオレはEF70が好きだった。
ED74は見たことないけどね。
ガキの頃、高架化前の中央線だと中野・荻窪
・吉祥寺・武蔵境・国分寺が貨物扱い駅で、
頻繁に立川区のED17が入れ換えに出張って来
ていた。
当時の沿線住民にとってデンカンと言えばデ
ッカーで、あのいでたちとグワヮヮヮ〜ン〜
という走行音が鉄の道への入り口となった。 >>217 雪中で日本海の先頭に立つ1000番台の勇姿は北陸本線ならではだな やっぱJNRの電機と言ったら俺は「エッチトウ」だな。
重連タイプの構成はもちろん、EF15なんかの三倍位広そうな運転室も印象的だった。 >>216
30年前だったらどこの私鉄も車齢50年オーバーの
EL持ってたんじゃない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています