明星なは彗星あかつきの時代
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2008年ついに消滅してしまったこれらブルートレインを中心とする
関西発の九州方面夜行列車の話題をしてみませんか?
呉線経由下関行安芸とか雲仙西海、霧島などの急行夜行の話題も可で
現役のML九州に話題ついては板違いですのでほどほどに
(でも頑張れ、板違いにならない日が遠い将来でありますように)
関連スレ
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/l50 https://6727.teacup.com/kiken/bbs
粘着してる ばかつき 相変わらずだ。
以前と違って、日時場所を不明にしているし。
まあ、銀のポルテ、平島〜福浜を往復してるのは事実やし。
みんな気をつけてや。あとは、報告があれば。 冬の新月の夜、オリオン座が線路のカーブでゆっくりと回転してたんだよな。
B個の上段の曲面窓ならではの光景だったが、その雰囲気はどうやっても写し撮りようが
なかった。 >>570
赤い彗星を追っかけてこの画像にたどり着いたのだけど
サザンエクスプレスのED76-78号機ってことは
晩年のオハネ15-350入り編成じゃなくて一旦24系25型時代を経る前のモノクラス時代の15系だよね
一方レインボー塗色のEF65は1998年に1019→1118に世代交代して2015年廃車
確か出雲の間合い運用で彗星も牽引していた記憶
彗星の方はモノクラス14系15型〜1994年〜24系25型〜2000年〜個室入り14系15型〜2005年廃止
いずれの年代の彗星もEF65レインボーとの組み合わせはあったのかな? あと24系25型時代の彗星は0番代が主力だったのかな?
ネットに上がってる写真は運行時間帯の光線の関係で通路側の写真ばっかり
判別付かないのが多い中、数少ない寝台側の写真は0番代ばかりのように見える >>555
漱石の「坊つちやん」で「猿と人間が半々に住んでる」云々とダテに描写されるだけのことはあるなw >>579
参考にはならんかもだが、1989年・平成元年に乗った「なは」は100番台だった。
まー、0番台との混合だったかもしれないが・・・
もうその頃、あさかぜ1/4号(金帯)と出雲1/4号以外の編成は九州と西日本の所属になってたから
関西ブルトレにも100番台(200番台)が使われていたと思う。
元々の100番台が主体の「富士とはやぶさ」が九州だったか。 ガキの頃に読んでたヤマケイとかコロタン文庫の記憶からすると、彗星に100番代のイメージは皆無だな。 大阪住みだけど、まだ寝台列車に危機感なかった当時は
旅行に絡めて利用しようと計画したとき、
「つるぎ」と「彗星」は割高感があるから真っ先に除外してたな。 みんなそう思ってたからなくなったわけで
まして鉄道好きにすらそんな選択されるようじゃあね よく読め。つるぎと彗星の話をしている
寝台列車全体と同列で語らないでほしい 彗星はフェリーと比べると時間も料金も不利だったし、つるぎ乗るならきたぐにでも良かったからなぁ そのフェリーも大分発着はまだしも宮崎発着のはお世辞にも好調とはいいがたいんだよな >>588
大分/別府発着便もライバルと云える他社の北九州航路と2枚切符を利用する層が総額での安さで案外居るからね >>582
ありがと
JR初期の記録ってネット上だとなかなか痒いところで手が届かないのよね
文献でも形式は書かれていても番台区分まで触れていなかったり
組み合わせの考証突き詰めようとすると結構沼にハマる 最近気になってる沼はなは(はやぶさ富士)のオハネフの0番台と100番台の連結位置
いつから始まったかは突き止められなかったけど
90年代後半まではカニ次位は0番台ばかりのような気がする
なにか運用上の指定あったのかな? レガート化される前の普通の14系ハザが入ってたあかつき編成が、地味に好きだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています