消えた機関区
稚内から鹿児島まで主要な駅には機関区があったよね。 天鉄関連では、新宮機関区はかなり地味なんじゃないか?
天シクと天タヘが無いと蒸気時代の紀勢線はやっていけんかったと思うが…竜華と亀山の陰に隠れている。 SLがそろそろ姿を消す頃、機関区の片隅に役目を終えたSLが何両も列ねて放置されていたり、
草むしてレールが見えなくなったような引込線の奥にポツンと1両だけ取り残されていたSL…。
そんな光景があちこちで見られた。
どれも既に車体は赤錆び、雑草がロッドにまとわりついていたり、窓も白く濁って割れていたりするSL…。
そしてSLの象徴でもあったナンバープレートが外され、そこにチョークで機番がなぐり書きされているのを見ると
本当に心が痛んだ。最早ただの“鉄くず”と化したようなそんなSLたち。
それから何十年…。その“鉄くず”が並んでいた機関区も大半が姿を消した。ある場所は茫々と草が生い繁り、
またある場所は小奇麗なマンションが建った。そこにかつてはもうもうと蒸気を吹き上げ、
これから列車の先頭に立って驀進するSLたちがあちこちでスタンバイしていたなど、
どうしても合点がいかないくらいに変わってしまった。
半世紀近くの月日が経つというのはそういうもんなんだろうな。 作並機関区。今は保線用車両が置かれている。
初めての交流電機の配置区。ED14,ED17などの輸入機がいたことも。 鳳は電車区のまま機関車配置だっけ?
それとも別に鳳機関区があったのか? 一と二って、一の方が機関車で二の方が気動車ってことで良かった? 「第一機関区」は非電化のSL、DL、「第二機関区」は電化のELっていう分け方じゃなかったか?
高崎、富山などはそうだったし。
その富山第一機関区には気動車も配置されていて、車体に表記される略号が[金トヤ−]というように
「−」が入るのが特徴だった。このような例が富山以外に1つか2つあったはず。 >>143
それはなかったと思うよ。高崎配置の気動車は[高タカ]だけだった。電車は新前橋[高シマ]だったしね。
略号で[一]が入ったものがあと1箇所くらいあったと思ったんだが思い出せない。
[金ツル一](敦賀)ってあったような気がするんだが…。
第一と第二があった機関区は、岩見沢、高崎、富山、敦賀くらいだったかな…? >>144
すまん、長岡第二(新ナカ二)だった。<新潟ローカル旧国 姫一、名一<車両の管理、姫二、名二<乗務員の管理 大ヒメ一、名ナコ一表記のDCがいた
吹一、稲一はSL,DL配置 吹二、稲二はEL配置
岩見沢一はSL配置、岩見沢二はDL,EL配置 >>148
「名なこいち」ではなく、「名なこー(音引き)」だと思ってた小学生時代。
>>144-148
この辺の大機関区は残っているの? 「機関区」自体がそもそもアレだからな。
第一第二が付いたのはもう無いだろ。
後継区はいくらでもあるだろうけど。 広島も第二機関区がありましたね。
第一はD52,D51,C11,C50など、つまり貨物と入れ替え。第二にはC62,C59など
客車列車の担当、そういう住み分けだったようだ。姫路も同様だったと思う。
>>152
姫路第二は相当な昔(終戦直後くらい)にDD13とキハだけの配置→その後乗務員だけの配置で動力車の配置がゼロに。
民営化直前に、第一を機関区(貨物)、第二を運転区(旅客)に改称して、それぞれ動力車を配置。。 >>144
S35頃まで福島にも第1,2が存在していたね。
第1が東北本線用のD51,D50,C59など。
第2が奥羽本線のEF16、福島電化により統合されたようです。
>>142
高崎はS22頃に旅客用SLが第1,貨物用SLが第2に。
S27の電化により第1がSL、第2がELに分かれています。
>>151
機関区ってのはJRでは貨物だけで、それも統合や改称しつつあるんですね。
機関士っていう職名も、あっても民鉄とか船舶とかですかね。 やはり山北機関庫でしょう。
つい最近まで(といっても20年前くらい・・?)転車台跡の大きな丸い穴が残って
いて、ゴミが放り込まれていたっけ・・・。 >>158
大正末期には山北に鉄道関係者が500人も住んでたとか聞いた。
家族も含めての数字なのかは知らぬ。 >>159
Wikiによれば駅員・職員で650名とか・・・。
それが今は早朝・夜間は無人駅!!
栄枯盛衰・・・。 >>160 どうも。
さて関係ないけど、戦後すぐの写真で、国鉄の電車か客車に
××檢車區
と書いてあるのを見たような気がするのだけど
そういう職場名あった時期があったんですかね?
工機部→工場なら知ってるけど。 >>161
「検車区」はのちの「客貨車区」「客車区」と実質的に同じものです。
>>162
サンクスです。やはり検車区は存在したのですね。
関係ないけど、明治時代の「機関庫」と、のちの「機関区」のあいだの
名称が、何かなかったですっけ? >>163
基本的には機関庫→機関区だったと思う。
戦前に機関区に変更した際、規模の小さいものは組織上、給水所になったものもある。 >>164
機関区の規模の小さいものとしては、機関支区とか駐泊所というものがあった。
>>164
ありがとうございます。勘違いだったようです。
>>165
どうも。「シーナリィガイド」で知りました。 保線の詰所を改造して作られた「カプセルイン恵比寿」。
空港への前泊なんかに重宝していたが、ひっそりと無くなってしまった。 亀レスだが>>149
漏れの場合は田舎に行くときに富山で見た気動車の「金トヤ一(いち)」の所属表記を
「きんとやー(伸ばし棒)」だと思っていたw
>>168
丸ゴシックみたいな国鉄書体だから「ー」に見えるね。 金ツルー
なんか、酒屋か醤油メーカーみたいだった。 略字が三文字以上の区はみんななんか面白いね。
門ヒカラなども >>172
それ言い出したら「天リユソ」もはいっちまう。これはどっかで写真を見たことある 操重車に「大ミハソ」っての、見た。
亀山にいた車両だから、旧記載のまま転属してきたのかも。 >>15
>よく横浜機関区と併用されがちだが、横浜機関区は本牧に在り、高島機関区とは違う。
高島機関区ってのは過去には存在したんでしょうけど、それがその後横浜機関区にそのまま名称変更したはずです。
本牧jにある横浜機関区ってのは、臨海鉄道の機関区で別物。JNRの東京南鉄道管理局にある横浜機関区は高島にありました。
>>135
C59164は帳簿上、奈良から梅へ転属したことになっている。
ということでずっと車籍はあった。
梅小路に移るまで奈良区が預かっていたらしいんだが。
自治体貸与の話は初めて聞いたが本当か。
梅小路保存機はその前から決まってたはず。 亀だけど
>>136
新宮機関区紀伊長島支区も忘れずに。
狩勝越えの要所、新得
機関車配置が無くなってもしばらく残った標茶
扇形庫が立派だった遠軽
カマの数を稼ぐのに都合がよかった鷲別・追分
千葉局管内に勝浦なんてのもあった。気動車運転士が交代してた。
転車台もそういわれるとあった気がする。
都内でまだ転車台があるのは八王子?
蒸気末期の転属はへんてこなものが多かった。C11292は最終品川機関区で廃車
米子のC5776は最終配属は電化後の糸崎。いずれも保存がらみだが。
保存場所とゆかりがないカマが多すぎた気がする。カマならなんでもいいみたいな。 >>182
勝浦の沖合に「機関庫出し」という漁場がある。
その漁場から勝浦の機関庫が見えたからその名がついたらしい。
スレには関係ないね。すまん。
へぇ〜! 面白いな。何処の辺りなんだろう…と思うけど、勝浦の駅からって海は見えないよなぁ…?
でも駅がちょっと高い所にあるから昔は見えたのかな? それともSLの煙が上がっていたのが見えたので
そう付けられたのかもね。 >>144
高崎配置の気動車は[高タカ一]だよ。電車は電車区に一も二もないから論外。
気動車はSL・DL配置の機関区で基本DL機関士が扱うから第一機関区が
SL・DL担当の一般的なすみわけなら当然配置DCは[一]表示になる。
DC配置がある第一機関区ばかりじゃないから、実際あとは金ツル一・金トヤ一・大ヒメ一・ぐらいかな。
長岡はDCは第一のはず。第二がDCを扱っていたとは初耳。岩見沢は第二がDL・EL担当だったが
DC配置がなかった
機関区は機関士と機関助士、運転所や運転区は車両だの車掌だの保線だの一切合財ひっくるめて
その路線だか地区だかの全部のパッケージ。管理所は線区固有のパッケージ。しかし、自走できない
雪かき車が駅配置でというおがよくわからん。貨車も駅配置だったからそれと同じなんだろうが。
救援車が機関区に配置されてたのも懐かしいね。昔は通勤用に職員をのっけたりしていたらしいが。
末期はほとんど置物になっていたような。救援しにいくどこかに出かける事故も激減したし。
救援に行くのにトレーラーやクレーン車ですむからだろう。 そういえば…
昭和50年代の半ば。福知山機関区にはソ111とスエ71 17がずっとセットで留置されてた。
ある夏休み、祖父の家の二階から「そのコンビ」が機関車に引き出されていくのを見た。
何のことはない。入換えだった。
「そのコンビ」が「動いている」ところを見たのは後にも先にもその一回だけだったw 山北機関区
丹那トンネル開通前は東海道線最大のシェルパ基地だった。 多治見機関区
車両配置は早くに(S40頃?)無くなったが、その後乗務員配置区として長く残る。
>148 S50頃の記憶では
名一 気動車配置、DC・DL乗務員
名二 EL・EC乗務員のみ
稲一 DL配置 DL乗務員
稲二 EL配置 EL乗務員(貨物のみ)
57.6改正(?)でDC・DL列車が減少、名一乗務員もECを持つ。
記憶違いだったらスマソ。 今、SL時代の庫が残ってるのはどれくらいあるんでしょうかね。 ほう。
名古屋、宮原にはまだ扇形庫が残ってるんですか。 将来の転用を考慮して蒸気時代から扇形庫じゃなく矩形庫だったんだよ
だから、かつてのC59やC62の塒を今は名古屋でキハ85等、宮原ではEF65等が使ってる >>194
矩形ですか。
矩形庫というと大宮のは良かった記憶。
あと北海道の深川機関区のも渋かったような。 所で支区は全て区名札は所属のものだったのだろうか。 深川「深」機関区留萌支区「留」
追分「追」機関区苫小牧支区「苫」
盛岡「盛」機関区荒屋新町支区「盛」
平「平」機関区高荻支区「平」
横川「横」機関区軽井沢支区「軽」
国府津「国」機関区久里浜支区「久」
豊橋「豊」機関区中部天竜支区「?」電機は興味なかったんで当時のく記録なし
富山第一「富一」機関区高岡支区「高」
>>198 感謝。規模或いは特殊性に因ったのだろうか・・・ よく話題になる南九州(鹿児島・熊本・大分局 というより鹿児島工場管轄)の砲金製区名札の中で、なぜか支区の都城の「都」の札も存在したね。
砲金製区名札は南延岡「延」、宮崎「宮」、志布志「志」、鹿児島「鹿」、出水「出」、
吉松「吉」、人吉「人」、熊本「熊」などですが、すべて本区でした。
熊本の「熊」は最初の復活時に58654が付けていた筆記体の「熊」ではなくもっとゴシックに近い字体だったっけ。
>>194
名古屋の写真は今月のF誌に載ってるね。 そういや一ノ関も矩形庫だったな(かなり改築されてるが現存) 倉敷電化までの間、姫路駅でゴハチが長時間止まってたよ。 苗穂でC623を動態復旧した後、「苗」の札を入れて整備のために小樽築港に送り出したら
「築」の札を挿して帰って来たってさ。 宮原機関区。あれの車両・乗務員部門は宮原電車区になったな。 名門機関区なんて、もう今では存在していない気がする。
東京、米原、宮原・・・ 京浜東北北行 品川→田町
旧東機の建物、最近だと3階か4階だけ電気がついてたんだよな。
他のフロアは、もぬけのから、というのも見えてメチャ寂しげな感じがした。 この板が出来てから、良く訪問させて頂いているけど、東京機関区も廃止なんか今は?
この前、新型お召し電車の公開があったけど、それまてEF5861は何処に…? >>211
東京機関区(〜S60.3)→新鶴見機関区(〜S61.11)→田端運転所(品川常駐) >>212
ありがd
新鶴見、田端。貨物の名門ではあるな。 >>217
俺の親父の年代くらいなら大名門だったろうな>沼津 富山・敦賀も忘れてはならん。大体区が二つあった機関区は名門也。高崎・長岡然り ほとんどの機関区が蒸気の頃からあるんだから、全部名門になっちゃうな。 北海道の追分機関区。
ギーゼルのD51が集中配置されていた。
動力車労組が完全に支配する機関区だった。
その動労支部が革マル派と共産党支持派によって分裂。
激しい分裂抗争で、鉄道の町も二分された。
町長選挙でも両派から候補が立った。
SL全廃直後に機関区で火災が発生。
配置されていたD51とDD51の多くを失う。
それから、衰退し続け、消滅。
動労の機関士たちの多くは、首都圏の電車区に移動。
追分機関区のD51に乗務していた動労支部書記長は
常磐線松戸電車区の103系電車の運転士へ転進した。
彼の鉄道員人生はNHKのドキュメンタリーにもなった。
>>192
現在残っている扇形庫で最大なのは梅小路になるのかな?
確かあそこ、国の重要文化財に指定されたんだよね。 >>220
> ほとんどの機関区が蒸気の頃からあるんだから、全部名門になっちゃうな。
個人的な見解はあるだろうけど、蒸気がいたから名門、っていう纏め方はどうかなぁ?
各機関区の歴史を知っている訳では無いけど、例えば常磐線の直行仕業を持っていた田端と、
入れ換えメインの品川だったら、田端は貨物の名門だよなぁ。
ってやっぱり考えちゃうよね。 >>225
田端は微妙。田端は尾久と統合して大きくなった。
田端は常磐線も担当したが、水戸や平の方が常磐線を代表する
機関区という印象がある。
田端は国鉄時代よくテレビに出た機関区だったのは確かだね。
スト突入前の中継というと、田端機関区が東京の代表として
選ばれていた。動労のスト決起集会がよく田端で開かれ、
テレビ局も取材に来て、青年部活動家のアジ演説まで全国中継していた。
やっぱり貨物用機関車が集う名門というと、岩見沢第一、五稜郭、長町、
郡山、門司という感じかな。配置機関車から見ると、田端は一段落ちる印象。 >貨物用機関車が集う名門
稲沢・吹田を忘れないで下さい。
ただ、吹田は名前が残っていますが、稲沢は車両部門が愛知機関区になり
東海道本線から撤退してしまいましたが(中央・関西線と名古屋近郊小運転を除く) >>227
> 稲沢・吹田を忘れないで下さい。
稲沢(第二)吹田はEH10が配置されてたね。
EF15の2軸増しなれど、EF66あたりよりマンモス貨物機の風格があったなぁ〜
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
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豊後森は保存されてるんだよね。
各地の古い車両をあそこに収容できないかな? >>234
門司に集めたからねえ。
津山の扇型庫では、同じように集めようとしてる。