大隅・志布志線
垂水というと、やっぱり「たるみ」じゃなくて「たるみず」ですよね? もし大隈線が残っていたら、
鹿児島空港まで連絡線を造って、鹿屋方面からも
直通列車が走ったかも・・・と妄想してみる 垂水〜志布志を残して、垂水でフェリーと連絡ダイヤ組むとかすれば良かったんじゃないか。そして1時間ヘッドに増発すれば需要増も見込めたと思う。
素人考えだが。
やっぱ「いわさき」の圧力で3セク断念?県下第2都市だった鹿屋から線路が剥がされるのは異様だった。その後やっぱり寂れたし。 昭和30年代の終わり頃、鹿児島に住んでいた。
おやじはパルプ会社で山林関係の仕事をしていたので、よくフェリーで垂水経由していた。
大隅に鉄道で行けないのか訊いたら、地図を見せてくれた。
まだ各所に破線が引いてあった。
間もなく九州を離れ、再び鹿児島を訪れたのは40年近くたってからのことだった。
大隅の破線は白黒に変わり、そして消えたあとだった。 >>9
それは俺も考えたことがある。無理に国分まで線路を延ばさずに、
垂水のフェリーターミナルに横付けする線路を引いて、船接続の鹿屋方面行き列車を走らせる。
これが一番流動実体にあってたと思う。
しかし、やっぱり地元企業が強すぎるのも問題だわな。
いわさき南国のおかげで3セクにも移行できずに鉄道路線廃止が九州一進んでしまった。
福岡もけっこう廃線が多いが、あそこは炭鉱路線の整理という理由が大きかったし。
80年代には国鉄JR4路線だけでなく、鹿児島交通鉄道線の全廃や市電路線縮小も行われて
鹿児島県鉄道受難の時代だった。 漏れも桜島フェリーが国鉄連絡船だったらと何度も思ったことがある。
鹿児島駅にも近かったし、桜島には国鉄バスも走っていたんだから。 >>9
他県の者なので判らないんだけど
いわさきグループって鉄道事業と競合してんの?
素人考えでは観光事業やっているようだから
やっぱ線路はあったほうが良いんじゃない? この間、鹿児島の路線バスに幾つか乗ってきたけど、どこも悲惨なものだった
鹿屋の方は行ってないけど、佐多岬もバスじゃ行けなくなったんだね >>13
いわさきグループ≒鹿児島最大のバス会社系財閥 地図的には、大隅線いいところ通っていたんだな。景色良さそう。
http://www.iwasaki-group.com/
いわさきグループはかごしまのフロリダ半島化を推進しています。
何か、発想からして凄いグループみたいね。 志布志線大隈線にキハ58、28のらくだ号やグリーン座席がついた車両が
日南線直通とかにはいってたな〜なつかすい 晩年の志布志線あたりにはキハ26 600が5両ほどいたね
600番台でもクロスシートが1/3くらい残っていたけど 快速佐多と快速大隅
快速佐多の成れの果てが今の日南マリーン号 志布志市をもっとPR
日南線の終着駅、密貿易、太平洋戦争の地下要塞、
日本一どんの話、志布志城や武家屋敷群、志布志国際港等
志布志には恵まれた素材が沢山ある
>>5-6
つ鹿屋の地形。
海と市街地は擂鉢の底で、それを避けて線路が引かれた。
海軍(航空自衛隊)基地は山の上。 >>15
いわさきなんかにわたすからもう・・・いわさきのせいで鹿児島がぐしゃぐしゃに。
>>27
でも、よく日南線は残ったもんだよね。
宮崎県は、国鉄解体に伴うに廃線が少なかったね。
細島線は貨物専業になった後だから、まともな廃線
は妻線ぐらいか。鹿児島県と好対照ですね。 日南線は何だかんだ言って結構人が乗ってる。
指宿枕崎線もそうだけど、
県の中心部とつながってるっていうのは大きいんだろうね。
まあ、南郷や串間から先は無くなっても不思議ではないけど。 >>30
鹿児島本線川内以北(おれんじ鉄道区間)ですら
当初は最悪廃止やむなしみたいな対応とっていたし、
もともと鉄道に対して冷たすぎるような気がする>鹿児島県+自治体
熊本県が高森線・湯前線といった赤字盲腸線ですら残したのと比べると
鹿児島は明らかに見劣りがするんだよね。 肥薩おれんじは「年に一回乗って下さい」の車内ポスターが泣ける
しかし、流石にかつての幹線だけあって乗り心地だけは無駄にいい・・・ おれんじ鉄道をまたい**きが破壊しに来ているようだし。
スクールバス運行はないだろう。
宮崎だって、20億ぽっちが集まらず、高千穂潰れた。 >>37
というか、よく3セクにして20年近く、生き延びてきた
と考えるほうが自然だろう。 >>38
いや、あれは前知事があっさりと見捨てたから。
その直後に不祥事で失職。
高千穂鉄道の呪い・・・、いや、まさかな いわさきって、大昔は栗の天敵、枕木屋だったってほんと? 栗って?
枕木屋は本当らしいが。
で、懐かしの大隅・志布志線はどこへ? で、その枕木屋が栗材足りなくなって、収入求めてバス走らせたら、結局大隅志布志を食っちまう事になった、
とかいうストーリーでいかでしょうか? >>44-45 サンクスです。
栗の木からではあまり採れなかったでしょうね。
今はヒバ、ヒノキ、米松かな…? 桜島噴火は結構な回数だと思うんだけど
大隅線って運休してたの? >>49は興味あるな。
隼人の方はお墓にも屋根がついてる有様だから、直近の垂水辺りが噴火の時どうだったのか
興味津々だな。 幼稚園児の頃、親父と一緒に大隅線に乗ったことがある。
親父は仕事が忙しかったので休みがあった日は平日でも幼稚園を休ませて汽車好きの俺を
汽車に乗せて遠出してくれたので親父との思い出は汽車に乗せてもらった思い出が多い。
列車はキハ20系の単行で客はおそらく誰も乗っていなかった。
かぶりつきシートに座ってウテシと親父と三人で雑談しながら鹿屋へ。
鹿屋で親戚のおいさんが待ってて櫻デパートに行ってスーパーレールを買ってもらった。
数年後、志布志線と大隅線は廃止された。
志布志駅に立ち並んだ柱だけになった腕木式信号が子供心にも寂しさを覚えた。
>>30
日南線も廃止されるという噂が流れて地元では廃止反対の運動が沸き起こった。
当時は国道220号の日南海岸部分が台風襲来の度に崖崩れで不通になっていたので
廃止を免れた。 いわさきは奄美大島の山を沢山持ってて、しいの木をそこから伐採して枕木に
してたよ〜 鹿児島交通は自社でキハ07・10を作れるほど儲けていたし、
フォーブスに岩崎福三(岩崎産業会長)が世界の金持として紹介されている。
バスも簡単に断ち切れたから、枕崎駅も無くなった。
それにしても、ホーム一本の志布志は悲惨だ。
鹿シシの時代を知っているだけに。 い
わ
さ
き
グ
ル
ー
プ
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島
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推
進
し
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い
ま
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花の21世紀に、1960年代のような素晴らしい感覚ですね!! キーウェストまで鉄道が有ったんだけど、ハリケーンで壊れたまま廃止になったんだよな、確か。 >>60
南薩や高千穂の最期と酷似してる…
いよいよ大隅の公共交通もズタズタにされそうだし。 ここで書くことじゃないけど、
枕崎に南薩線のモニュメントあんのね
駅から少し行った所の小さなビルのアーケードみたいな所
加世田の鉄道記念館の宣伝兼ねてるみたいだけど 大隅線の代替バスも本数が削減されたね
吾平高山経由なんてわずかしか走っていない
鹿屋バスセンター跡の鹿屋バス停には泣けてくる 大隅志布志を叩くだけ叩いて撤退かよ、○わさき会長さんよっ! 九州に逝ったら、高千穂と大隅に乗るのが夢でした。
と、いっても、廃止時期に差があり過ぎだよねww 南薩線の車補の地紋には「しょうけん・TICKET」と書いてあった。 大隈線開通以前に鹿児島から垂水まで船で垂水駅から志布志までキハ17に
乗車し、泊まった旅館の宿帳に「華族、士族、平民」の欄があったので
驚いた事があった。先祖が侍だったので「岐阜県士族」と正直に書いたら
女中さんが「そこは書かなくてもいいのです」---あの宿帳一枚もらって
帰ったら良かったと------えらく古い物が残っていたものだ。 何年か前、鹿屋の結婚式に(車で)行ったとき、大隈線の廃線跡を見た。
てか、国道から普通に見えたから、平行して走っていたんだな。
国道と廃線跡の間にはお墓があって、お盆でもないのに、どの墓もぴかぴかで
瑞々しい生花が供えられていた。
あのあたりの人って、本当にご先祖を大切にするんだなと、一緒に行ったメンバー全員脱帽。
初めて混合列車に乗ったのが、古江線だった。c11がオハフ61を次位につけワムが2両だったと記憶する。思えばあれから35年。大隅線と名前が変わった鉄路も今は無いんですね。 こないだ大隅線代替のいわさきのバスを乗り通してみた。
すっかり鉄道があった跡や雰囲気が消えてた。沖縄南部をドライブした時みたいな感覚を覚える風景。
そして、やはり寂れが地域を包んでいた。
鹿屋地区を除いて廃墟になった店舗跡が路線のあちこちに目立つ。鹿屋でも、市街地が広く薄く拡散して中心部の求心力が弱い感じが。
垂水では「地元の垂水高校に進学しよう」という看板を見かけた。人口減と少子化のダブルパンチで運営が窮地なのだろうか。
