自動車線と航路を語るスレ
>>3
仁堀航路、知ってますよ。4回程乗ってます。
当時は1日3往復「瀬戸丸」という小さなフェリーが就航していました。
どちらも駅から徒歩で10分前後とそこそこ離れていて、列車との連絡も特別考慮されている訳ではなく、
駅に着いた時間で次の列車が“連絡列車”という感じでしたね。
桟橋へはふつうの港町の民家の間の路地を案内版に従って行くと桟橋に出ました。
とても「連絡船」という風情ではなく、その辺りの島へ往復するようなフェリーという感じでした。
晩年は「安芸丸」という若干大きくなったフェリーに変わり、1日2往復に減便されました。
なお、この「安芸丸」は後に宮島航路へ転用されていますね。
何でこの仁堀航路に乗ったかといえば、一応「国鉄全線完乗」ということもしていましたから、
当然鉄道ではなくても「国鉄」である以上無視はできなかった訳ですね。
あとは、いわゆる“一筆書き”のきっぷを作るに当って、四国をうまく回るには、
この仁堀航路を必然的に入れなくてはならなかった訳ですよ。
「西鹿児島→稚内」なんていうきっぷを作った時も、この航路は外せなかったですからね。
実際に乗らなくても、そういう都合でこの仁堀航路を利用した人は多かったと思います。 >>8
「本当に何もないのかな?」とか言いながら乗るのがお約束でしたw >>9
懐かしい板でイチャモンつけたくないが,
メインは最後まで瀬戸丸で
安芸丸は瀬戸丸ドック入りのときの代走だったんじゃなかった?
>>11
御指摘の通りですね。記憶で書いていた部分もあり、不備はお詫び致します。
改めて記録を調べたりしたところ、最初に乗船したのがまだこの航路に就航していた「安芸丸」で、
その後に新造された「瀬戸丸」に変わり、廃止後に宮島航路へ転用されました。
従って、9の安芸丸と瀬戸丸の記述は全く逆でしたね。
御指摘感謝です。 名金線って乗った事ある人いる?
当時ってやっぱ酷道が多かったと思うので
安定運行が相当大変だったのでは?
今じゃJR東海バスも在来線全面撤退だし涙 上田駅〜菅平高原のJRバス、菅平にスキーに行く時、シュプール信越から朝早く降りて
シュプールバスとして使いました。帰りのバスは上田交通のいすゞBUに乗客詰め込みでした。
いまでは上電バス単独運航ですが。 >>13
酷道バスとしては福島〜船引のバスがあったな。
狭隘未舗装急勾配路をずんずん進んでいったな。
今となっては素敵な3ケタ国道にかわっているけどね。
松山高知急行線のなんごく号で松山から高知まで行ったことがあるよ。
松山駅から伊予鉄及び伊予鉄バスは駅前広場から出た通りに乗り場があったのに対して、国鉄バスだけは降りてすぐの所に乗り場があったな。
国鉄バスの駅スタンプがあるところって観光地を中心にけっこうあったよね。
DISCOBER→JAPANのスタンプ帳で細線に○がしてあったっけ。 >>3
四国ワイドで、広島にも寄ってから四国にわたった時に使いました
東京からだと経由に山陽・呉線とあり竹原/呉どちらからでもいけたようで、広島海田市間往復を別途払えば可でした
仁方は夕方呉線からおりてあまり広くない道を、案内によって適当に数分歩いたら港と言った感じ
ガラガラで、確か座敷を占領に近い状態
堀江は夜ではっきり覚えていないですが、少し民家の軒道を上がったような記憶
いずれにしろ、とてもメインの連絡船と駅とはとても思えず、不思議に思いました
赤字ローカル線の、フェリー版のような印象でした 国鉄バスっていったら十和田湖駅がかなり大きなターミナルだったね
バスも観光バスタイプだったし 漏れが鉄道の代行路線で知ってるのは郡山辺りを走ってるバス専道があるやつくらいだな。
20代の若造なもんで…。 仁堀航路を利用してた香具師けっこういたんだな
国鉄下関航路まで遡るとさすがにいないと思うが >>19
観光地のバス駅としては、国鉄時代からみどりの窓口が存在した草津温泉駅も有名。
民営化や分社を乗り越え、現在も地域の拠点として親しまれている。
本題から外れるが、北関東を走っていた東武バスにも国鉄チックなバス駅が
いくつか存在したようだ。 仁堀航路に乗船したら、やはりほとんど貸切に近い状況でしたね。
鉄道から乗り継いでいる人など全くいなかった…。
ちなみにこの時堀江まで乗った予讃本線の客レには、スハフ43が連結されていました。古びた回転クロスシートに歴史を感じました…。 ↑ 仁堀はあるけど大島は無いなぁ、なくなったのも早いし 仁堀航路といえば、時刻表には航海距離が74キロ(だったと思う)と出ていたな。
それなのに航海時間は約2時間半。
宇高航路が18キロで1時間だったからエライ快速船だと思ったもんだ。
実際の仁堀航路の航海距離は35キロ程度だったのらしいのだが、なぜ時刻表上にはそんなに長大な距離が載せてあったのかは不明。 >>29
平行してる民間航路との運賃格差是正のため、と宮脇先生の“最長片道切符の旅”に書いてたな>仁堀航路
ちなみに宇高航路は紫雲丸事件の後で下りルートが変わってるとの事 >>26-28
まあ戦後のどさくさに、山口県から押しつけられた航路だからね。>大島
カーフェリー化以降は広島局の稼ぎ頭になったけど、
1975年に大畠大橋の開通で終航。昨年、JRバスも撤退してしまった。
>>30
事故以前は、上下便が中間でクロスする、
今から見れば無謀なルートだった。>宇高 大島航路といえば、周防丸ですね。小さな船で、細長く狭い船室が特徴でした。
晩年に就航した大島丸は、冷房つきの船室で、短い乗船時間ながら快適な船旅を
楽しめましたが、個人的には、周防丸の方が好きでした。
小松港で船を降りると国鉄バスの乗り場があり、船から降りた客で満員となった
久賀方面と安下庄方面のバスが、いつも同時に発車していました。何度か、満員
で乗車出来ず、次のバスまで1時間ほど、駅前の食堂で時間を潰した事を覚えて
います。
小松港の乗船口と駅舎は、昭和51年の航路廃止後も、昭和60年頃まではそのまま
残っていて、当時の名残を留めてましたが、今では営業所も撤去されて、当時の
賑わい振りを偲ぶ事が出来なくなりました・・・
ちなみに、終航は1976年ですね。 >>25
たしかにガラガラ。
たった一度だけなので、何ともいえないですが、連絡線のイメージには遠いです。
四国の目的の一つが私もスハフ43。
しかし、当時はほとんど高松−琴平/川之江(か豊浜)の限定運用で、しかも朝の上り/夕方下りだけ(途中併結)
冬では朝は暗いし夕方も暗く、撮影には厳しい条件ばかり。
車内は向かい合わせの固定でした。
やっぱり航路に思い入れが多い人が多いのかな?
俺はJR化以後だけど、JRバス一般路線の乗り潰しをやってた。
1日0.5往復しかない路線、現地で泊まらないと乗れない路線などいろいろあったと思いますが、
苦労の思い出があるのってどこだろう。
・温水プール前(歩いてもたいした距離ではないけど)
・わらびが丘(冬に片道タクシーを飛ばしました…)
・ハイジ牧場(意地でも中には入らず、猛暑の中数時間…)
・千平経由(一泊)
・浅内(岩泉線に乗り換えた)
・1日で全部乗れない?久慈市内(久慈海岸線もいい!)
割と俺は東北・北海道の思い出が多いです。
国鉄バスの乗りつぶしとは初耳ながら恐れ入りました…
民間バスの回数券を収集しようとして挫折しました。 時刻表にない路線あったしなー。
それに休日休校日運休なんていう朝の便のると
スクールバスに紛れ込んだ感じで恥ずかしかった
スクール便で最後までよくわからなかったのが、小浜から海岸2方向へいくやつだったなあ。
今でもあるの? >>35
もう更新が止まってしまいましたが、昭和30年代から平成まで、全国の国鉄バスの営業所や車両
の写真を紹介していたブログがありました。
乗り潰しとは違いますが、今から50年ほど前に"撮り潰し"をしていた人が居たとは、非常な驚き
でした。 >>37
私も昭和52年頃に乗車した記憶があります。たぶん小浜の営業所の路線だったのでしょう。世組見だか食見だかの
半島のあたりのバス停から上中方向だったような気がします。 似たような路線で
広尾線大樹駅からのローカル路線乗りました。
駅前に国鉄バスを見て思わずおりてしまい・・・
その後の予定がgdgdに・・・
>>16
去年、「四国再発見切符」で落出までいったら、久万は全く面影がないけど、
落出には、当時混みあったであろう、男性小用のやたら巨大な壁に放出する、
トイレがあったよ。
>>40
浜大樹と旭浜でつな。
昭和40年頃の時刻表には、北海道の池田駅周辺とか、妙な所に国鉄バスが
走っていた。漏れは厚岸=標茶位しか乗ってないけど。
漏れも厚岸−標茶は乗ったよ。
個人的には、国鉄明知線を乗りつぶしたときに、明知駅でバス
の時間を見たら、ちょうど柿野温泉、瀬戸記念橋経由名古屋駅
行きのいい時間のがあったので、名古屋駅まで乗り倒したこと
を思い出した。これが漏れの純粋な一般路線の国鉄バスの乗り
換えなしの長時間直通運転の最長体験でした。名金線は残念な
がら名鉄バスの方でしか乗ったことがなかったです。
高知−松山のなんごく号や青森−十和田湖のみずうみ号も乗っ
たことがあるが、高速バスや観光バスみたいで一般路線とは少
し違う感じでしたね。
国鉄バスを途中経路とするマニアックな片道乗車券で乗ったときの
係員の反応というのが結構面白かったりした。
昔の福島駅はバス乗り場に小さな「改札口」があり,俺の見せた切符に
「うわーすごい」!と一言
出札の同僚を呼んでワイワイ騒いでいたら
なんだなんだ?と運転士さんや車掌さんも合流・・・・ ひゅいーん
ひゅいーん
こくてつばすこまがね から
こくてつばすとうきょう23 どうぞ
こくてつばすこまがね から
こくてつばすとうきょう23 どうぞ
ひゅいーん
ひゅいーん おかてつおかやまから
おかてつ13へ、
とか、だったかな?コールサイン忘れた。ホーバークラフトの宇高急行便。
乗り心地は、波頭を蹴立てる感じがクルマで舗装がくたびれた
継ぎ目のある高速道路の橋を渡っているふう。
マルス券と硬券は持っている。宇野の岸壁で売っていた
当日券を買わなかったことを今でも悔やんでいる。 >>45
そうそう。ホーバーの宇高急行便、普通の連絡船は上下で通るルートが
違う島の間を通るんだけれど、ホーバーはそれとも違っていた気がして
はじめて乗ったときはびっくりしたなぁ。
でも、確かにスピードは速いんだけれど、宇野も高松も結局、出発が遅
いだけで接続列車は同じというダイヤが多かった気がするなぁ。 国鉄ハイウェイバス東名高速線(東→名)、たぶん生まれて初めて乗った高速バスだが、若者(こっちもそのその一人だったが)が
多く、自分にとっては雰囲気が悪かった。高速バスが一発で嫌になったもんだった。しかし当時のハイウェイバスは国鉄専用形式らしく、
すさまじくパワフルで感心した。途中のバス停では立ち客も出た。
ローカル路線では奈良〜信楽なんて乗ったがこれは鉄道計画がもともとあったルートのようだ。 広浜線を乗り通した。もうJRになっていただろうか。切符は硬券だった。
別ルートを並行する民間バスがあることを知らなかった。
あとで時刻表を見たら、そちらより1時間余計にかかっていた。
その後のこの路線については変遷があるかと思うが詳しくはわからない。 均一(ワイド)周遊券の記載事項の「雲芸南線」というのいつも気になっていた。
国鉄バスの路線名というのも聞き慣れてないものは新鮮に感じましたね。 京都は高雄方面に行くバスがあるね。
あれが近畿で最後まで残るJRバスなのだろう。 どうせなら高尾まで路線バスとして走らせて欲しいな。 宮島航路宮島駅には硬券入場券があったなあ
買ったのは「連絡船内に立ち入ることはできません。」って書いてあったけど
いろいろ変遷があったみたい
国鉄バスの運転士(〜後管理職)のOBの人で知り合いいる。
小倉→大島→東京と異動したそうだ。
なんでも東名の運転士は「エリート」だったそうで。
>>55
91年に買った硬券乗車券持ってるわ>宮島駅 >>48
JRバス関東が静岡・愛知に重点的に独自路線を作り、
JR東海バスが京王や山梨交通とかと組んで首都圏進出を
はかるようになるとは考えも付かなかった。
そのうち、中央ライナーはJR東海バス&京王連合によって解消し、
JRバス関東は名鉄や東濃鉄道と組んで独自路線を作るんじゃないかと
予想してる。 NHマルスから吐き出されたドリーム号の券には「1号車」と書かれていた。
なんの意味が?と思ってたが、それは八重洲口に4台連ねてやってきた。
前席の女の子たちは、ホワイトソックスの足を2本とも天井に向け
逆L字の姿勢で寝ていた。狭い座席への対抗策だったのだろう。
屋根の両サイドの無意味なジェットエンジン風の装飾も懐かしい。 昔、瀬戸記念橋を中心に岡多線のバスがネットワークを保っていた頃。
刈谷駅から瀬戸へ行く系統があったのよ。自分が知ったときは一日一往復。
通っている小学校の南に面した道路に国鉄バスのバス停があることは知っていたんだけど、バスを見たことが無かったのね。
バス停まで寄り道して時刻を調べたら、午前10時代の瀬戸行き一本しか記載されてなかった。
運よく窓際の席になった折に窓の外を眺め続けてその1本を遂に確認できた。
乗りたかったが、帰ってこれないでしょw
その後すぐにバス停は無くなってしまった。 漏れも、瀬戸記念橋駅はよく利用したよ。多治見→瀬戸と乗ったり、
瀬戸→森林公園→大曽根と乗ったりしたな。
クルマの免許を取って、自分で運転するようになって、多治見方向か
ら国道を走ってくるとそのまま瀬戸記念橋駅に突っ込んでいきそうに
なったことがあった。今は瀬戸記念橋駅がなくなって交差点が改良さ
れてしまったね。 能登半島にガイド付きの路線バスが運転されてたことがあったけど、あのバスガイドさんも国鉄職員だったのかな?
自分が乗った時のガイドさんはめちゃ可愛いかったよ。 >>50
三次=出雲市の路線。乗った事があるが、整理券番号が100番まであった。 >>63
能登半島尖端周遊してたとき、国鉄バスがツーマンでした。
昔の映画に出てくるような美人の車掌さん!
びっくりした。
昭和52年ごろ。 昔JAF見たいのがなくて、東名高速上で祖父の車が故障し、どこかで乗り捨て、東名バス経由、東名横浜バスストップ経由で家に帰ってきたことがあった。
車は後日ピックアップしたとのことだが。 >>66
東名、名神、津山までの中国道の高速バスは、各停留所に止まって
くれるからできる話ですよね。
最近の高速バスはクローズドアで乗降ゾーンが決まっているから、
途中では乗せてもらえないですよね。やはり、汽車の伝統というこ
とですね。 地元住民の利便をはかるために、
クローズドアが緩和された例もある。草津行きの上州湯めぐり号とか。
予約不可だが途中利用が可能。公式サイトと時刻表には記載なし。
房総なのはなも館山市ほかが途中利用を要望してるらしい。
高速バスで国鉄(〜JR)でなく
しかも予約までできる非クローズドアといえば
東北急行バスだな。
昔からあるせいか東京駅〜新越谷駅でも利用できる。
>>60
刈谷といえば昔、国鉄バスで
刈谷駅〜刈谷駅南口〜安城駅
と言う面白い路線があったよ 仙台駅前で買った、国鉄自動車線急行券50円って硬券持ってる。 漏れは、龍泉洞→盛岡の国鉄バスで急行料金を払った記憶がある。 3連休で実家に帰った時に宝箱wを覗いたら羊蹄丸2便発行の白樺号
の補充券がにあった
連絡船といえば戦時中に出来て運航時刻が秘密扱い(関門と瀬戸内海航路以外は
省略)だった、博多‐釜山間の時刻をご存知の方教えてください。
徳寿丸クラスが使用されたらしいが-----。 >>74
JTB復刻時刻表シリーズにあったような。
>>75
その時刻表に「時刻ハ省略」とあったのさ。
昔は首都圏だけでも国鉄バスは色々路線があったね、
佐原駅→土浦駅
土浦駅→下妻→古河駅
茂木駅→烏山駅
烏山駅→常陸大子駅
一様これが私の乗った乗り換え無しの経路
信州ワイド範囲の国鉄バス結構乗ったな。
国鉄駅に接続しない浅間温泉〜美ヶ原高原という不思議な路線もあった。
茂木に祖母の実家があったので、ディーゼル時代の準急「つくばね」(下館で水戸方面から来た列車と併結)や、
宇都宮から国鉄バスで茂木まで乗ったことがある。ただ、この頃の路線はその先、水戸まで走っていたような
記憶があるんだが…。
周遊券を使って旅を始めるようになってから全国の国鉄バス路線も結構乗ったが、
初めて山陰に行った時は広島駅から浜田駅行きの半夜行のバスで入った。
もちろん、山陰均一周遊券の経路だったからだが、確か浜田駅に3時過ぎに到着したと思う。
満席で出発し、深夜の大朝で大勢降りていったのに驚いた。 5年前、岡山の両備線(岡山駅前ー倉敷駅前)と茶屋町線(倉敷駅前ー茶屋町駅前)が
廃止になる時、ビデオを撮りまくった。
切符も唯一の硬券の往復券と柔券の補充券で倉敷駅前、茶屋町経由植松があったので
買っておいた。
バスは以前は切符のみ集めていたが、バス全般に目覚めたのはその時。 国鉄バスの宣伝映画に「名金線」が出てきて、「こきりこ節」がバックに
流れていたのがあったな。モノクロだったが。バスはボンネット形だと
記憶するが:--
白棚線に磐城棚倉から乗った。
南湖公園でちょっとワケアリの女と待ち合わせしていた。
何を思ったか間違えて南湖病院前で下車してしまった。
次のバスは1時間くらいなくて,しょうがないから歩こうと
一緒に下車した人に道順を聞いてみたら
訪問先まで一緒に連れて行ってもらって
そこで車を出してもらって送ってもらった。
親切な人たちだった。
国鉄バスの「駅」って、今も現役のところどれくらいあるのでしょうか。
ご存知のかたいらっしゃいましたら、ご教示下さい。 >>83
九州の出補は、事由が1から4まである奴(いわゆる新在往復対応)で、裏面の「特定都区市内」の注意書きの「福岡市内」に含まれない駅に九大学研都市駅が入ってる奴なんだが、表の「再掲」欄は「自動車運賃」と「連社運賃計」が印刷されてました。
ちなみに19年7月31日竜田口駅発行です >>85
(自)高松の様に移転して現在も高速専門で営業(発券)しているところもあれば、
閉鎖して放置プレイ。跡地はまったく活用されていないところも。
(自)札幌、(自)新札幌は継続しているが、元の場所から移動しているし、
様似は本来(自)駅じゃないから。
北海道の場合、JHB移行後、常備乗車券は1駅3口座だけ残った。
これも何時まで残るか?らしい。5年前の話だけどね。
えりも対応は(自)様似駅発行、日赤(東町)対応はJHB様似発行
日赤対応券は一度返納して、需要があるため復活させた経緯がある。
そのため、(自)発行ではなく、JHB発行券となった。
東京スカイツリーの立地は最強だ!
★東武伊勢崎線 押上駅 直結
★都営浅草線 押上駅 直結
★東京メトロ半蔵門線 押上駅 直結
★京成押上線 押上駅 直結
★東武伊勢崎線 業平橋駅 直結
上記「5路線が集結する」スーパークロスジャンクションの真上にそびえ建つ。
この立地の素晴らしさは、新宿駅や池袋駅に直結する百貨店に匹敵する。
今の東京タワーよりもはるかに立地は良い。
古くからの江戸市街地にもごく至近だ。
国際観光都市、浅草からもわすか1km!徒歩15分以内で散歩がてらで行ける。
★東武伊勢崎線 浅草駅 徒歩
★東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩
★都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩
こんなスーパー凄い立地に建てられるのに、なぜか辺鄙なところだと思われているのが不思議だ。
★JR総武快速線錦糸町駅 徒歩
★JR総武緩行線錦糸町駅 徒歩
★東京メトロ半蔵門線錦糸町駅 徒歩
半蔵門線で錦糸町からも一駅。歩いても1.4km徒歩20分だ。
三越前や大手町・渋谷からも乗り換えなし!
都営浅草線なら日本橋や東京駅(宝町)や銀座や新橋や浜松町(大門)からも
一本で行ける。
想像を絶する観光名所になるのは間違いない。
先日、十数年ぶりに大畠を通りました。大島航路の当時の待合室の建物が残っているのが車窓から見え、嬉しく懐かしくなりました。 稚泊航路
関釜航路
国鉄時代は営業休止中(1985年に確認)だったけど
JRになってからはどうなったのかなあ? >稚泊航路
あれの宗谷って、砕氷船ではあるけれど、南極観測船とは別物なんですね。
鉄博には亜庭丸(と関釜航路の金剛丸)の模型がたいした説明もなく
置いてありました。 とりあえずageついでに
最近、高速バスを含めてもJRバスに乗ってないなぁ。 南極行きに、宗谷丸と宗谷どっちを使おうかって検討で、宗谷丸の方がベターだったんだけど
諸事情で砕氷能力の弱い宗谷を使わざるを得なかったらしい >>16
いすゞの小型バス時代に乗ったっちゅう猛者、おられんかのう・・・ >>91
「営業休止中」だったのは
関釜航路と博釜航路じゃなかった?
稚泊航路はなかったと思うけど。
(種村直樹著「鈍行列車の旅」の巻末資料より)
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
宮島航路が切り離されてしまって国鉄〜JRからついに航路が無くなり寂しいですね。みせん丸、みやじま丸たちは元気でしょうか。
しかし18切符で乗れる私鉄(?)初のケース。 すると株が完全に放出されていない社は3セク?自治体の資本はないしな。
地形図の凡例には「旅客鉄道」とか書いてあったような。
それだけではスレ違いなので…ガキの頃、小さな全国地図で
会社線、として小豆島に線が引いてあったので
すわ、鉄道か?!とヌカ喜びしたのも懐かしい。 旧仁堀航路に使用されていた船舶は何隻ぐらいあったのだろう? >>105
せっかくなのでヰキペデア見てみました…
・長水丸(元関門)1946〜1951年
・水島丸(元宇高)1947〜1953年
・映海丸(元旧海軍砲艇型強力曳船)1946〜1948年(殆ど実用されず?)
・五十鈴丸(元旧海軍魚雷運搬船→大島航路)1951〜1964年
・安芸丸(元大島航路の大島丸)1964〜1975年
・瀬戸丸(唯一の新造船)1975〜1982年航路廃止まで…
船には詳しくないけど、ドック入りに備えた予備の船ってなくて
平気だったのですかね?その間休航?それとも他の航路から借用? 追伸、痛ちがいですが…
呉の阿賀港と、堀江港を結ぶ呉・松山フェリーが
6月いっぱいで廃止になるとか。一説にETC割引が決定的打撃と… >>106
他の航路からの借用です。広島地区の3航路には、共通的な予備船として山陽丸という船がいて、普段は大島航路や
宮島航路を中心に使用されていましたが、この船が仁堀航路にも入っっていたと思います。
大島航路で何度かこの船に乗りましたが、客室部分の窓が大きくて、明るい印象のある船でした。
終航は昭和50年代前半(先代の宮島丸・弥山丸が就航したころ)ですので、その後は、大島丸から改名した安芸丸(国鉄
分割民営化直前まで残っていた方)が予備船的な使用をされたと聞いた事があります。 >>108 どうも。
今は一人ぼっちになってしまった宮島航路ですが
3隻あれば予備船の心配はありませんね…
20年くらい前、宮島口の桟橋に通行止の道路標識があって
その下に「この先海」と書いてあったwのも懐かしい…
面白いので写真を撮らねばと去年行ったらどこにも無かった >>107
呉市が新ターミナル作ったのに、すぐ廃止とな…
安芸あが駅から旧ターミナルまでは二枚立て札があるが、
普通の漁港の路地で道が合ってるか不安になるんだよな。
堀江側も似たようなもんだがこっちはわかりやすい。
予讃線が行ってしまっても市内直行の伊予鉄バスが出てるから待ちぼうけはないし。 近江八幡ー三雲ー亀山
京都ー鶴ケ岡 周山ー上黒田・井戸
園部ー福知山 そんなに利用率悪くなかったのだが、東京〜神戸線のドリーム号は
名神路線の神戸撤退と共に姿消したね。確か神戸駅前にバス駐車場が
あったはずなのだが。 鉄道の営業キロだけじゃなくて航路・自動車の営業キロを含めた
国鉄線の営業キロが最長になったのはいつなんだろうか? >>69
>しかも予約までできる非クローズドアといえば
>東北急行バスだな。
小田急箱根高速バスも非クローズで、
高速を降りた後の一般道区間ですら相互乗車できるよ
これも昭和40年代からの路線だね
>>115
実態のない(放置プレイ)キロがあるから、簡単には算出不能。
関釜・博釜の様に戦後運航が無くなっても、いわゆる戸籍だけあった状態。
自動車線なんて、もう管理がいい加減だったので現物と路線が一致していない区間多数。
社線との共同運行の高速線(東名・名神・中国・福知山を除く)を含めると、もうワケワカラン状態に陥る。 >>118
/(^o^)\ナンテコッタイ
実態は無理だから戸籍上は(ryで調べてみるか… JRバスで最初の鉄道線との通算乗車券を組めない高速路線は
新宿〜上諏訪間だったような気がする。民間バス会社含めて数社運行。
時刻表本文には「JRバス」の表記がありながら,索引地図は
民間バス扱いだった。 烏山〜茂木の途中の乗り継ぎが同時着発だったが待っててくれた
とのアヤシい伝聞… >>115
「国鉄またはJR」としたら意外と「現在」というのが正解だったりして。
計算のルールによって変わってくる気がする。たとえば
新幹線と並行在来線(他社分離されていない物)は別カウントか?
クローズドアの高速バス路線は全て別路線としてカウントするか?
特に後者をYESで計算すると自動車線の距離がインフレになりそう。 >>78
大型時刻表の周遊券の御案内で、信州ワイドだけ白抜きの線がやたら目立っていたのを今でも覚えています。 亀スマソ
>>117
神戸系統は70年代後半に一旦無くなっている。
その後、81年のポートピアの際に臨時運行された後、高速バスブームの最中の89年になって復活。
(因みに、ドリーム号で初めての独立3列車使用路線)
>>118
バスの場合、少し前は運行しなくなった路線を免許維持の為に休止するのは極当たり前で、
民営化直前の話では、札樽線の高速バスが休止免許の8年振りの復活だったり、広島〜津和野線の
岩国までの免許が瀬戸内西線の11年前に休止した区間(R2)で、新規免許区間が無かったとか、
その手のゾンビみたいな話は官民問わず良くある事だった。
(最近は路線撤退時は速やかに廃止するように指導されるらしい)
>>123
バスの場合はそこまで考えなくても、各社の免許キロを合算するだけでそんな気が。
(夜行高速バスに参入した会社の営業キロの推移を見ると、突然2倍以上に増えたりとか、そんな例が良くある)
あと国鉄時代との比較の場合、各社の免許キロを単純に合算するだけだと2社以上重複する区間の処理(5社で免許がダブる東名等)
が問題かも。 >125
ドリームとよた号が省営バス1号路線の岡多線免許を使ってますしね。 >>77 土浦⇔佐原間には急行があって、追い抜き退避があった。
鉄道の信号所っていうのが周辺に何もないところによくあったが、
このバスの追い抜きも停留所でも何でもないところで速度を落とし停車してて
急行バスがクラクションならして車掌が振り向きざま窓から挙手して、追い抜いていった。
車掌から、急行バス追い抜きのため停車する旨、発車する旨、案内があったかどうかは
覚えていない。
土浦⇔佐原は、急行は江戸崎を経由しないが、普通バスは江戸崎経由と江戸崎経由しないのがあったと思う。
わしらのエリアからは一般路線完全撤退だからなぁ。
かつては駅も結構あって硬券売ってたし、みどりの
窓口設置駅もあったくらい力の入ったエリアだったのに。 >>130
129じゃないけど、草津=亀草本線・・・・のイメージが。一般的には草津温泉だとは思うけど。
亀草本線、近城本線とその支線群は比較的路線規模が大きかったので業務委託(簡易委託)もそれなりにあった。
簡易委託で一番謎なのはあの「マクドナルド」にも国鉄委託券を置いていた。(但し回数券のみ)、一般商店なら兎も角、「マクドナルド」で乗車券はありえんと思った。
これが今じゃ全滅。本線区間ですら、代替バスも消滅したところが多数存在。
JR倒壊の様に高速を除く一般路線は名義上だけ残っている社も。(一般路線全廃)
>>131
国鉄〜JRバスに限らず地方の路線バスはひどいからなぁ。
30年前は日中30分毎に運転していたところも
いまは廃止なんてある。 ふと思ったのだが、国鉄バスを体系的にまとめた本って、出てないですね。
JTBあたりで出ないかなぁと・・・ 宇高連絡船のライバルだった宇高国道フェリーも四国フェリーも
消えていく時代なんだね。寂しいな。 日本国有鉄道自動車局刊日本国有鉄道自動車10年史 20年史 30年史 などというものがある。
30年史というものを2年ほど前に手に入れた。
ググるかヤフるかアマゾればきっと出てくる。 >>136
出てくる場所によっては、諭吉1枚ではぜ〜んぜん足りない。(高杉)
最近では、白棚線50周年記念誌(JR関東)が出たけど、このレベルで全国網羅している書籍となると・・・
ないんだよなぁ。
>>136
137氏も触れられてますが、値段が高いなのが難点ですね。
まあ、それ程専門的な内容では無くとも、手頃に買える本があればなぁと思います。 NHKみんなの歌 (ガードマン)
(左の歌詞の一番最後から続く)
憶えていますか?あの日を もし魔法をかけられたら
ふと感じた 哀れみを くだらないこの人生を
止めてしまいたい
赤い日差し浴びて シヌノ コワィーイーヨー
棒を振る君に見とれてると
目が合って 目線そらした いつまでも棒振ってる日々
それはガードマン ここで たしかに
立っていた証
むなしくも 回りだした日々 ずっとガ〜ドマン
いつも いつでも この先も続いてく道(試練)がある。
金がなさそうな 次の坂を 登ったら
それはガ〜ドマン また合いましょう
怠惰の日々を 重ねたら
いつの間にか こんなに
落ちてたのね
憶えてますか? あの夜
初めて怒鳴られた あの罵声を
雨降る 国道で
見渡す空 雷で
心震えた
それは ガ〜ドマン
辛すぎて泣きたくなる日々
めぐり めぐって
現任が来る
また ガ〜ドマン
やるせなさ 色あせず息づいて
胸に染みて いるから
忘れられない
>>2
開拓の村までのボンネットバスの車掌を臨時で1週間ほどやったことがありますが
周遊券では、なぜか森林公園駅から開拓の村までは乗れなかったのですが、別に自分が
損するわけでもないのでそのまま乗せてましたが、運転手に「ちゃんと金とれ」と怒られた記憶がw
しかし、未だになぜあの区間が周遊券の域外だったのか謎です >>8
様似自動車営業所ですね
そこで若い頃車掌をやってた運転手さんの話ですが
まだ新人の頃は、バス停の名前をそらで覚えるのに必死で、終点についたらまだバス停が
3つくらい自分の中では残っていた、なんてことはよくあったそうですが、お客さんはちゃんと
わかっていて、どんどん自分の降りるバス停で降りていったとか
あと、えりもの宿泊所に泊まりになると、3組6人くらいが一緒になって、やはり酒盛りになって
先輩たちに飲まされてへろへろになりながら1番バスの車掌やって、案内もろくにできなくて
車内清掃用のちりとりにリバースしながら乗務したとか
・・・昭和のよき時代の話ですが >>34
ハイジ牧場、懐かしいですね
長沼自動車営業所が管轄でしたが、あそこにはトップドアのバスがあって、なんと定員70名w
幼稚園の貸し切りでは、100名近い園児を乗せていましたね
私も、一度路貸し車掌で幼稚園の遠足で行きましたが、待機中に長沼の路線バスがやってきて
知り合いの運転手さんとお話してた思いでがありますね >>48
JR化後ですが、恵庭自動車営業所にあった547−901と902(だったかな?)の2台の
同形式のトップドアの貸切車の車検証を見たら、最初の配置が東京自動車営業所でした
おそらく貸切営業用だったのでしょうが、東名高速の続行便くらいには使われていたのだろうと
想像しておりました
東京のあと、仙台(だったと思う)から北海道に移動して民営化、そして末期はモジャ君塗装になって
JR北海道の社会人野球チーム(昔の札鉄局)用のバスになって廃車になったと・・・
最後尾の座席が5人掛けではなく、4人掛けでした 豊浦〜相川心霊教院
豊浦の生き神様と呼ばれた、通称相川さんの参拝客向けで、
たしか変な日に運休日もあったはず。
一地方のマイナーな宗教施設にいく国鉄バス路線って、稀有でないのかな。 土浦近郊、山の荘線の終点の ゆうもあ村 。インパクトあったなあ。
子供の頃、時刻表の地図を眺める度、どんなところだろうと空想してた。
ちょっと前、廃墟で有名になった。行かなくて良かったと思った。 九州にこどもの国みたいな名前の停留所ありませんでしたか? JRになって分社化されてから、一般路線は殆ど切り捨てられてしまった。
昔の国鉄バスは鉄道の代用という感じが強かったけど、
今のJRバスは完全に高速バスのイメージになってしまってるからな。 名金線には本当に一度乗って見たかった。
昔見た国鉄バスのPR映画(モノクロ)に名金線が出て来て、ボンネット型バスが
左右にカーブを切りながら山道を走って行くバックに「こきりこ節」が流れて
居た。
後年北陸の親戚が白川村迄車で連れて行って呉れたが、萩町バス停の時刻表が
福光、高岡方面行き一日3-4本で不便だなと。
>>106
オソレスだけれど、仁堀航路の「玉川丸」145トンの写真が、「日本の鉄道」(昭和27年
ピクトリアルの鉄道記念刊行会発行)に出ている。同じ本に宮島航路の「弥山丸」
176トンも出ているが、これには大学時代に乗船した。蒸気機関のレシプロ船で
ストンストンの震動が面白かった。 >>150
つ ようつべ 「桜に情熱を燃やしたバスの車掌の物語」 周遊券でよく国鉄の駅を結ぶ国鉄バス路線を乗ったけれど裏道を行くといった
感じで好きだった。
日肥線(杉安−湯前)、直方線(直方−博多)、名金線(福光−金沢)、船福線(船引
−福島)、古川線(一ノ関−仙台)、遠野本線(陸前高田−遠野)、?線(久慈−沼宮内
特急白樺号)、日勝高原線(十勝清水−日高町)、日勝線(様似−広尾)等に乗ったっけ。 呉線に乗り遅れて広島→呉間国バスに乗ったり、松山→佐川(南国号)など
俺の乗ったバスから後が不通(台風の余波)の間一髪セーフだったり。
最初からトイレ付きだったから、名神高速の大阪−名古屋を度々利用したけれど、
特急便でも途中で休憩があって、ドライヴインでうどんの立ち食いとか、鉄道
とは変わった風情があった。 南国号乗りそこなった。高速道路が無いときは一般道だったのか。
広島−浜田(広浜線)の一般道を走る夜行便はかなり前のことだが、凄すぎ。 >>152
>>153
その車掌さんを記念した「さくら道ネイチャーラン」という
超長距離マラソン大会が、今年も開かれるよ。
ttp://shirotori.gujo.to/sakurainr/HP/sakurainr1.htm >>156
東北急行バスなんて 東北自動車道がある前から東京から仙台山形などに
長距離バスだしていたけどね。
長距離一般道バスなら国鉄バスの北四国急行線もすごかったね。 >>159
あったねえ。俺の実家、浅草だったけれど松屋(東武浅草駅)のところに
停留所あった。何時なくなったのかな。
夜行じゃないが、新橋−日立という一般道(国道6号)を行くバスもあったね。
>>160
時刻表に「黒磯駅」「白河駅」の掲載があった時代は一般道経由だったのだろう。
おれがはじめて利用したとき(昭和58年4月)にはすでに
東京駅 上野駅 新越谷駅〜高速〜須賀川 郡山駅・・・だったな。
高速を須賀川でおりて郡山までは一般道,そこで下車したからその後はわからない。 >>161
そうだよな。東北道が開通してからも運行してた。
>>148
JR東海バスなんか国鉄バスの発祥の地である路線を
有していたにも関わらず一般路線は全廃されて
乗合バスは高速バスのみになってしまったからな。
国鉄バス本来の役割は完全に失われてしまったよな。
国鉄バスは赤字でも補助金を受けられなかったのが
一般路線の大幅な縮小につながったんだっけ?
以前岡崎の営業所にあった国鉄バス発祥の記念碑はまだ残ってるんかな?
開業時のバスは里帰りしてきたが TGE6気筒車か。
あれは大変に貴重だ
円太郎バスは東京に置かれるべきだし
TGEは岡多線に近い名古屋にあって然るべきだろうな
てっぱくは交通博物館の重要な自動車を多数引き継いでしまい込んでるんだから、
守備範囲外と考えて展示しないより、
トヨタ博物館や、小松市の日本自動車博物館あたりに、然るべき手順を踏んで引き継ぐのがスジだと思う どうでもいいけど
なんで岡崎が国鉄バス発祥の地になったんだろう? バスは、まだ残っている線も存在するから、
興味が生じるなら乗りに行かれることをオススメ。
僕が最近のJRバス一般路線で印象に残っているのは山口県。
「特急はぎ号」など、現代に残る「国道急行系の国鉄自動車」で、
「周遊券きっぷでご乗車の方は・・・」とアナウンスが流れる。
「秋吉線」を山口から美祢まで乗り通したときは、
降車のとき、思わず運転手に、「いい線ですっねぇ〜」と、つぶやいてしまった。 >>132
えてして幹線系統が廃止になっていて
とんでもない山奥にいく路線は細々と残っている。
福島〜川俣高校前はかつては頻繁運転していた路線が
JRも福島交通も廃止になっている。
でも月館経由川俣なんていう山奥迂回路線はもともと本数は少ないけど
そのまましぶとく生き残っている ちなみにJRバスの乗りつぶしをやっていますが、
さっそく、「JR九州バス一般路線完乗」のタイトル剥奪となりました。
高校の出入りのバスルートが変更になっただけで。 >>169
どうせそのうちその路線自体からJRが撤退するからまた「完乗」タイトル
復活するよwww ちなみに、僕の「JR九州バス一般路線完乗日」は、2010年12月25日です。
マニアには分かりますね。「路線廃止に伴う自然完乗」だと。 >>133,136-138
1年以上前の書き込みに、亀レス。
自分は、鉄道ジャーナルNo.208(1984年6月号)にだいぶ助けられている。
特集のうちの1つが「国鉄バス1984」で国鉄自動車局と鈴木文彦氏が
30ページ余りに当時の全容と路線図、乗車ルポ(東名高速線/防長本線/日肥本線)
をまとめている。路線図は全国版を見開きで載せているので、線名は本線しか
載っていないが、枝線も細線で丹念に描かれており、茅野駅から出ていた
「国鉄トラック」ももれなく載っている。
これなら諭吉1枚でも足りるのでは? 最近京都でJRバスに乗った
未だに床が板張りだった 吹田と八尾を結んでいたのがあったなあ。
水色のバス停標識が懐かしい。 その岡崎、いや、愛知県からJRバスの一般路線が消えて久しい。 北海道で乗った。JR北海道フリーパスで乗れるのは嬉しい。 国鉄バスの停留所というと、民営化でJRバスのシールが貼られた黄色のポールを連想
するのだが、あれが使われた時期っていつ頃からなんだろう? 連投スマソ
シールの貼られた黄色のポール
↓これに出てくる奴
ttp://blogs.yahoo.co.jp/pkr351231j/29944369.html 地元の営業所は一時期、配置車両がオールいすゞの時期があった。6形は
富士、5形以下は帝国ボディで揃えられてた。富士3Eの冷房が新配され
た頃、帝国で見慣れた自分にとって、ライトの台座が出っ張った3Eを初
めて見た時、ものすごい違和感があった。ただ今ではそのいすゞ‐3E(サブ冷)が
一番好きな車両だな。
うちの田舎の営業所だと、20両弱の配置車で、一般乗合用の形式は、ふそうMR470とBU10に
統一されているのに、ボディは富士重・三菱・帝国・日野が混在し、中扉ツーマンと前扉のみの
ツーマン、さらには観光格下げ車まで在籍していて、何に乗れるか楽しみでしたね。
ワンマン化された際に、BA05NとMK116に統一されてしまい、何の面白味も無くなってしまい
ましたが・・・ 京都駅の窓口で「京都駅から福王子ゆき(自動車線経由)」と書かれた硬券を買い、おばさん車掌乗務の国鉄バスに乗ったのは良い思い出。 >>185
JRでもしばらくあったな。>硬券
ちなみに名神高速線・京都深草ゆき矢印券の方が安かった。 福王子!!懐かしいなあ
今でも一条通り経由の路線バスって残ってるんだろうか 名古屋駅の薄暗いバスターミナルからハイウェイバスに混じって瀬戸方面へのバスが走っていたんだよなあ。 東京駅のハイウェイバスきっぷうりばで大型の乗車券箱にズラリ並んだ硬券は壮観だったな
駅の窓口で周遊券がマルス発券に切り替わった後も
かなり遅くまで常備券が残っていたのでわざわざ買いに行ったりした
>>181
>国鉄バスの停留所というと、民営化でJRバスのシールが貼られた黄色のポールを連想するのだが、
黄色いポールは関東局だけなんでは?写真で見たかぎりだが、九州は3色、
中国・四国は白地に青の縁取り、北海道は白地に左向きのツバメと部局によって、
ポールのカラーが違ってたと思う。 BRTが本格開業したけど、これって「JR直営の自動車線の復活」
って考えていいのかな? >>192
運行はミヤコーバスに委託だから、何とも…
やっぱり代行輸送の範囲では? >>193
でも旅客営業規則の17条は復活しているし・・・
国鉄の貨物自動車線は日通かどこかに委託していたらしいね。 そういえば、東名江田→東名向ヶ丘の切符とかってどこで買えるの? 昔、東京ミニ周遊券で在来線を乗り継いで上京中に、東名高速バスの東京→沼津のハイウェイバスがあることを思い出して途中下車したら、上りの沼津→東京は設定されておらず、沼津ICまで富士急バスの運賃を払って乗り継いだのを思い出した。
片道しか設定されていない路線があると初めて気づかされ、いい勉強になったよ。 JR曰く、びゅうプラザでjrバスの乗車券を買うときは210円手数料を取られるらしい。 鉄道連絡船の話題は段々忘却の彼方へ。
そこで一席、拙者は青函連絡船の洞爺丸に乗船の経験があってな、
昭和29年の春先だよ。
その後台風15号で沈んでしまうとは夢にも思わなかった。
ボーイさんが「ぼっちゃま」なんて呼んでこそばゆかった記憶が。
台風15号が近付いていた時、
北海道各地には生温かい強風がずっと吹いていて、
本州出張で洞爺丸に乗る予定の父親達もいて、
母親達は翌朝に無事が確認されるまでまんじりともせず夜を過ごしたんだって。 上大岡から大阪までのJRバスの切符って、どこで買えますか?
上大岡にはJRの駅はありません。 >>202
岩幌駅から列車に乗って函館まできたんだろ。
そしてドサクサにまぎれて大間に上陸し女郎を買ったんだよな。 >>206
あれで沈んだのは層雲丸だ。間違っても洞爺丸じゃない。 宇高ホーバーの話がないなぁ。
瀬戸大橋が開通された後も実はしばらく残っていた・・・んだけど
瀬戸大橋開通後四国ワイドで初めて四国を乗りつぶしたとき敢えてホーバーに乗ったけど
ガーラガラだった(当たり前だけど)。 >>209
ホーバーは橋の開通時に廃止された。
残っていたのは高速艇で、ホーバーじゃないよ。 C制の他社払い戻し、変更が出来るようになりました。
https://twitter.com/imadegawa075/status/325744623614046208/photo/1
払い戻し特典がなくなったことを見ると、JRカードも近いうちにオレカ、周遊きっぷと同じ道を辿りそうな気がする。
良くリンクを見るとJRカード以外での払戻は裏技な件…。。。
プロ駅員やプロ乗務員で無いと_な可能性。
ちなみに、えきねっと・EX予約・5489の払戻の裏技実装や、各社(四国除く)のハウスカードでの払戻裏技はいつ出来るようになるんだろう?
JRカードのメリット
JRのどこでも変更・払戻可能(国鉄が分割された現在、出張族には重宝)
ものによってはエクスプレス・J−WESTよりも還元率が高い
JR系ホテルに安く泊まれる(ネットのほうが安いか) 三井住友のJR・GOLDカードは、条件付きだが、年会費4,200円だな。
東京在住で静岡によく出かけるんだが、JRカードは便利。 東日本で買っても東海で変更払い戻しが可能。
三井住友JRカードにしてみては? ここはマスターとデュアル持ちが可能。
http://crefan.jp/2929.html
http://crefan.jp/2930.html
個人がもてる未だに発行している希少なカードです。
申込は、三井住友カード入会案内デスクに電話して申込用紙を取り寄せました。
(メールでの問い合わせ、申込用紙の取り寄せ依頼もしましたが返事が1週間後と遅いので電話の方が早いです)
入会案内(パンフ)を見ますと、ゴールド(VISA)、一般(VISA・master)と3種類あります。
ゴールド(VISAしかない)の年会費10,500円、一般VISAかmaster1312円(一般の両方持ちは1,574円で2種類持てる)
鉄道系ではToMeカードが一番だな。地下鉄に乗るだけでもポイントが溜まるし。
JR各社のカード餅だが冬の北陸出張時は専らJRカードだな。JCB、DC、UFJは募集停止
http://img.tabinohajiwokakisute.net/20100418_1549503.jpg
http://tabinohajiwokakisute.net/?eid=324
全国を飛び回ってる身としては、6社どこでも変更払戻が出来るのは魅力です・・・。
JRカードだったら、どこのJRのみどりの窓口でも、買った切符の払戻や変更ができるんじゃなかったっけ?
ほかのクレジットカードだと、購入した会社のみどりの窓口でないと払戻などが出来ないし。
大雪で大幅に遅れた経験が何度かあるが払い戻し制約がない安心感は大きい。
JRカードはいつまで続くのかな。JR各社は全く宣伝していないし、メリットも少なくなってしまった。
全国でJRカードを使っている人はどれくらいいるんだろうな。JRカードはワイルドです、JR各社みどりの窓口で払い戻し可能
JRカードは良いよ。普通カードなら年会費無料にもできる。しかしJRカードをわざわざ選んで持った奴って真の鉄ヲタだよなあ
ネットが普及した現代これだけ情報が少ないって、鉄も見向きしてないってことだし
そうか・・・国鉄の遺産がまた消えてゆくな。 JR6社共通商品ってそんなに疎ましがられる存在なのかねえ
どんどん客は不便になっていく
こうなると、次は青春18かねえ。青春18よりもJRカードの方が先の気がする。
JR VISAカードの資料請求をしたら、申込の動機や年齢職業を聞かれた。
ただ資料請求するだけなのになぜだろう??JRカードも、いつまでもつことやら
JRカードの払戻(OR変更)時のメリット以外、存在価値がかなり薄くなったな。これは近いうちにJRカード廃止かな。 何気に、JRバス関東が、
「高速バス50周年!
日本で始まった高速バスは国鉄バス。
福島県、白棚線で高速バス試験走行を
行った実績があります!
白棚線では、現在も
当社による地域のバスが運行中!」
と、宣伝している。
もちろん、東名高速バスも宣伝している
けど、
あえて、「白棚線で」
などと出すのは、
東名高速線より、あぶくま号に
乗って欲しいのだろう。
東名高速線はほとんどJR東海バスだから。 鉄道の、
東京〜熱海、米原〜新大阪、小倉〜博多、
のような、
「JRの会社が違う」興趣、
JRバスの面白さ、として、楽しめる。
鉄道ファンというだけで、
バスにそれほど関心がない人でも、
現代の大型時刻表を眺めれば、
「JRバス関東とJRバス東北は完全協調」
「JRバス関東とJR東海バスの間には確執あり」
と、分かってしまうんじゃないかな? いま、阪急バスの、
大阪梅田〜松山〜八幡浜に乗車中。
バスマニア動機で乗っているのだけど。
こういう路線はつまらないよ。
徳島道から松山道、
ただひたすら走るだけ。
無機質な感じで、旅情には欠ける。
バスは、鉄道の枝分かれ、だから、
おもしろいのだ。
このスレが立ったのも、
昔のバスはすべて、「国鉄の支線」の、
役割を担ったからじゃないかな? >>209
初めて宇高のホーバー便に乗ったとき、いつもの乗っていた連絡船と違う航路を行くことに感動したな。
でもホーバー料金を払っていても、結局、高松駅と宇野駅で接続する列車は普通の連絡船と同じで、駅の待ち時間で時間短縮効果がなくなってしまって、高いホーバー料金ということに気づかされたよ。 青函連絡船にホーバーを投入するのは、80年頃までの技術では難しかったのかな
冬の荒波は瀬戸内海と比較にならないだろうし でも、青函にホーバー投入したら、青函トンネルの必要性がなくなってしまうのか。
二時間位で到着するだろうから 次のホーバー【空席】【満席】【欠航】
高松駅の電光表示あったね。 >>215
船長が「次の高知行き急行のお客さん居ませんか?」って声掛けて早着で本来接続無い急行に間に合わせたことあったよ。
客室と操縦室一緒だし最前席は操舵席のすぐ横だったなぁ。 今日、2014年9月16日、
JRバス関東、
高峰高原線と、和田峠北線に乗車。
運賃は\1440と\970。
2路線に往復乗ったら\5000くらいの出費。
大阪発、信州ワイド周遊券、
学割なら\14000くらいだった気がする。
ユースホステルばかり宿泊で、10日間ほど乗り倒した。
国鉄の時代を経験して、いい思いしてたんだなーと、思う。 ホーバーといえば,
一時期,高松→宇野→茶屋町→宇多津→高松という循環経路の乗車券が発券できたんだよな。
あのころはまだ倉敷〜茶屋町の国鉄バスがあったが,本四備讃線と宇野線の接続駅が
茶屋町でなくて少し岡山寄りにズレていたら・・・・北海道から九州まで四国を経由する
乗車券が復活したのに・・・・と思ったりした。 盛岡〜仙台の「アーバン号」、
JRバス東北担当便に乗ってきたが、
イマイチ。
盛岡バスセンターだけは時代が止まっていて、
興味深いけど。
国鉄東北ワイド周遊券でお馴染み、
盛岡〜十和田湖の「とわだこ号」、
盛岡〜弘前の「ヨーデル号」、
これらが楽しかったのに、
現代を走る、
盛岡〜仙台の「アーバン号」が、
なぜ面白くないのかな?
と、つくづく思う。
理由は分かっているんだけど。 自動車線や航路にスポットを当てた書籍ってないですか? >>229‐230
去年か一昨年にイカロス出版から出てたけど、内容は・・・・書かない方が良いかw >>231
それ記念に持ってる!
どうしてあんな内容になったんだろうか? >>232
ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/bus/1215256291/
↑比較的過疎スレなんですが、ここではでもかなり話題になってました。
あれ誤字脱字ってレベルを遥かに超越してますよねw >>233
×ここではでもかなり話題に
○ここではかなり話題に
イカロスの事を言えなくなった・・・・orz 同じJRバスでも、
盛岡〜弘前、
盛岡〜十和田湖、が、楽しいのに、
盛岡〜仙台、が、楽しくないのは、
新幹線完全並行だからです。
鉄道ファンがバスにもハマるには、
「バス」に「鉄道の支線」の要素がないとダメなようです。
じゃあ、東名高速線と名神高速線は?
と、言われるでしょうが、
この2線だけは、
東京駅〜高速バス停〜名古屋駅、
名古屋駅〜高速バス停〜京都駅、
というローカル鉄道の代行なのです。
勝手な理屈ではありますが。 初めてドリームに乗ったとき。
いまのようにカーテンを強制的に閉めさせることもなかったな。
三ケ日インター近くで休憩があって,夜食に食べたソバが美味しかった。 >>237
昔の仙台〜盛岡や
高松〜松山の国鉄バスは
楽しかったよ。 昔の仙台〜盛岡は、楽しかったでしょうね。
僕が乗れたのは、仙台〜古川でした。
高松〜松山はさすがに微塵も知らない世代です。
いま、鉄道とやや縁遠い存在になったJRバス、
この板の人が楽しむなら、
ローカルバスと、
ローカルバスから発展した高速バス(高速おたる号など)、
鉄道フイーダー的な高速バス(B&Sみやざき号、広浜線いさりび号など)、
ローカル輸送を兼ねる高速バス(中国高速線など)、
短距離の拠点間バス(スカイツリーラインなど)、
が、おすすめ。 昨日、大宮の鉄道博物館へ行ったら「JRバス展」をやってて、展示パネルの中に国鉄トラックもあったのでびっくりした 最近まで国鉄バスが自動車貨物をやってたことすら知らなかったよ 「バス急行券」、
検索して、これほどヒットしないものかと思う。
知らない人ばかりの時代になったからなんだけど、
残してネットに上げている人が稀少らしい。
「バス指定券」と違い、
「周遊券で行くなら定番」の路線でなかったのが理由だろう。
もとより、バス指定券も同じだが、
収集目的で1枚余分に買わないと、記念に残すことはできない(運賃箱に投入する、が原則)。
「昭和の七不思議」みたいな感じ。
バスで「急行券」って?
渋滞したら払い戻しなのか?
と、今となっては不思議に思う。
当時の記憶では、
急行の駅間、バス停1つでも、
運賃表が¥200を含む数字で、
地元の人は当たり前に、
プラス¥200の現金を投入していたから、
実質的には、
「バスの便ごとに必要な特定料金」だったのだけど。 資料によると、三江線の浜原〜口羽開通前に、浜原と口羽を直接結ぶ自動車線は存在しなかったらしい。
浜原ダムは昭和28年には出来てたし、なおさら建設する必要は無かったような… 国鉄時代はドリーム号をよく使ったものだ
今は俺の東京大阪の移動はクルマ一択になってしまったが そりゃクルマは目にしたら便利だもの
ドアトゥードアなら鉄道に勝ち目はない 国鉄バス・JRバスで一般路線車で非冷房車が遅くまで残っていたのは
どうなんだろうか 書き忘れたけど、那覇空港に空港食堂ってのがある。ここは空港にしてはかなり安く食べられるのでお勧め。
https://www.youtube.com/watch?v=iqwkaTK8keA
https://www.youtube.com/watch?v=2v2dk__Dbyc
https://www.youtube.com/watch?v=r0z7kp2RxiU
https://www.youtube.com/watch?v=7817DkgdK08
https://www.youtube.com/watch?v=RHGVTZyE-Ys
https://www.youtube.com/watch?v=L66C3UQ-358
https://www.youtube.com/watch?v=ZLF3rsH2dQk
https://www.youtube.com/watch?v=zE4vt_1-4jc
https://www.youtube.com/watch?v=SBZxgoqH7Go
沖縄は観光客用の飲食店よりローカル食堂がオススメ。牧志公設市場周辺を歩いてみると面白い店や安くて美味い店がある。
ジューシー(沖縄の炊き込みご飯)にトロけるほどのソーキがのった丼に熱々のカツオだしのスープがついて400円とか。
魚屋の前にテーブルが出ていて、切りたての刺身と酒を楽しむ。
食料品店の油味噌入りポーク玉子おにぎりも美味しい、さんぴん茶も買って公園で食べたり。地元の人達が日常食べているものが美味い。
三笠は人気あるぞ。
福徳はボリュームが凄かったが閉店した。(残念)
公設市場近くの店名知らない食堂は550円のレバニラ定食が美味しかった。
あと、泊港にマグロ丼が500円ちょっとで食べられる店があって、マグロの水揚げシーズンは
冷凍物を解凍したマグロではなく冷凍されたことのない本当の生のマグロが食べられる。 >>248
松山高知は「バス指定券」なんだな。
バス急行券は、例えば昭和50年3月の時刻表によると、
平庭高原線(盛岡〜久慈 80円)
北四国急行線(高松〜松山 70円)
仙台盛岡急行線(仙台〜盛岡 30円)
が設定されており、指定された急行便(たいがいは全区間を走破するもの)に
乗車する場合一律で急行料金が必要だった。
短距離利用者を緩やかに排除するのが狙いだと思う。
なお、平庭高原線はいまもJRバスとして健在で、
ローカル路線バスの旅にも登場している。 北海道で買った国鉄バス回数券は九州でも使えたんですよね? 宇高のとびうおが唯一の乗車(乗船か)経験
すごく速くて快適だった
国鉄末期、鉄道ファン誌に、岡山市中心部への乗り入れ計画がありやなしやと取り上げられて大いに期待したが
不具合があったのか沙汰闇になってしまったのが惜しまれる 国鉄時代はドリーム号によくお世話になった
時代は変わってしまった 国鉄バス美伯線(津山駅〜倉吉駅)は、鳥取県内を走る唯一の国鉄バスで、
国鉄倉吉線廃止と同時にこの国鉄バスも廃止された。
この国鉄バス美伯線は、倉吉駅〜三朝温泉〜木地山間で日ノ丸バス三朝線、奥津温泉〜津山駅間で
中鉄バスと路線が競合していた。
また、津山駅で国鉄ハイウェイバス中国高速線と国鉄バス美伯線を乗り継げば、大阪〜倉吉間を
国鉄バスだけで行くこともできた 古い古い思い出
国鉄の連絡船で厳島神社へ行った記憶 大津〜長浜だね
初めは米原にするつもりが沿岸が泥深くて船の接岸に支障するからと長浜に変更されたらしい
彦根じゃなかったんだ。。 港をどこにするかは置いといて湖は荒れ無いから航路には向いてる 未成線の五新線の名残を走る国鉄バスはその後奈良交通に移管されて、それも
普通の一般道経由となってしまって廃止か。バス専用道なのに踏切らしき残骸が
あった。シャレで日本最長一般道路線バスがイベントでここ経由で走ったらよか
ったかも。
松山高知急行線は昔乗ったが、高速バス開業後に残った晩年の数往復のやつにわ
ざわざ乗った。途中鉄道駅の匂いがする「バス駅」があったり、トイレ休憩が
あった。 国鉄時代だったら東日本大震災で流された大船渡線や気仙沼線のBRT化された箇所は自動車線扱いだろうな
BRT化で鉄道としては物理的に廃線されたが営業上廃線されてないって昔の自動車線みたい >>282
奈良交通に移管された時点で命運尽きたかなあ 岡多線
・多治見〜岡崎
・瀬戸〜明智
を復活してくれ 玉野市の掲示板で、あえてウタカと書いたら
「航路名はウコウだ」と訂正された。
まあ航路名としての総括ではウコウで、
国道フェリー「だけ」がウタカなんだよな?
こちとら「国鉄→JRの連絡船はウコウ、民間のほうはウタカと読む」、
というアタマがあり、そう書かないと
ヲタから必ずそう訂正されるし、なまじそっちに慣れてるもんだから
指摘されたくなくて、わざわざウタカと書いたのにw 1984年くらいの鉄道ジャーナルが国鉄バスについて詳細に書かれてた >>290
地元でも
♪うたかこくどうふぇりー
を知らない世代が多くなったのか バスマニア向けの本で時折見かけますよ
国鉄バスの話し ウタカコクドウフェリーと連呼するだけのラジオcmあったね フェリーつながりで阪九フェリーもクドいcmありましな フェリーも減ったね。
いつの間にか、貨物専用になってたりする。
特に、沖縄本島から宮古・石垣行きがなくなって、航空便しか選択肢がない。 >>295
MBSラジオでは平日の朝によく放送されていた
ラジオだから文字の表記がなく勘違いして阪急が経営するものと思い込んでいた 飛行機だって万能ではないからよお
船便しかない地域もあるんだ >>296
昔は有村海運のフェリーが島々を結んでいたし、
石垣島から台湾へも行けた。
朝静かな石垣港を出航すると、夕方にはカオスな台湾の町に着いた。 沖縄本島から宮古・石垣行きがなくなって、航空便しか選択肢がないのはショックだね 国鉄バス
東名江田とその隣の区間しか乗ったことがない
隣のバス停はもう無いかもしれない…名前忘れたし >>307
よくラジオの交通情報で言われる東名大和は停車便がかなり少なかった気がする
今は知らない 東名横浜という横浜とは名ばかりのバス停もあったな。
場所も町田市との境界付近でアクセスも悪く、利用者は殆どいなかった。 東名横浜
・長津田火葬場前
・スヌーピー博物館前
・万葉の湯前
・株式会社うんこ前
何もないというわけじゃない >>306
逆に石垣〜波照間は昔は航空便があったけど、今は船しかない