大隅・志布志線
垂水というと、やっぱり「たるみ」じゃなくて「たるみず」ですよね? >>376
鉄路を残していれば
もしかしたら海幸山幸の延長とか
日南・大隅経由の宮崎〜鹿児島中央とか
九州の五能線みたくなってたかもしれない。
>>376 ちなみに志布志線は第三セクターの方向で話し合われていた しかしここ数十年の維持費が億単位かかることがわかり廃止になった >>378
大隅ほど距離も無いのに
よほど放置or老朽化してたんだな。
跡地からはそれ程でも無いような希ガスるけど。 志布志線は県をまたいでいるし、地元に影響を持つ某バス会社のエリアだからな。
2件に跨って手続きが面倒な上に何億もかけるくらいなら
鉄道なんか捨てて地元企業に交通事業を一存したほうが地元還元の上でも良策だと考えたのではないか。 某バス会社が引き受けると言って消えた路線→志布志線・大隅線・南薩鉄道
引き受けないと言って残った路線→指宿枕崎線 >>376
地元は強く反対するも実らなかったと・・・・。
偶然見つけたので・・・・。
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~visual/named/JNR_named_trains.htm#contents >>382
そして椰子の木バスのおかげで
交通体系もガタガタなんだよな。
お隣りは妻線にしても高千穂鉄道にしても
何とか青いバス会社は頑張ってるのに。
そりゃ都城市だって椰子の木には
補助金だしたくねえよ。
宮崎ナンバーぶら下げてるのが癪にさわる。 鹿屋市はモータリゼーションが極端に進行しすぎ。
大隅線の廃止だけでなく大隅交通ネットワークや鹿屋市コミュニティバスのバス路線までも縮小してしまっている。 鹿屋市の規模で公共交通があんなに衰退した都市て他にあるか?
まあ平成の大合併で過疎地抱える10万人規模都市増えたけど鹿屋ほど貧弱な公共交通体制の都市はないと思うが。
10年もすれば、認知症ドライバーが増えて、逆走の王国 むつ市は一応大湊線があるがな。
鹿屋市は平成の大合併前から鉄道剥がされ、大合併したらバス路線剥がされ…
他の鹿児島県の10万規模の都市、薩摩川内(新幹線あり)、霧島(一応日豊、肥薩あり)と比べてみたら… 大隅線はダイヤ設定が不味かった。
全線通して均等なダイヤか国分に行くに従って列車本数が増えるダイヤならともかく志布志に行くに従って列車が増えるって・・・。 ダイヤ設定が不味いどころか>>390がアホ丸出しの不味い奴だな。
大隅線沿線で最大規模の都市が鹿屋だ。
鹿屋を境に志布志方面、国分方面で沿線人口が多いのは志布志方面だ。
鹿屋〜志布志が人の流れも多いからこの区画が列車本数が多くなるのは必然だ。
鹿屋から国分方面である程度の人口規模があるのは垂水くらい(合併以前の志布志より人口少なかったが)だし県都鹿児島に向かうには垂水からフェリーてのが一般的だから大隅線では勝負にならない。
…て散々基本的な概念をわかってない>>390は書き込みしないでほしいわ。 >>391
匿名掲示板なら上から目線で強がれるからヨカッタネ♪ >>392
匿名掲示板ならお前みたいなアホでも意見言えるからヨカッタネ♪
>>392
匿名掲示板ならお前みたいな童貞野郎でも意見言えるからヨカッタネ♪
お前らが乗らないから廃線になったたっど
ずんだれ共が しぶしししぶしちょうのしぶしししやくしょしぶしししょage 「ミッドナイトウオークinおおすみ」夜の線路跡、37キロ歩く
ttp://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=21665
廃線となった旧国鉄大隅線の鹿屋市串良駅跡から古江駅跡までの約37キロ
を歩く「ミッドナイトウォークinおおすみ」(国立大隅青少年自然の家主催)
が、15日夜から16日朝にかけてあった。9〜60歳の13人が参加し、
寒さや眠気と闘いながら、約9時間かけ全員が歩き通した。
昔志布志駅近くで「大隅・志布志線復活のためにカンパお願いします」なんて立て看板見たが今どうなっているんだ? >>399
平成の大合併で鹿屋市区間長くなったんだな。
いわさきに屈せず残していれば
使いようで海幸山幸が延長してきたりして
観光路線としてのハッテンを目論む事も出来たろうに。 >>402
ホント悔やまれるけど大隅・志布志共に残っていたら…
志布志にも車両基地残ってて海幸山幸も鹿シシ所属だったかも。
と妄想。 >>403
志布志も大隅も残したとして
どのみち三セクにはなっていたろうけど
肥薩みかんのようなイベント系車輌とか作って
鹿児島乗り入れや海幸山幸と相互乗り入れとかやって
現実では絶望的な大隅にも何らかの形で
新幹線効果をもたらしていたはず。
海幸山幸だって新幹線全通で鉄路の先にある宮崎が
ショボ杉なのは流石にマズイって事で
元々宮崎県の基金で作ったのもあるが
高千穂鉄道の忘れ形見を引きとったんだし。
あとフェリーと組んで錦江湾一周だって出来たんだよな。 まあ、鹿児島県と大隅半島の地勢的な特殊性が極めて不利に働いたのは否めない。
むつの場合、青森−大湊の直行ルートとして陸奥湾を渡る船舶も想定できるが
速度的には陸路の方が絶対早く、
しかも大幹線の東北線と、85km/h制限ローカル線だが長い駅間距離の大湊線の組み合わせは
いまなお自動車に対しても競争力を持てる(大湊線の気動車は昔から速かった。普通列車ですら表定60km/h行くぞ)。
だから、フェリーや高速船は主流にならず、鉄道と自動車の競争で済んでいる。
対して鹿屋など大隅半島各地は、錦江湾と鹿児島市の立地による海路の速さ、
県内中心都市の鹿児島の異常な求心力など、鉄道の迂回が不利に働く要素たっぷりだったし、
自動車は桜島フェリー利用で機動力を最大限に発揮できたからな。
鹿児島市の郊外線としての機能も兼ね備えた指宿枕崎線のような延命要素がなかったのもきつかった。 大隅線は沿線の最大人口が10万人クラスが1つだけってのもきつかったのかもな
てか晩年の大隅線を知らないんだけどそんなにがらがらだったの? 高校生が大多数。
少子化が影響しているかな。
昭和50年代は志布志中の生徒も1000名近くいて2つに分かれる噂が
あった。今は何名いるのかな? >>409
地元ではないが、人口から考えて400人前後、と推定してみる 九州新幹線の全線開通、鹿児島中央-宮崎間にリレーつばめ投入を考えると
志布志にとって日南線が残ったより志布志線を残していた方が良かったな。 東九州道の志布志ー清武が開通すると日南線は廃止。その前に廃止の可能性もあり。
大隅線を急いで廃止したのは赤字だけでなく鹿屋基地を米軍移転で拡張するため。 転勤で県外に行く為最後の大隅線めぐりのため、鹿屋の鉄道記念館に行きました
まず垂水のすごい衰退ぶりには絶句 「さようなら牛根中」「さようなら垂水中」
垂水の中学校1まとめになるみたいですね。あと鹿屋も垂水も商店街がシャッター街に
子供のころ行った桜デパートやマルハセンターの面影は・・・・・
肝心の大隅線ですが古江→新城間に信号機とキロポストが残っていましたが
その先で道路拡張工事をしていておそらく撤去まじかでは?
鹿屋の鉄道公園は車両の中にはもう入れないようで残念でした。
あと中央にあるのは旧西駅の行き先案内では? でも楽しかったです
西都城駅に行ってみたが、その寂れようにビックリした。
広い待合室はガラガラで、補修もされていない感じだった。
駅前広場を工事中だったが、これは市でやってるのかな。 >>416
確かに今の西都城はひどい有様だよな。
とにかく人が少なかった 西都城駅は都城駅よりも市内中心部に近い立地で、商店街を訪れるには便利だったのだが
ここも繁華街の衰退が半端ないからな 数年前に夜、西都城駅の待合室で列車待ちしてたら朝青龍に似たデブ女に
ナンパされたのを思い出した 改札を出たコンコースの無駄な広さが寂しさを倍増させていた 都城はまだイオンもハンズマンもあるでしょ 一部だけどまだ栄えているとこ
はまだる。
悲惨なのは特に垂水 寿屋、ダイワも潰れたし個人以外の本屋もない。
携帯ショップも潰れた。
薬屋は腐るほどあるけどね。
中学校もすべて廃校 新中学校に統合
垂水に住んでる人って大きな買い物するときどうしてんだろう
鹿屋に来るのか鹿児島に行くのか >>421
旧来の繁華街が死に掛けているという意味でしょ。
西都城にとってはイオンもハンズマンもほとんど関係ないから。
>>422
鹿児島までフェリーで35分だからな>垂水
鹿屋に出るくらいなら鹿児島まで出た方が何でも揃う。
なのに海挟んでいるのがネックで全然鹿児島のベッドタウンにはなれずにいるから
一方的に吸い取られるだけなのが痛い。 船で通勤ってやってみたい
実際にはいろいろ不便だろうけど 知合いの垂水在住者は週1で国分に行くみたいだよ。
国分もサティがあったりだしね。
そいつは教師なんだが垂水や福山の人って地元の福山高や垂水高にだけは通わせないって
奴が多くて、中学の高校説明会も鹿児島や霧島や鹿屋の高校からも説明に来る
みたいだね。
若い人から地元離れが進んでるよ もしも桜島の噴火で薩摩半島とも陸続きになっていたらどうなっていたことか
1914年の噴火で大隅半島と陸続きになったが。 >>427
薩摩半島側とくっつくくらいの大噴火なら鹿児島の市街地自体が壊滅してるんじゃないの? >>419
デブは性交に貪欲だ。
普段なかなか出来ない特殊なプレーも堪能できるぞ。
鹿屋駅から、志布志駅経由して、ループ線こえて、三角まで、
7両くらいだったか、各種ディーゼルカーを連結した臨時
列車で、すごぉぉぉく時間かけて、一日移動だけという、
修学旅行に行った。
あの頃の鹿屋駅は、確か、貨車もいたような。
でも、昼間は列車来ないんだ。
箱型の電光表示板に夜になると、平気で明朝朝一番の
列車が掲示されていたような。
栄光の急行「大隅」(当時はそう見えたw)に乗りたくて、
こずかいためて、乗ったら、寝過して西鹿児島だったかまで
いってしまったことがある。
暗くなっても半べそかいた。
鹿屋は桜屋デパートにバスセンターがあって。
「いろは」というステーキ屋さんがあったんだけど。
今はどうなっていることやら。
>>431
宮崎から急行日南になる客レに乗ったら西都城到着前の乗換案内が
「志布志線志布志行は翌朝5時xx分…」だったような。
「大隅」は朝、西鹿児島方面に向かうから暗くなるまでにはどうにか戻れてただろ。
さすがに暗くなるまで西駅で彷徨ってたら涙目になろうがw >>431 懐かしいな 桜デパート。あとマルハセンターな。
二つとも潰れてしまった。おれが子供の頃、食いに行ったとんかつやは
無くなっていた。
おそらくあの時「無駄な公共事業」が問題になっていれば、多分、国分→鹿屋
は残っただろうにな。
そして鹿屋や垂水がこんなにも寂れることもなかった。 >>432 当時、まだ小学生も低学年だったので、あれは大隅でなくて、
急行佐多だったんだろうか。
とにかく夕方だったと思う。だけど、駅を出て地理もわからずさま
よってたから、そうなったんだろうか。
とにかく急行券を握りしめて乗っていたのは覚えています。
でも、子供の目には、大きな駅だったですよ。鹿屋駅は。
貨物列車に、座るとでこぼこしたシートのグリーン車みたいな
ディーゼルカー。
たくさんの側線(たくさんに見えた)そして、きついカーブのホームと
腕木信号機。
三角屋根の駅舎と改札の時間がくると、照明がつく
箱型回転幕蛍光案内板。
>>433
もう、無くなってしまったのですね。
そんなに寂れたのか。P2Jが飛んでいた時は、とても栄えていました。
>>429
錦江湾沿岸は危険ということで県庁所在地は薩摩国分寺のあった川内に移ります。
で、県庁所在地から遠く離れる大隅は今以上の衰退へw 鹿屋体育大学の学生がもっと大隅線を利用していれば存続できたのに
廃止路線の沿線にある大学は他に道都大学(名寄本線の沿線の北海道紋別市にあったが現在は北広島に移転している)しかない。 >>437
体育大はともかく、垂水や福山の中学生が
フェリーのある鹿児島はともかく
公共交通が決して便利とは言えない現状で
霧島、鹿屋への志向が強いとすれば
もし大隅線が第三セクターに転換されていたなら
もっとそういう傾向が強まっていた鴨。
い〇さ〇のやってる事はどうしても
大隅半島の事は考えてないな。 >>439
確かに南国や宮交は転換路線を何とか守ってるよな。
い〇さ〇は何がやりたいのかサッパリわからん。
他の事業で上手くいってるのも無いみたいだし。 志布志中卒だけど、修学旅行の時、貸切列車で熊本まで行った事を思い出した。 志布志港から垂水港まで(鹿屋経由)、最短ルートで鉄道を敷いて欲しい。
大隅半島最大の復興策。 志布志港から垂水港まで新線を作るとすれば費用はいくらかかるのだろうか? >>441
体育大学設置(1981年)→大隅線廃止(1987年)
>>444
もはや大都市圏近郊鉄道と新幹線以外、新規での鉄道建設は無理だ。 鹿児島駅と桜島の間に橋を掛けて鉄道を通せば大隅線の垂水以南は生き残れただろうに >>447
垂水以南が残るなら垂水以北も自然と残るやろに 俺は国鉄の人間ではないから、どんな事情があったかは知らんけど
大隅線と志布志線は第三セクター化してでも残すべきだったと思う。
県や市町村が鉄道維持に消極的だったのかもな。
どうせなら大隅線、志布志線をまとめて大隅鉄道にでもしたら良かったのに >>450
行政側も赤字確実の路線なんて運行したいとは思わなかったんだろう
少なくとも赤字だったからこそ廃止したんだろうし >>451
それは他の3セクになった路線にしても基本的には一緒だろ。
ただ、それでも鉄道を残そうという熱意があった。
鹿児島県は他の赤字対象線も全滅したし、おれんじ鉄道のゴタゴタを考えると
鉄道維持に対して消極的なのは間違いないよ。
いわさき、南国と地元バス会社が強すぎるというのもあるのだろうが。 下北交通大畑線みたいにバス会社が引き継いだら良かったのに
名寄本線は当初紋別〜遠軽間だけ第3セクター化するはずだったのに興部町長が全線存続を主張するなど駄々をこねたせいで全線廃止に追い込まれた。 >>453
地元バス会社=いわさき=南薩線全廃したばかりで鉄道には興味なし
名寄本線も部分存続決まりかけから一転して全廃とは悲惨
形ばかりになっていたとはいえ「本線」が全線消えたのは衝撃的だった
かわりに整備したオホーツク紋別空港も今や羽田便が1日1往復するだけでこれまた悲惨だし >>452
鹿児島県は大隅のことなんてどうでもいいって思ってんだろうな
これ指宿枕崎線が廃止するってなったら維持でも残すだろうよ
まあ指宿枕崎線は需要があるけども 指宿枕崎線も山川〜枕崎なら県も廃止同意していたかもしれん。
国鉄再建法当時は基本的に路線単位で存廃を決めていたんで、
稼ぎ頭の鹿児島中央〜指宿・山川のおまけ扱いでその先も残っただけの話。
仮に今、JRが山川〜枕崎を切り捨てると言い出したとして
果たして県や地元自治体は積極的に存続活動をすると思うか?
枕崎なんて川辺経由のバスがあるから鉄道はいらんと言う市民の方が多そうな気がする。 >>450 志布志線は第三セクターが真剣に検討された。
流れは第三セクターでの存続で固まっていた。
しかし調査したところ線路の痛みが激しく今後数十年鉄道を走らせるには
保守に数億円かかるという見積もりが出た為、断念した 数億円が払えないくせに何百億と金かけて高速道路作っている矛盾
ちほく高原鉄道も4億の赤字で廃線になったが
並行して建設中の高速道路の建設費用は1000億円・・・単純計算で250年補填できる額 >>458
その計算は、各地で言われるね。筑波鉄道も廃線跡をサイクリングロードとして
整備しているけれど、その金があれば何十年も存続できたと言う計算だったよ。
もっとも筑波鉄道は代替バスさえ廃止になってしまったが・・・。そう考えると
ガソリン税は偉大だな。 携帯が普及して有線電話が危機になったら「ユニバーサルサービス制度」ができて、携帯電話に有線の赤字分補填させてる
鉄道も車に対してユニバーサルサービス制度適用すべき
志布志駅って、昔はもっと海に近かったのではなかったかな。
大昔(昭和の40年代終わり頃)行ったとき、すぐ裏が海だったようなきがするが。 いやいや、若干上り方に移動しただけで変わらないよw >>462
そうですか。情報ありがとうございます。
志布志のC58印象に残ってます。
.
志布志のキハ52、きれいになったよなぁ。
一応現役路線があるからなんだろうか?
東串良や吾平の保存車は朽ちかけてるし
鹿屋も手入れしてるのかな? 志布志線の代替バスに乗ったとき、岩川が意外に賑やかな街だったので驚いた。
>>469 鹿屋は表面はキレイだったよ しかし車両に、「中に入るな」とか「落書きするな」とか書いてあって、残念ながら施錠の上中には入れなくなっていて、ガラスが割れたままだった
記念館はおばちゃんが管理していて入るたびにおばちゃんが出てきたな。 岩川はかって栄えた街。曽於郡の中心にあるから県や国の出先機関がある。
確か財閥岩崎Gの出生の地だと思う。 >>473
都城〜志布志のバスはそれなりにあるが
志布志線三セク化断念の理由が老朽化とか
宮崎鹿児島両県の同意云々じゃないのが
何となく分かってきた。 志布志線は第三セクター存続の為、見積を取ったら保守・維持管理に10億掛かると分かり廃止したんだよな 志布志も市制施行がせめて昭和40年代であれば少しは発展していたと思う。 >>473
その通り。
ただ現在は曽於市の中心地。