鹿児島の対面で割と近いのだが、垂水の街にも活気は無かった。
志布志は思ったよりは栄えていた。が、縮小無人化された駅ゆえの悲哀が漂っていた 日南線で志布志に降りたとき、「何にもないなあ」って思ったけど、
あれでも活気がある方だったのか・・・
ぶらぶら街を散歩したあと、ショッピングセンターってカキ氷食べた >>76
あのショッピングセンターが出来たとき、臨時列車まで走ったんだぜw >>74
混合列車812レを菱田川鉄橋で撮影している。C11146+ワフ+トムx3(自衛隊
の装甲自動車3両)+ワム?x2+スハ32+オハ二61(昭和40-9-8) 志布志はなあ。
ローカルとはいえ、3本のターミナルだった頃を知ってる人には、凄まじい荒廃だろうな。
もっとも、3本という事は、一筆書き乗りができなかった元凶でもあるが。
因に、1本盲腸線もモナー。 志布志は鉄道の街だったからね
鹿児島だと吉松もそうだけど線路がめくられてないだけましかな
他府県の者なんですが志布志、大隅線が廃止になったのはすごく意外な気がした 志布志線は3セク化の話があったと本で読んだことがあった
でも老朽化著しい軌道を整備する為の金をどこが出すかで揉めて
3セク化の話は流れたそうな
スレ違いだが栃木県の真岡鉄道も同じ理由で揉めたが
こちらは県がメインで予算を組んだ 真岡鉄道なんてなにげに県をまたいでいるのに、ちゃんと栃木県が予算だしてんのな。
結局、県や自治体が鉄道存続に向けてどこまでやる気を見せてるかに尽きる。
その点、鹿児島は全体的に鉄道を冷遇しすぎ。
新幹線だけあれば後はどうでもいい、って感じが強い。 結局、県民が鉄道なんてどうでもいいって思ってんじゃないの?
路線バスもガラガラで、超車社会みたいだし 石油備蓄基地が3箇所もあるから平気だと思ってるんじゃないよね? そういえば喜入あたりではかえってガソリン高いって本当ですか?
28年前に南薩線探訪を控え指宿枕崎線のタラコ・キハ47に
通学時間帯に乗ったら、地元の高校生の会話が理解できなかった。
鹿児島弁ってかっこいい… 志布志駅の電光駅名板「なかあんらく/ひしだ」「大隈夏井」となっていた。
2番ホームの木製のは「なかあんらく」だけだったので志布志線専用ホーム
だったのだな?3番ホームにオハ二61が写っている。
垂水駅(たるみず)は木造で改札口だけ本屋に付け足した見たい‐‐アルバム
を見ながら書いて居る。 ああ、垂水か・・
'たるみ'じゃなく、'たるみず'。
懐かしい響きだなぁ。 九州の人間からすると「たるみ」のほうに違和感を覚えるのだがw 40年くらい前、消防の頃九州に住んでた。
東京に戻って以来、九州には縁がなくなって、思い立って宮崎、鹿児島を訪れた頃には、
志布志も大隅もなくなった後だった。
指宿・枕崎線を西大山まで行って帰った。 鹿児島県志布志市志布志町志布志に志布志市役所志布志支所がある 日南線と指宿枕崎線乗ってきたけど、
志布志より枕崎の方が都会?に見えた >>96
今年になってから両路線を初めて乗ったがどっちもあんまり変わらん
予想外の枕崎駅に(´・ω・`)ショボーンとした
写真で見て抱いたイメージと違うがな >>97
数年前、南薩線時代からの枕崎駅舎が台風で被災、
その機に乗じ(?)、駅舎撤去しスーパー建設、
線路が後退して現駅のようになったかと。 >>97
そう?
枕崎の駅自体は駅舎も何にもないけど、
メインストリート歩くと、わりといろんな店があったよ。
志布志は鉄道公園とショッピングセンターしかなかった。
古びた商店街?みたいな通りもあるにはあったけど・・・
駅から離れた所にいろいろあるのかな。 消防の頃、遠足で岩川から都城まで志布志線で行ったことが
あったけど、全く県境を越える感覚が無かった。
曽於市は都城の経済圏だし、もし志布志線が残っていれば
もっと便利だったろうな。 とか言いながら、乗ってやんないから廃線したわけだが。 志布志線は山の中だったけれど,大隈線を廃止したのは馬鹿だったと
思うがね。
海岸を走る区間もあったし観光路線にもなったはずなのに「急行"佐多”」とかを
宮崎からぐるりと走らせて指宿枕崎線経由枕崎まで、海側向いたシートの
「パーラーカー」でも連結したら好評だったかも知れない。宮崎で「富士」と
連絡のスジでも引けば-----?
TVで見たが「志布志」駅は棒線1本のドンか?酷い事するものだな3線合流
駅でそこそこ乗っていたのに。 実際志布志って何か名所とかあるの?
さんふらわあを降りたら、いつもすぐ移動しちゃうんだけど >>94
むかし埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉があったってホント?
大字は「さきたま」と読むんだとか。
今のさいたま市は軒先借りて母屋とっちゃったようなもの?