【いろんな電車の】弘南鉄道【博物館】
国鉄、東急、西武、富士身延鉄道、伊那電気鉄道、阪和電気鉄道…
いろんな鉄道で生まれた電車たちが集まって、まさに「電車の博物館」だった
弘南鉄道を語りましょう。 社会資本の整備目的とはいえ私企業にどこまで公金を注ぎ込めるかだね 車両の買い替えならともかく鉄橋の架け替えなんて
ちょっとやそっとで調達できる資金じゃないだろ 2007年7〜10月にかけて石川ー義塾高校前間を運休させて、石川陸橋の改修工事をやってたな。
JR奥羽本線とオーバークロスする部分のガーター橋は架け替えた。
JRとクロスする部分だけしか架け替えなかったから「そこだけ?」と拍子抜けしたもんだ。
だって、3ヶ月もその区間は運休して直通運転出来なくなってたんだよ。
運休区間はバス代行を出したりとかね。
石川陸橋の改修に掛かった費用は約5000万円で、9割は地元自治体が負担したそうだ。 日付替わったから昨日付の陸奥新報の記事に、大鰐線が建設された経緯について興味深い内容があったな。
大鰐線が建設された経緯は、弘南線と違って地元の人間でも知らない人が圧倒的。
地元メディアでもあまり扱われることが無かったし、ネットで調べても個人ブログレベルで信憑性に乏しい内容が多かった。
内容がそれぞれ微妙に違って個人的な推測の内容が多かった。
新聞記事の内容だけど、弘前電気鉄道(現弘南鉄道大鰐線)は、当初奥羽線大鰐駅から国鉄弘前駅を経由して五能線板柳駅までの予定。
諸事情から2期に分けて建設されることになったけど、1期は大鰐駅―国鉄弘前駅だったそうだ。
実は、今の終点である中央弘前駅に行く計画では無かったそうだ。
現ルートと比べると計画では松木平から少しずつ東に向かって取上付近を経由して、国鉄弘前駅に向かうルートだったようだ。
個人的な考えだけど、現ルートより当初計画のルートで国鉄弘前駅に向かうルートの方が良かったと思う。
直接、国鉄弘前駅に乗り入れた方が、現ルートのような盲腸線と違って後々色々な手を打ちやすかった。
最悪、存廃問題が出た時でも、存続か廃止かだけじゃなく、路線の短縮という選択肢も出来ただろうし。
どっちのルートも今のように人工構造物が少なかったから建設可能だった。
例えば今は住宅や商店だらけの西弘前駅周辺ですら開業当時は田んぼや畑だったし。
11月25日付の東奥日報の記事には、建設中の西弘前駅の写真が載ってたけど、周りは本当に何も無かった。
よりによって、当時から人工構造物だらけの中央弘前駅に路線を伸ばしちゃったもんな。
あれで、どこにも路線を延ばす余地をなくしてしまっただけでなく、駅前開発をしてバスを乗り入れるのを困難になってしまってる。
他の交通機関との連携も断たれた。
学都充実へ大鰐線計画=60(陸奥新報)
http://www.mutusinpou.co.jp/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E3%81%AE%E8%A1%97%E3%81%A8%E9%A2%A8%E6%99%AF/2016/12/44235.html nhkで紹介されたね。(メインは鉄道ではなく「沿線の熱い十代たち」だが) 弘南鉄道の株主総会の記事が載ってるけど、ネット版は一部どころか大部分が載ってないな。
3紙のネット記事と自分の家で取ってる、東奥日報紙面の記事に書かれてる内容を数字だけ簡単にまとめるわ。
16年度の経常損益は1177万円改善して141万3050円のマイナス。(赤字は6年連続)
ただし、遊休地売却などによる特別利益を加えた当期純損益は239万1110円のプラス。
路線別では、大鰐線利用者は通学客の減少で前年度比0.7%減の46万4795人。
一方で、前年度より通勤定期が4620人、一般利用者が4279人と単価の高い利用者が増えたため増収になった。
旅客収入は前年度比1.2%増の8562万円で、大鰐線では08年度以来8年ぶりの増収。
弘南線利用者は通学客減少が響き同1.6%減の130万6786人。
両線の利用者は前年度比1.4%(2万5388人)減。
旅客収入8年ぶり増/弘南鉄道・大鰐線(東奥日報)
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2017/20170624026269.asp
大鰐線の旅客収入8年ぶり増収/弘南鉄道(津輕新報)
http://www.shinpou.jp/2017_hpnews/06/0625.html
弘南鉄道大鰐線収入 1・2%増(陸奥新報)
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2017/06/46999.html 悪くなる材料は数々あれど、良くなる兆しは、
ないねえ 公営化はないね
つまり遅かれ早かれ弘前の街から鉄路は消える 黒石駅の近くにイズミKボウルというボウリング場があって
その中にあったゲーセンに通ってた頃に、
弘南の社員親睦会らしきグループが団体戦をやってたのを見かけたことがあるわ
弘南むつみ会? いずみ会?みたいな名前だった
今はそのボウリング場もなくなってしまった >>248
貴重な写真ありがとうございます
これは元国鉄車ですか?
それとも元東急車ですか? 黒石線廃止のニュースで某テレビの字幕スーパーが変換ミスで「黒い支線廃止」になってたのが忘れられない >>254
ディーゼルカーで車体が排煙で黒ずんでたから、あながち間違いとは言えない
と強引な解釈 >>255
何年か前にCSのテレ朝チャンネルで、60年代に撮影されたアーカイブ映像の中に黒石線も入ってた。
テレビ朝日の前身のテレビ局が制作した番組の素材を使ってた。
その中の紹介で黒石線は「青森県内唯一の国鉄黒字路線」といった感じの紹介だったな。
貨物輸送が、まだまだ多かった感じだった。
すでに弘南鉄道が黒石まで延伸して、旅客はかなり取られてた頃だったんだろうけど。
路線が短いから統計が良くも悪くも極端に出ちゃう路線だったんだろうな。 記事全文やネットには掲載されてない東奥日報紙面の記事も見た感想。
その程度の支援額で収まるのかと思った。
他の地方鉄道の支援策と比べてもね。
弘南鉄道に9.5億円支援 沿線5市町村/大鰐線、存廃協議も(東奥日報)
https://this.kiji.is/731717022282088448 ↑と言われても仕方ないかな 寂しいけど
もう鉄道は構造的に儲からない商売になってしまったと諦める時が来たのか 弘南鉄道はこの冬から今までのラッセル車での排雪からモーターカーでの排雪が基本だって。
本格的な冬備え排雪列車試運転/弘南鉄道(陸奥新報)
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2021/12/68165.html
約1週間前の地元テレビ局のニュースでは大鰐線のモーターカーの試運転をやってた。
ラッセル車は今後、特に雪が多い時に補助的に使われるようになると伝えてた。 >>263
公営化までして維持しますかね?
みんな反対するだろ 先日乗った、元投球7000系は昭和38年製だった。
もうすぐ還暦ではないか。 お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛官)についてご存じか。この方は神のような素晴らしい人間性を有しているので覚えていた方がよいぞ >>267
アメリカと日本のちゃんとしてる頃にガッツリこしらえたものだから問題ないんじゃないの、特に上の箱は >>269
自衛隊辞めた理由は?
いじめられたの?? ローカルで6両編成を組むのはなかなか見られない
それほどまでに客が多かったのか 元伊那電鉄のクハニを間近で見られた事が思い出
1984年平賀 荷室側が先頭になっときかぶりつきができないのが難点 >>277
荷物車が機関車の替わりだったところでは
かぶりつき自体が不可能 >>275
その車両か定かでないが極端に車高の低い電車がいた
屋根の深い元西武車と組むと大人と子供が連れ立って走ってるように見えた 昨シーズンから>>264に貼り付けられてる記事のように、モーターカーでの排雪を基本にしようとしたけど
結局、雪が多くて昨シーズン中に、これまで通りのラッセル車での除雪に戻ってしまってたな。
今シーズンもラッセル車基本の除雪体制だけど、ネット記事を見たら人員のやりくりが大変になってるようだな。
昨シーズンにモーターカー基本の除雪体制にしようとしたのは、そういう訳だったんだな。
冬の守護神「ラッセル車」社員減で車掌が兼務 電気代も圧迫 鉄路守る厳しさ弘南鉄道に聞く(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/124251 大鰐線が脱線事故で運行再開の見込みが立たない一方で
弘南線は12日(土)にはるか夢球場で開催される
イースタンリーグ公式戦に合わせて臨時列車が運行される。
中には久しぶりの4両編成で運行される便もある。
楽天vs日本ハム 弘南線増便運行 2023/8/12(弘南鉄道)
https://konantetsudo.jp/2023/08/08/rakuten-eagles2023-03/
弘南線と大鰐線は弘前市内にあるのに、繋がってないせいで
良くも悪くも全く連動してないんだな。
一体運用が出来ないのに、2路線を保有する意味が無いんだよな。
意味がないどころか弘南線のサービス維持・向上の足枷にすらなってる。 >>285
1キロくらいしか離れてないんだけでねえ 弘前電鉄を買い取った時、とてもこんにちまでもつと思わなかった
旧型電車の中でも大鰐系統は更にワンランクぼろかった
黒石線と言い、どうも損を承知で引き受けちゃうみたいだ。前社長のインタビューを読んだことがあるが 弘南鉄道開業90周年の時の地元紙の特集に、弘南鉄道の歴史と共に証言もシリーズで載ってた。
大鰐線を引き受ける時は、社内でも反発が凄くて受け入れを決めた当時の社長に向かって専務が
「電鉄(弘前電気鉄道)買って、どすんだば!」と詰め寄ってたそうだ。
国鉄の黒石線は弘南鉄道にとって最終的には赤字垂れ流しのダメ路線だったと思われてるけど
証言を聞くと初期の頃は、必ずしも弘南鉄道が一方的に不利な条件で引き受けたわけではないようだ。
国鉄から転換される路線には、転換交付金とか各種補助金が自治体経由であったから。
黒石線の譲渡を受けた頃、弘南線で貨物営業が廃止になって余剰人員が発生したけど
転換交付金のおかげで人を切らずに配置転換で済ますことが出来て、かなり助かったと証言してた。 川部から青森まで奥羽線列車に併結して直通
何て妄想もしたもんだが。 直通してくれるのはいいが速達でないと鈍行では値打ち半減 昭和39年生まれの元東急7000系がきれいに整備して使われているのに敬服する 伊那電、富士身延、阪和…
買収国電が本当に現役の営業車で取れるとは、譲渡後でも当時ですら凄いと感じていました
それに同じく元クモハ11などもいて、興奮ですね
2ドアの2250が廃車時期だったのか、ギリギリ撮れました
1981年と1982年でしたね 見た目でも相当に古い車両を多く抱えて、調達コストは安く抑えられたかもしれないが保守コストは逆に嵩んだのではないかな 元阪和モヨ100の残党を見られたのが思い出
中間に閉じこめられていて顔は拝めなかったが
側面の特徴のあるドア・窓配置は目に焼き付けられた
昭和63年の夏