懐かしの日立電鉄
>104
営業再開してましたか。
それは良かった。 >>110
湯楽の里、大正解ですw
言われてみれば確かにあの辺り貯木場が有りましたね。
電鉄バスの営業所というと神峰というイメージが強いけど
新規に出来たのでしょうか?
営業所すぐ側にボーリング場が有ったような?
件の大橋の高架下の住居とは12頁の写真に写っているお宅でしょうか。
確かに賑やかそうだw
ちなみに今は他界した祖父母宅が電鉄バスの東河内線の沿線なのですが
こちらも本数の激減ぶりは物凄いです。
なんかバスの話ばっかりですがリニューアル前の日立駅前のバスターミナル
の雰囲気大好きでしたね。
笛の誘導でバックして来て待合室が有って
駐車してあるバスに勝手に乗って発車時刻になると運転手さんが来てって・・・。
>>111
以前オーナーさんのお母様らしき方とお話しした際
「息子が趣味の一環で始めた店で平日は勤めが有るから
土日しか開けられないのよ」とか言ってました。
今は日曜午後だけの営業でオーナーさんでは無くお母様が
店を切り盛りしてたから本業の都合か何かで一時閉店
とかとなってしまったのでしょうかね?
何にせよ再開しているのは有り難い事です。」 >>112
高架の下の住宅
どうでしょうかねえ P12の住宅かどうか・・・
確か、朝日新聞だったと思いますが、廃止後の日立電鉄の様子を記事にして
いましたが、そのとき、高架の下のお宅が走る音がうるさくて無くなって良か
ったと言っていたした。
道路が鍵形で高架の下を通っている箇所があったので、そこのお宅なのかなと
思っていました。
東河内行きバスは、日立鉱山や大雄院の製錬所の従業員、家族でドル箱路線だ
ったと聞いたことがあります。今はその面影も無いですね。最終ももっと遅く
まであったと聞いています。子供の頃、鉱山の社宅に住んでいたという知り合いが
懐かしそうに話してくれました。
かつての日立電鉄バスの時刻表をアップしてくれていたサイトがあったのですが、
なくなってしまったのでしょうか、どうも見つけられません。
水戸―日立なんていう一般路線(これは茨城交通だったか)もありましたよね。10年位まであったような気もしましたが。
ちなみに、日立市内から東海村の久慈川越える普通の路線バスはないそうですね。
日立駅前のバスの誘導員、いましたねえ。プレハブのような待合室。靴磨き
のおじさんも居ました。
南営業所。何時できたんでしょうね。それまでは、南地区はどういう担当になっていたか。「日立電鉄50年史」でも調べますか。
図書館にあるでしょう。
電車のある駄菓子屋さん
本業があるんですね。まあ、そうでしょうけれど。でも、部分的にでも車両を
保存してくれているというのはうれしいですね。古い車両であるのもうれしい。
1003のようですね。
昔は正面にHゴム使ってあると、興ざめという時代がありましたが、
今となってはそうは感じませんね。
湯楽の里 松戸店 東京の実家に帰るときに入っていくことがあります。1時までやっていますしね。
稔台近くの銭湯にもたまに。ここは24時間のようです。すごい! >>113
水戸駅行き、懐かしい! 96年まで運行されていたようです。
電鉄バスと茨城交通の相互乗り入れ(共同運行)でした。
時刻表に茨交の担当便は「イ」印が表記されていました。
あと電鉄バスならではの記号として「工」印が有りましたねw
(確か日製工場休日運休の筈)
日立市内を越える一般バス(太田方面を除いて)「(バイパス経由)高萩駅行き」
が有りましたが数年前に廃止になってしまいました。
全く下調べもせずに数年前電鉄バスと茨交バスで日立市周辺と
旧里美村方面ぶらぶらした時に
鵜の岬の温泉帰りに高萩からの日立駅行きに乗れたのはラッキーでしたw
逃したら次は2時間後でしたw
時刻表のサイト、当方も見た事が有って改めて探したのですが
見つからなかったorz
そういえばライブラリー誌の写真の当時では
鮎川駅ホームに上屋が無かったんですね。
上屋の上には「日立電鉄線」の看板が有ったような。
しかし最寄りの図書館に五十年史
が有るとは羨ましい!
稔台の銭湯も御存じとはw
一応24時間営業ですが朝9時ぐらいは清掃時間だったような。 水戸―日立間の路線バス、茨城交通と日立電鉄の共通運用でしたか。そうですよね。
96年までだったのですね。無くなってから、15年以上もたちますか。そうですか。
日立駅や銀行前で茨城交通のバスを見るとあれっと思ったものです。
地震のとき、常磐線が不通になった時、水戸−日立間の臨時のバス(もちろん高速経
由ですが)が走りました。復活かなんて少し思ったのですがw
水戸−日立間もロングランですが、かつては東京(新橋)−日立間の一般道(最も当時
高速が無かった)の路線バスもありましねえ。常磐急行だったでしょうか。子供の頃、
東京でたまに見かけました。高速タイプのバス(オバQ?)で、おへその位置に「日
立」と表示(方向幕だったか)され、確か茶色っぽい塗装で格好いいなと思っていました。
「日立」はまだ、具体的にどこにあるかわかりませんでしたが、遠いところなんだろうな
と思いましたw
当然のことながら、この会社、日立電鉄も出資していたようですね。
高萩行き。ちょっと前までありましたよね。一日数本。なくなっちゃいましたね。
工場の休みのとき運休。そうそう、平日の本数と、土日の本数(土日はほとんど運休が多い)
が極端に違いますよね。日立に来たとき、バスの時刻表見てびっくりしました。
本山を越えて東河内まで行くバスは電鉄、そこから先、349号に合流して里美方面小里
まで行くバスは茨城交通、旧道にある終点の小里の集落は造り酒屋もあってよい風情ですね。
明神峠を越えてちょっと行くと福島交通バスがありますね。116号に合流すると東館にいつ
も福島交通のバスが停まっています。
鮎川には確かに上屋があったようですね。
ふと気づいたのですが、日立電鉄交通サービスのマークがオリジナルのものでは無くて日製の
亀の子マークに変わってしまったんですね。かつて会社で使用していた軽自動車が、日立電鉄
リースという会社のもので、オリジナルの日立電鉄の社紋のシールが貼ってあってちょっと気
に入っていたのですが。 東北急行バスは知っていますが常磐急行というのは
初耳でした。
比較的近年まで茨城交通のバスも
明神峠越えて東館まで行っていましたね。
関東と東北を結ぶ唯一の路線バスだったとか。
子供の頃(昭和後期)祖父母なんかと伊勢甚とか銀座通りに
買物とか行った時当時は銀行前のバス停、南方面(多賀・大甕)
と北方面(小木津・川尻)のバス停が一緒で
バスがひっきり無しに来て沢山の乗客で賑わっていましたね。
そういえば日立駅方面の銀行前のバス停の側に今川焼か大判焼か
はたまた鯛焼きだったかを売っているお店が有ったようなw
マークが変わったとは知らなかったです。今度日立へお墓参りに
行ったら見てみましょう。
そういえば財布の中に電鉄バスのバスカードが残っています。
(多分200円位残額が有るはずw)
まだ使えるかなぁ?ちなみにデザインが
真弓が丘ニュータウンの広告でw >>116
茨城交通バスの明神峠越え。どうだったかなの思ったのですが、確かにそうでしたね。かつてのバスの時刻表をアップしていただいているサイト(見つけました↓感謝です)
http://members3.jcom.home.ne.jp/yokappeh2/index.html
にでも確認できますね。福島方面までつながりますねえ。(路線バスの旅でも昔は大丈夫)
それにしても、県境越えるバスの客は少なかったことでしょう。まあ、だからこの区間、無くなっちゃんでしょうから。
東河内行きも、随分多いですねえ。このサイトによると、日中30分毎、8時、17時日立駅発大雄院行きなんか3本もあるし。18時代は4本も。
日立駅−高萩駅も30毎、茨城交通バスのところにもありますが、日立駅−水戸駅も30毎ですね。すごい。これが、1982年ごろの話です。少し、前はもっとあったかもしれませんね。
常磐急行のバスも記載がありますね。1977年の廃止だそうです。手持ちの1977年8月の時刻表にはもう記載がありませんでした。
サイトには「時刻表では所要4時間弱となっているが渋滞などにより6時間以上かかることもあり」との記載も。一般道の昼間時じゃ、それもそうでしょう。しかし、乗ってみたかったとおもいます。
東北急行、東京から仙台、山形行きがありましたね。浅草松屋の横にも停留所がありまして、たまに見ました。これは、一般道のときでも夜行便でしたね。
銀座通り、見る影もないですねえ。伊勢甚もなくなっちゃたし。
たい焼きやさん。最近の話でしょうか。銀行側、ちょっと水戸よりの。
このお店は、数年前、多賀支所(昔の清和館でしょうか)、丸八青果の横にあったお店が移転してきたとも聞いたのですが。
日立電鉄交通サービスのサイトを開くと、昔の電鉄の社紋じゃなくて日製の亀の子マークになっています。あれっと思ったのですが変わったんでしょうね >>117
そうそう!このサイトです!!!
ちゃんとあったんですね!
アップして頂いて多謝!!
そうそう、大雄院止まりも有りました!
よく座席がロングシート(?)だけども1人分ずつ
肘掛みたいので区分されている感じの車が運用に入っていました。
今当時の中距離路線バスの面影が残っているとしたら
水戸〜石岡線くらいでしょうかね。
関鉄の運行はまだ有るのかもしれませんが茨交の水戸〜鉾田線
廃止になってしまいました。
鹿島鉄道が鉾田駅出て県道と踏切で交差する手前あたりに
バスが3台くらい泊まれる木造の車庫が有りました。
鯛焼き屋さんは銀行前のバス停から日立駅方向に歩いてほんの数秒の
所です。店の手前の左に伊勢甚か何かの平面駐車場が有りました。
自分が10年位前に東北急行バスの夜行便に乗った時は
確か上野のドコモショップの前だったような? ロングシートの区分した座席 そういうタイプの座席なんですね。
知らなかった。
東河内行き、最近は小さなバスも使用していますね それで間に合うのでしょう
水戸ー鉾田間のバス、調べてみましたら関鉄グリーンバスはまだありますね
いろんな経路があるようですが、一日十数本あるんですね
鉾田から県都の水戸に向かうニーズはあるんでしょうが、随分健闘しているようです。
水戸に行くなら新鉾田から鹿島臨海という手もあるんでしょうが、長距離路線だし
区間利用も多いのでしょうね。
確かに、かつては鉾田からは水戸に出るにはバスが便利でしたよね
学生の頃、友人たちと東京から常磐線で石岡まで行き、鉾田まで鹿島鉄道(もう関東鉄道
ではなかったと思います)で鉾田に出て、さらにバスで水戸まで出たことがあります。(乗
るのが目的だったもので)
鹿島鉄道 私としてはカシテツというのに違和感あって
シで切るきり方が半端だからでしょうか
日立電鉄のことを電鉄とは言いますが、「チンデン」という人も居ました
チンチン電車の略なんでしょうが、初期の頃の車両を見れば納得します
末期の頃はそのようなイメージはありませんでしたが、親の世代から言われてきたんで
しょう バスの車庫 茨城町の街中にも雰囲気の良いバスの車庫がありましたねえ
15年以上も前のことでしょうか
写真とっておこうと思ったときには、すでに無くて
水府だか天下野だったかにも、小さなのが5年位前まで確かあったと思ったんですが
他に転用していたようですが
探しに行ったのですが、見つかりませんでした
車庫の中に「佐原」方面という表示があり、すげえ千葉の佐原まで行っていたのかと
思ってしまったのですが、大子の佐原だったんですね
たい焼きやさん 銀行から駅のほうに向かってですか
連貼り失礼
あったのような、なかったような
手持ちの住宅地図のコピーを見てみますと、たまたま銀行から、駅に向かってすぐの
左側「長谷川商店」の記述がありますね ここかもしれませんね
今はヨーカドーの近くと、多賀の五差路の旧道にドーナッツとたい焼きの長谷川商店があります
あの古いバスの時刻表のサイト
じかリンクお断りでした
本館のほうはがどうしても開けませんで、連絡ができませんでした
ごめんなさい 多分「長谷川商店」さんかもしれませんね。
電鉄線沿線で覚えている店といったら桜川の駅横に有った
よろず屋さんでしょうか。タバコとか宝くじとか色々置いていた。
確か今でも健在の筈。
鮎川から桜川にかけての車窓、かっては日製の社宅?らしき
小さな家が沢山ありましたが今はかなり無くなっちゃいましたね。
「ちん電」あまりなじみは無いのですが結構その呼称も有名だった
ようですね。筑波書林という出版社から出ていた電鉄線の沿線散歩
の本もタイトルが「チンチン電車沿線を行く」ですし廃止翌日の
茨城新聞の見出しも「さようなら ちん電」となっていました。
踏切警報器の音も「チンチン」でしたねw
改めてサイト見つけて頂き有難うございました すいません。
つい懐かしくなって本題から外れちゃいました。
以降気を付けます。 ごめんなさい
自分の中で盛り上がってしまいました
「昔の北関東の路線バス 」も濃いですね 電車くんと言う鉄道模型店と日立電鉄とは関係があると聞いたが本当か? >>125
自分も知らなかったのでググって見ました。
なんか元営団車を保存しているそうですな。
http://www.denshakun.shop-site.jp/ 河原子〜大沼〜水木〜大甕間は
京急線でいう横浜から久里浜方面のような
崖地に宅地が這いつくばっているような光景が見られた
京急線で横浜から先に乗ると思い出して泣けてくる・・ >>127
本当ですか?上大岡に住んでいた私としては乗ってみたかったです。 今日墓参りのついでに二十年ぶりくらいにかみねレジャーランド
入ったんだけど4人乗りくらいの電車みたいなのが高架
のレール上を走る乗り物、日立電鉄色(オリジナル色と営団車導入の時の2種類)に塗られてて
懐かしかったなw 河原子か桜川から常陸多賀(というか多賀工場)への支線でもあれば、
もう少し生き延び・・・今の日立市の寂れっぷりじゃあ無理か・・・。 松戸の博物館と駄菓子屋に半分ずつ元日立電鉄の電車が保存されているそうですね。 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD2704E_X20C14A1000000/
渋滞知らず エコなバス専用道、自治体が熱視線
>昨年3月、茨城県日立市で「ひたちBRT」の運行が始まった。
>廃線となった日立電鉄線の跡地に市が専用道を整備し、
>バス事業者の日立電鉄交通サービスが運行。 はじめてここに来たんだけど、ちっと聞きたくて
鉄道線を復活させたいって声が出てるって聞いたんだけどマジ? >>137
ガセだね
常陸太田市内じゃ田圃以外の電鉄線路は倉庫やバイパス、ドラッグストアに
日立市内じゃ久慈浜から茂宮間の線路跡を削って道路拡張、河原子駅の陸橋は
撤去されてます でも、復活するとしたら何処をどうするんだ?高架駅?路線の延伸?
常陸太田〜宇都宮を延伸すんのか?ひたちBTRに久慈浜〜鮎川間任せて
大橋から地下駅にして水戸にでも行くのかよ?
まあ、水戸のコミケへのアクセスはしやすいだろうけど そこまで行くと夢物語。ルートに程近い123号線を並走されるのか 70年代末だったかな。
秋の夜、大甕駅のホームの端っこで、ポツンと発車を待っていた姿が忘れられない。
車内と待合室から漏れる暗い光が、何とも目にしみたなあ。 >>131
同じく。
で、廃線が決まってから4〜5回乗ったんだっけね
そんなもんだね。ローカル線の終焉なんて。 昨日日立へ行ったんだが鮎川のGS無くなっちまったのか。
また一つ面影が消えた・・・ 久慈付近と大甕・常陸多賀の間あたりに常磐線の新駅が必要だろ
電車が無くなってあのあたりの住民は不便 電車が無くなって常陸太田から日立方面への進学者数に影響ありそう。電車のある水戸へ行く人ばかりになったんだろうな 日立電鉄末期、特設グッズ売り場で新潟交通のグッズも売ってたな。 久慈浜近くへ行ったら図書館になってたな 駅らしい面影が一部残ってる 4月1日で廃線10年か…
部分廃止とか営団塗装を復活させて鉄道ファンを呼ぶとか、何とか存続して欲しかった
いつも使ってたものが明日から使えなくなるというのはホント悲しい どのみち第三セクターにしないと存続は無理でしょ 日立市・常陸太田市から予算がでなかったんじゃないの
電車が消えて日立〜常陸太田間は断絶したのは大きいが日立市内分はBRTで最出発に期待。 元相鉄車が走ってた頃が面白かった
ちなみに、代替バスも元相鉄バスだったりする あの日立が付いてたのならもう少しマシな電車入れてやれよ それは俺も思ったことだよ
まだモハ9とかモハ13が健在だった頃に彼の地へ遠征したが、
元静鉄350が一番マシだったもん 静鉄自社製車は、見かけは近代的だったが、造りは良くなかったらしい >>159
だろうな
更新後移籍出来なかった車も居るから 鋼板が薄いので裾部が腐食して穴が開きそうになっていたという噂
当然剛性が足りないので屋根上にクーラーのっけるなんて到底無理 メンテナンスの質で劣化の具合も変わるだろうね
静鉄車は他に福井、熊本にも転出したがそういう話は出てたのかな? >>162
福井のは300系だから、ちょっと後のだね クーラーなしはキツいかなあ
今は大手から中型クラスの出物があまり出現しないので
中小ローカルの車両調達は一苦労だね 今が狙い目じゃないかな
第三軌条集電を架線集電に改造するのも先例があるし。 太田駅と鮎川駅のところを直通するバスがないみたいだけど
バスで移動する人はどうやって移動するのだろうか タラレバ話になっちゃうけど日立市中心部まで延ばせていたならなあ
あと、戦時統合で水浜→茨交傘下に入れていたならなあ 市中心部へは何としてでも成し遂げてほしかった、
というのは後世の人間の戯言なのかな
当時はどうしても乗り越えられなかった障壁があったか 日立グループ金持ってるんだから支援してやりゃ良かったのに。
下らねー事に金使わないでよ。
スマトラとか小集団とか社外コンサルとか番組のスポンサーとかさぁ。 >>168
バス乗り継ぎを余儀なくされているから直通バスを本当は走らせないといけない 日立電鉄の支援が一番下らないwww
鉄屑ざまぁwww 2002年に乗ったのが最初で最後だが、暑かったことしか覚えていない ひたちBRTはJR常陸太田駅まで開通すべきだ
大甕と久慈浜の間だけじゃもったいない
勿論廃線跡流用で >>176
小生も同じく。
あとに付け加えるなら騒音も。
ドアの立て付けが悪かったのか、駅間ではずっとガタガタ音を立てていた
これが元国電なら分かるが、
営団時代にはそんなことなかったはず >>181
今度はこれをBRTでやって欲しいな
日立電鉄は全線BRTで復活すべきだ 末裔も今年の4月末までか
まあ本来の予定通りだから仕方ないか 久慈浜近くの常磐線下を通る箇所が唯一のトンネルだったかな。
水木〜大甕〜久慈浜は、常磐線を二度も高架で越えるのは無駄に思えた。 20年ちょっと前に常陸太田から鮎川まで乗ってみたが、元営団銀座線の車両の窓が埃だらけだった。
金がないのか、あまり掃除が行き届いていないような。
冷房付きのキハ110が水郡線、常陸太田支線まで入るというのに、こちらは全車非冷房。 車両が汚いのはローカル私鉄共通の課題だな
御指摘の通り、総じて窓ガラスのメンテナンスに難がある
手作業に頼らざるを得ない箇所は後回しになってるのか… >>110 今更ながら調べました。日立南営業所は、1990年6月、太田営業所と大甕営業所の統合により誕生したそうです。 遂に子会社も無くなってしまった
まあ当初の予定と言えば当初の予定通りだから、仕方ないのか
ひっそりと無くなった日立電鉄(交通サービス) 常北太田駅の常北の由来が未だに分からない。
常陸太田駅か単純に太田駅でも良かったのではと今でも思う。 >>193
日立電鉄になる前の常北電気鉄道の常北じゃない?
単純に太田だと群馬と重なるしな。 鮎川〜日立〜高萩〜北茨城
久慈浜〜東海〜ひたちなか〜水戸
と、常磐線に対抗するような鉄道会社になってほしかったな 電鉄の名を残すのは電鉄タクシーだけになってしまったわけか。 日立市って茨城の海沿いでは殆ど平地がないのを今更知った。 だから311でも津波で深刻な被害(もちろん被害ゼロじゃないけど)受けなかったんだよ 最末期に乗り鉄した時に見かけた乗務員さんには若い人もチラホラいたのだが、
この人々は廃業後全く別の業種に転職していったのかな
すごく勿体無い希ガス
運転士や車掌の資格なんて簡単には取れないでしょ? >>203
つくばエクスプレスに行った人多いらしい そう考えると個人的には複雑な心境だ
鹿島鉄道はつくばエクスプレスに止め刺されたようなもんだからな >>195
日立電鉄ももう少し景気良ければ『電鉄太田』とかに改名したのだろうか?
改名って結構金掛かるし。 >>200
平地であれば鮎川ー日立の延伸も容易で日立電鉄の命運も少しだけ変わったかもな。
海岸沿いを北進して川尻辺りまで伸びていたかな?