国鉄の急行列車・準急列車を語る
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今は準急全滅
急行も指で数えられるほどにまで減ってしまった
そんな急行・準急について語るスレを試しに立ててみる >>318>>319>>320
亀レス すまん。
俺も気になって調べてみた。「100年の国鉄車両」No.3にキロハ18車内の
写真が出ているが、モノクロなので色がわからん。仕切りが無いのも微妙な雰囲気だね。
319氏の言うように確かにサロ87風のシートだね。320氏の言うように色は濃紺か。
サロ87は臙脂だったけれど。キロ25格下げのキハ26-400に九州で乗ったことがあるが
臙脂だったような気もするが。記憶違いかも。
キロ25のシートは二人がけ同じ向き(ロマンスシート?)で隣の座席の境界にシーム(?)付き
で、キロハ18のロザよりは豪華だよね。まあ、準急ようだから当たり前か。
320氏の言うように間合い運用でキロハが城端線に入っていたんだ。知らなかった。
子供のころの
エンドウのキハ17系シリーズでもキロハ18があったし、なじみが深いが実物は見たこと無い。
改造車の切り妻運転台の形状は好き。 キロハ18は後年四国へ渡っていたが、準急「屋島」に連結されていた。
キロハ25のシートは臙脂色、所謂特ロ色だった。準急「飛騨」の末期のキロ25も
同じだった。 「やしま」ってのは琴電にもなかったか?
まあ中小私鉄が国鉄と同じ愛称の電車を設定することは
よくあることだけど 「くろしお」は国鉄に複数あったね
ひらがなと漢字で使い分けてたか 「瀬戸」(東京-宇野 客車)と「せと」(高松-宇和島 気動車)も。 >>331
前者が急行で後者は準急であるところがミソ。 >330
くろしおは和歌山側も二私鉄同時運行していた時期があったりと複雑。 急行「あさぎり」は国鉄時代には2列車存在していたな。
小田急線から御殿場に乗り入れる列車と、九州の日田彦山線で走っていた列車があった。 日田彦山線の「あさぎり」は同線の「あきよし」
なんかと同様、準急からの格上げ組だよね。
物心ついた頃は冷房付き58系3連だったけど、
直方経由の「はんだ」「日田」は55系と非冷房
58系で、普段は乗せてもらえない急行を
待ってると、バス窓のキハ55と修学旅行用の
黄色のキハ58の2連が来てガッカリした覚えが。
66系が充当されると一気に改善されたはずが、
新機構満載の車の為に初期故障頻発で、
既出のように元の55系が代車に入る機会も
結構あったとか。
事実、こっちが冷房が効いた車内の軟らかい
転換クロスシートで快速の発車を待ってると、
向かいのホームにまたあのバス窓の「はんだ」が
飛込んで来て、恨めしげな急行客の視線がw。 >>329
「やしま」は高松‐松山間で屋島へ行かない「やしま」だった。
そんな列車名が多かったな‐東京‐米原‐金沢で「能登」とか、上野‐長岡-
金沢のECでも津幡で半島の根元近くをかすめるだけ
キハ66は小倉駅で停車中を撮影したが、故障はエンジン過熱の
火災だったか?DLM30HSCやHSFには問題が多かったな
かつての「能登」は輪島延長運転があったような
最たるものは「なは」だが >>337
関門海峡を渡らない「関門」
大阪始発終着のの「「六甲」「いこま」
宮島の見えない「宮島」
周防しか通らない「長州」
まあ島の名前の大半はそこまで行かないよな
礼文、利尻、佐渡、おき、くなしり、宮島、屋久島とか 「紀伊」に行かない寝台急行「紀伊」の奈良・王寺編成。
「大和」のころは和歌山市行き車輌を抱えていたのにね。 「大社」の運転区間短縮後。
のち「はしだて」に改称されてしまったが。 「つくばね」何で小山でスイッチバックにしないで短絡線経由にしたんだろう?
上野〜小山で利用する客ってあまり居なかったのかね? >>343
小山まであえて急行乗るってあまりいなかったと思う 他にいくらでも急行あったしな。小山いくなら他の乗るだろ、なすのとか 設定当初はその先まで行く列車と併結だったから小山までの客に関して何の問題もなかった
単独運転になった時点で小山通せばよかった感はある >>344-346
有難う。
上野から小山は、80キロあまりだから、それなりには急行利用者はあったはず。
末期以外は併結だったし、他にも急行があったので、無理に小山通す必要は
なかった訳ですね。 >>339
ちょ、
東京〜下関に設定されていた急行長州
下関は周防ではなく、まさしく長門(長州)なんだが…? つくばねは勝田所属
小山でバックすると編成が逆になる
上下とも、折り返しときわの運用があったからね 当時の東京(上野、新宿)発の中距離以下の列車で途中から「逆編成」になるのは日光線くらいしかなかったからなあ。
あとはいわゆる季節運転だった新宿発八高線経由の準急「奥利根」くらいか。
長距離では佐世保行きの「さくら」が早岐から逆編成というのがあったが。
これが名古屋発になると様相が一変する。
東海道線を上下する分にはいいが、北陸線は米原、高山線は岐阜、中央線は塩尻、紀勢線は亀山、飯田線は豊橋と直通列車は途中で向きが変わるのが当たり前。
奥利根の時代なら
大網と1963年までの千葉は旧駅 >>350
奥利根は毎日運転の定期列車
不定期化(週末運転)してからは三国
あと長距離なら東京、上野から北陸本線方面はみんなそうだろう
今も北海道方面は逆編成だな >>337
東京-宇野間を走破するだけ、
つまり本州側だけを走るにとどまる列車だというのに急行「讃岐」という名称の列車なんかだって有ったんだから。 地球の中だけを走ってるだけでも、
「金星」だの「彗星」だのあったしな。 >>355
銀河、すばる、天の川、カシオペア、新星、北斗、北斗星、明星、夕月と天体ものは多いな
でも地球から見えてるんだから良いじゃん 結論。
列車名に名乗っている地名の所にいかない列車は、沢山ある。 >>339
生駒山は大阪府と奈良県の県境の山だから「いこま」は大阪始終着でも問題
ないだろう。 >>358
同じ府内ならおkっていうのも変な気がするなあ >>358
生駒山の頂上は奈良県、とつまらぬアゲアシトリ( ゚∀゚) >>359
「まつしま」だって松島には行かなかったが、特に文句は出てないぞ。 >>361
文句言ってるのはそもそも>>354だけだし >>358
やましろ、せっつ、なにわ、はりまには到達する。
よど(川)も越える。
いこまと六甲は沿線のどこかから見えるんじゃないかな? >>363
いこまは高槻〜大阪間で、六甲は吹田〜大阪間で、それぞれ見えるんじゃね?
そういや昔の東海道急行って、(大阪行きは)関西の地名ばかりだったんだよな
半分は首都圏の地名でもよかったと思うがな(私鉄特急みたいになるが、“むさし”とか“さがみ”とか) >>361
そういや当時の国鉄は、上野仙台間系統の急行の中から
ちゃんと現地に到達する「みやぎの」「青葉」を蹴って
「まつしま」に統合したんだよな。 >>364
東京〜大阪の電車列車は
特急は田町、急行は宮原と
担当が別れていたから
急行は関西の影響が強かったんじゃないか? と言うか普通に下り側の地名付けるのがデフォだったんだろ 特急「おき」や「なは」も現地にまでは到達しないし
急行「佐渡」「利尻」「礼文」等々、島の名前を冠した列車なんかだって到達しない。
(島の名前を冠した列車名だけで、今まで一体いくつぐらいあったんだ?)
ちなみに南海電鉄に「四国」という特急列車が存在することを知ったとき、
当時は新幹線岡山開業よりも以前のことだったので、非常に違和感があったもので。 いつまでこのネタ続けんの?
