■ なつかしの阪神電鉄 ■
淀川にあったラサスイミングスクールの帰りに乗る3301形込み5連準急…3301形がお気に入りだった、あの頃。 3301形が1両でのんびり走ってた時代の
武庫川線に乗りたかったなぁ。 >>4
ノシ
つか、車内は至ってふつうだぞ。
アレに当たると、妙な優越感はあったなw 扉横の種別サボが、なんか古臭くもカッチョ良かった。 そうそう扉横のサボ 新開地についたら車掌が急いで裏向けて表示変えていたなぁ 阪神が新開地行きが多かったのはあのせい?神戸でも西側に住んでいた為、準急表示や看板を見れず あの青文字が憧れだった >>7
なんで三宮始発の須磨公逝きが「特急」なのか?
折り返し梅田行きの特急になるから、サボ返しの手間を省くためだという話があったような。 >>8
同じような理由で三宮発新開地or高速神戸行きの
「特急」と「急行」もあったな。 母親と梅田から婆ちゃんの家に行くとき、いつも急行で行っていたから
青い電車がうらやましかった じいちゃんが魚崎の酒造会社で杜氏やってて、会いに行くのに阪神電車
使っていた。たまに「うずしお号」に乗ったのだが、流線型でなんか
古臭い感じで、形も怖くて乗るのがイヤだった。
母に「この電車乗るのやめよ〜」とダダこねた思い出がある。 武庫川線の所為で冷房化率100%を成し遂げられなかった
時代がありました。機器はついているのに・・・ >>11
3561形非貫通時代?
補助標識はどこについてたんだろ。 そういや西九条特急ってのがあったよな
たった2両編成で走っていた
オイルショックの影響で無駄な列車走らせるなという上からの理由でなんの前触れもなく
急に廃止されたけど >>15
訳のわからん優等列車には取り敢えずアルファベット+特急と付けて置け…という。此の種の列車の嚆矢となった『N特急』。 尼崎臨線に「工場前」っていう素っ気無い駅名があったらしいが
なんの工場前だったのだろうか? 阪神で評価出来るのはタイガースとブルーノートの自社以外のメーカーとかの
ラッピングをしないってことだよな。
何年か前にアップルが関西の大手私鉄に「関西総マック化宣言」って林檎マークのラッピング車
走らせようとしたとき、阪急・山陽と一緒に阪神もやらなかった。 >>17
戦中すぐに高洲駅に改称されましたね
軍需関係の工場があのあたりにあったというからそれと関連してでは。