>>25
このあと昭和49年4月の宮崎電化のときに最盛期を迎えましたよね。
24系25形も登場したりして…。

当時は東京から東海道新幹線で新大阪に出て、接続する山陽夜行で九州に向かうのが、
効率的な移動手段として旅客に支持されていた時代ですた。
時刻表の連絡早見表にも、新幹線と山陽〜九州寝台特急との接続が明記されていました。

で、昭和50年3月の新幹線博多開業で本数が減るのですが、
激減するのは昭和53年10月以降段階的に…。

新幹線開業と航空の台頭と、度重なる国鉄運賃料金うp…。
一方で移動スタイルの変化…寝ている間に移動できるありがたみを感じる旅客の激減…。

で、国鉄改革時には各方面1往復程度ずつしか残らなかった…orz
東京〜九州のブルトレが昭和50年以降殆ど増減なく推移していたのとは対照的でした。