いや続くのは構わないんだけど、既出のネタをひけらかしのつもりで書き始めたし >>368
関西から和歌山経由で徳島に渡るルートが
理解できれば違和感ないんだけどな 南海には急行淡路もあったよ。
阪急でもない、山陽電鉄でもない。
昭和48年の夏。阪神電車で淡路島連絡特急「うずしお号」を見た。阪神の終点
である元町に近いポートタワーのある中突堤から出ていた、共同汽船との連絡
だったと思われる。 >>375
深日港から徳島港行き徳島フェリーも出ていました。
南海汽船が和歌山港から出ていたので冷遇され、「四国号」は和歌山港連絡を指していました。
徳島市へは早くつけたのですが、南海汽船は四国側にも鉄道連絡があった強みですね。
小松島線、徳島フェリーが廃止になり、結局南海フェリーが徳島港を発着するようになりました。
>>366
>>367
ただそれだと、大阪側から東京行きの急行に乗るときに
“なにわ”だとか“せっつ”なんて愛称はどうなのかな?って思わないのかしらん?
(首都圏の利用者にしたらどこへ行くか一発で判るけどw) >>377
長野から東京行きの新幹線に乗るときに
あさまって愛称はどうなのかなと思わないだろ? >>377
それ言い出すときりがない
東京や大阪中心に列車名つけてるからね 江戸・むさし・東京・銀座・うえの・すみだ川・多摩なんていう愛称は国鉄やJRで過去に使われたことがないよね。 >>341
東京行のハネがどの列車も取れず仕方なく王寺で「大和」併結の和歌山市発
スハネフ30に乗車。頭に連結されたので加太のトンネルで煙たくてイガラッポクて
閉口したことがあった。殆どの乗客がゴホンゴホン。
>>380
「大和」があって「武蔵」が無かったな。 「ムーンライト東京」は、下りに乗ろうと思うと
どこ行くのか分からない列車だったなぁ。 準急ちよだ…。
地域ネタも入れれば快速メルヘン立川、朝夕の通勤ライナー系も入れれば新宿、高尾、青梅モナーw >>385
だから下りのみムーンライト東京からムーンライト仙台になったんだろ >>392
イクスピアリは臨時だったし、今はもうない。
(わくわく舞浜・東京号に改称の後、快速へ格下げ)
定期列車はきたぐに、はまなすの2本のみ。 >>388
補遺すれば国鉄では
準急料金の収受はs21.10から全廃されるs43.10まで。
函館から蘭越まで急行、そこから各停、倶知安から準急って・・・
札幌までどんな切符を買えばいいんだろう? >>396
札幌までの乗車券、蘭越までの急行券、倶知安から札幌までの準急行券。
>>388>>394-395
昭和36年10月当時
列車指定及び座席指定無し
一等・・・240円
二等・・・100円
列車指定・座席指定
一等・・・440円
二等・・・200円
(南海難波発着の第2きのくにのみ)
連絡準急・座席指定料金・・・210円
準急末期は準急行料金も急行料金も同じだったね。
始発〜終着まで100キロ以下だと準急,それをこえると急行だったから
同じ愛称で準急と急行が両方あるのもあったね。 あるいは「くなしり」「らうす」のように運転区間は同一なのに併結相手の関係で
急行と準急に分かれてた例もあったそうだな
ヨンサントオ前の愛称氾濫時期と相まっていびつな状態になっていた 43年10月改正の直前の時刻表みると
「第1○○」「第2○○」は由緒正しき急行
「○○○1号」「○○○2号」は準急あがりのボロ急行
とすぐわかったけどな。
釧路〜根室標津直通列車のほとんどが急行「しれとこ」併結だったこと
あれって、釧路〜標茶間のために急行料金払うことになるぼったくり急行だったのではないかと思う。 >>400
電車急行だとビュフェの連結の有無でもわかった。
1等車2両にビュフェを連結してる列車は元からの急行で、
ビュフェもなく1等車も1両しかないという列車は準急上がりという感じだった。 >>400
おっと、「きのくに」の悪口はそこまでだ。
・準急あがり
・「第1」「第2」(後に第4)
・一等車(グリーン車)連結(2両連結の日もあった)
・全車指定席。
「きのくに」に限らないが、準急時代に「第1」「第2」となっていた準急あがりの急行はボロですかそうですか。 >>403
きちんと実績をひっさげて出世した「きのくに」と
呼称整理のために急行を名乗るようになった列車は違うだろう。
急行あじがうらが走ってた頃は
茨城交通の駅や国鉄の切符や急行券が買えたんですか? >>406
茨城交通の駅で国鉄の切符が買えたかということ?
結論から言えば、連絡運輸の範囲であれば乗車券・急行券が買えた。
(もちろん、乗車券は茨城交通内の駅発になるが)
当時の連絡運輸範囲はおおむね関東圏内。
(なお、現在のひたちなか海浜鉄道の運輸連絡範囲は都区内及び松戸〜日立間のみ)
中央快速(東京口)が急行電車と呼ばれていたころには
それは日中は走らなかった。 急行ひめかわ(新潟−青海)
キハ58系で急行らしい急行だった。
新潟はわかるが、青海って、、、今では考えられない。 県庁所在地で国の出先機関もある新潟市へのビジネス・所用向けな設定、と考えればわかりやすい。
何しろ信越線経由でも新潟−糸魚川170km越えだろう。
気動車準急が普及した時代には、それなりに速達需要があったであろうルートだ。
糸魚川の一つ西の青海からなら、セメント関係者までカバーでき、
糸魚川と上越と柏崎のビジネス客を拾える。
まあ今なら北陸道経由でミニバン飛ばして2時間で走っちゃう距離だけど。 柏崎ってぇ〜と、ブルボンとコロナですかいな?
それと・・・東京電力? 湯檜曽って昔は急行停車駅だったらしいが、今は急行券どころか乗車券も買えないのが寂しいな。 >>415
一度は急行が停まっただけいいじゃないか。
一度も急行が停まらず、線自体が
廃止されてしまった駅もある。
まるで416の人生みたいだけど。 根北線みたいに準急すら走ったことなく廃止された線は気の毒だ >>382
「おくたま」は、東京都心から山の中の終着駅である奥多摩駅へ
・家族で楽しくハイキング
・夫婦でのんびり散策
・若い男女が大自然の中で青姦
に行くための電車だよw
話は違うけど、ガキの頃「かいじ」号が「甲斐路」号である事が分からなかった
今の特急かいじ号には、ドア脇に武田菱の紋が入っていてカッコいいね >>419
快速や普通の特快のつもりで中央快速線内だけを利用すると、
なんとなく「普段着の自分」が浮いてる気がする不思議な列車ですなw
中央線と言えば末期の183系アルプスはHMが「急行」だけで味気なかったな。
特急型使用の急行なんてそんなもん、だったはずが、
いまや急行能登がムーンライトえちごまでもが絵入りHM付きだもんな。
妙高も末期は189系だったよな?あれもHMは「急行」だけだったかな、よく覚えてない。
銀河とか客車急行はJR化後あたりには絵入りテールマーク付きだったよね。
特急型で運転されてて専用絵入りHM付きだった定期急行って他に何かあったっけか。 >>422
サンクス、文字HMだったんだ、全然記憶にないw
これはこれで珍しいね。 連投スマン
気になって画像検索してみたら、アルプスも妙高と同じく急行アルプスの文字HMだった。
あれ、記憶違いだったかな…イタリア国旗みたいな色の頃も、長野色の頃も「急行」だけだったような気がしたんだが…。 >>421
もうすぐこの板の仲間入りをする、583系「きたぐに」が絵幕だね。 >>421
「きたぐに」陥落で、とうとう最後の急行になる「はまなす」も特急車両で絵幕。ついでに機関車にもヘッドマークあり。 上野発(小山経由)高崎行の「急行わたらせ」と
上野発(高崎経由)小山行の「急行あかぎ」が走っていた時代は
両毛線は上りも下りも上野行の列車が存在していた。
両毛線内は快速(末期は普通)であったが準急時代の「わたらせ」は
桐生〜(小山経由)〜上野間を全区間準急運転をしており両毛線唯一
の優等列車であった(前橋、新前橋間の急行あかぎは除く)。
その後急行に格上げされるも1年位で両毛線内は快速になってしまった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています