大隅・志布志線
垂水というと、やっぱり「たるみ」じゃなくて「たるみず」ですよね? >>403
志布志も大隅も残したとして
どのみち三セクにはなっていたろうけど
肥薩みかんのようなイベント系車輌とか作って
鹿児島乗り入れや海幸山幸と相互乗り入れとかやって
現実では絶望的な大隅にも何らかの形で
新幹線効果をもたらしていたはず。
海幸山幸だって新幹線全通で鉄路の先にある宮崎が
ショボ杉なのは流石にマズイって事で
元々宮崎県の基金で作ったのもあるが
高千穂鉄道の忘れ形見を引きとったんだし。
あとフェリーと組んで錦江湾一周だって出来たんだよな。 まあ、鹿児島県と大隅半島の地勢的な特殊性が極めて不利に働いたのは否めない。
むつの場合、青森−大湊の直行ルートとして陸奥湾を渡る船舶も想定できるが
速度的には陸路の方が絶対早く、
しかも大幹線の東北線と、85km/h制限ローカル線だが長い駅間距離の大湊線の組み合わせは
いまなお自動車に対しても競争力を持てる(大湊線の気動車は昔から速かった。普通列車ですら表定60km/h行くぞ)。
だから、フェリーや高速船は主流にならず、鉄道と自動車の競争で済んでいる。
対して鹿屋など大隅半島各地は、錦江湾と鹿児島市の立地による海路の速さ、
県内中心都市の鹿児島の異常な求心力など、鉄道の迂回が不利に働く要素たっぷりだったし、
自動車は桜島フェリー利用で機動力を最大限に発揮できたからな。
鹿児島市の郊外線としての機能も兼ね備えた指宿枕崎線のような延命要素がなかったのもきつかった。 大隅線は沿線の最大人口が10万人クラスが1つだけってのもきつかったのかもな
てか晩年の大隅線を知らないんだけどそんなにがらがらだったの? 高校生が大多数。
少子化が影響しているかな。
昭和50年代は志布志中の生徒も1000名近くいて2つに分かれる噂が
あった。今は何名いるのかな? >>409
地元ではないが、人口から考えて400人前後、と推定してみる 九州新幹線の全線開通、鹿児島中央-宮崎間にリレーつばめ投入を考えると
志布志にとって日南線が残ったより志布志線を残していた方が良かったな。 東九州道の志布志ー清武が開通すると日南線は廃止。その前に廃止の可能性もあり。
大隅線を急いで廃止したのは赤字だけでなく鹿屋基地を米軍移転で拡張するため。 転勤で県外に行く為最後の大隅線めぐりのため、鹿屋の鉄道記念館に行きました
まず垂水のすごい衰退ぶりには絶句 「さようなら牛根中」「さようなら垂水中」
垂水の中学校1まとめになるみたいですね。あと鹿屋も垂水も商店街がシャッター街に
子供のころ行った桜デパートやマルハセンターの面影は・・・・・
肝心の大隅線ですが古江→新城間に信号機とキロポストが残っていましたが
その先で道路拡張工事をしていておそらく撤去まじかでは?
鹿屋の鉄道公園は車両の中にはもう入れないようで残念でした。
あと中央にあるのは旧西駅の行き先案内では? でも楽しかったです
西都城駅に行ってみたが、その寂れようにビックリした。
広い待合室はガラガラで、補修もされていない感じだった。
駅前広場を工事中だったが、これは市でやってるのかな。 >>416
確かに今の西都城はひどい有様だよな。
とにかく人が少なかった 西都城駅は都城駅よりも市内中心部に近い立地で、商店街を訪れるには便利だったのだが
ここも繁華街の衰退が半端ないからな 数年前に夜、西都城駅の待合室で列車待ちしてたら朝青龍に似たデブ女に
ナンパされたのを思い出した 改札を出たコンコースの無駄な広さが寂しさを倍増させていた 都城はまだイオンもハンズマンもあるでしょ 一部だけどまだ栄えているとこ
はまだる。
悲惨なのは特に垂水 寿屋、ダイワも潰れたし個人以外の本屋もない。
携帯ショップも潰れた。
薬屋は腐るほどあるけどね。
中学校もすべて廃校 新中学校に統合
垂水に住んでる人って大きな買い物するときどうしてんだろう
鹿屋に来るのか鹿児島に行くのか >>421
旧来の繁華街が死に掛けているという意味でしょ。
西都城にとってはイオンもハンズマンもほとんど関係ないから。
>>422
鹿児島までフェリーで35分だからな>垂水
鹿屋に出るくらいなら鹿児島まで出た方が何でも揃う。
なのに海挟んでいるのがネックで全然鹿児島のベッドタウンにはなれずにいるから
一方的に吸い取られるだけなのが痛い。 船で通勤ってやってみたい
実際にはいろいろ不便だろうけど 知合いの垂水在住者は週1で国分に行くみたいだよ。
国分もサティがあったりだしね。
そいつは教師なんだが垂水や福山の人って地元の福山高や垂水高にだけは通わせないって
奴が多くて、中学の高校説明会も鹿児島や霧島や鹿屋の高校からも説明に来る
みたいだね。
若い人から地元離れが進んでるよ もしも桜島の噴火で薩摩半島とも陸続きになっていたらどうなっていたことか
1914年の噴火で大隅半島と陸続きになったが。 >>427
薩摩半島側とくっつくくらいの大噴火なら鹿児島の市街地自体が壊滅してるんじゃないの? >>419
デブは性交に貪欲だ。
普段なかなか出来ない特殊なプレーも堪能できるぞ。
鹿屋駅から、志布志駅経由して、ループ線こえて、三角まで、
7両くらいだったか、各種ディーゼルカーを連結した臨時
列車で、すごぉぉぉく時間かけて、一日移動だけという、
修学旅行に行った。
あの頃の鹿屋駅は、確か、貨車もいたような。
でも、昼間は列車来ないんだ。
箱型の電光表示板に夜になると、平気で明朝朝一番の
列車が掲示されていたような。
栄光の急行「大隅」(当時はそう見えたw)に乗りたくて、
こずかいためて、乗ったら、寝過して西鹿児島だったかまで
いってしまったことがある。
暗くなっても半べそかいた。
鹿屋は桜屋デパートにバスセンターがあって。
「いろは」というステーキ屋さんがあったんだけど。
今はどうなっていることやら。
>>431
宮崎から急行日南になる客レに乗ったら西都城到着前の乗換案内が
「志布志線志布志行は翌朝5時xx分…」だったような。
「大隅」は朝、西鹿児島方面に向かうから暗くなるまでにはどうにか戻れてただろ。
さすがに暗くなるまで西駅で彷徨ってたら涙目になろうがw >>431 懐かしいな 桜デパート。あとマルハセンターな。
二つとも潰れてしまった。おれが子供の頃、食いに行ったとんかつやは
無くなっていた。
おそらくあの時「無駄な公共事業」が問題になっていれば、多分、国分→鹿屋
は残っただろうにな。
そして鹿屋や垂水がこんなにも寂れることもなかった。 >>432 当時、まだ小学生も低学年だったので、あれは大隅でなくて、
急行佐多だったんだろうか。
とにかく夕方だったと思う。だけど、駅を出て地理もわからずさま
よってたから、そうなったんだろうか。
とにかく急行券を握りしめて乗っていたのは覚えています。
でも、子供の目には、大きな駅だったですよ。鹿屋駅は。
貨物列車に、座るとでこぼこしたシートのグリーン車みたいな
ディーゼルカー。
たくさんの側線(たくさんに見えた)そして、きついカーブのホームと
腕木信号機。
三角屋根の駅舎と改札の時間がくると、照明がつく
箱型回転幕蛍光案内板。
>>433
もう、無くなってしまったのですね。
そんなに寂れたのか。P2Jが飛んでいた時は、とても栄えていました。
>>429
錦江湾沿岸は危険ということで県庁所在地は薩摩国分寺のあった川内に移ります。
で、県庁所在地から遠く離れる大隅は今以上の衰退へw 鹿屋体育大学の学生がもっと大隅線を利用していれば存続できたのに
廃止路線の沿線にある大学は他に道都大学(名寄本線の沿線の北海道紋別市にあったが現在は北広島に移転している)しかない。 >>437
体育大はともかく、垂水や福山の中学生が
フェリーのある鹿児島はともかく
公共交通が決して便利とは言えない現状で
霧島、鹿屋への志向が強いとすれば
もし大隅線が第三セクターに転換されていたなら
もっとそういう傾向が強まっていた鴨。
い〇さ〇のやってる事はどうしても
大隅半島の事は考えてないな。 >>439
確かに南国や宮交は転換路線を何とか守ってるよな。
い〇さ〇は何がやりたいのかサッパリわからん。
他の事業で上手くいってるのも無いみたいだし。 志布志中卒だけど、修学旅行の時、貸切列車で熊本まで行った事を思い出した。 志布志港から垂水港まで(鹿屋経由)、最短ルートで鉄道を敷いて欲しい。
大隅半島最大の復興策。 志布志港から垂水港まで新線を作るとすれば費用はいくらかかるのだろうか? >>441
体育大学設置(1981年)→大隅線廃止(1987年)
>>444
もはや大都市圏近郊鉄道と新幹線以外、新規での鉄道建設は無理だ。 鹿児島駅と桜島の間に橋を掛けて鉄道を通せば大隅線の垂水以南は生き残れただろうに >>447
垂水以南が残るなら垂水以北も自然と残るやろに 俺は国鉄の人間ではないから、どんな事情があったかは知らんけど
大隅線と志布志線は第三セクター化してでも残すべきだったと思う。
県や市町村が鉄道維持に消極的だったのかもな。
どうせなら大隅線、志布志線をまとめて大隅鉄道にでもしたら良かったのに >>450
行政側も赤字確実の路線なんて運行したいとは思わなかったんだろう
少なくとも赤字だったからこそ廃止したんだろうし >>451
それは他の3セクになった路線にしても基本的には一緒だろ。
ただ、それでも鉄道を残そうという熱意があった。
鹿児島県は他の赤字対象線も全滅したし、おれんじ鉄道のゴタゴタを考えると
鉄道維持に対して消極的なのは間違いないよ。
いわさき、南国と地元バス会社が強すぎるというのもあるのだろうが。 下北交通大畑線みたいにバス会社が引き継いだら良かったのに
名寄本線は当初紋別〜遠軽間だけ第3セクター化するはずだったのに興部町長が全線存続を主張するなど駄々をこねたせいで全線廃止に追い込まれた。 >>453
地元バス会社=いわさき=南薩線全廃したばかりで鉄道には興味なし
名寄本線も部分存続決まりかけから一転して全廃とは悲惨
形ばかりになっていたとはいえ「本線」が全線消えたのは衝撃的だった
かわりに整備したオホーツク紋別空港も今や羽田便が1日1往復するだけでこれまた悲惨だし >>452
鹿児島県は大隅のことなんてどうでもいいって思ってんだろうな
これ指宿枕崎線が廃止するってなったら維持でも残すだろうよ
まあ指宿枕崎線は需要があるけども 指宿枕崎線も山川〜枕崎なら県も廃止同意していたかもしれん。
国鉄再建法当時は基本的に路線単位で存廃を決めていたんで、
稼ぎ頭の鹿児島中央〜指宿・山川のおまけ扱いでその先も残っただけの話。
仮に今、JRが山川〜枕崎を切り捨てると言い出したとして
果たして県や地元自治体は積極的に存続活動をすると思うか?
枕崎なんて川辺経由のバスがあるから鉄道はいらんと言う市民の方が多そうな気がする。 >>450 志布志線は第三セクターが真剣に検討された。
流れは第三セクターでの存続で固まっていた。
しかし調査したところ線路の痛みが激しく今後数十年鉄道を走らせるには
保守に数億円かかるという見積もりが出た為、断念した 数億円が払えないくせに何百億と金かけて高速道路作っている矛盾
ちほく高原鉄道も4億の赤字で廃線になったが
並行して建設中の高速道路の建設費用は1000億円・・・単純計算で250年補填できる額 >>458
その計算は、各地で言われるね。筑波鉄道も廃線跡をサイクリングロードとして
整備しているけれど、その金があれば何十年も存続できたと言う計算だったよ。
もっとも筑波鉄道は代替バスさえ廃止になってしまったが・・・。そう考えると
ガソリン税は偉大だな。 携帯が普及して有線電話が危機になったら「ユニバーサルサービス制度」ができて、携帯電話に有線の赤字分補填させてる
鉄道も車に対してユニバーサルサービス制度適用すべき
志布志駅って、昔はもっと海に近かったのではなかったかな。
大昔(昭和の40年代終わり頃)行ったとき、すぐ裏が海だったようなきがするが。 いやいや、若干上り方に移動しただけで変わらないよw >>462
そうですか。情報ありがとうございます。
志布志のC58印象に残ってます。
.
志布志のキハ52、きれいになったよなぁ。
一応現役路線があるからなんだろうか?
東串良や吾平の保存車は朽ちかけてるし
鹿屋も手入れしてるのかな? 志布志線の代替バスに乗ったとき、岩川が意外に賑やかな街だったので驚いた。
>>469 鹿屋は表面はキレイだったよ しかし車両に、「中に入るな」とか「落書きするな」とか書いてあって、残念ながら施錠の上中には入れなくなっていて、ガラスが割れたままだった
記念館はおばちゃんが管理していて入るたびにおばちゃんが出てきたな。 岩川はかって栄えた街。曽於郡の中心にあるから県や国の出先機関がある。
確か財閥岩崎Gの出生の地だと思う。 >>473
都城〜志布志のバスはそれなりにあるが
志布志線三セク化断念の理由が老朽化とか
宮崎鹿児島両県の同意云々じゃないのが
何となく分かってきた。 志布志線は第三セクター存続の為、見積を取ったら保守・維持管理に10億掛かると分かり廃止したんだよな 志布志も市制施行がせめて昭和40年代であれば少しは発展していたと思う。 >>473
その通り。
ただ現在は曽於市の中心地。 >>9
寂れたのは鉄道を冷遇した天罰では?
しかし、沿線の人口規模などを考えると、鉄道が存続していてもかなり厳しい情勢だったと思う。残念なことだが。 >>460
ガソリン税で公共交通の維持を図るといった制度は必要だと思う 鹿児島〜垂水間に鉄道連絡船があったらよかったのに
陸路だとどうしても遠回りになるが。 大隅線。志布志−垂水間は残したかった。
志布志港−垂水港間があれば面白い。
新若浜埠頭の埋立地は何か作るのだろうか?
分譲地にすれば良いと思う。 志布志港まで線路延びていたら…貨物需要見込めて志布志線が生き残り…なんて妄想。 まだ東九州道が鹿屋に達していれば違ったろうけど
県本土でも鉄道が無い分新幹線開業でも宮崎以上に
大隅半島への効果が小さいのが残念。
>>483
志布志と同クラスの日向にある細島港へ
日向市から分岐してた細島線も廃止になって
日豊線も南延岡以南は鉄道貨物止めちゃったから
どのみち厳しかったんじゃないかな?
「さんふらわあ」と垂水フェリー間の
列車による旅客リレーならまだ有り得たかも試練けど。 少なくとも国分と垂水の間では、大隅境だけが離合できる設備があった。
垂水にあったかは覚えていない。 >>485
垂水は交換可能だったと某サイトにあるが
国分と垂水の間で大隅境しか交換出来なかったのは
線形以上に残念。
三セク転換や単行ワンマンにしても
高頻度運行出来ないのが存続断念の理由の一つかも。 大隅線は需要予測を誤ったとしか思えない。
白糠線に次いで2番目の短命路線になってしまったが。 >>484
宮崎は鉄道が貧弱な分、
高速バスや観光バスの運行でカバーしようと
宮交やJRQバスがいろいろと計画練ってるが
大隅を独占するい〇さ〇としては高速は無いし
フェリーで我慢しろゴルァとしか言えんのだろうな。 長 長 長 長 長 長 長 長 長
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長 長 長 長 長 長 長 長 長 大隅・志布志が廃止になってなかったら志布志にあった現業機関も多少は残っていただろう。
志布志運輸センターなんて感じで国鉄型車両オンパレード!! そもそも需要予測は誤りがあるものと思っておいた方がいいね
鉄道でも道路でも空港でも当たった験しがない。 >>491
激しく同意。
こんなに当たらなければ
漏れみたいな素人でも出来そうやな。 >>491
路線名で廃止・存続を決めたから大隅線は廃止されたけど
志布志〜鹿屋は残しても良かったと思う。 いわさきが志布志-鹿屋-垂水港まで延伸し私鉄として残していれば。 垂水駅は山陽本線の垂水駅と区別するために「大隅垂水」にしても良かったのでは?
混同する客がいた可能性が有る。 山陽線垂水のすぐそばの大久保駅だって東京にも秋田にも同名駅があるんだから問題なしw もうすぐ九州新幹線全線開通だが
仮にこの二路線が残ってても大隅地区は宮崎同様
取り残されるのは変わらなかったのかな? >>495
今更レスだがそういう事いうなら国分も「大隈国分」になってしまうw ぐは!
よくある凡ミスやったった。
「大隅国分」ね。(汗) 大隅線
鹿児島中央〜桜島〜垂水〜鹿屋〜志布志
・鹿児島中央〜鹿屋(一部志布志)に特急おおすみを運転
・はやとの風姉妹特急おおすみの風を運転
・鹿児島中央〜油津、宮崎に特急佐多を運転
・鹿児島中央〜鹿屋はこれらの特急が毎時一本運転
偉大なる誇大妄想。