明星なは彗星あかつきの時代
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2008年ついに消滅してしまったこれらブルートレインを中心とする
関西発の九州方面夜行列車の話題をしてみませんか?
呉線経由下関行安芸とか雲仙西海、霧島などの急行夜行の話題も可で
現役のML九州に話題ついては板違いですのでほどほどに
(でも頑張れ、板違いにならない日が遠い将来でありますように)
関連スレ
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/l50 >>476
酒飲むんだったら神戸駅周辺のほうが渋い店が多くていいな。
三ノ宮は大箱ばかり。 「なは」はヘッドマークが子供心に南国風情を掻き立てるデザインだったね
実物を見たいが為に大阪まで出かけて行ったのを覚えてる うん。そうだね。583系が筑豊本線を経由していたのが、懐かしいね。
黒崎〜鳥栖間の先頭は、DD51の重連で、しかも専用機は583系に塗色を合わせていたからね。
次位のオハ35改造の電源車マヤ35も印象的だったなあ。
直方と飯塚に停車させるためだけに、電源車造ってしまうんだから、
当時の国鉄は面白かったなあ。 特急『あかつき』門ハイは長崎・佐世保から新大阪、大阪から青森 特急『日本海』広域運用甚だしい。 >>482
それ以前は、キハ80系だった「かもめ」を583系に置き換えたんだよな。
7連の長崎行と6連の佐世保行筑豊本線経由の併結だよね。
583系で貫通扉を使用したのは、JR時代にシュプール号で485系とやってるけど、
「かもめ」が嚆矢だな。
この時は、D51の3重連が、小倉から佐賀まで牽引してたな。 >>483
そうそう。門ハイ運用は超広域運用で有名だった。
長崎・佐世保の「あかつき」から、青森の「日本海」、更に「ゆうづる」で上野へ。
そこから「北陸」で金沢へ。富山に回送された後、「つるぎ」で大阪へ。
そこから、やっと逆に戻って行くんだから、早岐に戻るのは何日後だっけ?
凄かったなあ。 >>481-485
おまいらwwwおもしろすぐるwww >>486
確かに今と違って、国鉄時代は色々面白かった。
そういえば、年末年始の臨時で「明星54号」「なは54号」「彗星54号」「あかつき54号」の4列車併結も
語り草だなあ。
何といっても、史上最長と言われる新大阪〜門司間24両編成だからね。
そのため、途中駅の有効長が足りない所は全て通過だし、
始発の新大阪でさえ、ホーム長が足りないから、”二段階乗車”ってのが初めて実施された。
え?”二段階乗車”を知らない?
最初に1〜12号車で客扱いをし、次に前進して、13〜24号車の客扱いをするというやつ。
当時は、線路容量もいっぱいいっぱいだったからね。
今では考えられないか。 「明星54号」「なは54号」「彗星54号」「あかつき54号」をググったけど、
みつからなかったけどなあ。
年末年始の2日間だけで、しかも、1年限りだったから、あまり写真を撮った人はいないんじゃないかな。
しかし、まあ、EF58の4重連は迫力だったな。
更に瀬野八では、EF59の4重連が後押しだから、4重連+4重連で凄かったなあ。
けれど、深夜じゃまともな写真撮れないね。
だからこそ、語り草になってるんだけど。 そういえば、1月4日、つまり最終日の上りの関門間は、
EF30 8重連だったんだよね。
所定4重連のところ、回送の4重連がぶら下がって、前代未聞の8重連。
まあ、こっちは結構有名な話だから、今更ここに書くほどでもないかな。 >>487
伝説の長大編成か。
逆に伝説の短編成もあったね。「彗星56号」だったかな。
「明星56号」「あかつき56号」との3層建て列車。
明星、あかつきの6両ずつに対して、彗星は2両だもんな。
ブルトレ史上最短編成じゃないかな。スハネフ14+スハネフ14。 いまahooに出てる見出しで
「あかつき 次が最後のチャンス」
瞬間的に反応せざるをえなかったw >>491
あかつきのうち1両は佐世保編成じゃなかった? なにこのスレの流れ。
ブルトレ全廃間近で、妄想話をするような禁断症状が出てきたのか? >>487
すげー、そんな時代があったんですね。
いまは、人口減少で新幹線以外はみんな編成縮小なのに。。。
(話題からそれますがまさかしなのが6両編成に
なるなんて子供のころは全く思ってなかった。) 残念なことに当時の関西発着の寝台特急にはヘッドマークの取り付けはなく、4列車併結のヘッドマークを見ることをなかった >>497
急行には屋久島+雲仙+西海+天草+日南の5階建てってのがあったな 運行中の客車を操車場に引き込んで行先別に
突放すること計画されていた >>487>>498
みんな釣りでしょ?
そんな列車見たことないしw 全盛期を知らない妄想連中の書き込みでしょ。
最盛期の1974年、あかつきだけで7往復、
20系14系24系24系25型。
まだEF65牽引機も残ってたな。 山陽新幹線博多開業前は昼間の特急で移動しようと思えば大阪−博多でも8時間程度かかってたし、
当時は航空運賃はまだ割高だったこともあって夜行列車の需要も旺盛だった。
寝台特急以外にも寝台と座席の両方を連結した急行も多数運転されてたし、
大阪−広島といった比較的短距離の区間でも夜行列車が設定されてたからな。 新幹線博多開業後の世代にとっては
あかつきの西鹿児島行きってのがどうもぴんとこないな >>505
それ以前は
電車 明星
客車 あかつき
日豊 彗星
だったからね 皆さん色々書きこんでるけど
ガセもガチも混じってるからややこしいね 「あかつき」って風呂屋の洗面器みたいで汚い名前だったよな。 マジな話だと、3/22着トワイライトが
最後の山陽線客車寝台車になる訳か。 このスレ、たまに覗きにきては、見たことを後悔する羽目になる >>517
乗合列車じゃないから除外。
異論は認めるけどな 新聞や荷物のためだけに停車した駅について教えていただけないでしょうか。 >>517
乗合営業列車は、富士はやぶさの最終下りが最後だったな。
寝台車が客車がという以前に、東海道山陽直通の優等列車として
1912年、新橋-下関の日本初の「特別急行」以来の系譜だから
9001レの「富士」はその掉尾にふさわしい列車だったと思う。 14系座席車オンリーの臨時あかつきよりは進化しているな >>485
昭和52年の夏、門ハイの14系が何らかの拍子で下り「紀伊」に使用。
紀伊勝浦に到着後、その日の夜に臨時「きのくに」として天王寺まで運行された事がありました。
天王寺に到着した後は天リウまで回送、その後、さらに大ムコまで回送され、
その日の夜に下り「あかつき」として門ハイに帰ったようです。 都城出身なので、彗星には未だに愛着があるなあ。
留置されている線がちょうど小道側だったので、ガキの頃はよく見に行ったよ。
今じゃ都城って街ともども寂れちまって、帰省する度に泣けてくるw
最終期のあかつき併結時の編成は14系15形って認識だったので、先日ネット漁ってたら
スハネフ14の画像が出てきて、へ〜って今更ながらちと驚いてるんだけど、それほど珍しくなかったのかな? >>528
「あかつき」は昭和40年代半ば生まれ(カメラ小僧世代)なら15系のイメージが強いと思うけど、
それ以前に生まれた人なら14系→20系になるのかな・・・
15系は、あれは昭和53年頃に製造されたのかな。25系100-200番台と同じく寝台側の窓が狭いので、
当時「おー、東京のブルトレと同じく新型や」と喜んだ記憶がある。
この前、自宅で1986年11月のダイヤ改正号を見たけど、もうこの頃、すでに関西ブルトレは
なは・あかつき・彗星が各1本ずつになり、明星は既に臨時化(★一つなので20系)されてたんだね。
このパターンは平成に入ってもしばらく続いたけど、ある日、彗星が廃止され、
なはとあかつきが結婚した。 581系の同期誕生者だが
初めて乗った西鹿児島「あかつき」は20系
むしろ長かったニューブルトレよりも印象深い 『あかつき』門ハイ
『日本海』になって青森に行った。 478 :回想774列車:2015/12/31(木) 22:28:37.24 ID:xSkFG5SH>>467
昭和48年10月大阪駅上り
6時
04あかつき1号(26レ)・新大阪行(長崎発)
17彗星1号(48レ)・新大阪(大分)
32つくし2号(216レ)・新大阪(博多)
47阿蘇(214レ)・名古屋(熊本)
50明星2号(16M)・京都(熊本)
7時
02あかつき2号,彗星2号(32レ)・新大阪(佐世保,大分)
24日南1号(1212レ)・京都(都城)
32あかつき3号(30レ)・新大阪(西鹿児島)
35桜島,高千穂(1102レ)・東京(西鹿児島,鹿児島本線,日豊本線経由)
42彗星3号(44レ)・新大阪(都城)
53天草(210レ)・京都(熊本,筑豊本線経由) あかつき明星に関してはHM無しの時代が痛かった、東京ブルトレも同様だが >>528
出雲運転所から転属してきたスハネフ14が1両いてたまにあかつきに連結されていた 昔、西鹿児島から出発した
特急『明星』24系25型、しんがりの電源車
カヤ24、変に古臭かった。
同じ、24系25型の特急『はやぶさ』の電源車
カニ24系の方が新しく感じられる。 特急『彗星』と言えば、ED74とDF50。
特急『彗星』の増発に、ED761011〜ED761014があった、鹿児島機関区の車です。
その頃からED74は貨物列車専業になったらしい、日豊本線宮崎(南宮崎)電化で
ED74はブルートレイン牽引から撤退した。
大分機関区のED76は、けったいな運用をさせようとした車があった。
ED7681〜ED7686です。
大分にあって、長崎・佐世保運用にあった。
電化完成が遅れると
ED74の転換要員になったらしい。 2005年2月に彗星で神戸から宮崎まで乗車した。
夜まで神戸でバイトしてそれから翌日午前中宮崎に用があったから
今では代わりになるものがなく便利だったな。
南宮崎についてから車両を見たらもう素人でもわかるくらい
外観はボロボロで放置してる感じすらして
「これは近いうちに廃止になるんだろうな」となんてなく察した。
事実、その年の秋に廃止になった。 >>81
宝塚駅で朝電車待っていたらディーゼル機関車に牽引された寝台が
来たのは覚えてる
「なは」か「あかつき」だったかな >>538
明星は25形0番台+カヤ24(24形グループ)
はやぶさは25形100番台+カニ24(25形グループ)
はやぶさの方が新しく見えるのは正常だと思われw >>540
>今では代わりになるものがなく
別に翌朝の飛行機で十分だし
間に合うならフェリーもあるし
最終のぞみで博多まで行って翌日の飛行機でも高速バスでもいいし
意外と何とかなるものさ 代わりになるものという言い方が悪かったな
代わりになるものは今もあるがあくまでも代替だね >>543
代替交通手段はあってもそれぞれ乗れる場所まで出たりしなくちゃいけねえだろ。 >>545
阪神大震災で不通になったから福知山線山陰線播但線で迂回したんだよ >79の
>神戸の地震の際、関西ブルトレは播但線経由という手段をとったけど、
からの流れだからねえ う回運転はリアルで知ってるが
>>541も、そこで示された81も読んでからレスしたが震災迂回の話の流れなんて見出すの無理じゃん。
だいいち500以上レスされてるのに80番台の亀レスなんかしてるからややこしくなる なんでそのひとつ前の >>80 も見なかったのか?
俺も何の話?と思ったから辿ったが。 >>79→>>80→>>81→>>541と話がつながってるんだから
辿って行けばすぐ分かるだろうになあ
自分の早とちり人のせいにしちゃいかんよ >>546
特に夜行バスは途中あまり止まらないから
昼間に時間のロス覚悟で移動するか目的地自体を変えてしまう事態になりかねないからな
あと場所によっては前日に移動してホテル代を余計にかけるか
当日に出てその分現地滞在時間を減らすかしないといけない場合も出てきた 宮崎なら寝台列車がなくなっても飛行機やフェリーでいいが
延岡とかは行くの面倒になったかもな
延岡にすむ人間が東京に行く人間を見送りに宮崎空港行ったら
自分が家に戻る前に相手から東京についた連絡が来たなんて笑えない話があるくらい不便だから >>555
こういう状況になるとそのうち来る人も来なくなったり
どんな観光地でもアクセスが良くないという理由であまり来てくれない事態にもなるんだよな
あと地味に陸続きなのに東京と下関市を一本で結ぶ公共交通機関がない 彗星って表定速度遅いから
国道10号線で追っかけ出来た? >>557
あの当時の10号線が制限速度何キロだったか知らないけど
そもそも信号があるから自動車の表定速度がそんなに速くならないでしょ。 【月光型】581/583系スレ【寝台電車】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1504890975/
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まもなく解体 まじかよ阿久根市が糞なのは元市長だけじゃなかったのか 阿久根のブルトレを四国の人がクラウドファンディングでの引き取りを計画していると新聞に出ていた。 https://6727.teacup.com/kiken/bbs
粘着してる ばかつき 相変わらずだ。
以前と違って、日時場所を不明にしているし。
まあ、銀のポルテ、平島〜福浜を往復してるのは事実やし。
みんな気をつけてや。あとは、報告があれば。 冬の新月の夜、オリオン座が線路のカーブでゆっくりと回転してたんだよな。
B個の上段の曲面窓ならではの光景だったが、その雰囲気はどうやっても写し撮りようが
なかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています