明星なは彗星あかつきの時代
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2008年ついに消滅してしまったこれらブルートレインを中心とする
関西発の九州方面夜行列車の話題をしてみませんか?
呉線経由下関行安芸とか雲仙西海、霧島などの急行夜行の話題も可で
現役のML九州に話題ついては板違いですのでほどほどに
(でも頑張れ、板違いにならない日が遠い将来でありますように)
関連スレ
さくらはやぶさみずほ富士あさかぜ瀬戸出雲の時代
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220165746/l50 白帯のカヤ24は銀帯の25形に
銀帯のカニ24は白帯の24形に
っていうのは、確かに多かった気がする
車両配置の巡り合わせかな?ぐらいにしか思ってなかったけど、
ちゃんとした理由があったのかな
>>443
関西〜九州ブルトレ(明星・彗星)にカヤ24が入ってたのは昭和55年10月改正まで。
それ以降はカニ24のみだったよ(予備役のカニ25は覗く)。
この改正は両列車のオハネフ25とオハネ25は100番台の方が多数派になった改正でもある。 カニ25だけど、もし今かブルトレ全盛期なら青20号に塗って帯も銀テープにして極力25形に外見を合わせてただろうね。
カシオペアのカヤ27とか大昔のマヤ20なんか見てたら極力見た目を揃えようとした努力?が伺える。 レガートシートなつかすい。
ライバルであった夜行の高速バスを意識して1人掛け腰掛けが1脚ずつ配置された3列シートになっていて
リクライニング角度も相当深かった。しかも寝台料金なしで乗車できたので新幹線よりも割安となりお得感があった。
西鹿児島行き『なは』に連結。しかし、高速バスとの価格競争には勝てなかったようで、新幹線も『のぞみ』の充実でスピードアップしたし、
夜行需要そのものが減少して末期は本州内で『彗星』や『なは』との併結運転となっていましたがレガートシートは『あかつき』に連結されてた。
しかし、さらなる乗車率の低下を受けて、2008年に廃止の憂き目に。 >>443-
日本人って画一化や統一化が大好きなのに、車両に関しては全くやらないよね。
帯色だって全検入ったらキッチリ白帯は白帯、金帯は金帯のままで廃車までそのまま。
バカ正直に個々に継続させようとるし。
名義上「改造しました。マル。」扱いでない以外は例えどんなに些細な帯色だけであろうが
絶対変えられない、みたいな律儀なんだか頑固なんだか、
まあそれを日本人らしいといえばそうだが。 DD511043が良い例で模型みたいに全て組み立ててから塗るのでなく扉1枚全て外して別々に塗ってから組み立てます。だから誰かが気づくまであの塗装だった。指示が無いとしない。
オリジナル白帯とオリジナル銀のステンレスと少数で終わった白帯⇒銀塗装が同じ扱いになってしまった。
おそらく国鉄時代は節約のためしばらくがまんしようぐらい、平成に入るともうすぐ廃止されるみたいだからまぁいいかーてな感じで帯が統一されないまま時が過ぎたように思う 長崎本線電化後も「あかつき」には583系の導入がなかったのはなぜか?トンネルの建築限界の問題からか? 長崎、佐世保、もしくは鹿児島系統との分割運転が前提になるから。
長崎で昼間運用するにしても佐世保系統っとの分割が必要。
さらに、電化は山陽新幹線開業後で、客車寝台も開業前より逼迫しなくなった。 新大阪─(雲仙・西海)→長崎・佐世保─(かもめ・みどり)→博多→長崎・佐世保─(雲仙・西海)→新大阪
McMM`TsMc×2(大ムコ)
でどう? 関西九州間の電車寝台で1972年以降はクハネ583が加入したけど、クハネ581との定員の違いは
問題にならなかったのかな? 定員の少ない581に合わせて販売してたんじゃない?
余った寝台は振替対応とかの予備で確保してたっけ。 女性専用車両を利用する男性客に暴挙謀略しまくりのおばさん
東急東横線より
http://www.youtube.com/watch?v=Jf0qxSGr7fs&list=PL1k4xaNSVVuMH4s3w1YOTynHcO6CM1cgp スレチだが583が東京口に入らなかったのは不思議。
理由は耳タコだが。 最近は九州新幹線やLCCの影響で、関西と九州を結ぶ夜行バスでさえ廃止する路線が出てきた。
東九州には安くて横になれて設備がよく、鉄道と所要時間があまり変わらないフェリーもある。
それを考えると9年前まで彗星が残っていたのは奇跡な感じ。大阪から宮崎へは彗星よりフェリーの方が速かったのに。 大阪〜佐世保の南海バスや、大阪〜長崎・鹿児島の阪急バス 長距離特急は三ノ宮・神戸振り分け停車で、三ノ宮通過神戸停車のものも多かった。
その伝統を2000年まで維持してたのが「彗星」 ヤマトと佐川の事業拡大が全て悪い
荷物列車に積み込み荷物たちが邪魔だった大阪駅3番4番ホーム
まあ、雲仙西海、阿蘇くにさきにも補完の荷物車が1両ついてましたね
だから、大阪駅でも馬鹿停していた
宮のEF5847や53が充当されて日には、当時でも2番線に20人ぐらいのマニアが
いましたよww ★高校入学時★
上杉「今のうちから、学校以外の勉強しなさいよ」
生徒「...」
府中明星高校・上杉剛は真剣に進路指導をしています。 神戸停車よりも三ノ宮停車の方がニーズに合ってるよねえ。 これらの夜行は九州各地から京都へ行くのに
大阪で阪急乗り換えて烏丸や河原町まで一直線っていう手もあって便利だったね
>>210亀レスだが
関西に住んでてわざわざ長崎大学目指すってのが、まず凄いと思った 小学生時代は神戸に住んでいた。
18時すぎに近所の線路脇で「はまかぜ」と「明星」を見送ってから、塾に行くのが日課だった。
憧れの2列車だったなぁ。「はまかぜ」はその後乗れたが、「明星」は乗れずじまいだった。 ★授業中★
上杉「本当は、早稲田に行きたかったんですよッ」
生徒「じゃぁ、なんで早稲田に行かなかったんですか...?」
上杉「お母さんが浪人させてくれなかったからだよッ」
府中明星高校・上杉剛が早稲田に行かなかった理由は、
お母さんが浪人をさせてくれなかったからだ ★伝説の教師★
物理・片山は指導力がないので、授業を10分遅刻する。
明星高校では10月〜3月まで冬時間と言うのがあり、
授業が5分間短縮される。
(どの学校案内を見ても、記載されていない)
つまり、35分間しか授業をしないのです。
府中・明星高校では、以前から「ゆとり教育」を実践している進んだ学校です。 あくね、やってないの?
この夏にツーリング旅行に行った人のブログでそう書いてあったけど・・ >>470
今はそうかも知れんが昔は神戸の方が栄えてたのよ
三ノ宮は官庁街のポジションだった >>476
酒飲むんだったら神戸駅周辺のほうが渋い店が多くていいな。
三ノ宮は大箱ばかり。 「なは」はヘッドマークが子供心に南国風情を掻き立てるデザインだったね
実物を見たいが為に大阪まで出かけて行ったのを覚えてる うん。そうだね。583系が筑豊本線を経由していたのが、懐かしいね。
黒崎〜鳥栖間の先頭は、DD51の重連で、しかも専用機は583系に塗色を合わせていたからね。
次位のオハ35改造の電源車マヤ35も印象的だったなあ。
直方と飯塚に停車させるためだけに、電源車造ってしまうんだから、
当時の国鉄は面白かったなあ。 特急『あかつき』門ハイは長崎・佐世保から新大阪、大阪から青森 特急『日本海』広域運用甚だしい。 >>482
それ以前は、キハ80系だった「かもめ」を583系に置き換えたんだよな。
7連の長崎行と6連の佐世保行筑豊本線経由の併結だよね。
583系で貫通扉を使用したのは、JR時代にシュプール号で485系とやってるけど、
「かもめ」が嚆矢だな。
この時は、D51の3重連が、小倉から佐賀まで牽引してたな。 >>483
そうそう。門ハイ運用は超広域運用で有名だった。
長崎・佐世保の「あかつき」から、青森の「日本海」、更に「ゆうづる」で上野へ。
そこから「北陸」で金沢へ。富山に回送された後、「つるぎ」で大阪へ。
そこから、やっと逆に戻って行くんだから、早岐に戻るのは何日後だっけ?
凄かったなあ。 >>481-485
おまいらwwwおもしろすぐるwww >>486
確かに今と違って、国鉄時代は色々面白かった。
そういえば、年末年始の臨時で「明星54号」「なは54号」「彗星54号」「あかつき54号」の4列車併結も
語り草だなあ。
何といっても、史上最長と言われる新大阪〜門司間24両編成だからね。
そのため、途中駅の有効長が足りない所は全て通過だし、
始発の新大阪でさえ、ホーム長が足りないから、”二段階乗車”ってのが初めて実施された。
え?”二段階乗車”を知らない?
最初に1〜12号車で客扱いをし、次に前進して、13〜24号車の客扱いをするというやつ。
当時は、線路容量もいっぱいいっぱいだったからね。
今では考えられないか。 「明星54号」「なは54号」「彗星54号」「あかつき54号」をググったけど、
みつからなかったけどなあ。
年末年始の2日間だけで、しかも、1年限りだったから、あまり写真を撮った人はいないんじゃないかな。
しかし、まあ、EF58の4重連は迫力だったな。
更に瀬野八では、EF59の4重連が後押しだから、4重連+4重連で凄かったなあ。
けれど、深夜じゃまともな写真撮れないね。
だからこそ、語り草になってるんだけど。 そういえば、1月4日、つまり最終日の上りの関門間は、
EF30 8重連だったんだよね。
所定4重連のところ、回送の4重連がぶら下がって、前代未聞の8重連。
まあ、こっちは結構有名な話だから、今更ここに書くほどでもないかな。 >>487
伝説の長大編成か。
逆に伝説の短編成もあったね。「彗星56号」だったかな。
「明星56号」「あかつき56号」との3層建て列車。
明星、あかつきの6両ずつに対して、彗星は2両だもんな。
ブルトレ史上最短編成じゃないかな。スハネフ14+スハネフ14。 いまahooに出てる見出しで
「あかつき 次が最後のチャンス」
瞬間的に反応せざるをえなかったw >>491
あかつきのうち1両は佐世保編成じゃなかった? なにこのスレの流れ。
ブルトレ全廃間近で、妄想話をするような禁断症状が出てきたのか? >>487
すげー、そんな時代があったんですね。
いまは、人口減少で新幹線以外はみんな編成縮小なのに。。。
(話題からそれますがまさかしなのが6両編成に
なるなんて子供のころは全く思ってなかった。) 残念なことに当時の関西発着の寝台特急にはヘッドマークの取り付けはなく、4列車併結のヘッドマークを見ることをなかった >>497
急行には屋久島+雲仙+西海+天草+日南の5階建てってのがあったな 運行中の客車を操車場に引き込んで行先別に
突放すること計画されていた >>487>>498
みんな釣りでしょ?
そんな列車見たことないしw 全盛期を知らない妄想連中の書き込みでしょ。
最盛期の1974年、あかつきだけで7往復、
20系14系24系24系25型。
まだEF65牽引機も残ってたな。 山陽新幹線博多開業前は昼間の特急で移動しようと思えば大阪−博多でも8時間程度かかってたし、
当時は航空運賃はまだ割高だったこともあって夜行列車の需要も旺盛だった。
寝台特急以外にも寝台と座席の両方を連結した急行も多数運転されてたし、
大阪−広島といった比較的短距離の区間でも夜行列車が設定されてたからな。 新幹線博多開業後の世代にとっては
あかつきの西鹿児島行きってのがどうもぴんとこないな >>505
それ以前は
電車 明星
客車 あかつき
日豊 彗星
だったからね 皆さん色々書きこんでるけど
ガセもガチも混じってるからややこしいね 「あかつき」って風呂屋の洗面器みたいで汚い名前だったよな。 マジな話だと、3/22着トワイライトが
最後の山陽線客車寝台車になる訳か。 このスレ、たまに覗きにきては、見たことを後悔する羽目になる >>517
乗合列車じゃないから除外。
異論は認めるけどな 新聞や荷物のためだけに停車した駅について教えていただけないでしょうか。 >>517
乗合営業列車は、富士はやぶさの最終下りが最後だったな。
寝台車が客車がという以前に、東海道山陽直通の優等列車として
1912年、新橋-下関の日本初の「特別急行」以来の系譜だから
9001レの「富士」はその掉尾にふさわしい列車だったと思う。 14系座席車オンリーの臨時あかつきよりは進化しているな >>485
昭和52年の夏、門ハイの14系が何らかの拍子で下り「紀伊」に使用。
紀伊勝浦に到着後、その日の夜に臨時「きのくに」として天王寺まで運行された事がありました。
天王寺に到着した後は天リウまで回送、その後、さらに大ムコまで回送され、
その日の夜に下り「あかつき」として門ハイに帰ったようです。 都城出身なので、彗星には未だに愛着があるなあ。
留置されている線がちょうど小道側だったので、ガキの頃はよく見に行ったよ。
今じゃ都城って街ともども寂れちまって、帰省する度に泣けてくるw
最終期のあかつき併結時の編成は14系15形って認識だったので、先日ネット漁ってたら
スハネフ14の画像が出てきて、へ〜って今更ながらちと驚いてるんだけど、それほど珍しくなかったのかな? >>528
「あかつき」は昭和40年代半ば生まれ(カメラ小僧世代)なら15系のイメージが強いと思うけど、
それ以前に生まれた人なら14系→20系になるのかな・・・
15系は、あれは昭和53年頃に製造されたのかな。25系100-200番台と同じく寝台側の窓が狭いので、
当時「おー、東京のブルトレと同じく新型や」と喜んだ記憶がある。
この前、自宅で1986年11月のダイヤ改正号を見たけど、もうこの頃、すでに関西ブルトレは
なは・あかつき・彗星が各1本ずつになり、明星は既に臨時化(★一つなので20系)されてたんだね。
このパターンは平成に入ってもしばらく続いたけど、ある日、彗星が廃止され、
なはとあかつきが結婚した。 581系の同期誕生者だが
初めて乗った西鹿児島「あかつき」は20系
むしろ長かったニューブルトレよりも印象深い 『あかつき』門ハイ
『日本海』になって青森に行った。 478 :回想774列車:2015/12/31(木) 22:28:37.24 ID:xSkFG5SH>>467
昭和48年10月大阪駅上り
6時
04あかつき1号(26レ)・新大阪行(長崎発)
17彗星1号(48レ)・新大阪(大分)
32つくし2号(216レ)・新大阪(博多)
47阿蘇(214レ)・名古屋(熊本)
50明星2号(16M)・京都(熊本)
7時
02あかつき2号,彗星2号(32レ)・新大阪(佐世保,大分)
24日南1号(1212レ)・京都(都城)
32あかつき3号(30レ)・新大阪(西鹿児島)
35桜島,高千穂(1102レ)・東京(西鹿児島,鹿児島本線,日豊本線経由)
42彗星3号(44レ)・新大阪(都城)
53天草(210レ)・京都(熊本,筑豊本線経由) あかつき明星に関してはHM無しの時代が痛かった、東京ブルトレも同様だが >>528
出雲運転所から転属してきたスハネフ14が1両いてたまにあかつきに連結されていた 昔、西鹿児島から出発した
特急『明星』24系25型、しんがりの電源車
カヤ24、変に古臭かった。
同じ、24系25型の特急『はやぶさ』の電源車
カニ24系の方が新しく感じられる。 特急『彗星』と言えば、ED74とDF50。
特急『彗星』の増発に、ED761011〜ED761014があった、鹿児島機関区の車です。
その頃からED74は貨物列車専業になったらしい、日豊本線宮崎(南宮崎)電化で
ED74はブルートレイン牽引から撤退した。
大分機関区のED76は、けったいな運用をさせようとした車があった。
ED7681〜ED7686です。
大分にあって、長崎・佐世保運用にあった。
電化完成が遅れると
ED74の転換要員になったらしい。 2005年2月に彗星で神戸から宮崎まで乗車した。
夜まで神戸でバイトしてそれから翌日午前中宮崎に用があったから
今では代わりになるものがなく便利だったな。
南宮崎についてから車両を見たらもう素人でもわかるくらい
外観はボロボロで放置してる感じすらして
「これは近いうちに廃止になるんだろうな」となんてなく察した。
事実、その年の秋に廃止になった。 >>81
宝塚駅で朝電車待っていたらディーゼル機関車に牽引された寝台が
来たのは覚えてる
「なは」か「あかつき」だったかな >>538
明星は25形0番台+カヤ24(24形グループ)
はやぶさは25形100番台+カニ24(25形グループ)
はやぶさの方が新しく見えるのは正常だと思われw >>540
>今では代わりになるものがなく
別に翌朝の飛行機で十分だし
間に合うならフェリーもあるし
最終のぞみで博多まで行って翌日の飛行機でも高速バスでもいいし
意外と何とかなるものさ 代わりになるものという言い方が悪かったな
代わりになるものは今もあるがあくまでも代替だね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています