大隅・志布志線
垂水というと、やっぱり「たるみ」じゃなくて「たるみず」ですよね? 串間あたりは宮交だったから良かった。
あそこも鉄道持ってたが
国鉄との連携は大事にしてたし。
志布志は老朽化で残せなかったというが
大隅はテコ入れ次第で宮崎直通残したり
フェリー対応で区間運転増やしたりで
バスより使い勝手良くなってたろうに。 垂水→鹿屋→志布志
鹿屋→空港
志布志→都城 垂水→佐多くらいはいわさきがやる。
で後は各市町村が運営になるだろうが結局はいわさきに業務委託というパターンでしょ 血税が流れまくりますね >>338
売れる路線だけ残して他の企業がこれないようにするってか・・・
まじでいわさき追い出して市バス作ってくれないかな もう市営とかそういうレベルじゃ救われねぇから県営バス作ってくれwww >>331 今だったら鹿屋→国分くらいは残したかもね
開業して15年の当時としては画期的な高架橋路線を廃止するのは無駄遣いだと言ってね 最近公営バスがあちこちにできまくっている件について
殆どが自治体コミュニティバスだがな >>341
高低差をどげんかせんといかんが
空港に乗り入れていれば事情は変わってたろうな。
鹿屋〜志布志も空港連絡からの乗り継ぎを基本に
地域内輸送や対宮崎で残そうとしただろうし。 >>338
志布志〜都城の代替バスも岩川あたりで系統を切られて、直通はすずめの涙ほどになってるな。 日南や串間での鉄道とバス共存を見ると
志布志や大隅も無理してでも残した方が
地域の為に良かった希ガス。
同じ鉄道もってた者同士でも
宮交といわさきじゃ考え方全然違ってて
ここにも章太郎さんとすし太郎との人望の差が出てる。 宮交とすしのとこは出足からして違う すしのとこはもともとは粗悪な木材屋だった 他のところは木材が足りなくて困っているのにすしのとこはいつも在庫を抱えていた(それだけ粗悪)
ところが関東大震災が来て木材がある、すしのとこに集中的に注文が来た それで富を得て今の事業を起こした この前の土曜日に鹿屋市の鉄道記念館に行ったけど、午後4時30分で終わりなのね…。
仕方ないから、屋外にあったキハ20の写真だけ撮って帰った。
鹿屋から垂水港まで、バスで移動したけど、以外と廃線後が残ってで、感激した。 >>350 鹿屋→垂水ってことは古江→高須方面には行かなかったのかな?古江→高須もほぼそっくり残ってますよ
後は福山町も高架線がだいぶ残っています。残念ながら垂水の鉄道公園はしょほすきですが 垂水のは鉄道公園というよりただの児童公園だよなw
とってつけたような復元ホーム&線路と
現物とは似ても似つかない駅名票のレプリカはあるけどさ >>351
古江〜高須といえば信号機も残ってて、
古江は大隅高山同様公民館として使われてますね。
大隅福山付近も桜島を望む風光明媚なところで
黒酢の工場見学で立ち寄りましたが
一度大隅線で旅してみたかったです。
>>352
垂水は昔のフェリー乗り場が近い
島式ホームの駅でしたね。
JRバスの駅は空港行きを中心に10年くらい前まで
生き残ってたんですが…
それにしても転換バスは場所といい
時間といい鉄道と接続悪い。
悪意すら感じる。 指宿枕崎線はいわさきが代替を断ったから残って、大隅線は承認したから廃止された それを今更バス切りまくられたら腹がたつぜ
ちなみに指宿枕崎線を断ったのはすでに南薩鉄道の代替があったから >>355 一応、第三次に上がっていた ただ代替交通なしで却下された ちなみに大隅線は二次 >>356
あちらは揖宿もあるし
廃止されてたら大変なことに… 国鉄末期の廃止・転換対象は、区間ごとの部分廃止はしなかったからなぁ。
山川〜枕崎の区間を指定すると確実に廃止の道をたどっていたよね。 >>358
そしたら九州ではないけど浦臼〜新十津川や木古内〜江差もヤバい >>358
指宿あたりまでは学生とか通勤客とかいるし、
なのはなDXとか走ってるから活気に満ちてるけど、
その先はもういつ廃止するか分からないからな〜 鹿屋市、いわさきに委託で鹿屋バスセンター→鹿児島中央駅間バスを運行だと
しかも国分周りではなく垂水フェリーにバスを載せるんだと
鹿屋市から大幅撤退する会社にそこまで貢ぐのかよ 一つ疑問なんだが、国鉄時代に鹿屋〜桜島港間に国鉄バスが走ってたけど、
あれって思いっきり無駄だったのでは?
普通に考えれば垂水〜桜島港間にして鉄道連絡にすれば運行本数を倍増できたと
思う。
実際九州北部から鹿屋に行くには最速ルートだったし、偶然かどうかわからないけど
夜行【かいもん】と連絡が可能で、実際利用した事もあります。
鹿屋に用事があって、しかも到着時間にリミットがあったので時刻表をひっくり返して
見つけたルートでしたが、垂水からの連絡が悪く、鉄道利用を断念した思い出があります。 >>363 大隅半島に行く=大半が鹿屋に行く人だからねバスは垂水までです。後は鉄道ってのは不便では?
あと、実際、鉄道は当時の市街地の大手町(桜デパート)や需要ありそうな体育大付近からは離れてるし、利便性も考えたのでは? >>364
いえ、いわさきのバスなら分かるんですが国鉄バスですから理念から外れるのでは
ないかと。
例外もありますが、鉄道未通区間の代行が国鉄バスの本業ですし。
たとえば、国鉄嬉野線のバスが佐賀や有田、或は博多に足を伸ばすのに近いでしょうか?
鹿屋行きの場合、バス単独区間より鉄道並行区間が長いし、垂水以南の方が乗客が
多かった記憶がありますので、サービスとしては正解でしょうけど「国鉄として」それって
どうなのよ?と、言う事です。 大赤字の国鉄で思うように運行出来ないから、その補填の意味合いもあったんでしょうね やっぱバス事業者としてはドル箱の垂水→鹿屋は欲しいけど、いわさきや鉄道の兼ね合いもあったし、同じ公共交通の接続も兼ねての路線だったのでは?
なんかうまい答えでなくてすまない 国鉄としてはバス・鉄道どちらが儲かってもOKなんじゃないの?
どっちにしても国鉄の収入になったわけだし。
それに垂水で他社のフェリーに乗り継がれるのも癪だろうし、
国鉄連絡の観点からすると鴨池港よりも鹿児島駅至近の桜島桟橋の方と結んだ方がいいだろうし。
あと、バス系統を垂水で強制分断(列車乗り継ぎ)してしまうと
垂水で列車からバスに乗り換えて、さらに桜島港から船に乗り換えるという面倒なことをせずに
垂水〜鴨池でダイレクトに鹿児島市内入りする人も相当数出るだろうから
そういう取りこぼしを少しでも防ぐ為に、鹿屋から乗り換えなしで桜島港まで客を取り逃がさずに
バスで運んだ方がいいと考えたのかもしれない。 指宿枕崎線の枕崎駅移転による短縮区間
実は最期まで鹿児島交通の線路だったと言うのはトリビアな >>368 鹿児島交通の持ち物は駅舎 で勝手に土地をタイヨーに売ったんだよ 枕崎の駅構内はいわさきだったよ、たしか。で国鉄の線路は今の駅んとこまでやったか。
ほんま、ろくでもない話やわ。 >>372
これでやっといわさきを排除できたのは大きい。
志布志線残ってれば勝手に減便する都城からも
排除できたのになぁ。 大隅線は第3セクターでもいいから残すべきだった。
当時鹿児島第2の都市だった鹿屋市(現在は霧島市に抜かされ第3位)を通っていたのに廃線って・・・。
鹿屋市民に見捨てられたのか? >>376
鉄路を残していれば
もしかしたら海幸山幸の延長とか
日南・大隅経由の宮崎〜鹿児島中央とか
九州の五能線みたくなってたかもしれない。
>>376 ちなみに志布志線は第三セクターの方向で話し合われていた しかしここ数十年の維持費が億単位かかることがわかり廃止になった >>378
大隅ほど距離も無いのに
よほど放置or老朽化してたんだな。
