国鉄の急行列車・準急列車を語る
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今は準急全滅
急行も指で数えられるほどにまで減ってしまった
そんな急行・準急について語るスレを試しに立ててみる >>773
それまで急行に使われていた愛称がそのまま格上げになったり持ってきたりした例の最初って
実は超特急ひかり号だな 同線内に行先の異なる特急がある場合だとか、ターミナル駅視点だと
抽象系より地名の方が直感的に分かりやすいしな。
結局は特急の大増発・大衆化に起因するわけだけど。
同時期の急行準急はこっちはこっちで改正毎に乱発されたせいで無秩序っぷりが凄い。 66・67年頃は存在が形骸化していた準急の存在が余計にややこしくしている
ヨンサントオは愛称統一の点でも白紙改正だったんだな 165系急行の高速走行時の「ブーーーン」という走行音が好きだった >>777
急行佐渡、上越線の水上から湯檜曽・土合を通過しつつ
トンネル内の勾配を力行する所は迫力満点だったな >>776
その前の40−10改正での「佐渡」「まつしま」「アルプス」「十和田」「立山」などは、
愛称統一の試行段階だったわけですな。 >>778
そこを気動車の「鳥海」(上野−秋田)で移動すれば・・・
>>776
43.10で、旧急行の第1○○第2○○と旧準急の○○1号〇〇2号(一部以外あり)が後者に統一されたな。
特急も1号2号になったから、この頃から更に「特別な」ものではなくなっていったような・・・ 時刻表見たら急行「なつどまり」というのを発見。
夏止まり?さすが、北国のローカル急行らしい、と感じた。
それに急行「ぬさまい」、釧路の幣枚橋って、地元の人間しか知らんぞ。
青森から野辺地分割で大湊と鮫に向かう急行だから、「しもきた」は向かないし、「うみねこ」は他の所で使われている。
知名度は高くないが、夏泊半島にちなんだということか?
「ぬさまい」にしても、釧路湿原が有名になる前だから、急行「湿原」とはできなかったということか? 43-10直前は号数の振り方も一貫性の無いものが散見される。
中央線を見ると彩雲は2号が臨時で、その前便の不定期は号数無し。
天竜は号数無しがアルプス付属の新宿〜天竜峡間で、
1〜3号が長野〜諏訪地域・飯田線のローカル急行。
辰野まで北上した後、進行方向が180度違うのはユニークな例だと思う。 急行の愛称で最も本数が多かったのは、常磐線「ときわ」の14本かな?
奥久慈併結の気動車急行も含めて。 >>781
夏泊半島らしい
>>783
少なくとも1980年頃はそうだったらしい
いずれも当時のヤマケイ急行列車名鑑の記述より あ、情報ソースはケイブンシャの特急急行大百科も含んでたかも ローカル急行の愛称がローカル過ぎても何ら問題なしと国鉄当局が判断した結果だろう。
気の利いた名前は臨時列車用や将来の設定に向けて確保しておく必要があったかもしれんし。
自分的にローカル過ぎる愛称としては、少し有名なところでは「天都」、
無名どころでは「かくだ」かな。 >>786
格闘家みたいな名前だな
急行と言うと、佐渡・まつしま・信州・東海みたいなのはメジャーな方? >>787
メジャーだねえ、ざおう・ばんだい・妙高もメジャー
東海・アルプスは超メジャー
あづまはマイナーだったなあ >>787
xx何号とか第何xxって数字がつくやつはメジャー 国定公園の山で、長距離急行そして特急の列車名となったのは「鳥海」くらいかな?
「くりこま」に「五葉」「はやちね」「月山」と、国定公園の山はローカル急行ばかりであるような。 >>787
東京や上野始発はメジャーでしょ
地方都市のターミナル発でも本線を走るのはメジャー
北海道辺りにいっぱいあった、ローカル線を走る奴とか
一両編成とかがマイナーという印象 >>796
田舎の1日1往復で表定速度30〜40km/h台の準急急行とか、今ならなんの使い道もないな。 地方都市のターミナル発で本線走るけど、多層建て急行の相棒、「陸中」に比べると、いまいちマイナーだったのが「よねしろ」や「むつ」、さらに「くりこま」
陸中がとんでもない寄り道をするので有名だったからだが・・ 798です。66年から72年頃までの話、仙台発の陸中、むろね、くりこまの多層建てDC急行だった頃。
併結される列車や走行区間が、何度も変わってるからややこしい。
確か、71年頃だったか、秋田発、陸中、よねしろ、むつの多層建てで、大館で青森行き「むつ」を切り離し、盛岡で「よねしろ」分離、「よねしろ」に「くりこま」併結して仙台直行してたような。
これで大館から花巻まで乗っていったことがあるもので。 くりこまにそんなマイナー時代があったとは知りませんでしたm(´・ω・`)m そもそも急行料金とるわりに駅を通過するだけで実質そんなに早くなかった
座席が若干クッションがよかった気がしたが単に気のせいだった >>802
マイナー時代というか
俊足電車急行と多層建てディーゼル急行のくりこまが併存してた 萌えるな、その辺とかw
いぶりは循環急行とか、そういう意味である意味有名かも知れん。
いぶりはどっち回りでも、愛称は同じだったんだっけかな 単行運転していたわけではないが、循環急行で思い出すのは「そとやま」と「五葉」だな。
盛岡から宮古、釜石と回るのが「そとやま」で、「五葉」はその逆。
難解多層建て急行「陸中」等の一群と共に走っていた。
ともかく、60年代後半から70年代前半頃の東北DC急行の経路、変遷はややこしい。 >>798
古い資料(50.3新潟局の気動車運用の写し)見ていたら、新潟−仙台の急行「あさひ」のうち1本が盛岡持ちだった。
盛岡から宮古釜石回って仙台に行き、そのまま「あさひ」で新潟まで、翌日逆コースで戻るというもの。
編成はキハ58・55など普通車5両。
冬など大丈夫だったのだろうか。 >>796
単行かつ地味な列車というと「からくに」「たいしゃく」あたりか
「いなわしろ」は有名すぎる 宮脇俊三の本にある、花輪線の急行を一般道経由のタクシーで追いかけ先回りした話を読むと
昭和50年代当時DC急行がいかに競争力のない列車であったかわかる >>812
韓国岳とか帝釈峡って有名だと思うんだけど
急行からくにとか急行たいしゃくの無名感は何なんだろうな? >>814
からくにが漢字表記だと知名度は高かったと思われる 列車名、漢字にする場合は画数の多いもの、あるいは小学校で習わない漢字は避ける、間違って読んでしまう恐れのある漢字熟語は使わない、というルールでもあったのかな?
「比叡」は比叡山延暦寺の全国的知名度が高いから、漢字でOK。
だが、帝釈峡は関西より東では知名度が低い。「ていしゃく」と誤って読まれるかもしれないので、ひらがなにしたとか・・ >>819
元々読みが「ないぼう」だったのを「うちぼう」に変えたんだけど
感じだと浸透しなくて「うち」だけひらがなにしたんよね >>820
下のサイトで、慣行的に「ないぼう」「がいぼう」と呼んでいたとあるが、一般人がそんな呼び方してたんだろうか?
業界用語なんでは?
このサイトには、急行「外房」のヘッドマークにローマ字でSOTOBOUと書かれてある。
ttp://ameblo.jp/nagisa04/entry-12137327151.html >>821
内房・外房がないぼう・がいぼうからうちぼう・そとぼうに読みが変わったのは1965年10月改正の時
1967年8月撮影なんだから当然読みはそとぼう 昭和49年8月に利用した急行「富士川」
甲府発12時50分,富士着が14時50分頃。
いまの特急「ふじかわ」とたいしてかわらない。
でも編成は(今考えてみれば)堂々の5両編成で1両は指定席。
夏休みだったからか,車内はほぼ満員の盛況。
甲府駅で「冷やしぶどう」(デラ)なんてのを売っていて
ぶどうを食べている人が多くて,車内はぶどう臭かった。
身延でかなり入れ替わったな。 >>782
下りみまさかは2号が1号より先発していた
併結相手の但馬の順番のねじれはヨンサントオ前に解消されていたのに
こっちはそのままだった どなたか教えて下さいませんか?
昭和30年代半ばに上野発たぶん新潟行きだと思うのですが準急51号という列車があったと思うのですが。
夜行列車のような気がするのですが、全くの思い込みなのでしょうか… >>828
臨時で愛称なしの準急は見たことあるけど
無名で号数だけってのは見たことがない
臨時列車に50番台の号数付けるのももっと後かと >>829
ありがとうございます
子供のころ父と上野から乗って、たぶん新津の駅で駅弁と一緒に飲んだ味噌汁がおいしかったのが
忘れられなかったもので、たしか準急列車だったなぁと思ったのです >>830
準急越後号かなと
上野22:30-新津5:31or5:27-新潟6:00or5:52
編成はニ+ユ+ハネ+ネC+ロ+ハ+ハ+ハ+ハ+ハ
みたいな感じだった模様 >>831
複数のかたから返事いただけるとは、本当にありがたいことです
乗ったのは、当然、三等車でした
と云うことはハのどこかですね >>831
上野〜新潟で寝台が付いていた列車があったのですね 上野ー新潟という短距離で寝台車があったのですね
って意味だったりしないのかな?
だとするなら、上野ー仙台(ほぼ同距離かと)「新星」もあったよね。
或いは、上野ー新潟という聞いたこともない区間での寝台があったのですね
って意味かも知れんが。 >>835
天の川は設定当時は上野-新潟間の列車だったんだよ 座席車併結まで縛りを緩めて最短距離の寝台って上野〜福島の準急しのぶ?
もっと短いのある? >>838
急行きそで寝台車付いてるのがあったよ
名古屋-長野間
はやたまやながさきも距離短かったな >>840
そういうのありなら
ナインドリーム甲子園という上手が 松本止まりだったかは忘れたが
臨時アルプスに寝台車が設定されたこともあった 毎日運転という条件をつけると・・・
「ながさき」が最短かも。
あいや・・・もっと最短があったな。
でもこれは寝台券こそみどりの窓口で売られていたが
「列車名」はないし・・・ここに出すのは反則だからやめるか。 >>853
そんなんあったの?いつ頃の話しですか? 1970年の夏でした。
秋田>横手は臨急おがへの併結でしたが
寝台券の発売はどうしていたのか謎です。 1968年10月の改正で準急は廃止に
1970年で準急は無いんじゃないの?
秋田〜仙台
臨時特急あおば、急行きたかみ、急行千秋 急行寝台列車急行寝台列車急行寝台列車急行寝台列車・・・・
座席車なしで一体何両編成だったのだろう? E233の2000番台が小田急乗り入れで準急を名乗るまで
国鉄車とJR車が乗り入れた先でも準急ってなかったんだよな 50.3以前の優等列車たちを偲んで尾道駅へ。
ホーム中央部は扛上工事済だったが、
西、東端は昔の低いホームで年季が入ってた。 芸備線 急行列車の写真展(6/10 17:56)hometv
10年前にJR芸備線から姿を消した急行列車の写真を集めた展示会が、
三次市で開かれています。かつて芸備線を走っていた急行列車。
人や物の移動に大きな役割を担っていましたが、道路網の整備などのため2007年
にその役目を終えました。
三次市の県立歴史民俗資料館には、6人の鉄道愛好家が芸備線沿線で撮影した
25点の写真が展示されています。
会場では、四季折々の沿線の風景と共に、半世紀にわたって活躍してきた急行列車
の勇姿を見ることができます。
また、歴代の急行列車の色を再現した鉄道模型や、記念入場券なども用意されました。
展示会は今月25日まで開かれています。
【施設情報】開館時間午前9時〜午後5時(入館は午後4時半)。月曜日は休館。 山陽本線関連のスレが無いのでここで伺います。
糸崎駅に、指定席の設備がある列車(快速なども全て含む)が最後に客扱停車したのはいつですか?
ムーンライト(山陽&九州)も運転停車だけでしたし…いつまで遡れるのかなと。
>>864
私もお別れイベントに行ってました。 マリンビューの5年前の福山延長時は糸崎は通過扱いでした。
今夏の福山延長では客扱停車します
いつ以来なのかなと。 ___
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八__r=.;;_:{:::::::::::::{ ::::::::::::::::::::::::::. `ヽ
ー辷_'ー'う‐- ..;;j_::::::::::::::::::::::::::::: ::}
 ̄ `'' ‐ ..;;_::::::::::::: ,ノ 866-867です。
先日、マリンビューの延長運転日に、糸崎駅から乗りました。
どの延長運転日も、少しでも延長区間が入ると途端にほぼ×状態で、取得に苦労しました。
山陽本線優等列車の糸崎停車の黄金時代を偲びながら乗車しました。
私はあえて糸崎発の指定券にこだわってみましたが、
糸崎着となる指定券ならツイッタラーの画像で見られます(くまなくパス利用でそうしたみたいです) 復路の下り(広島行)でしたので、呉線経由の急行あたりを想像しながら乗ってました。
糸崎駅に「客扱い」で停車する、指定席連結の(団体列車でない)一般列車は、
もし次回あるなら何年後でしょうか。
往年の面影を持たせた「糸崎発の指定券」は大切にします。 こんな漢字で書くんだ〜
と思ったひらがな愛称の列車は特急より急行が多かったな
「ひるぜん」や「くずりゅう」は全く予想だにできない漢字だった
え?って思ったのは「だいせん」 国鉄急行ではないけれど
東武の急行だかに「だいや」ってのがあったのだが、
あれはつまり大谷を「だいや」と読んで(呼んで?)いたんかね
あと「はやたま」も謎めいた名称だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています