自動車線と航路を語るスレ
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今では自動車線は分社化され、残る航路は宮島航路のみ。
そんな自動車線と航路の思い出を語るスレです。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
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宮島航路が切り離されてしまって国鉄〜JRからついに航路が無くなり寂しいですね。みせん丸、みやじま丸たちは元気でしょうか。
しかし18切符で乗れる私鉄(?)初のケース。 すると株が完全に放出されていない社は3セク?自治体の資本はないしな。
地形図の凡例には「旅客鉄道」とか書いてあったような。
それだけではスレ違いなので…ガキの頃、小さな全国地図で
会社線、として小豆島に線が引いてあったので
すわ、鉄道か?!とヌカ喜びしたのも懐かしい。 旧仁堀航路に使用されていた船舶は何隻ぐらいあったのだろう? >>105
せっかくなのでヰキペデア見てみました…
・長水丸(元関門)1946〜1951年
・水島丸(元宇高)1947〜1953年
・映海丸(元旧海軍砲艇型強力曳船)1946〜1948年(殆ど実用されず?)
・五十鈴丸(元旧海軍魚雷運搬船→大島航路)1951〜1964年
・安芸丸(元大島航路の大島丸)1964〜1975年
・瀬戸丸(唯一の新造船)1975〜1982年航路廃止まで…
船には詳しくないけど、ドック入りに備えた予備の船ってなくて
平気だったのですかね?その間休航?それとも他の航路から借用? 追伸、痛ちがいですが…
呉の阿賀港と、堀江港を結ぶ呉・松山フェリーが
6月いっぱいで廃止になるとか。一説にETC割引が決定的打撃と… >>106
他の航路からの借用です。広島地区の3航路には、共通的な予備船として山陽丸という船がいて、普段は大島航路や
宮島航路を中心に使用されていましたが、この船が仁堀航路にも入っっていたと思います。
大島航路で何度かこの船に乗りましたが、客室部分の窓が大きくて、明るい印象のある船でした。
終航は昭和50年代前半(先代の宮島丸・弥山丸が就航したころ)ですので、その後は、大島丸から改名した安芸丸(国鉄
分割民営化直前まで残っていた方)が予備船的な使用をされたと聞いた事があります。 >>108 どうも。
今は一人ぼっちになってしまった宮島航路ですが
3隻あれば予備船の心配はありませんね…
20年くらい前、宮島口の桟橋に通行止の道路標識があって
その下に「この先海」と書いてあったwのも懐かしい…
面白いので写真を撮らねばと去年行ったらどこにも無かった >>107
呉市が新ターミナル作ったのに、すぐ廃止とな…
安芸あが駅から旧ターミナルまでは二枚立て札があるが、
普通の漁港の路地で道が合ってるか不安になるんだよな。
堀江側も似たようなもんだがこっちはわかりやすい。
予讃線が行ってしまっても市内直行の伊予鉄バスが出てるから待ちぼうけはないし。 近江八幡ー三雲ー亀山
京都ー鶴ケ岡 周山ー上黒田・井戸
園部ー福知山 そんなに利用率悪くなかったのだが、東京〜神戸線のドリーム号は
名神路線の神戸撤退と共に姿消したね。確か神戸駅前にバス駐車場が
あったはずなのだが。 鉄道の営業キロだけじゃなくて航路・自動車の営業キロを含めた
国鉄線の営業キロが最長になったのはいつなんだろうか? >>69
>しかも予約までできる非クローズドアといえば
>東北急行バスだな。
小田急箱根高速バスも非クローズで、
高速を降りた後の一般道区間ですら相互乗車できるよ
これも昭和40年代からの路線だね
>>115
実態のない(放置プレイ)キロがあるから、簡単には算出不能。
関釜・博釜の様に戦後運航が無くなっても、いわゆる戸籍だけあった状態。
自動車線なんて、もう管理がいい加減だったので現物と路線が一致していない区間多数。
社線との共同運行の高速線(東名・名神・中国・福知山を除く)を含めると、もうワケワカラン状態に陥る。 >>118
/(^o^)\ナンテコッタイ
実態は無理だから戸籍上は(ryで調べてみるか… JRバスで最初の鉄道線との通算乗車券を組めない高速路線は
新宿〜上諏訪間だったような気がする。民間バス会社含めて数社運行。
時刻表本文には「JRバス」の表記がありながら,索引地図は
民間バス扱いだった。 烏山〜茂木の途中の乗り継ぎが同時着発だったが待っててくれた
とのアヤシい伝聞… >>115
「国鉄またはJR」としたら意外と「現在」というのが正解だったりして。
計算のルールによって変わってくる気がする。たとえば
新幹線と並行在来線(他社分離されていない物)は別カウントか?
クローズドアの高速バス路線は全て別路線としてカウントするか?
特に後者をYESで計算すると自動車線の距離がインフレになりそう。 >>78
大型時刻表の周遊券の御案内で、信州ワイドだけ白抜きの線がやたら目立っていたのを今でも覚えています。 亀スマソ
>>117
神戸系統は70年代後半に一旦無くなっている。
その後、81年のポートピアの際に臨時運行された後、高速バスブームの最中の89年になって復活。
(因みに、ドリーム号で初めての独立3列車使用路線)
>>118
バスの場合、少し前は運行しなくなった路線を免許維持の為に休止するのは極当たり前で、
民営化直前の話では、札樽線の高速バスが休止免許の8年振りの復活だったり、広島〜津和野線の
岩国までの免許が瀬戸内西線の11年前に休止した区間(R2)で、新規免許区間が無かったとか、
その手のゾンビみたいな話は官民問わず良くある事だった。
(最近は路線撤退時は速やかに廃止するように指導されるらしい)
>>123
バスの場合はそこまで考えなくても、各社の免許キロを合算するだけでそんな気が。
(夜行高速バスに参入した会社の営業キロの推移を見ると、突然2倍以上に増えたりとか、そんな例が良くある)
あと国鉄時代との比較の場合、各社の免許キロを単純に合算するだけだと2社以上重複する区間の処理(5社で免許がダブる東名等)
が問題かも。 >125
ドリームとよた号が省営バス1号路線の岡多線免許を使ってますしね。 >>77 土浦⇔佐原間には急行があって、追い抜き退避があった。
鉄道の信号所っていうのが周辺に何もないところによくあったが、
このバスの追い抜きも停留所でも何でもないところで速度を落とし停車してて
急行バスがクラクションならして車掌が振り向きざま窓から挙手して、追い抜いていった。
車掌から、急行バス追い抜きのため停車する旨、発車する旨、案内があったかどうかは
覚えていない。
土浦⇔佐原は、急行は江戸崎を経由しないが、普通バスは江戸崎経由と江戸崎経由しないのがあったと思う。
わしらのエリアからは一般路線完全撤退だからなぁ。
かつては駅も結構あって硬券売ってたし、みどりの
窓口設置駅もあったくらい力の入ったエリアだったのに。 >>130
129じゃないけど、草津=亀草本線・・・・のイメージが。一般的には草津温泉だとは思うけど。
亀草本線、近城本線とその支線群は比較的路線規模が大きかったので業務委託(簡易委託)もそれなりにあった。
簡易委託で一番謎なのはあの「マクドナルド」にも国鉄委託券を置いていた。(但し回数券のみ)、一般商店なら兎も角、「マクドナルド」で乗車券はありえんと思った。
これが今じゃ全滅。本線区間ですら、代替バスも消滅したところが多数存在。
JR倒壊の様に高速を除く一般路線は名義上だけ残っている社も。(一般路線全廃)
>>131
国鉄〜JRバスに限らず地方の路線バスはひどいからなぁ。
30年前は日中30分毎に運転していたところも
いまは廃止なんてある。 ふと思ったのだが、国鉄バスを体系的にまとめた本って、出てないですね。
JTBあたりで出ないかなぁと・・・ 宇高連絡船のライバルだった宇高国道フェリーも四国フェリーも
消えていく時代なんだね。寂しいな。 日本国有鉄道自動車局刊日本国有鉄道自動車10年史 20年史 30年史 などというものがある。
30年史というものを2年ほど前に手に入れた。
ググるかヤフるかアマゾればきっと出てくる。 >>136
出てくる場所によっては、諭吉1枚ではぜ〜んぜん足りない。(高杉)
最近では、白棚線50周年記念誌(JR関東)が出たけど、このレベルで全国網羅している書籍となると・・・
ないんだよなぁ。
>>136
137氏も触れられてますが、値段が高いなのが難点ですね。
まあ、それ程専門的な内容では無くとも、手頃に買える本があればなぁと思います。 NHKみんなの歌 (ガードマン)
(左の歌詞の一番最後から続く)
憶えていますか?あの日を もし魔法をかけられたら
ふと感じた 哀れみを くだらないこの人生を
止めてしまいたい
赤い日差し浴びて シヌノ コワィーイーヨー
棒を振る君に見とれてると
目が合って 目線そらした いつまでも棒振ってる日々
それはガードマン ここで たしかに
立っていた証
むなしくも 回りだした日々 ずっとガ〜ドマン
いつも いつでも この先も続いてく道(試練)がある。
金がなさそうな 次の坂を 登ったら
それはガ〜ドマン また合いましょう
怠惰の日々を 重ねたら
いつの間にか こんなに
落ちてたのね
憶えてますか? あの夜
初めて怒鳴られた あの罵声を
雨降る 国道で
見渡す空 雷で
心震えた
それは ガ〜ドマン
辛すぎて泣きたくなる日々
めぐり めぐって
現任が来る
また ガ〜ドマン
やるせなさ 色あせず息づいて
胸に染みて いるから
忘れられない
>>2
開拓の村までのボンネットバスの車掌を臨時で1週間ほどやったことがありますが
周遊券では、なぜか森林公園駅から開拓の村までは乗れなかったのですが、別に自分が
損するわけでもないのでそのまま乗せてましたが、運転手に「ちゃんと金とれ」と怒られた記憶がw
しかし、未だになぜあの区間が周遊券の域外だったのか謎です >>8
様似自動車営業所ですね
そこで若い頃車掌をやってた運転手さんの話ですが
まだ新人の頃は、バス停の名前をそらで覚えるのに必死で、終点についたらまだバス停が
3つくらい自分の中では残っていた、なんてことはよくあったそうですが、お客さんはちゃんと
わかっていて、どんどん自分の降りるバス停で降りていったとか
あと、えりもの宿泊所に泊まりになると、3組6人くらいが一緒になって、やはり酒盛りになって
先輩たちに飲まされてへろへろになりながら1番バスの車掌やって、案内もろくにできなくて
車内清掃用のちりとりにリバースしながら乗務したとか
・・・昭和のよき時代の話ですが >>34
ハイジ牧場、懐かしいですね
長沼自動車営業所が管轄でしたが、あそこにはトップドアのバスがあって、なんと定員70名w
幼稚園の貸し切りでは、100名近い園児を乗せていましたね
私も、一度路貸し車掌で幼稚園の遠足で行きましたが、待機中に長沼の路線バスがやってきて
知り合いの運転手さんとお話してた思いでがありますね >>48
JR化後ですが、恵庭自動車営業所にあった547−901と902(だったかな?)の2台の
同形式のトップドアの貸切車の車検証を見たら、最初の配置が東京自動車営業所でした
おそらく貸切営業用だったのでしょうが、東名高速の続行便くらいには使われていたのだろうと
想像しておりました
東京のあと、仙台(だったと思う)から北海道に移動して民営化、そして末期はモジャ君塗装になって
JR北海道の社会人野球チーム(昔の札鉄局)用のバスになって廃車になったと・・・
最後尾の座席が5人掛けではなく、4人掛けでした 豊浦〜相川心霊教院
豊浦の生き神様と呼ばれた、通称相川さんの参拝客向けで、
たしか変な日に運休日もあったはず。
一地方のマイナーな宗教施設にいく国鉄バス路線って、稀有でないのかな。 土浦近郊、山の荘線の終点の ゆうもあ村 。インパクトあったなあ。
子供の頃、時刻表の地図を眺める度、どんなところだろうと空想してた。
ちょっと前、廃墟で有名になった。行かなくて良かったと思った。 九州にこどもの国みたいな名前の停留所ありませんでしたか? JRになって分社化されてから、一般路線は殆ど切り捨てられてしまった。
昔の国鉄バスは鉄道の代用という感じが強かったけど、
今のJRバスは完全に高速バスのイメージになってしまってるからな。 名金線には本当に一度乗って見たかった。
昔見た国鉄バスのPR映画(モノクロ)に名金線が出て来て、ボンネット型バスが
左右にカーブを切りながら山道を走って行くバックに「こきりこ節」が流れて
居た。
後年北陸の親戚が白川村迄車で連れて行って呉れたが、萩町バス停の時刻表が
福光、高岡方面行き一日3-4本で不便だなと。
>>106
オソレスだけれど、仁堀航路の「玉川丸」145トンの写真が、「日本の鉄道」(昭和27年
ピクトリアルの鉄道記念刊行会発行)に出ている。同じ本に宮島航路の「弥山丸」
176トンも出ているが、これには大学時代に乗船した。蒸気機関のレシプロ船で
ストンストンの震動が面白かった。 >>150
つ ようつべ 「桜に情熱を燃やしたバスの車掌の物語」 周遊券でよく国鉄の駅を結ぶ国鉄バス路線を乗ったけれど裏道を行くといった
感じで好きだった。
日肥線(杉安−湯前)、直方線(直方−博多)、名金線(福光−金沢)、船福線(船引
−福島)、古川線(一ノ関−仙台)、遠野本線(陸前高田−遠野)、?線(久慈−沼宮内
特急白樺号)、日勝高原線(十勝清水−日高町)、日勝線(様似−広尾)等に乗ったっけ。 呉線に乗り遅れて広島→呉間国バスに乗ったり、松山→佐川(南国号)など
俺の乗ったバスから後が不通(台風の余波)の間一髪セーフだったり。
最初からトイレ付きだったから、名神高速の大阪−名古屋を度々利用したけれど、
特急便でも途中で休憩があって、ドライヴインでうどんの立ち食いとか、鉄道
とは変わった風情があった。 南国号乗りそこなった。高速道路が無いときは一般道だったのか。
広島−浜田(広浜線)の一般道を走る夜行便はかなり前のことだが、凄すぎ。 >>152
>>153
その車掌さんを記念した「さくら道ネイチャーラン」という
超長距離マラソン大会が、今年も開かれるよ。
ttp://shirotori.gujo.to/sakurainr/HP/sakurainr1.htm >>156
東北急行バスなんて 東北自動車道がある前から東京から仙台山形などに
長距離バスだしていたけどね。
長距離一般道バスなら国鉄バスの北四国急行線もすごかったね。 >>159
あったねえ。俺の実家、浅草だったけれど松屋(東武浅草駅)のところに
停留所あった。何時なくなったのかな。
夜行じゃないが、新橋−日立という一般道(国道6号)を行くバスもあったね。
>>160
時刻表に「黒磯駅」「白河駅」の掲載があった時代は一般道経由だったのだろう。
おれがはじめて利用したとき(昭和58年4月)にはすでに
東京駅 上野駅 新越谷駅〜高速〜須賀川 郡山駅・・・だったな。
高速を須賀川でおりて郡山までは一般道,そこで下車したからその後はわからない。 >>161
そうだよな。東北道が開通してからも運行してた。
>>148
JR東海バスなんか国鉄バスの発祥の地である路線を
有していたにも関わらず一般路線は全廃されて
乗合バスは高速バスのみになってしまったからな。
国鉄バス本来の役割は完全に失われてしまったよな。
国鉄バスは赤字でも補助金を受けられなかったのが
一般路線の大幅な縮小につながったんだっけ?
以前岡崎の営業所にあった国鉄バス発祥の記念碑はまだ残ってるんかな?
開業時のバスは里帰りしてきたが TGE6気筒車か。
あれは大変に貴重だ
円太郎バスは東京に置かれるべきだし
TGEは岡多線に近い名古屋にあって然るべきだろうな
てっぱくは交通博物館の重要な自動車を多数引き継いでしまい込んでるんだから、
守備範囲外と考えて展示しないより、
トヨタ博物館や、小松市の日本自動車博物館あたりに、然るべき手順を踏んで引き継ぐのがスジだと思う どうでもいいけど
なんで岡崎が国鉄バス発祥の地になったんだろう? バスは、まだ残っている線も存在するから、
興味が生じるなら乗りに行かれることをオススメ。
僕が最近のJRバス一般路線で印象に残っているのは山口県。
「特急はぎ号」など、現代に残る「国道急行系の国鉄自動車」で、
「周遊券きっぷでご乗車の方は・・・」とアナウンスが流れる。
「秋吉線」を山口から美祢まで乗り通したときは、
降車のとき、思わず運転手に、「いい線ですっねぇ〜」と、つぶやいてしまった。 >>132
えてして幹線系統が廃止になっていて
とんでもない山奥にいく路線は細々と残っている。
福島〜川俣高校前はかつては頻繁運転していた路線が
JRも福島交通も廃止になっている。
でも月館経由川俣なんていう山奥迂回路線はもともと本数は少ないけど
そのまましぶとく生き残っている ちなみにJRバスの乗りつぶしをやっていますが、
さっそく、「JR九州バス一般路線完乗」のタイトル剥奪となりました。
高校の出入りのバスルートが変更になっただけで。 >>169
どうせそのうちその路線自体からJRが撤退するからまた「完乗」タイトル
復活するよwww ちなみに、僕の「JR九州バス一般路線完乗日」は、2010年12月25日です。
マニアには分かりますね。「路線廃止に伴う自然完乗」だと。 >>133,136-138
1年以上前の書き込みに、亀レス。
自分は、鉄道ジャーナルNo.208(1984年6月号)にだいぶ助けられている。
特集のうちの1つが「国鉄バス1984」で国鉄自動車局と鈴木文彦氏が
30ページ余りに当時の全容と路線図、乗車ルポ(東名高速線/防長本線/日肥本線)
をまとめている。路線図は全国版を見開きで載せているので、線名は本線しか
載っていないが、枝線も細線で丹念に描かれており、茅野駅から出ていた
「国鉄トラック」ももれなく載っている。
これなら諭吉1枚でも足りるのでは? 最近京都でJRバスに乗った
未だに床が板張りだった 吹田と八尾を結んでいたのがあったなあ。
水色のバス停標識が懐かしい。 その岡崎、いや、愛知県からJRバスの一般路線が消えて久しい。 北海道で乗った。JR北海道フリーパスで乗れるのは嬉しい。 国鉄バスの停留所というと、民営化でJRバスのシールが貼られた黄色のポールを連想
するのだが、あれが使われた時期っていつ頃からなんだろう? 連投スマソ
シールの貼られた黄色のポール
↓これに出てくる奴
ttp://blogs.yahoo.co.jp/pkr351231j/29944369.html 地元の営業所は一時期、配置車両がオールいすゞの時期があった。6形は
富士、5形以下は帝国ボディで揃えられてた。富士3Eの冷房が新配され
た頃、帝国で見慣れた自分にとって、ライトの台座が出っ張った3Eを初
めて見た時、ものすごい違和感があった。ただ今ではそのいすゞ‐3E(サブ冷)が
一番好きな車両だな。
うちの田舎の営業所だと、20両弱の配置車で、一般乗合用の形式は、ふそうMR470とBU10に
統一されているのに、ボディは富士重・三菱・帝国・日野が混在し、中扉ツーマンと前扉のみの
ツーマン、さらには観光格下げ車まで在籍していて、何に乗れるか楽しみでしたね。
ワンマン化された際に、BA05NとMK116に統一されてしまい、何の面白味も無くなってしまい
ましたが・・・ 京都駅の窓口で「京都駅から福王子ゆき(自動車線経由)」と書かれた硬券を買い、おばさん車掌乗務の国鉄バスに乗ったのは良い思い出。 >>185
JRでもしばらくあったな。>硬券
ちなみに名神高速線・京都深草ゆき矢印券の方が安かった。 福王子!!懐かしいなあ
今でも一条通り経由の路線バスって残ってるんだろうか 名古屋駅の薄暗いバスターミナルからハイウェイバスに混じって瀬戸方面へのバスが走っていたんだよなあ。 東京駅のハイウェイバスきっぷうりばで大型の乗車券箱にズラリ並んだ硬券は壮観だったな
駅の窓口で周遊券がマルス発券に切り替わった後も
かなり遅くまで常備券が残っていたのでわざわざ買いに行ったりした
>>181
>国鉄バスの停留所というと、民営化でJRバスのシールが貼られた黄色のポールを連想するのだが、
黄色いポールは関東局だけなんでは?写真で見たかぎりだが、九州は3色、
中国・四国は白地に青の縁取り、北海道は白地に左向きのツバメと部局によって、
ポールのカラーが違ってたと思う。 BRTが本格開業したけど、これって「JR直営の自動車線の復活」
って考えていいのかな? >>192
運行はミヤコーバスに委託だから、何とも…
やっぱり代行輸送の範囲では? >>193
でも旅客営業規則の17条は復活しているし・・・
国鉄の貨物自動車線は日通かどこかに委託していたらしいね。 そういえば、東名江田→東名向ヶ丘の切符とかってどこで買えるの? 昔、東京ミニ周遊券で在来線を乗り継いで上京中に、東名高速バスの東京→沼津のハイウェイバスがあることを思い出して途中下車したら、上りの沼津→東京は設定されておらず、沼津ICまで富士急バスの運賃を払って乗り継いだのを思い出した。
片道しか設定されていない路線があると初めて気づかされ、いい勉強になったよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています