変身列車
今では殆ど整理された種別が変わる列車たちを語ろう。 懐かしなので一応、今では過去の列車ででお願いします。
ルールは特に定めませんがイレギュラー色があるものがスレ的に盛り上がると思います。 165系急行「わたらせ」くずれの両毛線の普通列車。
グリーン車は開放ではなかった。
う〜んちょっとオモロみに欠けるなぁ 14系「だいせん」崩れの大社線の各駅停車ってのもあったよな >>3
「わたらせ」崩れの朝の上りは普通列車区間定期券乗車不可の列車だったから
希少価値あるぞ。
寝台がついたままの「崩れ」列車は
「大雪」「だいせん」「出雲3号」あたりが有名でしょう
急行「ときわ」の上りで面白い列車あった。
平〜水戸間普通列車
水戸〜上野が急行「ときわ」というのだが,平〜水戸間も枠付ハザ営業というのがあった。
実は以前はハザ部分は普通のハだったのだが・・・どうもハザになったのは次のような事情があるみたい。
種相談室にある話が舞い込んできた。
件の列車の平〜水戸間にハザ予定車両は平発車時点で「指定席」の表示あり
これはおかしいじゃないか!!というもの。
記事によれば種氏が水戸局に問い合わせて「水戸で3分しか停車しないので
平から表示しないと無理だ」という回答があって,誌面で
それならば@平〜水戸間は締め切りA平〜水戸間もハザ営業すべきという意見を
していた。
それからしばらくして普通列車部分も枠付ハザになった。 「やくも」の末端部分(島根県側)が普通列車として運行されてたな。
特急区間だけ乗る場合も普通区間だけ乗る場合もグリーン車に乗ればグリーン料金はかかるが、
両区間にまたがってグリーン車を利用する場合のグリーン料金は
特急区間だけでよいという特例の、まさに見本のような存在だった。 山陰は変身列車の宝庫だったな・・・
>>8の「やくも」を筆頭に、「あさしお」の米子〜鳥取間快速とかDC「だいせん」の米子〜浜田間快速、
「丹波」の福知山〜豊岡間普通、「さんべ」の米子〜鳥取間普通・・・
山陰本線は今ほど普通列車が本数なかったから、特急や急行の末端を普通列車にして本数を稼いで
いたんだろうけど。
臨時「北近畿」の普通列車区間に萌えてBグリーン券買って乗った工房時代。ガラガラのグリーン室に
入って席でマターリしてたら車掌が飛んできた。漏れのきっぷ見て納得していったけど「この区間だけ
グリーンに乗られる方は珍しいので・・・」と。
東京口あたりではフツーのきっぷでも、地方じゃ「珍品」扱いwwww ガラガラのグリーンといえば、はまかぜですねw
これは現役だけど、車両がキテますよ
新造するのだろうか
国鉄時代を感じることができるグリーン車って、はまかぜぐらいかな? 新津〜新潟間が快速となる急行「きたぐに」は今となっては貴重な存在だな。 小田急に新松田行き急行、新松田から各駅停車小田原行きという
のがあってわかりにくかったのも懐かしいが、
それがなき後は新松田〜小田原間通過と停車の急行が生まれて
(今はなくなった)東武伊勢崎線のA準急・B準急の区分みたいに
慣れない人には、よりわかりにくくなったまま現在に至っている。 >>9
つ金沢文庫
…北近畿タンゴ鉄道の久美浜で快速に(から)変身するタンゴディスカバリー 変身列車とは微妙に違うかな?
大阪発浜田・大社行急行「だいせん1号」に乗ると、米子から自由席2両を併結。
そちらに乗り換えれば、浜田以西は急行「ながと」米子発長門市行。 四半世紀以上前の年末年始及び旧盆の帰省時期の奥羽線の臨時夜行急行『おが』。
福島だの米沢、山形あたりまでは、臨時急行のスジだけどその先は、既存の鈍行のスジだったと記憶してるのだが‥
きのくにやサハ4801使用の南紀直通列車は南海線内は特急扱いで南海線内だけの利用もできた。
ただし、きのくには指定料金が必要だった。 >>17
漏れは知っているぞ。
急行「つくばね」上野=勝田(結城まで普通)
確か上りだけだったが、結城で真岡線直通に接続して先発させた上で、
連絡線を通り上野に。 特急が「崩れる」ようになったのは
新特急「草津」が最初だっけかな
>>19
43・10以前のキハ58系時代は上野〜水戸・茂木間(下館まで併結)だった。
(小山まで“わたらせ”も併結していたから実態は3層建て) 函館‐網走間503-504レ
札幌‐北見間だけ「準急」。
名古屋‐高山‐富山‐高岡の準急(後急行)「ひだ」が高岡駐泊の間に
翌朝城端線で一往復アルバイト。 昭和50年代の話。東京からの夜行が大垣終着の後、
そのまま大垣→垂井、垂井→名古屋の普通列車の運用に入っていた。
(名古屋到着後大垣へ回送、休日運休)
大垣→垂井、垂井→名古屋はグリーン車開放だったので、
当時、大垣→名古屋を毎朝グリーン車両で快適通勤をしていたのだが、
昭和59年2月1日の改正で大垣→垂井、垂井→名古屋が113系に置き換えられ
グリーン車両での通勤ができなくなってしまい、
2月1日の朝、それはそれはショックだったことを覚えている。 種別変更ではないが、京成はよく高砂で車両交換をやっていた。上りの一号線直通の急行が多かったみたい。北総が開通して高砂駅もタイトになったからもうやってないかな…津田沼で車両交換もあったな。
スレチ失礼Byカレチ >>25
俺は京急・京王・阪神でソーグー。今もやってるかは知らん。
社によっては乗務員仕業表に車両交換のマークがあった。
各停好きな偏屈ヲタには、一種迷惑な存在。
とはいえ梅田から三宮まで普通乗り続けるヤツは通常ならまず居まい。 >>11
急行能登の489系
グリーン車原形座席
小テーブルと肘カバー 急行「みやざき(のちに「日南」に改称)」の末端区間。宮崎〜西鹿児島の普通列車。
この区間ではなぜか急行サボと愛称サボが上下逆さまに差してあった。
普通だったら「宮崎〜西鹿児島は普通」とか表示するんだが、サボそのものは一般的な
愛称(または急行)表記と英語表記だけだった。
また、時刻表では寝台車は宮崎で解結になってるが実際には西鹿児島まで連結した
ままだった。
宮崎以北の寝台券を持っていれば寝台に乗車出来てたから意味不明。
20系+12系になって指定席のスハフと寝台は宮崎で解結するようになったが、しばらく
したら又西鹿児島まで行くようになった。 昔は地方のローカル列車で場違いな「M」とあればほぼ急行間合い使用。
ロ表示なければたいがいグ開。
スレの趣旨とは違うんだが、92年の8月下旬頃に、
普段は113系の総武本線普通列車が、
何故か何本か165系(か169系?)で運転されてたことがあった。
夏期講習の帰りが楽しみだった。 国鉄時代の急行くまがわの1往復が快速〜急行〜普通に変身する列車でしたよね。
あずさ・信濃大町〜南小谷普通化
結構あったが、今や大糸線乗り入れそのものが絶滅種 禾重木寸氏の著書「鉄道旅行術」(JTB 1980.7改訂版)より
仙台発1926D
福島から3両増結して916D(急いなわしろ4号+急いわき6号)
郡山で分割、いわき6号は平経由で終点水戸へ、いなわしろ4号は会津若松方へ
会津若松で3分割、喜多方行と会津川口行(季節運転で只見まで延長)、会津田島行
>>34
・信濃大町〜南小谷間「快速」(これがよくあったパターン)
・信濃大町〜南小谷間「普通」(下り1本)
・松本〜信濃大町間「快速」、信濃大町〜南小谷間「普通」(上記パターンからの変更。信濃大町以北は時期によって運転)
・松本〜南小谷間「快速」(最後まであったパターン。白馬行きだった時も。松本までは毎日運転で松本以北は臨時)
というパターンがあったようだな。
E351系に置き換えられた列車は全区間特急に戻された。 >>33
普通〜急行(夜行)〜普通の大雪6号(上下共に) >>19
電車化されてからは、上りは真岡線発小山行きを先行させて、結城で抜いてた。 80系準急「軽井沢」と115系急行「なすの」
なんと途中からバスに変身する列車だ。 急行「なぎさ」急行「みさき」は
館山〜勝浦間のみ普通。
よって急行→普通→急行と変身したな。
>>35
その逆バージョンは
只見発と会津田島発が西若松で併結→喜多方発と会津若松で併結→水戸発と郡山で併結
昔の急行「山陽」
南岩国から岩国まで一駅だけ普通列車。
そのあとは岡山まで何事もなかったように急行。
末期の急行「白兎」
出雲市発車時点では「普通」
米子発車時点では「快速」
鳥取発車時点で「急行」 岩国発米子行き。
広島まで山陽本線普通列車、広島から急行「ちどり4号」
山陰本線と言えば、益田発米子行き急行「石見」。
米子から急行「伯耆2号」大阪行き。