跡地からはそれ程でも無いような希ガスるけど。 志布志線は県をまたいでいるし、地元に影響を持つ某バス会社のエリアだからな。
2件に跨って手続きが面倒な上に何億もかけるくらいなら
鉄道なんか捨てて地元企業に交通事業を一存したほうが地元還元の上でも良策だと考えたのではないか。 某バス会社が引き受けると言って消えた路線→志布志線・大隅線・南薩鉄道
引き受けないと言って残った路線→指宿枕崎線 >>376
地元は強く反対するも実らなかったと・・・・。
偶然見つけたので・・・・。
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~visual/named/JNR_named_trains.htm#contents >>382
そして椰子の木バスのおかげで
交通体系もガタガタなんだよな。
お隣りは妻線にしても高千穂鉄道にしても
何とか青いバス会社は頑張ってるのに。
そりゃ都城市だって椰子の木には
補助金だしたくねえよ。
宮崎ナンバーぶら下げてるのが癪にさわる。 鹿屋市はモータリゼーションが極端に進行しすぎ。
大隅線の廃止だけでなく大隅交通ネットワークや鹿屋市コミュニティバスのバス路線までも縮小してしまっている。 鹿屋市の規模で公共交通があんなに衰退した都市て他にあるか?
まあ平成の大合併で過疎地抱える10万人規模都市増えたけど鹿屋ほど貧弱な公共交通体制の都市はないと思うが。
10年もすれば、認知症ドライバーが増えて、逆走の王国 むつ市は一応大湊線があるがな。
鹿屋市は平成の大合併前から鉄道剥がされ、大合併したらバス路線剥がされ…
他の鹿児島県の10万規模の都市、薩摩川内(新幹線あり)、霧島(一応日豊、肥薩あり)と比べてみたら… 大隅線はダイヤ設定が不味かった。
全線通して均等なダイヤか国分に行くに従って列車本数が増えるダイヤならともかく志布志に行くに従って列車が増えるって・・・。 ダイヤ設定が不味いどころか>>390がアホ丸出しの不味い奴だな。
大隅線沿線で最大規模の都市が鹿屋だ。
鹿屋を境に志布志方面、国分方面で沿線人口が多いのは志布志方面だ。
鹿屋〜志布志が人の流れも多いからこの区画が列車本数が多くなるのは必然だ。
鹿屋から国分方面である程度の人口規模があるのは垂水くらい(合併以前の志布志より人口少なかったが)だし県都鹿児島に向かうには垂水からフェリーてのが一般的だから大隅線では勝負にならない。
…て散々基本的な概念をわかってない>>390は書き込みしないでほしいわ。 >>391
匿名掲示板なら上から目線で強がれるからヨカッタネ♪ >>392
匿名掲示板ならお前みたいなアホでも意見言えるからヨカッタネ♪
>>392
匿名掲示板ならお前みたいな童貞野郎でも意見言えるからヨカッタネ♪
お前らが乗らないから廃線になったたっど
ずんだれ共が しぶしししぶしちょうのしぶしししやくしょしぶしししょage 「ミッドナイトウオークinおおすみ」夜の線路跡、37キロ歩く
ttp://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=21665
廃線となった旧国鉄大隅線の鹿屋市串良駅跡から古江駅跡までの約37キロ
を歩く「ミッドナイトウォークinおおすみ」(国立大隅青少年自然の家主催)
が、15日夜から16日朝にかけてあった。9〜60歳の13人が参加し、
寒さや眠気と闘いながら、約9時間かけ全員が歩き通した。
昔志布志駅近くで「大隅・志布志線復活のためにカンパお願いします」なんて立て看板見たが今どうなっているんだ? >>399
平成の大合併で鹿屋市区間長くなったんだな。
いわさきに屈せず残していれば
使いようで海幸山幸が延長してきたりして
観光路線としてのハッテンを目論む事も出来たろうに。 >>402
ホント悔やまれるけど大隅・志布志共に残っていたら…
志布志にも車両基地残ってて海幸山幸も鹿シシ所属だったかも。
と妄想。 >>403
志布志も大隅も残したとして
どのみち三セクにはなっていたろうけど
肥薩みかんのようなイベント系車輌とか作って
鹿児島乗り入れや海幸山幸と相互乗り入れとかやって
現実では絶望的な大隅にも何らかの形で
新幹線効果をもたらしていたはず。
海幸山幸だって新幹線全通で鉄路の先にある宮崎が
ショボ杉なのは流石にマズイって事で
元々宮崎県の基金で作ったのもあるが
高千穂鉄道の忘れ形見を引きとったんだし。
あとフェリーと組んで錦江湾一周だって出来たんだよな。 まあ、鹿児島県と大隅半島の地勢的な特殊性が極めて不利に働いたのは否めない。
むつの場合、青森−大湊の直行ルートとして陸奥湾を渡る船舶も想定できるが
速度的には陸路の方が絶対早く、
しかも大幹線の東北線と、85km/h制限ローカル線だが長い駅間距離の大湊線の組み合わせは
いまなお自動車に対しても競争力を持てる(大湊線の気動車は昔から速かった。普通列車ですら表定60km/h行くぞ)。
だから、フェリーや高速船は主流にならず、鉄道と自動車の競争で済んでいる。
対して鹿屋など大隅半島各地は、錦江湾と鹿児島市の立地による海路の速さ、
県内中心都市の鹿児島の異常な求心力など、鉄道の迂回が不利に働く要素たっぷりだったし、
自動車は桜島フェリー利用で機動力を最大限に発揮できたからな。
鹿児島市の郊外線としての機能も兼ね備えた指宿枕崎線のような延命要素がなかったのもきつかった。 大隅線は沿線の最大人口が10万人クラスが1つだけってのもきつかったのかもな
てか晩年の大隅線を知らないんだけどそんなにがらがらだったの? 高校生が大多数。
少子化が影響しているかな。
昭和50年代は志布志中の生徒も1000名近くいて2つに分かれる噂が
あった。今は何名いるのかな? >>409
地元ではないが、人口から考えて400人前後、と推定してみる 九州新幹線の全線開通、鹿児島中央-宮崎間にリレーつばめ投入を考えると
志布志にとって日南線が残ったより志布志線を残していた方が良かったな。 東九州道の志布志ー清武が開通すると日南線は廃止。その前に廃止の可能性もあり。
大隅線を急いで廃止したのは赤字だけでなく鹿屋基地を米軍移転で拡張するため。 転勤で県外に行く為最後の大隅線めぐりのため、鹿屋の鉄道記念館に行きました
まず垂水のすごい衰退ぶりには絶句 「さようなら牛根中」「さようなら垂水中」
垂水の中学校1まとめになるみたいですね。あと鹿屋も垂水も商店街がシャッター街に
子供のころ行った桜デパートやマルハセンターの面影は・・・・・
肝心の大隅線ですが古江→新城間に信号機とキロポストが残っていましたが
その先で道路拡張工事をしていておそらく撤去まじかでは?
鹿屋の鉄道公園は車両の中にはもう入れないようで残念でした。
あと中央にあるのは旧西駅の行き先案内では? でも楽しかったです
西都城駅に行ってみたが、その寂れようにビックリした。
広い待合室はガラガラで、補修もされていない感じだった。
駅前広場を工事中だったが、これは市でやってるのかな。 >>416
確かに今の西都城はひどい有様だよな。
とにかく人が少なかった 西都城駅は都城駅よりも市内中心部に近い立地で、商店街を訪れるには便利だったのだが
ここも繁華街の衰退が半端ないからな 数年前に夜、西都城駅の待合室で列車待ちしてたら朝青龍に似たデブ女に
ナンパされたのを思い出した 改札を出たコンコースの無駄な広さが寂しさを倍増させていた 都城はまだイオンもハンズマンもあるでしょ 一部だけどまだ栄えているとこ
はまだる。
悲惨なのは特に垂水 寿屋、ダイワも潰れたし個人以外の本屋もない。
携帯ショップも潰れた。
薬屋は腐るほどあるけどね。
中学校もすべて廃校 新中学校に統合
垂水に住んでる人って大きな買い物するときどうしてんだろう
鹿屋に来るのか鹿児島に行くのか >>421
旧来の繁華街が死に掛けているという意味でしょ。
西都城にとってはイオンもハンズマンもほとんど関係ないから。
>>422
鹿児島までフェリーで35分だからな>垂水
鹿屋に出るくらいなら鹿児島まで出た方が何でも揃う。
なのに海挟んでいるのがネックで全然鹿児島のベッドタウンにはなれずにいるから
一方的に吸い取られるだけなのが痛い。 船で通勤ってやってみたい
実際にはいろいろ不便だろうけど 知合いの垂水在住者は週1で国分に行くみたいだよ。
国分もサティがあったりだしね。
そいつは教師なんだが垂水や福山の人って地元の福山高や垂水高にだけは通わせないって
奴が多くて、中学の高校説明会も鹿児島や霧島や鹿屋の高校からも説明に来る
みたいだね。
若い人から地元離れが進んでるよ もしも桜島の噴火で薩摩半島とも陸続きになっていたらどうなっていたことか
1914年の噴火で大隅半島と陸続きになったが。 >>427
薩摩半島側とくっつくくらいの大噴火なら鹿児島の市街地自体が壊滅してるんじゃないの? >>419
デブは性交に貪欲だ。
普段なかなか出来ない特殊なプレーも堪能できるぞ。
鹿屋駅から、志布志駅経由して、ループ線こえて、三角まで、
7両くらいだったか、各種ディーゼルカーを連結した臨時
列車で、すごぉぉぉく時間かけて、一日移動だけという、
修学旅行に行った。
あの頃の鹿屋駅は、確か、貨車もいたような。
でも、昼間は列車来ないんだ。
箱型の電光表示板に夜になると、平気で明朝朝一番の
列車が掲示されていたような。
栄光の急行「大隅」(当時はそう見えたw)に乗りたくて、
こずかいためて、乗ったら、寝過して西鹿児島だったかまで
いってしまったことがある。
暗くなっても半べそかいた。
鹿屋は桜屋デパートにバスセンターがあって。
「いろは」というステーキ屋さんがあったんだけど。
今はどうなっていることやら。
>>431
宮崎から急行日南になる客レに乗ったら西都城到着前の乗換案内が
「志布志線志布志行は翌朝5時xx分…」だったような。
「大隅」は朝、西鹿児島方面に向かうから暗くなるまでにはどうにか戻れてただろ。
さすがに暗くなるまで西駅で彷徨ってたら涙目になろうがw >>431 懐かしいな 桜デパート。あとマルハセンターな。
二つとも潰れてしまった。おれが子供の頃、食いに行ったとんかつやは
無くなっていた。
おそらくあの時「無駄な公共事業」が問題になっていれば、多分、国分→鹿屋
は残っただろうにな。
そして鹿屋や垂水がこんなにも寂れることもなかった。 >>432 当時、まだ小学生も低学年だったので、あれは大隅でなくて、
急行佐多だったんだろうか。
とにかく夕方だったと思う。だけど、駅を出て地理もわからずさま
よってたから、そうなったんだろうか。
とにかく急行券を握りしめて乗っていたのは覚えています。
でも、子供の目には、大きな駅だったですよ。鹿屋駅は。
貨物列車に、座るとでこぼこしたシートのグリーン車みたいな
ディーゼルカー。
たくさんの側線(たくさんに見えた)そして、きついカーブのホームと
腕木信号機。
三角屋根の駅舎と改札の時間がくると、照明がつく
箱型回転幕蛍光案内板。
>>433
もう、無くなってしまったのですね。
そんなに寂れたのか。P2Jが飛んでいた時は、とても栄えていました。
>>429
錦江湾沿岸は危険ということで県庁所在地は薩摩国分寺のあった川内に移ります。
で、県庁所在地から遠く離れる大隅は今以上の衰退へw