【流電】飯田線の旧国時代【EF10】
83年3月時刻表から(+推定)
豊橋440頃→荷2041M→中部天竜700→245M→1259辰野
クモニ83100+クモニ13+伊那松島2両、客扱いは中部天竜から⇒
豊橋1608→1227M→2309辰野
クモニ83100+伊那松島2両+*伊那松島2両(*飯田で2両切り離し)⇒
辰野447→1222M→1144豊橋
←クモニ83100+伊那松島2両+*伊那松島2両(*飯田で2両増結)
辰野1520頃→荷2042M→1740頃天竜峡
←クモニ83100+クモニ13
天竜峡1952→1232M→2322豊橋
←クモニ83100+クモニ13+伊那松島2両+伊那松島2両
天竜峡で1232に増結、1232客扱いは、天竜峡よりさきでは2両だけの可能性
クモニ83100とクモニ13の運用は別
よって、クモニ83100の下り側とクモニ13の上り側は、見ることが難しい
ただ、末期はそうとう入り乱れていました >>730
ネガをみて、1222Mの1番線のコマばかりでした 道路事情の悪さから、郵便荷物輸送がなかなか廃止とはいかなかったような・・・ 沿線の道をぶっ飛ばしてると
君はさておき車は死ム
父「お前が生まれたのは不可抗力だが、
車は金がかかってるからな。
車はぶつけるなよ」
というようなことが
レールガイのえがしら剛イラストに書いてあった 飯田線沿に車と走らせようと気合い入れて行った
飯田から天竜峡までは良かったが
その先、中部天竜まではもう大変
長野/愛知県道1号、多分二度と行かない
当然水窪側はパス 飯田線から少し離れた国道は愛知県内の整備は終わり長野県内が進行中。
飯田線を見たいと思って近寄ると、西側は地獄級、東側は超地獄級。水窪から尾根に上がって秘境駅を訪れるルートが血反吐吐きそうでオススメw 大嵐、水窪以南は行けるよね
小和田は到達不可、唯一の橋が通行不可
唐笠から鶯巣は普通に行ける
金野、千代は集落から細い細い道をたどると駅に到達できる。
中井侍は行けそう?田本は無理っぽい?よく分からん。心が折れた。 時折見晴らしは良くなるけど、眺望に恵まれるって事は天竜川の水面は遥か下って事です。
対岸の愛知県側の山々は見えても川の流れが見当たらねえ。・・・そこまで降りる道はあるのかい? >>736
聞いたけど錯覚ってw
言葉的に崩壊してるだろ あの辺行こうろ思うなら、軽自動車推奨する
極狭だから
登りだってそんな速度出せないから軽自動車で大丈夫
ただ、そこに行くまでが辛いかも 沿線のバス事業者、信南交通と国鉄バス、凄まじい道を走ってたもんね
ワンマン化もされず。吊り橋みたいなの渡ったりとか >>742
今でも走るバスって、市町村営?
マイクロバスやワゴンバスでしょうか 四季折々だな。春は長篠あたりの花、夏や秋は天竜峡と中部天竜間の川沿い
冬は駒ヶ根や田切のあたりのアルプス。最高 自然味豊かな沿線とクラシカルな電車
このハーモニーが飯田線の良さ
ここが103系や113系ばかりだったら萎える 115って走ってたっけ?
湘南色の似合う路線ではあった。まぁスカ色も映えて良かったけど 今も走っている急行天竜の末裔の普通列車は
松本からいったん岡谷に立ち寄るけれど、
短絡線のできた当初は塩尻から直接辰野へ行っていた 厨房の頃東京から蓼科へ車で家族旅行行ったとき
帰りはひとりで飯田線経由で鈍行で帰った
あの時もっと旧型国電の写真とか撮っておけばよかった
途中下車した飯田駅前でかつ丼食べたのしか憶えてない
思い出補正してKATOのクモハ52の4両セット買った 1978年の旧型国電半数置換(クモハ52置換)少し前の運用では、
豊橋機関区の30番台運用(クモハ52含む4両編成)は、南部の運用が大半
飯田まで行く運用は極めて僅か
1225M:豊橋1409→2118辰野
260M:辰野2209→2359飯田
638M:飯田534→1007豊橋
時刻表1978/07から
しかも共通運用のため、クモハ52が連結無しの場合もありです
クモハ52を飯田近傍で乗る見る撮るのは楽ではなかったです クモハ52置換(旧型国電戦前車半数置換):1978年→45年前
クモハ53置換(旧型国電置換):1983年→40年前
自分も現役引退で若い人に置換です 普通列車の船町・下地の通過はいつからやっていますか 昭和19年5号(12月発行)の時刻表には既に、その二駅通過で、あとは各停って列車が載っているので
少なくとも国有化して飯田線になって以来のようだな 昭和53年だと船町下地を通過するのは急行伊那だけになっている。 ほんとだ
普通列車は全て止めた時期もあったのか・・・ 時刻表1978/07から(半数が80系に置換の少し前)
船町・下地通過は以下
・下り:急行と、9625M/9623M(奥三河)/9643Mの臨時のみ通過
・上り:急行と、9642M/9622M(奥三河)/定期の1232Mのみ通過、臨時の9632Mは停車
ちなみに、船町下地通過の唯一の定期1232Mは、小坂井2312→2318豊橋、です 牛久保→豊橋、はあったが、逆はちょっとなかったようです >>767 そうかもしれない
旧三信鉄道区間なら
天竜峡/唐笠/門島/温田/平岡/大嵐/水窪/城西/佐久間/中部天竜/浦川/東栄/三河河合
残る駅はこんな感じ?もっと削減もあるかも 妄想:あずさの附属3両を天竜峡まで乗入、こまがね再現
むりですよね? 駒ヶ根〜伊那市〜(伊那北)〜伊那松島〜(辰野)〜岡谷
(天竜峡駒ヶ根間快速)
・キセルの温床
・基本9両を4時間もどこで待たせるか 旧三信鉄道区間の小駅は、存在が厳しい感じ
他の手段がなかった昔にできた駅がそのまま残っているからですかね そのころは、豊橋付近で6両編成もあったけど、今では6両は無いですよね?
急行伊那は、飯田までなら7両編成もあった 北部(駒ヶ根より先)でホームを廃したり線路を剥がしたりで
3両が限界と言うか2両+2両すらなくなってる >>778
ATS-PT化で過走余裕を取る必要が生じたため北部は3連がMAX。
南部は4連がMAXになったんだが、豊橋駅の飯田線ホームは20m級4連がMAXで豊川B-1グランプリの応援に21m級のキハ75の4連を使おうとしたらはみ出して使えず初日の輸送が大混乱したのは多分このせい。キハ75を2連にした2日目は特に混乱は無かった。