【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
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こんなスレ建てなければまず出てこないマイナーな存在ながら個性的な列車がちらほら
上りと下りで運転区間の違う客車「きそ」(下り 名古屋ー直江津、上り長野ー名古屋)
夜行が片道のみの「のりくら」「紀州」(電車「きそ」も片運用)
編成のど真ん中に新聞配達用の荷物車を挟んだ「のりくら」
付属編成がそのまま紀伊半島を一周してしまうので付属編成の号車番号が毎日入れ替わった「紀州」
そんな名古屋発だった夜行列車について語って下さい 名古屋で臨時の「のりくら51号」がキハ51や18の酷い編成だったのを見たが、
がらがらだった。流石の山屋連中も敬遠したみたいだが。 遅いのと振動が激しくて一晩乗り通すと腰を痛めたんだって。
若い頃山屋やってた俺の親父が述懐してました。 千なりの箱の中に入ってるカードに書かれてる歌って、
TVCMとかで流れてたことは、あるんですか?
♪2箱3箱…とか、♪あとの1箱親孝行…とかの歌詞だった気がします。 >>173
youtubeにあるので、探してみたら? 冬の名古屋発のスキー臨などは、まだ子供だったから縁がなくて
それより桜通口の天津甘栗の屋台の匂いを思い出す。
あれはいつ頃まで有ったんだろう?
匂いと言えば、スレチだが瀬戸電の大曽根駅からアーケード街に入った時の
日本茶の香りをよく覚えている。 スキー臨あったねえ。
親類がアレに乗ると言って嬉しそうにしてたのを思い出すよ。
博多へ向かう金星があかつきとすれ違うことはあったのかな?
【宇宙】金星探査機「あかつき」、太陽風観測ミッションを実施中…JAXA
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1308116951/ 阿蘇は昔は東京発だったのが、名古屋発に短縮されたよ。 >阿蘇
当初は東京−筑豊−熊本
東京発の頃は文献などでしか知らんが、霧島・雲仙・西海に比べ一線級半といった感じかな。
博多を経由しない(筑豊回り)、ハの比率が高い、等が理由。
S36.10で名古屋−博多−熊本に短縮、ここに初めて「名古屋近辺のための九州直通急行」が誕生。
しかしロネはマロネ29、食堂車は冷房付とはいえマシ49、ハネはスハネ30と、やや微妙な内容。
マシ49は見劣りのする車ではなかったが、オシ17が充当されなかったあたりが名古屋持ちの悲哀か。
マロネ29のオロネ10への置き換えはS39.4、幹線急行では最晩年で後回しにされてしまった。
その頃の編成を見ると、一番見劣りがしたのはマロネ29のような印象を受ける。
ハネからスハネ30が抜けたのはS42のハネ冷房化の時。
最晩年は
ユ ハ指 G ロネ ハネ ハネ ハネ ハネ ハ ハ ハ ハ + ハ ハ ユは門司まで、ハ後ろ2両は博多まで
と、整った編成で走っていた。
50.3改正で実質廃止になったが、名古屋近辺の同好の衆のみならず、当時のこの地区の九州出身者にとって、
同時に廃止された「桜島・高千穂」よりも思い入れの強い列車だったと思う。
長文失礼 前にも誰かが書いていたが
腰痛持ちには夜行は無理だな。
まさか自分がそうなるとは思わんかった >>191
座りっぱなしは良くないから定期的に車中を歩いたりしてましたけどね。
別に何も咎められなかったし。 何も咎められなかったと思ってるのは当事者だけで
周囲の人は不審な感じを受けてたと思うよ 座席夜行で、通路の反対側のイスに足を投げ出して寝て、通路を塞いでるのとかね 東京人ながら臨時とはいえ日本最長距離急行の「あおもり」に憧れて
84年暮にチャレンジした。
ところが北陸豪雪で運休。
翌85年夏に再チャレンジ。
北アルプスを目指す登山客で満員だったが富山を過ぎればガラガラで
青森まで20時間の長旅を堪能した。 昔の方が何事にも余裕があったな。
十数時間の鉄路の旅も普通に楽しめた いい時代だった 子供の頃、きその上り回送に乗せてもらった事がある。
人生初の12系客車は冷房が効いて涼しかった。
妙高高原までのフリー切符だったので、新井〜二本木の一駅だけでした。
青い列車の去ったホームに残り日本曹達の入れ換えを眺めていたのも良い思い出。 金星51号(14系、グリーン車連結)のグリーン車はユーロライナーのコンパートメント車で、
部屋売りでなくてバラ売りだったので、知らない人同士が相部屋でした。 >>203
厨房の頃俺も乗った、相部屋になったのが25ぐらいの女性だったよ。 金星は、「きんぼし」にあやかって相撲取りがよく利用したって本当ですか? 男性を侮辱した女のわがまま【女性専用車両】を批判しよう
読売テレビが女のわがまま女性専用車を斬る
http://www.youtube.com/watch?v=98pWaXYihXk&list=PLCDC875F7D14589A7 臨時金星に使う14系座席車が、閑散期には、永和駅の中線に留置されていたのを知ってる人は、どれくらいいらっしゃるのかな? 出張の帰り、深夜の広島から上り金星に乗ったことがある
カレチが早速検札に来て
混んでますねと言ったら
満席と嬉しそうだった
たしか7番下で珍しく熟睡できた 座席14系の臨時金星って何年のどの季が最後?
昭和63年夏に乗ったけどその後いつまで臨時運行したんだろうって >>210
夜行高速バスがあることはあるが、
新潟市内以外は市街地から離れたところでしか
乗り降りできないから不便だね。
新潟まで名古屋から直通の夜行は聞いたことないけど、
短期の臨時ではあったのかな? そのまましなのに格上げして欲しかったね。
あるいはしらさぎの一往復を延長するか。 週末にはきそ4本にちくま3本あって新潟行はなかったんだから
国鉄も拾いに行かない程度の需要だったんだろうな 大阪-新潟の雷鳥でさえ無くなった
新潟は東京と結びつきが強いから止むを得ないのか 焼こう列車乗りたい。さんべとかのりくらとかの地方都市どうしを結ぶものや
おかしなルートを行くものに乗りたかったな
短距離夜行の妙高とかアルプス(いずれも末期の特急型車両時代)、北海道の3種はぎりぎり乗ったことがあるんだが。 紀州夜行は先頭に新聞車両を編成して尾鷲・熊野市間はほぼ各駅停車然としていたな。 夜間、たまに列車の音が聞こえると哀愁というか寂しい中にも厳粛な気持ちになるな。 金星は2時間ぐらい早く名古屋を出てもいいんじゃと思っていた。 >>223
そう思っていたこともあったが、
新大阪行ひかり最終が名古屋を出た後に出発し、
場合によっては広島あたりの利用も視野に入れる。
と、あのダイヤになるんじゃないかな。
2時間早いと多くの山陽九州夜行特急と重なることになる。
また、出発有効場所が名古屋局管内に限られる事にもなる。
さらに、50.3改正までは急行「阿蘇」とかぶることにもなる。
このあたりが理由じゃないか。 鉄道ファンの撮影ガイドに紀伊長島の鉄橋が載っていて。
名古屋〜紀伊長島まで乗ったことがありました。
ちょうど 鉄橋に到着すると【紀伊】が通過していくんだよ。 そういや博多駅に設けられるななつ星専用のラウンジに、金星という名前が何気なく使われてるな。 >>225 どの鉄橋?。赤羽川?、名倉?。夜間、名倉まで歩くのは至難の技。
話は変わるが『紀伊』なら新鹿鉄橋が有名だね。ちょうど朝になるから。あと銚子川鉄橋かな。 >>210
速くて快適で高価な新幹線乗り継ぎをご利用ください >>109
5年前のカキコにレスをするのも何だが、光GENJIの歌だね。
♪夢はフリーダム フリーダム シャボンのように… なんて言うサビだったような。 祖母は津からよく乗ったらしい。三重大病院へ祖父の看病に行き、列車で仮眠、自宅へ着いたら子の世話や仕事。働きづめに働いたらしい。 >>216
自分も最近までそう思っていたんだけどサンダーバード→北越の乗り継ぎよりも東海道新幹線→上越新幹線の方が速い為北越4号→サンダーバード26号の金沢で
3分の乗り継ぎよりも1時間も速く行ける 昼行急行っぽい気分を味わいたくて、神戸から名古屋まで「阿蘇」に乗りました
EF61牽引ってのも、EF58が当たり前だった当時では新鮮だった 名鉄の最終で新名古屋着→コンコースをダッシュして国鉄夜行に飛び乗り…
楽しかったなあ 昭和30年代に「ブルートレイン」が誕生した時に、既に半世紀後のブルートレイン全廃は予定されていた。
それはブルートレイン車両設計にも表れていた。
当時あった、「ゆくゆくは、旅客列車は昼間、貨物列車は夜間」という思想からだった。
果たしてブルートレイン等の夜行列車は風前の灯となった。
だが理由は当初の想定と全く異なる。
夜間の騒音防止、保線の都合、機関車の連結作業の省略(合理化)、そしてトラック輸送の台頭である。 実際線路際に住んでる住人から24時間運行について不安苦情の声が既に
昭和30年代からあったというらしいし、、、
公害が社会問題化する少し前からね トワイライトのスレで10系寝台のさんべ云々書いたらボロカス 1988年から二年名古屋に住んでた
ちょうど鉄から離れてた時期だった…今思えば後悔。離れる必要無かったのに つい忘れていたが、名古屋−熊本の急行「阿蘇」が廃止されてちょうど40年。 紀州は片運用だったのか。知らなかった。
紀州7号?、9号?。
名古屋23時59分発は間違いないが、なぜ23時59発だったんだろう?。どうせなら0時0分発のほうが目立ったのに。
因みに発車の場合は0時0分発だが、到着の場合は24時0分着、絶対に目立ったぜ。 指定席の乗車日
(臨時列車の場合)運転日の案内
いろいろめんどくさいことがあるのでなるべく日付変更前に夜行は出すようにした、
とかいう話をどっかで聞いたような気がする。
あと乗り継ぎ割引も新幹線→在来線は当日が原則だから、ある意味合理的といえば合理的 >>209
>
209 :回想774列車:2013/01/09(水) 10:47:05.23 ID:USkmoebH
座席14系の臨時金星って何年のどの季が最後?
昭和63年夏に乗ったけどその後いつまで臨時運行したんだろうって
91年の年末〜92年の年始が最後。
92年7月改正で特急ダイヤの足枷になるからとの理由で完全に消えた。 臨時でいいから夜行をもっと走らせてほしいな。夜行バスが増えてるくらいだから需要はあると思うが。 また復活するんじゃね?。夜行は合理的。
名古屋でゆっくり呑めて遊べる。
特急でもいいから紀州夜行の筋の復活を望む。 夜行の難点は都市部以外夜景が見れないこと。当然だが。
名古屋を出ると三重県内は最大都市四日市ですら真っ暗。車内を暗くして窓を大きく改造…、絶対に無理だな。書いていて恥ずかしくなってきた(笑)。 四日市界隈だと、結構工場夜景が見えるんじゃないかい?
大阪21時のアーバンで帰るとき、塩浜あたりの夜景を見るのがひとつの楽しみになっている。 >>250
> 車内を暗くして窓を大きく改造…、絶対に無理だな。
583系下段、または個室寝台なら可能。
それがやりたくて電車寝台ばかり乗ってました。 その寝台列車も一本もなくなったし。
リニアいらないから夜行復活して。
夜行が走るような世の中なら、のんびりほのぼのしてるような気がするが。 夜行列車の復活は無理だわ
こんなに線路ギリギリに民家が建つなんて当時は想定してなかった
鉄道会社は犬走りを広く取って用地買収すべきだった 本来の夜行列車とは意味が違うけど
夜の時間帯の普通列車っていつから減便されるようになったんだ?
例えば、浜松〜豊橋の普通列車だと朝から晩まで約20分に一本でいいのに
現在は夜の時間帯は減らされて一時間二本になる >>201
米原で運転停車(運転士交替)はしてただろ >>258
いや、当時は2人乗務で名古屋から大阪まで行けたから、
通過していた気がする。
これは電気機関車でも同じ、大抵機関助士が乗っていた。 >>247さん
その質問は私です。
わざわざ古いレスに教えて下さり感謝です
知ることができてよかったです
ありがとうございました。 「夜行列車」なら、アメリカ行けば走っている姿をいくらでも見られる。 >>262
そこまで行かなくても
中国
ロシア
ベトナム
でも沢山走ってる 国内で乗りたいという話でしょ。
海外に行けばそりゃまだまだあるし、
答えは間違ってはいないけどさ。 >>264
それが実現できれば良いけどやる気がない会社ばかりなので手っ取り早く乗るには上記の国に行くのが一番簡単かな?と思います
中国のK列車(日本の急行相当)の編成は往年の日本の急行そっくり
基本的に
ユ×1+ニ×1+ハザ×6+ロネ×1+シ×1+ハネ×6+電源車
みたいな組成が多い
列車によってはユやシ無しもありますが
旧満洲の東北辺りでは準急クラスの空調無し長距離列車も一部残存している模様でこちらはニ1×ハザ×10+ハネ×6みたいな組成が多いです 昔夜行列車が多かったのは操車に手間がかかったからね。
傾斜つけたところから突き放して組みなおす作業は安全上昼間しかできなかった。
だから操車は昼、移動は夜、という仕組みだった。
今はリフトで積み降ろしするだけだから夜でもできる。 昭和50年代、旧客末期の「きそ」の座席車って35系メインで、申し訳程度に1、2両オハ47あたりが混じっているって印象なんだけど、当時はガキだったから旧客ってだけではしゃいでたけど、今になって考えると格下感があるね。
当時、43系電暖車のタマは東北、上越に取られてたんですかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています