筑豊の年配の方で「天草」を知らない人はあまりいないのではないかという感じもしますね
筑豊から本州に出るにはこの列車だったようです
就職、進学、駅での見送り、「天草」は筑豊人の喜びや悲しみを見てきた列車なのではないでしょうか
筑豊線沿線に住んでいた私の母は「天草」が通る時間は知っていたといいます
母の兄が筑豊へ帰省するときは「天草」から荷物を実家の前の線路脇に投げるので
それを取りに行っていたといいます
あの青い新しい汽車(「あかつき」)は高級すぎてよそよそしくなった、とはその母の兄、私の伯父の弁です