【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
こんなスレ建てなければまず出てこないマイナーな存在ながら個性的な列車がちらほら
上りと下りで運転区間の違う客車「きそ」(下り 名古屋ー直江津、上り長野ー名古屋)
夜行が片道のみの「のりくら」「紀州」(電車「きそ」も片運用)
編成のど真ん中に新聞配達用の荷物車を挟んだ「のりくら」
付属編成がそのまま紀伊半島を一周してしまうので付属編成の号車番号が毎日入れ替わった「紀州」
そんな名古屋発だった夜行列車について語って下さい >>114
ジャーナルの臨時金星(ユーロ組み込み)のレポは新鶴見のPFだったよ 金星といえば57−11改正で命脈絶たれたんだけども、583系の転配の関係からかダイヤ改正数日前に運転が打ち切りになったんだよな。
特急列車で車輌需給の関係で運転開始が遅れたケースは数あれど、改正前に打ち切られたケースなんて金星くらいしかないのでは? >>136
それマジですか?
“あかつき”や“さくら”みたいに途中で打ち切ったり、“きのくに”や(在来線時代の)“とき”のように車種を変えて運転する
のは聞いたことあるけど。 >136
急行なら高千穂は改正数日前に終了だったはずだが、特急は聞いたことないな。 いろんなサイトなど見ると金星の廃止は改正一ヶ月前の10月14日付けで廃止となっている記述が多いけれども、11月になっても走っていたという人もいる。
ただ国鉄内部の扱いではどうなのかわからない。
改正当時の時刻表今でも持っている方がいれば一発でわかるんだけども。 鉄道ファン1983年2月号には
11月11日という日付で「金星」の最終列車の写真が載ってる 時刻表質問スレにて聞いてみた。
94 名前:回想774列車[] 投稿日:2009/12/01(火) 20:33:48 ID:8wdvHxr6
別スレでちょっと話題になっている事項がありますのでこの場をお借りしてお尋ねしたいと思います。
寝台特急「金星」の定期列車の運転終了日はいつなのか、どなたかご存知でしたらご教示ください。
改正前に運転終了していると記憶しているのですが、それが10月なのか11月なのか調べてみてもわからなかったので…
95 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2009/12/01(火) 21:56:04 ID:Fc2WhRZz
>>94
博多発11/10、名古屋発11/11
まで運転でした
(82年10月号より)
はじめてグリーン車に乗ったのが「のりくら9号」だったなあ。
11月の末だったが暑がりの自分には暖房が効きすぎてて
下呂まで眠れなかったのを憶えています。
季節運転中で宇出津駅まで乗りました 金星って速攻で食堂車の営業やめたのが残念だった。
581・583の食堂車は広々としていて豪華なのに。 >>146
広々してたのは間違い無いけど、豪華と言うのはどうかな?
豪華と言うなら、せめてナシ20の50番台(日立製)くらいのアコモは欲しい。 >>145
自分もはじめて乗ったグリーン車は「のりくら9号」でした。
グリーン車の乗客は他に1人だけで、照明が減光されていました。
やはり2月頃で暖房が効きすぎでした。
「のりくら12号」も何度か利用しました。
「のりくら」廃止直前の頃には間合い運用?の普通列車で
毎日「キロ28」に乗り通勤していました。
金星混結ユーロ2両は
12系ですか?
それとも14系?
>>88
「金星」間合いの583系「しらさぎ」名古屋行きだが、岐阜にて先着している80系DC「ひだ」名古屋行きが方転をすることもあって、先発するダイヤだった。
純粋な追い越しではないが、定期特急同士で順序が入れ替わる珍しいケースだった。
ところで、紀勢本線の夜行「南紀」(53-10改正で「はやたま」になり、以降紆余曲折を経る…)も、もともとは名古屋発着だったはず。
寝台車の連結は、新宮〜天王寺のみだったが…。 「阿蘇」ってその昔は名古屋始発だったんですね。
僕が乗った時は新大阪始発で「くにさき」併結の14系座席車でした。
「はやたま」も名古屋から乗り通したことありました。新宮から寝台に乗って。
懐かしいです。 >>145
上りと下りで連結両数がえらく違っていたんでしたよね。 >>152
下りが 基本4両+キユニ&キハ3両(以上美濃太田)+付属3両(名古屋持ち)
上りが 基本4両のみ
だったかな? 記憶違いだったらスマソ
キユニ+キハ3両の急行仕業はこの列車のみ、
高山線内ローカルから、上り1本のみの富山→名古屋 普通列車からの折り返し。 >>153
ややスレ違いで恐縮ですが、昭和58年の夏休み、20日間の九州周遊券ツアーの帰りに
その「上り1本のみの富山→名古屋 普通列車」に乗りとおしました。確か富山を15時過ぎだったと思います。
周遊券の指定経路ではないので、その頃は今ほどメジャーでなかった「青春18のびのびきっぷ」で、
暑かった富山駅に着くと、「どうせ扇風機のキハ48」と思っていた車両が、冷房の効いたキハ58系の3連で、
エラく得した気分でした。
高山から帰宅する地元客が飛騨金山くらいでほぼいなくなると車内は閑散とし、ほとんど無人となった
美濃太田で4両増結したので「?」と思っていました。で、美濃太田だったか岐阜からだったかは
忘れましたが、最後は快速となって22時過ぎに名古屋に到着しました。
ちなみにほぼ20日間車中泊だったこの旅行から帰宅後、翌日には深夜までバイト、その翌日は
バイト後に友人と痛飲し、さらにその足で別の友人と「のりくら9号」で輪島(季節延長)まで行って、
2泊3日で海水浴という、無茶苦茶な日程でした。今更ながら若かったナ、と。(当時20歳)
もっとも海水浴から帰宅した翌日風疹になり、大変な目に遇いましたが。
(長文&チラ裏失礼しました。) 板違い失礼します
名古屋の皆様にお願いがありまして
こいつ↓
政治】 "裏マニフェスト?" 「民団の衆院選支援で、政権交代実現。外国人参政権の公約、守るのは当然」…赤松大臣、民団新年会で
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263341580/-100
赤松って名古屋の国会議員なんですけど
まったく日本国民の為の国会議員というより
甘言出有権者を騙して韓国の為に働くみたいなスパイみたいな野郎です。
どうか地元の方々で地域にこいつの正体を広めてめて懲らしめてやってください
それと地元の有権者としてクレームで諭してあげてくださいませ。
http://www.akamatsu-hirotaka.jp/07_annai/index.html
http://www.akamatsu-hirotaka.jp/06_goiken/index.html
お邪魔しました 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先から愛・地球博のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めての万博に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
愛・地球博の会場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは割引券で、これでは入場できないと言われた。
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、会場の周辺を夕方まで散歩した。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、入場チケットだと思った。バカでごめんね」と言って
少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとのように「愛・地球博、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
金星って利用率がやたら高かったような。
新聞の空席欄でも×が並んでいることが多く、窓口にも「金星号は満席」の貼り紙がされることが多かった。 >>158
名古屋人には愛着のあった列車だろうから、真っ先に埋まったんじゃないかな?上りの場合、東京行きのは寝過ごしが怖いという意識もあったかもしれない。
岩手の人が何となく「はつかり」を避けて「やまびこ」に乗っていたみたいに。 >>158
しかし国鉄大幅値上げ後は利用率落ちただろう。新幹線と完全並行区間で、
九州ブルトレと雁行してたダイヤだったし。 名古屋→米原→北陸本線などの日本海縦貫線→秋田・青森
という経路の臨時急行はあったそうですが、
乗車もしくは目撃した方はいらっしゃいますか。 金星は東京方面から新幹線のりつぎの出張客がけっこう多かったと思う。
東京20時過ぎに出て、電車寝台だから山口県内に早く着けて便利。
上りも名古屋6:10着でこだま始発に乗り継げば東京9:00着だったし。 >>162
昭和58年の夏、名古屋から北海道へ帰省する時、急行あおもりに乗ったよ。
秋田県内を通過するのに、やたら時間がかかった記憶がある。 上り金星は「みずほ」と雁行するダイヤで、理由は
おそらく>>163の 対首都圏(新幹線のりつぎ)だろうと思う。
上り金星単体で見ると、あまりにも不自然なダイヤだったからね。
個人的には、博多発と名古屋着が最適時刻のダイヤが欲しかった…
博多21:00→07:45名古屋
みたいな感じで。
あ、深夜の山陽線はノロノロ貨物でぎゅうぎゅうだから、
そんな速度で走れないってかorz
金星の後に出発する、殿軍の「さくら」でさえ、
博多発も名古屋着も早すぎだったなあ… 名古屋で臨時の「のりくら51号」がキハ51や18の酷い編成だったのを見たが、
がらがらだった。流石の山屋連中も敬遠したみたいだが。 遅いのと振動が激しくて一晩乗り通すと腰を痛めたんだって。
若い頃山屋やってた俺の親父が述懐してました。 千なりの箱の中に入ってるカードに書かれてる歌って、
TVCMとかで流れてたことは、あるんですか?
♪2箱3箱…とか、♪あとの1箱親孝行…とかの歌詞だった気がします。 >>173
youtubeにあるので、探してみたら? 冬の名古屋発のスキー臨などは、まだ子供だったから縁がなくて
それより桜通口の天津甘栗の屋台の匂いを思い出す。
あれはいつ頃まで有ったんだろう?
匂いと言えば、スレチだが瀬戸電の大曽根駅からアーケード街に入った時の
日本茶の香りをよく覚えている。 スキー臨あったねえ。
親類がアレに乗ると言って嬉しそうにしてたのを思い出すよ。
博多へ向かう金星があかつきとすれ違うことはあったのかな?
【宇宙】金星探査機「あかつき」、太陽風観測ミッションを実施中…JAXA
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1308116951/ 阿蘇は昔は東京発だったのが、名古屋発に短縮されたよ。 >阿蘇
当初は東京−筑豊−熊本
東京発の頃は文献などでしか知らんが、霧島・雲仙・西海に比べ一線級半といった感じかな。
博多を経由しない(筑豊回り)、ハの比率が高い、等が理由。
S36.10で名古屋−博多−熊本に短縮、ここに初めて「名古屋近辺のための九州直通急行」が誕生。
しかしロネはマロネ29、食堂車は冷房付とはいえマシ49、ハネはスハネ30と、やや微妙な内容。
マシ49は見劣りのする車ではなかったが、オシ17が充当されなかったあたりが名古屋持ちの悲哀か。
マロネ29のオロネ10への置き換えはS39.4、幹線急行では最晩年で後回しにされてしまった。
その頃の編成を見ると、一番見劣りがしたのはマロネ29のような印象を受ける。
ハネからスハネ30が抜けたのはS42のハネ冷房化の時。
最晩年は
ユ ハ指 G ロネ ハネ ハネ ハネ ハネ ハ ハ ハ ハ + ハ ハ ユは門司まで、ハ後ろ2両は博多まで
と、整った編成で走っていた。
50.3改正で実質廃止になったが、名古屋近辺の同好の衆のみならず、当時のこの地区の九州出身者にとって、
同時に廃止された「桜島・高千穂」よりも思い入れの強い列車だったと思う。
長文失礼 前にも誰かが書いていたが
腰痛持ちには夜行は無理だな。
まさか自分がそうなるとは思わんかった >>191
座りっぱなしは良くないから定期的に車中を歩いたりしてましたけどね。
別に何も咎められなかったし。 何も咎められなかったと思ってるのは当事者だけで
周囲の人は不審な感じを受けてたと思うよ 座席夜行で、通路の反対側のイスに足を投げ出して寝て、通路を塞いでるのとかね 東京人ながら臨時とはいえ日本最長距離急行の「あおもり」に憧れて
84年暮にチャレンジした。
ところが北陸豪雪で運休。
翌85年夏に再チャレンジ。
北アルプスを目指す登山客で満員だったが富山を過ぎればガラガラで
青森まで20時間の長旅を堪能した。 昔の方が何事にも余裕があったな。
十数時間の鉄路の旅も普通に楽しめた いい時代だった 子供の頃、きその上り回送に乗せてもらった事がある。
人生初の12系客車は冷房が効いて涼しかった。
妙高高原までのフリー切符だったので、新井〜二本木の一駅だけでした。
青い列車の去ったホームに残り日本曹達の入れ換えを眺めていたのも良い思い出。 金星51号(14系、グリーン車連結)のグリーン車はユーロライナーのコンパートメント車で、
部屋売りでなくてバラ売りだったので、知らない人同士が相部屋でした。 >>203
厨房の頃俺も乗った、相部屋になったのが25ぐらいの女性だったよ。 金星は、「きんぼし」にあやかって相撲取りがよく利用したって本当ですか? 男性を侮辱した女のわがまま【女性専用車両】を批判しよう
読売テレビが女のわがまま女性専用車を斬る
http://www.youtube.com/watch?v=98pWaXYihXk&list=PLCDC875F7D14589A7 臨時金星に使う14系座席車が、閑散期には、永和駅の中線に留置されていたのを知ってる人は、どれくらいいらっしゃるのかな? 出張の帰り、深夜の広島から上り金星に乗ったことがある
カレチが早速検札に来て
混んでますねと言ったら
満席と嬉しそうだった
たしか7番下で珍しく熟睡できた 座席14系の臨時金星って何年のどの季が最後?
昭和63年夏に乗ったけどその後いつまで臨時運行したんだろうって >>210
夜行高速バスがあることはあるが、
新潟市内以外は市街地から離れたところでしか
乗り降りできないから不便だね。
新潟まで名古屋から直通の夜行は聞いたことないけど、
短期の臨時ではあったのかな? そのまましなのに格上げして欲しかったね。
あるいはしらさぎの一往復を延長するか。 週末にはきそ4本にちくま3本あって新潟行はなかったんだから
国鉄も拾いに行かない程度の需要だったんだろうな 大阪-新潟の雷鳥でさえ無くなった
新潟は東京と結びつきが強いから止むを得ないのか 焼こう列車乗りたい。さんべとかのりくらとかの地方都市どうしを結ぶものや
おかしなルートを行くものに乗りたかったな
短距離夜行の妙高とかアルプス(いずれも末期の特急型車両時代)、北海道の3種はぎりぎり乗ったことがあるんだが。 紀州夜行は先頭に新聞車両を編成して尾鷲・熊野市間はほぼ各駅停車然としていたな。 夜間、たまに列車の音が聞こえると哀愁というか寂しい中にも厳粛な気持ちになるな。 金星は2時間ぐらい早く名古屋を出てもいいんじゃと思っていた。 >>223
そう思っていたこともあったが、
新大阪行ひかり最終が名古屋を出た後に出発し、
場合によっては広島あたりの利用も視野に入れる。
と、あのダイヤになるんじゃないかな。
2時間早いと多くの山陽九州夜行特急と重なることになる。
また、出発有効場所が名古屋局管内に限られる事にもなる。
さらに、50.3改正までは急行「阿蘇」とかぶることにもなる。
このあたりが理由じゃないか。 鉄道ファンの撮影ガイドに紀伊長島の鉄橋が載っていて。
名古屋〜紀伊長島まで乗ったことがありました。
ちょうど 鉄橋に到着すると【紀伊】が通過していくんだよ。 そういや博多駅に設けられるななつ星専用のラウンジに、金星という名前が何気なく使われてるな。 >>225 どの鉄橋?。赤羽川?、名倉?。夜間、名倉まで歩くのは至難の技。
話は変わるが『紀伊』なら新鹿鉄橋が有名だね。ちょうど朝になるから。あと銚子川鉄橋かな。 >>210
速くて快適で高価な新幹線乗り継ぎをご利用ください >>109
5年前のカキコにレスをするのも何だが、光GENJIの歌だね。
♪夢はフリーダム フリーダム シャボンのように… なんて言うサビだったような。 祖母は津からよく乗ったらしい。三重大病院へ祖父の看病に行き、列車で仮眠、自宅へ着いたら子の世話や仕事。働きづめに働いたらしい。 >>216
自分も最近までそう思っていたんだけどサンダーバード→北越の乗り継ぎよりも東海道新幹線→上越新幹線の方が速い為北越4号→サンダーバード26号の金沢で
3分の乗り継ぎよりも1時間も速く行ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています